>>854
台湾での日本人撤収は基本的に流血事件が少ない。

台湾に置いて日本の植民地統治は、主は後藤新平のおかげで、効率的統治が行われた。
日本時代後半の台湾抗日運動は反体制的武装闘争から体制内での自治権要求にシフトした。
アメリカが大戦中フィリピンを攻めた理由はマッカーサー以外、台湾での植民地統治が比較的上手く行ったため、現地民の協力を得る可能性が薄いこともその一つだ。

「私が考えた台湾歴史上尊敬すべき政治家」の一人は後藤新平だ。
後藤の任期内で決定された台湾治安体制はある意味対叛乱作戦の手本に成れるほど優れる物だ。
後藤時代以前の台湾は元々アメリカ内戦後の余剰最新型銃器が普通に売れていた、『ゴールデンカムイ』の北海道以上なウエスタン状態だ。
あまりにも世紀末過ぎたので、日本政府の中で台湾を放棄する意見が出るほどにな。
後藤任期内、陸軍と憲兵と警察に三つ分けされた台湾治安体制を警察一元体制に改変され、さらに台湾における警察権限を高めて、政策伝達と説明の仕事も行った後、治安回復を成功した。
勿論流血鎮圧もたくさんあったが、あの時代で比較的に健全な部類と言える、特に同時期のボーア戦争と比べればスマートと言える。