ハマでは1970年代〜80年代にかけ、イスラム主義勢力が激しい反政府運動を展開した。
バッシャール・アサド現大統領の父であるハーフェズ・アサド前大統領(2000年に死去)は当時、反体制派を徹底的に武力弾圧。
市街地は焦土化され、死者は2万人とも4万人ともいわれる。
 ハマの南方には、今回の内戦で激戦地の一つとなったホムスもある。シーア派の一派と称するアラウィ派が中枢を握る
政権側からみれば、ホムスからハマを経てイドリブに至る一帯は、スンニ派の反乱勢力が根を張るやっかいな土地柄なのだ。
 こうした事情から、今回の化学兵器攻撃は、ハーン・シェイフーンの住民や反体制派に恐怖を植え付け、
戦意を喪失させる意味合いもあったと理解できる。
 そしてそれは、アサド氏が、父のハーフェズ氏から受け継いだ手法でもある。
 「バッシャールは、父のやり方を追いかけながら、戦いを勝ち抜くつもりだ」
 ハーフェズ氏の政治顧問だったジョージ・ジャッブール氏は、12年に首都ダマスカスで取材した際、アサド氏の心理をこう喝破していた。
 もともとは英国で眼科医の道を歩んでいたアサド氏は、後継候補を目されていた軍人の兄が交通事故死したことを受けて
急遽(きゅうきょ)呼び戻され、「促成栽培」的な後継者教育を受けた。本来はどちらかというと気の弱い、温厚な人柄だといわれる。
政権を継いだ当初は漸進的な改革路線を目指したが、軍などの守旧派を統制できないまま内戦という危機に直面したことで、
「父をまねるしかなくなった」(ジャッブール氏)というわけだ。
 化学兵器使用疑惑を受け、トランプ米政権は、シリア中部にある政権側のシャイラト空軍基地にミサイル攻撃を行った。
 ただ、現在のところ米国の軍事行動は単発で終わっており、政権転覆に向けた具体的な行動もみせてはいない。
アサド政権に化学兵器使用をめぐる本格調査の受け入れを迫る国連安全保障理事会の決議案は、ロシアが拒否権を発動し否決された。
ほぼ政権側の計算通りだ。

http://www.sankei.com/world/news/170430/wor1704300002-n1.html
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