近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代8©2ch.net
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軍事板の近世総合スレです。
概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。
国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで、東洋・西洋・日本国内を問わず、
陸戦、海戦、戦術、組織・動員編成、補給・兵站、諜報、外交、経済、
築城・縄張・要塞・土木技術、火薬、火砲製造技術・船舶・食料・農業や人口など、
軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。
中世以前の話題については、古代・中世総合スレへ。
1850年以降の話題は19世紀後半軍事考察スレへ。
このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
900踏んだ人は1000までに次スレを立てて、次スレへ誘導すること。
関連スレなどは>>2以降参照
前スレ
近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代7
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1388893375/
参考資料:軍事年表(軍事百科事典より)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm >>513
或いは正面からスウェーデン軍の集中砲撃で本陣備迄の突破口を作られ
此処に騎兵を突入される危険も有るだろうし
砲兵を加藤清正や立花宗茂等の軽装歩兵の居る部隊を使用して
彼等を犠牲としても早期に潰す必要が有ると言う事なのかだが
備はテルシオでは無いから集中砲撃をしてさえそう簡単に
大兵力で有れば突破口を作るのは容易では無い可能性も有るだろうか
日本軍が西国のみの編成でスウェーデン軍と戦う場合の
基本戦術としては
騎兵突撃に対抗する為に
大兵力を用意して本陣備の周囲を厚くしつつ
胸甲の無い軽歩兵と此れに随伴する騎馬武者を利用して砲兵を
早期に叩くと言う様な方向なのかだが 本陣備への後方からのスウェーデン軍の騎兵突撃を考慮すると
余程の兵力でも無い限り
長篠の様に銃兵・弓兵を全て前面に集中する訳にも行かぬかも知れぬが
スウェーデン・ザクセン軍騎兵の後方からの8000程度の騎兵突撃を阻止するのには
どの程度の数が必要だろうか https://i.imgur.com/Ff6L79k.gif
図の上の軍は1630年台のスウェーデン・ザクセン軍であり
青が騎兵
緑が歩兵
紫が砲兵だが
ブランテンフェルトでは此れに近い配置だろうか
下の軍は戦国時代末期の
西国のみの兵が居る日本軍であり
赤は本陣備
黄色は歩兵+騎馬武者
赤紫は軽歩兵の居る加藤清正・立花宗茂等の軍だが
https://i.imgur.com/lR07K8K.gif
戦闘開始と同時に日本軍の軽歩兵の居る部隊は前進を開始
(碧蹄館でも立花宗茂の軍が先に単独で突撃しているだろうが)
他の部隊も砲兵を叩く為に前進するが
軽歩兵の居る部隊は恐らく
スウェーデン騎兵に迎撃される可能性が高いだろうし
砲撃も本隊では無く此処に向けられるかも知れぬが
スウェーデン歩兵も軽歩兵を迎撃する為に前進するが
こうした中でも軽歩兵部隊は最大限砲兵に射撃を集中するが
加藤清正の兵は10000・立花宗茂の兵は5000は有るだろうし
他の軽歩兵が居る部隊も居るだろうが
果たして何処迄保つのかだが
https://i.imgur.com/3mz1h9X.gif
砲撃や騎兵が軽歩兵に集中している間に
後方の歩兵部隊が前進し砲兵を攻撃殲滅
出来れば歩兵も足止めと言う方向だろうか >>516
https://i.imgur.com/CMGojUt.gif
砲兵が沈黙し正面から本陣備への突破口を開けないと判断した
スウェーデン・ザクセン騎兵が日本軍の後方に回り込み
騎兵突撃を行う可能性も有るだろうが
2000のザクセン騎兵は余り役に立たぬとすると
本陣備えと其の護衛の周囲の備が50000等居れば
此れは撃退出来る可能性も有るのかだが
銃兵・弓兵は此れの撃退には余り役には立たない可能性も有るなら
前列に大半を配置する方向も有るだろうか
https://i.imgur.com/l2LIPea.gif
スウェーデン・ザクセン軍歩兵が日本軍の正面からの集中射撃を嫌って
側面に回り込む可能性も有るだろうが
この前に騎兵が突撃に失敗敗走し
歩兵部隊も撤退を決断している可能性も有るのかだが https://i.imgur.com/lR07K8K.gif
スウェーデン砲兵には加藤清正の10000が
これより数の少ないザクセン軍砲兵には立花宗茂の5000が向かうとすると
加藤清正の軍は6000のスウェーデン騎兵の突撃
砲兵の砲撃・歩兵の銃撃を集中され
前進する本隊の歩兵の援護を受ける前に壊滅する可能性も有るだろうが
此処でスウェーデン軍騎兵にも
指揮官の狙撃等で可成り損害が出る可能性は有るだろうか
立花宗茂の軍はザクセン軍相手であるなら
壊滅する前に前進する本隊の援護を受けられる可能性も高いだろうか
ザクセン軍の騎兵も可成り打撃を受ける可能性も有る訳だろうか ブランテンフェルトでは18000も居るザクセン軍は
妙に短時間で敗走したが
33000の皇帝軍の攻撃が集中した故と言うが
皇帝軍の全軍が攻撃した様には見えないが
歩兵の機動性も低く日本軍の側面には
容易には回り込めない可能性も有るのかだが ザクセン軍は騎兵も含め日本軍本隊が前進すればその射撃で
早期に敗走する可能性も高いのかだが
故に日本軍への歩兵の側面攻撃・後方からの騎兵突撃は
スウェーデン軍単独と成る可能性も有るのかだが
ブライテンフェルトではザクセン軍が皇帝軍騎兵の
攻撃を受けている様に見えるが
スウェーデン騎兵は近くに居たが騎兵を迎撃した様には見えないし
ザクセン軍との連携は何処迄有るのかだが
スウェーデン・ザクセン軍騎兵が
日本軍の軽歩兵が砲兵に迫ったとしても
此れを迎撃せず日本軍の後方から本陣備にいきなり
突撃する可能性も有るだろうが
そう成った場合指揮能力が低下し
日本軍の前進が阻まれる危険も有るだろうが
本陣備周囲の護衛用の備以外は
敵砲兵に向け前進する様命令出来る可能性も有るだろうが
ブライテンフェルトでスウェーデン騎兵が
皇帝軍の背後から突撃したのは
序盤からでは無い訳だろうし
ザクセン軍が壊滅する前に突撃する事は無かったと言う事だろうか https://i.imgur.com/1dx3sed.gif
上の様にスウェーデン軍が
砲兵に向かう日本軍軽歩兵部隊を迎撃せず
いきなり本陣備に背後から騎兵突撃した場合は
https://i.imgur.com/1tYvTuN.gif
その場合日本軍は本陣備周囲の護衛の備以外には
砲兵に向かう様に支持を出し
砲兵を沈黙させ
次は歩兵も攻撃するが
ザクセン軍は日本軍の兵力が倍等有れば
攻撃に耐えられずにブライテンフェルトの様に敗走
士気が低ければ日本軍の背後を狙っていた騎兵も
同時に敗走する可能性も有るのかだが
https://i.imgur.com/C41kZUi.gif
敗走したザクセン軍を攻撃していた日本軍は
ブライテンフェルトの皇帝軍の様にスウェーデン軍歩兵を
上の様に側面攻撃する可能性も高いだろうが
こうした攻撃を受ければ大兵力も有りスウェーデン軍歩兵は
何処迄対応出来るのかだが
スウェーデン軍歩兵が敗走すれば残りの日本軍部隊は
騎兵に攻撃されている本陣備を援護するが
スウェーデン軍も歩兵部隊が敗走すれば
騎兵も撤退する可能性が高いのかだが
こうした事を成功させるには日本軍にはどの程度の兵力が
必要なのかだが
15万等は要るのかどうかだが 加藤清正の歩兵は軽装で槍は無いから
スウェーデン軍騎兵の突撃には脆い可能性は無いのかだが
下馬した騎馬武者の援護は有るだろうし
雑兵物語に有る様な白兵戦突入後の
至近距離での射撃も有るだろうが
歩兵の銃の比率は多いだろうが
密集したスウェーデン軍槍歩兵の攻撃には
何処迄対抗出来るのかだが
清正の軍の騎馬武者には銃が大量に有る等と有るが
此れは西国の騎馬武者だから馬上筒では無く
下馬して使用するタイプの長い銃と言う事なのかだが 足軽胴は3−4kgであり
此れが無いと言う清正や宗茂の歩兵も
確か陣笠・兜は装備であるから
軽装としても通常の日本の歩兵とどの程度の速度差が有るのかだが
西国の騎馬武者は乗馬して戦闘は兎も角白兵戦
或いは射撃戦開始直後迄は移動はするだろうから
軽歩兵にも当然追随は出来るだろうが
雑兵物語の様に
足軽が重い大型銃を持つと胸甲を同時に装備していれば
特に機動性が低下するかも知れぬが
清正や宗茂の軍では大型銃は無いか
有っても馬で移動している可能性も有るのかだが >>521
>https://i.imgur.com/C41kZUi.gif
>敗走したザクセン軍を攻撃していた日本軍は
>ブライテンフェルトの皇帝軍の様にスウェーデン軍歩兵を
>上の様に側面攻撃する可能性も高いだろうが
この際にスウェーデン歩兵は日本軍歩兵への側面攻撃を狙い
あわよくば日本軍本陣備を攻撃しようとして
移動する可能性も有るだろうが
https://i.imgur.com/QRVr93X.gif
上の様な形で日本軍の歩兵部隊が移動すれば
本陣備への攻撃は阻害される可能性も有るのかだが
スウェーデン歩兵が(騎兵がいずれ本陣備を壊滅させるのを期待して)
逃げ回れば白兵戦での壊滅は
何処迄出来るのかだが
槍歩兵は足軽胴・陣笠より重いであろう
胸甲・兜を装備しているなら足はそう高速なのかだが
スウェーデン歩兵が逃げ回れば
日本軍歩兵も彼等を足止め出来るだけの数を残して
後は本陣備を攻撃している騎兵への攻撃に回す方向も有るだろうか 東国の兵も日本軍に混じっていれば
この中の最大10000の騎馬武者が
スウェーデン軍の歩兵や騎兵が部分的にも崩れたと見ると
小単位ずつでは有るだろうが乗馬突撃を敢行する可能性も有るだろうが
効果は何処迄の物だろうか
銃兵相手或いは槍兵も銃撃等で崩れた後なら
それなりには効果が有るのかだが
飽く迄30名等の小単位での突撃が敵が部分的に崩れた場所に
散発的に行われると言う事なのかだが
とは言え雑兵物語に有る様に乗馬して銃や弓を持つ者も居るから
歩兵や騎兵の指揮官が
彼等に狙撃される可能性は有る訳だろうか http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0046170
雑兵物語を見ると上の様な玉箱持や矢箱持が
戦闘中騎馬武者より前の列に居るが
彼等の機動性はどうなのかだが
全速で移動する際は
彼等は後で追い付いて合流すると言う可能性も有るのかだが
こうした弾薬が馬で輸送される例は有るのかだが
矢箱には矢が100本入ると言うが
1本50gなら5kgは有るのかだが https://i.imgur.com/rLH79Sp.gif
スウェーデン軍騎兵も小単位に分かれているなら
上の様な形で各個に日本軍各部隊の背後に突撃する可能性は有るだろうし
此れでほぼ全部隊の前進が阻まれ砲兵が
本陣備への騎兵突撃の突破口を作る事を阻害出来なく成り
スウェーデン歩兵にも挟撃され危機に陥る可能性も有るだろうが
20万の兵が有っても果たして何処迄持ち堪えられるだろうか https://i.imgur.com/oqdjIfF.gif
日本軍が上の様な形で
背後を突かれていない歩兵部隊を
スウェーデン砲兵に前進させる可能性も有るだろうが
スウェーデン騎兵の予備部隊に背後を又突かれて
前進が頓挫する可能性も有るのかだが
とは言え日本軍も大兵力で飛び道具は有り
至近距離での射撃もし指揮官も攻撃するなら
結果はどう有れスウェーデン軍の損害は
リュッツエン等の様に可成りの物と成る危険は有る訳だろうし
戦闘序盤からスウェーデン軍騎兵が
執拗に全部隊の背後を突いた例等は有るのかだが スウェーデン軍もブライテンフェルトでは
皇帝軍には騎兵が居たから此れの迎撃を考えると
即歩兵背後への突撃は困難だろうが
戦闘序盤から皇帝軍騎兵を騎兵を集中させ攻撃此れを排除後
細分された騎兵を皇帝軍歩兵の後方に回り込ませて機動を妨害し
歩兵と挟撃すればザクセン軍が敗走する前にも
短時間で勝利出来た可能性は無いのかだが https://en.wikipedia.org/wiki/File:Battle_of_Breitenfeld_-_Opening_moves,_17_September_1631.png
ブライテンフェルトの上の図では
ザクセン軍を攻撃する皇帝軍右翼の騎兵を
スウェーデンの騎兵全軍で撃破し
次は左翼の騎兵を各個撃破
その後歩兵の背後に細分した騎兵を回り込ませ機動を阻害後
歩兵で挟撃すればザクセン軍も敗走する事無く
短時間で皇帝軍を撃破出来た可能性は有るのかだが >>530
皇帝軍歩兵の後中央には
総司令官ティリーの騎兵も居ただろうから
右翼の騎兵を撃破後にティリーの騎兵を各個撃破すれば
全軍敗走或いは士気が低下する可能性も有るのかだが 皇帝軍のカラコール騎兵が
スウェーデン歩兵にはほぼ無力な以上は
スウェーデン歩兵への皇帝軍騎兵の攻撃は守りを固め撃退
スウェーデンの騎兵は全て集結し皇帝軍騎兵を各個撃破
出来るだけヴァレンシュタインの騎兵を早期に倒せば
リュッツエンはどう成ったのかだが https://i.imgur.com/P9CDCWa.jpg
ブライテンフェルトでは上の図の緑の矢印の様な形で
スウェーデンの右翼騎兵が左翼騎兵と合流後
皇帝軍右翼騎兵を殲滅
その後総司令官ティリーの騎兵を叩けば後は楽と言う事では無いのかだが
(パッペンハイムのカラコール騎兵がスウェーデン歩兵や
グスタフ自身の騎兵に突撃したとしても
何も出来ないと言う事だろうか)
現実のブライテンフェルトでもスウェーデン軍右翼騎兵が
皇帝軍左翼のパッペンハイムの騎兵を倒した後は
ティリーの騎兵に突撃し此れを敗走させている訳だろうか 鎌倉時代の騎馬武者なら蒙古襲来絵詞を見る限り
単独での乗馬突撃もしたかも知れぬが
纏まった単位での突撃は何処迄有るのかだが
50000等の全て弓を持つ騎馬武者が纏まってスウェーデンの
3つに分散された騎兵を各個撃破し
グスタフの騎兵を出来るだけ早期に倒し指揮能力・士気を低下させた後
騎馬武者を歩兵の背後に回り込ませ
砲兵を倒す為に前進する歩兵と挟撃すれば
20万等の日本軍なら勝利出来るのかだが
砲兵を早期に沈黙させる為に
主力騎兵集団とは別の騎射部隊も
用意する方が良いかも知れぬが >>534
スウェーデン軍の胸甲正面には強弓で至近距離で無いと
弓は通用しないだろうが
馬は遠距離からやられる訳だろうから
機動力の鈍った相手を包囲して
胸甲背面を撃てば通常の弓でも貫通する訳だろうが
鎌倉期の騎馬武者は果たして何処迄集団運用されるのかだが
南北朝期辺り迄は騎馬武者の戦闘序盤からの単独騎射突撃は
西国でも残っていたのかだが https://i.imgur.com/RwIIGTe.gif
上は1630年台のスウェーデン・ザクセン軍であり
色分けは前書いた物と同じ
下は鎌倉期日本軍であり
赤は騎馬武者・黄色は歩兵
赤紫は総大将の居る騎馬武者集団だが
https://i.imgur.com/Nx1CFQm.gif
日本軍の騎馬武者集団は単純に
一番兵力の多いスウェーデン右翼の騎兵集団に
全て突撃する可能性も有るだろうが
総大将も恐らく同時にこの部隊に付いていく可能性も高いのかだが
騎馬武者集団が大兵力であればスウェーデン・ザクセン軍の他の騎兵部隊も
援護に来る可能性も有るだろうし
騎馬武者部隊の背後を突く可能性も有るだろうが
騎射の前に馬が早期にやられて接近出来ない可能性も有るだろうし
兵力差と騎射の速度の前に
騎兵は全て壊滅する可能性も有るのかだが
グスタフはこの状況を見て離脱する可能性も有るだろうが
日本軍騎兵の足は重い大鎧を装備しているから遅く
グスタフは戦場から離脱せず逃げ回る可能性も有るだろうが
そう成った場合は流石に日本軍もグスタフを追撃する一部の騎兵を残して
他は歩兵の背後に突撃する可能性も有るだろうか
此れはザクセン軍では無く兵力の多いスウェーデン歩兵に
集中する可能性も有るだろうが
歩兵と共にスウェーデン歩兵・砲兵を挟撃し壊滅させれば
ザクセン軍は撤退するだろうが
恐らく騎馬武者の追撃で騎射を受け続け
騎兵以外は逃げられず壊滅するだろうか フサリアと西国の戦国期日本軍が戦えば
果たしてどう成るのかだが
https://i.imgur.com/a0HefXA.gif
青はフサリア重騎兵コムラーデ
水色は軽騎兵パンセルニ
紫はポーランド砲兵
緑はポーランド歩兵だが
赤は日本軍の本陣備
黄色は騎馬武者及び日本軍歩兵だが
https://i.imgur.com/a0HefXA.gif
右ではポーランド軍は日本軍本隊の機動を
後方にコムラーデを突撃させて阻害させつつ
コムラーデを本陣備迄突撃させる為の突破口を開く為に
砲撃及びパンセルニの弓を突破口に集中
出来るなら本陣も射撃して混乱させ指揮能力を低下させると言う方向なのかだが
左は次の段階だが
背後へのコムラーデの突撃で
日本軍本隊がポーランド軍砲兵を壊滅させる為に前進出来ぬ侭
砲撃と弓でコムラーデの本陣備への突破口を作られ
此処にコムラーデを突入されてやられる危険も高いと言う事なのかだが https://i.imgur.com/DJ7FqT0.gif
右の様に日本軍が砲兵を叩く為の別働隊を前進させても
此れも背後にコムラーデの予備兵力を突入され
前進が阻害されている間に
コムラーデの本陣への突破口が
砲撃・弓の射撃を受け続ける可能性も高いのかだが
左の様に別働隊の備集団に縦深が有り
背後を突かれていない備が前進したとしても
此処にもコムラーデの予備兵力を突撃されて
前進が阻まれる可能性も有るのかだが
コムラーデの小単位は何個有るのかどうかだが
日本軍も兵力20万なら最大600以上の備が有るだろうし
此れの背後に全て突入させるコムラーデ或いは
パンセルニの小単位は有るのかだが
http://daimyoshibo.la.coocan.jp/mil/polish_hussars.html
200名で1単位ならこれ以下の単位で運用されないなら
フサリアも最大10000程度だろうから
最大50の小単位が有るのかも知れぬが
20万の日本軍の最大600の日本の備の背後に回す
小単位は到底無いと言う事なのかだが https://i.imgur.com/Ysc51Mj.gif
上の様な形で背後にコムラーデが突撃していない備は
本陣備の護衛の物以外は
各個にポーランド軍砲兵に前進し攻撃
此れへの攻撃を阻害しようと言う歩兵も多数の備を前進させ排除するが
果たして何処迄の連携が出来るのかだが
備が歩兵との挟撃をフサリアに繰り返されてやられる危険も有るのかだが
この様な状況でもパンセルニが本陣備へのコムラーデの
突破口に弓を放ち続ける可能性も有るだろうし
此れもコムラーデに背後に突撃されていない備を振り向けて
射撃武器を利用し
本陣備への突破口が射程に入らぬ様遠ざけると言う事だろうか
此れを続けてポーランド軍砲兵・歩兵を壊滅させた後は
大兵力を利用しての消耗戦で
コムラーデ・パンセルニを壊滅させる以外無いのかだが
スウェーデン軍も同様の方法で
パンセルニの様な兵は居ないが壊滅可能と言う事なのかだが 珍しく某研の相手してた奴がいたけど
ようやく頭のやべー奴だと気付いて消えたなみたいだな 200人のコムラーデ小単位に背後から突撃された場合
300名の備では何処迄保つのかだが
士大将を上手く前方に逃しつつ迎撃と言う事に成るのかだが
800名の備も有ると言うから
此れは簡単に壊滅はせぬ可能性も有るのかだが
コムラーデ集団が個々の備に集中し各個撃破する等と言う可能性も有るだろうが
備が600も有れば此れの撃破には時間が掛かるかも知れぬし
備がワーテルローの英の対騎兵方陣の様に
間を通る騎兵に射撃出来る様な布陣をすれば
コムラーデも可成り打撃を受ける可能性も有るのかだが
備同士の間隔が250m程度ならこうした事を受ける危険は有るのかだが >【マンガ】中世ヨーロッパで戦う侍...「イサック」に絶賛の声が上がっている
こうした者が現実には何処迄居たのかだが
キリスト教徒なら或いは
欧を目指す者が居た可能性は有るのかどうかだが
キリスト教徒では無いが其の者の部下や友人等が
一緒に相当数付いていく可能性も有るのかだが
日本のキリスト教徒は新教側なのかだが
旧教側でも英やオランダの傭兵をしていれば
新教側に成ると言う可能性も有るのかだが >>542
>800名の備も有ると言うから
>此れは簡単に壊滅はせぬ可能性も有るのかだが
コムラーデに対しては指揮官を執拗に狙撃し続け
雑兵物語に有る様な近距離の射撃も行い
馬を長巻や刀で狙い
装甲の無い足を斬ると言う様な事を繰り返せば
損害は可成り与えられる可能性も有るのかだが >>542
ワーテルローでイギリス軍の方陣が持ち堪えたのは、イギリス軍騎兵の半数近くを投入したカウターチャージによる面が大きいみたいですよ
地味な面では、方陣内に退避せず持ち場で射撃を続けた一部の砲兵達とか
方陣だけでは持ち堪える事が出来ず、隊形が崩壊した戦例も多く有りますので
アウステルリッツでのフランス軍戦列歩兵第4連隊第1大隊とか >>543
武士も300名以上の備単位で
30年戦争時の欧に移動する等と言うのは有るのかだが
竹弓・竹矢や瞬発式火縄銃の部品は補充出来るのかだが
前者は困難と言う事なのかだが
英ではロングボウ
大陸では東欧的な弓が手に入る可能性は有るのかだが
後者は矢に合わせて大型化する可能性も有るのかだが
甲冑は消耗した物から順次板金鎧に交換される可能性も有るだろうが
注文者の要求で日本的要素が残される可能性は有るのかだが
漆は使えない訳だろうが
漆で無く共
黒・金・赤・茶等の色は西欧甲冑にも有るだろうか >>545
東国の騎馬武者なら少なく共
コムラーデが崩れたと見たら乗馬突撃をやる可能性も
雑兵物語の様に有るかも知れぬが
西国では無いと言う事なのかだが
連隊砲の様な物は備には無いだろうが
近距離で抱え大筒等から
散弾(千人殺し)を放つ事も有る可能性は有るのかだが
果たして何処迄使われたのかだが
通常の弾では10匁士筒でさえ正面から馬を多数貫く等は
困難かも知れぬが
大友軍がフランキ砲から散弾を放った例も有るが
移動力は何処迄有るのかだが
此れ以上の筒ではどうなのかだが
地雷の使用も泗川の戦いの島津軍では有ったが
野戦で何処迄使われるのかだが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%97%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>義弘は大量の鉄砲を使用したり、地雷を埋めるなどして対抗した。
>また、鉄片や鉄釘を砲弾の代わりに装填した大砲も使用した。
こうした鉄片を詰めた大砲は関ヶ原や大阪の陣の野戦では
使用されたのかどうかだが
地雷と言うのは
http://blog.canpan.info/fukiura/archive/2073
>地雷について日本の資料では、
1712年(6代将軍家宣(いえのぶ)の没年)ころ、
寺島良安によって刊行された『和漢三才図会』の記述が
最も古いのです。
この本には、竹筒の中に銅線を通し、土中に埋め、
「賊」が踏めば、
「鉄塊如飛蝗着人即死(鉄の塊りがイナゴのように飛んで人に付着し、死に至らしめる)」との記述があります。
上の様な物で
時限式の物では無いと言う可能性も有るのかだが
此れの埋設は野戦陣地を作る程時間は掛からぬかも知れぬが
移動力の低い大型砲も含め
https://i.imgur.com/Ysc51Mj.gif
基本的に移動しない上の赤色の本陣備周囲を防衛するのに
使える可能性も有るのかだが https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1063862235
>埋没式は
箱の中にあらかじめ割ってある竹を仕込ませておきます
で
その割った竹の中に点火した火縄を入れておくのです
(割った竹で包んで火薬に点火しないようにしておくのです)
箱の上の板を踏むと中の竹が別れて火縄が火薬に落ちる…
という仕組みのようです
ただ
これは火縄の長さで「効果を発揮する時間が限られる」ので
事前に来襲が予測される場合以外では使えないでしょうし
上の様な地雷も有るのかも知れぬが
火縄はどの程度保つのかだが
https://www.iganinja.jp/old/japanese/godou/kusuri/kagak/f_raita-.html
胴火なら12時間保つと言うが
地雷用の火種はどうなのかだが >>547
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#.E8.8B.B1.E8.98.AD.E9.80.A3.E5.90.88.E8.BB.8D
>ワーテルローの戦いに参加した68,000人の彼の軍隊は歩兵50,000、騎兵12,000、砲兵6,000、砲156門で構成されていた[2]。
ワーテルローの英の騎兵は12000も居るし
仏の騎兵は15000だろうが馬は小型化していたと言う意見も有るが
他国の騎兵も此れ以前の消耗戦で小型化していたと言う説も有るが
仏の騎兵程なのかだが
備の背後等を攻撃する200騎のコムラーデ小単位に対し
1つの備の30−80騎の東国の騎馬武者が乗馬突撃するとしても
何処迄打撃を与えられるのかだが
敵が崩れていなれば突撃はしないと言う事だったかも知れぬが
周辺の備の東国の騎馬武者も自らの備にコムラーデが
突撃していなければ
同時に突撃する可能性も有るのかだが
この様な状況でもコムラーデの予備兵力が
自らの備に突撃する危険を考慮したら
突撃はしない可能性も有るのかだが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99
354人の備では戦闘員は170名と
コムラーデ小単位の200名より少ないし
100名以上の武家奉公人は刀は持つが攻撃力は何処迄有るのかだが
800名の備でも戦闘員は半数程度の可能性も有るのかだが 300名で戦闘員が150名程度しか居ない様な備なら
四方から800名のコムラーデに同時に突撃されれば
短時間に壊滅する可能性も高いのかだが
周囲の備からの銃撃や場合に依っては挟撃も有り得るのかだが
こうした事を排除する為に周囲の備にも背後等に
コムラーデ小単位を突撃させる可能性も有るのかだが
歩兵と連携してもパンセルニを本陣備から遠ざけられたり
砲兵がやられるのを阻止出来るのかだが >>543
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14127008564
>夫の死後、再婚した相手と遺産相続で裁判沙汰となり、オランダ本国までいって裁判するなどしている
オランダ本国迄行った混血人等も居るが
武士が30年戦争に参加した可能性は
混血人でさえ有るのかだが
西欧の火縄銃のストックは
甲冑を装備すると使用出来ないと言う意見も有るが
http://www.alamy.com/stock-photo-military-landsknechts-arquebusiers-on-the-march-woodcut-by-hans-burgkmair-28127696.html
http://www.alamy.com/stock-photo-military-landsknechts-riflemen-with-arquebuses-woodcut-16th-century-28825741.html
ランツクネヒトの甲冑装備の銃兵がストック付きの銃を持つ絵も有るし
此れは間違いなのかだが
テルシオで銃兵の甲冑が廃れたのはスペインが出した大型マスケット銃が
防げない故なのかだが
パイク兵の鎧は槍対策であり
銃に対抗する為の物では無い訳だろうか https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/20907.html
>また、日本の火縄銃の特徴としては「肩当てが無い」。
そのため右利きであれば左腕のみで支えなければならないのだが、これにより仰角が取りやすくなっている。
これは引き金を引く右腕が弓を引き絞った時の「会」に似ており、弓での修練をそのまま鉄砲に活かす目的があったとされる。
山岳戦や攻城戦では上に撃ち易いと言うのは
有用なのかだが
主力の2匁クラス筒ならストックが無く共
反動は問題とは成らぬ可能性も有るのかだが
大型銃ではどうなのかだが http://www.moae.jp/comic/issak
傭兵イサックの序盤試し読みが有るが
30年戦争時のハルバードの柄は補強されていない例も有るかも知れぬが
通常の刀で片手で斬れる物なのかだが
30年戦争時では
ハルバードでは無くスポントゥーンを使う例も多い様に見えるが
日本兵が30年戦争時の欧に行くとしても
騎兵戦をするならピストルの防弾を考慮して
兜鉢や胸甲は西欧製等の厚い物に
早期に変わる可能性も有るのかだが
西国の武者ならこうした事は無い可能性も有るのかだが
敵騎兵の追撃戦を考慮するなら
乗馬追撃時だけ仕寄具足の様な追加の胴や兜の装甲を
装備する可能性も有るのかだが http://www.moae.jp/comic/issak
1620年の西欧の戦闘としては妙に弓が多いが
17世紀初頭迄英ならロングボウは有ると言うが
大陸では東欧系の軽騎兵の弓が多用された可能性は有るのかだが
スペイン軍ではどうなのかだが
銃砲を多数装備するイタリア式城塞に
攻城塔は使用されたのかだが
350歩=630mでは分厚い指揮官用の3/4鎧の胸甲は
10匁狭間筒でさえ貫けるのかだろうし
20匁でさえどうなのかだが
現実には装甲の薄い肩や足
或いは露出しているなら頭部を狙う以外困難と言う事なのかだが 関ヶ原の腰筒での指揮官狙撃は兎も角
超遠距離からの火縄銃での指揮官狙撃成功と言うのは
現実には無いと言う意見も有るが
主力の2匁クラス筒では遠距離から胸甲や兜は貫けないと言う事も
有るのかも知れぬが
負傷者なら可成りの数居る可能性も有るのかだが >>556
肩や腿の面積や幅も然程大きくは無いだろうし
大口径の銃で其処を狙うより
高精度の小口径の銃で指揮時には露出しているかも知れぬ
顔を狙う方が命中率は高いかも知れぬし
バイザーが閉じていればブーツでも狙う方が未だましなのかだが >>558
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561839527/
短時間しか狙撃する時間が無いなら上の様な弾が同時に3発出る様な物を
頭部狙撃等に使う方向も有るだろうが
3発の弾は何処迄真っ直ぐ飛ぶのかだが
重量が重ければ使い難いかも知れぬし
通常の火縄銃を短時間で多数渡した方が良い可能性も有るのかだが イサックの鎧の胸部の構造は見ないが
https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/rekihaku-meet/seminar/bugu-kacchuu/kc_collection3.html
上の脇坂安元の鎧かもしれぬ物の胸部に
似た様なディテールが有るが
(此れは確か心臓を守る為の追加の鉄小札だろうか)
此れは17世紀の鎧と言うが
胸部を守る為の小札等は偉い人間用の物の可能性も有るのかだが
此れは西欧甲冑では無く明等の鎧の胸部に有る
護身鏡等を参考としたのかだが イサックの籠手も前部にのみ鉄が有る訳では無く
大袖との干渉を嫌って上部が(布の下に板金・鎖を仕込んだ)
産籠手と成っている物も
平治物語絵巻には有ると言う意見も有るから
此れに似た物の可能性も有るのかだが
戦国期の籠手ではこうした物は今の所見ないが
何処かに有ったかも知れぬが 日本の武将の場合指揮中にも
甲冑面を装備している可能性も有るかも知れぬし
超遠距離では頭部狙撃より肩や脚を狙撃した方が
良いと言う可能性も有るのかだが https://twitter.com/goshuinchou/status/701409842464845824
50匁の上の慶長大火縄銃でさえ
3/4鎧の胸甲正面は630mでは貫通出来ぬ可能性も有るのかだが
此れは130kgも有るから対人狙撃等は何処迄出来るのかだが
http://itworks.lolipop.jp/MyBlog/seventies/pgHinawa.php
>天守閣の展示物の中に大火縄銃が一挺あった。
銘:「大てんぐ」泉州堺の榎並屋勘左衛門作、全長206.6cm。十匁二分。
この銃は、大火縄銃としては、口径が多少小さいが、銃身は十分長く、
発射角を調整するための照準器(矢倉)をはめる溝や、「目当て」がついていた、
この程度の物で装甲の無い頭や脚を狙うと言う様な
方向しか無いのかだが
口径が余り小さいと風の影響を受けるかも知れぬし
2匁等では630m先の頭部等を狙撃出来るのかだが
イサックのアンブロジオ・スピノラは
脛にも装甲は有り馬鎧迄有るが
17世紀制作のそうした物は確かに残っては居るが
実戦使用はされたのかだが http://itworks.lolipop.jp/MyBlog/seventies/pgHinawa.php
>『慶長大鉄砲』は、平成8年、銃身だけが関が原の民家で発見され、高木昭郎・竹中博男・澤田平の三氏が復元したもの。
慶長初年、堺の芝辻理右衛門作、銃身:全長2.5m、30匁(口径27mm)、重量30kg、弾は3km飛ぶとされている。
此れは関ヶ原で使われた火縄銃では最大の物なのかだが
30kg有るが対人狙撃は何処迄出来るのかだが
>慶長5年(西暦1600年)の関が原の戦いでは、西軍の将石田三成は、笹尾山に陣を構え、大筒、大砲を備え、空堀と木柵で守を固めた。
石田隊の武将島左近が前衛を指揮し、黒田長政隊、細川忠興隊を相手に善戦していた。
石田隊は、その島左近を黒田隊の鉄砲で狙撃され失った後も、大筒、大砲を用いての戦いを続けていた。
東軍の総大将徳川家康は、西軍の小早川秀秋が松尾山(海抜300m)に陣して、寝返りの行動を起こず、形勢を窺っていたので、
秀秋の尻を押すために下からの射撃を命じた。
下からの射撃で、秀秋軍15,000は松尾山を駆け下り、互角に戦っていた西軍を一挙に壊滅することとなった。
澤田さんの話では、射程距離の長いこの『慶長大鉄砲』がこの射撃に用いられたのないかということである。
島左近は狙撃された訳では無く
突撃時に撃たれたと言う意見も有るがどうなのかだが
上の銃が小早川秀秋を突撃させる為に撃たれたと言う意見も有るが
銃撃は無かったと言う意見も有るだろうか http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245948808/
>常山紀談ではあるけど、加藤清正は騎馬武者に50cmほどの馬上筒を持たせ、 馬上で発泡してから槍を入れたとあるね
常山紀談は資料価値は低いのかだが
槍と馬上筒は同時に装備していたと言う解釈なのかだが http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/jozan-syui2.html … >常山紀談拾遺 ◯同家騎馬武者馬上鉄砲の事
>同家にて大小身ともに騎馬は一尺三寸、或は一尺五寸の鉄砲を馬上に持ち、陣前にて打放し鑓を初るとなり。
>清正家中の老人後に咄せしは、馬上に火縄何とも難レ持者なり、といへり。
常山紀談拾遺を見る限り
清正の騎馬武者は馬上で全長最大45cmの馬上筒を
使用していたと言う事なのかだが
45cmと言うのは銃身の長さの可能性は無いのかだが
清正等の西国の騎馬武者が馬上筒を装備していたとしても
此れは追撃・逃走時の使用のみと言う事なのかだが
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/
>安土桃山〜江戸前期の軍役状で見ると、騎馬武者の鉄砲装備率は結構高い。 文禄の役の加藤清正隊は、騎馬のほぼ100%が鉄砲を装備しているし、
江戸期になると騎馬武者の二人に一人くらいは鉄砲を持っている。
とは言え此れの大半は
下馬時に使用する長い筒と言う事なのかだが https://blogs.yahoo.co.jp/japaneseweapons/52610691.html
清正の軍の全長45cmの馬上筒と言うのは上の様な物なのかだが
口径は2匁クラスは有る可能性も有るのかだが
http://www.xn--u9j370humdba539qcybpym.jp/part1/archives/17
>五匁馬上筒
馬上筒にはこの寸法が多く、約4割近くが五匁(口径14・8mm)くらいである。全長は60cm弱、銃身長36cmくら いのものであるが、その形状は様々で2挺以上同じものを見ることはまれである
上の様な標準サイズの物よりは小さいのかだが 清正の45cmの馬上筒と言うのは片手で放てる物では
最大サイズの可能性も有るのかだが
雑兵物語等に有る馬に付ける
ホルスターに入れる事も考えている可能性も有るのかだが
http://blog.goo.ne.jp/cyrilsnow34/e/31c6e37d5a31b4d21ab32521792f177e
>長筒用の50m公式標的に、公式戦と同じ13発を撃ち込んでみます。
これが結果。再使用した練習標的なのでちょっと分かりにくいかもしれませんが、13発中、10発が直径40cmの黒点に入っていました。点数的には75点なので、公式戦で長筒と一緒に勝負しても入賞は夢じゃありません。
両手撃ちよりはるかに高得点!やはり短筒は片手で撃つのに適した銃ということなのですね。
片手用でもそう精度は
地上からの射撃では低くは無いのかだが
走行中の馬上でも立透かしを使う等すれば
50mで馬に当てる程度は出来るのかだが http://www.sanken-intl.co.jp/arcive_sanada/contents/column/hinawa/teppo_tai.html
>また、町打(ちょううち)という100mをこえる遠距離射撃も行われたそうで、3町(327m)の距離から3尺(90cm)の的を打って競ったというのには驚かされる。
また細川家の家臣松野亀右衛門という名手は、島原の乱で原城を攻撃する際、5町(545m)先の敵を打って外さなかったそうである。
米独立戦争後のライフル銃普及前迄なら
松野亀右衛門或いは
種子島久時等も
世界最高クラスのスナイパーと言う事なのかだが
弓では矢を見られる等して回避される事も有るだろうが
銃では困難な訳だろうか detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1136374511
>又、欧州のものは底が塞がり、弾丸は別に装填したのに 対して、
日本のものは底に孔があいていて、弾丸は和紙に
包みのりで底を塞いでいたので 更に使い易かったそうです。
欧の早合にも弾が入る例も有ったかも知れぬが
果たしてどうだろうか https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA
日本の場合は1569年の
多々良浜の戦いの立花道雪軍で早合が初使用されているのかだが
1570年の姉川合戦では未だ此れの使用は無いと言う事なのかだが
>18日に発生した最大の合戦では道雪自ら陣頭に立って先に鉄砲800挺を2隊に分けられ、自分が発案した「早込」(「早合」ともいう。
1発分の火薬を詰めた竹筒の束を鉄砲隊の肩にかけさせる工夫)を用いて二段射撃して後は槍隊を繰り出して突進、
続いて自分が率いて騎馬隊は馬を乗出し敵の中へ縦横に突て廻りける「長尾懸かり」というかけ合い戦法で毛利方の主力である小早川勢を撃破したが、
銃800を用いての二段撃ちが1569年時点で有ったのかだが
西国でもこうした乗馬突撃が同時期の西欧に僅かに残る槍騎兵の影響か
少なく共一部では行われていたのかだが
退路を絶たれた鉄砲足軽等が
最後に敵を一人でも多く屠る為に
自らの火薬入れに点火自爆と言う様なパターンも漫画では有るだろうが
現実にこうした事は行われたのかだが このスレも便所の落書きになってしまった
むやみに荒らしに構うから… まぁ、でもリンク先は面白い所が多いよ
いっそ別の話題を振ってみては?
戦国日本、ポーランド、武器の性能以外は興味無いみたいだから、それら以外の話題を >>573
1569年ではマウリッツのカウンターマーチ
(此れは1594年成立の様だが)も無いだろうが
立花道雪の二段撃ちも
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD
>1558年に刊行された著書『軍事問題に関する提言(ポーランド語版)』の中でタルノフスキは横列射撃(カウンターマーチ)に触れている。これは複数の列が前後に整列し、
前列が立ち上がり射撃を終えると姿勢を低くして弾を装填する間に後列が立ち上がり射撃を行い姿勢を低くして次の弾を装填、これを繰り返す。
著書では二列の隊形で説明しているが、特に二列を守れとは限定していない。説明からは各列は前進や後退をせず固定的で交代で直立と低姿勢を繰り返すと読み取れる。
タルノフスキはこの戦術の訓練の必要性を力説している。しかしこの記述は驚くべきことであると言わざるを得ない。というのも従来の歴史学では、
横列射撃の戦術をヨーロッパで最初に考案したのはオランダのナッサウ=ディレンブルク伯ヴィルヘルム・ルートヴィヒ(英語版)とオラニエ公マウリッツでそれは1594年だったというのが「定説」だったからである。
タルノフスキの考案はそれよりも40年近く遡ることになる。
上のタルノフスキが1558年迄に考案した
基本二列の二段撃ちを模した可能性も有るのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83#/media/File:Ming_musketeers.jpg
上の様な日本から明に伝わった可能性の有る三段撃ちも
マウリッツが1594年に考案する前に
日本が考えていた可能性も高いのかだが >>575
某研に反応される為に話題を振りたい人なんて数人だろ
もはや某研と戯れるスレ以上でも以下でもないよ
諦めな https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13167853313
>1574年に武田信玄が落とせなかった高天神城を勝頼が攻めます。
高天神城も堅城として名高く武田軍も苦戦しますが、狙撃によって戦局を打開します。
櫓に登って指揮を執っていた本間氏清を、日光が反射して輝く兜を目印として、穴山信君隊の鉄砲が狙撃し討ち取ります。
さらに代わって指揮を執り出した丸尾義清を再び狙撃して討ち取ります。
狙撃された彼等はやられる危険は
何処迄承知していたのかどうかだが https://rekijin.com/?p=15550
>弥七郎は走りつつ追いすがってきた一巴に向かい、振り向きざまに神速の矢を射込みます。
しかし、一巴も鉄砲に二つ玉(文字通り弾丸を二つ装填すること。確実に相手を仕留めたい時に推奨された方法。
信長が杉谷善住坊に狙撃された時にも使われた)を装填し終わっていて、弥七郎が振り向くと同時に引き金を引きました。
2つ玉と言うのは精度はどうなのかだが
射程距離は可成り短縮すると言う可能性も有るのかだが
弓は矢を見て回避される例も
遠距離なら多いかも知れぬが
銃は無理である訳だろうか
貫通力の差も有る訳だろうか
回避出来ず貫通力の有る近距離から
連射するなら弓の方が向いていると言う事なのかだが
密集隊形の軽装兵なら遠距離からでも打撃は与えられる訳だろうか http://paomaru.dousetsu.com/file/09_hinawa_004.html
中央日本周辺: 長さ→130cm前後 重量→2〜5kg 口径→2〜4匁
瀬戸内海付近: 長さ→140cm前後 重量→2〜6kg 口径→2〜3匁
九州地方付近: 長さ→100cm前後 重量→4〜6kg 口径→5〜6匁
東北地方付近: 長さ→110cm前後 重量→4〜10kg 口径→5〜10匁
>船での戦いでは、相手は基本的に遠くにいます。遠くの敵を狙うのに必要な銃の条件は、長い銃身と小さな口径です。銃身が長ければ、火薬のエネルギーを効率よく使えます。口径が小さければ、弾丸が軽いので弾は遠くまで届きます。
此れは船の装甲を貫く事は考慮していないと言う事なのかだが
装甲は無く火矢を防ぐ為の幕を張っただけの
小型船も多かった訳だろうか
>意外なことに、この特徴が一番際立っているのが雑賀集のいる紀州のあたりです。雑賀の銃は他のものと比べても長く、細く、軽くが徹底しています。よほど遠距離からの狙撃を好んだのでしょう。
此れは脚等の装甲の薄い部分を高精度の銃で
狙撃していた故と言う可能性も有るのかだが
精度の低い大口径の銃で装甲を貫通するより効率的な可能性も有るのかだが
>九州と比べると、東北の銃はやや長く、重いです。そして、何よりも口径が大きい。東北は妙に大口径の銃が目立つ地域です。中でも、上杉家は比較的十匁筒を好んでいた様子です。馬上筒が好きな伊達は、五匁馬上筒がよく見られる様子がうかがえます。
乗馬戦闘をする関東・東国の騎馬武者は重装甲で
草摺・佩楯迄板金の例も有るから
大型銃で無いと遠距離では脚さえ貫通出来ないと言う故なのかだが
細筒で遠距離から馬を狙撃すると言う方向も有るだろうが
遠距離からの乗馬突撃は基本的に無い訳だろうし
乗馬突撃は敵が崩れた後だっただろうが
遠距離での射撃戦で敵が崩れたと判断したら早期に
乗馬突撃した可能性も有るのかだが
こうした段階では遠距離での狙撃も出来ぬ程
自部隊は混乱しているのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:77bfa3ad753b2994479210bef5c6504a) http://photozou.jp/photo/show/1849954/242031814
本多富正の大阪の陣前に有る具足の草摺には弾痕が有るが
此れは遠距離からの2匁クラス筒が命中した物なのかだが
革の草摺や佩楯なら貫通していた可能性も有るのかだが 傭兵イサックに騎兵の人を側面から
500歩(900m)で狙撃する場面も有るが
騎兵の人は兎も角馬なら馬の胴の前の方を狙えば
馬が前進しても命中する可能性は高く成るのかだが
現実的に当てられるのかだが イサックのスペイン軍槍騎兵には
ピストルが無いが
16世紀の槍騎兵には無いだろうが
https://www.pinterest.jp/pin/719379740448015749/
1620年段階では上の様に有ると言う事なのかだが
居たとしても極小数であり
ピストル騎兵や歩兵が敵ピストル騎兵やパイク兵を混乱させた後で
突撃しているのかだが イサックも槍を槍騎兵の馬に投げて倒していたが
戦国期だと犬槍と言う槍を投げる例も有る様だから
イサックも槍を投げられる可能性も有るだろうが
果たして何処迄投げていたのかだが
長柄槍等は投げたのかだが
現実には槍を投げる素振りを見せたら槍騎兵もピストルを使用して
攻撃して来る可能性も高いのかだが 給与が即座には払われない傭兵が
城を去る場面もイサックには有るが
留まれば食料や武器弾薬は供給されると言う事かも知れぬし
他に職も無く食料さえ得られない様な状況なら
給与等無く共留まる者も現実には多かったと言う事は無いのかだが
(戦闘開始迄留まって開始直前等に逃亡する
或いは戦況不利なら途中で裏切ると言う様なパターンも有るのかだが) 偵察に出たイサック等がスペイン槍騎兵に奇襲される場面も
現実には音の出る甲冑を外して下馬した
ピストル騎兵や槍騎兵に
ピストルで近距離から狙撃されるか
乗馬銃兵に中距離から奇襲されて
やられる危険が高いのかだが https://www.pinterest.se/pin/405464772687871730/
イサックに出て来た様な上部のみ産篭手と成っている篭手も
現実に有るが
戦国期には果たして有るのかだが
産篭手も枝等への引っ掛かりを防止するのには有用と言う事だったかも知れぬが
下部だけそうでは無いのはデザイン以外の意味は有るのかだが 2ch→5ch騒動
このスレも移転を検討すべきかも
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1490505654/712
>>589
某研究者どの
「sc」か、「おーぷん」か、
別の所に移転された方がよさそうですよ >>590
SCには此処と同じ書き込みが有るから
こちらの方が良いのかだが
情勢が固まる迄は
対応が面倒なのでこちらで書くと言う事にしたいが >>587
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/4039/youhei.html
> 3 共同体としてのランツクネヒト
ランツクネヒトは通例500人(初期は400人)から成る中隊でまとめられた。 これが十個集まって連隊となる。もちろんこの人数は戦闘要員の数であり、非戦闘要員は含まれていない。
だがこの非戦闘要員こそがランツクネヒトの栄光を支えていた縁の下の力持ちなのだ。
非戦闘要員のほとんどを占めるのが女子供−娼婦と輜重の少年−である。
まず娼婦であるが、まあこれは古今東西の軍隊にはつきもので、兵士の士気を保つためにも駐屯地の治安維持のためにも「必要悪」であった。
実際に遠征に娼婦を伴うという制度はごく最近の軍隊でもあったし、現在でも軍隊の駐屯地付近には必ず色街はあるものである。
またローマ帝国の崩壊から現代までのヨーロッパというのはいわば戦国時代みたいなもので、常にどこかで戦争があり、多くの一般庶民が戦災に遭って路頭に迷っていた。その状況で男たちは生きていくために傭兵になり、
女たちは生きていくために娼婦になった。どちらも身体ひとつを元手にやれる商売であったし、特にキリスト教の教理で酷く蔑まれた女が中世、近世のヨーロッパでできる商売はこれしかなかったのである。
もっともランツクネヒトの場合は家族ぐるみで入隊する場合も少なからずあったので、それを職業にする女性以外にまっとうな妻(変な言葉だが)も居たが、どちらにしても彼女らを待っていたのは、
同時代の大都市の廓で不自由だが絹と白粉に包まれて暮らしている高級娼婦たちなどには想像できないような苛酷な生活であった。
まず炊事、洗濯は当たり前。さらに病人や負傷者の看護、下水道なんて無いからそこら中に男たちが勝手に撒き散らした糞尿の処理、攻城戦で城壁を越えるためのトンネル掘りや行軍をスムーズに行なうための街道の整備、
そして物資運搬用のロバなんて高級なものは持ち合わせていないので、彼女たちは行軍中の荷物運び(最低でも30キログラム以上の荷物を背負っていたらしい)までやらされた。
もちろん戦闘が始まれば彼女らも命の保証は無く、もし運悪く味方が負ければ敵に囚われて遊び半分で凌辱されて、なぶり殺しという運命が待っていたのである。 >>592
それは輜重の少年たちにも言えることで、彼らはランツクネヒトの共同体の最下層の身分であるために散々にこき使われた。彼らの最も重要な仕事は荷物運びよりも民家や畑に忍び込んで鶏や作物を盗むことで、
捕まれば農民たちに八つ裂きにされ、何も盗ってこれなければランツクネヒトたちに半殺しにされた。
しかしそれほどの酷い仕打ちを受けても女たちや少年たちはランツクネヒトの共同体を離れなかった。いや、離れることができなかった。この時代、老若男女を問わず学も無く、
技術も無く、金も無い人間が自立して生きていくなど夢物語であり、傭兵たちにしても女たちや少年たちにしてもこの共同体から離れれば、のたれ死にするしかなかったのである。
矢張り傭兵の従者或いは傭兵も
給料が即座に払われないからと言って止められる様な物では
無いと言う事かも知れぬし
食事が得られるだけましと言う事なのかだが
30年戦争時でも同様と言う事かも知れぬが
ベルセルクでも輜重隊の少年の略奪等は
今の所書かれていないし
ファンタジー的な展開と成って来たから
こうした事が書かれる可能性は有るのかだが
過去のエピソードが出て来る場合も有るから
此処で書かれる可能性も有るのかだが >>592
>攻城戦で城壁を越えるためのトンネル掘りや行軍をスムーズに行なうための街道の整備、
そして物資運搬用のロバなんて高級なものは持ち合わせていないので、彼女たちは行軍中の荷物運び(最低でも30キログラム以上の荷物を背負っていたらしい)までやらされた。
女がトンネル迄掘っていたのかだが
16世紀の西欧の場合馬で軍事物資を運んでいるイメージが有るが
全てでは無いと言う事なのかだが https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%B7%9E%E5%BE%81%E4%BC%90#.E5.8D.83.E7.9F.B3.E5.A0.80.E5.9F.8E.E6.94.BB.E9.98.B2.E6.88.A6
>千石堀城攻防戦
この時、筒井勢のうち中坊秀行と伊賀衆が搦手に迂回して城に接近し、城内へ火矢を射込んだ。
この火矢が城内の煙硝蔵に引火爆発したため城は炎上、これが致命傷となり落城した。城内の人間は焼け死に、討って出た城兵はことごとく戦死した。
この火矢は意図的に撃ち込まれたのかだが
雑賀衆も銃を重視する余り火矢での攻撃と言うのを
考慮していなかった可能性も有るのかだが
この時点では雑賀衆も弓はそれなりに
使用していたと言う事は無いのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%97%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
泗川の戦いでもこうした弾薬庫の爆発が起きているが
火矢や砲で意図的に狙撃した可能性は有るのかだが
忍者が城に火を放って落城させたと言う記録も多いが
火薬庫を爆発させた例は有るのかだが http://ncode.syosetu.com/n3067g/58/
>戦国期の島津兵の剽悍さの理由として、江戸期末期の薩摩藩の軍学者徳田邕興は、鉄砲の活用をあげている。すなわち島津家中において、諸郷に属する衆中といわれる武士達は、
一人残らず五、六匆玉の鉄砲を携帯し、郎党には弓矢・太刀を持たせて、主人の死角にあたる右脇を固めさせたというのである。
そして実際に開戦となると、武士達が繰り抜きで鉄砲を放つ。それが一段落すると郎党に持たせた武具をもって敵に突撃した。
また島津軍の陣立てが他家と際立っていた点として徳田邕興は、地頭衆中制のもと軍団編成の大部分が、専業武士によって構成されていたことをあげている。
すなわち他家に比較して、専業武士の比率が極めて高かったことが、島津軍の強さの秘密であったというのである。
島津軍も騎馬武者の比率が多いのかだろうし
銃の精度の高い徒武者が多いと言う事なのかだが 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3) http://www.choshuya.co.jp/sale/new_tousougu/d/d005/index.htm
室町期の馬上筒の目貫迄有るのかだが
馬上筒が重視されていた故と言う訳では無く
通常の火縄銃を短くデフォルメしたと言う可能性も有るのかだが 日本に伝来した火縄銃と三十年戦争のマスケットじゃ80年ぐらい開きがあるからなぁ
口径も運用も各大名単位でバラバラだし、単純な火力の投射量じゃボロ負けじゃないかね >>599
例えば、三十年戦争のネーデルラント軍で見ると、
口径:前期は19,7mm後期は18,7-8mmでだいたい統一 戦争以前は21,6mmが主流なので時代が下るにつれて軽量化されてる
重量:16世紀だと約7,5kgが標準的だったが、改革以降は約4,5-5,0kg(所謂"ハーフ・マスケット"と呼ばれたやつ)にまで軽量化
射程:条件にもよるが、戦場ではだいたい230mが有効射程 火縄銃は200m前後と言われるので大差ない
運用:訓練を受けた正規の軍隊は7列を基本としたカウンターマーチ(反転行進射撃)での射撃戦が原則 日本の合戦絵図を見ても2段以上の縦深はとられて無さそうだから、投射の密度は単純に考えて3倍以上
編成:銃兵6-8割、他が騎兵と長槍兵。 関ケ原では火縄銃の装備率1割程度だから、軍構成の考え方が根底から違う 日本の編成は槍兵を中核とした白兵重視のもの
知り合いからの受け売りだからあまり詳しいことはわからんが、日本の銃兵の構成は相対的に前時代的なんじゃないかなー、と俺は思う >>600
忘れてた、日本の火縄銃との比較
口径:バラバラ そもそも兵ごとに装備してる銃が違うから当たり前だけど、11mm(二匁半)から18,5mm(十匁)がその範囲 もちろん射程も威力も隊によって違ってくる
重量:歩兵用の銃としては2s-10kgが一般的 二匁半の短銃身の小筒なら1sに満たないものもあるが、だいたい4-7kgぐらい
まあ、まともに比較できるような資料じゃない。 どこの誰と比べるかで結果に大きく差が出るから、実際の運用で比べるべきだね 西欧の緩発式火縄銃は75m以遠の射撃を禁止されていると言う記述も有るし
日本の瞬発式火縄銃は300m超も有るだろうが
上手い者限定かも知れぬが
銃を多数渡しての連射も有ると言う事かも知れぬが
火縄銃と同数程度は有る弓も緩発式火縄銃より射程は長く
発射速度は2−3倍は有ると言う事だろうか
弾の統一性も
島津軍は6匁の腰筒を大量に装備していたと言うが
此れは6匁で統一されている可能性も有るだろうし
鉄砲足軽は3匁の筒を大量に装備していたかも知れぬが
此れは6匁・3匁クラスの筒と言う意味なのかだが
西欧軍も又杖を使用する大型マスケット銃と
小型のアルケブスとでは
確か口径は違うと言う事だろうが
この2種では口径は完全に統一されていると言う事なのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA
テルシオ1部隊は、A中隊10個、B中隊2個の12個中隊で構成された(兵300名の場合は、A中隊8個、B中隊2個の10個中隊)。
総数は3,000名となり、その内訳は、士官と事務員132名、パイク兵1080名、コルスレット1110名、アルケブス銃兵448名、マスケット銃兵230名である。
テルシオの正面に配置される
大型のマスケット銃はアルケブスの半分程度は有るが
此れの発射速度はどうなのかだが >口径:前期は19,7mm後期は18,7-8mmでだいたい統一 戦争以前は21,6mmが主流なので時代が下るにつれて軽量化されてる
>重量:16世紀だと約7,5kgが標準的だったが、改革以降は約4,5-5,0kg(所謂"ハーフ・マスケット"と呼ばれたやつ)にまで軽量化
こうした口径の移行期に弾種が増えていた可能性と言うのも有るのかだが
>射程:条件にもよるが、戦場ではだいたい230mが有効射程 火縄銃は200m前後と言われるので大差ない
雑兵物語だと銃は距離1町(109m)毎に射撃位置を指定していたと言うから
射撃開始は2町(218m)と言う事は無いかも知れぬし
弓の場合400−500mから射撃を開始している例が多いと言うから
少なく共銃の上手い者は同程度の距離以上から
銃を渡す等して連続射撃していた可能性も有るのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9#cite_note-487
>朝鮮の同時代史料である懲録には「弓矢の技は百歩に過ぎないが、鳥銃はよく数百歩に及び、(中略)とても対抗できない」(東洋文庫版283頁)とある。
数百歩は200歩(240m)では無く
此れ以上の距離と言う可能性も高いのかだが
300歩(360m)等では上手い者に銃を渡しての連続射撃が基本かも知れぬが
この距離では弓に比べ制圧力は有ったのかだが
テルシオの様な密集隊形は兎も角
散開している兵への命中は弓の曲射では
360mでは余り期待出来ないのかだが >運用:訓練を受けた正規の軍隊は7列を基本としたカウンターマーチ(反転行進射撃)での射撃戦が原則
日本の合戦絵図を見ても2段以上の縦深はとられて無さそうだから、投射の密度は単純に考えて3倍以上
精度の高い多段射撃が出来るなら
フサリアが縦に重なって散開した突撃体勢を取ろうと
前の兵から連続で倒して阻止出来る筈だろうが
現実にはスウェーデンもフサリアにやられている訳だろうが
一点に騎兵を集中して装填中に撃破したと言う事なのかだが
http://daimyoshibo.la.coocan.jp/mil/polish_hussars.html
>その前に、先ほどの例に戻って今一度考えよう。歩兵の射撃はどれだけの損害をフサリアに与えるであろうか? 射撃によってフサリアを止めることはできるだろうか?
答えはノーである。数値を見れば、それは明らかである。
当時のマスケット銃の最大射程は250mから300mであった。マスケットの一世代前の銃、アーケバスならば最大射程はたったの150から200mであった。
しかも、その距離の射撃では単に火薬が無駄になるだけだったろう。当時の火器の精度は非常に低かったのだ。19世紀のシャルンホルストの研究においてでさえ、射程300mの対騎兵射撃の命中率は、1000発に対して65発にすぎない。
この研究は火打石銃について行われたものであるが、火縄銃についても同様の数値が得られるであろう。この二つは発火の方式が違うだけで、銃身の構造や弾道の性質に違いはないからだ。
ハンマーの衝撃の強い火打ち石銃より
火縄銃の方が精度は高いかも知れぬが
火打ち石と違い緩発式であると言う事は考慮すべきと言う事なのかだが
銃身の精度も日本の火縄銃より低いと言う事だっただろうか
>当時の教本では、マスケット銃は75mを超える射程では射撃を試みてはならない、と定めていた。そのような短い距離は、フサリアにとってはほんの一瞬の距離である。
此れは果たして事実なのかどうかだが
>射撃を続ける場合には20秒に1回の割で新しい列が現れる。
多段射撃では6秒に一発と言う事だっただろうが
此れでもフサリアは阻止出来なかったと言う事だろうか >日本の合戦絵図を見ても2段以上の縦深はとられて無さそうだから、投射の密度は単純に考えて3倍以上
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E7%B8%84%E9%8A%83#.E5.85.B5.E5.A3.AB.E3.81.AE.E9.85.8D.E7.BD.AE
>中国明末の崇禎11年(1638年)刊行の畢懋康『軍器図説』に収められた「輪流放銃図・輪流進銃図・輪流装銃図」には15人の人物が5人3列に並び、
三段撃ちをしている図が描かれている。16世紀までの明の軍学書に同様の記載が見られないことから、文禄・慶長の役で日本軍と戦った明軍が
日本の火縄銃を大量に鹵獲するとともに投降した日本人(降倭)から運用法を学び、楊応龍の乱平定などの実戦機会を経て、
三段撃ち等の日本式火器使用法を取り入れていったのではないかとの見方もある[24]。
3列での射撃なら慶長期の日本にも有るのかも知れぬが
遠距離では上手い者に銃を大量に渡しての射撃が
基本と言う事では無いのかだが http://www.sanken-intl.co.jp/arcive_sanada/contents/column/hinawa/teppo_tai.html
>また、町打(ちょううち)という100mをこえる遠距離射撃も行われたそうで、3町(327m)の距離から3尺(90cm)の的を打って競ったというのには驚かされる。
とは言えこの距離から90cmの的に当てられる技術が有る兵は
小数と言う事なのかだが
テルシオやオランダ・スウェーデン式大隊の銃兵は
暴発を考慮してやや散開しているかも知れぬし
90cmの幅よりは小さい的を考慮する必要も有るのかだが
弓の曲射も密集した槍兵よりは命中し難いと言う事だろうか https://www.pinterest.co.uk/pin/472948398354589392/
テルシオの銃兵は割に密集しているのかも知れぬが
オランダ・スウェーデン式大隊では
前後の列が入れ替わるから
http://2.bp.blogspot.com/_UqsRf118B2I/SZ0dnXM1nUI/AAAAAAAAD8E/ZSLjEJ_bbsQ/s400/revell+30+years+war.jpg
上の様にテルシオの銃兵程密集していないと言う事なのかだが
カウンターマーチ等の6秒に一発等の
単位を決められた一斉射撃で
300m等の遠距離の照準等がまともに出来る共思えぬ訳だが
日本は基本的に一斉射撃は無いと言う事だろうか https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA#.E3.82.AA.E3.83.A9.E3.83.B3.E3.83.80
>さらにマウリッツは斉射戦術を発展させ、背面行進と呼ばれる戦術を編み出した。まず、前列の兵が斉射する。その後、前列の兵は最後尾に移動して装填を行う。
その間に、後列の兵が進み出て斉射をする。これを繰り返すことによって、理論上は間断なく斉射を行える。
>また、グスタフ・アドルフは背面行進以上に攻撃的な、漸進斉射戦術と呼ばれる戦術を編み出した。まず、前列の兵が斉射する。
その後、前列の兵は最後尾に移動せず、その場で装填を行う。後列の兵は前列の兵の前に進み出て斉射をする。これを繰り返すことによって、敵に接近しながら斉射を加えるのである。
オランダ・スウェーデン式大隊の銃兵も
前列の射撃後に後列は前に出て射撃する必要が有る訳だろうし
連続射撃の間の6秒には前に出る時間も含まれると言う事なら
照準に使える時間は3秒以下かも知れぬし
こんな時間で300m先等をまともに狙えるのかどうかだが http://2.bp.blogspot.com/_UqsRf118B2I/SZ0dnXM1nUI/AAAAAAAAD8E/ZSLjEJ_bbsQ/s400/revell+30+years+war.jpg
上の様な横方向に散開した陣形の場合でも
甲冑を装備していない銃兵の体を火縄銃の弾が抜け
後列の者に迄ダメージを与える可能性も有るのかだが
主力の2匁クラスの筒で300m等ではどうなのかだが
4−6匁程度の長い筒も野戦では使われたのかも知れぬが
数は有るのかどうかだが
10匁以上の狭間筒等で狙撃されれば一気に5名10名等が貫通され
やられる危険も有るのかだが
これも数は無いだろうがイサックの様に上手い者に集中して使わせれば
損害は可成り出る可能性も有るのかだが
彼等は指揮官を狙撃する可能性も高いのかだが
指揮官全滅後はこうした攻撃も有り得るのかだが 上手い人間に多数の銃を渡すと言っても
遠距離狙撃では射撃に10秒は掛かるかも知れぬし
1丁の銃の装填は早合使用では20秒だろうから
3−4丁も有れば十分と言う事なのかだが
大型の銃は早合使用でも20秒よりは
装填速度はやや掛かると言う事なのかだが
6匁長筒なら備1つに4丁等は揃えられるかも知れぬが
10匁長筒はどうなのかだが ヨーロッパ側の資料見ると、狙って撃つことは重要な事じゃない感じなんだよね
この時代の操典は隊形運動と装填の速さばっかり重視で、「どれだけ弾を撃ちこめるか」てことに注力してる
想定してるそもそもの交戦距離が近いから"時間当たりの投射量"を高めようとしてるみたい
それと、スウェーデン陸軍は小銃の軽量化に遅れてたけど、特に戦争前半でそれによる問題が出たりした記録は無さそう ただオランダ軍が導入を薦めてた(自国の兵器を売り込んでた?)という事があったってだけ
フサリア以上の突破力を持つ騎兵集団が他に存在しないから、それ以外の比較はあまりアレだけど、
よっぽど小規模でない限り、小銃の弾幕じゃそもそも騎兵突撃は防げないよ 問題はその先。
フサリアみたいに、「大量の重装騎兵による突破力で敵陣を粉砕する/機動力で蹂躙する」という戦術は日本の武士には見られん(というか大抵の国はできない)ので、「突破して戦果を拡大できるだけの衝撃力があるか?」という疑問が常に出てくる。
敵の統率が崩れてたら衝撃力も相対的に向上するからいける可能性高いけどね 近代のヴィスワ川でも大成功したんだし
それと「銃の上手い者が装填手を使って連続射撃する」ってどこの話? 雑賀の地侍とか一向一揆みたいな非正規の軍隊でしか聞かないんだけど >>611
ライフルマン等のシャープシューターも長距離狙撃が全てでは無かったですしね
当てられる距離まで接近する能力も射撃と同じ位重要
コルベール将軍と副官の狙撃に成功した95ライフル連隊のプランケットも、言われている様な長距離(600ヤード)から狙撃したのでは無く、もっと接近して狙撃したとする話も連隊内に有ります
「コルベール将軍を発見すると、彼は中隊の持ち場を飛び出し、 目標に向かって走りだした」
こう、証言している連隊の兵士が >ヨーロッパ側の資料見ると、狙って撃つことは重要な事じゃない感じなんだよね
テルシオは兎も角オランダ・スウェーデン式大隊の銃兵は
後列の兵が前に移動する関係上割に散開しているだろうから
遠距離で適当に放っても何処迄当たるのかだが
とは言えマスケット銃の威力は10匁狭間筒程度は有るだろうから
75m等で万一命中すれば銃兵には胸甲は基本的に無いから
同時に後列の複数人が貫かれる危険は有ると言う事なのかだが
>フサリア以上の突破力を持つ騎兵集団が他に存在しないから、それ以外の比較はあまりアレだけど、
よっぽど小規模でない限り、小銃の弾幕じゃそもそも騎兵突撃は防げないよ 問題はその先。
フサリアみたいに、「大量の重装騎兵による突破力で敵陣を粉砕する/機動力で蹂躙する」という戦術は日本の武士には見られん(というか大抵の国はできない)ので、「突破して戦果を拡大できるだけの衝撃力があるか?」という疑問が常に出てくる。
敵の統率が崩れてたら衝撃力も相対的に向上するからいける可能性高いけどね 近代のヴィスワ川でも大成功したんだし
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA
>18日に発生した最大の合戦では道雪自ら陣頭に立って先に鉄砲800挺を2隊に分けられ、自分が発案した「早込」(「早合」ともいう。
1発分の火薬を詰めた竹筒の束を鉄砲隊の肩にかけさせる工夫)を用いて二段射撃して後は槍隊を繰り出して突進、
続いて自分が率いて騎馬隊は馬を乗出し敵の中へ縦横に突て廻りける「長尾懸かり」というかけ合い戦法で毛利方の主力である小早川勢を撃破したが、
戦国期でも立花道雪が集団の騎兵突撃らしき物をしているが
どの程度の集団でなのかだが
フサリアの様にいきなり騎兵突撃等はしていないだろうが
フサリア重騎兵コムラーデも砲兵が居なく共
軽騎兵パンセルニの弓で敵を幾らか混乱させた後
突撃している可能性も有るのかだが
雑兵物語でも関東の騎馬武者の30名での同時乗馬突撃は見られるが
此れもいきなりの突撃では無く
一つの備単位での騎馬武者の同時突撃と言う事だろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています