近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代8©2ch.net
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軍事板の近世総合スレです。
概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。
国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで、東洋・西洋・日本国内を問わず、
陸戦、海戦、戦術、組織・動員編成、補給・兵站、諜報、外交、経済、
築城・縄張・要塞・土木技術、火薬、火砲製造技術・船舶・食料・農業や人口など、
軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。
中世以前の話題については、古代・中世総合スレへ。
1850年以降の話題は19世紀後半軍事考察スレへ。
このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
900踏んだ人は1000までに次スレを立てて、次スレへ誘導すること。
関連スレなどは>>2以降参照
前スレ
近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代7
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1388893375/
参考資料:軍事年表(軍事百科事典より)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm >>139
18世紀頃までだと、種子島なんかと一緒で、鉄の棒に薄い板金を巻き付ける製法が主流のはず。
19世紀後半には、鉄の棒を作ってから、真ん中をくりぬく製法が主流になってます。
ブラウン・ベスはどっちだろう、100年以上にわたって作られているから、
細部の設計は色々と変化しているし、生産時期によって製法は違うのかも。 >>140
祭りで撃つのなんて空砲なのにそれで暴発なんてあるのか?
よほど銃身が腐食してたり肉が薄くなってたりしたのかね >>140
>>143
不発だった装薬を取り除かずに次を装填したと
これって暴発って言うのかな? >>144
二重装填による腔発かなあ。
そもそも、暴発って、射手の意図と無関係に銃弾が発射されることを言うんだから、
>火縄銃を撃ったところ、銃が暴発
って、言葉の意味的におかしい気がするが、まあ、いいか。 興味のない人に腔発だといっても伝わらないし、短い単語でニュアンス伝えるならいいんじゃないの
言葉の意味は変わっていくもんだし まぁ射手の意図しない結果をもたらした発砲すべてが暴発の範囲かな いくら倍量の装薬でも、空砲で壊れるあたり
相当経年劣化が進んでたってのはありそう なんで左手が重傷なんだと思ったら左肩に担いで後ろに撃ってたのか
まともに構えていたら顔までいっていたな…
しかし不発だったらどうするのが正解なのかな
遅発なんてこともあるだろうし危なくて触れない この事案なら水張った桶用意しておいて放り込んで近寄らず一晩放置でいいんじゃね 言われてみれば先込めの多重装填ってどうやって対処してたんだ
それこそ「戦場では有りがちな事」扱いだよねこれ 不発が出たらラムロッドの先端にワームを取り付けて、それで弾を抜き出してたよ
ワームは弾薬盒に入れて有ったみたいだけど、全員が持っていたのか、何人かに一人(例えば下士官とか)なのかは分からない 大抵の場合もう一度撃発すればいけるんやない?
前スレで誰かが上げてくれた米軍が試験したデータによると燧石式(M1822)の不発率が6発に1発、
雷管式(M1842)が166発に1発となってたけど
撃発機構以外はほぼ同一といって良い銃でこれほど違いが出るってことはただ単に火薬に上手く着火してないだけと思える >>148
こういうイベントでは迫力出すために実射よりも火薬多く入れるらしいね
実射よりもマシマシで火薬入れたのに更に火薬入れたから爆発 >こういうイベントでは迫力出すために実射よりも火薬多く入れるらしい
根拠なく妄想で語るのやめてくれませんかね 南米だかどっかでハンマーの先に火薬を取り付けてドカンとやるお祭りがTVで紹介されてる
みんな目立とうとエスカレートして火薬を詰め過ぎて毎年ケガする奴が出るそうで同じ心理だろうな >>156
実際に銃を撃っている人間からするの火薬マシマシなんて
頭がイカレているとしか思えないからさ。 >>152
日本の場合だと、鉄砲組頭が弾抜きを持ってると、雑兵物語に書いてある。 ステージガン用の調合火薬を使えばいいのにね銃も痛めないし
黒沢映画だとピンク色のマズルフラッシュがすごい 英語版wikiの「歴史修正主義」の項目に修正主義の例としてしてナポレオン戦争時の仏軍の攻撃陣形っていうのがあげられてるんだけど
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Historical_revisionism
これによると仏軍が横隊を突破する為に縦隊で戦っていたというのは昔の人の本をきっかけに広まった間違いで
21世紀に入ってからの研究でそれは否定され実際には多様な横隊をくんで戦っていたというのが正しい
とのことだけどつまり攻撃縦隊っていうのは戦場での機動性を上げる為に組んでただけで
戦闘の時には横隊に組み直してたってことで良いの? >>162
リンク先では1806年のマイダ会戦を例にしている様ですね
従来は、フランス軍第1軽歩兵連隊が2小隊正面の攻撃縦隊で白兵戦を意図して突撃
距離20ヤードで横隊のイギリス軍旅団から斉射を受け敗走
現在では、突撃時の第1軽歩兵連隊は横隊だったと
(戦闘技術の歴史4にも収録されていますが意味の取りにくい訳に・・・)
また、攻撃縦隊で突撃する時も、隣の大隊との距離は横隊に隊形変換するだけの余地を残したりもしていました
横隊を選択肢から外していたり、始めから複合隊形を取っている時は密集距離でしたが
フランス軍の攻撃は縦隊か横隊のどちらか一方に統一されていた訳では有りませんでした
多くは複合隊形だった様ですよ
連隊で一つの複合隊形を組むか、旅団や師団規模で複合隊形を組むかの差は有りましたが
流石に一つの大隊では一つの隊形でした
(前衛の散兵を除く)
因みに、マイダ会戦の参加兵力は両軍共に師団規模(5ー6000名)なので、大規模な複合隊形は取っていなかったと思います 文章が前後してしまった・・・
>>162
リンク先では1806年のマイダ会戦を例にしている様ですね
従来は、フランス軍第1軽歩兵連隊が2小隊正面の攻撃縦隊で白兵戦を意図して突撃
距離20ヤードで横隊のイギリス軍旅団から斉射を受け敗走
現在では、突撃時の第1軽歩兵連隊は横隊だったと
(戦闘技術の歴史4にも収録されていますが意味の取りにくい訳に・・・)
フランス軍の攻撃は縦隊か横隊のどちらか一方に統一されていた訳では有りませんでした
多くは混合隊形だった様ですよ
連隊で一つの混合隊形を組むか、旅団や師団規模で混合隊形を組むかの差は有りましたが
流石に一つの大隊では一つの隊形でした
(前衛の散兵を除く)
また、攻撃縦隊で突撃する時も、隣の大隊との距離は横隊に隊形変換するだけの余地を残したりもしていました
横隊を選択肢から外していたり、始めから混合隊形を取っている時は密集距離でしたが
因みに、マイダ会戦の参加兵力は両軍共に師団規模(5ー6000名)なので、大規模な混合隊形は取っていなかったと思います 散兵線をひく理由の一つが敵前で隊形を変える戦列歩兵を保護する為だもんな 映画ワーテルローでもちらっと肩が触れ合うほどのぎゅうぎゅう詰の隊列の前に人三人分くらいの間隔で前進しているフランス兵の様子がみれたわ この時代の散兵をちゃんと描いた映画って「ワーテルロー」くらいなのかね?
ドラマとかみてると数秒のカットでちょびっと散兵戦が描かれてたりするけど TVドラマだけどシャープシリーズとかは?
こちらはこちらで散兵のみだったかな?
大規模会戦は少ないし、ワーテルローの回を見ていないけれど・・・
もう少し後の時代、南北戦争での横隊+散兵なら Gods and Generals の第1次ブルラン会戦で再現されていましたよ
前進シーンのみでしたが >>169
大半は遭遇戦だけれど、意図的な夜襲もたびたび行われているよ。
有名な例だと、「トゥルゴヴィシュテの夜襲」がある。
1462年、ワラキア公国の独立を意図してオスマン帝国と交戦していたヴラド3世(いわゆるドラキュラ公)が、
戦力差を覆してオスマン帝国軍を撃退すべく皇帝メフメト2世の首印を狙って宿営地に大規模な夜間攻撃を
実施した。
ワラキア軍は首都トゥルゴヴィシュテに篭城していると油断しきっていたオスマン帝国軍に大打撃を与え
戦術的には勝利したものの、戦略目標たるメフメト2世の殺害には失敗した。 ストーニーポイント夜襲とか
ツーロン攻囲戦とか
近世だと野戦での夜襲はあんまりない感じ アメリカ国歌は夜戦の歌だよね
And the rockets' red glare, the bombs bursting in air, Gave proof through the night that our flag was still there, >>169
ナポレオン戦争中の野戦での夜襲なら、エジプト遠征中のタボール山の戦いとか
後はモスクワ遠征中のロシア軍騎兵(コサック主力)によるものとか
両例共に仕掛ける方の主力は騎兵で兵力も少なかった
大兵力の夜襲となると攻囲戦かな?
攻囲側、籠城側の両方で行われた筈 米英戦争で米軍が素人丸出しの配置をして
夜襲食らったんじゃなかったっけな
調べたらBattle of Stoney Creekっぽい
>>171のストーニーポイントで夜襲に成功したのに
数十年後に似たような名前のところで逆を食らってんな スペイン軍はEncamisadaっていう夜襲で有名だったな
仲間見分けるために白いシャツを上から着て剣やダガーで敵陣襲うっていう Twitterでこれ流れてきて気がついたんだが
https://www.youtube.com/watch?v=4SVC_9V8K5Y
著作権法改正されてなければ来年にこれフリーになってたのか モスクワフィルムがつべで全編無料公開してるからとっくにフリーになったものと思ってた >>176
ボロディノ会戦のシーンは、どの局面の描写なのかハッキリとしないのが残念
流石にボロディノ村の市街戦や大堡塁は分かるけど・・・
ロシア軍騎兵の渡河シーンはコサックと第1騎兵軍団によるコローチャ河を渡ってのフランス軍左翼(ウージェーヌ軍団)への迂回攻撃の再現なのかな?
アウステルリッツ会戦はプラッツェン高地を降っていく連合軍が印象的
ロシア軍の軍服は確りと1805年戦役時を再現しているのに、フランス軍の軍服は後の1812年戦役の使い回しなのが・・・ 戦争と平和の第3部のボロディノの戦闘シーンの砲撃や爆発の迫力はすごいんだけど実際あんなに爆発してたのか?
当時の砲弾は爆発しないだろうし榴弾砲はあったことは知ってはいるんだけどあんなに大量に使われていたんだろうか
榴弾砲が勝利を導いた戦闘とかって18世紀〜ナポレオン戦争中にあったりするん? 現代の爆薬でもあんな派手に炎を上げて爆発しないんだよなあ ソ連版戦争と平和の撮影に使われたのはガソリンだから黒色火薬の榴弾よりもねっとり爆発してるね
派手だしいいんじゃない 同じ様な爆発をするワーテルローもガソリンなのかな?
>>179
榴弾砲の配備数は結構多かったみいですよ
1812年戦役のフランス軍各種砲兵隊
徒歩砲兵バッテリー
6ポンドカノン砲×6門、5.5インチ榴弾砲×2門
親衛隊徒歩重砲兵バッテリー
12ボンドカノン砲×6門、10インチ榴弾砲×2門
騎馬砲兵バッテリー
6ポンドカノン砲×6門
各種歩兵連隊付属の歩兵砲小隊
3ポンドカノン砲(オーストリア軍からの鹵獲品)×2門
騎馬砲兵や歩兵砲兵を除けば、カノン砲と榴弾砲の比率は3:1
(各隊の砲のサイズは標準例なので例外有り)
1812年戦役のロシア軍砲兵隊はバリエーションが多いのですが、徒歩砲兵バッテリーのカノン砲と榴弾砲の比率は2:1でした
(フランス軍と同じく騎馬砲兵に榴弾砲は無し)
ロシア軍の榴弾砲はリコルヌ(一角獣)と呼ばれる長砲身榴弾砲で、gun-howitzerの一種でした 前もきいたような気がしないでもないけど
バッテーリって何を示すんだっけ
榴弾砲とカノン砲の区別ができ始めたのっていつごろなのかのう… バッテリーは砲兵中隊だゾ
榴弾砲とカノンって元の震天雷とかのことを考えると元々別々の兵器として生まれたんじゃないのかな? おお、なんと砲兵中隊だったのか、英語だったのね
臼砲が榴弾砲でそれ以外の砲がカノン砲になったのかなぁ
弾の問題と皮の問題は違うからどうなんだろう >>182
長砲身の榴弾砲ってあったんですね
この時代の榴弾砲と言えば短い砲身で曲射で撃つイメージだったんですが >>183
フランス軍を例にすると
1個バッテリー(battery)は
砲兵(大砲と砲兵が所属)1個中隊(company)
大砲輜重兵(大砲を牽引する馬と牽引具、それらを操る御者が所属)1個中隊
以上、兵科の異なる2個中隊により編成されていました
砲兵は徒歩砲兵連隊(22個中隊)又は騎馬砲兵連隊( 7個中隊)の所属
大砲輜重兵は大砲輜重兵大隊(6個中隊)の所属
batteryの訳としては、砲兵大隊、砲兵中隊、座、等々一定していないのでカタカナ表記にしました
記号としては縦棒2本なので歩兵なら大隊(battalion)に相当するのですが・・・
ここら辺は騎兵のsquadronの訳にも当てはまる問題です >>80
技術進化が実際止まるし、世界的に大々的に重火器が変化するのはもっとあとだからな。
フリントロックライフル事態は江戸時代に輸入して施策してたぜ。
そして17世紀のこうそうしきライフルにたいして、銃が劇的に進化するのは19世紀になってからだろ。
だからその間150年日本の重火器が変化しないのは必然。 >>188
確か軍事技術の進歩に関して幕府の目が厳しいのと、
射撃時の手元の衝撃が大きくて命中精度が火縄式に劣る事が、
江戸時代にフリントロック式が流行らなかった主要因なんだっけか 戦列歩兵戦術も一緒に導入しないと
火縄を使わないので密集できる、というフリントロックの長所が十分生かせないしな 律令制時代に中国から輸入した矛による密集戦術が全然続かなかった日本で戦列歩兵が流行るのかというと・・・ 山がちなのが戦術や武器に影響を与えてるよね
西洋の甲冑も入ってきていたけど動きにくいと大改造され胴と兜しか使われなかったくらい
なんでわざわざと思うけど南蛮胴の耐弾性は貴重だったんだろうね >>189
フリントロック式が衝撃により命中精度が落ちるとは言っても、射手が制御出来ない程の衝撃なのかな?
フリントロック式は軍用以前に狩猟用として広まったって経緯が有る位だし
(火縄の臭いを獲物に嗅ぎ付けられないって利点も有ったにしろ)
プロシア軍の猟兵は民間の狩猟用ライフルを流用した物を使用していたけれど、トリガープルの調整機能が付いていた位繊細?な物だったと
命中精度に影響が出る程の衝撃が有る物に、そこまでの機能を付けるか疑問が・・・
和銃の頬付け銃床が衝撃を押さえるのには不適切だったとか? 国産だとフリントの質がよろしくないのも一因と聞いたことがあるが真偽は不明 >>195
トリガ−の引きが硬くてガク引きになるからじゃないの? フリントロックの最大の利点は連射性であり、つまり日本の火縄銃のほうが単発の命中精が高かろうが
連射性で総射撃量で命中精、制圧力、コスパ全部よくなるってのが後装式ライフルの利点
で精度よりも連射と制圧力で進化してきたのがライフル
実際アサルトライフルはボルトアクションライフルよりも完全に射程も命中精も劣るけど、全部負担の大きくアサルトライフル主流に切り替わったろ
これと同じ 銃がそれまでの武器と比較していかになんにおいて優れてただが
単一の兵器としてみると初期の銃はフリントロックライフルまで含めて、連射性、射程、精度、威力事態は全く大したことない。
ところが
・弓よりも錬成が容易である
・弓よりも武装が軽量で済み、低人数で運用でき補給の負担がない
・束ねうちや射撃の集約、指向がまっすぐ飛び弓より軽量なため容易であり、これによる集弾効果で
最強の制圧力、最大の射程、最高の命中精度をもった最高の武器になる。
この集弾性によって最強の武器となる特質は既に火縄銃の前から戦術として体系化されてる
・これによる効果で部隊の生存性を確実にし、また負傷兵ですら戦力化が容易であるため、生存性、持続性、射程、威力、コスパすべてが優れたハイブリッド次世代兵器部隊として運用できる
というのが銃の特質と利点。
単発、単体的な性能では劣ろうがこれ全く本筋じゃなくて、斉射=制圧力で価値が決まるってのが古典からの銃のドクトリンだからね。
それからすればフリントロックライフルの登場と採用は最適な戦術で高度な戦略的な選択肢であり
火縄銃の単一的な射程で評価する方向性は戦略的、部隊単位の戦力比較では大きく間違ってんのよ。
銃はフリントロックライフル登場で制圧力あがって、戦列歩兵なんていうものができるようになったてのが
進化だったわけだから もっとも日本軍は銃器にたいして物資の負担、消耗が追いつかなかったから、消耗的にフリントロックライフルに切り替えれなかったんだよ
既に火縄銃の消耗でも1丁に対して戦時1000発/年、平次200発/年、備蓄弾は約1丁2000発単位の計画でいくと
戦時「鉄3.5kg、硝石650g」、平時「鉄700g、硝石150g」、備蓄2000発で「鉄7kg、硝石1.3kg」も消耗する。
既にたった1丁の連射の効かない火縄銃でも莫大な物資消費量
仮に国産で自給生産しても、頑張って江戸時代に全国一元的な生産を行ってもせいぜい数トン生産し、
完全な硝石自給体制だと1000-3000丁も火縄銃を運用できなくなる。
そんなわけで江戸期に硝石を輸入して硝石自給率は低かったのだが、火縄銃数万丁の運用が硝石調達都合で限界
仮にフリントロックライフルに切り替えたら国産で1000丁未満しか運用できないために、フリントロックライフル切り替えはむしろできなかった
そんなわけで戦国時代に銃器が10-20万丁あったってのは盲言で、あれってEUにおいて一種の黄禍論やら対日侵攻世論を巻き起こすために作ったプロパガンダで
実際銃は2-3万丁の運用が限界で5万丁も生産してなかった、これは硝石の輸入と消費、銃の生産速度上それ以上作ることができないから また当時火砲はほぼ運用してなかったが当時の火砲の砲弾が1-2kg、装薬が500g/発であるとして
1時間に20発、1日100発も砲撃できないとしても
一度の大規模交戦で200発/門
一度の戦争で500発
維持に年次100発を消耗すると備蓄1000発硝石300kg、維持年次30kg
大隊で門数16-24門で備蓄数トン、維持に年500kgも硝石を消費するためむしろ完全に維持、保有できなかった。
江戸時代に火砲は大隊規模でモスボ保管されてたが、砲撃などは数十年に一度、年次ペースで1発程度も砲撃っsれてなかった
こういった実情から幕末でペリー前に火砲の整備計画はあったものの幕府は渋ってて
(火砲大隊の維持に年1トン弱の硫黄の輸入、重要港湾に各大隊を整備し10大隊編成すると、硫黄の消費額だけで年10万両規模)
結局ペリー前の軍事整備ができなかった。
幕末における軍事支出は年次10-30万両規模(年度により50万両下手したら100万両)
これを税収100-150万両の幕府では維持できず、借金を重ねて軍事整備を行ってたが、これはまともな値段で日本に対して商売した結果。
逆に不平等条約以前だと日本にたいしてまともな商売を行うかわからなかったから
同じ額を消費しても軍事整備はうまく行かなかったかもしれない。 16-17世紀に話を戻すが、当時火砲大隊でトン単位、銃5000丁の戦列歩兵連隊で30トンの硝石を年単位で消耗するために
日本の師団は戦国期には銃保有10%計算で編成10-15師団規模、動員力50万はあった。
しかし同時代の白人並の火砲+銃保有計算にすると、3-5師団しか保有できず、後方支援団を充実させて7-10師団も持てない。
すると当時5師団程度しか保有しない白人国の軍と同規模になるため、目立って規模の巨大な日本軍とのギャップは解消され、日本は普通の軍事大国規模で
EU連合には完全に叶わない事になる
日本が江戸時に年次10トンの硝石を輸入し続け、備蓄100万トン体制を構築したとしても
ナポレオン戦争時代においては1師団で維持に年50トン、戦時で100-200トンも硝石を消費可能なため
この時代においては10万トンの消費量では2-3師団、備蓄100万トン体制でも5-7師団しか維持できなくなる。
ナポレオン戦争代においては日本軍はオランダ軍並みの戦力しか軍事開発を推進して戦力を最新化させ続けても無理であるため、もうこの頃には中堅程度の軍事力しかなかった 日本軍は戦国時をピークに衰えるが、あれはコスト都合、平和都合ではなく、硝石自給都合によったため
これによって日本軍は最新化させ続けても、維持可能な予算であれば
ナポレオン戦争期に正規師団5個未満、フリゲート10-20、
ペリー段階でその1.5倍の戦力も元来維持できず、幕末軍未満の戦力しか保有できなかった。
また明治初期も金銭都合以上に、鉄と硝石の生産力都合で物的に軍事増強ができず、日清日露戦争まで軍拡出来なかったが
工業生産的都合で軍拡できなかったんだよね。幕末ー明治の5師団編成って国力限界で打倒で
最低限の侵攻戦力対処に妥当な軍事力 こういった実情がむしろ明懲罰(死傷損害1-3万にたいして相手は死者のみで10-15万)、日清戦争で軍以前の雑魚を斬殺しまくったことで
雑魚素人相手の勝利で強い日本軍と一般的に軍ヲタ?の間でご錯覚されてるが
極端的に軍事遅れ以前に重無能指揮で軍事敗北する雑魚チャイナに対する当たり前の勝利でご錯覚されてるだけであり
資源的に弱い日本軍は江戸時代が軍事的ごまかしのきく(EU軍は小さく太平洋に来れない)限界であり
また弱すぎるチャイナ軍あいてこその限界でもあった
そういうわけで日本は客観的に物量的には今の自衛隊程度の戦力が資源都合で限界であり
そこそこ強い地域軍事大国的ではあるが、あくまでチャイナに勝てる程度でスーパーパワーには全く及ばない。
なぜならスーパーパワーは資源包括大国であり、軍事コストを下げれることが前提
よって帝軍は工業力以前に資源時給を太平洋戦争下でも完全確率してないから、とてもスーパーパワーではなかった。
ぶっちゃけハイパー雑魚チャイナに打痛作戦をかける程度の雑魚に勝てる弱小軍が日本軍、戦国軍 つまり日本軍は火縄銃までの消耗が限界で物量資源負担で軍事進化しようがなく、黒船と不平等条約は軍事を常備化でおいだせたが、3-5師団もいじできないために
ある程度の不平等条約は結び、明治でも実際そうであったように、不平等条約に屈したろう(マシ程度にはなる)
硝石の消費ペースは戦国軍で師団10トン/年、17世紀で30トン/年、18世紀(仮定)で50トン/年、ナポレオン軍で150トン/年
を生産できるとして、フランスの例で年300トンまでしか人糞法で生産できず(日本ならば500-700トンが限界か)、大量供給は1820年のチリにおける硝石鉱床の開発からであり
それ以前はむしろチャイナとフィリピンでフル生産してすべての硝石を年間100万両以上だして購入したところで、
それほど大規模な1000トン単位などの供給はできなかった(というかこれだけ運べば商船不足で日用輸送を圧迫)
であるため硝石の様々都合でどちらにせよ日本軍は近代化障壁があり、戦国を臨界点として
努力改善したところで、江戸期に十分な大国軍事力構築は無理で、せいぜいオランダ軍規模で
フィリピン、アリューシャン列島、ハワイに牙城作るのが軍事国力限界だったろうな。
とすれば外交、政治、軍事的には
・オランダ、イギリスに兵力を3000と物資を貸して、スペイン駆逐でフィリピン硝石利権を半分貰う
・鄭成功政権が成立+兵力と物資を支援して、鄭成功は大陸一部の硝石鉱床を獲得、維持
・オリバークロムエルの乱は起きずイギリス同盟が成立
・オランダ、イギリスに外交アドバイスされて、外語、国際法、国際紛争、の知識をもとに、ハワイ、フィリピン、ASEAN、アリューシャン、北方領土などの一部を獲得。
とかこういう外交ミラクルがなければ軍事や外交のレベルアップはできなかった。 フリントロック化を含め、江戸時代に銃器の進化が停滞したのは、
鎖国による平和の下で、軍事関連が形骸化・儀式化した+中期以降は
幕藩に軍備に回す余裕が無かったのが理由だろうね。
部隊(備,組)の編成、防具(足軽用装備を南蛮胴にしたり鎧を廃止するとか)
刀の構造(鎧相手の戦闘でなければ軽い刀の方が実用的)など、火縄銃
以外にも全く変化が無い。江戸時代初頭を墨守してるだけ。
弓組なんて弾幕構成が目的なんだから、フリントロック銃化が当然の進化なのに
幕末まで弓のまんま。伊達の馬上筒部隊とか、せめてピストル持たせろと‥
んで江戸末期に大慌てで海外から物も知見も輸入しだすんだろ‥ 下手に開発したらそれ口実に取り潰されるからな
平和維持には最適だろうけど技術の停滞は痛い ついでにドリフターズの描写ってあれ弾薬の生産、供給性(人糞鉱床の限界)と、火縄銃の威力と射程の上限性をあまり理解してない上での描写になってる
あれ一番問題なのは長篠の戦いまで含めても、完全に当時の銃は騎兵に勝ちきれない不完全兵器で騎兵の衝撃に敗北する。
それ以前に野戦の歩兵に勝ちきれず、歩兵のしょうげきにすら完全に勝てない。
射程と威力と補給のネックで師団規模の戦線で司令部や補給体などの一部や退路確保などで
一部的な狭すぎる戦域において銃陣阻止陣地を形成するためのものであり
野戦主力の近代銃型の兵器ではない。
ゆえに信長は信玄に負け続け、武田国の政治混乱期に物資、準備、兵力物量で押切、包囲と各個撃破で破ったのであるから
これは完全に当時の銃がコスパや同等の両規模で騎兵に勝てない最大の証明になる。 でドリフターズにおいてエンズ集団軍(装甲歩兵、胸鎧騎兵2万を含む10万以上)を阻止するのは物理的に不可能であり、相手の規模を
装甲隊5000総員3万でも阻止不可能で、あれはまさに榴弾火砲で対処しなきゃいけないもんなの。
榴弾火砲の登場でそれまでも歩兵中心の集団的な攻勢、突破を完全に叩き割ることができて、また火砲が銃に完全に対抗できる火力になった。
だから榴弾対処が正当で、銃の対処はご都合的すぎて、ホントは信長がグスタフ2世に榴弾をレクチャーされて火砲20-50門の支援貰わないとクリアできないシナリオになる。
でこの無敵砲台榴弾砲兵を撹乱して回避して破るのが騎兵の役目で、ここで三兵が成立するんだよね。
つまり戦国軍の限界と弱さは榴弾+三兵まで行けなかったことで
銃弾を全面化させてその銃物量で対処するのは高コスト、非効率的な前時代的な物量アプローチで
イメージはスペインのてるしお単純物量法に信長軍のイメージは近いが
あれは三兵とドクトリンで撃破できて、その三兵とドクトリンスタイルでもって、近代軍、あるいは亜近代軍という次世代の圧倒的な軍事スタイルになるのであり
つまり信長軍はそれ以前のところであるために、単に銃の門数と物量もあって、銃1万丁を配備するか(補給も生産も無理)、銃がマモン平原古城床から見つかるか
、グスタフ2世が火砲50門を伴って参戦するか(ヒラコーは絶対やらずまずその知識がない)
、飛竜に12.7mm機関銃をのっけて弾幕をはるか(威力は17世紀の火砲なみだろうが持久力がない、しかしやり損そうな展開である)
ホントはグスタフ王だすのが正しいんだけど、ヒラコーはバトルアクション書きたいから、大砲の知識があってもそれはありえない
ヒラコーは信長と島津が活躍しないような、活躍が隠れる作りにはは絶対しない。
但し白人の軍ヲタに突っ込ませればグスタフ2世よこせで解決ということにしかならないんだと思う。 銃なんかよりジャンヌとかアナスタシアとかの方が不思議能力だしな
黒王軍が銃にビビる訳ないわ いや小文字くんは別に読んでもらいたいわけじゃないからw >>210 ランペルールを棺に入れてくれゆーてる作者だし、いずれなんか出てくるだろ。 >>215
sugeeeee
200年前にスナイドル銃と変わらないし閉鎖方式を考えてたわけか >仮に国産で自給生産しても、頑張って江戸時代に全国一元的な生産を行ってもせいぜい数トン生産し、
>完全な硝石自給体制だと1000-3000丁も火縄銃を運用できなくなる。
江戸期の加賀藩は年に4トン余りの硝石の生産を行ってるから
日本全体で生産を勤しんで年数トンというのは過小評価かと
加賀藩は廃藩時には560トンほどの火薬を備蓄してたと言われている >>215
予備のカートリッジケースが有れば速射も出来るんだね
サックス元帥が理想とした編制では、散兵には後装ライフルを持たせるべきと有ったけれど、その1世紀以上前に存在していたとは
まぁ、軍用に求められる耐久性や費用の面から装備化は無理だったのかな?
彼の理想の編制自体が実現していないし 南部藩は幕末に藩を挙げて硝石産出に励み、古土法により年最大28tを生産。
加賀が江戸中期に年産4.5t、幕末には最大年50tまで産出量を急増。
古土法は数十年土を休ませる必要がある。南部の硝石は幕末期の総生産高が
4万貫=150t程度と目されている※。古土法による安定収穫を30年周期とすれば、
150÷30=5t/年。日本全体の人口を、江戸後期で3000万・戦国で1000万(±20%)と推計。
江戸後期 南部藩の人口は約35万人。
単純に人口比を当てはめれば、江戸後期=5t・90倍=450t、戦国5t・28倍=140tが
国産硝石の安定生産量限界と目される。って感じかなぁ‥
※南部は産出開始が1848年と遅く、維新後は産出量がほぼゼロに戻ってる。
少な目に、幕末の4万貫で古土が払底したと見積もり。 >>222
金属製薬莢っていうか火薬ケースで閉鎖を行う方式みたいだね
水圧プレス機なんてない時代だから火薬ケースをおいそれと使い捨て出来ないのがネックか 欧州じゃ本当に試行錯誤がすごいね
王公貴族や大商人なんかが資金を出してくれる仕組みがあったようだけど
日本で行われた改良なんか微々たるものであることがよくわかる
まあ欧州はそれほど高性能火器が渇望されるほど戦乱に明け暮れていたってことなんだろうけど 戦闘無いから日本での改良は巨大化、多砲身、仕込み銃、等のゲテモノ方面に行ってたからな >>215
これ火薬ケースは鉄製だろうけどどうやって作ったんだろう?
火薬ケースのコストが解消できたら大量生産されたかもしれないなあ。 このスレの扱う時代から800年ほど前の遺構だが、7世紀に大したモンだな。
大宰府守るため?7世紀の土塁発見 長さ500m 福岡
http://news.livedoor.com/article/detail/12343773/
>大宰府を守る防塁とみられ、丘陵上での土塁の確認は初めて。市教委は「大宰府都城の外郭線」とみており、
>未確認の広大な防衛ラインが敷かれていた可能性が出てきた。
> 現場は政治の中枢だった大宰府政庁跡(太宰府市)から南東に約7キロの前畑遺跡。土塁は土を盛って壁の
>ようにめぐらせた防御施設で、市教委によると高さ約1・5メートル、下部の幅は約13・5メートル、2段構造で
>東側が急斜面になっている。標高49〜61メートルの尾根をほぼ南北方向に約500メートル(残存部分
>390メートル)にわたって走る。周辺は宅地開発され、どこまで続くかは不明。土を何層もつき固める版築工法で
>造られていた。 7世紀あたりってえと、白村江で下手打って大陸から叩き出される前後の本土防衛遺構か。
ダンケルク前後の英国が、RAF(レーダーサイト網含む)に費やしたのと同等以上の比率で国力を費やしたんだろうねえ。 叩きだされた後の防衛線だよ。唐・新羅の整備された軍にまともに勝てなかったんで
あわてて律令制取り入れて統治機構再編していた時代 ww2時代のドイツ軍の10.5cmleFH18を使うシリア反政府軍の動画をみたことはあるがまさか19世紀以前の青銅砲まで使っているとは・・・
爆発しない鉄球弾だからこそ建物にとっては脅威なのかもしれないが・・・w 動画:ナポレオンの雄姿を本格再現、チェコで歴史イベント
ttp://www.afpbb.com/articles/-/3110122 グスタフ・アドルフはマスケット銃兵の三列射撃を始めたとされていますが、三列射撃はどういう局面で使われるものなのでしょうか?
六列横隊を三列ずつ射撃させるのは射撃間隔が開きすぎるように思えますし、一列ずつの斉射と使い分けていたのでしょうか? >グスタフ・アドルフはマスケット銃兵の三列射撃を始めたとされています
誰が言ってるの?初耳 >>234
wikipediaのPike and shot(英語記事)と田村尚也『用兵思想史入門』
この時代は全く門外漢なので、グスタフが始めたかどうかの真偽も含めてお聞きしたいです。 グスタフ・アドルフの軍制改革で小銃の軽量化できたから
3列ずつ交互の一斉射撃が可能になったって本に書いてあるし
グスタフ・アドルフが始めたのは正しいと思う
神聖ローマ帝国軍はテルシオだったんだし射撃速度は問題無かったたんじゃないかな 日本人がイメージする信長の三段撃ちみたいのじゃなくて
6列とかのカウンターマーチで敵陣に近づいていってある程度近づくと
3列に展開し直して3列同時に一斉射撃するんでしょ。 この時代、部隊規模の隊形変換は戦闘中にやらない
正面16列、縦深6列の横隊で槍隊の両翼に配置してた
射撃戦は1列目膝撃ち2,3列目立射で行ってる
同時じゃなくて交互の一斉射撃 もともと考案されてたものをマウリッツが取りまとめて
グスタフ・アドルフが大規模戦で初めて使ってメジャーになって
ナポレオンも使ってた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています