満州事変は当然の権利
南満州鉄道に対する他社平行路線の建設を認めないとする"日清間「満洲ニ關スル条約」"を堂々と破り、
さらに張学良の各種条約無視どころか南満州鉄道そのものの締め付け、それを見て見ぬふりをする南京政府(1928年11月下旬に易幟をしたため、外交権は張無腐にはなかった)
しかもそういう現地の声をほぼ無視した当時の日本政府(まあ第二次安倍政権みたいなものだ)
これらにブチ切れた国民の後押しがあり陸軍が「外科治療」を施した

面白いことに、満州事変での暴走士官への懲罰はとても軽く済まされた
これはシナと当時の日本政府がすべて悪いにほかならず、もし厳罰をすると陸軍がこういう事態にさせた政府を乗っ取りかつ軍政下しても日本国民は受け入れたためであった