近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代8©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
軍事板の近世総合スレです。
概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。
国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで、東洋・西洋・日本国内を問わず、
陸戦、海戦、戦術、組織・動員編成、補給・兵站、諜報、外交、経済、
築城・縄張・要塞・土木技術、火薬、火砲製造技術・船舶・食料・農業や人口など、
軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。
中世以前の話題については、古代・中世総合スレへ。
1850年以降の話題は19世紀後半軍事考察スレへ。
このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
900踏んだ人は1000までに次スレを立てて、次スレへ誘導すること。
関連スレなどは>>2以降参照
前スレ
近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代7
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1388893375/
参考資料:軍事年表(軍事百科事典より)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm 2 名無し三等兵 sage 2014/01/05(日) 12:46:21.12 ID:???
古代・中世総合スレ:
[武士騎士] 古代中世総合17 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1387871002/
19世紀軍事総合スレ:
[19世紀後半幕末総合]南北・普仏・西南・日清戦争06
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1376388340/
理論・歴史系スレ
[孫子]戦理・戦略・地政学・歴史・理論0010[戦争論]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1290002931/
(dat落ち)
航海術・造船技術の発展とか、航海法の歴史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1323000695/l50
(注 世界史板です) なんか過疎ってるなー
あ、そうだ
オランダ式大隊やスウェーデン式大隊では銃兵はパイク兵の援護下にあったけど
カウンターマーチをするときってパイク兵ってどこにいたの?
銃兵の後ろにいたらいざという時に銃兵を守れないしかといって銃兵の前にいたらカウンターマーチのじゃまだし パイク兵は両脇や後ろにいて必要な時に前に来る(銃兵が後ろに下がる)で何が問題なのかさっぱりわからん いざというときとは言っても、例え騎兵突撃でさえも隊形変換する余裕は有るかと
タイミングを読み間違えたとかなら別だけど 重装騎兵の衝撃力失った17世紀の騎兵じゃ十分余裕あるわ。ただしポーランド除く スウェーデン式戦隊でパイク兵が正面の場合後方のマスケット銃兵との距離は通常50歩幅とあるけど一歩幅を0.5mとしても25m離れてることになる
更に後方に予備のマスケット銃兵が左右に展開できるように配置されてるとはいえ
離れすぎな気がするんだけど良いんだろうか 大きく感じるけれど、隊形変換等の機動を考えると必要なのかもね
ナポレオン時代でも、大隊(横隊)や中隊の間隔は、横方向は余り離れていないけれど、縦方向は旋回の余裕を取るためか結構離れているし
(縦隊は横方向も結構離す時も) スウェーデン大隊やオランダ大隊って6列横隊でカウンターマーチするときどのくらいの距離から射撃開始してたの?
スウェーデン式大隊が「充分に近づいた上で」3列横隊に展開して一斉射撃で隊列を崩すっていう説明を見て気になったんで 近世について調べ始めたばっかりの人だけどナポレオン軍ってなんで強かったの?
7年戦争であそこまで強かったプロイセン軍がコテンパンにやられた理由を知りたい 7年戦争でプロイセン軍がそこまで強かったイメージがない 7年戦争のプロイセン軍は際どい勝利のイメージ。
ナポレオン軍も結構際どい勝利だよな。 数が多い、戦死者が出てもひるまない→それに応じた戦術が採れる
かなあ? 本質的には、封建国家と国民国家・近世と近代 という国家体制上の時代格差だと思うのさ
封建からの脱却に伴う国力の拡大、中央集権による国力全ての戦争経済化、ナショナリズム
を背景にした国民・兵士の高い士気、古い体制に囚われない軍事改革など‥
ここら辺、例えば中世末期の封建・分権国家に対する絶対王政国家の優越とかと通じる話だね >>11
徴兵か徴集の違い
徴兵は町と村ごとに人口の〇%を何年間か軍隊で給料払って訓練する
活躍すれば将軍になれる(少なくともナポレオン軍は)
徴集は戦争の度に必要な人数を雇って戦いが終われば解散する
徴集だと最初に契約金を貰ってあとの給料は戦況次第(つまり勝ち続ければ分け前があるけど負ければ分けるもの自体がない)
しかも怪我しても何の保障もないし、そもそも基本給が低いから、みんな命をかけたがらない
酷いと現地で部隊が解散するから自腹で帰らないといけないwww 封建制も後期の頃は、徴兵による国家の常備軍(長期兵役)が主流だよ
選抜的徴兵+長期兵役(時には10年を超える)を背景にした封建軍の強さ・高質さ、
ってのは仏革命政府の軍隊編成やエピソードでも歴然としてる
プロイセンの「徴兵制度による超大規模な国家常備軍」とか有名じゃんじゃん それでも国民軍の異常な士気の高さには勝てなかったからなあ >>18
士気じゃない、金の問題が大きい
封建制は王様の財産と王様の借金で軍を養うから普段から大軍を編成するとスペインみたいに維持費で破産する
共和国だと国の予算と国の信用で金を借りれるから資金力が違う
で、イギリスがフランスに勝てたのは当時の金融の中心がロンドンで、イギリスがフランスより低い金利でたくさん借金できたからフランスを倒せた >>19
>で、イギリスがフランスに勝てたのは当時の金融の中心がロンドンで、イギリスがフランスより低い金利でたくさん借金できたからフランスを倒せた
言いたい事は何となく分かるけど、何処からその沢山の借金をするんだ?
