【大東亜の決戦】インパール作戦【帝国陸軍】11 [無断転載禁止]©2ch.net
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・・私はいった。・・・・二つの決定的な事態がこの二,三日に起こっている。
第一には、スターリン元帥が、ソ連はドイツが敗北した瞬間に対日宣戦をする、と自発的に言明した。
・・・・・・われわれが「大君主」作戦の成功を期して力を結集すべきことを、それだけ重要ならしめるものである。・・
・・・第二の第一級的重要事項というのは、五月に海峡横断を行うことに決定したことである。私自身としては、
七月を取るものであったが、それにもかかわらず、五月の決行を完全に成功せしめるために、全力を尽くすべく決意している。】
http://tnngsg4601.blog110.fc2.com/?mode=m&no=156
3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ64 機と英空軍のダコタ 25 機をマウントバッテンの
指揮下に一時的に移すことに同意し、「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_12.pdf
1944 年、アジア大陸では、日本陸軍は依然として連合軍の戦略を狂わせることができた。中国南部およ
び中部での一号作戦は、国民党に屈辱を味わわせ、連合軍にその戦略の再構築を強いた。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
その時(一九四四年三月〜七月)、英国民の関心はドイツとの戦いに集中し、ドイツ軍の英本土爆撃、
連合軍のノルマンディ上陸作戦(六月六日)に心を奪われ、遠いアジアでの戦いは余り問題にされなかったが、
スクーンズ中将は当面の責任者としてインパールの持つ政略上、戦略上の重要性はどれほど重視しても重視
しすぎることはないと考えていたという。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/inparl/inparl.htm
もちろん、アメリカとしては実質的な支援や、実質的に相手に打撃を与える事なら大歓迎だが、イギリスの参加は、
どっちせよ(そのように実質的なものではなく)、メンツを救う性質のものだろうと、云った。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm
その 1 年後にドイツから宣戦布告を受けたモロトフ外相の悲しみに満ちた「我々は宣戦布告に値するどんな
ことをしたというのか」という発言は、ナチス・ドイツの外交政策の嘘偽りを物語るものである。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2014/07.pdf ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱
一、主作戦方面
(1) 第15軍は英軍の反攻に対し努めて主作戦方面の兵備を整頓したる後
重点を「チンドウィン」河西方地区に保持しつつ一般方向を「インパール」に
向け攻勢を執り
成るべく我に近き地帯に於いて一挙に英軍の捕捉撃滅を図り
爾後
国境付近所在の英軍を撃破したる後「インパール」付近の策源を覆滅す
(2) 右作戦準備に先立ち英軍の真面目の反攻に際会したる場合は各正面
極力その攻撃を阻止しつつ速やかに反撃の態勢を整え爾後努めて統制ある指導に
基づき我に近き地帯に於いて英軍の捕捉撃滅を図りたる後「インパール」付近に
向い追撃す
(3) 前2項の反撃作戦に於ける軍主力を以ってする攻勢開始の時機は予め方面軍の
命令するところに依るものとす
(4) 雨季明迄に「チンドウィン」河西岸地区「カレワ」正面に広く強固なる反撃
拠点を形成し爾後の攻勢を有利ならしむると共に作戦準備期間に於ける支拠
たらしむ
(5) 「インパール」付近の策源覆滅後は主力を以って同地付近の要域を又有力なる
一部を以って「コヒマ」付近の要域を占拠し持久態勢を確保す 15軍作戦計画骨子
(一) 第33師団は2月末迄に主力を以て「カレミョウ」西方「チン高地」台端及「カボウ」谷地
「ヤサギョウ」付近に進出し該線に於いて攻勢発起の態勢を整えX―7日を期し攻勢に転じ主
力を以て「フォートホワイト」−「ティディム」−「シェルモン」−「ビシェンプール」道に
沿う地区より当面の敵を撃破しつつ突進し速やかに「インパール」攻略の準備を完整す
又有力なる一部(野戦重砲、戦車、速射砲等を核心とする戦車撃滅隊)を以て「カボウ」谷
地を突進し平地方面に予期せらるる敵の反撃を撃退しつつ「タム」−「パレル」−「インパー
ル」道を「インパール」に向かい攻撃前進す
(二) 第15師団は3月上旬迄に「チンドウィン」河畔に於いて攻勢発起の態勢を整えX日「ホマ
リン」「シッタン」間の地区より攻勢に転じ数縦隊となり敵中を挺身攻撃し速やかに「インパ
ール」平地の北東山地端付近に進出して「インパール」攻略の態勢を完整す
この際成るべく速やかに一部を突進せしめて「コヒマ」−「インパール」道及び「ビシェン
プール」−「シルチャール」道を遮断す (三) 第31師団は主力を先ず「インドウ」「ウントウ」「ピンポン」「ピンレブ」の地区に集中す
ると共に一部を「タマンティ」「ホマリン」「パウンピン」等「チンドウィン」河に推進す
攻撃部署は主力を以って「ホマリン」及び同上流域地区に於いて「チンドウィン」河を渡河し
「レイシ」「フォートケアリ」を経て「コヒマ」に有力なる一部を以って「ホマリン」付近に於いて
「チンドウィン」河を渡河し「ウクルル」−「マラン」道に沿う地区を「コヒマ」に突進し同地の
要域を占領して「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
状況に依り一部を「インパール」に転進せしめ「インパール」会戦に参加せしむ つまりディマプールは最初から31師団の攻撃目標になっていない。
もしディマプールを占領していれば、という IF は IF としても成立しない話しなのである。 宮崎繁三郎がサンジャックで暴走したせいで作戦完璧にばれて
ディマプールの防備は4月5日には固められてしまっていた。
コヒマにもウエストケント連隊が4月5日に到着、結局コヒマは陥落せず。 それは言うてはならん。
名将宮崎に間違いの文字は無いのだw インパールに攻め込まないで、
ビルマにとどまっていたら?
というわけにいかないのか
日本軍がインドに攻め込むことで
インド全体で、イギリスへの抵抗運動が起こって…
と都合のいいことを期待してインパール作戦を始めたんだよね… 日本軍に反乱起こされるだろ
日本兵が蜂起してないのが僥倖みたいなもんだぞ 勝てるわけねー!
総兵力は、連合軍側が英印軍120万、米軍と米支連合軍10万、国民党重慶軍30万、計160万。
それに対してビルマ方面軍の総兵力は日本軍22万、インド国民軍1万余、ビルマ国軍1万余、計25万。
第五段階(1944年9月〜1945年8月)は日本軍の敗走期である。
http://www.sky.sannet.ne.jp/ken-abe/rondan-2015-05.html
それよりもどうやってコヒマやサンジャックへ進軍した? 戦略的には勝算がないまったく無駄な消耗戦でしか無い
太平洋戦線に比べれば
インド方面の作戦はやる戦略的意義と勝算があった。 本来ならば陸海軍が共同でやるべき作戦だが
開戦と同時に陸海軍が分裂しており
そもそもこれでは国家総力戦に勝てるわけが無い。 もしも柘植久慶さんが73年前にタイムスリップして
15軍の高級参謀に横滑りしたら、どういう行動を
取るだろうね? >>13
分隊や小隊単位でコマンドを編制して遊撃戦に徹するんじゃないかな >3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ64 機と英空軍のダコタ 25 機をマウントバッテンの
>指揮下に一時的に移すことに同意し、「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。
ごく一般的言って、戦力引き抜きされるのは余裕のある戦場からで、転属先はより過酷な任務となろう。
つまり連合国からみて『楽勝』ではない。日本軍でも沖縄戦の第62師団は中国戦線からの引き抜きだったはすだ。 >>1
WW2の牟田口は、反日サヨク民主党の仙谷や反日サヨク自民党の石破みたいに軍人軽視してるあからさまなサヨクなわけだが???
民主党(民進党)仙谷「 自衛隊は暴力装置! 」
自民党石破「 警察や軍は暴力装置! 」
= 同じく軍人軽視の牟田口は言い訳できないレベルで反日サヨク
共産ゾルゲ尾崎がブレーンの反日サヨク近衛政権の手下の反日サヨクが牟田口なんだが、知らないまたは隠蔽してるサヨク多いなwww
そりゃ反日サヨクはバレないように上手く愚将になるのが仕事だろ、わざと負けさせる朝日新聞ゾルゲ尾崎秀実共産敗戦革命事件の「敗戦革命」が当時のサヨク戦略なのだからwwwwwwww >>1
Q
この第二次世界大戦問題やインパール戦争等の元凶は?
A
反日の列強イギリスアメリカ等や、反日サヨクが元凶です。こいつらが消えてればそもそも起きなかった話。
反日列強がフェートン号事件等で日本を侵略し、反日サヨクが日本で政権レベルで反日スパイ工作や反日テロをしたw
歴史的事実www
当時の近衛政権は共産反日テロリスト思想の尾崎秀実がブレーン(朝日新聞ゾルゲ事件)で、氷山の一角を逮捕しただけで、
トップのブレーンレベルで反日サヨクに汚染されてるのに他にどれだけ共産党系スパイが食い込んでるかはほぼスルーされたw
まさに共産ズブズブ政権
・ 確かに当時は反日サヨク政権ですが、
そもそもの元凶は列強イギリスアメリカ等なので、
反日サヨクに戦争誘導されようと日本が列強等を攻撃する正当性は腐るほどあります
そもそも日本こそが被害者だからです
WW2の牟田口は、反日サヨク民主党の仙谷や反日サヨク自民党の石破みたいに軍人軽視してるあからさまなサヨクなわけだが???
民主党(民進党)仙谷「 自衛隊は暴力装置! 」
自民党石破「 警察や軍は暴力装置! 」
= 同じく軍人軽視の牟田口は言い訳できないレベルで反日サヨク
共産ゾルゲ尾崎がブレーンの反日サヨク近衛政権の手下の反日サヨクが牟田口なんだが、知らないまたは隠蔽してるサヨク多いなwww
そりゃ反日サヨクはバレないように上手く愚将になるのが仕事だろ、わざと負けさせる朝日新聞ゾルゲ尾崎秀実共産敗戦革命事件の「敗戦革命」が当時のサヨク戦略なのだからwww NHKでまたインパール偏向プロパガンダやるっぽい?
ま、反日サヨク共産ゾルゲ尾崎秀実近衛政権の重鎮が、牟田口や東條英機なのもスルーかなwww
NHKマスゴミは毎年毎年WW2偏向反日プロパガンダばっかwww
尼港大虐殺事件とかをスルーしすぎな報道テロリストwww >>1
【インパール作戦の流れ】
・ そもそも反日イギリス列強がインドインパール等を侵略してなければ起きなかった戦い。元凶は反日列強。
・ 近衛政権ブレーンは朝日新聞ゾルゲ尾崎秀実共産敗戦革命事件のサヨク、つまり反日サヨク政権www
・ 東條英機や牟田口も反日共産サヨクゾルゲ近衛政権の重鎮w
つまり反日サヨクの自作自演
反日イギリス列強が悪さをし、反日サヨクが自作自演という流れ
つまり悪いのはイギリス列強反日サヨクwww
真実すぎてサヨクは論破できないよねwww(´・ω・`) インパール作戦損害
日本 推定3万人
イギリス 推定7万人wwwwwwwww >>10>>11
総兵力じゃなくて
インパールのみなら補給さえ怠らなければ勝てる可能性はかなりあるが?www
勝てる可能性を捨てさせた敗戦革命サヨク政権が問題www >>27
それは実戦に参加した磯部卓男も指摘してるスリムの「敗北から勝利へ」の誤訳からだな。
実際はインパール作戦での英印軍の損害は16700(うち死者は四分の一)
皇軍は15軍の参加者90000人以上で、1944年12月の15軍が15400だから
差し引き75000が死んだことになる >>29
日本軍の損害は確りとは判明してない
イギリスの被害は追撃戦で拡大したから
マラリアで自滅したんだよイギリスは >>29
何を言っているんだお前は
連合イギリスの掃討戦も牟田口を彷彿とさせた
【インド】「インパール作戦」追悼式典…日本兵3万人死亡[05/21]
http://egg.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1495371315/ >>28
ないよ。大隊規模の英軍を撃破できないのだから。 インパールの敵戦力はそれ程の数じゃなかったからいけるな >>30
被害と言っても病気が47000でそのうち25000がインドに後送して治療しなければならなかったってだけだろ
英印軍は3日発熱が続いたら後送されてたからな。
追撃した英印軍は普通に翌年に戦力回復してイラワジ会戦でも圧勝してる。
病人を全部殺した日本軍とは違うのだよ。 インパール追撃戦での日本軍の死者はすさまじい。
牟田口が補給を無視したせいで、ガダルカナルを経験した兵にさえそれ以上の地獄と言わしめるほどだった。 >>27
そもそも病気を損害に入れるなら、日本軍の損害は参加者ほぼ全員の10万になるぞ
さらに1944年の後半に15軍に補充された新兵15000が皆病気になって死んでいったから、12万人近くなる。
牟田口が補給なしに栄養不良の状態で酷使するからみんな死んでしまう
英印軍は追撃戦の時は主力のインド17,20,23師団とイギリス2師団を休ませてる >>35
それだけ厳しい環境の中だから勝てる可能性もあるんだよなあ
翌年とか論外だし >>37
日本より充実しているイギリスがドデカイ損害出してるから、日本ガーは通用しない
勝てる戦いをわざわざ捨てるレベルだから駄目だという話なんだが
みんな死んだ訳じゃないから勘違いしないように
そんな不利な中、イギリスは大きな損害出してるからバカなワケだが日本語通じないキチガイかな >>36>>37
だから
・ 牟田口は朝日新聞ゾルゲ尾崎秀実共産敗戦革命事件サヨク近衛政権メインの人間、共産サヨクが敗戦誘導をした。
・ そもそもイギリスがインドビルマ等を侵略したのが悪い。日本人を殺したのはイギリスアメリカ列強。 ←これ超重要
・ インパール戦のイギリス損害およそ5万人以上と、最初から補給とか充実してないフラフラな日本レベルの損害を出しているwwwつまり補給を重視すれば日本軍が勝てる可能性は普通にある
・ イラワジ会戦でもメチャクチャ恵まれているハズのイギリスはおよそ2万人近い損害をだしたwww一方、日本は1万人くらいの損害だが
撤退戦で補給もままならない日本軍はいつもの病気や飢え等で10万人近い損害を出してしまった
ホントに『補給』『内部のサヨク工作』が明暗を分けた 牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。 佐藤が敵前逃亡しなければ日本が勝っていた。
これが通説。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています