【大東亜の決戦】インパール作戦【帝国陸軍】11 [無断転載禁止]©2ch.net
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・・私はいった。・・・・二つの決定的な事態がこの二,三日に起こっている。
第一には、スターリン元帥が、ソ連はドイツが敗北した瞬間に対日宣戦をする、と自発的に言明した。
・・・・・・われわれが「大君主」作戦の成功を期して力を結集すべきことを、それだけ重要ならしめるものである。・・
・・・第二の第一級的重要事項というのは、五月に海峡横断を行うことに決定したことである。私自身としては、
七月を取るものであったが、それにもかかわらず、五月の決行を完全に成功せしめるために、全力を尽くすべく決意している。】
http://tnngsg4601.blog110.fc2.com/?mode=m&no=156
3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ64 機と英空軍のダコタ 25 機をマウントバッテンの
指揮下に一時的に移すことに同意し、「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_12.pdf
1944 年、アジア大陸では、日本陸軍は依然として連合軍の戦略を狂わせることができた。中国南部およ
び中部での一号作戦は、国民党に屈辱を味わわせ、連合軍にその戦略の再構築を強いた。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
その時(一九四四年三月〜七月)、英国民の関心はドイツとの戦いに集中し、ドイツ軍の英本土爆撃、
連合軍のノルマンディ上陸作戦(六月六日)に心を奪われ、遠いアジアでの戦いは余り問題にされなかったが、
スクーンズ中将は当面の責任者としてインパールの持つ政略上、戦略上の重要性はどれほど重視しても重視
しすぎることはないと考えていたという。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/inparl/inparl.htm
もちろん、アメリカとしては実質的な支援や、実質的に相手に打撃を与える事なら大歓迎だが、イギリスの参加は、
どっちせよ(そのように実質的なものではなく)、メンツを救う性質のものだろうと、云った。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm
その 1 年後にドイツから宣戦布告を受けたモロトフ外相の悲しみに満ちた「我々は宣戦布告に値するどんな
ことをしたというのか」という発言は、ナチス・ドイツの外交政策の嘘偽りを物語るものである。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2014/07.pdf >>117
> 失敗の本質
サヨクのゾルゲ事件やアカ工作で敗戦革命を食らったことか???サヨクは敗戦革命工作を直視しろよ
あとこれを論破できないのか
・ ボロボロな日本に対しイギリスもかなりの損害
・ そもそもインパールインドを侵略したイギリスが悪い
・ 敗戦革命のサヨクの責任もある
・ NHKマスゴミの偏向サヨク洗脳が酷い(´・ω・`)
というお話 スレ伸びてるな(´・ω・`)
というかテレ朝とかNHKとかサヨク史観プロパガンダ番組やりすぎ
死ねよマスゴミ(´・ω・`) >>254
>日本が余力あればインパール10数万人超のイギリス戦力を撃破は普通に可能性あるね
余力というのは部隊のこと航空戦力のこと?砲兵戦力は?戦車戦力は役に立たないのだが? ■連合軍側の結論 佐藤氏団長がアホだから日本は負けた
スリム中将によると、日本軍は現場指揮官がバカだから負けた。
日本軍は勝てるチャンスが十分にあったにもかかわらず
愚かな師団長が我々をわざと勝たせたと酷評している。
■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本軍指揮官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝くことであった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
日本軍第三十一師団長佐藤陸軍中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。
彼の頑固な頭はコヒマを取るという一つの考えで一杯であった。
全然コニマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは
彼は思い及ばなかった。
少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで
道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って
鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、
彼の部隊が到着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する
攻撃に投じた。
私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
不幸にも当時私はこのことが与えられることも、あるいは非常な心配から
救われるべきことも知らなかった。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 31師団は師団目標として明示されていないディマプールを占領する義務が無い。
またディマプールは第二目標になどなっていない。
(三) 第31師団は主力を先ず「インドウ」「ウントウ」「ピンポン」「ピンレブ」の地区に集中す
ると共に一部を「タマンティ」「ホマリン」「パウンピン」等「チンドウィン」河に推進す
攻撃部署は主力を以って「ホマリン」及び同上流域地区に於いて「チンドウィン」河を渡河し
「レイシ」「フォートケアリ」を経て「コヒマ」に有力なる一部を以って「ホマリン」付近に於いて
「チンドウィン」河を渡河し「ウクルル」−「マラン」道に沿う地区を「コヒマ」に突進し同地の
要域を占領して「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
状況に依り一部を「インパール」に転進せしめ「インパール」会戦に参加せしむ
この命令はどこをどう読んでもディマプール占領が任務として明示されていない。
>「コヒマ」に突進し同地の要域を占領して
「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
なのである。 とにもかくにも
連合軍側の見解は、佐藤師団長がバカだから
日本は負けたという結論。
佐藤は連合軍を、わざと勝たせたとまで言い切っている。
英国で最も評価の高い軍人の一人であるスリム中将の見解。
そしてこれは複数の連合軍関係者が
同じ見解を示している。
この事実が日本では隠蔽されて来た。 佐藤師団長は命令のとおりに行動しただけなんだが?
ディマプール攻撃を明示しなかった牟田口にブーメランなだけの話しw >>239
指揮権は司令官にあるのだから
最終判断は司令官の命令がずべて。
状況に応じて最良の指揮をやるのが司令官の務めで
命令書だけ見てやってりゃいいだけなら司令官は必要ない >>261
>佐藤師団長は命令のとおりに行動しただけなんだが?
やってない。
インパールへ兵を送るよう命じられたが
抗命している。 ディマプールは別としても
そもそも佐藤師団はコヒマ到達が遅すぎる。
3月中には軽くコヒマは全く戦わずして占領できはずたし
史実以上の莫大な軍事物資も確保できたはず。
ゼッサミで無駄に停滞したために
佐藤師団主力の侵攻は遅すぎる。 >>181
タランはモスクワを守り
カミカゼは沖縄で米軍を苦しめた
それに引き換え精鋭()揃いのエルベは(笑)
体当りすらまともにできないナチって(笑) >>263
それは爾後の話だな。ディマプール攻略といはまったく関係ない話。
しかも任務である
>「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
を放棄していいとは牟田口は言っていないのだが? >>181
同じころ、ドイツ空軍戦闘機部隊は中部 ドイツに大々的に兵力を集中させた。九月十二日には四〇〇機以上
が防空任務に 出撃できる体勢にあったが、悪天候のため離陸命令は取り消された。ところが ゲーリングは
この決定に納得せず、自らしゃしゃり出て戦闘機に出撃命令を出 してしまった。この馬鹿げた命令 によって
戦闘機部隊は出撃機の一〇パーセ ントを失ったといわれ、そのため 九月の戦力収支決算はますます落胆
すべき ものとなった。本土防空に投入された 戦闘機は三七一機の損失に対し、敵機撃墜 は三〇七機であった。
ただしドイツ 空域に侵入した連合軍機の数は、防空側戦闘機の出撃数よりも一八倍も多く、 損失率はそれぞれ
〇.七パーセント対一 四・五パーセントとなるのである。 この数字はとても引き合わないどころでは すまないものであった。
<ヴェルナー・ジルビッヒ「ドイツ空軍の終焉」>
バタバタ落とされたのはナチ機
それもホームグラウンドの高射砲の支援付きでwwwwwww >>264
一番の先鋒である58連隊について語る必要があるんじゃないかね?土足くんw >>181
例えば、「コブラ」は「フォッケル」よりも速力で劣るだなんて、彼らは何でそう思い込んだんだろうね?実際にそんな
ことがあったのだ。最初のうち、ドイツ人は自分たちが速度性能で勝っていると固く信じており、「フォッケル」で攻撃を
かけた後にエンジン全開で離脱を試みる場合が多かった。だが、こっちは彼らに追いついて、上から弾を「降り注いで」やる。
向こうは煙を噴いたり蒸気を噴いたり大騒ぎだが、どうやっても振り切ることはできなかった。私たちはすぐに、
全力運転だけで逃れようとするとどうなるか、ドイツ人どもを教育してやったよ。その後は「フォッケル」も、攻撃後の離脱
とこちらの射撃から逃れる際には必ず急降下をすることにし、それ以外の方法を禁止した。
垂直面の機動性も「フォッケル」は「コブラ」より下回っていたが、当初は私たちに垂直面の戦闘を挑んできた。
これも同じことで、すぐに思い知ったようだけどね。やっぱり私にはよく分からないんだが、「フォッケル」が「コブラ」
に垂直面で勝っているだなんて、一体彼らは誰に吹き込まれたんだろう?
「フォッケル」は加速性が劣るという弱点があり、もしかしたらこれが一番の泣きどころだったかもしれない。後になると、
彼らも「フォッケル」で戦う時は速度を失わない形で機動を組み立てるよう心がけていた。長時間の格闘戦で「ヤク」
やラーヴォチキン、「コブラ」に対抗するなんて、「フォッケル」にとっては最初から負けが決まったようなものだ。
スピードが落ちてそれっきり、だよ。彼らが次に速度を得るまでの間に、こっちは何度でも撃墜のチャンスがある。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/golodnikov2.html
太平洋ではカモのP39がヨーロッパ戦域では最強
ゼロ戦>>>>P39>>>>>>越えられない壁>>>Fw190>>Bf109 >>266
河辺がディマプール攻略を却下し
インパールを攻めろと命令出したんだが?
コヒマでは大量の車輌も確保している
しかし佐藤はその命令にも抗命した。 >>181
ナチ軍のやったこと
1 ユダヤ人とスラブ人を沢山殺したこと
2 本土防空を延々とやっていたこと
3 劣等スラブ人にトドメを刺されたこと ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱
一、主作戦方面
(1) 第15軍は英軍の反攻に対し努めて主作戦方面の兵備を整頓したる後
重点を「チンドウィン」河西方地区に保持しつつ一般方向を「インパール」に
向け攻勢を執り
成るべく我に近き地帯に於いて一挙に英軍の捕捉撃滅を図り
爾後
国境付近所在の英軍を撃破したる後「インパール」付近の策源を覆滅す
(2) 右作戦準備に先立ち英軍の真面目の反攻に際会したる場合は各正面
極力その攻撃を阻止しつつ速やかに反撃の態勢を整え爾後努めて統制ある指導に
基づき我に近き地帯に於いて英軍の捕捉撃滅を図りたる後「インパール」付近に
向い追撃す
(3) 前2項の反撃作戦に於ける軍主力を以ってする攻勢開始の時機は予め方面軍の
命令するところに依るものとす
(4) 雨季明迄に「チンドウィン」河西岸地区「カレワ」正面に広く強固なる反撃
拠点を形成し爾後の攻勢を有利ならしむると共に作戦準備期間に於ける支拠
たらしむ
(5) 「インパール」付近の策源覆滅後は主力を以って同地付近の要域を又有力なる
一部を以って「コヒマ」付近の要域を占拠し持久態勢を確保す
これを読めば分かると思うが、方面軍でもディマプール攻撃などとは命じていない。
あくまでインパールを占領後コヒマ周辺で防御すると書いてある。 >>181
ポツダムに私が行った理由は、多くある。しかしもっとも重要な理由は、ソ連から
自ら対日参戦の確約を得ること、すなわち米軍首脳が狙っていたことである。
(『トルーマン回顧録1』トルーマン著、76年、恒文社、 292頁)
中国に大兵を入れて日本軍を中国本土より追い払うよりも、私の希望は常に十分な
ソ連兵力を満州(ママ)に入れ、日本軍を追い出すことにあった。それがこの際できる唯
一の道である。(同226頁)
http://www.han.org/hanboard/c-board.cgi?cmd=one;page=2400
「日本本土に侵入すれば、日本軍の大部隊をアジアと中国大陸に釘づけにできた場合でも、
少なくとも五〇万人の米国人の死傷を見こまなければならない。したがってソ連の対日参戦は
われわれにとって非常に重大なことであった」(『トルーマン回顧録』)
http://nekotomo.at.webry.info/201211/article_2.html
トルーマンもスターリンもベルリンには躊躇なく進撃したが
日本軍の猛烈な抵抗で東京進撃は断念した >>272
命令書に書いてあろうが無かろうが
敵軍事物資の重要拠点が
まったく正規軍が配備されておらず
がら空きの状態になっていれば、そこを突くのは当然だが? >>270
それは事前になんの準備もしていない後だしのディマプール攻略など却下されるのは当然だろう。
>インパールを攻めろと命令出したんだが?
コヒマ周辺を占領する任務がまだ達成されていないし、
>「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
という任務はどこの部隊がするのかね? >>274
その重要な情報は誰が31師団に通報したのかね?
31師団はその情報を知らないんじゃないのかね? >>275
司令官の命令に従うのが統帥
出来ない事情があるなら、それを説明すべきだが
佐藤はインパール攻勢の命令を了承している。
そのうえで、それを実行しなかった。
佐藤は統帥を無視した >>277
インパールへの増援を考慮したができないことが判明。
戦力も無ければ移動手段も無い。
どのみち歩兵だけ4個大隊送っても15師団同様損害を出すだけなんだが? >>277
>司令官の命令に従うのが統帥
つまりコヒマ周辺で防御に移行したところまでは正しいと認めるわけだ。 >>279
コヒマ到達が遅すぎるわ
3月中にコヒマは確保できた 33師団はシンゲルで莫大な軍事物資と車輌を
戦わずして手にしたが
コヒマでも同じことが出来たはず。
佐藤の師団の進軍が遅いために(ゼッサミで停滞)
それが不完全になってしまったわ >>278
第四軍団参謀アーサー・バーカーによると
4月にインパールが攻められたら、ひとたまりも無かったと
証言している。
佐藤と柳田がチンタラやってて
4月の1ヶ月間に空輸によって、インパールは防衛体制をなんとか構築できたたと。 >>280
さてその軍命はコヒマ防衛とインパール攻撃という二律背反な命令なわけだが? >>281
一日あたり何キロで進軍すれば3月中にコヒマにつけるのかね? >>283
15師団は何をしていた?インパール攻撃の本命、主攻撃部隊なのだが?
つまり3月15日に作戦発動だから15日でインパール付近まで行くのかね? >>284
佐藤と柳田が師団長では
どっちみち勝てないのは確かに間違いない。
はじめからやる気が無いのだからな。
そもそもこうなった原因は海軍にある
バカな海軍がアメリカと全面戦争なんかやったために
すべてが無茶苦茶になったわ >>287
実際に戦闘をするのは連隊長や大隊長だがなw >>286
15師団だけがほぼ予定の時期に
インパール攻撃を開始している。
しかし稲田の妨害によって兵力は半減した状態で。
本来ならば33師団、31師団がこの時同時に攻撃に
参加していなくてはならない。
しかしこの2師団は停滞して肝心な時期に
なにもやってない >>255
あほ
戦略目標達成ならず逆襲くらって主導権握られっぱなしになった作戦なんぞ評価以前だっての
牟田口のジンギスカン作戦によって現地住民からは財産そのものである牛馬を略奪したうえに補給そのものにも失敗
白骨街道では味方から衣服や靴まで奪いながらの撤退の地獄絵図
あげく マウントバッテンからは
日本兵は予定通りにやるときは正確無比に動くが奇襲されたりと予定外の事態に遭遇すると脆い
と評価される始末
大戦の負け確定している時期に悲惨な負け戦をさらに上乗せ大プッシュ、張本人は副官に止められると知った上で切腹を申し出る茶番つき まぁIFでいうなら58連隊がサンジャックなんかにいかなかったらコヒマを無血占領できたかもしれないし、
そうすればディマプール攻撃やインパール攻撃参加はできたかもしれん(事の成否はともかく) >>285
途中に有力な敵は無く
しかもジープ路が整備されている
12週間で楽勝で、戦わずして
jコヒマは無血占領できたわ。 >>291
コヒマ占領が遅れたのは
佐藤師団主力がゼッサミで停滞したため。
58連隊の責任ではない。こっちは主力ではない。 >>246
潜水艦の戦果
日本 90まんとん()
大ドイツ 1500万トン
笑っちゃうね >>289
どのみち15師団もインパール攻撃準備位置から英軍によって後退させられている。
日本軍の火力では無理なんだよ。 >>292
さてジープ道はジープしか走れない道路だ。
で31師団は15日の段階でジープを何両保有しているんだね? >>293
師団主力って補給部隊とか野戦病院とかのことか?
58連隊は主力の先鋒隊なわけだが? >>293
師団行動停滞の主因は?
イギリス軍の円陣防御を乙武装の日本軍で攻略できたのか? 31師団は部隊配置から見て
どうみても右突進隊、中突進隊が主力で
側面左側面の58連隊は、インパール攻撃に対応できるように
配置された部隊。
だから宮崎の連隊より先に佐藤師団はコヒマへ突入
してなくてはおかしい。
しかし佐藤はそれでは、そのままディマプールへ突入せよと
言われると予期し、わざとゆっくりと進軍し
宮崎の連隊に先にコヒマに突入させたと。
これが事実。 このような事実と58連隊のコヒマ到達の時期から見て
佐藤師団主力がコヒマを占領できた時期は
どんなに遅くとも3月中に楽勝で出来ていたはず。
なんせ敵は、こないだライフルの撃ち方を覚えた程度の
アルバイトの守衛レベルで、まったく敵ではないレベルの相手しかいない >>300
円陣くんだイギリス軍は円陣の中に物資を投下して補給受けして弾薬を逐次補給
日本軍は行軍しながら先細りした戦力が円陣を突破できなかった
撃つ弾がないのに戦闘は不可能
弾がないなら銃剣じゃ!銃剣ないならパンチ攻撃、腕がないならキックじゃ!足がない?なら噛みつけい!おぉーお!日本軍じゃい!
無敵将軍 牟田口chanの作戦指導より >>299
58連隊は15師団の戦闘区域までわざわざ侵入しているんだが?
>わざとゆっくりと進軍し
だとすればもっと遅く到着したはずだが? >>300
山岳地域を30キロの装備を抱えて戦闘しながら140kmを歩いていく。
3月24日 西ヨークシャー第二大隊がコヒマ到着
3月28日 138連隊がゼッサミのアッサム連隊を攻撃開始
58連隊はサンジャックを進発
英161旅団コヒマに到着済み
どうみても間に合わないのだが? >>303
イギリスが撤退したと思ってたら制高点かかえた高地をイギリス軍が占領するおまけ付き >>304
英軍の方が機動力があるし山岳戦は高地のとりあいだからね。
包囲されても航空機で補給できるし。 宮崎の58連隊はもしサンジャックで戦わなければ
3月29にコヒマを攻略できたといわれている。
進行経路から見て、31師団主力はそれよりも早く
コヒマに到着できなくてなおかしいな。
したがって31師団のコヒマ突入=占領は
3月28日にはやれたはずだわ。
作戦開始から2週間かからない。 >>303
そんなもん正規軍では無い、素人の警備員みたいなもん。
コヒマに100人、ゼッサミに100人程度いたそうだが
瞬殺だな。 >>294
ドイツは一一六二隻のUボートを建造し、そのうち七八四隻がいろいろな原因で失われた。
戦争期間中にUボート部隊に編入された人員は、四万九〇〇人をくだらなかった。
そのうち二万八〇〇〇人が生命を失った。また五〇〇〇人が捕虜となった
『U-Boat』 ベビット・メイソン著、寺井義守訳
↑
やられすぎ死にすぎワロタw >>294
アメリカの軍艦は駆逐艦ですらなかなか沈まない
コストも1100万ドルと戦前に作られた軽巡なみにかかってる豪華な作りだからな
ナチはフレッチャー級以降の駆逐艦は、1隻しか撃沈できなかった。
桜花が撃沈したのはフレッチャー級よりも優れてる、アレン・サムナー級の駆逐艦でもっと金がかかってる。
他にアレン・サムナー級1隻とフレッチャー級1隻をスクラップにしてる。
ナチのUボートや誘導爆弾はアメリカ海軍には通用しない。
お前ら朝鮮人のチンコなみにショボい。 >>294
ソ連軍潜水艦から撃沈したナチ貨客船
ヴィルヘルム・グストロフ
シュトイベン
ゴヤ
の3隻だけでナチファシストが35000人海没した
陸空でぼろ負けだったナチが唯一Uボート大活躍ナリーと言ってみたところで
潜水艦戦の人的収支ですらナチはぼろ負けだった >>294
日本軍はウジ虫を食いながらも戦ったが
ナチは戦わずに降参して捕虜収容所で野垂れ死んでいたwwwww
ナチを倒すには兵器は不要
捕虜収容所を作れば戦いもせずに自分らで勝手に入って勝手に野垂れ死んだ
ゴキブリホイホイならぬナチホイホイwww
一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった
ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道 >>294
ナチ海軍の名将()デーニッツはUボートが弱すぎてナチ水兵が怖じ気づいたので『戦闘で死ぬか絞首刑にされるか好きな方を選べ』と国民に窮極の選択()を行わせていた
勝算もないのに、戦い続けるため『狂信的な意志』を示すために、ヒステリックな要求が出された。
カール・デーニッツも、もっともけたたましい叫びをあげた一人である。
戦後デーニッツは、自分が部隊とドイツ国民の生存を気遣った責任ある軍指導者だったと主張しているが、
無条件降服のわずか数週間前にあたる1945年4月7日、デーニッツは全海軍士官に最後の最後まで戦うことを求めている
『軍務によっては勇敢で、毅然として、忠実な、敵の行く手を阻む一枚岩になることができる。
そのように行動できないものはろくでなしだ。そんなヤツは【ここにぶら下がってるのは裏切り者】というプラカードをくくりつけて絞首刑に処さなければならない』
Heinrich Schwendenmann『1945年末のドイツ』
↑
弱すぎワロタw >>294
ところでイギリス潜水艦はよくイタリア軍に撃沈されてるが、 イタリア海軍の対潜技術ってナチよりも優れていたのか?
LOSS BY ENEMY
ROYAL NAVY
Warship types German Italian Japanese French Other(a) Unknown Total
Capital ships 3 - 2 - - - 5
Carriers 8 - 1 - 1 - 10
Cruisers 20 6 5 - 3 - 34
Destroyers 114 15 8 1(b) 15 - 153
Submarines (c) 24 37 4 - 6 5 76
TOTALS 169 58 20 1 25 5 278
http://www.naval-history.net/WW2CampaignRoyalNavy.htm >>312
おまえの荒らしの報復で
南雲スレ荒らしてきたw >>294
弱小空母と蔑んでみても、なかなか沈まないのが米軍の空母
ナチのUボートなんて米軍護衛空母のハンターキラー隊に好き放題やられまくったのに返り討ちにしたのはブロックアイランドたった一隻
↑
大ドイツ海軍wwwwwww >>294
ナチのファシスト賛美とかwwwwwwwwwwwwwwww
朝鮮人? まぁナチがビルマ戦線に来たなら戦う前に降参しただろうから悲劇はおきなかったな(笑) このように五十六信者は、アホしかいません
真面目に論戦したらボロマケするから
このように、ふざけた書き込みで荒らすしかできない。
五十六信者は、こんなやつしかいない
バカしかいない五十六信者w ★とういことで結論
ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍は勝利出来た
というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 ドイツの潜水艦の目標は主に輸送船、日本の潜水艦の潜水艦の目標は空母を主とした軍艦。
戦果の差の要因として相手のガードの差もあった。 >>307
そんな警備員に58連隊は半数を失った挙句時間を稼がれてコヒマ無血占領のチャンスを失ったというのかね? しかも警備員相手にコヒマ3差路高地も取れないとは? バカNHKが、また731部隊だとwww
まだそんなこと本気で言ってるとはなめてるな >>316
アメリカの護衛空母は強いよ
大和や長門や各種巡洋艦が全力砲撃してもウマウマと逃げたし >>323
サンジャックは大失敗だよな。
このせいで作戦文書を捕獲され、ディマプールの防備を固められた
その代わりコヒマがスカスカになったけど。 >>286
15師団は3月28日には早くもミッションで橋を爆破してたぞ。
でもインパールの防備は固い。 >>331
その部隊は本多挺身隊で連隊とは機動力が違うし任務も違うんだけどね。 >>330
でも狭い地積に固まっているから、58連隊に山砲が1個大隊(弾も)もあればね。 >>329
しかも師団の戦闘区域を越境しての話しだからね。
日本軍に制空権が無いからいいようなものの、米軍なら誤爆されかねない。 インパール作戦には、3つもの大快挙がある
その一つが連合軍のアジアでの重要拠点であるディマプール及びコヒマが
正規軍の存在しないガラ空きの無防備状態だったわけだが
そこへ1個師団が肉迫し、連合軍をてんてこ舞いにさせた。
ディマプールが奪われたら、それは中国全土も補給を絶たれることになり
英軍以上に、米軍が青ざめている。
第二はトンザン、トイトム付近で敵1個師団の退路を遮断し
完璧な状態で包囲した点。
地形から見ても、これを袋のネズミと言わずして、何を袋のネズミと言えるだろうか?
完璧な形の遮断・包囲で、これも英軍を一時絶望的にさせた。
第三はシンゲルの連合軍の大物資集積所を、これも無防備状態のところを
2個連隊が突入し、何の抵抗も無く奪っている。
車輌も燃料も食料も武器弾薬も
数え切れないほどの大物資が整然と無限に並んでおり
戦わずして奪った日本側が困るほど、それほどの物資をあっけなく確保してしまった。
以上の3点の大快挙からみて、少なくとも15軍のこの作戦の意図と狙いは、
間違いなく正しかったと、そう断言できる。
悔やまれるのは、だったらなぜもっと早くに陸海軍が共同で本腰を入れてやっていれば
いったいどれだけの戦果が得られたかを考えると、
実に悔やんでも悔やみきれない。
それを阻止すべく、米軍は無謀ながら早期にドーリットル空襲とガダルカナル進行で
日本の攻勢の向きを変えさせることに成功している。
その道筋を作ったチャーチルが評価されるのも無理は無い。
チャーチルの功績は計り知れない。 15軍の意図が幾ら正しくても戦術レベルでの勝機が無いのだからどうしようもない。 >>336
稲田の妨害さえなく、予定通りの時期に予定通りの兵力でやってれば
作戦は間違いなく成功している。 >>337
たとえ稲田の妨害が無くても砲兵戦力が不足しているのでどうにもならんのだよ、土足くん >>338
おまえなんぞの見解などどうでもいい。
連合軍関係者がみんな、もう少しで負けるところだったと
一致した見解を述べている。
あんなやる気の無い師団長でも、そこまで追いつめたのならば
予定通りやってりゃ負けることはありえない。 予定通りとは
史実より2ヶ月早く、その場合ウィンゲートの侵攻は無いから
司令部は後方で指揮する必要なく、前線へ進めて直接指揮できていたし
航空支援もあっただろうし、15師団の兵力も全然違うし
さらにやる気のある師団長が指揮をしていればという前提。
この場合、作戦が失敗するなどありえない。 しかしこの世にもしオレがいなかったら
このままインパール作戦はNHKも言ってる通り
史上最悪の補給を無視した無謀な作戦。
やる価値も意義もまったくない、無駄な戦い
ということで、永遠に固定化していたかもしれない。
残念ながらこの世にオレがいたから
あいにくだが、そうは問屋がおろさない。
危ないとこだった。 >>340
2000m級の山をひたすら歩くだけで落伍者続出しまくってんのに夢を見すぎ >>290>>117
> 評価以前だっての
> 失敗の本質
それを思考停止という
ごまかすなよバカサヨ
・ サヨクのゾルゲ事件やアカ工作で敗戦革命を食らったことか???サヨクは敗戦革命工作を直視しろよ
・ ボロボロな日本に対しイギリスもかなりの損害
・ そもそもインパールインドを侵略したイギリスが悪い
・ 敗戦革命のサヨクの責任もある
・ NHKマスゴミの偏向サヨク洗脳が酷い(´・ω・`)
というお話をしてんだよコッチは >>325
つうか
公共放送()大手テレビ局のNHKで、
731部隊ネタを捏造・偏向って許されないよな
なんで停波しないんだよ自民党等は
おかしいわあいつら ―どの工場で生産された戦車を使っていましたか?
最初はソルモヴォ[ゴーリキー(現ニージニー・ノヴゴロド)市のクラースノエ・ソルモヴォ工場]製が来て、
その後はソルモヴォ製とタギル[ニージニー・タギル市。大規模な戦車工場があった]製がごっちゃになった。
タギルのやつの方が少し砲塔が大きく、使いやすくはあった。まあ、ほとんど一緒だけどね。ある時、
ヴァレンタイン戦車が送られてきた。我が隊にアメリカの戦車[実際にはヴァレンタインはイギリスの戦車だが、
カナダでも生産されていたためアメリカ製と誤解されたのかもしれない]が来ると聞いて、みんな技術部長
のところへ通い、自分の戦車の文句を言い始めた。エンジンの調子が悪いだとか何とかかんとか、あらゆる理由
を見つけてはアメリカ製に乗り換えようとしたわけだ。で、実際に送られてきてみると…おやおや、これはまた
何という戦車だろう…我々の戦車は内装などは全く粗雑なもので、表面はざらつくし、溶接の痕が盛り上がっ
ていることもある。一方、ヴァレンタインの中に入ってみると、柔らかい革が貼られ、入口、出口、発射など全て
金色の文字で表示してある。だが、ガソリンエンジンはロウソクのようによく燃えた。またヴァレンタインの履帯
はゴムと金属を組み合わせたものだった。パレードをやるには結構かもしれないが、戦場で使うと、
ちょっと傾いただけですぐに外れてしまう。ヴォロチカ・ソモフ、さっき話に出したあの男だが、彼はある時でかい
ハンマーを持って戦車によじ登り、装甲板をぶっ叩いたことがある。するとどうだ、ハンマーは20ミリほどもめり
込んだじゃないか!後から説明を受けたところによれば、彼らは柔軟な装甲板を採用していたのだ。砲弾に貫通
されても破片は飛び散らない、ということだった。また、砲の威力も弱い。あの戦争では全くもって使い物に
ならない戦車だった。その後、ヴァレンタインは次々に火災を起こしたが、おそらく故意にやったのだろうと思う。
私も1両、そういう経験をしている…あの戦車で戦うのは大変だ。乗るだけで怖くなってしまう。T-34とは比べ物にならない。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/shishkin5.html >>257
ノルマンディー上陸が更に遅れて、ソ連から罵声を浴びただろう? ノルマンディー上陸が遅れたのは専ら対日戦争の影響で、その証拠に1943年夏以降のソ連軍は快進撃。
そうで無ければソ連軍があんなに快進撃してるのに、米英はワザとサボってたのかということになる。 >>344
がんばったで賞とか手を繋いで一斉ゴール見て射精してる左特有の思考ですね >>329
もう少しで負けるなんて言っていないのだが?
ディマプールが取られたら負けと決めていたというだけの話し。 そして方面軍も15軍も31師団にディマプール攻略を事前に命令していないという手落ちがあっただけの話し ディマプールには4/2には英2Dの半分が到着してるから空では無い。またコヒマ〜ディマプール間には1個旅団が存在してる。 >>352
2D?ワーテルローでナポレオンの野望を挫いた英本国軍の?
精鋭だよ >>349
> >>344
> がんばったで賞とか手を繋いで一斉ゴール見て射精してる左特有の思考ですね
直視せずに日本ガーをやる奴こそ糞サヨクなんだがwww
しかも反日サヨクと列強の責任部分をスルーしてるなんて論外 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています