ラバウルに連合国が上陸していたら [無断転載禁止]©2ch.net
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アメリカ軍は、
防御の硬いラバウル周辺は『ラバウル要塞』と呼んで攻略しないことにした
あえてラバウルを攻めて被害を出すより
後方を遮断して兵糧攻めにした方が、被害が少ないと考えた ラバウルが四方囲まれてもガ島にならなかったのは食料自給体制が確立した島だったからだよ 日本軍が進駐するまで飛行場もなかったようなところと比較してもなぁ
ニューブリテン島は飛行場や街もそうだが、農場などもあり地積が結構あった。
もともとサイパンを要塞化するために貯めていた資材が中澤さんが人事異動した
すきに、ラバウルに移動されてしまったらしい。
ブルドーザーもあるし、飛行機がいたから燃料も十分。
爆弾も結構落とされてたから、リンや窒素もあるし飛行場周辺を耕せば結構な収穫になった
のではと思う。 アメリカ軍の特攻による人的損失
戦死12000人
負傷33000人→多くが再起不能の重症
精神障害50000人
合計10万人
4000名の特攻隊員でこの戦果だからキルレシオ20倍以上
→これだからね
人命重視のアメリカはたまらん お前らが大好きなナチは敗戦の責任を兵士や市民に押し付けて、インチキ裁判で死刑か窮極の選択()をさせてたんだが。
ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。
オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。
『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。
その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。
判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。
1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。
ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。
すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。
メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。
銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』 ドイツ人は苦悩と喪失に直面したことにより
自分たちの多くが他の数百万のヨーロッパ人に苦しみをもたらしたことは無視して
自分たちはナチズムと第二次世界大戦の犠牲者で潔白だという集合的記憶をまんまと作り上げたのである
By マイケル・ヒューズ
第二次世界大戦は『事故、悲運、天災ということにされた』
第一次世界大戦後に培われた、戦に倒れた英雄という大衆の信仰は繰り返されず
『運命』の犠牲者になったことを嘆くだけであったのである。
By ザビーネ・ベーレンベック
自分も被害者面して過去に目を背けることしかできないナチ国民って 日本軍が大平洋正面でほぼ単独で米軍を迎え撃ってたころ、ナチは同盟国()を楯代わりにして延命を謀ったのに結局大惨敗だった
ドイツが快進撃を続けフランスを敗北させたあとですら、戦争を終結させるかについての真面目な議論は行われていない
ナチスドイツには戦争の『終了計画』はなかったのだ。
ドイツの対外政策はお粗末なも、同盟国を敗北の道連れにするというのが基本姿勢だった。
ドイツの軍事戦略もまたしかりで、大量の血を流しながら避けられない崩壊を避けようとすることの繰り返しである。
リチャード・ベッセル『ナチスの戦争 1918〜1949』 占領したヨーロッパの他の地域からの搾取で、主に占領軍の必要をまかなったり、
ドイツの軍事行動の資金にあてたりした。戦後の計算では、占領地域は、
750億マルクほどの貢献をし、占領コストは530億だったとされている。
衛星国を含めドイツが支配したヨーロッパの全体が、ドイツに1200億マルクの貢献をした
つまり、戦争に費やされた資金の約20%である。
1944年のピーク時には、 ドイツには760万人の外国人労働者がいた。うち570万人が一般人で、190万人が捕虜だった。
1944年の8月までに、 ドイツの労働人口46%は外国人労働者と捕虜で構成され、採鉱労働者は3分の1がそうだった。
≪ヒトラーと第三帝国 / リチャード・オウヴァリー/著
永井清彦/監訳 秀岡尚子/訳 牧人舎/訳≫
ナチは占領地からの収奪や占領地市民の強制労働が無ければまともに戦争すらできなかった ドイツ軍のエリートたちは軍人としてのプロ意識から遠ざかり、ナチの人種国家によって堕落したために
合理的な戦略眼を育てる代わりに「勝たねばならないから勝つ」程度の事しか主張できなくなったのである
第二次世界大戦でドイツの軍事的局面が絶望的になった際、戦況を合理的に評価する選択肢はなかった。
戦略全般を議論できる場が無かったという事実が、ナチ国家の特徴を反映している。
そして戦争の最期の数年間、将軍たちが自殺行為というべき戦いに喜んで部隊を送りだした。
ナチスの戦争 1918〜1949 リチャード・ベッセル
真面目に戦争もせずに人種差別に全力を尽くしていた()ナチは負けるべくして負け
チョビ髭は自殺し、国会議事堂に赤旗が立つほど世界史上稀な完全敗北を喫した 西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201
>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる
ナチ初めからあてにあるはずもない占領地からの収奪だけを期待して戦争を始めた 一番バカはナチだろ
だって頭目が基地外だったからな
東條英機
「大東亜戦争ノ目標トスル所ハ我肇国ノ理想ニ淵源シ大東亜ノ各国家、
各民族ヲシテ各々其所ヲ得シメ皇国ヲ核心トシテ道義ニ基ク共存共栄ノ新秩序ヲ確立セントスルニ在ル」
↑
本音は資源ほしいわだろうけど国の方針だから建前言うよなあ
ヒトラー
「共産主義者は初めから終わりまで仲間では無い。これは絶滅戦争である。
そう心しておかなければ、敵を負かしたとしても、30年もすれば再び共産主義の敵と対戦することになるだろう。
我々は敵を保護するための戦争をしているのではない。」
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なんだこれ?国の方針がこれってガイジの集団かよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています