レーション(というか戦場での飯)メニューNo.47 [無断転載禁止]©2ch.net
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戦場で供される軍隊の飯の話題を中心に、主に戦闘糧食
(コンバットレーション)について盛り上がるスレッドです。
前スレ:
レーション(というか戦場での飯)メニューNo.45
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次スレは>>980が立てて下さい ベトナム戦の泥沼化は
大陸の奥深くに引きずり込まれた(自ら進んで?)行った日本軍みたいだ 日本軍と違うのはソ連の支援で最新鋭戦闘機や地対空ミサイルをソ連の軍事顧問が運用する空軍とソ連に準ずるRPG-2やAK-47などを大量供与された事だな。
AK-47とRPGは未だに有効だが、それらが最新装備のうちに大量投入されたから泥沼化した。
末期は携帯地対空ミサイルまで供与したせいでへリボーンドクトリン自体が崩壊していた。 ついでに地味に戦車も供与していて水陸両用のPT-76やT-55を供与されていて
見晴らしの悪い熱帯の小道で遭遇戦する限りはM48やM60とほぼ互角の戦いが出来たので
海岸線を北上してハノイ直撃も難しかった。 北ベトナム軍は、ソ連から供与された地対空ミサイルSA-2を
有効利用してたそうだな。
その使用量に、ソ連側が驚愕したとかなんとか・・・ > 399
スティンガー(アメリカ製)みたいな
歩兵携帯用の対空ミサイルって、
ソ連製(ロシアでも可)であったっけ? 火力不足を自覚しているからなんだろうけど
ベトコンは会敵するといきなりRPG7を撃ってくるとか戦記に書かれてたね 効くとなれば撃つだろ
迷っているうちに次に撃つチャンス自体がなくなる事を思えば
イラクでも米軍はトーチカとも呼べない程度のマシンガンネストにジャベリンをバカスカ撃ち込んでた
弾体だけで1発4万ドルのミサイルを惜しげもなく使い過ぎたせいで、国防総省からは目標を選んで使用せよ、との通達が出たんじゃなかったか? RPGは対人用にも使えるからだろ。
初期のベトコンは大隊規模でようやく迫撃砲装備だったのだが中期には中隊規模でも装備するようになってたので歩兵の装備面でアメリカと大差なかった。
それと原住民が森でイノシシを捕獲するための罠を対歩兵用に使ったのは有名 >>399
日本軍は援蒋ルートの破壊を試みたけど上手く往かなかった
同じようにホートレイルの破壊も上手く往かなかったんだろうな BE-PALというアウトドア雑誌に紀元200年ごろのローマ帝国軍のアーミーナイフが載ってたんだが
貝殻を割って中身を食べるためのスプーンとフォーク、ナイフとヤスリと爪楊枝が折畳める機構付きの五徳ナイフそのものだったぞ。 >>410
と言うか、1度失われたんじゃね?
新興宗教と蛮族のせいで。 歴史学者がテレビで言っていたが
古代ローマ最盛期の文明レベルは、蒸気機関発明直前のレベルだったとか
ヨーロッパで
「神の奇跡により、ごく短期間で完成しました」
な伝承のある建造風のほとんどが、ローマ時代に作られたものだった
文明が崩壊すると、元のレベルに戻るまでかなりな年月を要する実例だそうだ コロセウムとかパンテオン、大浴場とか見たらあとは蒸気機関と電気だなって思うね
でも時代が下ると道路や水道橋とかインフラの修復が間に合わなくなっていった様が遺跡に残されていて
加えて野蛮なエネルギーに満ちた集団には高度な文化を持ってしても抗えないとか
欧米に現代文明もいずれこんな感じで衰亡すると重ねる人が多いのもうなづける とりあえず、
”アイオロスの球”
なんて、蒸気機関みたいな物なら
発明されてた様子。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%90%83
ローマの時代かどうか、時期的に難しいんだけどね。
ただ、これ自体はおもちゃみたいな物で、これを動力にして云々という事は
なされなかった様子。 今度文明の崩壊があるとすれば
核の冬に因ってなのかな? 古代ローマがあと300年続けばパソコンが発明されてたって話思い出した 奴隷という便利な道具から脱却できないとどんな可能性も画餅やろ 奴隷なんてアメリカで150年位前まで使ってたしな。 >>419
ヨーロッパの中世暗黒時代にはアラブ・イスラム世界で化学が進んだり
ヨーロッパでも秘密裏に錬金術や黒魔術で試行錯誤を繰り返しながら
各種技術が作られている
その辺は一定時間を経ないと出来なかったんじゃないかなあ?という人もいるね
それらの下地があってルネサンスが花開いたとも ルネッサーンス!
と聞いて芸人が浮かぶ奴はおっさん、情熱〜♪ と続く奴はもっとおっさん。 パイナップルアーミーで
教会に有る貴重金属で出来た剣を奪うと謂う話があったが
その貴重金属とは電気精錬を用いないで作られたアルミだった
そのアルミの剣がどのように作られたかは書いて無かった気がする ローマの奴隷制度は借金奴隷であり負債は一家責任で子にも引き継がれるが金を払えば自由市民に戻れる仕組みなので戦前の日本みたいなもんだぞ。
もし模倣対象となる蒸気機関があったらコピーするだけの科学力はあったがペリーの黒船実物や蘭学書がないので模倣できなかったといえるな。 古代ローマって金鉱山で赤字財政のつじつまを合わせるとか江戸幕府みたいなとこがあって
金鉱の枯渇と共に軍事費で民生予算が食い潰されて傾いていったって書いてる本もあるね
インフラの崩壊で人が住めなくなれば商売も破綻するんで奴隷はいくらでも供給されるんだけど
経済の悪化で奴隷を吸収しきれなくなって衰亡の一途… それは広域国家の宿命でもあるよ。新興国の頃は遠征先で鹵獲品や戦利品をゲットして一攫千金のチャンスがあったのだが地中海覇権を握ってからは徴税の年10パーセントと都度制定した税が財源になるので投機的な予算配分が出来なくなった。
なにより戦争で負傷したり部下の治療で借金つくると英雄から奴隷へ転落するという不条理ワールドになってしまったのでゲルマン人傭兵使うようになった。 侵略に因って繁栄した国の末路は
資本家から資産を分捕って国民にバラ撒く事に因って
共産主義を成就させようとしたのと似ているよね
分捕ってバラ撒く資産が無くなると国家が急激に衰退していく
ベネズエラが現在進行形で衰退しているけど
あの国は最終的にどうなっちゃうんだろ? >>430
なんか一気に近代の戦争っぽい話になったな
地雷の威力とかそういう感じじゃないか 古傷抱えながら痛みと貧しさと不安抱えて生きる位なら死んだ英雄として祀られる方がありがたいわな 死んだら死んだで遺族への弔慰金だって出さなあかんのやぞ カタワが増えるのと戦死者が増えるのとじゃどっちが厭戦気分が上昇するんだろうか ローマ軍は古代世界では最強兵団なんだけど鎧や馬は自腹調達で治療も自費
借金を抱えると奴隷転落があたりまえなので人口の半分は常に奴隷で成り立っていたんだよ。
そして主人を選べない奴隷たちがつくった自助組織が一神教の新興宗教で、元軍人から転落した者のミトラ信仰
や借金取りに追われて地下にしか住めなくなった人達の信仰の合祀を重ねながらキリスト教が勢力拡大していったのだった。 >>434
遠くで死んだ戦死者は数字でしかわからないけど傷痍軍人は昭和40年代まで上野公園で姿を晒してたからね
ほんの数人だけど義手義足ではいつくばったりアコーディオンで軍歌を歌う姿を見て戦争怖いって思うようになった
古代ローマの時代も両手首を切断されたり両目を潰された敗残兵を大勢送り返されて厭戦気分が広がったりしてた >>436
以前軍板で上野公園のアコーディオン弾いてる連中は偽物だと教わった
考えてみたら本物の傷痍軍人なら国からお手当貰ってるはずだと気づいた 連合軍の占領下では軍人恩給が停止されていたので、その間にいた人は本物の可能性がある。
昭和28年から再開したから、それ以降は偽物か、生活の足しに続けていた人。 朝鮮系志願兵なら可能性が有るのだ
当時のドキュメンタリーで四肢のどれかを欠損し就職出来ない(拒否される)ので乞食をする元朝鮮系兵士の集団特集を見たことがある
なんでも終戦の引き上げ時に日本人として部隊ごと本土に連れて来られるも「君達日本人じゃなくて韓国人だから韓国から手当貰ってね」となり、
韓国からは「日本兵として怪我したんだから日本に保証して貰ってね。というか日本人だよねキミ?」と門前払いを受けてしまっていた
(ちなみにどっちからも外人扱いだから国籍も怪しい)
朝鮮と日本の未来の為と志願したのに…って苦笑いしてたのはキツかった
たしかドキュメンタリーでは言ってなかった気がするけど、多分在日団体からも爪弾きされてたんだろうなあ志願兵だし
慰安婦と違って軍隊手帳やら戸籍簿等の書類情報がバッチリ残っているので騙りやなりすましでは無いのだが、どっちの政府もまともに相手しなかったというお話 日本の戦時の補償制度は、正規軍人に優しく一方で軍属招集者等には極端に厳しいという欠点があったからな
そこまで配慮が及ばなかったとはいっても、後々まで提訴する人がいなきゃ頬かむりだし ウチの5年ほど前に死んだ爺さんは右足を大腿部から切断してた
まあ確かに手厚い補償を貰ってはいたが
金がもらえてうれしいなぁって単純な話でもねえよな
ウチの親父はカタワの子と馬鹿にされたらしいし
俺が小学生の頃には爺さんは還暦を過ぎていたが
その俺に「戦争のおかげで国からお金が貰えていいね」って言ってくる
うざいおっさんおばさんがいたよ 戦争ではないが八甲田山で手足を失った人は国から恩給を貰い
国民からも比較的温かい目で迎えられたらしいけど
その後の日露戦争で手足を失った傷痍軍人も温かく迎えれれたのかな? >>436
上野公園はともかく、都内の繁華街で俺が最後に傷痍軍人を見かけたのは
1980年頃、場所は新宿か池袋の駅前だった。
俺の親父は>>438の言うとおり、「あいつ等軍人恩給貰ってるから。」と言って
スルーしていたが、18歳で志願して二等兵から最後はポツダム勅令で主計大尉まで
昇進した祖父ちゃんは、必ず箱(大抵「満州平和」とか「世界平和」って書いて
あったな)に小銭をそっと入れてた。 軍人恩給は勤続10年以上でないと貰えなかったようだ。
赤紙で徴兵されて傷痍軍人になった兵卒の場合はナマポより少ない金額を年4回に分けて郵便局で支給していた様なので金が尽きると恥を忍んでそうやって立ってたんだと思う。
傷痍軍人が街に立たなくなったのはナマポ制度拡充によると予想。 戦後は廃兵院も廃止されてしまったからな
あれも功罪あるけどまあ老人ホーム類似と考えれば有効ではあったな >>445
勤続年数は、外地(戦地)勤務期間は、実勤務月数にその3倍の月数が
加算される。すなわち1ヶ月の勤務で4ヶ月勤務したと見做されるらしい。
ttp://www.soumu.go.jp/main_sosiki/onkyu_toukatsu/onkyu_qa.htm
親父から聞いた話では、祖父ちゃんは若い頃体が弱く、上司・同僚から
若死にするだろうから早く恩給が貰えるようにしてやろうと、と配慮され
(もしかすると体のいい厄介払い?)、尼港事件に対する北樺太保障占領の
部隊に転属。
しかし皮肉にも樺太の厳しい気候に鍛えられ健康になり、40歳頃には
相当の恩給が貰える身分になっていたので、最初の奥さんが病死して
再婚相手を探すのに苦労はなかったらしい。 スレ違いなので最後に飯の話を。
祖父ちゃんは戦前に一度退役していたのだが、開戦ちょっと前に
招集されフィリピンへ。
ある島で主計中尉として物資の調達や食事の配給をしていた。
海軍の船が入港してくると日本酒を自転車に積んで駆けつけ、
海軍の主計と物々交換をしたそうだ。
ある時小豆と砂糖が手に入ったので、お汁粉を作って兵隊に
ふるまったら物凄く喜ばれたそうだ。 いい話だな。
スレタイは忘れたが、じいちゃんの戦争話スレみたいなのがあったんだが・・・なくなったのかな?
まだあるなら、そっちにも書いてやるといい。
それと、傷痍軍人はどっかの駅前で平成元年頃まで見かけたって話を聞いたことがある。
「あんた元軍人にはいくら何でも若いだろ」
って聞くと、
「あぁ、私は二代目なんです」
って答えてたとか・・・。 >>449
ありがとう。
以前その手のスレに祖父ちゃんのことを書いたら、嘘つきよばわりされたんで
止めとく。
二代目は酷いが、昭和40年代は繁華街の駅前や神社仏閣の門前には必ず
いたね。傷痍軍人。
俺の記憶だと、白い襦袢に戦闘帽の2人組。1人は立ってアコーディオンか
ハーモニカを吹き、もう1人は四つん這いで片手は義手。演奏曲は
『戦友』というパターンが多かった。
昭和50年前後位からは、生演奏じゃなくてラジカセを使っている人もいたなぁ。 昭和50年代の初めに、大阪天王寺の歩道橋の所に傷痍軍人いたな。
当時ミリオタになりかけだった俺は、戦争の体験談聞こうと思って話しかけたら
よくわからない言葉で怒鳴られた。
朝鮮戦争の傷痍軍人だったのかね? >>451
傷痍者に過去の古傷えぐるようなこといきなりすんなよ…
若いっつってもあまりにも情がないわ
その人が救済の篩から漏れた外国籍かなんかだったのかただ興奮してただけなのか知らんけどさ 外国籍でも日本軍に参加した世代なら日本語喋れるはずだけどな。 帝釈天の山門脇にフック義手の爺さん立ってたな。
もう40年近く前のこと。 日曜日朝のファミリー向けドキュメンタリーで
障害を負ったベトナム帰還兵の話をよく放送してた。
両脚を根元から失ってもチャリティーの為に残った両腕でアメリカ大陸を横断する男とか
腕一本だけ残して手足を失った男が農場経営をしてるとか壮絶な話があった。 >>454
その爺様、自分が目撃した人と同一人物かも。
昭和56年に高砂にある自動車教習所に通ってたんだが、帰りに帝釈天に立ち寄った際目撃して今でもああいう人いるんだ、と当時思った。 フォレスト・ガンプの主人公の上官(中尉、士官学校出身)がベトナム戦争で両足を失うのだが
映画と原作で描写が違っていた
傷病兵として帰国、除隊後にやさぐれて
恩給で酒浸りになり、その後ガンプの仕事を手伝うのまでは一緒だが
映画→仕事が軌道にのっていくうちに、もともとの優秀で勤勉な自分を取り戻す
ガンプがオンボロ漁船1隻から始めた事業を、アメリカでも指折りの水産加工会社に育てる
最新の義足を得て、再び歩けるようになる
原作→世捨て人に戻り、ずっと車椅子生活 >>457
いつの頃からか見かけなくなったな。
この町の年寄りは自ら語ったりはしないけど学徒から特攻隊に入って戦後に教師になったりとか
駅前の商店主がフィリピン帰りだったりとかちらほらいた。 >最新の義足を得て、再び歩けるようになる
ガンプに、その上官がお礼に買ってくれた果物屋の株(だとガンプが思っていた)が
実はアップルで大儲けのシーンが面白かった 今の今まで持ってりゃすごいことになってそうだが、途中に何度かあった経営危機で手放してそう どこの誰の子かもわからない少年を押し付けられたのは気の毒だったな 傷痍軍人なんてパラリンピックに出ればそれこそメダル取ってきそうなもんなのにね
コーチの方が向いてるかもだけど そもそものパラリンピックがその傷痍軍人の存在を想定して
はじまった物じゃなかったっけ? 1948年ロンドンオリピック開会と同じ日にイギリスの病院で傷痍軍人のリハビリとしてやった競技会が発祥らしいから、そうなるね。 若くて体力はあるけど手足を廃失してるなんて昔は軍人くらいだろうし
栄誉が報酬だったんだからメダルを目指すってのは判りやすいね
現代の義足ランナーなんか常人より早いんだし下手すりゃ復帰できちゃう >>467
いや、当時は鉱山、炭坑の就労人工が桁違いに多かったし、工場での生産、製造も今なら遠隔でやる危険なものも至近で作業してるのが多かった。
日本に労災病院というのがあるくらいに労災が多くて、そのなかでも四肢の切断や機能喪失の割合はすごく高かった。 昔のプレス屋従業員は指1本潰して一人前なんて風潮があったらしい
以前勤めてたところでもある程度以上の年齢の人は指が1、2本無い人が多かった >>469
現役でも指が少ない人も多いよ
リーダー以上の人で金型の上げ下ろしに調整なんかやる場合に…
さすがに今では一般ワーカーはそうそう指落とさんだろな 食品工場にも、指が無い人がたまにいるのは
ここだけの話にしててくれ。 土木建築の場合左の小指でないんけ…?
ついでに背中に模様… 中華の料理人も指を落とすことはあるよ。
中華包丁はナタみたいだからな。 たらこおにぎりを買ったらたらこの代わりに指が入ってたという都市伝説めいた与太話が ぺちぺちこねこね ぺちぺちこねこね
ぺちぺちこねこね ぺちぺちこねこね
ぺちぺちこねこね ぺちぺちこねこね
(あれ?・・・ひき肉から指輪が出てきた・・・) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 屋台のラーメン屋の寸胴に
敵対するヤクザの手首を煮込んだスープを客に食わせていた事件が有ったな((( ;゚Д゚))) 手間を惜しまず手の込んだラーメンは町で人気の屋台です。 中国だったら普通に隠れた人気店だろうにね人間手羽元みたいなもんだし うちのは人間からとったモミジで出汁とってます…
嫌〜ん ヤ〇〇キのジャムパンから指がってのが昔あった様な・・・ >>479
あったね〜
残った骨は細かく砕いてボイッしたんだっけ? そういえば、高橋葉介の漫画に
”腸詰工場の少女”
ってのがあってね・・・ >>490
ここでは言えん、
探して読んでくれ・・・
少なくとも、羅生門よりヤバい・・・
高橋葉介氏はホラーがメインな漫画家で、この人が
雑誌に出てくると、なぜかその雑誌は潰れてしまうという傾向があるんだ。 夢幻紳士は結構続いたやないかい
あれこそ雑誌たらい回しでもあるけどw
漫画雑誌なんて大手出版社の看板級以外は創刊してはいつの間にか消えてるもんだから、
中堅以下のベテランはみんな雑誌クラッシャーぽくなっちゃうよ まあ確かに、水木しげるがガロを潰したみたいな言いがかりはいくらでもつくな >>495
キングじゃ10年近く連載してたわw
以降しつこく一つ覚えにマイナー誌にロックばっかり書き続けて呪い扱いされてるがw
まあよく企画が通るよなあw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています