戦争・兵役を通じて広まった食事 42皿目 [無断転載禁止]©2ch.net
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辛い兵役も、暖かい食事で束の間のやすらぎ。
郷里料理が出ればお国自慢にも華が咲く。
現在何気なく食べてる食物・酒も元を質せば軍隊から広まった、
そんな想いを語ったり食べたりするスレです。
前スレ:
戦争・兵役を通じて広まった食事 41皿目
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1462123064/ でもさ、寿司の出前は店で食うのと2000円も違わないし、ラーメンの出前なんて
丼下げにくる手間含めて二回くるのに、ほぼ定価。手数料とっても数百円だぞ? >>266
宅配ピザなんて原価は定価の半額以下だろ?
人件費が高く付くんじゃねえかな。
自分の自宅マンションにもピザ屋(1枚割とかやってるとこ)があるんだが、時給が高いのでいかにもっていうクソガキのバイトがいるな。
ちなみにここは勤めてる連中は社員割引で半額でピザ買えんだよね。
その分客から取ってんだろね。 宅配ピザはあの値段にしねえと配達が回んなくなるんだと >>272
アメリカの安ホテルは提携した地元ピザ屋のメニューが部屋に
備え付けられていて、ルームサービスの代用として気軽に頼める。 >>286
原価半額も使ってる食い物屋なんて、まず存在しないと思う。
家賃なしの自己店舗、店員なしの家族経営でなら実現できるかもしれんが。 食い物の原価率は3割程度だろ?
コンビニでも弁当は本部の取り分やら原価引いて店の儲けは3割位じゃね?
残りの7割に弁当自体の材料費やら加工賃やら運送費も、掛かってるんだからさ どこだったっけ?
大手回転寿司チェーンの1つが、うちはほとんど原価率5割だって
TV番組の中で言ってた 異常な大盛りを格安提供してる店ってたいてい古くて年寄り夫婦がやってるね
もう年金暮らしで体が動かなくなったら店閉めるだけなんでそんな事が可能
周囲の同業者にはすごい迷惑らしいけどね >>286
普通の飲食店は、原価3割人件費3割その他経費3割儲けが1割。
あと、宅配バイトの子で、4700円に対して5200円出したら
「そういう計算無理なんで、5000円札からにして下さい」
と言われた。
話を聞いたら、計算が苦手なので、ポケット二つに10000円札からのお釣りと5000円札からのお釣りを入れてあるらしい。
よく免許取れたなと思った。 嫁が元ピザ職人なので時々家で生地からピザ自作してるが、生地作りもピザソースも案外簡単だし安くて美味いぞ。
レシピはググればいくらでも出てくる。
ただし、オーブンレンジで焼くピザは石窯ピザには敵わないんだよなぁ。
今度、庭に石窯を作ろうと計画中。
>>291
スシローだな。 フライパンで焼けるピザ生地なる粉を買って作ったことあるけど手にベタベタくっついたりでめんどくさかったわw
それを避けるために手にオリーブ油をつけるけど今度は生地が変な塩梅になったり…
パンやうどんなんかを作り慣れてないとダメだったわ 昔ピザを生地から手作りしようと思ってたら最終的にうどんになってた事があった 俺はナンもどきになった事がある。
なんか、がんもどきと響きが似てるな。 >>296
屋外用の石窯って雨の時は傘を指して使うの? 空母で長い航海中、月に一度ぐらいの頻度で甲板でBBQパーティーをするらしいが、兵士の間ではアイアン・ビーチ・パーティーというらしい。
確かに甲板は真夏の砂浜ぐらい焼けてるだろうな。 >>300
さぁ・・・?
オレが買った石窯の本には屋根付きのが多かったけど、屋根なしでもいけるんじゃないの?
オレも屋根前提で作る予定。ドーム状にするのが難しそうなんだよなぁ。
生地作りは、ほんの少し砂糖入れる発酵が進むのでと失敗しづらいよ。 >>303
窯だけなら1〜2万でそれっぽいのが売ってるね まあスパゲティーなんかもイタリアとアメリカでずいぶん違うからね
ピザは切り方でもモメるくらいなんで…ってすごいピザが食べたくなった アメリカ出張で地方都市に夜遅く到着。
仕方なく深夜営業のファミレスに行った同僚は俺の『あぶねえぞ』という忠告を無視し、$7.99のミートソース・スパゲティを注文。
数分後、運ばれてきた皿にはざっと3人前の量と思われるパスタの上に挽肉タップリのミートソース。さらにダメ押しするかのようにゴルフボール大のミートボールがざっと20個。
麺は早々にあきらめ、ひたすらミートボールだけを食ってた。 >>308
カリオストロの城でルパンと次元がもりもり喰ったアレを思い出したw
個人的にはミートボール入ミートソーススパゲッティは、今はなき渋谷東急ハンズのレストランで出てたのしかお目にかかれてない。 続きがあって、移動先のLAで日本食が恋しくなった同僚を連れて日本食レストランへ。
カツカレーを頼んだ同僚は草鞋サイズのカツが2枚乗っかったカツカレー(別に大盛りとかじゃなくレギュラーサイズ)が運ばれて来たのを見て『やっぱ、この国と戦争をしたのは間違いだった』と実感してた。 「アメリカは食べる」によると正にここのスレタイ通りの軍隊飯らしいね、ミートボール・ミートソーススパゲティ ケチャップスパゲティを自分で作ったとかアポロの話に出てくるから
軍人でも好物にしていた人が少なくなかったみたいだね
昔最初に食べたCレーションがまさにスパゲティだった >>306
アメリカ行った時はピザじゃなくてピーツァって感じの発音だったとオモ >>311
こんなに食う奴等の胃袋を満たせる兵站を維持出来る国と戦争をしたのは
確かに間違いだったな((・ω・`;)) 日本の空母じゃ水兵同士で飯の盛りを巡ってみみっちい駆け引きをしていたというのに
アメリカの空母じゃステーキを食っていたとか一日4700キロカロリーとか聞くとこりゃ負けるわと思うね フネの上でそんなに食ったら忽ち肥満体になりそうだが クルーズ船の乗客じゃなくてヘータイさんだから、朝から晩まで動き詰めだよ。まぁ、アメ飯だとそれでも太りそうだけど。 >>313
第二次大戦のボヤーディーの缶詰が爆発的普及の大元だからなぁ。
末期戦なドイツ軍とか日本軍が鹵獲したスパ缶を死ぬほど旨そうに食って
食後のラッキーストライクとパイン缶で至福の一時を味わう描写すき。 ミートボールのスパゲティ、というと
ルパン3世・カリオストロの城を思い出してしまう、オッサンな私 この板元々オッサンとお爺ちゃんしか居ないよ
長期休暇になるとフレッシュなのが来るけど そういえばA級戦犯で軍人でなく文民で軍隊生活を一切したことのない元首相がなぜか靖国に祀られてるね カテゴリーAをA級と訳すの、いいかげんなんとかならんのかな? >>329
BC級で処刑された人がたくさんいるのにね
なぜか世間の話題はA級戦犯の話題しかしない 沖縄B級グルメの代表格、Aランチ、Bランチ、Cランチはポーク(SPAM)が入っているのでこのスレ的にはOK? >>328
あの法務死は戦死と同等に扱われてるからね。
…もしかして靖国行ったことない? >>332
この内容は元首相の遺族の方が出したコメントだよ >>332
色々意見があるだろうが、法務死を靖国に合祀した事が様々な禍根を残している様に思う
元は遺族感情を鑑みて靖国の敷地内に別に祀っていた
便法ではあるが、それにより靖国自体は右翼左翼を超えた戦死者遺族全員のものとなり、天皇を始めとして皇族や閣僚も参拝可能であったのだ
ところが後になって法務死を靖国に合祀する事になると、天皇は靖国に参拝出来なくなる
そもそも法務死とは天皇に開戦責任を負わせないための身代わりであり、一方その実相を認めない事によって天皇制は存続出来た
合祀されてしまった後となっては、参拝自体がけじめとしての東京裁判を否定する事となってしまう
現在靖国は国に命を捧げた者を祀るところではなく、それに対する立ち位置が右翼左翼の政治的な立場を表明するものに変容してしまっている
法務死者合祀決定を下した人物の浅慮には疑問を呈する以外にないが、返す返すも残念な事と思う >>336
天皇陛下が参拝できなくなったのは大きいね
しかも一旦合祀したら分祀は神道の考えからすると出来ないらしいし
それと戦争そのもので亡くなった先人の方々には日本人として本当に敬意を払いたいのに、なんで戦争指導者まで一緒に拝まないといけないのかと
いま腹が減ってきたので思うけど、一体どれだけの兵隊が南方で餓死されたか考えると、やはり合祀はするべきでなかった いったん祀った小野田少尉は取り消しが効いてるし、あれが自称するところの神道は全然神道ではないので、
ま、なんとでもなるやつよな。もはやタダの一宗教法人が何言ったって大抵のことは自由ですけど。 あの大田正一さんは今でも靖国に祀られているのであろうか? >いったん祀った小野田少尉は取り消しが効いてるし
生きている人を祀り続けるのは変じゃ無いの?
自分が祀られている靖国神社に本人が参拝するのは…何だかなぁになりそう A級戦犯として処刑された後に靖国神社に祀られている人達は
昭和28年の戦犯赦免の決議に因って
法務死では無くて公務死とされたんじゃ無かった? 合祀は戦争に関して責任のある戦争指導者と職業軍人はともかく、赤紙一枚で徴兵されて戦死された方々の遺族は納得できないだろうね
法律や国会の決議とはまた別の話にはなるけど たとえばスレの趣旨に無理やり近づけると、広島のお好み焼きの一つのルーツとして旦那が戦死したり障害者になって復員して、生きていくためや子供を育てるために未亡人らがお好み焼き屋を作ったというのがある
今はもうほとんど亡くなったかボケたかしてるけど、戦争を始めた戦争指導者を恨みながら戦後を過ごしたことだろうね うちのばーちゃん(爺ちゃんはフィリピンで戦死)は恨み持って行くならアメリカだと言ってたけど、その辺個人で違うんだろうね。 ラバウルの戦記で椰子の先端がタケノコみたいだって読んだな
食べた経験ある人は軍板にいるんかな? 満州からの大豆は来なくなる、アメリカから小麦粉はやってくる、
コメは不足するし日本中の寿司は江戸の握り寿司に席巻される、
醤油も日本酒も「近代的」「科学的」「効率的」製造法が産み出される、
配給の酒で来るものだからビールはもう慣れっこ、極端な砂糖不足の反動は来る……
戦争は食事を変えてしまうのですなあ、スレタイ通り。 >>346
アブダビで食べたよ。筍とアスパラのヤングコーンが作る三角形のどこか、てな感じ。普通に美味い。
成長すれば実がたくさん採れるナツメヤシを芽のうちに丸ごと食べちゃう訳で、現地ではとても贅沢な食べ物とされている。 >>348
なるほど、参考になりました
ラバウルでも空襲で倒れた椰子から採るとか書いてありましたなあ
ガマガエルみたいなカエルの肉と椰子のタケノコの入った汁が贅沢だったとか 椰子の新芽ならパルミット言うて南米食材扱ってる店行きゃ缶詰なんかで手に入るぞ GHQが醤油の醸造は時間がかかり過ぎると合理性最優先でアミノ酸醤油を推したことがあったんだよね
占領時代の話とか読むと民主化はしてくれたけど文化やアイデンティティーの破壊もけっこうやってくれた
マッカーサーを神とあがめルメイに勲章あげて戦争は全て戦犯のせいだとこの時代に刷り込まれた事が良く判る へえ、アミノ酸醤油って、戦中の代用品じゃなかったのか。
中学の理科実験で、はんぺんを水酸化ナトリウム溶液で煮て作ったな。そのまま余ったはんぺんに付けて試食タイム。 醤油に丸大豆の使用が禁じられたのは1940年、酸分解のアミノ酸は池田菊苗博士の成果です。
それに、アミノ酸液もステビアも甘草もなんでも使う九州の醤油、
あれは文化でもアイデンティティーでもない、そうおっしゃるわけですね。 >>350
へー、今度輸入食品の店で探してみますわ
ラバウルだと椰子の樹液で酒も作ってたな…椰子万能すぎやしないか? 葉っぱで屋根が葺けて切り倒しただけで柱になる。実は食べられるし、日陰も作ってくれる。
本当に万能なんだってさ。それを芽生えのうちに食べちゃうから、超高級食材になる。
ヤシの木には成長点が一つしかないので、食べちゃったらそれっきり。 >>351
太平洋戦争に勝利し1億人の市場を得たアメリカは、国内の小麦農家が米議会・GHQを通して日本津々浦々にキッチンカーを走らせ、さらに学校給食でパンを出した。
その結果、戦前はほぼ米しか食べなかった日本人がせっせとパンを食べるようになり、小麦の輸出が飛躍的に伸びた。
ちなみに当時のアメリカの人口は1.4億人。 >>351
スレタイとズレるが、GHQは年賀状も禁止にしようと考えていたらしいな
何処で知ったかは忘れたので根拠不明という事で ココヤシは「木のクジラ」と呼ばれるほど植物全てが役に立つ
果実は外側はまあ燃料や焚き付けには少なくとも役立つ
それ以外に土壌改良剤など
果実の内側に固い殻があり、これは容器になる
また固いので木炭にすると火持ちがいい。
活性炭を作って、外側の繊維と合わせてヤシだけで浄水装置を作ってみたなんて例もあるw
その内側に胚乳があってココナツミルクを搾ってココナツオイルを採ったり
そのまま調味料にしたり出来る
未熟な胚乳だと果物っぽい食べ方も出来るがやや油っぽいw
内側の液体は完全に熟すと無くなる。ちょっと癖があって好みが分かれるが、
無菌状態で清潔。いざとなったら点滴にも使える
葉は屋根を葺くのに使ったり、編んで服にしたりマットを作ったりザルや御座も作れる
中央部の軸は頑丈で軽い木材代わりにできる
緑色の茎上部の成長点は内部が食用になる
花からは案外蜜が出るのでミツバチなどの蜜源植物でもある
実が余るくらいなら、花穂を切って樹液を容器に貯めれば糖分豊富な水が取れて
即煮詰めればヤシ砂糖、半日置けばヤシ酒、1日置けば酢になる、などとされる
幹はもちろん木材として柱になる。単子葉植物だが中に分散して維管束があり、
これが個々に肥大して、ややひび割れつつも太る、ような成長をする
その点はタケと違う
ただしある所で肥大成長は止まる 1940年に年賀状の特別取扱を中止、以降も年賀状自粛運動がお国の逓信省からされてるんで、なんでもかんでもGHQのせいにされても……
それに、年賀状、というか近代郵便制度そのものが、国家の威光をあまねく臣民に行き渡らせるツールなわけですよ。
国の支配の届く限りの場所ではどこでも定額でサービスされないといけないし、
みんな読み書きができなきゃいけないし、みんな家には表札を付けてないといけないわけで。 ヤシは他の種類でも
果実から独特の風味の胚乳が取れるものが何種類もあったり(パルミラヤシなど)
あるいは果肉が普通に果物として食べられるものも多かったり(ミリチーヤシ、サラカヤシ)
果肉にデンプンを蓄えたり(モモミヤシ)
殆どの種類では花穂を切って出る樹液から酒が造れるが、一部にジャワドクヤシなど有毒種もある
また日本のシュロは花の時期が一応5月だが気温がまだちょっと低くて水揚げが悪く樹液が少ないので
花穂を切っても樹液は数滴しか出ない
果肉にも胚乳にも油脂をたっぷり含むのがアブラヤシで、今や世界のヤシで最も儲かる作物になってしまった
むしろ熱帯雨林破壊と問題になるくらいだ
幹にデンプンを蓄える種類が多くてサゴヤシが有名。1本のサゴヤシで大人1人の1年分のデンプンが取れるともいう
ただし一番デンプンの溜まった時期を見定める必要がある
サゴヤシの幹はデンプンの多い時期でなければまあ材木にもなるが、それより葉が巨大なので
葉柄を小屋の屋根の梁にしたりしている
ヤシ科植物で幹を使うとしたらトウが有名。茎は最大170mの長さに育ち加工しやすく丈夫なので家具や様々な道具が造られる
但しトゲだらけなので皮むき必須
根元近くで分岐しまくるヤシというのがある。アサイーヤシがこれで、果実はちょっと前にポリフェノール豊富とされて人気だった
幹がどんどん出来るので、これからパルミット芯を取っても植物体全体が枯れる訳では無いのであまり遠慮しなくてよいw さすが軍板。専門家がいた。
半端なことを書いて失礼した。 南方に行き、運良く帰れた人は当然ヤシを食べたんだろうが…気候的に「広まった」までは行かないのがスレ的に残念なところかw
まあ勉強にはなった。と言うかアサイーってヤシなんだ… GHQは当初民間郵便まで全部開封検閲してたから、枚数多い年賀状は面倒だったんじゃないかな? 椰子に詳しい人がw
>>363
椰子が自生してる地域ならお世話になった人は多いと思う、主食はタロイモとかだろうなあ
ラバウルは自活してたからまだいい方だけど、補給の途絶した島々はどうしてたのやら… 戦死・戦病死合計230万人中6割は餓死と言われてるがなにか? フィリピンじゃ飢えた日本兵が椰子の芽をみんな食べちゃったもので
地元の人達が頼りにしていた椰子がみんな枯れてしまい大変な被害だったってなんかの本で読んだな…
かなり恨まれ戦後帰国する日本兵の列に石に混じって手榴弾が投げつけられ少なからず殺されたってね >フィリピン
戦前からはっきり判ってた、食料の完全輸入地域に、50万人まったく兵站の宛つけずにぶち込みやがった、正気の沙汰じゃないby山本七平…もちろんその50万分の1 >>367
素朴な疑問だがフィリピンってヤシ採れるの?
あとフィリピンで石を投げられた話はしばしば聞くが、手榴弾は初耳だ
ソースよろ レイテに4.3万、ルソンに28.8万、ミンダナオに4.3万、その他に4万の約41万人が
フィリピン投入戦力だろ? >>369 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsta1957/27/4/27_4_282/_pdf
>>370 米側Wikiだと概ね53万となってるが。ソースは日本からじゃ見られんようだが…海軍の艦隊は別にしても、陸戦隊やら航空基地隊やあれやこれや、飯食う口だからな。 戦力投入数は日本側資料の方が信憑性があるだろう。
フィリピン1944〜1945は投入41万の、戦死35万だよ。
厚生省の地域別戦没者数は周辺海域での死者も入れるから、レイテ沖海戦や
悪名高きバシー海峡とかでの海没将兵、1942の方のフィリピン戦での死者も併せて
50万って数字出してるけど。
藤井とかいう頭悪い教授が、厚生省の数字と勝手に出した「フィリピンの死者の八割は餓死」って
仮定に基づいて40万人を餓死枠に繰り込んで「日本兵の戦死のうち6割は餓死」説の根拠にしてたけど、
あんなのがまかり通るんだから怖い話だ。 飛行艇乗りの人の本を読んでたらちょっとだけ椰子の芽を食べた記述があった。
ググってみると竹の子とかホワイトアスパラに似てて旨いそうだ。 フィクションだけどラバ空でもあったなw 現地人にバレたら怒られるとも。 ビルマ方面だと椰子の話は聞かんな
あっちは現地料理の話が増える >>364
年賀状は基本葉書だからか見る手間はあっても開封する手間は
ないんじゃ 戦前は封書が主だったかもしれないと調べたら、年賀はがきが急速に普及したのは明治四年のはがき発売直後からで、明治二十年には完全に国民的風習として定着していたそうだ。
へえへえへえ! だが、日本史上一番検閲きつかったのはGHQ施政下なんだぜ。
手紙の全通検閲から発禁件数までな。 GHQが検閲をやってたけど予想外に私信が多くてアメリカ製テープが不足してしまい
日本の業者に作らせてみたらたった1ヶ月ばかりで品質的に遜色ないものを作ってしまいGHQを驚かせたという
セロハンに関しちゃ日本だって戦前から作っていたのにタバコや食品の防湿包装なんかに使われたのは戦後だね フィリピン戦の写真見ると、掩体壕の天井はヤシの丸太並べた上に土を盛ってあるのが多いな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています