近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代8©2ch.net
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軍事板の近世総合スレです。
概ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです。
国ごとで、中世と近世の区分けの解釈が違ってきますが、
だいたい西暦1400年〜1850年ぐらいまで、東洋・西洋・日本国内を問わず、
陸戦、海戦、戦術、組織・動員編成、補給・兵站、諜報、外交、経済、
築城・縄張・要塞・土木技術、火薬、火砲製造技術・船舶・食料・農業や人口など、
軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。
中世以前の話題については、古代・中世総合スレへ。
1850年以降の話題は19世紀後半軍事考察スレへ。
このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
900踏んだ人は1000までに次スレを立てて、次スレへ誘導すること。
関連スレなどは>>2以降参照
前スレ
近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代7
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1388893375/
参考資料:軍事年表(軍事百科事典より)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm あの突撃ってそんなにしょっぱかったんだ
映画のイメージのせいで10000とは行かなくても5000くらいはいると思ってた
ナポレオンも半ばヤケクソだったんだろうなあ >>57
ああすみません
20世紀くらいのイメージで1個連隊3000人と勝手に思い込んでました 実際にはデルロンとレイユの軍団の残存兵力が助攻してますし
ネイがあそこで騎兵を消耗せず親衛隊突撃の支援に回せばだいぶ違ったと個人的に妄想 ヤン・タルノフスキはマウリッツにどんな影響を与えたんだろう カウンターマーチってマウリッツ以前から似たようなことが行われてたっぽいし
マウリッツも西ヨーロッパの既存の戦術をまとめただけで特に影響とかなくても不思議じゃない 16世紀ランツクネヒトの登場する会戦をスパイス程度に小説で描こうと思っているのですが
押さえておくべきポイントは何でしょうか
銃隊を槍方陣が護衛し
砲が槍方陣を崩し騎兵が突撃するという認識でいるのですが(これだとカウンターマーチになっちゃって時代が下りすぎかな?)
この場合雑多な武器を持つ歩兵たちはどこに登場の機会があるのかなというのが疑問でもあります 自分で描写思いつかないなら当時を題材にした映画でも見ろよ
ここで聞くもんじゃねえよ鬱陶しい >>63 その辺の描写なら、読者は「ばら物語」を読んでると思わないと。ちょっと画像検索してみてくれ。 >>65
回答ありがとうございます
バラ物語読んでみます >>63
1520年代のランツクネヒトの連隊は少なくとも300〜400人の中隊10個から成ってた
主な武器はパイクだったが連隊の1割以上はアルケブス装備してた
といっても装備してるアルケブスは発火方式さえバラついてたらしく絵画史料だとタッチホール式とマッチロック式が混在してたりする
銃兵は槍兵縦隊の正面で敵へのかく乱を行っていたらしい
1519年からは神聖ローマ帝国の敵の軍に従軍することは罪とされてたが実際には守られてなかった
またスイス傭兵と比較して低く置かれることが多かったがスイス傭兵がビコッカで大損害を負った後は実力が逆転したそうな >>67
ありがとうございます
ばら物語にもそのように描写されておりました
スレ汚し申し訳ありませんでした >>63
ランツクネヒトの編制例(カール5世時代?)
中隊:400名(大尉、中尉、その他の下級将校や下士官を含む)
400名の内100名はドッペルゾルドナー(倍給兵士)で、 100名のドッペルゾルドナーの内50名はアルケビューザー
通常の兵士でアルケバスやクロスボウを装備していたのは25名程度でした
連隊:10から18個中隊
連隊は前方列、中央列、後方列、最後方列の4つのグループに別れていていました
(4列横隊と言う意味では有りません)
前方列:将校、良質なアーマーを装備したパイクマン
中央列:ハルベルダー、ソードマン(敵隊列の側面に攻撃を仕掛ける機会を狙っています、主に膠着状態時)
後方列:その他のパイクマン
最後方列:ドッペルゾルドナー
アルケビューザー:散開して側面、後方、時には前方にも >>69
貴重な情報ありがとうございます
だいたい知りたいことがまとまりました
重ね重ね本当に感謝いたします
勝手にやってきて聞くだけ聞く態度申し訳ありませんでした 大宰府の九州国立博物館の火縄銃展に行ってきました
火薬を入れるカ所は銃口と火皿だということは理解してるんですが
火皿という装置がある意味がいまひとつ分かりませんでした
直接銃口側に点火すると、暴発の危険があるから火皿という前段階をおくんですか?
すごく基本的なことで気が引けますが……
ついでですが、この展示会は小規模でしたが火縄銃を直に持って重さを体感できたので興味ある人は是非おすすめします 日本にはほぼ完成の域に達した瞬発式火縄銃が入ってきて試行錯誤の歴史が短いからメカの必然性が判りにくいね
古くは短い銃口側から導火線や焼いた針金を突っ込んで点火する打ち上げ花火と同じ方式に始まってる
後に銃身に小穴をあけて詰められた火薬へ焼いた針金を突っ込んで点火するよう工夫され
さらに銃身上に火皿を作って伝火薬を盛り、そこへ火種を押し付け点火する確実な方式へと発展
狙いを付けられるようメカを工夫し引き金で火縄を火皿へ押し付けるよう出来上がったものが完成形
要するに火皿は確実な発火と射手の安全を確保するためのものだけど
さらに安全確実な雷管が発明され構造上火皿は不要になった ありがとうございます
伝火薬、確実な発火というワードで何となく理解が進んだような気がします
実物を見てますます欲しくなってしまって模型を購入しようか検討中…… いま火縄銃値下がりしてるから
本物買っちゃいなYO >>75
本物www
そういえば今でも火縄銃を作っている人はいるんだろうか? 美術品としての古式銃なら所持OK
新造品はNG
古式銃について 警視庁
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kurashi/drug/kenju/koshiki.html
年代的
現代銃
日本製〜 概ね慶応3年(1867年)よりも以後に製造された銃
外国製〜 概ねそれよりも後に我が国に伝来した銃
古式銃
日本製〜 概ね慶応3年(1867年)以前に製造された銃
外国製〜 概ねそれ以前に我が国に伝来した銃
中略
古式銃として登録、所持できないものに、
現代銃に該当する
登録後に現代銃に改造された
等があり、いずれも違法な銃となります。 狩猟用の散弾銃という名目ならいけるんじゃね?
基本18番以内だからイギリスのブラウンベスは駄目だけどシャルル・ヴィル系なら着剣装置を無くせば
条件は満たすし 骨董市に行けばやたら安いのが見つかる事もあるけどいいかげんな代物がほとんど
馬上筒と称して明らかに銃身を切り詰めただけのものや雷管仕様などと称したデタラメな変造品もあった
壊れてるものを少しでも高く売ろうと手を加えて台無しにしちゃってるんだよね… 日本の火縄銃が戦国期にあれ以上発達しなかったのってやっぱり完成度の高いものがいきなり入ってきたからかな
欧州じゃ種子島で売った火縄銃は試行錯誤の到達点の一つに過ぎなくてフリントロックや雷管式から金属薬莢
さらには後装填へとどんどん進化しているのに日本じゃ大量生産こそしたけど基本形状とか幕末までほとんど発展が無いね
火ばさみの松葉バネをゼンマイ式にして銃床内に組み込んだものもあるけどほんの一部だし 元和偃武以降、戦争がなくて実用的には狩猟用途限定、しかもグリップとフロントエンドの二点支持式が圧倒的に普及した状況じゃ、
火縄銃から先の改造は命中精度が落ちるだけで有害無益だったというのはよく聞くね。
ストック付きの三点支持なら発火機構改良も意味もあるんだが、狩猟用(空砲威嚇用含む)には銃が長くなりすぎて取り回しが悪くなるからな。 命中精度にこだわったが故に結果的に発展しなかったてのは言えるかも
良質の火打ち石が産出しなかったから日本じゃフリントロックが発達しなかったというけど
硝石自体が大量に輸入されていたんだし必要なら買ってたはず 命中精度にこだわって割には独自にライフリングも発明できなかったんだから
単に需要がなかったってだけだろ
明が火器の発展を15世紀で止めてたのと同じ >>83
ライフリングってそんなに容易に発明できるもんなの? 弓矢も矢羽根の作用で回転させることで飛翔が安定すると経験的に知られていたから
江戸期も工夫というものが続いていたらライフリングに気が付いていたかもね
まあそんな需要が生じないほどの長い太平のほうがはるかに価値あるけど ライフリング自体は日本に伝来したいわゆる種子島より先に知られてはいるんだが
冶金技術が追い付かなかったんで。 >>86
ああ発明する必要はなかったんだ
ありがとう 江戸時代の武具関係は、守旧型・既存の軍備を維持するだけなんだよ
民間〜藩まで軍備増強は厳しく規制されてるし、武士の鉄砲は武芸化されてるし。 外敵もいないのに軍備近代化しても社会不安の種になるだけだし、基本的に健全な判断ではある。
対外交流ルートを極度に絞りすぎたのは失敗だったけど…江戸時代中期、アラスカあたりまで進出していた時期のロシア相手になんか手を打てなかったかなあ。 幕閣中枢はいろいろ手を考えていたんだが水戸と長州・薩摩が全部ぶち壊した
江戸時代の水戸のゴミっぷりは二代目が領地経営失敗したときに改易しなかったことを
心底悔やむレベル それは言える。水戸学がなけりゃ幕末以降の日本史はもう少しまともな方向になっていただろうな。皇国思想が亡くなるだけでまるっきり違うもの… 高島流なんかでヤーゲル銃使ったときの射手の感想や使用感ってどんな感じだったんだろう? でも、銃弾をただの球型から椎の実形にするのに時間かかってるのは不思議だよね。
矢じりと同じく尖らせればいいんじゃね?っていう発想がなかったんかな >>93
いや、肝は先とがりではなく、後ろの凹みだから。
不思議に理解されていない? >>93
椎の実形の弾丸を銃口からスムーズに装填出来、尚且、発射時には弾丸がライフリングに食い込む様にする為の工夫が大変だったからでは?
その答えが>>94さんの指摘 ライフリングの無い銃身でも戦車砲のAPFSDSみたいなものなら高威力の銃弾になったかな
焙烙火矢なんて凶悪な兵器があったわけだし というか貫く装甲がないから作る意味がないな
そこまでしなくても鎧は用をなしてないし 初期の小型大砲だと、対重装騎兵用に矢型の砲弾を発射するものはあったよ
矢のお尻に木製の円盤型の栓を付ける。焙烙と違って矢は砲身内に収まる形。
バリスタを火薬推進にしました、みたいな概念の兵器だね
また円形の砲弾に取付ける木製のサボもあった。全体で見るといわゆる砲弾型に
なってて、当然サボは発射直後に分離。
これはマスケットで使う紙薬包の 紙+底板 の部分と同じ役割を期待したものだね NHKの日曜の海外ドラマ、三銃士の次はBBC制作の戦争と平和だけど結構良作の予感 1450年くらいのヨーロッパとオスマンの軍とかだと横隊でも兵の間隔ってどれくらいだったの?
もう肩が触れ合うくらいぎっちぎち? >>103
槍兵とかだと密集するほど強いけど銃兵はそこまで密集すると装填しにくくなるし横の人の火花や煙が邪魔になる 黒沢映画の「乱」の城攻めで階段に銃兵がどっと押し掛け一斉に発砲するんだけど
後ろの人の銃が前の人の耳元で発砲しちゃって鼓膜がやられてそうなシーンがある
実戦だったら顔半分コゲてたりするんだろうね >>103
15世紀は不明ですが
17世紀中盤の聖教徒革命時
(何れも、パイクマン、マスケッティア共通)
一般的な間隔のOrderが3ft (91.44cm)
一番密集している間隔のClosest Orderが6in (15.24cm)
どの部分で測った長さかは不明ですが・・・
19世紀初頭のナポレオン戦争時
(パイクマンは姿を消していますが・・・)
イギリスが22in (55.88cm)
フランスが26in (66.04cm)
ロシアが27in (68.58cm)
何れの国も、正面を向いた兵士同士の肘から肘までの長さです もののけ姫で業病の人達が造っていた石火矢って薬室が取り外せるフランキ砲みたいな鉄砲って実際あったのかな?
からくりはともかく銃身をどうやって作っていたのやら謎は多いけど 突然ですが軍事パレードについて
パレードアーマーというものがあるから鎧を装着していた近世以前にも軍事パレードはあったんでしょうか?
概要は近代のものと大差ないのでしょうか? [BSプレミアム]
2016年8月18日(木) 午後5:00〜午後6:00(60分)
幕末、雄藩と幕府の対立が高まる中で政局の行方を左右する存在として注目を浴びた佐賀藩主・鍋島閑叟。技術を開発し独力で作り上げた幕末最強の軍をどう使うか、葛藤する。
【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】岩下哲典,佐渡島庸平,中野信子,鈴木一義,【語り】松重豊 佐賀藩の大砲製造設備は本当にこんなんでちゃんとしたものが作れたのか疑問って言われてるけど
>>108の試行錯誤を繰り返した時代の大砲を見ちゃうとあれでも良いモノなんだろうなあ 国産大砲ってムクの砲身を鋳造してから砲口を削り出していたようだけどなんでそんな方法なんだか
ライフリングを刻んだ型を鋳型に入れておけば先込め式ライフル砲が簡単にできたのに ド・ヴァリエール「」
グリボーヴァル「まあ、まあ」 >>113
多分強度と構造の複雑さが原因だと思う
溝全部に綺麗に流し込むって難しいし砲身に大きめの「す」ができたらそこから暴発する
「す」ってのは鋳型に金属を流し込んだ時にできた気泡や不均一に固まったせいでその部分の強度が弱くなってしまう現象
あと、金属製品は切削加工→冷間鍛造→熱間鍛造→鋳造の順で精密さと強度が強い(一般的には)
銃の部品は冷間鍛造や切削加工が多いよ 砲身は鋳造よりも穿孔で作った方が、精度も強度も大きくできるから
強度増大により砲身自体の薄肉化・軽量化を図れるので、当時の技術レベルでは
特に野砲製造には穿孔式が必須だった(じゃないと重いor小さい砲になってまう) 大砲製造における穿孔砲身は18世紀ジャン・マリッツによって導入されて、
当時の大砲に大革新をもたらした。それぐらい、違いが出るのよ 後、命中精度も向上したよね
砲腔と砲弾の許容誤差を0.5センチまで縮めることに成功したけど
ライフル砲ではこれを更にキツくすることが求められる >>118の2行目
砲身削りだし式の野砲の代表格であるグリボーバルシステムが抜けてた ワーテルローの映画見たんだけど陣形を整えるフランス軍をイギリス軍が暢気に眺めてたのはなんで?
射程内に入ってるんだしイギリス軍は準備万端なんだから撃てばいいのに 種子島にポルトガル船が漂着し、ポルトガル人から火縄銃が伝わった…って話だけど
実はポルトガル船じゃなく倭寇の船で、この時代の倭寇は中国人の商人集団…って高校講座でも教えるようになったね
ずいぶん以前に明らかになってる事なのに、ここまでくるのにどれだけかかったんだ 後期倭寇でも三割程度は和人で、和人が指揮官や軍事力担ってたと
明代の資料ではっきり書かれてるんだけよね 「1493」に出てるが、戦闘要員としてのサムライは重宝されてメキシコあたりまで流れてったそうだしな、当時。 >>120
イギリス軍の準備万端とはフランス軍を迎え撃つ防御の事かと
砲兵は攻勢の為の集中配備では無く、中隊単位に分割され各歩旅団に貼り付けられていました
本来は攻防共に機動的に運用される筈の騎馬砲兵さえも歩兵旅団の支援の為に張り付け配置に
もっとも、それら張り付け配置の騎馬砲兵はフランス軍騎兵による波状攻撃の最中、その士気と練度の高さを示す事になりましたが
因みに映画の中で「射程に捕らえた」云々言っているのは騎馬砲兵
彼らの6ポンド短カノンでは、対峙する尾根のフランス軍は射程外な気も・・・
つまり、一部の砲兵が景気付け程度の砲撃が出来る位で、守備やカウンターの配置に着いている歩兵や騎兵を動かすなど以ての外
こんなん感じかと まあ、昔は火縄銃は連射に1分以上の時間がかかる
何て話が主流だったのは事実だな
火薬を入れて玉を詰めてと順にやっていれば時間がかかるのは事実だが
実際は合戦では早合のように弾と火薬を一体化する工夫が早くになされ
以前、言われたほど連射性は悪くはなかったのだよね >>122
倭寇説も明確な根拠は無いのではないの?
ルートを考えれば、その可能性が高いってだけで >>126
実際には火薬が散ったり、銃身の強度のせいで早合使っても
速度あげられなかったと聞くがどうなんだろうね 真田筒みたいに早合に特化した火縄銃なら早かったんだろうね
でも幸村(仮)が家康の目前で取り落としちゃったというから使い勝手は今一つな気もする 釣キチ三平でマタギが村田銃で羆と戦っているのを観て
村田銃が欲しさに、猟銃免許を取ったのだが
村田銃はけっこう高いな。 会津・庄内は売国奴
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/images/2016/09/21/M16092112178/efc636fa3839ddca1fa39fdeffab7c06.jpg
戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍(官軍)と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセン(ドイツ)から
資金を借りる担保として「蝦夷地(えぞち)の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、
五百旗頭(いおきべ)薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見した。内容通りなら、ドイツの蝦夷地租借構想が水面下で
具体化していたことになる。東大史料編纂(へんさん)所の箱石大(はこいしひろし)准教授は「戊辰戦争が長引いていれば
実現していた可能性がある」とみる。
これまでは、日大のアンドレアス・バウマン教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年
7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったと
みられていた。
その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側では
ゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。
今回見つかった外交書簡を書いたのは、横浜にいた駐日プロイセン公使マックス・フォン・ブラント。貸与期間を具体的に盛り
込むなど、両藩との間で交渉妥結の下地が整っていたことがうかがえる。
とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から
6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。 書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立
歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。
それによると「シュネル(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として
与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の
土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ」などと書かれているという。
幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の
蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点
確保に向けた意図が読み取れる。
当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の
形成に向かう軍備拡張期だった。(報道センター編集委員 小坂洋右)
09/21 17:15 更新
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0317478.html 土地の貸与が売国に当たるとは過分にして知らなかったわw >>133
現代はともかくこの頃は借りると言ってそのまま占領してしまうような帝国主義万歳な時代だからなあ
長期化したら薩長側がイギリスに貸したりして分割統治されても不思議ではなかったね >>134
香港は長期に渡る借款だったが、イギリスは中国に結局、戻しただろ
イギリスは戻したくは無かったが、中国側が一戦を交えても戻せと迫ったから
イギリスには選択権は無かったのだよ
対照的なのはマカオ
マカオはスペインだったかな。よく覚えていないが
そこが中国から借り受けていたが、本国の国力では海外領土として植民地を維持するのが
逆に負担になっていた。
だから宗主国の方も返還に対して反発は少なかっただけに、議論はとんとん拍子に進んで返還になった。
ま、要するにその時の国力の差が大きくものを言うってことだ。
あくまで、北海道を貸与した場合でも、我々が知っている通りに歴史が進んだ場合を前提にしての話だが
その場合、第一次大戦の後で、ドイツは敗戦したし。北海道は日本に返還となったのではないの? 種子島の銃口とブランベスの銃口みると銃身の分厚さが物凄く違うけど
18世紀のマスケットの銃身ってどうやって作ってたの? >>139
18世紀頃までだと、種子島なんかと一緒で、鉄の棒に薄い板金を巻き付ける製法が主流のはず。
19世紀後半には、鉄の棒を作ってから、真ん中をくりぬく製法が主流になってます。
ブラウン・ベスはどっちだろう、100年以上にわたって作られているから、
細部の設計は色々と変化しているし、生産時期によって製法は違うのかも。 >>140
祭りで撃つのなんて空砲なのにそれで暴発なんてあるのか?
よほど銃身が腐食してたり肉が薄くなってたりしたのかね >>140
>>143
不発だった装薬を取り除かずに次を装填したと
これって暴発って言うのかな? >>144
二重装填による腔発かなあ。
そもそも、暴発って、射手の意図と無関係に銃弾が発射されることを言うんだから、
>火縄銃を撃ったところ、銃が暴発
って、言葉の意味的におかしい気がするが、まあ、いいか。 興味のない人に腔発だといっても伝わらないし、短い単語でニュアンス伝えるならいいんじゃないの
言葉の意味は変わっていくもんだし まぁ射手の意図しない結果をもたらした発砲すべてが暴発の範囲かな いくら倍量の装薬でも、空砲で壊れるあたり
相当経年劣化が進んでたってのはありそう なんで左手が重傷なんだと思ったら左肩に担いで後ろに撃ってたのか
まともに構えていたら顔までいっていたな…
しかし不発だったらどうするのが正解なのかな
遅発なんてこともあるだろうし危なくて触れない この事案なら水張った桶用意しておいて放り込んで近寄らず一晩放置でいいんじゃね 言われてみれば先込めの多重装填ってどうやって対処してたんだ
それこそ「戦場では有りがちな事」扱いだよねこれ 不発が出たらラムロッドの先端にワームを取り付けて、それで弾を抜き出してたよ
ワームは弾薬盒に入れて有ったみたいだけど、全員が持っていたのか、何人かに一人(例えば下士官とか)なのかは分からない 大抵の場合もう一度撃発すればいけるんやない?
前スレで誰かが上げてくれた米軍が試験したデータによると燧石式(M1822)の不発率が6発に1発、
雷管式(M1842)が166発に1発となってたけど
撃発機構以外はほぼ同一といって良い銃でこれほど違いが出るってことはただ単に火薬に上手く着火してないだけと思える >>148
こういうイベントでは迫力出すために実射よりも火薬多く入れるらしいね
実射よりもマシマシで火薬入れたのに更に火薬入れたから爆発 >こういうイベントでは迫力出すために実射よりも火薬多く入れるらしい
根拠なく妄想で語るのやめてくれませんかね 南米だかどっかでハンマーの先に火薬を取り付けてドカンとやるお祭りがTVで紹介されてる
みんな目立とうとエスカレートして火薬を詰め過ぎて毎年ケガする奴が出るそうで同じ心理だろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています