スレ保守でカキコ

震電がプロペラを推進式に取り付けた設計で750km出たけど、仮に当時の四発爆撃機のエンジンとプロペラ部分を、ドルニエプファイル見たいに串刺し型に二発エンジンを着けた空気抵抗は二発分だけど実質四発の又は八発の、高速爆撃機と双発機って出来なかったんだろうか?

高馬力のエンジンやターボチャージャー作りに苦労した資源の乏しい日本では、戦局を打開できなかったろうか?(;・∀・)