日本軍は何故自走砲を量産しなかったのか [無断転載禁止]©2ch.net
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チハとかよりずっと役に立つと思うけど何故量産しなかったの? 以前九四式7糎戦車砲を最初からチハに積むべきと煩かった者だが、今は対戦車が何より大事だと分かった
九○式野砲転用では弾重量・閉鎖方法の違いから一式系統の速射砲に及ぶべくもない。撃発方法も砲兵のまんまだから照準と撃発が別になるしな。
一式47mm機動砲(戦車砲)は傑作だがあとちょっと貫徹力の伸びが欲しい
結果として57mm長砲身も同時並行なりで開発すべきだった
砲塔が二式砲戦車並みに大きくなるとしたら車体前面装甲形状の変更の必要有りと認むが 対人戦闘の方が多いし随伴歩兵もいるから
戦車砲はともかくバズーカに耐えられないと 残念対人でもなおさら七糎は意味がない。
少なくとも対戦車砲はともかく七糎より九七式五糎七戦車砲の方が使えるのと判断。
何故かというと片手で素早く装填できる限界が57mm。
一発あたりの危害半径が大きくても57mmより発射速度と傾向弾数が減ってしまうということ。
口径に拘ったところで一発の榴弾威力が全てではない >>347
まあ、主力戦車でない(砲戦車)ならその縛りはなくなるけど
それだったら山砲だ…いや野砲だってなるしなあ
七糎戦車砲はぶっちゃけ使い道がない。
初速があればと思ったが肝心のチハには(旋回砲塔式に)のせられなくなるし >>348
主力中戦車にはまず対戦車戦闘能力が先決という戦訓
というのも自軍の戦車が持ち込める戦場で敵の歩兵と戦うって時にはたいがい敵の歩兵にも戦車が随伴してるからというのがソ連軍との戦闘で判明
マチルダに代表される歩兵戦車も似た様な思想
貫徹力だけは優秀だからあれ。
一方暴露目標の場合敵歩兵を潰す際には実は47mmはおろか37mmでも出来ない事はない(英軍2ポンドと違い榴弾の用意があればだが)
実際にM3軽戦車やラビの陸戦隊ハ号の様に37mmの威力手榴弾一個分を連発してるだけでも十分狩れる
だから57mm長砲身だと十分に対歩兵もこなせる
わざわざ弾数・発射速度減らしてまで七糎の榴弾威力を持ち出すまでもない。 長57mm砲はどれほどのモノかにもよるが
とりあえずチハよりターレットリング径が小さいヴァレンタインに6ポンド砲が搭載できたんだから、理論上はチハに搭載できるだろう
ただ、弾薬や砲尾の大きさにもよるが初期のT-34みたく発射速度が遅くなる可能性大
解決策としてのターレットリングの拡大もエンジンサイズ的に無理だし、
長砲身砲搭載したチハ改は応急措置的な兵器だから車体延長や前面レイアウト変更は却下されると思う >>341
では>>339氏のご忠告にも配慮してあまり真面目にならずにすむ与太ネタを1つ。
「中日装甲兵全史」には、打通作戦時に戦車第三師団の砲戦車中隊に属する「一式7.5p自走砲」に関する幾つかの言及があります。
Aはこれに撃たれたとするもので中国側資料では自動推進砲としているとか。
Bは日本側がこれを使用しなかった例。
Cは九七式中戦車で代用していたとする例。
BとCはともかくとして、中国側資料で自走砲の存在を示しているとするAはどう考えたら良いのか。
戦史叢書該当巻では機動砲兵連隊にしろ砲戦車中隊にしろ自走砲の有無については確認できません。
しかし昭和19年5月1日の電文(支那派遣軍総参謀長⇒次官次長)において、
ト号演習参加兵力として、軽戦車30、中戦車60、砲戦車13、
車載重機192、同37mm砲30、同47mm砲60、同砲戦車砲13が挙げられています。
砲兵か戦車かは別として自走砲が13もあったのか? いや代用中戦車も砲戦車に分類したものか?
車載重機192は中軽戦車90に各2と考えれば180、砲戦車13に各1とすれば合計193となり、
誤記か欠数を示すものかは別として砲戦車も各1の自衛用に車載重機を保有していたと見れば妥当な数です。
代用中戦車乃至は軽戦車だとこの数からは遠くなってしまいます。(合計206になる) 更にしかし、敗戦後に中国側が接収した日本戦車の概数はわかっているのですがこれ等自走砲(砲戦車)を示しそうなものは見当たりません。
火砲に分類した可能性も無きにしも非ずですが、だとしてもこれだけまとまった数があれば写真の1枚や生存者の書き残した証言の1つ位ありそうなものです。
※とはいえ写真や証言が無いことは決定的な証拠にはなりません。証言や写真があればあったことは証明し得ても無いことで無かったことは証明し難い。
実際のところ電文の方は編制表から単純計算だけなのでしょう。(それにしては13という数は半端ですが)
ただまあ、「戦車第三師団にホニがまとまった数装備されていた」という珍説を挙げる燃料位に利用できなくもないかと。 国軍が実際に開発した長砲身57mm戦車砲・対戦車砲の貫通力は佐山本じゃ約60mmまたは65mm程度あり、九○式野砲よか軽量で47mmより高威力。いわば野砲と47mmのいいとこ取りだけと逆に見れば中途半端。
史実のような道程を辿る以上、岩畔大佐みたいなゴリ押しが無い限り野砲か47mmでいいやってなると思うわ 今の6.5mmと7.62と5.56の話とそっくりだ
6.5は7.62より軽くて5.56より強いけど、5.56より重くて7.62より弱いみたいな
貴重な開発ソースをかけるだけの価値があるのかどうかわからん
45年に敗戦すると知っていれば、一矢報いるために57mm長砲身を開発すると言う事にはなりそうだけど…
個人的には装塡手をとっとと乗せて75mm短砲身使えと思う >>353
野砲は砲弾が重く閉鎖方法や撃発タイミングの難しさ、本体の重量がやや重いって点がね。貫徹力は5mm程高いのだが。
発射速度が遅い上に狙いも付けづらいってのがね。
対戦車戦闘に関しては貫徹力5mmのアドバンテージが覆せないハンデがあると思う。
自動開閉水平鎖栓式だから砲弾も片手で軽く装填出来る限界と言われた57mmだから多少は落ちるがどこまで落ちるかね。
まあ57mmがお蔵入りしたのも「単に貫徹力不足」だからなぁ。
普通なら、57mm長砲身の方が75mmクラスの少なくとも野砲よりかは同等以上じゃなくちゃいけないんだが、諸外国の6ポンドや対戦車砲としてZiS-2より一回り以上軽量だから、それ相応の威力しかない。 あと48口径の戦車砲は軽量で重量相応の貫徹力だから重量に見合わない訳ではない。ただそのニーズの間隙に埋もれた訳で。
一般に言われる駄作は、57mmの対戦車砲の方だな。
57口径という大掛かりな割に貫徹力が頭打ちになってる。
尤も、資料の混同の可能性もあるが、装薬の燃焼や砲弾重量との兼ね合いは念密な計算に基づいて行われるから、急ぎで作った兵器では上手くいかないこともある。 片手で装塡できる限界は57mmとされているけどその57mmはあくまでも九七式五糎七戦車砲であって
長砲身版でもそれが適応されるワケじゃない
最悪、総弾数の問題も上の七糎戦車砲と代わらなかったというオチもあり得る
長砲身57mm砲開発は砲戦車の搭載砲には山砲級に代わり野砲級を使いたかったが
結局野砲兵の管轄に触れたための妥協案っつう話もあるし 長57mm砲搭載する戦車(チハとは限らない)を量産する機会があるとするならば
史実の日本より国力がいくらかマシでシナ事変が泥沼化せず
当然、対米戦も起こらないし陸軍の兵器開発は順調に対ソ連に向けて進んでいく…
世界な希ガス
あと結末知ってても長57mm砲の採用は多分ないと思う。
一式47o戦車砲のベースのベースである九七式47o砲の開発が1938年に始め、
さらに1939年以降に戦車に野砲級を搭載することを求められてた時点ですべてが決まっていたようにも思える チハの開発時には7サンチ戦車砲は制式化されてたし
旋回砲塔で95式重戦車に装備やんか
成形炸薬を導入して対戦車能力を付与するにも57ミリより70ミリの方が期待できるぞ
そもそも70ミリ戦車砲は全備重量350キロしかないから、47ミリや57ミリより軽い 未来知ったのにもかかわらず支那事変拡大・対米戦不可避になるという前提なら多分、
チホ車系統の案は生き残るし、砲戦車は九九式七糎半が間に合わないと考えて七糎戦車砲(+タ弾)もあり得る。
戦場が戦場だけに戦車団は作らないし歩兵科から独立できなかったかも 大隊砲と戦車砲で弾や薬莢を共通化するメリットもあるかもしらん みんな小難しい理屈こねてるけど、単に当時の日本人の想像力と発展性のなさでしょう。
やろうとおもえば、上海戦で八九式戦車+三八式15cm榴弾砲の自走砲が活躍もできたはず。 八九式中戦車は57mmの方が火力高いよ。
片手で素早く装填できる限界の軽さなので、戦車における一発の威力と発射速度の妥協点がそこにあった
十五糎榴弾は発射速度が遅過ぎるし閉鎖方法も撃発方法も砲兵のまんまだ
つまり速射による弾幕で敵歩兵を圧倒できない。
かと言えば弾数がすくないので持続継戦能力も低く砲弾の補給がただでさえ弱い補給線を苦しめる。
つまりは使えないから作らなかったのだ。
当時の日本軍が選び得る戦車砲で理想的な口径は47〜57mmの間だけ。
なるべくしてなったんだよ。 >>363
いや〜、無理っす
実際問題九七式中戦車+三八式十五糎榴弾砲の組み合わせのホロ車すらギリギリセーフだった。具体的には射撃時の反動にギリギリ耐えられるという代物だったんで八九式じゃ無理です。
もう一つの問題として三八式十五糎榴弾砲は自走化するほど優れた砲じゃなかったし、
八九式の時代じゃやる必要性も薄いし車両関係にまわす金もなかった。 >>2もそうだが、片手で装填できる限界が短57mm砲and長47mm砲までという話と
自走砲の開発は全く別の話
片手云々は歩兵科戦車部隊の中・軽戦車の話
一方自走砲開発は砲兵科の話で開発運用を主導している部署が全く違う
陸軍自体様々な兵器を専門的かつ効率的に扱えるよういくつかのグループに分かれているのに
日本陸軍と十把一絡げにしてるから片手装填と自走砲開発を混同するんだよ >>366
いや砲兵が使おうと別個に装填手が付こうと57mmの方が75mm以上より発射速度は高いんだよ
つまり自走砲そのものがあまり日の目を見なかったのは陸軍が一発の威力よりも発射速度を見ていた 因みに自走砲はホニ2だと最大射程9kmもあるが、そもそも遠距離からの間接射撃が出来る軍隊でもやっぱり直接射撃の方が遥かに精密に撃てるのよ。
だから近距離で肉薄して撃つ分には中戦車の方が、ってなる。
兵科毎に開発が分かれていても最終的に上の陸軍が開発を許可する。
だから砲兵が仮に自走砲を念願していても上が「中戦車の方が有効なので開発の必要無し、当然中戦車なので戦車兵が使えば良し」と言えば中戦車に車体も取られて作れねえ。
かといって砲兵の自走砲にいくら仰角上げたところで射程の短い57mm砲積んだ自走砲なんて砲兵の側からNGだろ。
んなわけで自走砲だろうと中戦車だろうと、上のお偉いさんにウケがいい(固定目標には精度の良い57mmに針の穴を通すような肉薄射撃を期待した方がいいと判断)方が認可されるのよ。
だから砲兵が「75mmでもいい」とか「チハの車体で我慢してやるよ」
とか、砲兵側でいくら話し合おうが上が最終的に決める話だから。 自走砲が日の目をみなかったのは速射性は全く関係ないし一発の火力云々は的外れ。
自走砲の最大の目的は布陣から射撃と射撃状態から撤収までの時間短縮だぞ。
そもそもなんで量産しなかったかと言えば
端的にいえば、
あれこれ兵器開発の方針を決めた段階で、やれもしないアメリカとの総力戦を始めたからだ。 >>369
反論になってない。
サラクサク峠の戦いのホニに見られるそういった自走砲のメリットは「導入する理由」にはなっても導入しなかった理由には関連付けられない。全く無関係。
同じく戦車もまた放列転換が迅速に出来るので同じであるし。
戦車と自走砲とで比較した際に戦車の方にリソースが流れた理由にはならない。
ましてや総力戦決めたからも違う。
総力戦で制限されるのはリソースの総量。
如何に分配するかは日本軍が決めた事だ。
限られたリソースの中で戦車を量産したのであり、量産されなかった理由をそのリソースのパイが制限された事に求めるのはスレタイ立てた奴の意思とも違う。
そりゃアメリカみたいに何でも作れるならどっちも量産できるだろうが。
そんな事ではなく、「戦車と自走砲とで、なぜ自走砲の量産が少ないか」という、「分配」の方を聞いているんだ。 もうちょい具体的に書くと
陸軍上層部もチハを作り続けたくなかったし
砲兵科もチハ車体の利用を避けたかった。
理由としては、チハ車の量産自体上層部が
渋々許可したもので
チハ車自体、重い・信頼性低・作りにくい・操作性が低いと上層部から見た現状に合ってなかった。
だから上層部はチハの生産を短期間で終わらせその生産期間内で本命の新中戦車(チホ車、後にチへ車)を開発するつもりだったし自走砲もその車体を使わせる計画だったし、砲兵科もそのつもりだった。
結局計画変更でチホ車案の破棄・チへ車案の開発遅延や情勢の変化でチハ車体を使わざるをえなかったがね。
機甲科も機甲科でノモンハン前後から
37mmと短57mmから脱却し47mmと75mmに移りたいと考えてた。短57mmの使い勝手が良かったのは国府軍相手までで列強(特にソ連)には力不足だと気が付いたからだ。
結局これも生産力不足や開発のグダグダで
終戦まで短57mmから脱却出来なかった。 総力戦、じゃなくて禁輸も含めたアメリカとの一連の対立、更には当然中国との戦争もね。
リソースも制限ってよりは不足(拡充に追いつかない)。
アメリカとの総力戦決めた「だけ」だったら、戦車も自走砲の量産も同様の足を引っ張られ方をする筈だが?
なのに、現実としては戦車を5000両近く生産した一方で自走砲は比較的少数に留まったわけだ。
それの説明に全くなってないだろ?
お前さんが言ってるのは家族でケーキを等分した場合にケーキの全体の大きさそのものが減ったからケーキのカットも小さくなったって場合の論だ。みんな等しく小さいな。
でも現実としては分ける前のケーキが小さくなっただけじゃなくて、兄貴のケーキと弟のとで切り分ける大きさが一桁違う状態に「なぜ」と言われているのに対して「小さいケーキしか買えなかったからだよ」じゃまっっったく説明になってないのよ。
総力戦云々は自走砲の量産数が減った理由にはならない。
正確には戦車にリソースが取られた為。
そして戦車の方に取られたのは自走砲より有用な兵器だと見なされていたからなんだよ。
そして肉薄攻撃で敵を攻撃する戦車が選ばれるのに発射速度含む57mm砲が関係してないわけないだろうが。
じゃなきゃ同じ車体に75mm積まなかった理由にはならねえよ。 日本はそもそもアメリカと総力戦する気はあったのか
総力戦自体アメリカはする気満々だったけど
日本は軽い見積もりで準備もその気もなかった気が >>371
別に47mmや57mmを理想だなんて言ってないんだよ。発射速度や砲塔式、操作性などへの評価で量産されなかったわけ。自走砲は。
57mmと47mmの発射速度を評価していた為にあれこれと半自動装填装置とか付けたり電動旋回とかいろいろ付けたが、どれも出来はハテナがつくか遅延ばかりの代物で殆ど戦況に間に合ってない。
結局は理想と現実の区別が付いてないやからがやたらと大口径に拘るが、「それに伴いどんな事が起きるの??」と言うのには全く頭が言ってないのさ。
75mmじゃそもそも砲塔に積むかどうかも絡んでくる。
砲塔式にも拘った。
単にカタログスペック厨で「操作性」とか「砲塔旋回」とか「砲弾装薬筒重量」とか、そういう隠れたところが見えないでただデカイ砲を積めばいいと思ってるから、なぜ量産数が少ないか分からない人が多い。 >>374
つまり、上層部は自走砲と戦車は同一の物としか見てなかったってこと? というか有用性が中戦車>自走砲であることと57o砲の使い勝手云々はあまり関係ないよね コミケの自走砲本だと違うこと書いてあったような…出先だから読めん。
誰か持ってない? >>376
肩当式ではないが47mm砲もだぞ
俺は37mmより大きい(≠37mm)史実の戦車砲について言っている。
砲塔につめてかつ操砲も装弾も排莢も迅速で自走砲の野砲みたいに撃発もバラバラでない。
チハの主砲より使い勝手が悪い、発射速度も遅い、旋回もない、という事が読めないならそれでいいが。
>>375
一緒どころか優先度は下だぞ それに一緒のものとは見ていないのに比較されて自走砲が蹴られる事もあるって分からない?
自走砲と戦車は別物なのに戦車の方が良いよねってなる事もあるんだよ。
自走砲は仰角を25度とか取って射程取れる、普通に砲兵の装備なのだが、肉薄して射撃した方が命中精度は良い。
つまりそう言った運用より、チハの様に肉薄して射撃したり対戦車戦闘も行う方を評価したんだよ。
全く別の兵器を同じ土俵で比べられて戦車兵側の肩持った、それが史実。
要は君が軍部に言いたいとすれば「砲兵装備だから比較してないで別枠で頼む」
と自走砲の立場の保証だろ?
残念ながら自走砲に回すリソースが競合している以上、自走砲か戦車かは付いて回る問題なんだわ。 まあなんにせよ、どちらか選ばなきゃならない状況なら自走砲より戦車選ぶって理屈は分かる。
自走砲は牽引式でもある程度代用できるけど戦車は他車両で代用しにくい機動戦や陣地突破上の利点もある。
日本砲兵にとっても当時(開戦直前まで)の現状自走砲は、まだまだ牽引砲の補助でしかなかったわけで
優先事項は既存の野砲や野戦重砲等の火砲の充足だったし >>379
ああいや、一緒ってのは優先度じゃなくて運用法の話ね >>381
運用法は当然違うよ。
砲兵は遠距離射撃もする。
仰角が20度超える様だと軽く市街地や丘地程度は飛び越える。
砲の射程考えれば分かるよね。
レンジが違うんだよ。
チハの場合は射程が短く、直接射撃でピンポイントに狙う。
当然、敵との距離も近いから、操砲は何より求められるし、発射速度が速い方が複数目標にも迅速に対応できるし、よって旋回砲塔も必要になる。敵の銃砲にも晒されるから全周囲防御は必要にもなる。
つまり砲兵の射撃でより身近な目標に精度ある射撃を求めると近距離射撃になる、そして近距離射撃を求めると機動力も操砲も発射速度も砲塔も何もかも…、となり戦車になる。
そもそも低伸する野砲だと友軍超過射撃で味方を誤射しかねん状況もある。
最前線で直接狙って撃つのが一番狙いやすいって判断なのよ。
当時にGPS誘導弾でもありゃ話は別だろうが、遠距離の射撃ってのは相応に命中精度も低下するし、それに伴い砲弾の消費も多くなる。
だから日本軍は戦車によるピンポイントで一個一個目標を潰す方にシフトしたんだわ。
当時の陸軍からしてみれば、遠距離から撃ってくる砲兵より、歩兵と直協して
砲弾を速射で連発してピンポイントに機銃座などを潰してくれる戦車の方に車体を回すというのは、当然の判断ではないかな。 牽引砲でも代用が効くかつ牽引式の補助でしかなかった自走砲より代用の効かない戦車を選ぶのは分かるが
ただ搭載砲はあまり関係ないだろ
仮にあれより大口径だったとしても同じ選択をしたんじゃないのか 搭載砲は連射性より生産性の問題だろ?
上層部の重視するのは下っ端の使いやすさより如何にたくさん作れるかだ。 363を書いた者だけど
別にシャーマンや敵砲兵と撃ち合うんではなく、機関銃弾を跳ね返しながら
敵トーチカを直射で潰したり中国城塞都市の城門を近接して破壊できればいいんで最初期の自走砲としては充分だと思う。
これなら装甲・機動力・速射性・射程も大して要らないし。
まあ旧式とはいえ虎の子の戦車にそんな改造許されなかったとは思うが。 >>385
貨車山砲でええやん
チャイナのトーチカ()や城門なら山砲級で十分だろ 路上速度なら豆タンと変わらんし
射撃時は車止めかブレーキかけてりゃ載せたままでも撃てる(適当)
車両には鉛玉の雨が降り注ぐって?知らんがな >>386
75mm級でも威力は充分かもしれないが、150mm級の歩兵直協自走砲の存在は
敵味方双方の士気に大きな影響を与えると思う。 >>389
でやるとして、車体は?
八九式に載ると思っているの?
十五糎クラスだとチハ車体でギリギリ
それもオープントップでろくな装甲なんて
重量的にできない
機関銃を防ぎながら直射をやるよな距離だと
オープントップは何処の国でも不味い
だったら普通のチハ車やイ号でも充分こなせるし、国府軍相手や大戦初期の植民地軍には戦車があるというだけで士気への影響はかなり強い。 城壁破壊がせいぜいの発射速度低い十五糎より、野戦にも使える発射速度の高い57mmだろ。
八九式の価値ってほぼほぼ旋回できる57mmが機銃弾防げる存在って事だからね?
要は本体が57mmみたいなモンだ
十五糎砲は1分間に数発しか撃てんのよ
ましてや四年式じゃなくて三八式だろ?
三八式の欠点は知ってるよな?
初期の後座砲だから駐退機の設計が悪く砲を撃ったら激しく仰起してしまう問題があった。後座長を十分に取らなかったのと単に砲弾重量が重いのも相まって後座衝力が尋常じゃなく大きいんだよ。
四年式は発射の反動を抑え込む様に改良されているから、砲も安定してしっかりした射撃が出来ていたけども。
だから八九式じゃなお不安が大きいのよ。 だーかーらー
第2次上海戦時に装備可能な最初期の歩兵直協自走砲にどんだけ過剰なもん求めてるんやと。
牽引が難しく予備兵器となってる三八式と自動貨車に追随できないが
既に一定数生産されている八九式の組み合わせは当時としては十分可能
車体に載らない?1号重自走歩兵砲のほうが余程小さいよ。
後座衝力?5900m先じゃなくて精々600m先のトーチカや城門を破壊するのに特化した兵器です。 いいや全く過剰な要求ではないね
余程接近しないと無理。
三八式の反動を舐め過ぎ
十五糎といえど至近弾でなく直撃弾でないと破壊は不可能
だから近距離直射用と割り切るにも最低限の精度はいる
ましてや中距離以上でロクに狙えない精度の自走砲なんて中途半端な存在に八九式を回すぐらいなら旧式でも当時はハ号と並んで主力だったんだからそっちに回されるわな。
ってか史実のチハの車体でさえ限界だったものが八九式のに乗せては余程肉薄しないとまともな射撃は期待できない
あれは5900mどころか仰角が低いほど砲架への姿勢上、反動で起き上がりやすくなり非常に不評な兵器だったんだよ
当然車体に乗せて使う分にもね。
なので近距離直射用と割り切るならばせめて他の榴弾砲にしないと。 最低限、十五糎クラスの砲に適したマズルブレーキの開発を行わねばならない。
つっても諸君ご存知の通り、マズルブレーキの設計ってかなり難しい。
念密に計算されつくした穴の形状・大きさ・配置のもとで作られるんで。
更には欠点も周知の通り。
日本も九○式野砲に付けたぐらいだが、いざ開発、ってなると少なくとも上海に間に合わせるのは相当早くからやらないと意味がない。
結局機動力低く旧式兵器の三八式の有効な再活用はやはりチハを待たねばならんのかったのさ。だからこそあの時期まで持て余されてたんだよ。 >>392
過剰なもん求めるなって?
なら尚更貨車山砲でいい
十五糎級が必要な本格的なトーチカなんてチャイナの何処にあるんだ?
城門?あの程度の扉に15榴もいらん 作るにしてもその前に戦訓と情報が必要
戦訓+情報が先で発想が後
発想が先に来ても一笑に付されて終わり >>1
早急な戦力化ができる見通しがなく、(歩兵)の補助である牽引砲のさらなる補助だったから
自走砲はまだまだ新ジャンルの部類で陸軍上層部への一定の信頼も築けてない。
陸軍が自走砲開発にやる気出した段階では、自走砲は戦車のように欧州大戦で戦果を出したという実績がないどころか
自走砲開発のきっかけとなった欧州列強でさえ、(戦車と比べれば)運用経験や研究の積み重ねが少ない
「ソ連や英国が新兵器開発し始めてるから一応研究してみるか。」みたいな。
そんなんだから使い道は(試作ができた段階ですら)固まり切ってないし、訓練法も編成も模索の状態、
戦車の時みたいに欧米の使い方を参考にするということもできない。
一応近い兵器として貨車山砲があるけどあれはあれで微妙に違うし、火砲を車上に乗せたまま使うシロモノではない
>>2
陸軍が30年代より重視していたのは、量産性と一程度の軽さで
搭載砲がー閉鎖機がー、曲射か直射か、肩当て辺りの細かい機構は兵科側が悩むことで
極端な話、陸軍側はどちらでもいい >>392だけど
皆様のご指摘に賛同したわけではありませんが
日本軍に自走砲がほとんど普及しなかった理由は、よ〜く理解できました。 >>399
>日本軍に自走砲がほとんど普及しなかった理由は、
中国人を3500万人虐殺したのに賠償ゼロって夢のような話なんだが? なんか自走砲というより発想が突撃砲やね
日本陸軍において自走砲は基本的に戦車科ではなく砲兵科の領分なわけだけど、
野砲部隊の戦力やそれに伴う車両部隊を削ってまで自走砲部隊に回すって発想もまた良くわからない
まさか、野砲戦力は削らず史実通り増産、でさらに自走砲戦力も増設みたいに言っているのか? はあー、否定意見ばっかやなあ、このスレ。
増加装甲ひとつ付けるのに上層部の横槍が入った現場の苦労が偲ばれますわ。 増加装甲は現場のトーシロが計算もしないで勝手に付けると
変速器やら足回りやらの故障率が増加するから辞めろって話で、別に体面だの精神論だのといった問題だけじゃない
似たような話はアメリカにもある。 >>402
いや、そこまで考えてないでしょ
専用スレにも昔からたびたび出没する
「役立たずの戦車削減(または撤廃)して〇〇しろ」的な
専用スレだと戦車どころか対戦車砲減らして迫撃砲増やせってのがいたな 中国人虐殺マシーンとしては日本戦車が最高だからなw >>398
それが陸軍側も悩んでいるんだなコレが。
まさかの作戦課第2課が九○式野砲の機動性が作戦上問題だとごちゃごちゃ騒ぎ立てたのがはじまりで新規に九五式野砲を作る羽目になったんよ。
日本軍の作戦上、まず兵站に負担かけないとかの条件が付くと近接しての直接射撃を求められるんだよ。無駄撃ちするなってね。
そうなると必然的に戦車になるんで、閉鎖機とか発射速度かは用兵側でも、最低限、積む砲をどういったものにするかはそこで縛られるんよ。
ここで「長距離飛ぶ野砲積んで遠距離から撃ちまーーす」なんて言ったら用兵側以外からも却下されかねんわけよ。
まず上が何を求めているかってな、仕様書読めば分かるけど、め〜ちゃくちゃ細かく煩いのよ。
知ってるか?
当然要求出す側も実は「各兵科の人材が集まってる」んだぜ?
馬鹿にした言い方に聞こえるかもだけど。
上の陸軍側もまた歩兵なり砲兵なり騎兵なり、当然に軍人サンなわけよ。当然ねね。
だから「俺、戦車分からねーし専門外だから細かい事はそっちで決めて。じゃあな!」
なんて楽な話じゃなくて、なまじ現場を知らないけど「各兵科出身の方々」が集まってるだけにむしろコレが厄介なんだわ。
戦車なんか、チハは相当揉めたんだぜ?
戦車兵はまだ人材が浅いから、少ない本職出身の人材以外はにわか仕込みの知識で絡んでくるから。
なまじ作戦課の連中は「自称」プロを自負してるから用兵側にもバンバン言ってくる。 因みになぜ作戦課(参謀本部第2課)は関係ねえのに例に出てんのかというと、九五式野砲の例だね。
発端は鈴木率道砲兵中佐などが嫌がってたんだよ。バックにあるすげー発言力持ってるお方がいた。
まずこいつのバックに参謀本部第3課の鈴木敏四郎がいて、更にこいつを高く買っていたのが参謀次長真崎堪三郎、陸軍大臣荒木貞夫だった。
九五式野砲の件は一介の中佐連中が陸軍側にまで大ごとにして新規開発までさせるという事態になった。
実は、こういった参謀本部側の発言力の強さって今に始まった事じゃなくて、一例みたいなもんだ。しかも陸軍側も相当似通った考えしてる。
だから自走砲ー!とか言っても、多分あの時点じゃ弾の補給のハードルから近距離で直射で一個一個狙い撃つ戦車の方に陸軍側はGO出すわけね。
当然、陸軍側も陸軍側で考えがあって、色んな方面からの言うことは一応耳には入れてるけど、どうしても作戦上の都合とかいちいち気にするの。
だから組織からひっくり返すか他国の兵器の開発状況とかそういった外的要因が変わらなきゃ、難しいんだよ。 >>407
>日本軍の作戦上、まず兵站に負担かけないとかの条件が付くと近接しての直接射撃を求められるんだよ。
中国人に対しては接近して銃剣で突き刺したほうが効率よく大量殺戮できるからなぁ。 近接だと撃破されるのをもったいないと感じないのか
その分盾になって歩兵の命が助かるけど そうだよ。実際に榴弾砲はともかくとして迫撃砲はそのせいで主力化を渋ってたんで遅れた。榴弾砲は割り切ってるし砲兵の主力装備だろ。遠距離を叩ける貴重な火力だから戦車に相当リソース持っていかれつつも細々と配備してる。
榴弾砲含む火砲の膨大な弾薬消費に耐えかねた結果が、戦車なのよ。
夥しい準備射撃から始まる第一次大戦型の戦闘って、スマートなやり方では無いってのが、戦訓。 >>411
どうだろうね。史実の様にラ式にバゴスカ抜かれる事態を想定してたかって話なんよ。当然、上海戦なんかと〜っくに終わってるんだわ。
なんせ1937年のチハですら、「37mmの近距離からの射撃に抗堪し得る!」とかいっちゃってるぐらいなんだから。 砲兵自体ほぼ無駄じゃね
山砲・速射・戦車・擲弾でいいやん どちらにせよ片手装塡ほとんど関係なくね?
原因としての割合なんてほぼない
極論の部類だろうが >>414
砲兵不要論なんて聞いた時ないぞ
最前線に立たない砲兵は兵力的にはあまし消耗しないから
なかなか昇級しないという点で不人気兵種だったとはいうけどね 関係ないけど、聞いた時ないって、北関東の方言だっけ?
話の腰を揉んでスマソ >>417
歩兵と比較するなら、元々の定員が違うからなんともいえんような
あと、計算できなきゃだし、重いもん引きずんなきゃなんで、知能、体格的に恵まれてる奴が配属されるから、むしろ「歩兵とは違うのだよ」的なエリート意識が少なくとも兵〜下士官にあったとは聞く >>413
>史実の様にラ式にバゴスカ抜かれる事態を想定してたかって話なんよ。
中国人を3500万人虐殺して賠償ゼロって本当なのか?
9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、
死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、
世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm
つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害
人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万
以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、
負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の
中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。
http://www.china-news.co.jp/node/4456
興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、
興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、
人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1
6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html >>413
>史実の様にラ式にバゴスカ抜かれる事態を想定してたかって話なんよ。
ならもしドイツ陸軍が、日本陸軍に代わって大陸打通作戦を発動していたらどうなりますか?
ドイツ陸軍だったら、大陸打通作戦なんてケチなものではなく、大陸消滅作戦になってましたか?
南京大虐殺とか性奴隷とか、日本軍は占領地の至るところで住民を苦しめたそうですが、
どうせなら中国人を「劣等人種」としてホロコーストしておけばよかったと思います。何しろ中国人絶滅収容所
が戦後もそのまま残ってしまうのだから、言い訳のしようがなくなり、侵略戦争の反省もしっかりしたものになり、
日中関係はずっと良くなってたはずです。それからもしできれば虐殺した中国人を潰して航空燃料を精製
すればよかったと思います。文句があるなら米軍はオーバーロード作戦を中止にして、中国戦線に派兵したらいいでしょう。
キングタイガーならもっと進軍できましたか? もっと大勢の中国人を殺戮できましたか?
四式戦疾風ではなくMe262が出撃してたら、シェンノートの在支14空軍は壊滅してましたか?
ウルツブルグレーダーと88ミリ高射砲があれば、防空は万全でしたか?
今からでもドイツ語を勉強してドイツ留学して、髪の毛染めてドイツ人になりすまし、こういう発言をしてみたい
と思ってます。「たかが中国チンピラゴロツキの3500万なんて取るに足らん。97式中戦車チハなんて、
あんなへっぽこな戦車モドキ、工業水準低いわー。わがドイツ軍のキングタイガー戦車だったら、
3500万どころか5億人皆殺しにして、中国に中国人は一人も居なくなってたはずだ!」
おい、なんとかいえよ、おい! 支那畜を最も多く殺傷したのは日本軍が開発した「共産刀」と「国民刀」の2種類の傑作軍刀やぞ
チハや疾風が殺傷した割合なんて微々たるモノでしかない >>418
イエース
容易じゃない
あーそうなんかい
幾時にくるん
のエリア ハ号の車体に
105mm榴弾砲
これが至高の皇軍自走砲 ヘッツァーみたいなのは考えなかったのかな
足回りの構造もシンプルだし、サイズ的にも日本にピッタリだったと思うんだけど 大型転輪とトーションバーの組み合わせはLT-35からLT-38にわざわざ再設計したものだよ。
日本にはその発想すらない サスとか足回りの構造とか
ど〜でもいいだろ
ハ号のは縦揺れとか問題視されてないし >>437
日本の技術で大転輪はともかくトーションバーサスはとてもじゃないが量産できないでしょ
発想があってもそれをかなえる力がないんだよ
実用性無視するなら話は別だが は?
LT-38は、リーフスプリングだろ??
そもそも、世界で最初にトーションバー積んだ戦車がドイツ軍の3号だぞ
つまりそのドイツから手取り足取りというのはセコいだろチェコ
日本だってトーションバーは自分でやらざるを得ず、数少ない天才に頼るところがおおきく、いいところまで行った時に第一人者が事故で死んだんだよ 失礼、最初ではないな。2号の時点で大型転輪と一緒にやっているという。
どのみち最初がドイツなのは言うまでもない。
他はまだ試作段階だった頃だ。
そもそも理想の自走砲はちーがーうーだーろー
日本にとって理想はヴェスぺだろ
2号戦車に105mm榴弾砲。
ハ号に同じく軽榴弾砲を乗せればいい。
マズルブレーキも忘れずに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています