近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代8©2ch.net
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軍事板の近世総合スレです。
概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。
国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで、東洋・西洋・日本国内を問わず、
陸戦、海戦、戦術、組織・動員編成、補給・兵站、諜報、外交、経済、
築城・縄張・要塞・土木技術、火薬、火砲製造技術・船舶・食料・農業や人口など、
軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。
中世以前の話題については、古代・中世総合スレへ。
1850年以降の話題は19世紀後半軍事考察スレへ。
このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
900踏んだ人は1000までに次スレを立てて、次スレへ誘導すること。
関連スレなどは>>2以降参照
前スレ
近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代7
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1388893375/
参考資料:軍事年表(軍事百科事典より)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm http://daimyoshibo.la.coocan.jp/mil/polish_hussars.html
騎馬兵に弓を放たれたら恐らく通常は低速で前進する220mでも
100m10秒の速度以上等でスウェーデン騎兵は
突入して来る可能性も有るだろうし
弓は近接迄2射程度しか出来ない可能性も有るだろうが
日本の場合は500mで馬に矢を放つ可能性も有るのかだが
弓を持つ騎馬武者はパルティアンショットをしつつ
側面に回り込み
馬足軽もパルティアンショットは出来ないだろうが此れの援護で
側面から静止射撃出来る可能性も有るのかだが
(馬足軽の恐らく小型の馬でさえスウェーデン騎兵の110−120cmの馬と
同程度以上のサイズだろうし
関東の馬足軽なら馬術も有り
装甲の有るスウェーデン騎兵ならそう簡単には追い付かれるのかだが) スウェーデン軍の分厚い胸甲前面は
1人張りの弓では貫通出来ないだろうが
馬を倒して動きを止めた後
後方から矢を放てば薄い胸甲背面は
http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/part1/archives/243
上の様に近距離では深く貫通する可能性も有るのかだが
>>408
>ただ届いただけで良ければ、900mまで届いた例があるそうだ。
>1kmなんて、偶然でも届きさえしないだろうね。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~karate/html/sub_html.htm/study-busido/rekishi-4.htm
>関東の武者の弓は三人張り・五人張り(注一)、矢の長さは十四束・十五束(注二)です。矢継ぎ早に射出す一矢で、二,三人射落し、鎧の二,三領を射通します。
大名は部下五百騎以下の者はおらず、その中にこうした強弓の者二,三十人はおりまする。無下の荒れ郷一所の主人でも弓の上手の二,三人はもっておりましょう。
馬と申せば牧場から選び取り、飼い慣らしたる逸物(いちもつ)を一人に五匹、十匹は引かせております。
坂東武者は昔は強弓を使用したと言うが
戦国期の関東の弓を持つ騎馬武者も同様に
強弓を使用していた可能性は有るだろうが
1km先の馬を撃つのかだろうし
スウェーデン騎兵の胸甲前面も近距離でさえ貫通するのかだが
1km先の砲兵に射撃したら
砲撃を幾らか遅らせる程度は出来るのかだが
雑兵物語でも1km先への射撃は無謀と見ている様な記述も有るが
此れは足軽での話だろうか
逆に180cm等と言う至近距離で
敵の口等に弓を放った記述も雑兵物語に有るし
近接戦でこうした事は多用されていたのかだが
果たして何処迄の戦力に成るのかだが >>408
>ただ届いただけで良ければ、900mまで届いた例があるそうだ。
此れは恐らく張力90kgも無い様な弓だろうが
五人張りの150kg等の弓がそれなりの数有るなら
1km先等から放たれた軽い矢でさえ装甲の無いスウェーデン砲兵の
砲撃を遅らせる程度は出来る可能性も有るのかだが
戦国期でも強弓を使う者の記述はそれなりに有るが
https://poyomaru.com/note/creative/creative-material1915/
>大高坂長門守が大高坂城より小高坂城内へ遠矢を射た際、小高坂の武士が食事をしていた飯椀に射当たった。
との記述が『土佐物語』に記述されており、両城の間は約1,100メートルあったといわれている。
が、『土佐物語』は軍記物の読み物であるため誇張されている可能性が非常に高く、
事実かは不明だがこうした例も有るが
>武田光和(戦国時代、まとめ5に記載、「10人引きの鉄弓」というおバカ武器の使い手w陰徳太平記には、
「武田光和は千鈞(約227s)の弩(ゆみ)をも易々と放つ大力量なれば、普通の人六〜七人しても張り難き大弓に、大矢取って番い、
能く引いて兵(ひゃう)と放ちたりければ〜」とある
戦国時代では記述に残るのはこの辺りが最強の弓かも知れぬが
実在性はどうなのかだが
戦国期では3人張辺りが上限の可能性も有るのかだが
>栗田重友(室町時代(1400年代真ん中ぐらい、戦国前)まとめ17におまけで記載、細川方についた石見国人、
大庭蔵人兼親の配下の強弓使いの猛将。角木に弦を番えたような巨弓を使い大太刀なみのデカさの矢を放つバケモノw
尋常の四五人張を二〜三張も合わせた、角木に弦をかけたのかとも疑う程の大弓とあるので、4〜5人張り×2〜3重=8人張〜15人張の単純計算でここにw)
戦国時代で無ければこうした例も有るが
張力は450kg等の可能性も有るが果たして事実なのかだが 近世の機動砲兵って槍兵より前に出ることもあるような仕事だし、弓矢程度の妨害じゃ目に見える遅延の期待は見込めんだろうな
日本軍の弓組が全員那須与一ばりの名手なら達成できるかもしれんが
グスタフの時代にはまだ大砲の跳弾射撃が発案されてないからもっと近づけるんじゃね?
弓で超長距離飛ばせる奴集めてもスウェーデン銃兵の数には到底及ばないし、損害減らしたい気持ちもわかるが https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/69/Battle_of_Breitenfeld_-_Opening_moves%2C_17_September_1631.png
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f0/Battle_of_Breitenfeld_-_Annihilation%2C_17_September_1631.png
ブライテンフェルトではスウェーデン軍の砲兵は移動はしているが
機動性はどうなのかだが
リュッツェンでは双方の砲兵は歩兵の前に配置され
これを奪う為に歩兵が前進した様に見えるが
砲撃開始直後に歩兵は突撃を開始していたのかだが
そうで無ければ砲撃中に弓騎兵や弓歩兵を前進させて
砲兵を可成り射撃出来る可能性も有るのかだが
>・吉田重綱(戦国時代、まとめ19に記載 吉田重政さんの孫。お話上4.7qという超絶な遠矢を射ているw少なくとも五人張は行っているだろうとの予想でこの位置w)
5人張りでは遠射用の矢でさえ4.7kmは飛ばせるのかだが >>396
突撃の最中、後列が前列の騎馬の間に入り隊列の密度を上げるのは面白いね
末裔?であるランシェ(軽槍騎兵)も突撃中の隊形変更を行っていましたよ
ナポレオン戦争中のヴィスワ兵団やワルシャワ大公国のランシェの例ですが
(フランス軍の戦列ランシェのポーランド人連隊も)
各中隊の兵士はランス装備のランシェ、ランスの代わりにムスクトン(騎兵銃)装備のカラビニエの2兵種に別けられていました
カラビニエが前列、ランシェが後列の2列横隊で突撃を開始
ムスクトンの射程内に入るとカラビニエは斉射を行う
斉射の完了したカラビニエをランシェが追い抜く
カラビニエはサーベルを抜刀
前列と後列が入れ替わった隊形で突撃を続行し白兵戦へ
(全員がランスを装備していた親衛隊ポーランド人ランシェ連隊は、この戦術は採用していなかったと思われます)
他には騎兵による移動方陣とか、変わった隊形を採用していました フサリアならスウェーデン軍砲兵はどうするのかだが
重騎兵コムラーデが砲兵を迂回して
いきなりパイク兵に突撃するのかだが
軽騎兵パンセルニの弓で銃兵は幾らか混乱させ
砲兵も砲撃を受ける危険が有るなら同様に
弓で混乱させる可能性も有るのかだが
砲兵が居るなら砲撃も行うと言う事だろうか 分かってる限り、最も強い弓は張力が約50kgだそうだよ。 >>411
時代は後になるけれど、南北戦争では砲兵の中でもスムースボア式火砲(ナポレオン砲とか主にブロンズ製の物)を装備していた砲兵は、ライフル装備の歩兵の火線にさらされる事に
しかし、平均的に士気の高かった砲兵達はライフルの火線下でも砲側を離れず任務を続けたと
ゲティスバーグ会戦、ピケットチャージの最中の出来事
前進してくる南軍歩兵の射撃と南軍砲兵の支援射撃により、6門(3インチ・ライフル砲)からなるカッシング中尉のAバッテリーでは次々と砲兵達が倒れて行き、終には2門の運用がやっとに
そして、数ヤード前方に迫った歩兵に最後のキャニスターを放った時には1門が可動しているのみでした
そしてカッシング中尉も最後のキャニスター射撃と同時に砲側に倒れ・・・
射程の長いライフル砲ですら、こんな戦いをする事さえ
ましてやスムースボア式の砲兵達は・・・
後日談
腹から腸が飛び出ようとする重傷を負いながら指揮を続けたカッシング中尉には、150年後に名誉勲章が贈られました >>413
ティリーの砲は最初の位置から動く事が出来ず、グスタフ軍に鹵獲されています
てか、即座にティリー軍に向けて砲撃を >イギリスのイチイで作ったロングボウの最大の張力は175ポンド(80kg)あったようです
中世の平均的なロングボウの張力は36kgだったようです。
>ある資料だとモンゴル兵の弓は張力約166ポンド・約75kgだそうで、
イングランドの平均的なロングボウ(推定張力68〜72.5kg)とほぼ同等かやや強いくらい。
ただしモンゴル兵は短・長2種類の弓を所持していたとの記述もあって、
そのどっちの張力のことかは分からないけど。
和弓もだいたい張力40〜70kgが多く、馬上弓はほとんどが張力40〜50kgだそうだ。
ポーランドのパンセルニの弓もモンゴル同様に
張力75kgの物が多いのかだが http://www.syaho.com/sb.cgi?eid=247
>稽古後は竹林院の長老である院主に寺の由来(下記竹林院群芳園縁起抄参照)を伺いました。長老のご厚意で、院に所蔵されている古い弓書や弓なども手にとって拝見することができました。
特に弓は分(厚み)が1寸を軽く超え、手幅もやはり1寸以上ある強弓で、実に圧巻でした。
こんな物も現存しているが何時の物なのかだが
7人張り等は有るのかどうかだが
http://ecoecoman.com/kyudo/bbs200906tec/2007061120045979/prev-6.html
>強弓・・・例えば徳川美術館所蔵の浅岡兵部衛(だったかな)弓は角材に見えます。使用年は1600年です。
戦国期のこれは厚みは1寸以上等は有るのかだが
>鎮西八郎為朝が引いた弓は6人張り、と言われており、あてになりませんが一般に言われる、6分を1人張りとした場合、1寸2分になります。
為朝の弓は5人張りと言う意見も多いが
果たしてどうなのかだが
武田光和の弓の様な10人張り等と成ると木では太く成り過ぎるから
鉄製に成るのかどうかだが
>為朝の弓は鋼が仕込んであったとか、6人張り、否10人張り、シャベルサイズの鏃を付けた矢を離れ小島に打ち込んだ、等々伝説に事欠きませんね。
此れは果たしてどうなのかだが http://ecoecoman.com/kyudo/bbs200906tec/2007061120045979/prev-6.html
>明治の関取 逆鉾与次郎 は寸弓を好んで使い、奉納射会で1寸2分の弓を引いたとか。
>一寸二分。強弓によく出てきますね、この数字。
この弓は六人張りなのかだが
こうした物は何処迄現存しているのかだが
>かの有名な関口先生はあの小柄な体系で1寸もの弓を引いたそうですが、おそらく体重<弓力だったでしょう。
>余談ですが、数年前に友人の結婚式でO氏が射手、私介添えで四方払いをおこなったのですが、O氏は50キロそこそこの体重で、40キロ程度の弓を人前で見事に引ききりました。
>これはすごい!と弓引きを見て思ったうちのひとつです。
体重200kgの力士隊の者等なら
張力150−200kg程度の弓は引けたのかだが
通常の馬で高速移動出来る体では無いと言う事なのかだが
装甲を軽くして低速移動程度なら出来るのかだが >>421
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%86%E9%89%BE%E4%B8%8E%E6%B2%BB%E9%83%8E
>逆鉾与治郎
>現役時代の体格は168cm、82kg
体重82kgで6人張り(張力120−180kg)等の弓が
果たして引き切れるのかと言う事は有るだろうか 近世の戦争を個人の武勇とか一部特殊兵士で見てもどうしようもない
全兵士の水準がどの程度か、人数が揃えられるか、指揮統制は徹底してるか
武装集団の集まりがぶつかるだけの中世基準で考えても正しい考察はできない
普通の足軽が飛ばせるのは精々400m程度だろうから、それぐらいで考えるべきじゃね 100門も無い様な砲の砲手等が何処迄人数が居るか考えれば
彼等だけを狙撃するなら強弓を使う者も
果たして人数が必要なのかだが
戦国期の日本中から3人張り以上の強弓を使う者を全部集めたら
500人以上等は居るのかだが 強弓装備の騎馬武者が先ず弓を遠距離からスウェーデン砲兵に放ち
幾らか射撃が阻害されている間に
通常の弓を持つ騎馬武者・弓を持つ馬足軽が高速で前進し
大量の射撃を浴びせて砲兵をほぼ無力化と言う事は出来る可能性も有るのかだが
此れを迎撃するスウェーデン歩兵の前進はリュッツェンの様に砲撃及び
銃を持つ馬足軽等でアウトレンジし阻止
スウェーデン騎兵の迎撃は
一部に銃を持たせた打物を持つ騎馬武者で排除と言う方向も有るのかだが スウェーデン騎兵もキルホルムでフサリアにやられた記憶が有るなら
日本側の槍騎兵を見て騎馬武者への突撃は避けるかも知れぬが
歩兵への突撃も何処迄やるのかだが
行ったとしても日本の騎兵に迎撃される可能性は有るだろうが
先に砲兵が弓で壊滅し歩兵の前進も銃砲撃で阻止されれば
この時点で撤退する可能性は有るのかだが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%8E%9F%E5%BE%81%E4%BC%90
小田原征伐時の北条軍の兵は8万説も有るが
馬足軽を含めた騎兵は1万は居るのかだが
リュッツェンのスウェーデン軍の騎兵は6000程度だろうが
単独でも此れに十分対抗出来る戦力は有ると言う事なのかだが
キルホルムのスウェーデン騎兵は2500であり
2600のフサリアとほぼ同数だが
フサリアは200名しかやられていない訳だろうか
北条軍8万と2万程度のスウェーデン軍が戦えば
砲兵無しでも前者が勝利する可能性は有るのかだが
ブライテンフェルトの様にザクセン軍17000が加わればどうなのかだが
ザクセン軍の騎兵は余り役には立たない可能性も有る訳だろうか 北条軍の騎兵比率は20%と言うから
8万の兵なら馬足軽を含めた騎兵は16000居ると言う事なのかだが
8万の内武家奉公人が半分なら8000程度かも知れぬし
騎馬武者は此れより少ないなら
槍を持ってもスウェーデン騎兵には何処迄対抗出来るのかだが
弓や銃を持つ馬足軽が側面から射撃牽制しつつ
槍を持つ騎馬武者が突入したとしてもどうなのかだが この時代の武器は最大射程と有効射程の幅が大きいのが多いんだよ 和弓然りマスケット然り
だから安定して長距離から火力支援できる野戦砲兵が重宝された 通常の砲弾なら有効射程1〜2kmはあるから、最低でもその4分の3は近づかにゃ打撃にはならん
大名連合の日本軍がそこまで統制の取れた機動ができるかってのが問題なわけだけど、想定と構成が近いであろう関ヶ原で見ても大半は戦闘に参加してない。大勢が決してからそれに乗じて突っ込んだだけ。
殆どの藩は集団運動の訓練もしてないから全軍一致の協調は見込めない。野戦砲が無い日本側が射撃戦を制するのは恐らく不可能。
射撃戦が主役の時代に移行する過渡期だから、全くの負け戦ってことは無いだろうけどね。 重装騎兵が協力できればなんとかなる差だろうし 白兵戦に重きを置くなら士気の問題もあるよな
"一番予想できない要素"とは言われるけど、個々の戦闘における武士の士気は総じて高い傾向にあるから、スウェーデン軍よりかなり勝ってる要素になると。
どういう理由で戦うかにもよるだろうけどね。帰属意識低いし 北条軍8万の内銃・弓の比率は20%であり
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Breitenfeld_(1631)#Tactical_overview
ブライテンフェルトのスウェーデン・ザクセン軍の銃兵
11000よりは多い16000は居ると言う事なのかだが
8万の内武家奉公人が半分なら8000だろうが
8%の弓の発射速度は考慮する必要は有る訳だろうか
北条軍の基本戦術としては
弓を持つ騎馬武者・弓を持つ馬足軽で砲兵を早期に排除
スウェーデン軍歩兵は歩兵や銃を持つ馬足軽のアウトレンジ射撃で足止め
砲兵壊滅後スウェーデン騎兵を騎馬武者が排除し
スウェーデン歩兵をアウトレンジ射撃で混乱させた後
騎兵・歩兵が突撃すると言う
方向なのかだが 大名同士の連携を考えるのか、もしくは最高指揮官一人に全軍を統括指揮させるのかで考察の内容自体も変わる
関ヶ原式の諸侯連合なのか、徳川家単体なのか >>431
日本側は、投射部隊が槍兵の補助に回るって構成である以上、銃兵主体の作戦が採られることはたぶん無い
スウェーデン軍の基本方針は戦闘レベルでの三兵連携。砲兵を散開弓兵が狙えば騎兵を出してくるし、騎馬武者に散兵を直衛させれば砲兵の火力支援下で歩兵が前進する。各兵科が協調して運動する訳だから全体を捉えないといけない
それに、ターン性のRPGじゃないんだからそんな緻密に立てた作戦はまず実行できないよ。スウェーデン軍はグスタフ・アドルフの指揮下で流動的に機動する傾向にあるから、そもそもの作戦が予想できないんだけども
ただ、大名連合で戦場の変化に対応できるか、っていうと厳しいと思う。 >>429
>関ヶ原で見ても大半は戦闘に参加してない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E5.B8.83.E9.99.A3
>西軍は総兵力のうち、戦闘を行っているのは3万3,000ほどながら、地形的に有利なため戦局をやや優位に運んでいた。
しかし、西軍は宇喜多、石田、小西、大谷とその傘下の部隊がそれぞれの持ち場を守って各個に戦っているだけで部隊間の連携が取れているとは言えなかった。
それに対し、部隊数、実際兵力数で上回る東軍は西軍一部隊に対し、複数の軍勢が連携して、同時多方面から包囲攻撃を仕掛け、または入れ替わり立ち代り波状攻撃を仕掛けるなどして間断無く攻め立てた。
さらに遊撃部隊として最前線後方に控えていた寺沢勢、金森勢が増援として加わったため、時間が経つにつれて次第に戦局は東軍優位に傾き始め、特に石田隊は攻撃を受けて柵の中に退却していた。
東軍の正面は戦闘参加していた部隊は割に多いと言う事では無いのかだが
西軍も毛利軍や長宗我部軍は徳川と内通していた味方に妨害されて動けなかっただけだろうし
脇坂勢は側面の小早川勢を牽制する為に配置されていた訳だろうか >大名同士の連携を考えるのか、もしくは最高指揮官一人に全軍を統括指揮させるのかで考察の内容自体も変わる
>関ヶ原式の諸侯連合なのか、徳川家単体なのか
単純化の為に騎兵比率の多い8万の北条軍単体か
或いは此れに大阪城攻めで使われた様な300門の大砲を
加えると言う事でも良いだろうか
>日本側は、投射部隊が槍兵の補助に回るって構成である以上、銃兵主体の作戦が採られることはたぶん無い
220m以遠で銃を大量に放ち
500−400mで矢を打ち尽くす程に弓を射撃している様な軍が
槍兵の突撃前に射撃武器の集中を考慮しないのかと言う事は有るだろうが
長篠ではほぼ全部隊の銃兵が前部に集められ
弓兵も同時に集められていた可能性は高いのでは無いのかだが
とは言え北条軍でこうした事は何処迄したのかだろうし
馬足軽を含めた騎兵集団でこの様な事は有るのかだが
騎兵主体の様な軍勢が一番先に射撃を開始したスウェーデン軍砲兵を
騎兵で叩こうと考えるのは自然かも知れぬが
射撃武器での攻撃に拘るかどうかと言う事は有るだろうか >スウェーデン軍の基本方針は戦闘レベルでの三兵連携。
>砲兵を散開弓兵が狙えば騎兵を出してくるし、
此れは護衛の槍騎兵も居ればどうなのかだが
槍を持つ騎馬武者の側面前部或いは前方に弓を持つ騎馬武者
側面に飛び道具を持つ馬足軽と言う様な編成には成るのかどうかだが
>騎馬武者に散兵を直衛させれば砲兵の火力支援下で歩兵が前進する。
日本軍の騎兵もそう密集していない可能性も有るから
短時間では砲兵で無力化出来ない可能性も有るのかだが >スウェーデン軍の基本方針は戦闘レベルでの三兵連携。
>砲兵を散開弓兵が狙えば騎兵を出してくるし、
槍足軽を弓や銃を持つ馬足軽の付近に置き
槍足軽は(出来れば馬上筒も持たせ)スウェーデン軍騎兵を迎撃
弓を持つ馬足軽は砲兵を継続して攻撃沈黙させた後は
スウェーデン騎兵を攻撃
スウェーデン歩兵が突撃したら銃を持つ馬足軽及び砲兵で足止めしつつ
必要なら歩兵も前進しアウトレンジ射撃で足止め
スウェーデン砲兵・騎兵が壊滅したら歩兵に射撃を集中後
騎馬武者・歩兵が突撃と言う様な事は何処迄出来るのかだが >>437
>槍足軽を弓や銃を持つ馬足軽の付近に置き
>槍足軽は(出来れば馬上筒も持たせ)スウェーデン軍騎兵を迎撃
上の槍足軽は騎馬武者の間違いだが
馬足軽と騎馬武者は混ざって行動しているのかだが
馬足軽は東国の騎馬武者と異なり下馬戦闘主体だから
東国では備を西国より利用している事も有り
分けられている可能性も高いのかだが 日本で完全乗馬の騎馬武者が独立運用されたのなんて源平合戦ぐらいじゃん
もし従者も槍持ちも捨てて編成したとして、個人の手柄を目的とする武士が厳格な指揮に応じるかどうか
砲兵を超長距離から排除or妨害できるような剛腕射手隊もいないし、独立弓騎兵隊も存在しない。馬上筒も短筒も装備してるのは一部兵士だけ
1630年時点の日本軍に30年戦争の火力戦争ができるか、ってことだよ 単純に"こういう強い兵士がいたんだからこいつらだけで編成した部隊作ればいい"というのは歴史考察ではなく仮想戦記
純粋な要素を比較して初めて考察になる
重砲兵は確実に兵を削るし、数時間のうちに弓矢で成果を挙げれる距離に近づけば圧倒的数の銃兵に押し負ける
「こちらは損害受けずに相手だけこちらの狙撃で死んでいく」という戦争は不可能だし、日本の弓兵火縄銃兵の割合はそんなことができるほど高くない
小部隊の独立運用が成果を上げるのは火力が確保できるようになった19世紀から。もしくは火力戦以前の中世の戦争。近世には時代遅れ >日本で完全乗馬の騎馬武者が独立運用されたのなんて源平合戦ぐらいじゃん
単純にスウェーデン砲兵に日本の部隊がアウトレンジされている状況なら
此れを出来るだけ早期に叩く為に
北条軍の場合は
各部隊の騎馬武者・馬足軽が個別にでは有るが一斉に砲兵に向かう可能性は有るだろうし
砲兵に向かう途中で恐らく一部の弓を持つ騎馬武者と
馬足軽部隊は射撃もするだろうが
弓を持つ騎馬武者は長時間の射撃はするのかだが
此れをスウェーデン騎兵が迎撃したら
恐らく下馬して射撃している馬足軽より先に
槍を持つ騎馬武者が迎撃するかも知れぬし
彼等が乱戦に成った後は全ての馬足軽は騎馬武者を支援せず
スウェーデン砲兵や馬足軽に向かう歩兵に射撃を加える可能性も有るだろうし
日本軍の歩兵もスウェーデン砲兵を叩く為に最初から前進しているなら
前進して来るスウェーデン歩兵に可成り接近している可能性も有るなら
此処で先に射撃を加えられる可能性も有るだろうし
この時点ではスウェーデン砲兵も可成り沈黙し日本軍歩兵の前進を
阻止出来ない可能性も高いのかだが
砲兵沈黙後は馬足軽部隊は歩兵或いは騎兵に射撃を集中し
スウェーデン騎兵壊滅後は
歩兵に射撃を集中後
騎馬武者や歩兵が突撃と言う事に成るのかだが >>441
「かもしれない」「可能性」は断定を避けるために言ってるんだろうけど、それでいう最善の行動が毎回採られるとは考えられん
医薬分業してる砲兵を備える歩兵陣に一斉突撃してもティリーの二の舞。
「先に撃てる」「迎撃が間に合う」というのは近代戦の考え。先にも書いたけど、近世は有効射程が極めて短いからその射程外での射撃戦が長く継続される傾向がある。
その距離を詰めて打撃を与えるには日本の軍は力不足。というか火力不足。 >重砲兵は確実に兵を削るし、数時間のうちに弓矢で成果を挙げれる距離に近づけば圧倒的数の銃兵に押し負ける
密集したテルシオでさえ砲撃でそう短時間では壊滅していないし
クレシーではロングボウ兵に盾を持たぬクロスボウ兵が割に短時間で
混乱し無力化されていた様にも見えるし
100門も無い様な砲を操作する人員を
砲撃をほぼ不能とするのにそう時間は掛かるのかだが
日本軍の8000−16000の騎兵の内弓を持つ馬足軽は
どの程度の数なのかだが
鉄砲を持つ馬足軽も下馬して上手い者に銃を渡せば
300m程度の精度の高い射撃は出来ないのかだが
日本軍の歩兵が騎兵と同時に砲兵を叩く為に前進していたなら
馬足軽を迎撃して来るスウェーデン歩兵を射程に捉える距離には
射程差も有り早期に来ると言う事では無いのかだが
此れを沈黙しつつ有るスウェーデン軍砲兵が
日本軍が割に散開している事も有り
少なく共大半を足止め出来る共思えぬ訳だろうか
>「こちらは損害受けずに相手だけこちらの狙撃で死んでいく」という戦争は不可能だし、
>日本の弓兵火縄銃兵の割合はそんなことができるほど高くない
クレシーやアジャンンクールでは英軍の死者は150名以内と言う説も有るし
キルホルムでもフサリアは100名しか死んでいないから
一方的な戦争が不能と言う訳でも無いだろうか
8万の北条軍なら
歩兵の飛び道具の数は
ブライテンフェルトのスウェーデン・ザクセン軍よりやや少ないか
多いと言う事だろうか 単純に考えて、重砲陣地からの支援射撃と連隊砲兵による適切な火力支援を受けられる銃兵主体の横隊梯団に日本の鈍重な大筒と分散運用の弓、小銃で射撃戦やっても勝敗は明白。
だから対策に超長距離射撃の弓兵とか騎馬弓足軽とか考えるんだろうけど、現実に編成できてない以上無茶でしかない。弓足軽にはそんな大役担えん
歩兵による白兵戦を想定する軍隊が射撃戦や騎兵戦に持ち込もうとするのは論外
縦深をとって陣地戦やるのが戦国後期の主流だったんだからこちらで考察すべきじゃない? >だから対策に超長距離射撃の弓兵とか騎馬弓足軽とか考えるんだろうけど、現実に編成できてない以上無茶でしかない。
弓足軽にはそんな大役担えん
弓や銃を持つ馬足軽は現実に関東に相当数居ただろうし
馬術の上手い関東の馬足軽なら只馬で移動する歩兵と言うだけでも無いと言う事かも知れぬが
>歩兵による白兵戦を想定する軍隊が射撃戦や騎兵戦に持ち込もうとするのは論外
長篠では銃兵を選抜しての射撃戦を行っているし
加藤清正の部隊等は槍足軽は居らず
島津軍等は銃は全員装備な訳だろうか
立花宗茂も移動しての銃撃戦を主体としていた様に見えるが
果たしてどうなのかだが
騎兵は基本的に馬足軽での射撃戦を想定していると言う事だが
此れと同時に移動した槍を持つ騎馬武者が
馬足軽の様に下馬戦闘していないなら先にスウェーデン騎兵を迎撃すると言う事だが
>縦深をとって陣地戦やるのが戦国後期の主流だったんだからこちらで考察すべきじゃない?
ポーランド軍相手に陣地に篭もるだけでは
長時間の砲撃で銃をアウトレンジされ続け
壊滅すると言う様な意見も前に有ったが
スウェーデン軍に対し長篠の様な陣地に砲兵の弾が尽きる迄篭っても
多少散開してさえ同様の事に成る可能性が高いのかだが
ラヴェンナの戦い等では陣地に篭もる兵が
密集度合いは違うだろうか砲で可成りやられていただろうか それら全てが1630年の日本の軍隊としては例外的なんだよ
独立弓騎兵、馬上筒装備の騎兵隊はこの時代としては全くの異例 しかも数十人規模の特殊兵科扱い
それにほとんどの大名は銃兵を補助的兵科としてしか編成してない。軍事的先進藩は徳川政権で揃って衰退した。
まだ火砲導入に意欲的だった徳川家もオランダのお下がりを廻してもらっただけ。挙句幕末まで蔵に押し込めて全く研究もしてない
「1630年のスウェーデン軍と日本の武士軍が戦うとどうなるか」という題で考察する以上、特例をかき集めた編成を基準に考えるのはズレた話
平和な時代が無くて軍事的に進化した世界として考えてもそういった異色の部隊が出現するとは考えにくい
日本とスウェーデン、標準的な編成同士での考察がしたいのに 関東や東国の騎馬武者なら
集団で乗馬した騎馬武者相手の乗馬戦闘は
割合行って居るかも知れぬが
6000+2000等の騎兵の大集団相手の乗馬戦闘は
槍を持ち頭数は揃っていても
何処迄出来るのかと言う事は有るだろうか >>445
陣地戦ってのは有利な土地を奪い合う戦争って意味ね 分かり辛くてごめん
日本の戦国時代はヨーロッパと同じように歩兵の密集陣が主流になった訳だけど、向こうと違って開けた土地が殆どない、条件の尖った野戦と攻城戦を主とする時代だった訳じゃない
そこからくる軍事的な違いがどうなるか、って考察の方が有意義じゃない?って事が言いたかった https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99
通常の備は最大で800名
本陣備の場合は1500名と有るから
800名の備の騎馬武者は恐らく80人程度であるなら
関東・東国の騎馬武者なら
こうした単位での乗馬した集団戦は出来たのかだが
雑兵物語では関東の30名の騎馬武者集団が
乗馬して突撃して来たと有るが
此れは300名程度の備の騎馬武者の集団と言う事なのかだが
6000のスウェーデン騎兵は小単位では動いている様に見えないが
日本側の騎馬武者の小単位が大量に突入し包囲殲滅と言う様な事は
果たして出来るのかだが
タンネンベルクではポーランド騎兵の側面攻撃で
ドイツ騎士がやられているが
其の様な攻撃は有り得るのかどうかだが アウトレンジ、アウトレンジ・・・
何故そこまで拘るの?
一寸、理解出来ないのですが・・・
スウェーデン軍は既にキャニスター弾を採用していましたよ
17世紀に広まった弾種と戦術なので、当時の日本には未紹介だと思います
350ヤードから重キャニスター弾
250ヤードから軽キャニスター弾
(何れも操典上の数字なので、実際はもう少し遠距離から使用)
ナポレオン戦争でのイギリス軍6ポンドカノン1門によるキャニスター戦術?の戦果ですが
対騎兵
400ヤードから開始して2回射撃
死亡9騎、負傷23騎
対歩兵
400ヤードから開始して10回射撃
死亡30名、負傷90名
巨大散弾銃と化した野砲は兵士にとっては悪夢
まぁ、だからこそ「アウトレンジする」と言いそうですが、その火縄銃や和弓の散兵線も有効射程内に捉えています
因みにキャニスターはラウンドショットに比べて、散兵に対し、物理・精神両面での効果が高いと >>450
散弾もそうした威力を短時間で連続出来るなら
テルシオ等短時間で壊滅しそうな物だが
現実には相当の時間が掛かっている様に見えるが
リュッツエンの風車の丘からの砲撃もスウェーデン軍を壊滅迄させはしていないだろうが
400ヤード(365.76m)なら
雑兵物語を見る限り
足軽でさえ和弓を400−500mで射撃を開始していると言うなら
アウトレンジ出来無くも無い距離かも知れぬし
砲兵に射撃を集中すればだろうが
スウェーデン軍でさえ砲は100門は無いが
8万の北条軍の弓足軽は3500−7000人は居ると言う事だろうが
弓を持つ馬足軽・騎馬武者の総数はどうなのかだが
400mを射撃出来る上手い銃兵に銃を大量に渡しても
何処迄の射撃が出来るのかだが フサリアの弓を持つ軽騎兵パンセルニなら
350m等から散弾を放つ砲兵も
弓で短時間で壊滅させられる可能性も有るのかだが
フサリアの重騎兵コムラーデも
散弾を放つ砲兵にいきなり突入した例は
有るのかどうかだが 騎馬武者集団もそうした散弾を放つスウェーデンの砲に突撃し
幾らかやられた後
接近するのを躊躇し
結果弓を持つ馬足軽等がアウトレンジ射撃する事に切り替えて
結果砲兵が短時間でやられると言う可能性も有るのかだが ブライテンフェルトでは3ポンド砲の散弾の斉射でテルシオが壊滅してる。100m以内の至近距離だけど。
逆に離れすぎると24ポンド砲の砲撃に晒されることになるから、スウェーデン軍の砲撃相手に射撃戦展開できる距離はだいたい300m〜500mぐらいかな
流石に馬上からこの距離で有効射見込むのは無理だからもう少し接近しての射撃になるね
弓で大砲にアウトレンジするのは不可能だし、連隊砲がキャニスターの再装填にかかる時間は6段の銃兵が補うから弓騎兵では勝負にならない
スウェーデン銃兵の発砲間隔は平均1分3発。それが6段だから約3秒に1斉射来る。横隊1列は16人。それに軽砲のキャニスターも一個連隊に2門ずつ加わる。
小銃の有効射程100mというのは相手に有効な損害を与えることができる距離ってことだから、制圧射撃するのならもっと遠くからでも出来る。400m先でもこのレートで弾バラまかれたらキツイんじゃないかな
いけるとしたらネルトリンゲン時みたいにスウェーデン軍を知り尽くした人物が総大将に就いてる場合か >流石に馬上からこの距離で有効射見込むのは無理だからもう少し接近しての射撃になるね
馬足軽なら乗馬しての射撃は基本的に
無いと言う事では無いのかだが
時間が経過すれば後方の3500−7000の弓足軽及び
高精度の射撃が出来る一部の鉄砲足軽も
幾らかは前進して砲兵を射程に捉えると言う事だろうか
>スウェーデン銃兵の発砲間隔は平均1分3発。それが6段だから約3秒に1斉射来る。
>横隊1列は16人。それに軽砲のキャニスターも一個連隊に2門ずつ加わる。
>小銃の有効射程100mというのは相手に有効な損害を与えることができる距離ってことだから、制圧射撃するのならもっと遠くからでも出来る。400m先でもこのレートで弾バラまかれたらキツイんじゃないかな
スウェーデン銃兵がそれ程遠距離から
高精度な多段連続射撃が出来るなら
フサリア騎兵は散開して縦に列を深くしても
前列から連続で列を崩されてほぼ突撃出来ないと言うでは無いのかだが それに連隊砲兵はあくまで支援兵科
主力はさらに機動力のある銃兵だからその程度の距離差は数分で詰まる。
まさか後退しながら射撃戦やる訳にもいかんし、銃兵の密度が違うから火戦でもかなり不利
そもそも弓ごときで短時間に制圧するのは不可能。遠距離のあれは時間をかけ敵をて削るためのものだ。ライフルじゃない >>455
軽砲兵を有する横列銃兵に乗馬弓兵が接近してだいたい500mで下馬、そのまま射撃戦ってこと?
その距離じゃ打撃は与えられんし、その編成で火力を集中するのも困難だろ
それに射撃が上手い鉄砲足軽が各個に射撃戦やるのはこの規模でやることじゃない。もっと小規模の戦いでないと指揮に支障を来す
火縄銃でカノン砲兵の狙撃とか絶対不利のマッチング。向こうにもホイールロックの銃兵がいるし、カノン砲はもっと正確に狙ってくる。散兵線敷くと密集銃兵の火力に打ち勝てない
フサリアがスウェーデンの弾幕を突破できたのは品種改良された良質の軍馬と騎兵の大規模な独立運用(←大事)のため。野戦砲兵の火力支援もあった。
日本の軍制じゃできない、作れない。 >そもそも弓ごときで短時間に制圧するのは不可能。
>その距離じゃ打撃は与えられんし、その編成で火力を集中するのも困難だろ
スウェーデン銃兵・砲兵はクレシーのクロスボウ兵と違い
ブリガンダイン等の装甲は無いし
400ー500mでさえ弓を受ければクロスボウ兵より短時間で
射撃不能に陥る可能性は無いのかだが
クレシーのクロスボウ兵は射程の差を詰める為に
射撃の中前進出来た様な記述も見ないが
>それに射撃が上手い鉄砲足軽が各個に射撃戦やるのはこの規模でやることじゃない。
>「泗川の戦い」では、10倍の敵軍に対して百発百中の鉄砲の腕前と銃を次々取り替える事で速射する技での一斉射撃を家臣と共に披露して、
史上最大規模の釣り野伏せを成功させるのに尽力し、種子島久時は、馬や従者にもたせた鉄砲を次々と使いながら戦場で敵を屠り続けた。
泗川の戦いでは明軍は4万或いは8−20万も居ただろうが
こうした中でも種子島久時に
大量に銃を渡して高精度の射撃をしている訳だろうか
(家臣も射撃した有るから家臣にも高精度の
銃を大量に渡す射撃が出来た者が
割合数が居た可能性も有るのかだが) >野戦砲兵の火力支援もあった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Kirchholm
キルホルムではポーランドの砲は5門しか無いが
突撃は成功していると言う事だろうか
グスタフがやられた後スウェーデン軍が
圧倒的多数でも無いテルシオに破れる程弱体化したのは不可解だが
1640年台の戦争では再びテルシオに勝利はしている訳だろうか https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83
>1人の射撃手に数丁の火縄銃と数人の助手が付き、射撃手が射撃している間に助手が火縄銃の装填を行う方法があり、これにより素早い連射が可能である。
これは鉄砲傭兵集団としてその名を知られた雑賀衆、根来衆の得意とする戦術であった。石山合戦で本願寺側に付いた彼らは、織田勢を大いに苦しめた。
この射撃手・助手を分業する射撃運用法を烏渡しの法と上杉流軍学では称したと伝えられ、また後世紀州徳川家においては薬込役という、御庭番の前身である職名にその痕跡を残している。
射手に鉄砲を大量に渡す方法は割合普及していたのかだが
400m先を狙撃出来る様な上手い人間に銃を大量に渡すと言う事は
何処迄していたのかだが >>458
前時代の明軍に薩摩島津の鉄砲隊が圧勝できるのは当たり前。それを自軍と同水準の軍隊相手に同じように行けると思うのはオムダーマンで慢心した英軍と変わらん
日本側の火力不足が問題。火縄銃では密集できないし、安定して火力を供給できる野砲が無い。
刀と槍を持った10倍の相手に勝てても、銃兵の差が1,5倍あればそれだけで火力差は引っくり返る。それを補えるだけの水準を全軍が満たせるか、数を揃えられるか
それに近世の軍隊にとって1000mはすぐ詰まる。その間に砲兵を持たない投射兵で圧倒するというのは低い確率に期待を寄せ過ぎてる。スウェーデン軍を明国の中世封建軍と同質と見てるならそれは間違い
そういう不確定要素に勝ち目を見出すことは不安定過ぎる。仕方ないことだけど 騎兵・歩兵も同数ではスウェーデン軍が仮に優勢であれ
関東・東国の単独で乗馬戦闘出来る騎馬武者は
1万以上は居るだろうし
日本全国の歩兵は15万は居るだろうから
この全軍と同時に当たれば
関東・東国の騎馬武者・馬足軽集団1万以上が前進し
先に砲兵を攻撃
同時に砲兵を攻撃する為に歩兵15万も前進すれば
此れをスウェーデン軍は何処迄迎撃出来るのかだが >>460
つまり火力を集中する(兵士を集中させる)のではなく、高精度の射撃ができる射手に数名の助手つけて散兵線引かせるってことでいいのかな
全前線に展開できるのなら通常の射撃戦にはかなりの戦力になるだろうけど、そんな編成を採ってた江戸大名っていたっけ?
絵図を見る限り織田も徳川も小早川も一人一丁が標準っぽいし、密集銃兵の火力に打ち勝てるだけの密度(もしくは発射速度)が野戦で作り出せるかどうか
歴史を見る限り、スウェーデンは軽砲まで開発して最前線での火力の展開を求める軍隊だから、それに勝てるだけの銃兵運用が当時の日本に無いといけない
てか1630年時点の各大名、そこまで出来るほど銃兵偏重の軍編成じゃなかっただろ。 あくまで槍兵が歩兵の中核。 >>462
銃兵と砲兵の連携を突破して白兵戦に持ち込めれば、歩兵同士の殴り合いになるから数の多い日本軍側は勝算が高いだろう
それに到達するまでの損耗が問題だけど、側面機動を牽制しながら前面に火力を集中するグスタフの運用に、指揮の統一が未熟な日本武士連合で押し切れるか
スウェーデンの全兵力は5万強だけど1戦役だと3,4万が限界っぽいし、1630年の日本全国の武士(戦闘員)かき集めたら圧倒的な人数差になる。1630年じゃまだ官僚化もしてない。
これだけの戦力差作り上げられたら勝ちはほぼ確定かな >絵図を見る限り織田も徳川も小早川も一人一丁が標準っぽいし、密集銃兵の火力に打ち勝てるだけの密度(もしくは発射速度)が野戦で作り出せるかどうか
鉄砲足軽に別の足軽が銃を渡している様に見える絵なら
https://i.pinimg.com/originals/2a/ac/dc/2aacdcd755b312add0f9d5b048b40a24.jpg
上の大阪冬の陣図にそれらしき場面が有るが
何処迄利用されたのかだが
15万の日本軍歩兵(西国の単独で乗馬戦闘しない騎馬武者含む)なら
銃兵・弓兵は30000は居るだろうし
此れを長篠の様に全軍から抽出して前列に置けばだろうが
白兵戦も歩兵の中には騎馬武者が15000は混じっているから
そう弱いのかどうかだが 火縄銃を持つ日本軍の銃兵は
暴発の問題で密集出来ない等と有るが
https://www.youtube.com/watch?v=E039VnRNTIU
上程度には密集出来るのかだが
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3c/Ashigaru_using_shields_%28tate%29.jpg
上の様な絵を見ると更に密集している様に見えるが
現実にはどうなのかだが
日本軍の銃兵の多段射撃はどうなのかだが
400m等の遠距離では上手い人間に銃を渡しているかも知れぬが
近距離ではどうなのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83#.E5.85.B5.E5.A3.AB.E3.81.AE.E9.85.8D.E7.BD.AE
>三段撃ち:長篠の戦いで織田軍が採用したという著名な配置。雑賀衆が遅くとも1568年(永禄11年)あたりまでにはすでに実戦で用いていたという説もある。この三段撃ちについても大議論がある。
中国明末の崇禎11年(1638年)刊行の畢懋康『軍器図説』に収められた「輪流放銃図・輪流進銃図・輪流装銃図」には15人の人物が5人3列に並び、三段撃ちをしている図が描かれている。16世紀までの明の軍学書に同様の記載が見られないことから、
文禄・慶長の役で日本軍と戦った明軍が日本の火縄銃を大量に鹵獲するとともに投降した日本人(降倭)から運用法を学び、楊応龍の乱平定などの実戦機会を経て、三段撃ち等の日本式火器使用法を取り入れていったのではないかとの見方もある[24]。
>繰り出し:三段撃ちの要領で、さらに銃列を前進させる戦術。薩摩の島津氏が用いて、関ヶ原の戦いで中央突破に成功している。
と言う事が行われていた可能性も有るだろうが
仮に無いとしても
15万の日本軍歩兵の内弓兵は15000だろうから
此れは連続射撃は出来ると言う事だろうか >>465
大阪冬の陣はしっかり腰を据えた攻城戦だからなあ
大阪側も城内で同じような事してた記録はあるから結構普及してた運用なんだろうけど、野戦でそれやってたか、やれるかって話
銃兵の密度下がるし、野戦だから装填手が身を隠す場所も確保できない。それなら全員が撃った方が回転率高い
日本全国から兵士集める場合には各大名軍が1単位になるだろうから、その編成を徹底できるかだろうね
もしくは鉄砲兵何人、騎馬武者何人って供出させて一旦再編成するとか 防人方式で 騎兵を抽出するにしても
雑兵物語に有る様に
西国では騎馬武者単独の乗馬突撃は無いと言う意見が多いが
http://paomaru.dousetsu.com/file/05_senjutu_012.html
>騎兵戦術で名前が残っているものは三つ存在し、『乗り切り』『乗り崩し』『乗り込み』の三つです。
『乗り切り』は合戦の最中、味方と交戦する敵が浮き足立ったあたりでトドメの一撃として騎兵の小部隊を突撃させて敵を敗走させる戦術です。
戦闘中で敵が混乱していれば迎撃される心配も少なく、槍ふすまによって対処される恐れもありません。おそらく最も使いやすく正しい騎兵戦術でしょう。
『乗り崩し』は逆に、敵が対処できない隙を突いて騎兵を突入させ、相手をかく乱させ、そこに歩兵を突入させる戦術です。
いずれも騎兵と歩兵の共同作戦が前提であり、弱点の多い騎兵を単独で用いることはあまりやらなかったのではないかと思います。
最後の『乗り込み』は本格的に戦端が開かれる前、敵の陣がまだしっかりと組まれていないと思われるところに騎馬武者のみで物見を立てるという戦術です。
こうした騎兵の戦術は東国しか無かったと言う事なのかだが
西国の場合銃兵をアウトレンジして来る砲兵を
早期に排除する為に
騎馬武者だけ前進と言う可能性も無いのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:77bfa3ad753b2994479210bef5c6504a) >>468
スウェーデンの連隊砲は各連隊の間隙を縫うように配置されてるから、砲兵に近づくということはパイク兵の槍衾と銃兵の射撃に近づくのと同じこと
それに、歩兵連隊に追従させる運用だから「乗り込み」による奇襲で砲兵だけ潰すというのも非現実的
戦史を見る感じスウェーデンの騎兵は相手の騎兵の迂回機動を妨害する運用だから、騎兵単独での攻勢はかなり無謀
騎馬武者を騎兵として活用させるなら、弓、火縄銃兵の支援下で運動する歩兵の補助役として独立運用すべき。長槍の密集陣は対騎兵の防護策でもある訳だから 日本軍も歩兵が前進し砲兵を射程に捉える前に
出来るだけ砲兵の射撃を妨害したいと考えれば
独立行動出来る関東・東国の騎馬武者・馬足軽だけが先に前に出て
砲兵の活動を射撃で妨害と言う方向も有るかも知れぬし
馬足軽は誰と戦う際であれ敵が弓や銃の射程に入れば自動的に下馬して
射撃を開始するという事では無いのかだが
騎馬武者は此れをスウェーデン騎兵が妨害に出たら
迎撃するが
スウェーデン騎兵は別段壊滅出来ず共
歩兵が砲兵を射程に捉える迄
馬足軽への攻撃を阻止出来れば良い訳だろうか https://www.youtube.com/watch?v=ZfJF14FdX4k
上の火縄銃の序盤の射撃の列の
奥の方は可成り横方向が密な気もするし
横断歩道の模様の位置を見ると遠近感の所為では無いだろうが
現実に此処迄密集して放っていたのかだが https://www.pinterest.jp/pin/343610646561347188/
こうした鉄砲足軽の盾も400m程度遠方からの散弾や銃弾なら
止まる可能性は有るだろうが
何処迄使用されていたのかだろうし
歩兵の前進速度を鈍らせ散弾では無い砲撃を受ける時間が増える危険は
有る訳だろうか 馬足軽には盾等有るのかだが
無いとしても
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561798789/
上の様な形で馬を盾とする射撃はしていた可能性も有るのかだが
此れは江戸期の絵だろうが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561798826/
上の鎌倉期の平治物語絵巻・六波羅合戦巻でも
馬を盾にして射撃している様な描写も有る様に見えるが
戦国期ではどうなのかだが
後方から来る歩兵集団も砲兵が射程に入った段階で
重い盾では無く随伴している騎馬武者の馬を全面に置いて
盾にし射撃すると言う方向も有るのかだが
此れには時間が掛かる可能性も有るのかだが >>472
距離にもよるだろうね
球形弾は大体50〜100mで速度が半分に、もう100mで初速の3分の1にまで落ちるらしいから、それによって減衰したエネルギーが盾を貫通するに足りるかだけど、
その絵を見る限り置き盾の厚さは10cmはありそうに見えるから、2,300mも離れたら大体の弾は貫通できないんじゃないかな。人物の描写が下手なのであまり信用できんが
てか対小銃弾の盾じゃないんだから、そこまで役に立たないんじゃないか?据え置いて使ってたら砲兵に狙われるし 生きた馬を盾にした場合敵の銃や散弾が命中すれば馬が暴れて
射撃が困難と成る危険も有るのかだが
馬を自ら倒して盾にする様な方向も有っただろうが
敵が馬を迂回して別の場所から攻める危険は有るのかだが
盾なら敵が迂回しようと再度持って移動は可能かも知れぬが
http://paomaru.dousetsu.com/file/00_first_009.html
盾を持つだけの盾足軽と言うのも居るが此れは何処迄残ったのかだが
こうした者に盾を持たせて射撃開始直前に
鉄砲・弓足軽の前に盾を設置させれば
部隊の前進速度は鈍らない可能性も有るのかだが
絵では盾は横方向に余り密集していない様に見えるが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:77bfa3ad753b2994479210bef5c6504a) >>473
文章を読む限り庶民向けの娯楽物っぽいけど、それを集団でやるのは多分不可能
馬の壁に1発でも被弾したら全頭に波及して崩壊する。馬は臆病で攻撃的でパニックに流されやすい動物だから、実現には高度で特殊な調教が必要。
それに、縦に馬を整列させるのは難しい。競馬のゲート内ですらかなりのストレスになるんだから、長時間大音響の中で身動き取れないというのは馬にとって物凄く負担。
そんな爆弾抱えて戦うのは危険すぎる。 >>475
ヨーロッパの戦場から盾が消えたのは火力と防御力の均衡が崩れたから。
置き盾は腰を据えての射撃戦をやるために使うんだから、射撃戦で受ける火力を考えないといけない
そんな火力がぶつかり合う戦場に木製の盾なんか持ってっても砲兵の的。弓矢撃ち合う距離の陣地戦なら野砲を持たない日本側は圧倒的不利
日本の大盾は個人を守る目的のものだから、その役目が全く果たせないのなら存在価値はない。
士気は落ちにくいかも。長距離なら銃弾を防げることもあるんだし 銃弾や散弾が盾を貫通しても足軽の鉄製陣笠や胸甲に当たれば
此れも同時に貫通するのは難しい場合も有るだろうが
鉄製陣笠は余り無いと言う意見も有るだろうし
胸甲も装備率は余り高くは無いか
清正や立花宗茂の歩兵の様に全く無い例も有るだろうか https://www.pinterest.jp/pin/343610646561347188/
上の盾なら横にはそう密集していないし小型であるだろうが
http://blog-imgs-16.fc2.com/t/e/i/teitodennoumou/20071207163240.jpg
日本の盾を持つ兵も上の春日権現験記絵巻を見る限り
盾を持ち前進或いは後退しながら後列の兵が射撃もしている様に見えるから
機動性はそう低いのかだが
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/31/Takezaki_suenaga_ekotoba_1-2.jpg
上の蒙古襲来絵詞のモンゴル兵も
大型の盾を持って走って逃げている様な描写が有るが
此れは恐らく同時期の日本軍のやった事だろうが
走って逃げているなら
少なく共逃げ足は早いのかだが
盾を前に構えた侭では前進速度はどうなのかだが
前が見えるタイプの小型の盾で無いと
前進速度は高速と出来るのかだが
銃眼の有る様な大型の盾の古い絵が何処かに有ったかも知れぬが
こうした物は何処迄使われたのかだが http://armoredsamuraibattle.web.fc2.com/midocoro.html
>鉄砲合わせ。
>音花火を用いた、「模擬火縄銃の撃ちあい!!」
>雁が斜めに列を作って飛ぶかの如き、「雁行(かりがいく・がんこう)という陣形」で、鉄張り半盾の背後から射撃し前進します。
こうした小型の鉄盾は現実に大阪の陣では存在し
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/243995/1
上には銃丸も有るが
上の様な物が1000枚大阪の陣では用意されたと言うが
30kgも有るから2名程度で前線に運んでも
機動性はどうなのかだが
同様の構造だが木製で軽い
遠距離戦用の物は無かったのかだが >>479
人間が持ち運べる重さでこの時代に通用する大盾は作れん。
戦国後期の攻城戦に見られた鉄板張りのものもマスケットの有効射程内では貫通される。エネルギーではなく命中率基準の距離な訳だから、離れていても貫通する。
銃弾がエネルギーを失う距離ならそれを防ぐことには役立つが、砲撃にはどうしようもない
日本側の投射兵器は和弓と火縄銃しかない。最大射程で戦うなら打撃が与えられないし、有効射程に近づくにつれて火力差が大きくなる
置き盾を使用するような戦争にはスウェーデン有利。
蒙古襲来絵詞に写実性は無い。モンゴル兵が盾を持って逃げてるシーンは功績を示す意図があって描かれたもの
盾の重さや戦術は考えてない。「武士団の果敢な攻撃によって、蒙古兵は陣地を構成する大盾すら抱えて逃げ出した」という絵 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%AD
>三十年戦争ではマスケット銃兵から槍兵を防御するために、鉄製の大盾を持たせた歩兵を最前列に置くことが軍事理論家から提案されている。
だが、これが実戦で用いられ成功を収めたかは疑わしい。
とは有るが此れの機動性はどうなのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561799137/
上の様な江戸期の武用弁略に有る
武田軍が最初に使用したと言う車竹束も有るが
銃丸が複数有ると言う事は
https://imgur.com/EDoTIjh
上に有る程度のサイズは有ると言う事かも知れぬし
機動性はどうなのかだが
地形対応性も低い訳だろうが
銃眼が1つの様な小型の物は無いのかどうかだが >>480
時代や質にもよるが、マスケットの球弾は100mで3mmまでなら大体貫通してる
これ以上で持ち運び可能な盾は作れないし、ダヴィンチのやつみたいに車輪つけても砲撃は防げない
ウップランドの製鉄が1610年代〜1620年代に急速に成長してるから、製鉄の質の差も圧倒的要素にはならん
スウェーデン軍の柔軟な火力戦に大盾じゃどうしようもないから、日本側は火力自体を倍増させないと無理。
銃、砲による火力の集中という概念が薄い以上、火力戦で有効な機動が採れるか?という疑問は残るが 大盾を携えて行動する以上、それが無い軍にくらべて機動が鈍重になるのは避けようがない。
スウェーデン軍の弱点(隙)は斉射終了後の間隙なんだから、機動の邪魔になる大盾はその弱点を補ってしまう
野戦陣として500m以遠に据え付けるんなら野戦重砲の攻撃にすら晒されることになるし、竹束はその火力を防御するに足る物にはならん
塹壕掘ったほうがよっぽど効果的だよ。 >銃、砲による火力の集中という概念が薄い以上、火力戦で有効な機動が採れるか?という疑問は残るが
日本軍の場合指揮官の狙撃と言う戦術も有ったかも知れぬし
森長可や井伊直政等が狙撃されやられているだろうが
スウェーデン式大隊の中隊等には指揮官が居ただろうが
彼等を銃の上手い者等に狙撃されたら
指揮能力や士気は何処迄低下するのかだが グスタフアドルフが自ら先頭に立って
戦って負傷し続けていると言う様な記述も有るし
リュッツエンでは不用意に前に出てやられた訳だろうが
グスタフアドルフが森長可等の様に
騎馬武者に迄随伴しているかも知れぬ
日本の狙撃兵にやられ指揮能力や士気が低下
全軍崩壊等する危険は有るのかだが
他の副将等も狙撃される危険は有るのかだが >種子島久時
小西行長の水軍を助け出す為に李舜臣と戦った露梁海戦では、揺れる船上の上からスナイプを続け、
樺山久高の船に取り付こうと鎖を振り回していた敵軍兵士を海の藻屑に変えていく等、抜きん出た射撃能力を見せて奮戦した。
種子島久時が李舜臣を狙撃した訳では無いのかも知れぬが
部下が意図的に狙撃した可能性も有るだろうが
彼等の様な者がグスタフやスウェーデン・ザクセン軍副将等を
意図的に狙撃する可能性も有るのかだが 種子島久時の様な狙撃兵及びその家臣なら
乗馬も出来るだろうし
騎馬武者に随伴してスウェーデン騎兵が来たら
グスタフや副将を森長可の様に狙撃と言う方向も有るのかだが
グスタフは1630年台では首の負傷の影響で鎧を着れなかっただろうから
日本軍標準の2匁クラス筒であれ狙撃は難しいのかだが
他の副将には分厚い胸甲が有る訳だろうから
可成り大型の銃でさえ
井伊直政等の様に肩等を狙う必要も有るのかだが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%BC%E9%8A%83
>この正確性を示すものとして最も有名な例は、第95ライフル連隊第一大隊のライフル兵トーマス・プランケット(Thomas Plunkett)が、
半島戦争のア・コルーニャ撤退戦において、フランスのコルベール将軍(Auguste-Marie-François Colbert)の狙撃に成功したものである。
距離は不明であるが、ある資料では600ヤードとされている。
プランケットは2発目で将軍の副官を倒しており、1発目が偶然ではなかったことを示している
将軍や副官ならナポレオン戦争では500m先から識別され
狙撃されていると言う事かも知れぬが
スウェーデンの中隊指揮官はどうなのかだが
鎧の無いグスタフを騎兵のピストルの射程外から狙撃するのは
馬の上からでさえ上手い者なら果たして困難なのかだが リュッツェンやその後のスウェーデン軍を見てもわかるように、スウェーデン軍は高度に組織化された近世の軍隊。
総大将だけを狙撃したら崩壊するというものでもないし、指揮官だけ狙うマークスマンを狙撃可能距離まで前進させる、というのは日本の標準的な軍には見受けられない。
その例外的な名手だけで編成された部隊を作ったとして、現実にあるものでない以上はその運用も成果も推測の域を出ない。
>>487
海戦で鎖を投げ合う距離は銃兵にとっては通常の交戦距離。
「揺れる船の上でいっぱい命中した」というのは狙撃ではなく"特殊条件下での射撃"。 >>490
半島戦争は19世紀。1630年の火縄銃時代にくらべたら精度も編成も交戦距離も大きく変化してる。
具体的にはライフル装備の猟兵が歩兵の射程外からの狙撃戦を行う戦争。時代が違う 人によっては近代に入る時代
1630年の日本にライフルは無いし、跳び抜けて銃の達者な兵士がいたとしてそれが全体の質を証明するものにもならん
長距離狙撃にはロマンがあるけど、火縄銃の射程外から火縄銃で殺すのは不可能。そもそもの射程が短いから距離はすぐに詰まる。
割合が低い日本の銃兵で、さらに選抜した銃兵に独立行動をとらせるというのは他の要素を全く無視した作戦。それは日本の武士を考察する事にはならないよ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%952%E4%B8%96%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95_(%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E7%8E%8B)#.E7.94.9F.E3.81.84.E7.AB.8B.E3.81.A1
>コニェツポルスキとの戦闘以外でもグスタフ2世は幾度に渡り負傷し、特にチェフの戦いでは自軍の形勢は有利であったが頸部と右腕を狙撃されて落馬し、
とどめを刺される寸前で九死に一生を得た。この時止めを刺されていれば、ポーランド側が決定的な勝利を収めていた。この戦傷は重く、以後グスタフ2世は金属製の甲冑を着ることができなくなり、右腕も不自由となった。
グスタフもポーランドとの戦いでは何回か負傷したと有るが
流れ弾が当たったのか
狙撃されたのかだが
この時点では鎧が未だ有ったから致命傷は避けられたと言う事なのかだが
種子島久時等の高位の者が
只雑兵等を狙撃していたのかだろうし
基本的に射程内で出来るだけ高位に見える者を狙撃していたと言う可能性も有るのかだが
そうした高位の狙撃兵が騎馬武者に随伴していれば
結果一番偉く見えるグスタフが狙撃される危険は有ると言う事だろうか
他の狙撃兵も騎馬武者クラスの狙撃兵なら
一般兵士より
スウェーデン軍の連隊指揮官等を先に狙う可能性も高いのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E6%84%9A%E7%AB%A5%E8%A8%93
>敗走する日本軍を追う左副都元帥・劉復亨と思われる人物を見止めた少弐景資が弓の名手である馬廻に命を下して劉復亨を射倒すなどして奮戦したものの[182][183]、
上の八幡愚童訓の記述は正確性は無いと言う意見も有るが
こうした指揮官を狙う狙撃は他の同時代の戦場で現実に行われ
戦国時代でも行われていた可能性も有るのかだが >総大将だけを狙撃したら崩壊するというものでもないし、
リュッツエンでは確かに敗北迄はしていないが
損害はスウェーデン軍の方が多く成り
直後のネルトリンゲンでは対して数も無いテルシオに敗北している訳だろうか 現実の戦国日本での鉄砲兵の運用は「槍兵がぶつかる前に遠くから削る」「迂回機動をとって白兵戦に側面射撃」がよく見られる。
つまり標準的で至極真っ当な運用。こちらが日本の標準。
野戦で狙撃専門の部隊を編成したことも無いし、そういった特殊例は大勢をひっくり返した訳でも無い。
総大将の狙撃に固執した編成を採った軍があったか?どの大名も軍対軍の想定で編成してる
歴史的な考察をしようよー 各々の装備差とか、戦法の違いとか 雑兵物語では長い銃を持つ騎馬武者が散見されるし
仮に下馬時のみの使用でも
彼等が射程内では一番高位の者に見える
連隊指揮官を狙う可能性は
高いと言う事では無いのかだが
砲兵を叩く為に先に前進する
関東・東国の騎馬武者に長い銃を持つ狙撃兵は居なく共
銃の上手い者は混じっているかも知れぬし
彼等が馬上筒でさえ一番高位の者と見える
グスタフの狙撃を試みる可能性は無いのかどうかだが
装甲が無いなら馬上筒でさえ致命傷と成る訳だろうか >>493
指揮官の狙撃はあっただろうし、手柄という栄光がある以上それを精力的に行う事も当たり前。
でもそれは通常の戦闘が始まってからの事。戦端が開かれる前に火縄銃で将官狙いの長距離スナイプを成功させた兵士の記録が無い以上、それが成果を挙げられるものとは思えん
和製火縄銃とそれを運用する銃兵の精度がスウェーデン軍の通常火力を大きく上回っている、というのが狙撃作戦の大前提な訳だけど、日本の銃兵の水準はその条件を満たせているか?
一握りの人間が銃の扱いに長けていたとして、数万規模の火力戦をひっくり返せるかどうか 日本軍も長篠の様に全銃兵及び弓兵が前に集められた場合は
銃を持つ騎馬武者もそれなりの数が前に集められる可能性も有るだろうから
彼等は皆連隊指揮官を先に狙撃する可能性も高いなら
彼等の死傷率はそれなりに高く成る可能性は有るのかだが >>494
対して数も無いっていうけど2倍の相手なんだぞ。
感覚麻痺してない?
>>496
最前線でグスタフをピンポイントで見分けるのはかなり近づかんといかんと思うぞ
グスタフ及び連隊長狙撃部隊は火縄銃装備なんだろ?ライフルじゃなくて
乗馬射撃にしろ下馬射撃にしろ、ある程度は近づかないと命中弾が出る前に銃撃で崩壊してしまう
その距離を重装武者を載せた軍馬で詰められるか?
無茶な奇策を立てるのは戦史考察じゃない。現実の日本軍はそんなことしてない >対して数も無いっていうけど2倍の相手なんだぞ。
2倍程度の数なら以前のグフタフの居るスウェーデン軍なら
砲力や機動性・騎兵の衝撃力を生かして
勝利は出来ないのかだが
スウェーデン軍の騎兵と騎馬武者同士が衝突した際に
銃を持つ一部の騎馬武者がグスタフの狙撃を試みる可能性も有るだろうし
馬上筒ならそう遠距離では撃たないだろうから
グスタフが識別された後の射撃と成るかも知れぬが
複数の騎馬武者が近距離でグスタフに向かい射撃したら
命中弾が生まれる可能性は有る訳だろうか >>503
グスタフが飛び出した例はどれも前線での指揮が必要だという戦況になったとき。
重装騎兵の一斉突撃がスウェーデン軍を揺さぶった場合はその状況になるだろうけど、騎兵単独の大規模な運用は戦国日本に見受けられないのでその状況は考えにくい
さっき言ってた狙撃で将校だけが死んでいく、という状況の方がまだ出てくる可能性が高い。というか上記の例が現実の日本に当てはまらない。
常に最前線で戦う人物じゃない。戦況が順調に推移した戦いでは前に出ていない >>501
>>503じゃなくて>>500でした ごめんなさい >常に最前線で戦う人物じゃない。戦況が順調に推移した戦いでは前に出ていない
スウェーデン軍が日本軍の大兵力等の前に苦戦して来た後
グスタフが前に出て来て狙撃される可能性は有ると言う事なのかだが
グスタフ以外の騎兵指揮官が馬上筒で狙撃される可能性も有るかも知れぬが
近距離であれ胸甲が厚いのでダメージを与えられない可能性も高い訳だろうか >グスタフ以外の騎兵指揮官が馬上筒で狙撃される可能性も有るかも知れぬが
>近距離であれ胸甲が厚いのでダメージを与えられない可能性も高い訳だろうか
馬上筒では日本軍の指揮官級の者の胸甲も
近距離でさえ貫けない場合も有ると考えれば
近距離でスウェーデン騎兵指揮官の肩等の装甲の薄い場所を狙う可能性も有るのかだが
銃の上手い者ならこうした射撃も成功する可能性は有るのかだが 戦場でのそういう考慮は不確定要素のため、それを基底に推移を考えるのは筋違い。
「前線にグスタフが出てきて弾に当たって死ぬかもしれない」「胸甲を銃弾が貫通できないかもしれない」「銃の名手が指揮官を狙い撃つかもしれない」
こういったすべての要素は推察してもわからない。その状況でその結果になる可能性が高い、といった答えが出せない。
こういう例は戦史を解いて推測するしかない。この時の編成は、戦況は、どういった作戦か、という情報から。
そこへ行くと、現実に存在しなかった(もしくは例外的だった)部隊を運用をすることを考えるのは不可能。考察する意味も方法も無い。 なんで狙撃とか独立騎兵とかにこだわるんだ
普通に戦国日本と30年戦争スウェーデンで比較したらいいじゃん
諸兵科の水準も時代も近いんだし 馬上筒を使う騎馬武者で銃が上手い者なら
重い胸甲を付けた指揮官の肩等を近距離で狙撃する訓練も
平素からしている可能性と言うのは有るのかだが
馬上筒の装備比率は1617年時点では低いと言う意見も有っただろうが
雑兵物語にも馬上筒は複数有るし
江戸期の絵にも有るだろうが
1630年時点ではどうなのかだが http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/part1/archives/17
>五匁馬上筒
>馬上筒にはこの寸法が多く、約4割近くが五匁(口径14・8mm)くらいである。
全長は60cm弱、銃身長36cmくら いのものであるが、その形状は様々で2挺以上同じものを見ることはまれである。
馬上筒は足軽標準の2匁クラス筒よりは口径が大きいのかだが
銃身が短いから威力はどうなのかだが
近距離で3/4鎧の肩や腿等は貫けるのかどうかだが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています