近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代8©2ch.net
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他の火器も前装式だとすると現代のピストルと同じ位の実用性では?
共に刃物の間合いの外程度の距離で有効と言う意味で
ホイールロック式、フリントロック式、パーカッション式、何れも前装スムースボア銃身なら命中精度はほぼ同じかと
16世紀の騎兵操典では
命中を期するなら20yard(約18.3m)以内
可能なら3pas/3歩(1.95m)
で射撃しろと
後者は剣の間合いギリギリ位なのかな?
17世紀の清教徒革命では前装ライフル銃身のピストルが将校用として普及しましたが・・・
後の時代の戦場に殆んど登場しなかったのは余程高価だったのかな? 軍事や戦争に僅かでも関係することなら何でもOKの軍事考察スレとします。 戦闘機すら作れない近親相姦ジャップヒトモドキw
他国のパクリf3で心神喪失糞食いwwwwwwwww
最強の韓国軍のケツ舐めろ雑魚土人共wwwwww ね、戦場での主役が弓から銃・火砲に変化したあたりの時代での軍事全般を考察するスレです 銃が有効なのは19世紀まで、普仏戦争で銃による戦死者は70%だが
第一次世界大戦では榴弾砲による死者が75%を越えている。 明智光秀は鉄砲名人だったというけど当時の鉄砲って精度が怪しかったのにどのあたりが名人だったのかな
火薬に使われる硝石だって輸入品だったし放浪時代の光秀がよく手に入れられたものだね >>812
生存者の申告する傷が多いからと言って弓が戦場の主役なのか?
軍役状見ると弓が最大の兵科になったことは一度もないけど 白兵戦より射撃戦の方が殺傷数が多いことはあっても、投射兵科が軍勢の数的な主力にはなったことはないな 歩兵が有効なのは19世紀まで、普仏戦争で歩兵銃による戦死者は約70%だが
第一次世界大戦では砲兵による死者が75%を越えている。
て書くと>>813のナンセンスさがわかる >>814
当時の火薬は品質が一定ではなく、製造過程で上手く調合したり、何かしら添加物を加えて調整しないと当たらない。砲術の流派はそうした事も教える。
名人ってのは、単に鉄砲の撃ち方が上手いとか的に当てる技術だけでなく、火薬や弾の入手から調整まで自分で出来ることに加え、業者との伝手もある事。 >>818
それってありそうだね
戦国時代に伊賀者が各地の国人衆や大名に召し抱へられたのは
忍者としてではなく鉄砲や火薬技術者として中途採用されたらしいけれど
火器コンサルだなw 長い太平の世で火縄銃や大砲こそ蔵に眠っていたけど多くの藩が家伝だった火薬調合のノウハウを失っていて
幕末の頃に慌てふためいて使おうとして暴発させたり弾が飛ばなかったりしてたんだよね
加賀藩は硝石を生産していた上に農民の鉄砲保有率が高かったのに維新では完全に出遅れたのが惜しい その辺の百姓に聞けば作り方か知ってる人教えてくれたのに 火薬調合の伝搬、ノウハウ、やその探り合いに付いては
鉄砲―伝来とその影響
洞富雄
に結構載っていたかと
鉄砲のハード云々よりもタイトル通り「その影響」に主眼を置いた面白い本でしたよ 動画でモンゴル馬のレースを見るとサラブレットとまるで異なり、悪路や水中を平気で走れる姿を見て
20世紀前半まで騎兵が戦力として残ったのもわかった。あの機動力は初期のバイクや車じゃ太刀打ちできないわ >>293
>『近藤守重(重蔵)が千島方面を探険。
>同地のアイヌが鉄砲を巧みに使っているのを報告している。』
松前藩(≒渡党というアイヌ)が規制取締ってる時代のはずなのに、アイヌが鉄砲使ってる
あと参考に
明治時代も、アイヌが銃にうまく適応してエゾオオカミを狩りまくった
> 1)1876年開拓使制定の「北海道鹿猟規則」下における
> シカ狩猟・流通・製品加工・消費などの実態を調査した。
> その結果、(1)比較的詳しい把握ができた胆振地方については、
●> 同規則による免許取得者のなかでアイヌ民族が占める割合が圧倒的に高い、
> [環境と社会研究会】アイヌがシカ猟規制でシカ猟が出来なくなったか?
> 毒矢禁止→アイヌがシカ獲れなくなった、なら話はシンプル。
●> しかし実際は、北海道鹿猟規則で義務付られた鹿猟免許(銃使用)取得者の大半がアイヌ。
●> 銃に積極的に対応した側面。ただし免許制限500人に洩れたアイヌも。
北海道でエゾオオカミ狩ったのも、多くがアイヌ〔狩猟免許取得者の大半〕
※エドウィンダンの毒エサ使用は静内の牧場周辺のみ
エゾオオカミ研究史の検討
(元ページ)http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/60544/1/15_004_umeki.pdf
≫ 開拓期の北海道で.
≫ アイヌがオオカミを嫌い,手当金の支給を受けるために捕獲していたことに
≫ 言及した事例も存. 在する[山田 2002:80]。 このすれ的には有坂純てどうなの? 歴史群像のカラーページを担当しているけど >>828
良いと思うよ
書籍化して欲しいけど紙媒体だとカラーは難しいだろうから電子書籍ででも 雑誌「歴史群像」のライターの人
Bunzo@Kominebunzo・12月12日
軽歩兵とひと括りにされる兵種にはナポレオン戦争以前から二つの流れがあり、装備も違う。
熟練した射撃手集団と、密集横隊に加わらない補助的任務の散兵部隊がそれ。
近代歩兵に発達して行くのは旧時代に最下位にあった後者で、ライフル兵(猟兵、イェーガー)は19世紀後半に消滅してゆく存在。 またコピペガイジが湧いてる
そんなに宣伝したいの? Bunzo@Kominebunzo・12月10日
「散兵」は隣の戦友の肩に手を掛けられる位に密集しているのが普通。
何メートルも離れてポツン、ポツンと配置される歩兵のことではない。
ここを勘違いしている人はかなり多いんじゃないんだろうか。 ナポレオン戦争中の散兵隊形ではバディシステムを採用していたからなぁ
フランス軍の場合は
2名がお互い援護しつつ射撃(必ずマスケット1丁が装填状態で在ること)
2組で行動し1組が前進中は1組が射撃状態で警戒、これをお互い交代しつつ行動
とは言えこの専門的な散兵隊形の訓練が行き届いていたのはボルテジュール中隊(軽歩兵、戦列歩兵共に)
軽歩兵でも一般兵士のシャスール中隊は多くの場合横隊や縦隊で戦ったと
戦列歩兵よりは迅速に行動する訓練は受けていた様だけど
イギリス軍の詳細は解らないけれどライフルマンの手紙にバディが片腕を砲弾に持っていかれたのでとっさに支えたなんて記述が
それくらい近い距離だったんだろうね
因みに戦列歩兵の間隔は肘と肘の間が22-27インチ(約56-69センチ) 古代・中世・近世・現代と散兵の軍事用語であらわされる兵種あって全部隊形違うから気を付けないとね 中世スレがないのであえてこちらに書きますが
戦国時代の日本の戦で日本刀の出番ってどれくらいあったんですか?
ファランクスみたいに密集してなければ敵味方共に槍兵が沢山いても刀の間合いに入ることはままあったんですか? 【FF4ピクセルリマスター】『ゴルベーザ四天王とのバトル』がスローテンポに改悪されてて酷い件【植松伸夫】
https://krsw.5ch.net/test/read.cgi/ghard/16さん1406776/
まとめサイトにもまとめられる事態に
↓その後
FF音楽アレンジ その難しさとは サウンドディレクター宮永英典 【スクエニの創りかた】
https://www.ようつべ.com/watch?v=qGyIADLiUIA
19:30〜 曲のテンポが遅くなった理由を説明
スローテンポに改悪した犯人は植松伸夫でした
スクウェア・エニックス スクエニ ファイナルファンタジーIV ファイナルファンタジー4 FF4 FFIV ピクセルリマスター
坂口博信 ヒゲ 時田貴司 ときたたかし ゲーム職人 ゲームしょくにん 植松伸夫 ノビヨ 成田賢 伊藤裕之 青木和彦
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伊田恵美 月の明り-ファイナルファンタジーIV 愛のテーマ マトリックス ゴルベーザ四天王とのバトル ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています