というかこのスレの火砲好き諸君なら分かろうが
三十一年式速射砲・山砲は砲のブレイクスルーに取り残されたとしても、各種ドイツ製火砲(三八式シリーズ)もある意味では迂遠だったんじゃないか
というのも国軍火砲の到達形は、こと野砲や軽榴に関しては諸外国同様に、完全装薬筒・自緊砲身・液体後座・気体復座なわけだが、自緊砲身はまだしも他三つはフランス製火砲が日露時点で満たしているんだよね
四一式山砲とかは薬莢式にして発射速度が倍増したし、バネ復座式は何より嵩張るし重い(バネと窒素の比重を考えれば当然)から、当然運行重量を減らすために皺寄せが他に行ってしまう
だから取るべき道はフランス系火砲を「最初から」導入することだったんじゃないかと
小文字みたいな長文になってしまったが
結局後世から見ればやや劣るドイツ製火砲を導入するメリットは、ドイツ人教官から教えて貰う際に教練上有利なことで、それを取ったのかな