https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%952%E4%B8%96%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95_(%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E7%8E%8B)#.E7.94.9F.E3.81.84.E7.AB.8B.E3.81.A1
>コニェツポルスキとの戦闘以外でもグスタフ2世は幾度に渡り負傷し、特にチェフの戦いでは自軍の形勢は有利であったが頸部と右腕を狙撃されて落馬し、
とどめを刺される寸前で九死に一生を得た。この時止めを刺されていれば、ポーランド側が決定的な勝利を収めていた。この戦傷は重く、以後グスタフ2世は金属製の甲冑を着ることができなくなり、右腕も不自由となった。

グスタフもポーランドとの戦いでは何回か負傷したと有るが
流れ弾が当たったのか
狙撃されたのかだが
この時点では鎧が未だ有ったから致命傷は避けられたと言う事なのかだが


種子島久時等の高位の者が
只雑兵等を狙撃していたのかだろうし
基本的に射程内で出来るだけ高位に見える者を狙撃していたと言う可能性も有るのかだが
そうした高位の狙撃兵が騎馬武者に随伴していれば
結果一番偉く見えるグスタフが狙撃される危険は有ると言う事だろうか
他の狙撃兵も騎馬武者クラスの狙撃兵なら
一般兵士より
スウェーデン軍の連隊指揮官等を先に狙う可能性も高いのかだが


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1%E6%84%9A%E7%AB%A5%E8%A8%93
>敗走する日本軍を追う左副都元帥・劉復亨と思われる人物を見止めた少弐景資が弓の名手である馬廻に命を下して劉復亨を射倒すなどして奮戦したものの[182][183]、

上の八幡愚童訓の記述は正確性は無いと言う意見も有るが
こうした指揮官を狙う狙撃は他の同時代の戦場で現実に行われ
戦国時代でも行われていた可能性も有るのかだが