>>408
>ただ届いただけで良ければ、900mまで届いた例があるそうだ。

此れは恐らく張力90kgも無い様な弓だろうが
五人張りの150kg等の弓がそれなりの数有るなら
1km先等から放たれた軽い矢でさえ装甲の無いスウェーデン砲兵の
砲撃を遅らせる程度は出来る可能性も有るのかだが

戦国期でも強弓を使う者の記述はそれなりに有るが
https://poyomaru.com/note/creative/creative-material1915/
>大高坂長門守が大高坂城より小高坂城内へ遠矢を射た際、小高坂の武士が食事をしていた飯椀に射当たった。
との記述が『土佐物語』に記述されており、両城の間は約1,100メートルあったといわれている。
が、『土佐物語』は軍記物の読み物であるため誇張されている可能性が非常に高く、

事実かは不明だがこうした例も有るが

>武田光和(戦国時代、まとめ5に記載、「10人引きの鉄弓」というおバカ武器の使い手w陰徳太平記には、
「武田光和は千鈞(約227s)の弩(ゆみ)をも易々と放つ大力量なれば、普通の人六〜七人しても張り難き大弓に、大矢取って番い、
能く引いて兵(ひゃう)と放ちたりければ〜」とある

戦国時代では記述に残るのはこの辺りが最強の弓かも知れぬが
実在性はどうなのかだが
戦国期では3人張辺りが上限の可能性も有るのかだが

>栗田重友(室町時代(1400年代真ん中ぐらい、戦国前)まとめ17におまけで記載、細川方についた石見国人、
大庭蔵人兼親の配下の強弓使いの猛将。角木に弦を番えたような巨弓を使い大太刀なみのデカさの矢を放つバケモノw
尋常の四五人張を二〜三張も合わせた、角木に弦をかけたのかとも疑う程の大弓とあるので、4〜5人張り×2〜3重=8人張〜15人張の単純計算でここにw)

戦国時代で無ければこうした例も有るが
張力は450kg等の可能性も有るが果たして事実なのかだが