日本軍は何故自走砲を量産しなかったのか [無断転載禁止]©2ch.net
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チハとかよりずっと役に立つと思うけど何故量産しなかったの? >教育をして前に送り出すべきなのに教育を放棄して誘導装置がわりにする時点
解散 >>245
じゃあどこの兵器を削減しようかね
史実の軍備どっか削る+九〇野砲増産
ならまかり間違えばありえるだろうが
史実の軍備のまま+もっと九〇野砲
はファンタジーだから論外だな 九○式より57mm対戦車砲を早く作るべきだったろ
貫徹力同等以上で軽量 >>242
顔真っ赤にしてして唾飛ばして熱く熱弁しながらタイピングしてそう
これだけ長い駄文ながら抽象的で全く説得力の切片もないのがすごい >>242
自分で特攻は遅滞戦術だから無意味とか言ってるくせに、ナチの赤軍への防衛は意味あるとか言ってるダブスタに気がつかない脳ミソがヤバイ
どっちも遅滞作戦にしかすぎないだろうに
ナチ好きって昔からこいつみたいに浅薄知識ない頭が少し弱い系が多い >>242
ナチは自国民を守るどころか、インチキ裁判で銃殺して最後はめんどくさいから自殺を奨励してたんだが
ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。
オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。
『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。
その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。
判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。
すでに戦争が終盤に入った頃に、ナチは自殺は称賛するようになっていた。
1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。
ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。
すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。
メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。
銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』 日本は43年以降自走砲を量産した。
97式中戦車の生産ラインの約40%をホニ1 ホニ2自走砲に転用して
”128輌も” 量産したんだよ。元々の生産能力が年間300輌程なのでこれは紛れもなく大量生産ですよ チハ全車が最初からホニ3相当なら良かったんだがね
車載機関銃は追加で >>239
しかし、私は理論上空軍の作戦は正しいと確信していた。
地上の敵に対する夜間爆撃は至難であり、効果も乏しい。
それよりか、海上の艦船を一隻でも撃沈すれば、敵に与える損害ははるかに大きいのである。
と八原は書いてるけど >>256
八原は同時に艦艇が減らないとも書いてるよね、戦ってる将兵は地上攻撃して欲しかったんだよ。防御された艦隊や航空基地より、
展開した地上軍を空から攻撃する方が簡単だ。やってみもしないで効果が無いと断定するのはどうかな。米軍は日本軍の夜襲対策
で照明弾を打ち上げまくってた、空から攻撃対象を見つけるのは容易だったと思う。 >>257
そんなもの戦局によるわな。ある程度制海権があるのなら上陸前に輸送船攻撃するのは有効な手段だが
制海権を失って沖縄支援に向かう前段階の特攻対艦攻撃も効果なしとなると航空機温存して本土決戦に備えるのが有効という意見になる。 一式中戦車に五式戦車砲二型を搭載した和製ヤクパンが欲しいな。これならシャーマンを遠距離から仕留めることができる。
砲の開発時期から無理な話だが。 フィリピン戦に間に合わせようとすると1941年に制式化
本土決戦に間に合わせようとすると1943年に制式化ですかね?
試製57粍戦車砲でも二式に相当するのでフィリピン戦には間に合わない感じですね。
九九式7糎半戦車砲は行けたかもしれませんが対戦車戦には向かないかも。 砲撃の至近弾で乗員皆殺しされそうなのはNGで。
キングチーハーて弾薬詰めないだろうしなによりチハたんの下半身にあの巨根は合わない。ポークピッツじゃなければ。 >>257
特攻による撃沈数も毎日増えるけど、艦数も減らなかったと書いてるP219の後の記述が>>256だよ
珍論振りかざすのは勝手だけど、ミスリードはダメだよ 75mm38口径砲搭載したホニ3でようやくシャーマンと正面で撃ちあえる貫徹力を獲得するのだが
旋回砲塔できないうえにM2機関銃で防盾スカスカ抜かれるという自走砲ゆえの欠点が出てくるな 海軍短20センチ自走砲からタ弾撃ては良いんだよ
あれだと断片よけは付いてたから タ弾が万能兵器みたいないいぶりだがHEAT弾は遮蔽物で起爆するので日本軍が多用してきた待ち伏せに使えない。ひらけた場所で堂々と撃ち合うしかないのだが装甲の薄い自走砲では迫撃砲の破片ですら脅威になる >>264
三式砲戦車は戦車であって自走砲でないけどな
ホニ1は自走砲であっても、ホニ3は自走砲ではないよ
というか、ホニ1とホニ3の対戦車能力はそこまで差は無いのだが >>268
なぜ旋回砲塔でないと戦車で無く自走砲になるんだ?
戦車の必須条件として砲塔が旋回する事と思っているのかな >>263
珍論はあなたでしょ特攻なんて効果は無いんだよ。八原がどう思ったかも関係無いんだよ、現場の将兵は
航空部隊による地上攻撃を望んでいた事実があるのが重要だ。 >>258
艦艇は防御が鉄壁だから効果が無いって話をしてんだよ。 陸軍は沖縄決戦に乗り気でないし、海軍は沖縄で海上戦力叩きたかったしで、どうしたら地上攻撃の作戦が中央から出るんですかね
ま、出したところで艦載機に迎撃されてマトモに行動できないのが目に見えてるが 沖縄戦では菊水作戦にあわせて義烈空挺隊を空輸に成功してるはしてるよ。
焼け石に水というか救急食3食分と携帯塩10個だけ携帯して自殺しにいったようなものだがな >>242
>ドイツ軍は民間人の移動を助けるためにひたすらソ連軍相手に防衛戦したりしてたわけで意味あるよね
でもドイツ人はソ連軍に『感謝』してるぞ?
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。一部の観測筋は疑っているようだが、私には、
ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html >>273
北飛行場を半日使用不能にしてるのに?米軍の沖縄戦史やニミッツ戦記やスプルーアンスの伝記とか米軍の沖縄に関する資料や述懐には必ず出てくる作戦を単なる自殺とかw
それに百式単機や破甲爆雷で航空機撃破しまくってガソリンを70000ガロンも焼き払ったのに、緊急食と携行塩だけの徒手空拳とかwなんですぐにバレる嘘つくの?
翌日天気が崩れたからこの効果を十分に行かせなかったが、喜界島に不時着していた陸海軍搭乗員40名を救出するのには役立った。
あとはあまり話題にならないけど、義烈空挺隊と同時に行ってた伊江島の飛行場の夜間爆撃でパイロットや整備員が50〜100名死傷する大損害を与えてる。 >>270
艦船特攻が米軍が効果あると言ってて
名参謀八原も地上攻撃は無意味と言ってるのに、何が根拠なんですか?
名将さんw
零戦や隼をヤーボみたいな運用するの?w そんな訓練もしてなきゃ装備も無いよw >>271
地上もP61もいれば対空砲や機銃もあって鉄壁なんですが
夜間の地上部隊への戦術爆撃なんて米軍すらまともにはやってないのに、日本軍がどうやってするんだ? 特攻についてどうこうずっと言ってるやつらは専用スレ立ててそこに行け
いつまでやってんだ
自走砲かせめて火砲についての話をする気がないなら出てけ このスレ自体アフィカスが建てた重複スレだし
今更話す内容にスレチもクソもないわ >>276
まあ一式戦はヤーボみたいに地上攻撃をかなりしているんだけどね
後期は250kg爆弾爆装可能になるのはそういう理由
まあ「やったこと」と「それで戦況が好転したか」は全然別だし、
地上攻撃をするようになってからも、一式戦の大部分の任務は制空任務というね
それに地上攻撃の大半は飛行場攻撃だから、敵歩兵部隊や野砲部隊に対する空襲の頻度はそれに比べたら多くは無いのも事実
多分、それすらも自称名将さんは知らないのだろうな >>283
一生ほざいてやがれ
このクソスレが潰れるまで辞めねぇww スレチ言うぐらいなら自分から話題ふれよ
それができねーなら話す内容がないって事だろ? >>285
輸入気はあったみたいだが、結局届かなかったらしい
国軍は三号突撃砲の情報は大戦の初期には入手してて
突撃砲を参考に直協戦車という車両を構想してた
この日本版突撃砲は、対戦車用じゃなくて短砲身75o砲(将来的には10榴)を搭載する
歩兵支援用だった。
車体は五式中戦車の原型に当たる新中戦車(乙)と同形式のモノを使用する予定だった。
結局実行に移せないままこの案は昭和18年半ばに方針転換やったせいで没になった。 昭和18年の方針転換後は直協戦車の代わりに
低姿勢の駆逐戦車(甲)・(乙)なる車両が新たに構想されてるけど
(甲)は軽戦車の車体に九九式七糎半戦車砲(II)を搭載する予定で
徹甲弾じゃなくて成形炸薬弾を使用する車両だったらしい。
結局これも昭和19年に開発中止で没
(乙)は同じ車体に墳進爆雷なる物を搭載する予定だったらしいが結局どこまで研究が進んだかは知らない >>282
>まあ「やったこと」と「それで戦況が好転したか」は全然別だし、
大陸打通作戦の大勝利は、太平洋戦争の大敗北を吹き飛ばしてしまった。 >>282
>まあ「やったこと」と「それで戦況が好転したか」は全然別だし、
9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、
死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、
世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm
つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害
人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万
以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、
負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の
中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。
http://www.china-news.co.jp/node/4456
興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、
興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、
人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1
6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html 日本の自走砲/戦車用のタ弾って57o以下は外筒式と割り切って問題ないのかね?
瑣末な問題なのか系統だって調べた資料が見つからなくて調べても雰囲気しか分かない
ので棚上げしてるけど。 4輪トラックを大量製造出来るためには
日本とフォードの共同資本のトラック製造会社を戦前に設立しとくほかなかったのに
統制経済厨がいたるところにいたわけでなあw >>292
日本人は中国人よりは圧倒的に優秀だが? >>293
死ねよ荒らし。支那人の話は関係ねーだろ。 >>65
ナチがイタリアより弱いことも知らんのか?
ロンメルが仮病で逃げたあと、北アフリカを支えたのは誰か知らんのか?
日本軍>>イタリア軍>>>>>>>>>>>>>>>ナチ >>73
補給が途絶する前にバンバン降参して捕虜収容所で野垂れ死んだのがナチ
ナチに日本軍と言わないまでもイタリア並の粘りがあれば
900万人の西部戦線が一年で殲滅されることもなかっただろう >>292
1930年代初頭の日本の自動車製造では日本フォードと日本GMが強かったのを
1935年の自動車製造事業法で許可制にして国内産業育成と引き換えに締め出してしまった。
すると技術導入も途絶えてしまったのだった。 >>298
その辺、ソ連は柔軟でスパイ活動もあるけど工場丸ごと
輸入したりして、大量生産体制を確立してるんだよな。 戦中はレンドリースでアメリカ製トラック入れてるしな。
戦中のダッジWC3/4トラックは積載750キロで37mm対戦車砲積んでテクニカル車輌にもできたうえに26万台製造。 そこはドイツも同じで、GMの工場接収してトラック作らせたものだから
アメリカ、ドイツ、ソ連で同じトラックを使ってたという
ソ連以上に頭固くて、統制大好きだよね日本のお役人は でも正直、外国資本・支援ありなら何でもアリになっちゃうだろ?
それこそもし日本がありったけレアメタルかきこんでいたら、とか、フライス盤をストックしていたら、とか、何でもアリでホルホル出来ちゃうじゃん。 >>298
日本じゃ作れないプレス機や日本じゃ作れない高張力鋼板やら使ってるから、技術導入以前の問題なんだよなぁ
ボンネットをマトモに作れるようになったのが >>303
そういうのや、エンジンやトランスミッションといったコア技術すら教えると
フォードはいって、実際トヨタの人間をアメリカで技術指導するというところまで
来たんだけど、出国の許可ださず、潰されたんだな。法律で自動車が造れるのかと
いう捨てセリフはいたそうだげど本当に、そのとおりだね >>302
>でも正直、外国資本・支援ありなら何でもアリになっちゃうだろ?
≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫
「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は)
自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、
ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、
自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、
農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。
われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士
“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!! 」
≪中略≫
当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、
その米式訓練をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練をした孫部隊は、
一キロ歩いては休み、次に一キロ進んではごろりと道端に寝転がる。
しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を
乱してむらがり、悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。
≪中略≫
孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえばかなわないものと信じていたのに、
その日本軍がひきあげたのである。勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。
ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、
たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。
そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。
ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、にこやかに迎える
孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか?
≪中略≫
スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。
「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、 全中国軍のなかで
とびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。 足りないというのなら、
迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。 だが、命令に従うのが条件だ・・・・
もし自分の使命が達せられないようなら、辞職してワシントンに報告せざるをえない」 >>292
ソ連は統制経済で立派に勝ったわけだし、別に統制経済が悪いなんてことは全くない。
ソ連がナチスドイツを倒してベルリン入りしたのと中国の抗日戦争は似ても似つかない。 ソ連は統制経済の前提として地下経済の温床になっていたマフィアや宗教金融を解体しまくったので
近世さながら旧態依然の国よりは効率的に技術投資できた違いがある フォードの何がやばいかというと、現地生産主義で部品の調達から組み立てまで現地で行う
規格統一の意味もあって製造機械も全部持ち込む
戦争は別として日本の自動車界がブレイクスルーするチャンスだったのですよね(民間の石油消費問題はあるのですが)
装甲板一枚製造できないルーマニアはフォードの整備工場があるというだけで終戦までフォード系の車両
エンジンを搭載したAFVを動かし続けられたのはこの現地主義のおかげですね 統制経済は「たまたま当たることもある」だけで当たらなかった時の悲惨さは歴史が証明している
市場経済と較べて大当たりしない確率が極めて高いこともまた歴史が示している >>308
個人的に気になるのは、もし日本フォードが大成功したら我が国はヤードポンド法が適用されてしまうのだろうかという所だな
ヤードポンド滅べ >>310
いまでも乗り物関係や建築資材だとインチ規格ふつうにあるし、禁じたはずの尺貫法も何だかんだで生き残ってるけど、日常生活ではメトリックでそんなに困らんでしょ?なるようになってるよ 日本フォードが成功したところでどのみちチハたん止まりではないか
そもそも工業国のチェコでさえハ号に毛が生えたような軽戦車なんだぞ ジャップタンクを引き合いに出すのはチェコに失礼すぎる >>313
世界最弱ナチにあっという間に席巻されたゴミがどうかしたか? >>313
いやマジで。
チェコでさえLT-38やLT-35程度なんだわ。
どっちもハ号に毛が生えたレベルでしょ??
LT-38でさえ125馬力の貧弱な軽戦車だぞ。
LT-35はポーランドのたった1両の豆戦車に一個中隊壊滅させられてるんだぞ
チェコでこれなら日本でも変わらんやろ シュコダ社はチェコ併合後は38tをナチ向けに1941年まで製造継続していて初期の電撃戦では3号と並んで活躍した。
その後は自走砲用のシャーシ製造のみに専念して、マルダー3、グリーレ、対空戦車、へっツアーがつくられるわけだ。
ついでに虎シリーズやエンジン開発で有名なポルシェ博士はチェコ出身 ナチの手を借りるのはずるいぞ
いや下っ端として強制されたんだけども タイガー戦車や188t重戦車マウスにしてもチェコのボヘミア地方出身なポルシェ博士が設計したものだぞ。 シュコダ社の生産力にも劣っているうえにまともな設計技師もいないのが日の丸クオリティーだが
だからなんだよ。神風でも吹くのか? >>321
Pacific Experience" (1.95 dead & missing and 7.45 total casualties/1,000 men/day)
"European Experience" (0.42 dead & missing and 2.16 total casualties/1,000 men/day).
米兵の死亡率は太平洋戦域の方が4倍以上、立派な戦車に乗っても戦争は激弱
それがナチクオリティ >>321
日本を(フィリッピン等占領された)これら地域から排除することは簡単な仕事では無かった。
大日本帝国の兵士達の降伏率は大戦を通じて驚くほど低く1〜3%だった。しかも
そのうち自発的なものはその3分の1だ(残りは自殺できないほど負傷した者)その結果太平洋戦線での米国兵の損耗率は欧州戦線と比較して3.5倍に達した。
Removing Japan from these lands - which fell primarily to the United States- proved
no easy task. Imperial Japanese soldiers surrendered at appallingly low rates.
According to some sources, only one to three percent of Japanese forces surrendered
throughout the war, and only one third of these troops actually wanted to surrender
(the rest were too sick or wounded to commit suicide or continue fighting.)
As a result, most estimates suggest that America’s casualty rate in the Pacific
theater was about three and a half times larger than in Europe
http://nationalinterest.org/feature/the-5-most-precarious-us-allies-all-time-12075
The 5 Most Precarious U.S. Allies of All Time
米にとって最も危険だった同盟国 ナショナルインテレスト誌 2015/01/21
日本軍には技術は足りなかったが、最弱ナチの三倍は強かった
ナチは強力なMe262やパンターを使ってもチハや38式の弱っちい日本軍の1/3の消耗率しか与えられなかった
日本軍にヤクトパンターやパンツァーファーストがあればナチの10倍の消耗率の損害を米軍に与えていただろう
ナチは作った兵器を全て日本軍に無償譲渡すべきで だった >>321
米軍戦訓誌Intelligence Bulletinによれば、ドイツ軍は戦争に負けてるにも
関わらず、戦車開発を進めて
パンターの新型(G型か?)を投入して、戦車兵にM4と2,000ヤードで
撃ち合うよう訓練したが、米軍はそれを逆手にとって
Novilleってとこでのクリスマスの戦闘で、M4で45分間の間に
パンターG型を一方的に6輌撃破したと書いてるな
ナチヲタの妄想と違って実際の戦闘なんてこんなもんだったんだろう
http://www.lonesentry.com/articles/mobilepunch/index.html チェコはドイツ軍の下請けになって独自開発の戦車の系譜が途絶えちゃったのですよ
戦中にドイツ軍向けの長砲身75o級の戦車のプレゼンはやってますがその程度ですね
なのでちょっとチェコを馬鹿にし過ぎかなとは思います
ちなみにルーマニア陸軍第一王立戦車師団はそのLT-35と38を主力にスターリングラード戦では
残存2割になるまでガチのソ連軍相手に抵抗戦を続けたんですぜ >>321
いやマジでポルシェの出身がどうとかはだからどうしたってレベルなんだが 要はこんな天才輩出する国なんだぜーーすげーだろジャップww、って言いたいんだろうが
結果が全て
その天才を輩出した国の作品、末路が37ミリのクソ軽戦車だろ?
いやいや、素晴らしいねぇ。
ソ連はとっくに45mmだったんだよ?
フランスにはドアノッカー扱いされたんだよ?
チェコもクソザコナメクジだったって事でFAだろ
むしろあれだけ工業国の割に農業国日本と大差ない125馬力エンジンだぞ
125馬力だぞ
125馬力
大事な事なので三回言いました チェコが東欧の歴史の浅い国だと勘違いしてるのかもしれんが
ボヘミア王国時代から金属加工とガラス細工と食品加工が盛んで16世紀以降はハプスブルク家の統治するベーメンだったのでオーストラリアの工業地区の様な立ち位置だったのだよ。 アホか常識だろ
俺はチェコに対して一貫して工業国としてワッショイした上で軽戦車だとか言っているというのに。 ナチスに占領されちゃって独自開発なんかできなくなったからだとみんな言ってるが。 第一次大戦でハプスブルク家が没落したのでベーメン地方への投資も激減したんだろう。
マルダー自走砲はソ連から鹵獲した野砲を載っけただけから始まるがこれはチェコのアイデアでもいいのかもな ズデーテンの要塞帯が政治的なアレでナニしてなかったら、軽戦車をそろえて機動力をもたせるってのは、結構隙のない陸戦ドクトリンに従った整備計画だったからねぇ 日本は120ミリクラスの迫撃がないんで、これをホニIIで代替するというのはありだったかも。 自走砲に話を戻しますが、戦車第十四連隊の砲戦車小隊に配備されたホニT、
ホニとしてはかなり古い車輌(というか砲)で昭和17年10月にラングーンで受領したものだそうです。
兵器No.は362。このNoがどういう法則で付けられているかは識者の分析を待ちたいところですが、
番号が古いほど古い車輌ではあるとしても少なくともチハ車体だけの連番というわけではないようです。
このホニTは受領時期からみて試作車輌(砲)であるか、最初期生産の26輌(門)のどれかということになりますね。
この26輌(門)も七糎半とする文書と十糎とする文書がありますが。
昭和17年4月21日の兵器局長南方出張に対する調査希望事項で実用成績調査に挙げられた七糎半自走砲の個体そのものかも知れません。
このホニT、インパール作戦時点では57mm砲装備のチハ1輌と混成で砲戦車小隊を編成していましたが、
昭和20年2月8日の文書でも砲使用不能ながらやはり57mm砲装備チハ3輌、テケ1輌、自動貨車1輌と共に第四中隊保管車輌とされています。
第一中隊が47mm砲装備チハ7輌、ハ号1輌、自動貨車1輌、
第二中隊が47mm砲装備チハ6輌、57mm砲装備チハ1輌、自動貨車1輌、
第三中隊がハ号7輌、自動貨車1輌、
であることを考えると、たった1輌(門)ながら中隊番号が変則的ではありますが
当時の戦車第一〜三師団の戦車連隊同様、砲戦車中隊の装備として扱われているように見えます。 >>334
二式十二迫があるではありませんか。
充分な数とは言えませんがホニよりはずっと沢山作られていますし。 >>337
悪いが、荒らしの建てたスレで書くべき内容ではない >>339
感謝します。
補足させていただくと
>砲戦車中隊の装備として扱われているように見えます。
は57mm装備チハを集めた中隊であるという意味です。
ご忠告に従いここまでにしましょう。 >>321
>シュコダ社の生産力にも劣っているうえにまともな設計技師もいないのが日の丸クオリティーだが
>だからなんだよ。神風でも吹くのか?
9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、
死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、
世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm
つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害
人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万
以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、
負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の
中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。
http://www.china-news.co.jp/node/4456
興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、
興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、
人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1
6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html 以前九四式7糎戦車砲を最初からチハに積むべきと煩かった者だが、今は対戦車が何より大事だと分かった
九○式野砲転用では弾重量・閉鎖方法の違いから一式系統の速射砲に及ぶべくもない。撃発方法も砲兵のまんまだから照準と撃発が別になるしな。
一式47mm機動砲(戦車砲)は傑作だがあとちょっと貫徹力の伸びが欲しい
結果として57mm長砲身も同時並行なりで開発すべきだった
砲塔が二式砲戦車並みに大きくなるとしたら車体前面装甲形状の変更の必要有りと認むが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています