【大東亜の決戦】インパール作戦【帝国陸軍】11 [無断転載禁止]©2ch.net
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・・私はいった。・・・・二つの決定的な事態がこの二,三日に起こっている。
第一には、スターリン元帥が、ソ連はドイツが敗北した瞬間に対日宣戦をする、と自発的に言明した。
・・・・・・われわれが「大君主」作戦の成功を期して力を結集すべきことを、それだけ重要ならしめるものである。・・
・・・第二の第一級的重要事項というのは、五月に海峡横断を行うことに決定したことである。私自身としては、
七月を取るものであったが、それにもかかわらず、五月の決行を完全に成功せしめるために、全力を尽くすべく決意している。】
http://tnngsg4601.blog110.fc2.com/?mode=m&no=156
3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ64 機と英空軍のダコタ 25 機をマウントバッテンの
指揮下に一時的に移すことに同意し、「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_12.pdf
1944 年、アジア大陸では、日本陸軍は依然として連合軍の戦略を狂わせることができた。中国南部およ
び中部での一号作戦は、国民党に屈辱を味わわせ、連合軍にその戦略の再構築を強いた。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2009/10.pdf
その時(一九四四年三月〜七月)、英国民の関心はドイツとの戦いに集中し、ドイツ軍の英本土爆撃、
連合軍のノルマンディ上陸作戦(六月六日)に心を奪われ、遠いアジアでの戦いは余り問題にされなかったが、
スクーンズ中将は当面の責任者としてインパールの持つ政略上、戦略上の重要性はどれほど重視しても重視
しすぎることはないと考えていたという。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/inparl/inparl.htm
もちろん、アメリカとしては実質的な支援や、実質的に相手に打撃を与える事なら大歓迎だが、イギリスの参加は、
どっちせよ(そのように実質的なものではなく)、メンツを救う性質のものだろうと、云った。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/whitehouse_19450618.htm
その 1 年後にドイツから宣戦布告を受けたモロトフ外相の悲しみに満ちた「我々は宣戦布告に値するどんな
ことをしたというのか」という発言は、ナチス・ドイツの外交政策の嘘偽りを物語るものである。
http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/pdf/2014/07.pdf このような事実と58連隊のコヒマ到達の時期から見て
佐藤師団主力がコヒマを占領できた時期は
どんなに遅くとも3月中に楽勝で出来ていたはず。
なんせ敵は、こないだライフルの撃ち方を覚えた程度の
アルバイトの守衛レベルで、まったく敵ではないレベルの相手しかいない >>300
円陣くんだイギリス軍は円陣の中に物資を投下して補給受けして弾薬を逐次補給
日本軍は行軍しながら先細りした戦力が円陣を突破できなかった
撃つ弾がないのに戦闘は不可能
弾がないなら銃剣じゃ!銃剣ないならパンチ攻撃、腕がないならキックじゃ!足がない?なら噛みつけい!おぉーお!日本軍じゃい!
無敵将軍 牟田口chanの作戦指導より >>299
58連隊は15師団の戦闘区域までわざわざ侵入しているんだが?
>わざとゆっくりと進軍し
だとすればもっと遅く到着したはずだが? >>300
山岳地域を30キロの装備を抱えて戦闘しながら140kmを歩いていく。
3月24日 西ヨークシャー第二大隊がコヒマ到着
3月28日 138連隊がゼッサミのアッサム連隊を攻撃開始
58連隊はサンジャックを進発
英161旅団コヒマに到着済み
どうみても間に合わないのだが? >>303
イギリスが撤退したと思ってたら制高点かかえた高地をイギリス軍が占領するおまけ付き >>304
英軍の方が機動力があるし山岳戦は高地のとりあいだからね。
包囲されても航空機で補給できるし。 宮崎の58連隊はもしサンジャックで戦わなければ
3月29にコヒマを攻略できたといわれている。
進行経路から見て、31師団主力はそれよりも早く
コヒマに到着できなくてなおかしいな。
したがって31師団のコヒマ突入=占領は
3月28日にはやれたはずだわ。
作戦開始から2週間かからない。 >>303
そんなもん正規軍では無い、素人の警備員みたいなもん。
コヒマに100人、ゼッサミに100人程度いたそうだが
瞬殺だな。 >>294
ドイツは一一六二隻のUボートを建造し、そのうち七八四隻がいろいろな原因で失われた。
戦争期間中にUボート部隊に編入された人員は、四万九〇〇人をくだらなかった。
そのうち二万八〇〇〇人が生命を失った。また五〇〇〇人が捕虜となった
『U-Boat』 ベビット・メイソン著、寺井義守訳
↑
やられすぎ死にすぎワロタw >>294
アメリカの軍艦は駆逐艦ですらなかなか沈まない
コストも1100万ドルと戦前に作られた軽巡なみにかかってる豪華な作りだからな
ナチはフレッチャー級以降の駆逐艦は、1隻しか撃沈できなかった。
桜花が撃沈したのはフレッチャー級よりも優れてる、アレン・サムナー級の駆逐艦でもっと金がかかってる。
他にアレン・サムナー級1隻とフレッチャー級1隻をスクラップにしてる。
ナチのUボートや誘導爆弾はアメリカ海軍には通用しない。
お前ら朝鮮人のチンコなみにショボい。 >>294
ソ連軍潜水艦から撃沈したナチ貨客船
ヴィルヘルム・グストロフ
シュトイベン
ゴヤ
の3隻だけでナチファシストが35000人海没した
陸空でぼろ負けだったナチが唯一Uボート大活躍ナリーと言ってみたところで
潜水艦戦の人的収支ですらナチはぼろ負けだった >>294
日本軍はウジ虫を食いながらも戦ったが
ナチは戦わずに降参して捕虜収容所で野垂れ死んでいたwwwww
ナチを倒すには兵器は不要
捕虜収容所を作れば戦いもせずに自分らで勝手に入って勝手に野垂れ死んだ
ゴキブリホイホイならぬナチホイホイwww
一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった
ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道 >>294
ナチ海軍の名将()デーニッツはUボートが弱すぎてナチ水兵が怖じ気づいたので『戦闘で死ぬか絞首刑にされるか好きな方を選べ』と国民に窮極の選択()を行わせていた
勝算もないのに、戦い続けるため『狂信的な意志』を示すために、ヒステリックな要求が出された。
カール・デーニッツも、もっともけたたましい叫びをあげた一人である。
戦後デーニッツは、自分が部隊とドイツ国民の生存を気遣った責任ある軍指導者だったと主張しているが、
無条件降服のわずか数週間前にあたる1945年4月7日、デーニッツは全海軍士官に最後の最後まで戦うことを求めている
『軍務によっては勇敢で、毅然として、忠実な、敵の行く手を阻む一枚岩になることができる。
そのように行動できないものはろくでなしだ。そんなヤツは【ここにぶら下がってるのは裏切り者】というプラカードをくくりつけて絞首刑に処さなければならない』
Heinrich Schwendenmann『1945年末のドイツ』
↑
弱すぎワロタw >>294
ところでイギリス潜水艦はよくイタリア軍に撃沈されてるが、 イタリア海軍の対潜技術ってナチよりも優れていたのか?
LOSS BY ENEMY
ROYAL NAVY
Warship types German Italian Japanese French Other(a) Unknown Total
Capital ships 3 - 2 - - - 5
Carriers 8 - 1 - 1 - 10
Cruisers 20 6 5 - 3 - 34
Destroyers 114 15 8 1(b) 15 - 153
Submarines (c) 24 37 4 - 6 5 76
TOTALS 169 58 20 1 25 5 278
http://www.naval-history.net/WW2CampaignRoyalNavy.htm >>312
おまえの荒らしの報復で
南雲スレ荒らしてきたw >>294
弱小空母と蔑んでみても、なかなか沈まないのが米軍の空母
ナチのUボートなんて米軍護衛空母のハンターキラー隊に好き放題やられまくったのに返り討ちにしたのはブロックアイランドたった一隻
↑
大ドイツ海軍wwwwwww >>294
ナチのファシスト賛美とかwwwwwwwwwwwwwwww
朝鮮人? まぁナチがビルマ戦線に来たなら戦う前に降参しただろうから悲劇はおきなかったな(笑) このように五十六信者は、アホしかいません
真面目に論戦したらボロマケするから
このように、ふざけた書き込みで荒らすしかできない。
五十六信者は、こんなやつしかいない
バカしかいない五十六信者w ★とういことで結論
ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍は勝利出来た
というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 ドイツの潜水艦の目標は主に輸送船、日本の潜水艦の潜水艦の目標は空母を主とした軍艦。
戦果の差の要因として相手のガードの差もあった。 >>307
そんな警備員に58連隊は半数を失った挙句時間を稼がれてコヒマ無血占領のチャンスを失ったというのかね? しかも警備員相手にコヒマ3差路高地も取れないとは? バカNHKが、また731部隊だとwww
まだそんなこと本気で言ってるとはなめてるな >>316
アメリカの護衛空母は強いよ
大和や長門や各種巡洋艦が全力砲撃してもウマウマと逃げたし >>323
サンジャックは大失敗だよな。
このせいで作戦文書を捕獲され、ディマプールの防備を固められた
その代わりコヒマがスカスカになったけど。 >>286
15師団は3月28日には早くもミッションで橋を爆破してたぞ。
でもインパールの防備は固い。 >>331
その部隊は本多挺身隊で連隊とは機動力が違うし任務も違うんだけどね。 >>330
でも狭い地積に固まっているから、58連隊に山砲が1個大隊(弾も)もあればね。 >>329
しかも師団の戦闘区域を越境しての話しだからね。
日本軍に制空権が無いからいいようなものの、米軍なら誤爆されかねない。 インパール作戦には、3つもの大快挙がある
その一つが連合軍のアジアでの重要拠点であるディマプール及びコヒマが
正規軍の存在しないガラ空きの無防備状態だったわけだが
そこへ1個師団が肉迫し、連合軍をてんてこ舞いにさせた。
ディマプールが奪われたら、それは中国全土も補給を絶たれることになり
英軍以上に、米軍が青ざめている。
第二はトンザン、トイトム付近で敵1個師団の退路を遮断し
完璧な状態で包囲した点。
地形から見ても、これを袋のネズミと言わずして、何を袋のネズミと言えるだろうか?
完璧な形の遮断・包囲で、これも英軍を一時絶望的にさせた。
第三はシンゲルの連合軍の大物資集積所を、これも無防備状態のところを
2個連隊が突入し、何の抵抗も無く奪っている。
車輌も燃料も食料も武器弾薬も
数え切れないほどの大物資が整然と無限に並んでおり
戦わずして奪った日本側が困るほど、それほどの物資をあっけなく確保してしまった。
以上の3点の大快挙からみて、少なくとも15軍のこの作戦の意図と狙いは、
間違いなく正しかったと、そう断言できる。
悔やまれるのは、だったらなぜもっと早くに陸海軍が共同で本腰を入れてやっていれば
いったいどれだけの戦果が得られたかを考えると、
実に悔やんでも悔やみきれない。
それを阻止すべく、米軍は無謀ながら早期にドーリットル空襲とガダルカナル進行で
日本の攻勢の向きを変えさせることに成功している。
その道筋を作ったチャーチルが評価されるのも無理は無い。
チャーチルの功績は計り知れない。 15軍の意図が幾ら正しくても戦術レベルでの勝機が無いのだからどうしようもない。 >>336
稲田の妨害さえなく、予定通りの時期に予定通りの兵力でやってれば
作戦は間違いなく成功している。 >>337
たとえ稲田の妨害が無くても砲兵戦力が不足しているのでどうにもならんのだよ、土足くん >>338
おまえなんぞの見解などどうでもいい。
連合軍関係者がみんな、もう少しで負けるところだったと
一致した見解を述べている。
あんなやる気の無い師団長でも、そこまで追いつめたのならば
予定通りやってりゃ負けることはありえない。 予定通りとは
史実より2ヶ月早く、その場合ウィンゲートの侵攻は無いから
司令部は後方で指揮する必要なく、前線へ進めて直接指揮できていたし
航空支援もあっただろうし、15師団の兵力も全然違うし
さらにやる気のある師団長が指揮をしていればという前提。
この場合、作戦が失敗するなどありえない。 しかしこの世にもしオレがいなかったら
このままインパール作戦はNHKも言ってる通り
史上最悪の補給を無視した無謀な作戦。
やる価値も意義もまったくない、無駄な戦い
ということで、永遠に固定化していたかもしれない。
残念ながらこの世にオレがいたから
あいにくだが、そうは問屋がおろさない。
危ないとこだった。 >>340
2000m級の山をひたすら歩くだけで落伍者続出しまくってんのに夢を見すぎ >>290>>117
> 評価以前だっての
> 失敗の本質
それを思考停止という
ごまかすなよバカサヨ
・ サヨクのゾルゲ事件やアカ工作で敗戦革命を食らったことか???サヨクは敗戦革命工作を直視しろよ
・ ボロボロな日本に対しイギリスもかなりの損害
・ そもそもインパールインドを侵略したイギリスが悪い
・ 敗戦革命のサヨクの責任もある
・ NHKマスゴミの偏向サヨク洗脳が酷い(´・ω・`)
というお話をしてんだよコッチは >>325
つうか
公共放送()大手テレビ局のNHKで、
731部隊ネタを捏造・偏向って許されないよな
なんで停波しないんだよ自民党等は
おかしいわあいつら ―どの工場で生産された戦車を使っていましたか?
最初はソルモヴォ[ゴーリキー(現ニージニー・ノヴゴロド)市のクラースノエ・ソルモヴォ工場]製が来て、
その後はソルモヴォ製とタギル[ニージニー・タギル市。大規模な戦車工場があった]製がごっちゃになった。
タギルのやつの方が少し砲塔が大きく、使いやすくはあった。まあ、ほとんど一緒だけどね。ある時、
ヴァレンタイン戦車が送られてきた。我が隊にアメリカの戦車[実際にはヴァレンタインはイギリスの戦車だが、
カナダでも生産されていたためアメリカ製と誤解されたのかもしれない]が来ると聞いて、みんな技術部長
のところへ通い、自分の戦車の文句を言い始めた。エンジンの調子が悪いだとか何とかかんとか、あらゆる理由
を見つけてはアメリカ製に乗り換えようとしたわけだ。で、実際に送られてきてみると…おやおや、これはまた
何という戦車だろう…我々の戦車は内装などは全く粗雑なもので、表面はざらつくし、溶接の痕が盛り上がっ
ていることもある。一方、ヴァレンタインの中に入ってみると、柔らかい革が貼られ、入口、出口、発射など全て
金色の文字で表示してある。だが、ガソリンエンジンはロウソクのようによく燃えた。またヴァレンタインの履帯
はゴムと金属を組み合わせたものだった。パレードをやるには結構かもしれないが、戦場で使うと、
ちょっと傾いただけですぐに外れてしまう。ヴォロチカ・ソモフ、さっき話に出したあの男だが、彼はある時でかい
ハンマーを持って戦車によじ登り、装甲板をぶっ叩いたことがある。するとどうだ、ハンマーは20ミリほどもめり
込んだじゃないか!後から説明を受けたところによれば、彼らは柔軟な装甲板を採用していたのだ。砲弾に貫通
されても破片は飛び散らない、ということだった。また、砲の威力も弱い。あの戦争では全くもって使い物に
ならない戦車だった。その後、ヴァレンタインは次々に火災を起こしたが、おそらく故意にやったのだろうと思う。
私も1両、そういう経験をしている…あの戦車で戦うのは大変だ。乗るだけで怖くなってしまう。T-34とは比べ物にならない。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/shishkin5.html >>257
ノルマンディー上陸が更に遅れて、ソ連から罵声を浴びただろう? ノルマンディー上陸が遅れたのは専ら対日戦争の影響で、その証拠に1943年夏以降のソ連軍は快進撃。
そうで無ければソ連軍があんなに快進撃してるのに、米英はワザとサボってたのかということになる。 >>344
がんばったで賞とか手を繋いで一斉ゴール見て射精してる左特有の思考ですね >>329
もう少しで負けるなんて言っていないのだが?
ディマプールが取られたら負けと決めていたというだけの話し。 そして方面軍も15軍も31師団にディマプール攻略を事前に命令していないという手落ちがあっただけの話し ディマプールには4/2には英2Dの半分が到着してるから空では無い。またコヒマ〜ディマプール間には1個旅団が存在してる。 >>352
2D?ワーテルローでナポレオンの野望を挫いた英本国軍の?
精鋭だよ >>349
> >>344
> がんばったで賞とか手を繋いで一斉ゴール見て射精してる左特有の思考ですね
直視せずに日本ガーをやる奴こそ糞サヨクなんだがwww
しかも反日サヨクと列強の責任部分をスルーしてるなんて論外 >>349
> がんばったで賞とか手を繋いで一斉ゴール見て射精してる左特有の思考ですね
いや
サヨクや反日NHK「インパールガー!!!!!!!!日本ガー!!!!!!!!」
俺「インパールみたいに滅茶苦茶不利な状況でイギリスはかなりの損害。そもそもイギリスがインパールインド侵略しなけりゃ済む話だし、サヨクの敗戦革命の責任もある」
って言ってんだがwww テヘラン会談の公約を果たせなかった米英にとって、インパールの戦いは「苦い勝利」で間違いない。 >>355
うん 満州や中国に侵略しなけりゃ大戦にならなかったね(ニッコリ)
実際のイギリス軍損害は兵糧病気なんじゃないのかな?追撃戦の損害とか二桁だよ?
インパール作戦の成果は?損耗した戦力はイラワジ会戦までに回復したの?
降伏は天皇や国家指導層の選択でなかったの?
おまけ 無敵の霊将牟田口様の評価は?
はい 論破 それでもインドまで行ってるんだよなあ
さすが皇軍!! 一人で居ると殺されて肉を切られて物々交換のネタにされんのかよ
おう NHKよ遠慮はいらんぞ
もっとやれ >>358
クソみてえな作戦やって無駄に兵隊失って何がさすがだボケが 民放の深夜枠のドキュメンタリー番組では
普通に流れてる内容だよ
南方の島でも一緒
戦は兵站が命
前の大戦で列強諸国の植民地は
独立したからね
だから日本に一目置く国は多い ジジイの日誌、ずいぶん綺麗に残ってるなぁ。雨季で雨がジャンジャンの中で書いたとは思えない >>363
後から偉そうに文句言う奴より当時命がけで戦った奴の方が一目置かれるのは当たり前だろう。 少なくともあの人は最後まで前線に残り
奇跡的に帰還された人
鉛筆で書いたボロボロの物を
捕虜後支給された手帳やペンで清書かも インパールの日本兵の死に様
・ほとんどが撤退時に死んだ
・ほとんどが飢餓と病気で死んだ
・インドヒョウやハゲタカに食われて死んだ
・日本兵が日本兵の死体の肉を切り取って食べた
・日本兵は、死んだ日本兵から身ぐるみを剥いだ
・日本兵が日本兵の死体の肉を売買した
・死んだのは、ほとんどが軍属で、将校と下士官はあまり死んでいなかった
(´・ω・`) >>368
・死んだのは、ほとんどが軍属で、将校と下士官はあまり死んでいなかった。
と語ったジイさんは少尉だったのに、くやしぃ〜、と絶叫。なぜ? 斎藤さんは少し勘違いしていると思う。
一線部隊の一般の下士官と将校もガンガン死んでいる。
おそらく斎藤さんの周りは後方部隊なので軍属が多かったんだろう。 >>369
あの人は最後まで現場に居たんだよ
家の爺さんも中尉で南方の島で捕虜だよ
超幹部しか途中退場はないよ 今日のNHKは戦争の悲惨さをさまざまと見せつけるものであった。
しかし私自身のインパール戦に関する最大の疑問は解けずじまいだ
牛はどうやって調理したんだ? インパール作戦の最大の失敗は、ジンギスカン作戦と言っておきながら羊を連れて行ってない事。 >>373
屠殺してだろ
三週間分の食料だけじゃあ >>357
> うん 満州や中国に侵略しなけりゃ大戦にならなかったね(ニッコリ)
俺のツッコミから逃げまくりで笑う
中国列強が日本を侵略しなけりゃ&反日サヨクが敗戦革命やらなきゃ大戦はないね^^
逃げるなよ
【 中国の悪事等(一例。他大量にある) 】
・1871年 宮古島島民遭難虐殺事件
・1886年 長崎事件(李鴻章=恫喝の反日クズ)
・1896年 芝山巌事件(六氏先生事件 ・1919年 寛城子事件
・1920年 尼港大虐殺事件 ・1800〜1900年代 数多の反日テロリスト事件、抗日パルチザン等(シナ朝鮮や様々な国であった
・1927年 真の南京事件・漢口事件 ・1928年 済南事件(中国による虐殺。中国やサヨクによる捏造被害者面プロパガンダに発展 ・1930年 間島共産党暴動テロ
・1930〜年代 ハロルド・ティンバリー反日工作事件(中国国民党宣伝機関工作。英紙マンチェスターガーディアン・マスゴミ問題。) ・1931年 中村大尉殺害事件 シナ側による殺人
・1931年 万宝山事件暴動テロ
・1930〜年代 東北抗日聯軍問題
・1937年 普天堡日本人虐殺事件(普天堡の戦い)、大山事件、 通州事件 (シナ人側の日本人虐殺) 堅壁清野(焦土作戦)、ユウ江門事件(内ゲバ)
・1938年 長沙大火、黄河決壊事件 ・1940〜年 通化事件
・1940〜年 満州等引き上げ時等に中国等による日本人拉致強制連行大虐殺事件 ・1949年 ウイグル侵略 ・1950年 チベット侵略 ・1959年 中印国境侵略紛争(中国の悪事 ・1969年 中ソ国境侵略紛争(中国の悪事
・1979年 中越戦争 ・2004年 上海総領事館員愛国者日本人自殺事件(反日スパイ事件) ・2006年 対馬警備所1等海曹反日ハニトラ臭事件(上海総領事館員自殺事件関係? ・2010年 尖閣諸島中国漁船衝突事件 >>357
>>376続き
> 実際のイギリス軍損害は兵糧病気なんじゃないのかな?追撃戦の損害とか二桁だよ?
バカサヨかな?恵まれてるイギリスですら損害大きいから張り合えたろうって話ね 日本こそ被害の多くが疫病等なんだが^^
> インパール作戦の成果は?損耗した戦力はイラワジ会戦までに回復したの?
何の話???日本がインパール戦で充実していたらという話なんだが
> 降伏は天皇や国家指導層の選択でなかったの?
どういう意味?何の話からそうなったのかな?敗戦革命サヨクの工作で負けたね^^
> おまけ 無敵の霊将牟田口様の評価は?
ん???俺のレスを読む気ないのか???
牟田口は敗戦革命サヨク近衛東條政権とズブズブって話なんだが^^;
> はい 論破
なに1つ論破できてないから捏造だねwww
俺のレスを読むどころか逸らしかよ(´・ω・`)
敗戦革命サヨクwww
【敗戦革命】共産ソ連シンパ731部隊責任者朝枝繁春大本営「在留邦人や武装解除軍人はソ連の庇護下に」 ゾルゲ事件サヨク近衛元首相「国体護持の代わりにソ連に領土の一部引き渡しと軍人を提供(和平交渉の要綱」赤旗(共産党機関紙)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-08-24/2016082403_01_0.html
【赤旗(共産党)】共産ソ連仲間のサヨク大本営&731部隊責任者朝枝繁春「現地日本人はソ連の庇護のもと満州・朝鮮に土着させて」サヨク大本営参謀瀬島龍三「日本軍人を預かって貴軍隊(ソ連)のために働かせて」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-02-09/2016020909_01_0.html
反日サヨク731部隊があまりにもサヨクすぎてwww(´・ω・`)
【反日サヨク洗脳】外務省が外交文書を公開 戦後ソ連の日本軍捕虜「赤化工作」各収容所「天皇制打倒」「反ファシスト委員会」「レーニンやスターリンらの肖像画」等ソ連ロシアが日本軍を共産主義の思想教育で洗脳 = サヨクの731部隊ソ連裁判証言も信憑性なしw
http://www.sankei.com/politics/news/170112/plt1701120014-n1.html >>357
ちゃんと会話しようね^^;
>>355で、
> がんばったで賞とか手を繋いで一斉ゴール見て射精してる左特有の思考ですね
↑いや
サヨクや反日NHK「インパールガー!!!!!!!!日本ガー!!!!!!!!」
俺「インパールみたいに滅茶苦茶不利な状況でイギリスはかなりの損害。そもそもイギリスがインパールインド侵略しなけりゃ済む話だし、サヨクの敗戦革命の責任もある」
って言ってんだが???www
イギリス侵略や敗戦革命スルーかwww 戦国時代の武将の方が戦終盤に立派な振る舞いした人が多かったんだな、という感想。
それでも首と引き換えに、兵士は助命で という武将は案外少なかったかとは思うが。
武士道だなんだと威勢のいい大日本帝国軍は部隊TOP総逃げパターンが多くて笑えるw 戦国時代は兵隊は「こりゃだめだ」と思ったら命令を待たずに逃げちゃうからね。
降伏を許さない戦陣訓はかなりの縛りだね。 それ陸軍の場合だろw
海軍まで同じと思われては困る 原爆まで落とされても頑張ったしなw
植民地とは違うw
大河ドラマでも、散々、戦国時代は
「一に調略、二に調略」って言ってるのに
先の大戦では全然調略が足りなかったのではないかね >>357
>実際のイギリス軍損害は兵糧病気なんじゃないのかな?追撃戦の損害とか二桁だよ?
Dデイが一ヶ月遅れただけでもメンツ丸潰れなんたが? >>383
謀略より航空機による空襲だろw
ビルマからなんて目前 >>383
>先の大戦では全然調略が足りなかったのではないかね
ならもしドイツ陸軍が、日本陸軍に代わって大陸打通作戦を発動していたらどうなりますか?
ドイツ陸軍だったら、大陸打通作戦なんてケチなものではなく、大陸消滅作戦になってましたか?
南京大虐殺とか性奴隷とか、日本軍は占領地の至るところで住民を苦しめたそうですが、
どうせなら中国人を「劣等人種」としてホロコーストしておけばよかったと思います。何しろ中国人絶滅収容所
が戦後もそのまま残ってしまうのだから、言い訳のしようがなくなり、侵略戦争の反省もしっかりしたものになり、
日中関係はずっと良くなってたはずです。それからもしできれば虐殺した中国人を潰して航空燃料を精製
すればよかったと思います。文句があるなら米軍はオーバーロード作戦を中止にして、中国戦線に派兵したらいいでしょう。
キングタイガーならもっと進軍できましたか? もっと大勢の中国人を殺戮できましたか?
四式戦疾風ではなくMe262が出撃してたら、シェンノートの在支14空軍は壊滅してましたか?
ウルツブルグレーダーと88ミリ高射砲があれば、防空は万全でしたか?
今からでもドイツ語を勉強してドイツ留学して、髪の毛染めてドイツ人になりすまし、こういう発言をしてみたい
と思ってます。「たかが中国チンピラゴロツキの3500万なんて取るに足らん。97式中戦車チハなんて、
あんなへっぽこな戦車モドキ、工業水準低いわー。わがドイツ軍のキングタイガー戦車だったら、
3500万どころか5億人皆殺しにして、中国に中国人は一人も居なくなってたはずだ!」
おい、なんとかいえよ、おい! ところで敗戦革命ってなんだろう
1億特攻とかほざいてウマウマと降伏したことかな?前線では味方の肉を売買させて自分は命乞いと来たもんだ
琉球では市民に手榴弾配って自殺強要
まさにウンコだな >>375
牛の食料を持参して無い以上、手持ちの食料が尽きる前に牛が脱落してるよ。 >>389
シンプル
日本を戦争させて、わざと負けさせ、弱体化させ、革命
ザ敗戦革命 牟田口の孫が出演していたが、ジイちゃんの勲章を得意になって見せびらかしていたなあ。 >>368
インパールの悲劇も【ナチよりははるかにマシ】の一言で常に完全論破できる。
日本軍は戦いながら餓死したが
ナチは戦わずに降参して捕虜収容所で野垂れ死んでいたwwwwwそれもインパールの30倍wwwwww
ナチを倒すには兵器は不要
捕虜収容所を作れば戦いもせずに自分らで勝手に入って勝手に野垂れ死んだ
ゴキブリホイホイならぬナチホイホイwww
一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。
西部の大量投降と東部の必死の抵抗は、ドイツ軍最高司令官デーニッツの戦略だった。デーニッツは、一兵でも多くを人道的な取り扱いが期待できる、アイゼンハワー麾下の連合国軍に投降させようとしていた。
だが、その試みは絶望的な結果に終わった。五〇〇万人をこえる捕虜は野ざらしで、立錐の余地もない鉄条網囲いに入れられ、最小限の食糧や衛生施設にも事欠いた。
一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした。
このような惨事が米軍のもとで起こったのは、南北戦争時のアンダーソンビル監獄以来のことだった
ジェームズ バグー著 消えた百万人―ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道 >>389
どんな日本軍へのバッシングも全て【ナチよりマシ】で完全論破できる
ナチは自国民を守るどころインチキ裁判で銃殺して最後はめんどくさいから自殺を奨励してたんだが
ドイツ軍の崩壊が進み、将軍たちが部隊に与えることができるのは、信念と全滅だけだった。一般市民も、文字通り最前線に配置された。
オットー・ゲオルク・ティーラック法相は1945年2月15日に略式軍事法廷を設置する命令を発した。
『敵軍が迫りつつある防御領域』に設けられ、『臆病や利己心』のために『一般市民に対する自らの義務を回避』しようとした全ての者に対し『必要な厳しさをもって』対処することとなっていた。
その権限は『ドイツ人の戦闘力と戦意が危機にさらされる行為』全般に及ぶ。
判決は三種類しかなかった。死刑か無罪、あるいは別の裁判所への引き渡しである。
すでに戦争が終盤に入った頃に、ナチは自殺は称賛するようになっていた。
1945年春のドイツには死体があふれ、国中の人々が自殺者を目にしていた。
ドイツ軍の崩壊後、自殺は大衆現象と言っていいほど一般的になっている。
すべてが破壊されたことによる無気力と絶望感から、数万人のドイツ人が自殺するに至った。
メクレンブルクの小さな町テテロウの埋葬記録には120件の自殺の詳細が示されている。
銃、首吊り、入水、服毒に加え、父親が家族全員を殺したあと自殺するケースも多かった。
アントニー・ビーヴァー『ベルリン陥落1945』 >>389
どんなに日本軍がバッシングされても
【戦後はナチより日本がよかった】で常に完全論破できる
同じ負けでもナチよりは日本が遥かによかったと戦後のドイツ人自身が認めている。
日本がウンコならナチはそれを喰う朝鮮人以下だろ
第二次世界大戦終了後の連合軍による日本とドイツに対する処遇も極めて異なっていました。日本は一九四五年に、
二度にわたる原子爆弾の投下を体験した世界で唯一の国です。しかし、失れた人命に比べると、
領土はさほどでもありません。反対にドイツの場合は広大な領土を失ったのみならず、終戦直後は四分割され、
その後二分割の状態が長年つづきました。日本はネーションとしての統一も、中央政権の統一も維持することが許されました。
日独間で完全に同様のことといえば、多くの人命が失われたことです。
ベルリン日独センター設立25周年記念
2010年10月20日にヘルムート・シュミット元首相記念講演会
http://blog.goo.ne.jp/tanemakuhito1921/e/e1d694b9319069d30dfa1fea949a99b3
ただシュミットが勘違いしているのは、日本が失った人命は15年戦争で310万人だが、ナチはたった5年で1000万人だから負けのレベルが違いすぎる。
人類史上空前絶後の惨敗がナチ >>389
どんなに日本軍がバッシングされても
【ナチよりははるかに強かった】で常に完全論破できる
日本がウンコならナチは放射性廃棄物以下だな
「沖縄戦はアメリカ軍と日本軍の交戦の中でもっとも苛烈なものであった、
沖縄の占領に莫大な人的、物的代価を払ったことが、原子爆弾の使用に関する決定に大きな影響を及ぼしたことは言うまでもない事である。
アメリカの指導者たちは、アメリカ軍が日本本土に接近するにつれて人的損失が激増する事に疑問をもってはいなかった。
沖縄での経験から、アメリカの指導者たちは日本本土侵攻の代価は高すぎて払えない事を確信していたのである。」
イアン・ガウ『Okinawa 1945: gateway to Japan』
アメリカ軍史上で海兵隊と陸軍の混成部隊は常に活躍してきたが
その究極部隊となった沖縄戦の第10軍は第32軍が強すぎて死傷率が50%にも達したから
アメリカはあまりの損害に日本本土上陸を躊躇した
しかしナチは弱かったからアメリカは躊躇なく赤軍とベルリンに向けて突進した。 >>395
コピペだろうけど、「ナチよりマシ」だと、
何をどう論破したことになるんだ? >>389
どんなに日本軍がバッシングされても
【ナチよりははるかに計画的に戦争してた】の一言で常に完全論破できる。
西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と
勝利を見込んでいた。そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。
東部経済本部部長だったヴィルヘルム・シューベルト陸軍中将の報告からは、
飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱った
ものだった。その中には一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍を
ロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、
われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間が餓死
することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、
穀物はその次だ。現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201
>全国防軍をロシアからの食料で養いうる場合のみ、戦争を継続しうる
ナチは初めからあてにあるはずもない占領地からの収奪だけを期待して戦争を始めたwww
敵からの収奪だけを期待して戦争始めたガイジ国家www
バイキングかよwwwwwwwww >>389
どんな日本軍へのバッシングも【ナチよりは国民を大事にしてた】で完全論破できる。
日本軍は沖縄で手榴弾を渡して、自決を促しただけだが
ナチ海軍の名将()デーニッツは『戦闘で死ぬか絞首刑にされるか好きな方を選べ』と国民に窮極の選択()を行わせていたwwwwww
勝算もないのに、戦い続けるため『狂信的な意志』を示すために、ヒステリックな要求が出された。
カール・デーニッツも、もっともけたたましい叫びをあげた一人である。
戦後デーニッツは、自分が部隊とドイツ国民の生存を気遣った責任ある軍指導者だったと主張しているが、
無条件降服のわずか数週間前にあたる1945年4月7日、デーニッツは全海軍士官に最後の最後まで戦うことを求めている
『軍務によっては勇敢で、毅然として、忠実な、敵の行く手を阻む一枚岩になることができる。
そのように行動できないものはろくでなしだ。そんなヤツは【ここにぶら下がってるのは裏切り者】というプラカードをくくりつけて絞首刑に処さなければならない』
Heinrich Schwendenmann『1945年末のドイツ』 >>397
精神的勝利
いわゆるチョン
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