>>926
いやだから
昭和17年春には
保有見込みの空母12隻以上に零戦主体の間に合わせの母艦航空隊を運用する案があり
実際にハワイ沖での空母12隻による「艦隊決闘」が図案で行われてたりもするのです

まず、昭和17年春には史実通りの建造または改装計画でも
中型以上または速度28ノット以上で12隻は揃うのです(ドーリットル空襲で一隻遅れるが)

さらにこの構想の肝は基地航空隊の攻撃力の傘の外(索敵捜索は可能)で
進攻作戦を行いうるということなのです

また、ここではそれは昭和15年には着想できたことだよねという話をしてるわけであり
また、史実で検討された進攻作戦の他に、中部太平洋での迎撃を唯一可能にしうる手段だったと考えるわけです