海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術 27
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陸上戦闘は如何に戦われるのか? 海戦は? 航空戦は? 史上のあの戦いにおいて、勝利する方策は? 近現代の陸上戦闘・海戦・航空戦について真剣に考察しましょう。 初心者から本職まで、幅広く参加者募集。 煽動者は黙殺、勘違いには罵倒ではなく善導で。 現職・元職は保全に注意しつつ、広い心でご参加を。 ※軍事戦略(Military Strategy)、戦域(Theater)、作戦(Operation)、戦術(Tactics)、技術(Technical) について主に扱うスレッドです。 世界観・展望(Vision)、政策(Policy)、国家戦略・大戦略(Grand Strategy)の言及は控えて下さい。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 前スレ 海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術 26 http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1507004904/ VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>38 >>39 >>40 >>41 >>42 スターリンが死んだ後、一貫しているのは「西ドイツに攻勢をかける」戦略をとっていること。 そもそも、ソ連は、西ドイツに攻勢をとる態勢を取り続ける必要性があったのかと。 ソ連がドイツを破ったのは主に防勢作戦によるし、その後、ナチスに攻勢をかけ潰滅させたのは英米との東西挟撃。 晩年のスターリンの対西独戦略はかなり融和的(中立前提のドイツ統一まで踏み込んでた)。 というか、スターリンは、生涯通して対外的には柔軟。 一見、開明的だがフルシチョフ以降、能天気にトロツキーの世界革命路線と攻勢第一主義に回帰した。 そして、結果として詰んだと。 >>37 トハチェフスキーやジューコフの末路をみる限り、ソ連の政軍関係には歴然とした壁があると思うがな。 軍人が、極端に高位なシビリアンの肩書きを奉られる場合は、 位打ちで軍と切り離され失脚する前触れ。 スターリンとか旧首脳部はみんなクラウセビッツを読んでいたし、ロシア軍がナポレオン軍を追撃戦で破った時の分析がそのまま陸軍運用思想になっているので砲兵重視かつ戦列歩兵なみに量産した戦車で数の暴力が基本戦略だな。 スターリンの砲兵隊は未だに演奏されております。 >44 >トハチェフスキーやジューコフの末路をみる限り、 一部の過度に有名かつ、純粋な軍人を例にするのは普遍的な政治体制を語るに適当ではない。 そんな極端な例だからこそ政治中枢から排除されるのだ。 >ソ連の政軍関係には歴然とした壁があると思うがな。 その壁は西軍関係ではなく、党内における権力闘争にすぎない。 これは軍人以外の政治委員でも同様 >>43 スターリン死後のソ連がトロツキーの世界革命路線? いくら何でも悪い冗談が過ぎやしませんかねえ・・・ >>47 カストロが外部援助まったくなしで(援助した覚えがない本人たちが言うんだから間違いない)、見事に自前の革命をアメリカの裏庭でやってのけたのを見て、 嘗ての革命家たちの魂の焼けぼっくいに再び火が付いたみたいなことが、ザ・フィフティーズかなんかに書いてあったような。で、キューバ危機に至る路線にのめり込むんだが… マハン海戦論 https://www.amazon.co.jp/dp/4562054360 なるものが発売されていた模様 マハン論文13冊からの抜粋再構成? 目次みると前半が海軍戦略、中盤が個別論文、後半が海上権力論の模様 これはちょっと買ってみるかw 「機動の理論」木元寛明(サイエンスアイ新書)来てた 今回は「Plan1919」を中心にフラーを紹介するものでした。 機動の説明というものではなく、あくまでもフラーの機動戦理論を説明紹介するものです。 普通に買いの1冊とおもいます。 以前機動戦を理解してないと言ってたけど何がまずかったのかご教授願いたい >51 1)機動と火力の関係 狭義の戦術次元の物質的移動/運動の機動のみを解説 2)ヘリボーン ヘリボーンは機動ではなく移動と解説 ・・・空中機動作戦どこいった? 3)ALBをアメフトに例える ALBからミッションんコマンドだけ抽出し特徴として説明 基本的にマニューバがその語源から持っている「駆け引き」や「計略」の説明が希薄でした。 この「駆け引き」こそがマニューバーの根源 自らの移動と位置取りによって敵の判断や試行、行動などに影響を与え その行動(意思も含む)を強要(誘導、牽制、誘引)して戦闘や作戦を有利に主導していく事こそがマニューバ だから政治や外交用語にもマニューバがある ※この部分、今回の本の中の米海軍の部分で、ようやく精神的部分などへの言及あり ただ気になる部分がまだ1カ所 主導権(いにしあちぶ)をあくまでも主動権と記述 一見すると受動であってもマニューバにより主導権を得るという意識があまり無いように思えます。 (ただし受動で主導権を得るには高位の戦略次元や作戦次元においては主動が必要になる場合が多い) (しかしこれは戦争の全部の次元に共通する訳ではないので、もしかしたら戦争次元の区別があいまいなのかも) 戦略次元-(重複域)-作戦次元-(重複域)-戦術次元 やはりここが基本(この重複域を認識するのにはOMGを考察するのが最適なのだw) 機動戦は 機動(マニューバにより敵後方を攻撃し麻痺を図るというのではなく 敵後方を攻撃し麻痺を図る事、その着想から行動にいたるまで全体が機動(マニューバ)という意味 機動は手段ではなく、機動は着想そのもの だから米軍は、作戦デザインとか言い出したんじゃん 戦闘機における空戦機動もマニューバっていうのが人口に膾炙しているが故に空戦のそれと陸戦のそれを同一視しがちなのが、ややこしくしている一因なのでは 実際に重なる部分もあるし、切り取っていけばいい話かもしれませんが。 .>55 >戦闘機における空戦機動もマニューバ あれも本来は相手をだまして(混乱させて/目くらましして/牽制して)有利な位置につくものですよねw 運動そのものじゃないと考えるべきではないかと 空戦マニューバとは、空中戦において相手をだまして(混乱させて/目くらましして/牽制して)敵対し有利な位置につくテクニックである なんかおかしいかい? 運動方法や運動形式はその為に行う具体的な手段にすぎないよね? 英語国民じゃないからマニューバの概念がよく分かってないのよね小生 軍事用語辞典や軍事思想史のテキストでもあれば、 機動やManeuverの項に、語の意味とその変遷を付け加えなきゃいかんのだろうな というのは理解できたぜ! OODAだって、敵を思考的に飽和に追い込む術であって、運動の術じゃないよね、運動はその結果行う行動だよね なぜマニューバウォーフェアにおいてOODAを組み込むかって、そこだよね。 ただ 米陸軍はマニューバ達成の着想において運動を重視する傾向があって (というかマニューバ達成の手段を運動計画(そこには機動達成が込められるので機動計画と呼ばれる)に結実させる) 米海兵隊はマニューバ達成の着想において運動だけに依存せず精神性も重視するよね (精神的影響を与える時間や場所を加味や陽動や牽制による作為といった奇襲要素の重視など(というか必ずそこから考える) 先に具体化して機動戦tって言い出したのは米陸軍が先なので、みんなそっちに引っ張られているんだと思うのです。 なので湾岸戦争なんか、あれただの模範的な側面包囲にすぎないじゃん、どこに機動(マニューバ、計略、駆け引き)の要雄があるんだ? とかいう批判が最近、当の米軍内から出てきているのも、そういうこと。 (逆にサンダーランは、あれこそが機動(マニューバ、計略、駆け引き)だという話が出るのにもつながる) うーん。。。この精神的という日本語表現も問題なのかも? 前スレでもでたように、我々日本人は精神的というと「根性、気合、士気」などの方向に捉えがちですが、 英語での精神的なものって、そこに限りませんよね このマニューバで言われる精神的ってもっと幅の広い概念であって… たとえば精神的奇襲とかって、思考的奇襲とかの表現の方が良いようにも思えます。 敵が思いもかけなかった行動は精神的奇襲になる訳ですが、思考的奇襲と書くと、 敵が考えられなかった、敵思考の枠外とかそういった事を素直に表現できるように思うのです。 精神的奇襲っていうと敵の士気を沮喪させる方向に感じるけど 思考的奇襲っていうは敵の判断力を凌駕する方向に思える。 湾岸戦争は戦史、軍事、戦術の知識があれば、あの計画図をみただけで誰でも意図が読めますよね。 それに対し、サンダーランは、まさかあそこで、あのタイミングで機甲部隊の単独襲撃行動をとるとは!さらに敵重心まで確保して居座っちゃうとは!と誰もが思った訳で まさに想像外、思考の枠外、思いもかけない行動であり、精神的要素におけるマニューバであったと >64 >思考的奇襲っていうは敵の判断力を凌駕する方向に思える。 OODAってその方向ですよね その結果、敵が飽和して、敵の思考や士気が阻喪していく訳です。 ほら、マニューバを一度、運動から切り離して考えると、こんなに判り易くなるw とはいえ、軍隊の運動はマニューバ達成の重要かつ主要な手段になりえるので、どうしても切り離して話すのは難しい 結果として運動と機動が一体化し機動戦とよばれ、その実施手段として目に見える運動ばかりが機動として認識されていく その結果が今の日本なのかなぁ?とか思うのです。 奇襲ってそもそも思いがけない思考の外からの攻撃を意味するものだと思ってたから意味としては重複してるんじゃなかろうか?と思った。 素直に歴史的経緯から入ったらどうか。<機動戦 Maneuver wafareを言い出したのは、アメリカ上院で軍事戦略に影響が強かった ゲイリー・ハートのアドバイザーのウィリアム・リンド。 サジェスチョンを与えたのはジョン・ボイドのOODAループ。 その意義を認めたコリン・グレイとルトワックが、軍事戦略の主流に取り込んで 「消耗戦」の対義語の概念で「機動戦」が軍事思想内の地歩を獲得。 米海兵隊が全面採用して"Warfighting"の最終章にがっつり組み込まれる。 米陸軍は、あまり表面的には認めないが、実質、影響下にある。 ソ連陸軍のドクトリンの変遷も、まずはグランツから入ったらいいんでないか。 ○大戦終了後の初期(1946-1954) 都市化している中欧の戦域特性に合わせた戦車軍他のダウンサイジング。 ○ジューコフの改革(1954-1959) 核戦争を考慮した諸兵科軍の強化 ○軍事革命(1960-1970) 核戦争への対応 ○反軍事革命(1971-1985) OMG等による核の使用を抑制した戦勝の追求 ○兵器の技術革命(1985-1988) 端的に言えば、西側のコッツな精密誘導兵器とソフトウェアの「機動戦」に追随できず泣き言三昧。 政治的にも経済的にも「詰み」。 ○1988年以降のソ連軍とロシア軍 ごめんなさい、して防勢に戦略の基軸を転換。ソ連崩壊。 壮大な規模の無駄だったねと。 >70 >素直に歴史的経緯から入ったらどうか。<機動戦 貴官の提示は「米軍における機動戦の受容」であり それを理解する為にも「機動」という根本を理解すべきではないのか?が私の主張 (そもそも米軍は機動をどう理解しているのか?にも繋がる) >71 >まずはグランツから それは私が前から言っていることw うらー ただし >○1988年以降のソ連軍とロシア軍 >ごめんなさい、して防勢に戦略の基軸を転換。ソ連崩壊。 >壮大な規模の無駄だったねと。 は現在のハイブリッド戦略に繋げないといけない。 現状、追いつけなくなって焦っているのは西側 そう考えると、壮大な無駄とは言えなくなる。 日本版トマホーク http://sp.yomiuri.co.jp/politics/20171120-OYT1T50002.html やっとやな。間に合うか。 開発要素はほとんど無いよいに思うので、補正で一気に作ってイージスに詰め込め。 空自が使いこなすには、まず攻勢的航空戦を教義に組み込まないかんと思うが、間に合うか。 >>72 >機動戦の概念 あまり拡張しすぎると、逆にグレイやルトワックが組み込んでいる部分の意味が分からんようになると思うが。 >74 別に拡張はしてませんよ 単純に「機動、マニューバ」って何? 最初に理解しておこう、話はそれからだ という事にすぎません。 機動戦じゃなくて、機動 マニューバを理解せずに、マニューバウォーフェアを理解しようというのが そもそも無理な話なんだと思う、今日この頃。 >69 >奇襲ってそもそも思いがけない思考の外からの攻撃を意味するものだと思ってたから意味としては重複してるんじゃなかろうか?と思った 思考の外って言ってもいろいろあるじゃないですか この場合は戦術や作戦の組み立てにおける「ロジックの外」と言うべきかもしれません。 Soviet Operational Logistics, 1939–1990 Graham H. Turbiville, Jr. 要点としては、縦深作戦理論の裏付となる作戦次元の兵站は、独ソ戦までは空理空論で、 独ソ戦の中で経済全体と結び付いた集権的な組織、手法で確立され、 1941年のモスクワ防衛の予備を生み出し、1942年の反撃を可能にし、1943-1945年の数百kmの攻勢を実現してドイツに勝った。 ただし、戦後はあまりの集権性ゆえに、ワルシャワ条約機構全体の経済を破壊していく様が言及されてる。 1960年代になっても、レンドリースで供与された米軍トラックに依存してて、それも日に日に衰えていったと。 現代ロシアのハイブリッド進攻は、軍事的弱小国のウクライナ、バルト三国、日本には脅威でも、 かつての世界レベルの恐怖とは量的に違うな。 戦域跨いでかき集めても、陸自と同じくらいの戦力規模だし。 >78 >現代ロシアのハイブリッド進攻は、軍事的弱小国のウクライナ、バルト三国、日本には脅威でも、 >かつての世界レベルの恐怖とは量的に違うな。 >戦域跨いでかき集めても、陸自と同じくらいの戦力規模だし。 NATOの軍縮状況と見比べてから言って欲しい。 それにハイブリッド戦略は、以前のような過度に量に依存しないから脅威なのです。 「A Look at Soviet Deep Operations - Is There an Amphibious Operational Maneuver Group in the Marine Corps' Future」 https://www.amazon.com/Look-Soviet-Deep-Operations-Operational/dp/1497544505 わはは ソ連OMGに米海兵隊の未来を見出そうとする論文発見w (同名でぐぐるとPDFもある) うらー、うらー、うらー >>52 >戦略次元-(重複域)-作戦次元-(重複域)-戦術次元 あと、そもそも、この戦争の階層構造がわかってない人も多いよね。 スケール(規模)の問題だと誤解している人とか。 例えば雑誌スレで評判のよい「歴群マガジン」の常連筆者でもよくわかってない人が多い。 階層構造を理解している人には明らかにおかしなことを書いてる。 けど、それを読む読者の大多数も戦争の階層構造をわかってないので、 おかしなことが書いてあることに気がつかないという…。 そんなに割り切れる話でも無い。 戦略と作戦を垂直に位置付けずに、社会・作戦・兵站・科学技術を水平に捉えて戦略の構成要素とする説も有力。 <マイケル・ハワード 大戦略-戦域戦略-作戦-戦術-技術を垂直に位置付けて、 彼我で相互干渉するというのはルトワックの説だと思うが、それが有力なのは、アメリカが採用しているからで、 例えば金目から戦略にダイレクトに繋がるであろう兵站を 作戦とどう関連付けるかは、まだまだ議論の余地があると思われ。 「機動戦」論者の言う「機動」は、古代のマラトンの戦いから、モンゴルから、フリードリヒ・ナポレオン・ブリッツクリークetc.の「機動」に、 既にOODAループへの効果を狙ったものがあったと。 「戦い」の「本質」だと言ってるわけです。 良く言及されるMigとF-86の話以外でも、エネルギー機動上有利なはずのYF-17が、 コンペでYF-16に敗れて契約をかっさらわれたことも契機になってる。 何か一般公理的な「自然原則」があるわけではなくて、 戦史の有効な解釈として「規範原則」があるわけで。 だから戦史のヒストリアンでもあるマイケル・ハワードや、ジョン・ボイドの学説の有効性は、 時代が経過しても煌めきを失わないわけです。 逆に軍事思想を一般原則化しようとした人は、現代(イスラエル学派)ではちょっと疑問視されてる。 <ジョミニ・マハン・フォッシュ・シュリーフェン・フラー・ドゥーエ リデル・ハートも微妙。 >>82 ダメライターの話は、そういう階層構造やその構成要素の捉え方の違いのレベルじゃなくて 戦術レベルの話で作戦を説明しようとしたりとか、戦争に階層構造が存在していること自体を 理解していないこと あるいは熟考の末に認めていないのかもしれんが、ひどく前衛的な捉え方だな >>82 >戦略と作戦を垂直に位置付けずに、社会・作戦・兵站・科学技術を水平に捉えて戦略の構成要素とする説 これも、戦略と作戦には階層の違いがあることを認めないとか、作戦が戦略よりも上位にあるといってるわけではないよな >金目から戦略にダイレクトに繋がるであろう兵站 どうして「繋がるであろう」といえるのか根拠を示せる? >>84 >何か一般公理的な「自然原則」があるわけではなくて、 >戦史の有効な解釈として「規範原則」があるわけで。 と簡単に言いきってるが、(自分で補足しているように) >逆に軍事思想を一般原則化しようとした人は、現代(イスラエル学派)ではちょっと疑問視されてる。 程度だよな ジョミニ(もっとさかのぼればヴォーバン)の系譜とクラウゼヴィッツの系譜は、用兵思想の二大潮流なんだよな 二大潮流の一方、つまりジョミニ・マハン・フォッシュ・シュリーフェン・フラー・ドゥーエなどを知らずに 用兵思想を語れるのか? と 例えば米軍で「クラウゼヴィッツ・ルネサンス」とかいわれるのは、逆にいうと、 それまではジョミニの系譜に連なる用兵思想がどれだけ根強かったのか、ということ いや、自分の戦争観も、ジョミニじゃなくてクラウゼヴィッツ寄りだけどね マハン思想は覇権国家になれる潜在能力のある国には鉄板だぞ。 信長の野望とかHOIをリアル世界でやるだけだから。 >ALL 疑問提議! >ジョミニ(もっとさかのぼればヴォーバン)の系譜とクラウゼヴィッツの系譜は、用兵思想の二大潮流なんだよな この2つの系統は確かに二大潮流であり、よく相反したものと捉えられる事が多いが本当に相容れないのであろうか? ジョミニは戦争のハウツー クラウゼヴィッツは戦争のホワイ と言われます。 確かに戦争論は単なるハウツー本ではありません。 ですが、ハウツー的要素が存在しないか?というとそうではない。 実際はハウツー本として書き始めたら、それだけでは説明できなくなり、そこを突き詰めていったら冒頭の書きなおしにいたった(そして未完) この戦争論の成立過程自体が、実はハウツーの理解がホワイ理解の前提とも言えるのではないか? ホワイがあればハウツーは不要? そんな事はないと思うのです。 両方存在し、そのハウツーの応用力を高める為にホワイの理解が必要になるのではないか? (逆に、ホワイを理解するからこそ、ハウツーを的確に利用できる) ホワイだけでは、不十分ではないのか? 二大潮流に分けて、相手を批判、否定する事は、そもそも大きな間違いではないのか? ジョミニは普遍的な原則より戦史の前例の解説に寄ってて クラウゼヴィッツは前者を重視してるという書籍としての方向性の違いはわかりやすいが その違いがもっと根本的な戦略論に対する思想の違いをわかりにくくしてるが そこで言えば対極と言うほど差のある物ではないだろうな これは両書籍の不完全性というか二人がもっと本を書く前に死んだせいもあるだろうけど だが後の歴史にあらわれたマハンやカステックスは普遍的な原則も戦史の解説も両方とも満たした結果すごい文量になってるわけで これはこれで読む相手を選ぶ結果になってるし要点の解説をわかりにくくしてる ただ個人的にクラウゼヴィッツがこれほど持て囃される最大の原因は その本の不完全性故に研究科の"探求欲"を刺激する事と後世の戦略家達への影響によるものだと思うから そこが書籍としての魅力を増加させてる つまり純然たる教育書としての能力はクラウゼヴィッツの戦略論にもジョミニの戦略概論にも足りないし その本人達自身が持つ歴史的経緯や後世への影響などからして戦史研究や用兵思想[史]研究には不可欠だと思うが 別に現代やこれからの戦争の用兵について考えるのにクラウゼヴィッツやジョミニの研究が必須とは思わない 戦争を不確かなものと捉えるか(クラウゼヴィッツ)、確定的なものと捉えるか(ジョミニ)、 根本的な戦争観の差 >戦争を不確かなもの その全体として不確かな戦争の中に存在する、一定の確からしさを組み合せ繋いでいくことが作戦や戦術ではないのか? クラウゼヴィッツは防勢の利なども唱えているが、一定の確かさがなければ、そのような話も存在出来なくなる >95 それをいうなら、クラウゼヴィッツとジョミニを対比するのは、 社会における戦争とは何か? と 軍事行動はどうすべきか? というそもそも別の目的を持った議論/論説を混同して同様に扱い、相容れないとしてませんか? この2つの命題は現実において同時に存在できるはず。 というか現実に同時存在している。 (戦争論の成立過程という現実が、それを物語っている) >>91 優れた実践から理論が構築されて、その理論がさらなる実践と時代の変化に磨かれることでまた別の優れた実践が… というのは教育や経営なんかでも聞く話だけど、軍事でも似たようなことが起こるという解釈でいいのだろうか? >97 それは軍事でも起きると思います。 しかもそれが1人の人間の思考の中だけでさえ起り得る その結果が戦争論だと思うのです。 (しかも、書きなおしの途中で終わったが為に、まだ前段階の実践が残ったままの状態というのが、ある意味重要なのかと) そして戦争という社会現象全体を見回せば、非常に混沌とし不確かなもの しかし戦役、会戦、戦闘と下がってくるにつれ、摩擦などによる誤差は生じるものの ある一定の確かさというものも観測される (完全な確かさでは無い事に注意) その一定の確かさの存在を認識しなければ、作戦や戦術を組み立てる事は不可能なのではないか? ジョミニの完全性を否定するあまり、過度に確かさをを否定してしまうと、何もできなくなる。 例えば >93 貴官は何を根拠に作戦計画を立案しますか? >>98 それは、ある程度実績のある方法論があるな。<不確実さへの対応 「分析と総合」による。 MDMPってまさにそれだし。 行動方針の列挙>各行動方針の分析>結論(総合化) これを、状況に即してフィードバックする。 不確実性を無理に一般公理化せず、特殊ケースのまま敵味方の意思の干渉をバラして言って組み上げる。 兵棋演習でケーススタディを深堀していく意味もこれ。 不確実さを、不確実さのまま扱うのが扱うのが、二十世紀の後半に出てきた考え方。 それを19世紀半ばに取り込んだクラウゼヴィッツは、やっぱ破格な先進性なわけです。 ヘーゲルと概ね同時期だし。 ダーウィンの進化論も少し後だし、物理学の量子力学もかなり後。 金融工学なんかはつい最近。 不確実の塊のAIなんかは、昨日まで錬金術扱いされてきたし。 軍事戦略の決定プロセスも、基本は目標(テーゼ)に対する現状ギャップ(アンチテーゼ)を解決して「進化」する方法論(アウフフェーベン)で策定されてる。 無自覚に。 テーゼ:島嶼侵攻対処 アンチテーゼ:対着上陸重戦力、対潜特化海軍、防空特化空軍の現状 アウフフェーベン:統合機動防衛力の構築 別に新規なことではなく、本質を捉えて組織的に戦略を議論しましょうと。 ジョミニのフレームは、現代軍でも使用されてるが、「確実」な原理ではなく、 進化の途上にある一つのテーゼ、マイルストーンという扱いだと思う。 ナポレオン戦争の遺産は、ジョミニ以外も師団制度、グリヴォーバルシステム、テイユの作戦的火力運用、 ギベールの混合隊形、散兵線と多々あるが、 絶対真理ではなく、有効なら使い、アンチテーゼが勃興すれば新たな進化を目指す、ということでしょう。 ジョミニは教範よりでクラウゼビッツは用兵学よりだと思っている >>96 特定の本の記述内容の方向性と、根本的な戦争観は別の話 用兵思想の二大潮流といった時の二大潮流とは、 特定の本のの記述内容の方向性ではなく、 根本的な戦争観の話。 不確実性を受容した中で確実性を追う事は相反することですか? →現在の不確実性の中で、いかに確実性を上げるか? 確実性が存在するとした上で、現実の不確実性を受容する事は相反することですか? →現在の不十分な確実性をいかに利用するか? しかし、この考え方に罠があって、不確実前提で別の方法論もあります 不確実性を受容した中で確実性を追う事は相反することですか? →現在の不確実性の中で、いかに確実性を上げるかを目指す(米陸軍) →現在の不確実性を利用し確実な結果を求める事を目指す(米海兵) >104 貴官は海兵士気を言いたいのだと思いますが、不確実性を認識するだけでは上記のような差異を生んでしまう危険性があると思うのです。 さて、下記に比べて如何でしょうか?こっちもこっちで同様の理解に達することは可能です。 確実性が存在するとした上で、現実の不確実性を受容する事は相反することですか? →現在の不十分な確実性をいかに利用するか?(現実的論的解決法) 結局、不確実性を不確実として扱うというよりも 「不確実を利用する」という着想が重要であり それはどちらからも理解できる話にいきつきませんか? クラウゼヴィッツが本質であり、ジョミニが間違っている これは不確実性の原理から言えば、確実性になっていませんか? 現実は両者のバランスというか 不確実性の中に一定の確実性が内包されている というものではないでしょうか? (だからその確実性をどう使うか?という着想にも繋がりやすくなる) より分解すると 相手の不確実性を衝くために (不確実性の利用) 我の確実性を利用する。 我にもまた本質的には不確実性が存在することを前提とするのがクラウゼヴィッツ。 「本質的に」不確実性の存在を前提とするのかしないか。 言い方を変えると、不確実性と確実性のどちらが(すでに人知によって解明されているかいないかにかかわらず) 「本質的な」前提として存在すると考えるのか。 その差。 (すでに人知によって解明されているかいないかにかかわらず) 絶対的な正解は存在しており、 それにどうやって近づくか、と考えるか。 絶対的な正解などそもそも存在せず、その場その場での正解しか存在しない、と考えるか。 >その場その場での正解しか存在しない 一面真理だとは思うがそれだと用兵学なんてものは必要なくなってしまう その場その場での正解(複数ありうる)をどうやって実現するのか サイエンスによって、 アートによって、 マネジメントによって、 アプローチの潮流は大きく3つに分けることができる(これが唯一の分類法といいたいわけではない) これはアプローチの潮流であって、根本的な戦争観の話とはまた別の話。念のため。 相手の状態によっても、「その場その場の正解」は変わってくる。 だから、敵を知り、己を知りましょう。 これも有名な用兵思想の一節ですが、 「用兵学なんてものは必要なくなってしまう」んですかね? もちろん、絶対的な正解が存在するという前提で、 サイエンスによって、 アートによって、 マネジメントによって、 アプローチすることも可能。 根本的な戦争観の話と、正解に近づくためのアプローチの話は、別の話。 >「不確実を利用する」という着想が重要であり >それはどちらからも理解できる話にいきつきませんか? そのとおり。だって別の話なんだから。 正解が不確実である事と不確実しか存在しない事は違う 戦争での考え方なのか、用兵学の前提なのかという点で話がズレてんじゃない Lansは、最初は、根本的な戦争観(根本における不確実or確実)の話と、本の記述の方向性(WhatかHow)を混同していて、 その後は、根本的な戦争観の話と、方法論(手段、アプローチ)の話を混同している。 >>113 戦争というものは再現性のとぼしい1回性の高い出来事なのだが 研究は必要だ。 研究しないと教範が作れない。教範が無いと訓練も作戦計画も作れないからね。 >>118 戦争は再現性のないものだけど、それでも戦例にしても研究する理由ってのは、 「未経験の出来事に正対した時、出来事への対応を判断するのに参考にするのは 過去の経験である」と明示してあげないと意味が通じない人もいるんでは?w (ちなみにその手の判断を養う基礎教育がCGS課程だ、というのを元現役の人に 聞いた事がある) 不確実であるがゆえに「原理・原則」を抽出するよりも、 「事実」(戦史)の観察から始めましょうと言うとるわけですよ。<クラウゼヴィッツ 一見類似しているようでも、ジョミニとクラウゼヴィッツの方法論は違う。 ジョミニは「原理・原則」が主で「戦史」は一例であるのに対し、 クラウゼヴィッツは「戦史 」が主で、原則的な部分は「戦史」を整理するインデックスなわけです。 それは、「戦争論」と「戦争概論」の戦史部分の厚みの違いを見ただけでも明白。 ウィーン体制を守護したい貴族連中にジョミニは大受したが、 「事実(戦史)を見ろ」とするクラウゼヴィッツは「共和主義者」として干されていた。 ただし、我々にとってどっちが有益であるかと。 クラウゼヴィッツの提唱した「不確実性」に対する処方箋を確立したのがモルトケで、 それが戦略と切り離して、彼我の意志の激突による不確実性を、 継続学習によるフィードバックループで対処する「作戦術」。 戦役計画段階では、「戦史」や「調査研究」の「事実の観察」から出発して、兵棋演習や部隊実験で検証(分析・総合)してOODAループを回す。 回して、回して観測との誤差を潰して不確実性による触れ幅を小さくする。 某課程の入校条件にしてる「原則図示」。 あれは不毛だと思うんだけどね。 「戦いには不変の原則がある!」って著書の帯に書いちゃってるOBもいるけど。 「近い将来、支那軍と戦争する」と真剣に考えたら、「原則」を重視して作戦計画を立てるか? それよりも、最近の戦争であるイラク戦争、アフガン戦争や、 島嶼の例であるフォークランド紛争、戦場に近い沖縄戦史を真剣に分析して、 そこから「学習」しようとするんじゃないか?常識的に。 クラウゼヴィッツ・モルトケの方が首肯できるけどね。 >121 >戦役計画段階では、「戦史」や「調査研究」の「事実の観察」から出発して、兵棋演習や部隊実験で検証(分析・総合)してOODAループを回す。 そこはPDCA OODAはPDCAを廻して作られた計画を実施する時に廻す判断ループ つまり、PDCAの中で廻すもの それに作戦術における計画策定の一手法であって、それが作戦術という訳ではない。 >継続学習によるフィードバックループで対処する「作戦術」。 それに作戦術における計画策定の一手法であって、それが作戦術という訳ではない。 >>119 >過去の経験である もっともな話しではあるのだけれど、問題はその歴史が真実なのだろうか?ということになる。 近年、桶狭間の戦い、関が原の戦い等、旧陸軍参謀本部の日本戦史で説明されていること(定説) と異なる研究が発表されている。戦史教育で教育されている事実が実は違うとなればそれは 根幹から崩れてしまう。 もし教育したい内容が盛られていればいいのであれば、それはフィクション(いわゆる想定)で いいということになる。 人生と同じく、戦略は不確(未知)の中に有確(既知)を求め、未来を予測し、対策を練り、さらに有利な未来状況を作り出す芸術だ。 そのために知識(情報)は重要だ。 クラウセヴィッツをはじめ、ドイツ流軍学最大の問題点は戦争の不確定性を強調するあまり、情報を軽視し、将校の本能反応と臨機応変だけで状況の変化を対応する節がある。 孫子兵法の神髄の一つは「先知」を強調すること、情報を重視するによって戦況を先読みの能力を獲得する。 さらにそれを利用し、主動によって自分に有利な状況を作り出すこと。 >>122 中国軍と戦いたいならまず中国軍を知ること。 対抗系のプロスボーツでも自らの得意戦法と基本能力を確立することは重要だけど、相手を研究することも極めて重要だ。 世界レベルになると臨機応変だけでは勝ってない。 野村克也を習うべし。 しかし闘戦経と日本の武術を研究すると、どうも日本の伝統兵学とスボーツの精神教育は自己完結性が高すぎる。 自分の能力を高めるを強調するのは良いことだけど、 相手の事を考えていない、あるいは想像上の敵と戦っている気味。 中国文化の精神教育は逆に相手の穴を探す癖があるため、自分の能力を高めることを忘れる気味、チートとカンニングあるなら躊躇なく使う。 言い忘れた。 戦略/戦術は芸術かつ対抗性ある流動的状況に使用するため、原理原則を習うでも基本的に日本でいう「守破離」の段階に当てはめると私が思う。 ジョミニ流のSOP(standard operating procedure 標準作業手続)戦術は初心者入門に向いてるだけど死守すべき物ではない。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E7%A0%B4%E9%9B%A2 守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。個人のスキル(作業遂行能力)を3段階のレベルで表している。 まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。 最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。 武道等において、新たな流派が生まれるのはこのためである。 個人のスキル(作業遂行能力)をレベルで表しているため、茶道、武道、芸術等だけでなく、スポーツ、仕事、勉強、遊び等々、世の中の全ての作業において、以下のように当てはめることができる。 守:支援のもとに作業を遂行できる(半人前)。 〜 自律的に作業を遂行できる(1人前)。 破:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)。 離:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)。 (略 >>127 ベルリンに赤旗揚がって南京に日章旗揚がって、第二次大戦が終わった。 戦史を研究することは、先人の経験を利用して、少しでも分からないこと(未知)を潰すことだ。 それでも新しい発明された初見殺しの技を食らう事は必ずあるが、 聖闘士に同じ技は二度も通じぬ >>127 中国軍も1979年の中越戦争が最後だから、その後の 改革がどの程度の実力アップに繋がったか、データが 少なすぎて判然としないね。 色々アレな記事だけど 米軍が本気でニュータイプ育成に挑むワケ https://news.nifty.com/article/magazine/12179-20171126-23635/ 往年の人気アニメ「機動戦士ガンダム」には特異な能力を持った「ニュータイプ」というキャラクターが登場する。 人並み外れた直感力や洞察力を有する人間として描かれていたが、なんと米海兵隊が、このニュータイプ能力を持った兵士を育成しようとしているのである。 ネットメディア「デイリー・ビースト」は、情報公開で入手した米海兵隊の訓練マニュアルをひもといたところ、 米海軍が米海兵隊員の直感力を高めるプログラムを開発していたことがわかったと報じた。 (中略) 要するにホラー映画「シックス・センス」に登場する霊感少年のようになるためのオカルト的な研究ではなく、 ちょっとした出来事をうまく拡大解釈して先読みできるようにしようというものである。 実際、ONRスポークスマンのボブ・フリーマン氏は、デイリー・ビーストの取材に対し 「これは普通の人々がすでに持っている能力を改善する能力だ」と述べている。 また、最近の米軍における作戦立案でも直感で行動するメリットが重要視されているという。 この背景には、戦いで勝つには、敵を上回る速さで矢継ぎ早に意思決定と行動を繰り返し、 主導権を握って圧倒すべきだが、近年の戦略および作戦環境は複雑で不確実さが増しているため難しいというものがある。 いちいちロジカルに考えていては相手に殺されるので、直感による行動が求められるということだ。 >>132 良く分からない敵と戦えてもしょうがない。 冷戦時代と同じく、中露の軍事情報は西側ほど公開的ではないが、それでも軍オタは公的情報を少しでも探すがセオリーだ。 正式な情報機関ほどまで行かないでも、例えば軍事関係ニュースを細かいに収集すれば、何年後で発展の脈絡を読み取れる。 公開情報を収集して分析するのは正式な情報機関もやっているの方法だ。塵も積もれば山となる。 極端の例を挙げれば、最新情報ではないが、世の中にグーグルマップで一国のミサイル陣地を一つ一つ探し出した猛者があった。 >>133 あれは多分旧ドイツ軍と旧日本軍の幹部教育でよくやった短時間決断訓練ような物と思う。 戦況が不明でもとりあえず臨機応変で「多分状況が改善すると思われる」の個人判断に従って部隊を動かすが目的だ。 メリットは大いにあるが「作戦重視情報軽視」に走るの要因でもあった。 実は最近、ネット上で自称元海兵隊の人から最近のイラク戦争実話テレビ映画《The Long Road Home》を見た感想を聞くと、 映画主人公たちの陸軍部隊は待ち伏せされたとSOPに従って現地で陣地防衛体制に入ったが、 彼曰く彼の経験によれば海兵隊ならHMMWVを前に出って敵を引き付き、別動隊を側面に向って反撃する。 このドイツ流の動きは素早く動くため、一見非常に強いが、長期戦に脆い。さらに上手く行かない時に事態が予想外の方向に悪化する。 本来、情報収集からの状況判断は職人仕事で、経験さえ積めば速やかに直感的に判断を下すことは可能だ。 自動車をよく調べた車オタが一見だけで車の型番を分かるようなことだ。 普通の人々が戦況を正しに認識することは本来経験が必要だ。 EスボーツのRTSとFPS界隈でもそうだ。 その能力を強引な訓練で得たいでも、才能の無い人はカンナエのハンニバルに成らない、 ウァロのような自分の判断を理由なく信じて疑わない人になる可能性が高い。 自分の判断を疑う小心者がマシの場合は確かに存在している。 クラウゼヴィッツ理論の欠点の一つは、彼はナポレオンやフリードリヒ大王ような天才に魅され、大半の指揮官はただの凡骨という現実を忘れた。 野球をやっても長嶋茂雄ような天才を習うでもしようがない、野村克也ような地味に地力を上がって、地味にデータを集まって強くなる方が現実だ。 >クラウゼヴィッツ理論の欠点の一つは、彼はナポレオンやフリードリヒ大王ような天才に魅され、大半の指揮官はただの凡骨という現実を忘れた。 だったかな。小生の理解では天才に真正面に対抗するのは凡人には不可能だから直感に頼らない戦争をしよう!という話しに見えるのだが。 平地決戦型の大陸軍をつくるならクラウセビッツでいいと思うよ。 ただし彼はロシア遠征軍と戦ったに過ぎずスペインのゲリラ戦は経験していないから 真似すると日中戦争の日本軍みたいになるな ビッツさんはむしろ日中戦争の日本軍みたいにならないように自国領土に引き込めといってると見えるが。 むしろロシア軍みたいに引き込め、非正規軍をつかってゲリラしろっと言っているように見えるが。 コサックつかって遊撃戦やれというのはその通りだが、 追撃戦の末に西欧に進出して攻撃側に回った時に非正規戦をどう戦うかまで書いてたっけ? >>140 国内戦において敵に対して摩擦を強めろと書いている。 具体的には敵軍の存在しない地域で活動しろと書いている。 攻撃するにしても国内での攻勢防御。 >>137 以下私見 《戦争論》後半の未改修How to部分は、積極的行動によって相手にプレッシャーを与えつつけ主導権を握る、最終的に決戦によって決定的勝利を勝ち取ること、を理想にしている。 後人がドイツ流軍学として体系化する時もそこを重視した。 いわば基本的に決定点に戦力を集中してガン攻めの理論だ。 ナポレオンの戦争を理想にしているだからこのような理論になった しかし戦況判断に必要な情報の重要性についてあまり論じていない。小手先の技や細かい立ち回りもあまり重視しない。 綿密な調査と堅実な用兵で細かい勝利を積み続け、あるいは会戦に負けて戦争に勝つ、様々な駆け引きによって全体的優位を作り出す、例えばイギリス風の勝利は想定外だ。 これはクラウゼヴィッツがよく批判された要因でもある。さらに科学技術の更新についてはジョミニほど論じていない。 ドイツ流軍学はガン攻め決戦主義、さらに戦力が消耗しやすいのは一番の欠点だ。 ソ連軍はその欠点をいくつ改善した。情報網を作り上げ、国力が物を言う、圧倒的兵力(あと火力)を持って決戦、指揮システムを目標にする、補助的ゲリラ戦の導入など改変した。 しかし基本的に総力戦の大立ち回りを前提にしている問題は解決しない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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