>>237
ディマプールが攻撃目標に入るかどうか、作戦計画は明確では無かったと参謀らも認めている。
しかし仮に作戦目標ではなかったとしても、牟田口の方が正しいというのが連合軍側の見解。

■アーサー・スウィンソン大尉の見解 『コヒマ』

 牟田口は三日間でディマプールに達することが出来ると計算したが、
河辺方面軍司令官が軍命令を中止させたので全ては終わった。
牟田口は自分の白昼夢に合わせて作戦命令を拡張解釈したが、
河辺は厳密に解釈したのである。
 しかし、牟田口の方が、実際には正しかったのである。
何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」 というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、
英軍は懸崖に立たされていたであろう。しかし好機は去った。
中略
 佐藤が1個連隊をディマプールにむけ、基地と鉄道線を破壊していたら、
事実はもっとうまく運ばれていた。
河辺方面軍司令官はなぜ引き返せと命令したのであろうか
スリムは「日本の将軍たちのの用兵、 戦路における基本的な欠陥は、
体をぶつける事、勇気を示す事とは違う種類の士気において欠けるところがあった。
その作戦計画が仮に誤まっていた場合に、これを直ちに立て直す心構えが全く無かった」
と言ったが、これは真理を衝いている。

牟田口は緒戦に不思議なほど順調に進撃していた。
ディマプールへ侵攻してはならぬと命令したのは、河辺の精神的硬直性である。
 東京指令書は「作戦区域をインパール付近及び北東インドに限定」しており、
河辺は歴戦の将としては、奇とすべき単細胞的解釈を行ったのである。


大田 嘉弘『インパール作戦 』 P277