国内?
国外?
イギリスの中心がロンドンなら、フランスの中心はパリなんじゃないの。
肝心の、金融の中心がロンドンでありパリではなかったのは何故?
> 封建制は王様の財産と王様の借金で軍を養うから普段から大軍を編成するとスペインみたいに維持費で破産する
>共和国だと国の予算と国の信用で金を借りれるから資金力が違う
イギリスは何制?
てか、過小評価されがちなイギリスの先進性、(評価最高の海軍は兎も角)特に陸軍のそれがよく分かるよな。
ワーテルローはナポレオンの記念地ではなく、ウェルズリーの記念地。 横からですが
>>20
>言いたい事は何となく分かるけど、何処からその沢山の借金をするんだ?
国内外の金持ちからでは
今現在各国でやってるのと同じでしょう
>イギリスの中心がロンドンなら、フランスの中心はパリなんじゃないの。
>肝心の、金融の中心がロンドンでありパリではなかったのは何故
フランスの信用度がイギリスのそれより低かったからでしょう
平たく言えばイギリスの方が、借金の返済がスムーズだったということで
あとまあ、中央銀行やら証券取引所やらの出現もイギリスのほうが早く
>イギリスは何制?
立憲君主制ですな
とりあえず名誉革命以降、予算の決定とか国債の発行認可とかは議会の専権事項だったとか ナポレオン戦争時、イングランドは軍事費の半分以上を国債で賄っていたことはあまり有名じゃないのか >>20
アジアやカナダ、南アフリカなどの植民地で活動する商人は、地元に金融市場がなかったのでロンドンで資金調達と余分な資金の運用をしていたのです
また、国内にも貴族がいます
ですから国債を買いたい人がいたわけです
ロンドンが中心になったのは共和制フランスが革命で成立したからで、王制の周辺国はフランスとは取引してくれなかったのです
イギリスは立憲君主制の志願兵制
つまり近衛騎兵連隊に代表される王様のエリート部隊と食い詰め者(貧乏人)の併用
だから優遇されてる部隊と一般部隊の待遇は段違い
イギリスが伝統的に歩兵用ライフルがショボいのも立憲君主制だから >ロンドンが中心になったのは共和制フランスが革命で成立したからで、王制の周辺国はフランスとは取引してくれなかったのです
絶対王政の時代のフランスは国債まともに整備できておらずナポレオン期の方が取引されてるのを知らないようだ
あと、革命初期に貴族層粛清した結果それまで英海軍に対して優位であった仏海軍(七年戦争の戦訓からブルボン朝は
海軍を強化し米独立戦争でも英海軍をけん制していた)が弱体化し、その結果海外市場も弱体化している イギリスの資金調達は永久債というのが有名で、金利だけ払うという国債が発行された
これは元本は返さないけど金利は永久に払うというもので
例えば1万ポンド永久債を5%で買うと毎年500ポンドいつまでも貰える
イギリス政府が元本を返すと、契約終了(返済完了) ナポレオン戦争期にはコンソル債使ってなかったと思うけど このころの社会システムとか全然知らんけど傭兵の値段も安くなったよね。
1600年のスペインが植民地も含めた動員数15万でヒーヒー言ってたのに
18世紀のフランス軍はその倍以上の数を維持できてたもんな >>24
いや、国債はそもそも「あんまり必要なかった」のが事実
何でかというと、当時の王様や貴族の買い物はツケが効くから借金する必要がなかったし、公共事業もしなかったから >>27
スペインじゃなくカスティーリャ王国の軍隊だったからな
統一国家だったらまた違ったかも >>28
ツケ自体が負債じゃね?あと、結構借金してるぞ。国王個人に対する借金だから代替わりやらなんやらの時によく帳消しにされたが。
なのでリスクが高くなって金利が上がる→返済額が膨れ上がって帳消しにされるリスクも上がるになったが
あと国債の代替として売官もあったような。気軽に買い戻せないわ金利代わりに給料払わないといけないわ
買った方は金儲けにいそしむからいいことろくにないけどまとまった金が手に入るからやめられなかったらしい >>30
ツケは商人からすれば個人相手の売掛け金だろ?王様からすれば商人1人を裏切っても何も怖くない
で、国債は証券化(切り分け)された債権だから会社や個人同士で売り買いできる
つまり流動性(いらなくなったら売れる)がある
で、流動性があると金利は下がる
仮にイギリス国債がデフォルトしたら国内外の金持ち数千人がイギリス政府に恨みをもつリスクがあるけどね 官位の売り買いはヨーロッパだけでなく日本でもあるな、樋口一葉の父が同心の位を買ってる
中国もそうだし、現代でも「民営化」と言って水道公社を買収して事実上の「買官」してるような国がある 国王が金借りる規模の商人て国内で最も有力な商家だったり、都市国家経営してるレベルなんで
国王が踏み倒すと踏み倒しでなくなる債務の額どころでない被害が国家に出たんだけどね
有名どころだとスペインに金貸していたジェノヴァがスペインの度重なる破産でスペイン援助から
手を引いた結果、ネーデルランドが独立したりと >>27
18世紀の中期以降は選抜徴兵制が欧州各国で始まってるし 昔読んだ漫画で食料がなくて靴を食べるみたいな場面があったのだが革靴って食えるの? 大昔の革靴は食べようと思えば不可能ではないってレベルで
近代の革靴は加工時に使う薬品が人体に有害だった気が
中世の時点で皮の加工に砒素使うことあったから革製品食べるのはよした方が 食料になる‥と思われていた(実際は栄養にならないし、腹を下すのがオチ)。
ナメシ加工された革は食べられない・消化できそうにないけど、靴・特に靴底のはクッション性や
保温性から非常に厚いので、表皮部分を剥けば生・無垢の皮(のようなもの)が得られる。
コレは食べられそうだ。って概念?がアッチの世界に普及していたのよ。
飢餓状態に陥って食べた、って話は結構みるよ(南極探検のスコット隊とか)
東洋の、土壁のつなぎ材(藁など)は食べられる。みたいなもんだな
マネしないように クラウゼヴィッツ読み直してるけどこの時代のことを知った後だとまた新鮮な感じで読めるな 「戦争論」は現代の軍事研究のバイブルであると同時に日本語で手に入る近世の戦争を研究した最高の本だからな 翻訳の問題では。たしか中国語じゃどっちも禁衛隊なような。 親衛隊(gards)の中で皇帝・国王を守るのが近衛と訳されるんじゃなかった?
だからマレンゴにおいて第一執政が投入したgardsは親衛隊だけど
ワーテルローにおいて皇帝が投入したgardsは近衛隊な訳だし >>44
待遇がひいきされているのが親衛隊で
国家元首の護衛が近衛のイメージがあるなぁ とある幕末日本を扱った海外産RTSではガーズを護衛隊と訳しててはじめ意味がわからなかったな
まあ「double times」を「ハイノハヤサデ-」とやらかしたり色々楽しいゲームではあったんだが 逆に旗本とか御家人が海外でGardsなんて訳されてる可能性はないのかのう。 長谷川平蔵とこの御先手組なんかならアドバンス・ガードで正確な翻訳なんだろうけど。 奥詰銃隊や御持小筒組(撒兵隊)はGuardsと言えるのでは?
海外で呼ばれているかは分からないけれど
撒兵隊の中で木更津に脱走しなかった兵士は、慶喜公が駿府に移封される時に護衛として付き従ったし
ナポレオンに付き従いエルバ島に航った帝国親衛隊と重なるなぁ 江戸幕府の将軍近衛といえば小十人組かな
お揃いの制服(危急の際は将軍も同じ羽織を着て見分け付かなくするため)で常に帯同、
平時は将軍の警護+個人的なエージェントとして国内各地に派遣されたり‥
と一般の旗本御家人とは毛色が違う そういえばロシア遠征でフランス軍近衛軍団ってどのくらい被害を受けたんだろね
損害率が大陸軍と等しいなら近衛隊を構成していたベテラン兵も全滅に近かっただろうし
一般部隊にもベテラン兵なんていなくなっただろうし 帝国親衛隊の兵力の推移
帝国親衛隊、第3師団
※1812年7月1日の兵力 / 1813年2月1日の合計兵力
※「オランダ」のみニェーメン渡河時の兵力 / 1813年2月1日の合計兵力
第1及び第2親衛隊徒歩猟兵連隊(4個大隊)
将校94名、下士官兵3076名 / 415名
第1及び第2親衛隊徒歩擲弾兵連隊(4個大隊)
将校83名、下士官兵士2808名 / 408名
第3親衛隊徒歩擲弾兵連隊「オランダ」(2個大隊)
将校34名、下士官兵士1462名 / 11名 ここ
http://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/garde.html
によればワーテルローの近衛隊突撃に加わったのは老練親衛隊3個大隊を除く5個大隊2850人となってるけど
ロシア遠征前の1個近衛連隊以下の人数しかいなかったってことは結局ロシア遠征前の規模まで再建出来なかったってことなのかな? >>56
>>55の最初の2例は2個連隊の合計(2個大隊×2)です
分かり辛い書き方だったかな・・・
親衛隊の歩兵科連隊は
1個大隊:中隊(200名)×4個
1個連隊:大隊×2個+連隊本部=約1600名
だったかと
記憶ですが
なので、ロシア戦役の1個連隊以下とは言えませが、定数割れ状態だったのは確かかと
ワーテルロー戦役に先立って、徒歩猟兵と徒歩擲弾兵の第4連隊が編成されましが、戦役開始に間に合ったのは第1大隊のみだったと
第2大隊はパリ近郊で編成中 あの突撃ってそんなにしょっぱかったんだ
映画のイメージのせいで10000とは行かなくても5000くらいはいると思ってた
ナポレオンも半ばヤケクソだったんだろうなあ >>57
ああすみません
20世紀くらいのイメージで1個連隊3000人と勝手に思い込んでました 実際にはデルロンとレイユの軍団の残存兵力が助攻してますし
ネイがあそこで騎兵を消耗せず親衛隊突撃の支援に回せばだいぶ違ったと個人的に妄想 ヤン・タルノフスキはマウリッツにどんな影響を与えたんだろう カウンターマーチってマウリッツ以前から似たようなことが行われてたっぽいし
マウリッツも西ヨーロッパの既存の戦術をまとめただけで特に影響とかなくても不思議じゃない 16世紀ランツクネヒトの登場する会戦をスパイス程度に小説で描こうと思っているのですが
押さえておくべきポイントは何でしょうか
銃隊を槍方陣が護衛し
砲が槍方陣を崩し騎兵が突撃するという認識でいるのですが(これだとカウンターマーチになっちゃって時代が下りすぎかな?)
この場合雑多な武器を持つ歩兵たちはどこに登場の機会があるのかなというのが疑問でもあります 自分で描写思いつかないなら当時を題材にした映画でも見ろよ
ここで聞くもんじゃねえよ鬱陶しい >>63 その辺の描写なら、読者は「ばら物語」を読んでると思わないと。ちょっと画像検索してみてくれ。 >>65
回答ありがとうございます
バラ物語読んでみます >>63
1520年代のランツクネヒトの連隊は少なくとも300〜400人の中隊10個から成ってた
主な武器はパイクだったが連隊の1割以上はアルケブス装備してた
といっても装備してるアルケブスは発火方式さえバラついてたらしく絵画史料だとタッチホール式とマッチロック式が混在してたりする
銃兵は槍兵縦隊の正面で敵へのかく乱を行っていたらしい
1519年からは神聖ローマ帝国の敵の軍に従軍することは罪とされてたが実際には守られてなかった
またスイス傭兵と比較して低く置かれることが多かったがスイス傭兵がビコッカで大損害を負った後は実力が逆転したそうな >>67
ありがとうございます
ばら物語にもそのように描写されておりました
スレ汚し申し訳ありませんでした >>63
ランツクネヒトの編制例(カール5世時代?)
中隊:400名(大尉、中尉、その他の下級将校や下士官を含む)
400名の内100名はドッペルゾルドナー(倍給兵士)で、 100名のドッペルゾルドナーの内50名はアルケビューザー
通常の兵士でアルケバスやクロスボウを装備していたのは25名程度でした
連隊:10から18個中隊
連隊は前方列、中央列、後方列、最後方列の4つのグループに別れていていました
(4列横隊と言う意味では有りません)
前方列:将校、良質なアーマーを装備したパイクマン
中央列:ハルベルダー、ソードマン(敵隊列の側面に攻撃を仕掛ける機会を狙っています、主に膠着状態時)
後方列:その他のパイクマン
最後方列:ドッペルゾルドナー
アルケビューザー:散開して側面、後方、時には前方にも >>69
貴重な情報ありがとうございます
だいたい知りたいことがまとまりました
重ね重ね本当に感謝いたします
勝手にやってきて聞くだけ聞く態度申し訳ありませんでした 大宰府の九州国立博物館の火縄銃展に行ってきました
火薬を入れるカ所は銃口と火皿だということは理解してるんですが
火皿という装置がある意味がいまひとつ分かりませんでした
直接銃口側に点火すると、暴発の危険があるから火皿という前段階をおくんですか?
すごく基本的なことで気が引けますが……
ついでですが、この展示会は小規模でしたが火縄銃を直に持って重さを体感できたので興味ある人は是非おすすめします 日本にはほぼ完成の域に達した瞬発式火縄銃が入ってきて試行錯誤の歴史が短いからメカの必然性が判りにくいね
古くは短い銃口側から導火線や焼いた針金を突っ込んで点火する打ち上げ花火と同じ方式に始まってる
後に銃身に小穴をあけて詰められた火薬へ焼いた針金を突っ込んで点火するよう工夫され
さらに銃身上に火皿を作って伝火薬を盛り、そこへ火種を押し付け点火する確実な方式へと発展
狙いを付けられるようメカを工夫し引き金で火縄を火皿へ押し付けるよう出来上がったものが完成形
要するに火皿は確実な発火と射手の安全を確保するためのものだけど
さらに安全確実な雷管が発明され構造上火皿は不要になった ありがとうございます
伝火薬、確実な発火というワードで何となく理解が進んだような気がします
実物を見てますます欲しくなってしまって模型を購入しようか検討中…… いま火縄銃値下がりしてるから
本物買っちゃいなYO >>75
本物www
そういえば今でも火縄銃を作っている人はいるんだろうか? 美術品としての古式銃なら所持OK
新造品はNG
古式銃について 警視庁
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kurashi/drug/kenju/koshiki.html
年代的
現代銃
日本製〜 概ね慶応3年(1867年)よりも以後に製造された銃
外国製〜 概ねそれよりも後に我が国に伝来した銃
古式銃
日本製〜 概ね慶応3年(1867年)以前に製造された銃
外国製〜 概ねそれ以前に我が国に伝来した銃
中略
古式銃として登録、所持できないものに、
現代銃に該当する
登録後に現代銃に改造された
等があり、いずれも違法な銃となります。 狩猟用の散弾銃という名目ならいけるんじゃね?
基本18番以内だからイギリスのブラウンベスは駄目だけどシャルル・ヴィル系なら着剣装置を無くせば
条件は満たすし 骨董市に行けばやたら安いのが見つかる事もあるけどいいかげんな代物がほとんど
馬上筒と称して明らかに銃身を切り詰めただけのものや雷管仕様などと称したデタラメな変造品もあった
壊れてるものを少しでも高く売ろうと手を加えて台無しにしちゃってるんだよね… 日本の火縄銃が戦国期にあれ以上発達しなかったのってやっぱり完成度の高いものがいきなり入ってきたからかな
欧州じゃ種子島で売った火縄銃は試行錯誤の到達点の一つに過ぎなくてフリントロックや雷管式から金属薬莢
さらには後装填へとどんどん進化しているのに日本じゃ大量生産こそしたけど基本形状とか幕末までほとんど発展が無いね
火ばさみの松葉バネをゼンマイ式にして銃床内に組み込んだものもあるけどほんの一部だし 元和偃武以降、戦争がなくて実用的には狩猟用途限定、しかもグリップとフロントエンドの二点支持式が圧倒的に普及した状況じゃ、
火縄銃から先の改造は命中精度が落ちるだけで有害無益だったというのはよく聞くね。
ストック付きの三点支持なら発火機構改良も意味もあるんだが、狩猟用(空砲威嚇用含む)には銃が長くなりすぎて取り回しが悪くなるからな。 命中精度にこだわったが故に結果的に発展しなかったてのは言えるかも
良質の火打ち石が産出しなかったから日本じゃフリントロックが発達しなかったというけど
硝石自体が大量に輸入されていたんだし必要なら買ってたはず 命中精度にこだわって割には独自にライフリングも発明できなかったんだから
単に需要がなかったってだけだろ
明が火器の発展を15世紀で止めてたのと同じ >>83
ライフリングってそんなに容易に発明できるもんなの? 弓矢も矢羽根の作用で回転させることで飛翔が安定すると経験的に知られていたから
江戸期も工夫というものが続いていたらライフリングに気が付いていたかもね
まあそんな需要が生じないほどの長い太平のほうがはるかに価値あるけど ライフリング自体は日本に伝来したいわゆる種子島より先に知られてはいるんだが
冶金技術が追い付かなかったんで。 >>86
ああ発明する必要はなかったんだ
ありがとう 江戸時代の武具関係は、守旧型・既存の軍備を維持するだけなんだよ
民間〜藩まで軍備増強は厳しく規制されてるし、武士の鉄砲は武芸化されてるし。 外敵もいないのに軍備近代化しても社会不安の種になるだけだし、基本的に健全な判断ではある。
対外交流ルートを極度に絞りすぎたのは失敗だったけど…江戸時代中期、アラスカあたりまで進出していた時期のロシア相手になんか手を打てなかったかなあ。 幕閣中枢はいろいろ手を考えていたんだが水戸と長州・薩摩が全部ぶち壊した
江戸時代の水戸のゴミっぷりは二代目が領地経営失敗したときに改易しなかったことを
心底悔やむレベル それは言える。水戸学がなけりゃ幕末以降の日本史はもう少しまともな方向になっていただろうな。皇国思想が亡くなるだけでまるっきり違うもの… 高島流なんかでヤーゲル銃使ったときの射手の感想や使用感ってどんな感じだったんだろう? でも、銃弾をただの球型から椎の実形にするのに時間かかってるのは不思議だよね。
矢じりと同じく尖らせればいいんじゃね?っていう発想がなかったんかな >>93
いや、肝は先とがりではなく、後ろの凹みだから。
不思議に理解されていない? >>93
椎の実形の弾丸を銃口からスムーズに装填出来、尚且、発射時には弾丸がライフリングに食い込む様にする為の工夫が大変だったからでは?
その答えが>>94さんの指摘 ライフリングの無い銃身でも戦車砲のAPFSDSみたいなものなら高威力の銃弾になったかな
焙烙火矢なんて凶悪な兵器があったわけだし というか貫く装甲がないから作る意味がないな
そこまでしなくても鎧は用をなしてないし 初期の小型大砲だと、対重装騎兵用に矢型の砲弾を発射するものはあったよ
矢のお尻に木製の円盤型の栓を付ける。焙烙と違って矢は砲身内に収まる形。
バリスタを火薬推進にしました、みたいな概念の兵器だね
また円形の砲弾に取付ける木製のサボもあった。全体で見るといわゆる砲弾型に
なってて、当然サボは発射直後に分離。
これはマスケットで使う紙薬包の 紙+底板 の部分と同じ役割を期待したものだね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています