【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.3
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旧日本陸海軍で使用された各種装甲車両のスレです。戦車・自走砲はもちろん
装甲作業機や一式装甲兵車のようないぶし銀、海軍の水陸両用戦車まで広く語って下さい。
■前スレ
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.2
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494146400/ ワッチョイは前スレの冒頭で賛否あったので様子みて荒らしが酷くなったらワッチョイ付きで立て直して欲しい 統制発動機の入手難についてだけど、前スレのやり取りを見るにドイツ製工作機械が届いた18年以降はある程度量産の目処は立っていたんだろうか 戦時中に噴射ポンプの生産問題のせいで統制エンジンが入手難だったのかという疑問があるんだがこのスレの住民の推測だよな
名が知れてる研究者なら誰が言い出したんだ?
噴射ポンプの生産問題のせいで統制エンジンが入手難=既定事実として話を進めるから前スレの噴射ポンプの生産数を見て話が混乱してくるわけで
前スレの引用資料みたいな論拠を挙げてヂーゼル機器の噴射ポンプのライセンス生産が昭和17年段階ではうまくいかなかったということなら分かるが
少し飛躍しすぎてないか?それまで各社自社製やボッシュ純正のストックで賄ってたはずなのにそれがいきなり無くなるとも考えにくい 燃料噴射だったら気筒数分だけプランジャーノズルが必要だと思うのだが・・・ >>6
https://www.jsae.or.jp/~dat1/interview/interview2.pdf
の25ページに、開戦前に大量輸入してたおかげでいすゞには大量の在庫があって、それが20年の爆撃時でも大量に積まれていたと。
いすゞの経営陣には先見の明がありますね
ロケのエンジンも予燃焼室式水冷ディーゼルの設計の素晴らしさと相まって故障知らずのものでした
九八式や二式軽戦車もいすゞ製エンジンですので供給には問題ありません
ただしそういった対策を聞かない三菱製の一式や三式中戦車には輸入工作機械の確保が必要になったでしょうね 伊藤正夫さん(戦後ディーゼルの基礎を築いた技術者)のインタビュー
>いすゞの経営者は目先がきいたとみえまして、昭和16年の第二次大戦が始まる前に、まだ運べるころ、ボッシュの製品を山ほど先買いしたんです。
>>ですから、いすゞの生産量よりもはるかに買いだめしてあった。
>>昭和20年に鶴見の工場が爆撃を受けたときに、噴射ポンプ本体のアルミニウムの融けた残骸が山のように残りました。 >>7
最初の1期分だけ気筒数っぽい生産量なのがちょっと気になる
昭和17.5〜17.10
燃料噴射ポンプ 427
昭和17.11〜18.4
燃料噴射ポンプ 1,536
昭和18.5〜18.10
燃料噴射ポンプ 1,951 ノズル 11,315 ←ポンプの6倍
昭和18.11〜19.4
燃料噴射ポンプ 2,324 ノズル 6,187 ←ポンプの3倍未満
昭和19.5〜19.10
燃料噴射ポンプ 2,655 ノズル 4,893 ←ポンプの2倍未満
昭和19.11〜20.4
燃料噴射ポンプ 2,491 ノズル 5,742 ←ポンプの2.5倍
昭和20.5〜20.10
燃料噴射ポンプ 1,373 ノズル 4,451←ポンプの3倍
多分ノズルは別のメーカーでも作ってたんじゃないかなあと思う
燃料噴射装置も(少なくとも)三菱製が別にあったわけだし
ポンプだけ異常に故障しやすく常に数倍の予備品を生産していたとまでは思えんので >>8
ただケニ車の発動機には三菱AB型も使われていたらしい(これも燃料噴射ポンプのサイズが統制型規格の120×160mm)って話もあるからなあ…
>>9-10
燃料噴射ポンプの生産数もいすゞの在庫もサイズ別の数量が分かればいいんだけどな。 トラック等にも統制ディーゼルを使ってるし
V型だと2組使うしで、ポンプ生産数も結構寒いものがあるが
生産立ち上げが事実上18年度以降なのは悲しいね >>8 それを使い切るほど生産「出来なかった」という事でもあるわな…独ソ米英なら一瞬で消し飛ぶんでないか? >>13
そのリンク先を読むと、途中で上からの指示で国産品を使わされて始動が目に見えて悪くなったようですね
生産できなかったというより使わせて貰えなかったのかな?、という
上からの指示はヂーゼル機器での生産が立ち上がるまで日立、三菱、羽田精機のを使え使えというもので。 補修部品の融通とか考えたら生産可能な品物使えって指示はわかる気もするけど
性能や信頼性が足りてないのを使わされるのは現場的にはたまらんだろうな 旋盤加工なんかの話でも海外製は耐久性に優れるのに国産のドリルはボキボキ折れるとか回想でよくでてくるな
油も性能が悪いとか現場では不平不満が噴出 >>14
当時の列型だとそれが普通
ポンプも細長くなるんでエンジンと平行に配置するから
配置したのと反対側のバンクに取り回せないし
4/6気筒用のポンプを2組使うほうがポンプも簡単で済むしな >>18
なるほど
直6と直4用がそのまま使えるのは便利ね
いや逆にポンプ2種類で賄える範囲しか作ってないのか
直8は採用例無しっぽいけど試作のみ? そういや日立のチハ車は発動機に6気筒用のポンプを二個使ってた(三菱は12気筒一個)って話もあったっけね。
https://i.imgur.com/at4JPkw.png
https://i.imgur.com/UpGaljS.png
昭和16年7月の試作兵器発注現況調書より統制型発動機関係(C14011019100 36,41P)
https://i.imgur.com/mfeqF1P.png
https://i.imgur.com/kE1qldT.png
同資料より燃料噴射ポンプ関係(29P,34P) >>20の発動機をリストアップしてみた
水冷1型(興亜工業)
発注:15/11 希望完成年月:16/7(8ヶ月)
水冷V8型(新潟鉄工所)
発注:16/4 希望完成年月:16/8(4ヶ月)
空冷V12型(ジーゼル自工)
発注:15/11 希望完成年月:16/1(2ヶ月)
空冷4型(池貝自動車)
発注:15/11 希望完成年月:16/7(8ヶ月)
空冷V8型(ジーゼル自工)
発注:内示 希望完成年月:16/1(?)
直8型(三菱重工 東京機器)
発注:13/11 希望完成年月:17/9(3年10ヶ月)
自動貨車用(ジーゼル重工 鶴見)
発注:16/3 希望完成年月:16/9(6ヶ月)
直8型の開発期間がとびきり長いのは何でじゃ そして何に積む気だったんじゃ あとジーゼル自工のV8・V12型もまた気になる。どちらも希望完成年月が同じ16年1月となってるが、
その頃陸軍への納入を目前に控えてた試製チホ車は三菱製がV8、自工製がV12をそれぞれ搭載してたといい… 何か関係してたり? V8/V12はチホに間に合うように急がせたってのはあるんじゃないの
直8の方は…クランク軸もやたら長くなるしよほど変なところにねじ込むつもりなのかな
てかすぐに思いつく直8がディーゼル機関車くらいしかないんだけど… 今wikiでざっと確認しただけなんでアレだけど
ディーゼル車用の直8はちょうどこの時期に各メーカーばらばらだったものを統合しようとしてたらしい
まさか気動車用の直8まで統制ディーゼルで代替統合しようとか考えたわけじゃないよなあ… >>24 統制ディーゼルの設計思想から考えると、むしろいの一番に統合対象になりそうな。
当時の民需用途としての生産高と消耗度では一番だろうから、全体としての底上げ効果が期待できる。
…なお、本来の用途としての経済性はもちろん考慮に入らないと思う。大前提として軍事優先だからな(´・ω・`) wikiの受け売りなんで詳しい人の呼び水程度で書く
気動車用のディーゼルは130mmx160mmで直8排気量17L、150馬力くらいを狙っていたらしい
※ボアが10mm大きいことを除けば統制型8気筒とほぼ同じ要求
ガソリン車からディーゼルに切り替え始めたところで、各メーカーともばらばらの仕様だったのを統一しようとしていたという話
ただし結局16年暮れの大戦突入で全部パア、戦後に漸く完成することになる
>>25
狙いとしてはわかるけど、押し付けられる方としたらたまったもんじゃないよね
17Lの発動機とおんなじことを14.5Lの発動機にやらせることになるわけで…
調整で手間取ったから開発期間を長めに取ったのかと思ったが
もしかしたら低回転トルクとかピークパワーとかあれこれ足りず、改良が必要だったのかも >>17
>旋盤加工なんかの話でも海外製は耐久性に優れるのに国産のドリルはボキボキ折れるとか回想でよくでてくるな
総統閣下は皇軍の勇気に感嘆すると同時に、その武装と技術の悪さを嘆いた。そこで訪独潜水艦に
ドイツ兵器を満載して、これで大陸打通やってこいと、総統閣下は激励してくれた。
ソ連は日ソ中立条約で、チンピラゴロツキ討伐を支持してた。ドイツ降伏後もすぐには参戦せず、
これまたチンピラゴロツキ討伐への理解の現れだった。
大陸打通作戦が成功したのも 、米国がドイツ打倒優先で米軍主力をヨーロッパへ向けたから。
大陸打通作戦の輝かしい大勝利の裏には、ドイツの悲しい犠牲があったことを忘れてはいけない。 映ってるのが日本兵じゃないから
戦後大陸で接収されて改造されたとか? 鹵獲/接収/拾ったハ号にトラック等のエンジン積んだやつの部隊お披露目的な雰囲気を感じる
てかこれ服装が国民党軍ぽいけど違う? 九七式って制式名称付いてても、日本陸軍のそれは海軍と違ってその年には量産品なんて影も形もない事が殆どだから、装備はだいぶ後(九七式軽装甲車と同時期かもしれん)だろうや >>27
日中戦争だけなら無敵戦車だったのにねー。 それとTwitterのミリクラやMixiの研究家のページや2ch軍事板から画像転載してることから考えても
彼の国の問題人物はこのスレを見てる可能性が高い ケニとケトって砲塔すげ替えただけなのか
秘匿名称が変わるぐらいだからチへ→チヌみたくどこかしら車体構造が変わってるのかどうかだが >>41
というかケニの狭すぎる円錐形砲塔を改めたのがケトって説明されるけど、
写真を見る感じでもケニで既に円柱砲塔だし、そもそも幅の狭い円錐型砲塔に幅を取る主砲連装機銃は付けられない。
それどころか円錐砲塔でないのはケニの時点で二人砲塔+一人車体が確立している時点でおかしいから、砲塔もそんなに変わって筈だよ
主砲の威力が増大した以外はほぼ同型と見ていいんじゃないか?
現に円錐砲塔を搭載したケニの写真は俺は見た事がないんだよね ていうか仮にケニが円錐砲塔のままだったら二人に増えた砲塔要員と主砲とかんざし式より場所を取る連装機銃を押し込む事になるから、収まる筈がないんだよね。というわけで車体どころか砲塔もケトと変わる筈がない
ならなぜ秘匿名称を分けたかというと、その時期に空挺部隊用への配備案がより真剣に検討されて、それに伴う小さな変更もあったから、用途からして単なる武装強化型に留めなかった可能性がある ケニに対してケトの生産量がいやに少ないのも気になるといえば気になる
確かに空挺用としての少数発注ならわかる気はする
個人的には空挺用なら寸法・重量から砲装テケ(中古になってしまうが…)が向いていそうに思うのだが
ハ号や前期車体チハが一応積極的に還納更新されているのに軽装甲車は進んでなかったのかねえ
それともあくまで3人乗りでないとまずかったのか 海外だとハ号にケニケト砲塔をのっけた強化バリエーションがある事になってるけどそんなのあったっけ?
プラモまで作ってたけど聞いたことないわ ケニ・ケト車の件に関しては
昭和18年1月以降の造兵彙報の「陸軍基本規格・陸軍造兵規格及陸軍計測器規格に関する件」
(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1512114?tocOpened=1 の75コマ目あたり本館か協力図書館から見てね)に
昭和18年1月11日付 兵政技第43号による
「試製二式軽戦車砲塔砲架三十七粍砲取付部検査用具」
「試製二式軽戦車履板検査具」
の規格制定に関する記述が延々と載っている(どちらも長らく「意見照会中」とされてたが、後者は昭和18年8月4日の兵政技第3413号にて制定)事や、
同年8月の日野重工の状況報告に「最近半装軌式装甲兵車、軽戦車外二種並びに伐掃機改造型の試作を命ぜられあり」(C14011059700 23P)と書かれている事が何か関係していそうな気がする
ケニの次にケホを作ってたはずがそれを飛ばしてケトが出てきたってのが解せない(秘匿名称の順にこだわってもしょうがない気もするが)が、>>43みたいな理由であれば理解できなくもない >>45
「日本の戦車」にそういう側面図が載ってるんよ ク7の発注が17年2月、強度試験機完成が18年1月、試作機初飛行19年8月
同じ頃曳航機の少なさから研究中止、双発輸送機型(キ105)に変更
ク7はケニ車搭載前提で計画されていたがキ105は4.5tしか積めず軽戦車の輸送は不可能
ケト車が空挺用として作られたのなら
本来の発注量はもっと多く、19年度前半期に29両作った時点で中止された…という推測もできそうな気が しかし空挺用としてはクロ車というのも存在してたしなあ。
てか二式軽戦車って○カの整備基準だと250両(C12121786600 11P,33P)とあったりもしたが
昭和19年度の計画だと90両分が予定されてた(C12121799600 14P)のが50両に減り、最終的に30両となっている(C14010913200 12P)んだよね >>49
特三号はク7+ケニ(ケト)が曳航機を選ぶから、いっそのこと戦車自体曳航してしまえってことで始められたと思ってたんだけど違うの?
これならク8用と同じ曳航機で曳けるから、という 陸軍落下傘部隊の創設が命じられたのが恐らく昭和15年10月末。命じられた者にとっても青天の霹靂だったようです。
それ以前には飛行機による別動隊(落下傘など)を使用することがあると言葉だけで、臨時の部隊という扱いでしかも実態がありませんでした。
一方ケトについては各種書籍で昭和16年の試作(開始という意味でしょう)とされていますが、
これが正しいとしたら最初からドイツでも前例のない空挺戦車を意図したとしたら落下傘部隊の創設が命じられてから手回しが良すぎるように感じられます。
また、挺進戦車隊の創設は昭和18年(8/10)ですが、空挺部隊の増強が一番考えられていたこの時期でも想定された規模は挺進師団2個で、
戦車隊は師団に1個。挺進戦車隊の戦車は14輌が定数でしたから>>49氏のご紹介数字250輌という当初の計画は空挺戦車としては多すぎることになります。
これはハ号の後継軽戦車として普通に計画されたケニやケトが、空挺戦車にも使用可能と後から構想に入ったのではないかと。 尚、「日本の戦車」によれば挺進戦車隊が実際に装備した戦車は当初九五式軽戦車、
次いで九八式軽戦車、後に二式軽戦車に換装されたとし、
昭和20年6月時点で九五式軽戦車5、九八式軽戦車19(内可動18)、37mm砲装備装甲車(九七式?)12(内可動8)とあります。
これを信じればこの時点ではケトは未だなかったことになりますね。
九五式は訓練用機材として最初にあてがわれただけかも知れませんが、
ケニやケト以前に>>44氏の言われるように装甲車を空挺戦車として使用することを考慮又は研究していた可能性を示唆しているとか。 空挺戦車のアイデア自体は1932年頃にクリスティー技師がこうして世に出していたと言いますが、クロ車とどれだけ関連しているのやら。(そういえば三菱の試製ケニ車はクリスティー式懸架装置を備えてましたっけ…)
https://books.google.co.jp/books?id=a-IDAAAAMBAJ&pg=PA37&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false
http://blog.modernmechanix.com/flying-tanks-that-shed-their-wings/ >>53
空挺は空中挺進の略語ですから降下しなくても輸送機やグライダーで降着させれば空挺なんですね。 >>53
パレットに載せてパラシュート降下させるのだけが空挺じゃないからね
大型グライダー、ク7は九八式軽戦車搭載が前提でペイロードと貨物室寸法が決められた
少なくともその程度には本気だったわけだ
ところが肝心の曳航用機体が九七式重爆やら九六式陸攻の中古ではエンジン出力が足りず
最低でも一〇〇式重爆や四式重爆が必要とされた
爆撃機として使用中の機体を曳航機に回すような余裕があるはずもなく
ク7は試作終了時点で動力化することに決定
一方中型グライダーのク8は量産されたが、こちらは兵員やら小型火砲の輸送が限界で車両搭載は無理 九七式軽装甲車に九八式20ミリ機銃積んだら現代でも通用しそう 和製ヴィーゼルですね。
それにしても今の自衛隊には豆タンク成分が足りない!(>_<) 現代だとその区分で装甲程度も一緒でというと
それはもう警察車両か小型重機の調達で十分でないか 誘導輪を接地させて短い車体でも接地長を稼ぐのも一緒だな
テケは非力な装甲車ではあるが軽戦車であるハ号より新しい設計のため、完成度で言えばはるかに洗練されている >>52
20年6月時点では収容する側のグライダーが開発中止済みなわけで
挺進戦車隊は名目上挺進集団隷下ですが
既に独立軽戦車隊みたいな扱いだったのではないかと…
高速軽戦車(テケも含むけど)で編成する小部隊は
本土決戦時の予備としてそれなりに重宝しそうな気はします >>61
本土決戦では普通に対空挺戦闘の任務を割り振られていますからね。6月以降に本当にケトが配備されたとしても用法はそのままでしょう。
もう空挺部隊としての運用は考えられていない。 結局二式と九八式はどれだけ違ったんだろう 戦車砲が一〇〇式三七粍から一式三七粍となった他に何がどうなったのやら
そういえば前に拾ったネタなんだが、九八式軽戦車って相造と小造の製造分それぞれに兵器固有番号が割り当てられてたらしいね(
C14010986300 42P)
https://i.imgur.com/N89Z34v.png
相模造兵廠の設立後も小倉造兵廠は戦車の生産や試作に関わってたというが、その辺の事を詳しく書いてる物ってあるのかな 主砲換装しただけで制式名を別に付けるのかなーという疑問はある
ただ、イロハ番号で行くとケニ・ケホはそれぞれ別個の存在で
ケト以降は全部既存車輌の改造なので、自走砲に符号振ったのと同じ時期に
ある程度形にするところまで進んだ開発中車両には個別符号を振るような形に方針が変わったのかもしれない
ケリ車もまさにハ号の主砲すげ替えただけ… ケニBに見られる大型転輪って、日本戦車にこそ持って来い(というか必要性大)だったんじゃないかと最近思うのよね
日本戦車だけに言えた話じゃないけど、ゴム転輪にピアノ線で補強だと連続・高速走行では熱が篭って溶け出し、最終的には取れちゃうってのは、大型転輪で回転速度を落とし、軸の周速度を落とす事である程度は「緩和」するんじゃ? クリスティー式だと上側も擦るからどっこいじゃね
むしろ上側逆行だし シーソー型を含めたシザース式サスと大型転輪は相性悪いと思うのだ
バネの様式が違うだけで根本はボギー式、別の見方をするとボギー式だからシーソー式ご自慢の地形追従性が高くなるわけで
仮にボギー1つの代わりに大転輪という形にしたら、転輪がやばい動きするのに目を瞑ったとしても可動域はあまり大きくできないはず
ソ連戦車みたいな転輪間の狭い大転輪にするならクリスティ式かトーションバーになるんじゃないかな てか>>46の内容からして昭和18年初頭の時点で「二式軽戦車」の名称は存在してたみたいだが、その頃計画されてた(水陸や空挺でない)軽戦車ってケホ車以外存在してない筈だよね
つまりこの頃の「試製二式軽戦車」というのはケホ車の事を指していたのが、昭和18年6月の兵器研究方針改訂に伴う計画変更によってケト車が生まれる事となり、最終的にそれが二式軽戦車とされた とは考えられないだろうか その頃は試作車両を必ず符号で呼ぶという形になってなかっただけに思えるけど >>71
自分が言いたいのは>>46の造兵彙報が出た頃(資料的には昭和17年度の兵器研究方針から昭和18年6月の兵器研究計画までの間の時期)だとケホ車以外の試製軽戦車の計画は存在していなかった訳だから、
この時点での「試製二式軽戦車」をケト車(というかケホ車以外の車両)であると考えるのは難しいのではないか?という話で
そういえばまた一つ思い出したが、ケホ車って昭和18年3月時点の研究計画だと装甲最大厚が約20mm、完成予定年月は20年3月(C14011078700 2P)とあるのが
計画改訂後の8月10日付の資料だと最大装甲厚は約25mm、完成予定年月は19年3月に変わってる(C14011080100 2P)んだよね 何か仕様の変更でもあったんだろうか 備砲も47粍砲短に一本化してるので、計画具体化の段階で装甲厚変更の要求があったのでは、としか
しかしケホ車ってなんというかチホ車の蒸し直しっすな
備砲弱くして今度こそ10tに収めたいみたいな…斜めに見過ぎかな ところで同じ計画書の中で「新軽戦車」として項目立てされているものを別項目で「二式軽戦車」と書くことはあるんですかね
この時点で既に九八式軽戦車の空輸用小改造型が二式軽戦車と呼称されていたという見方はありえないですか なぜそう思うかというと、単純に二式軽戦車(ケト車)が翌年度生産されているからです
十八年度中に仮制式まで行っているなら、十八年六月時点で内部では二式軽戦車と呼称されていても特におかしなことはないのでは
更にまだ計画段階、しかも約10tもの車両をいきなり空輸可能か研究せよというのは
現実に研究されたグライダーの方の仕様が7.4tということを見ても無茶苦茶な気がしますな >>74
そういや昭和18年3月の資料に空輸用戦車の項目もあったな、と思って読み直してみたが
これだと「試製二式軽戦車ヲ空輸機ニ搭載スルコトニ就キテ研究ス」(C14011078700 5P)とあるんで二式軽戦車=空輸用とするのもまた難しいのでは
あと名称に関しては計画の開始時期によってそういう事もあるんでないかなー、と思ったり
しかしケホ車の要件から三七粍双連が消滅しているって点も何か気になるな… ケニ改の方が気になる
チハ改の砲塔乗っけたヤツ
T-26の完全上位互換になるな ケニ改が研究で終わる種類のものでなくある程度本気で検討されていたものなら
四十七粍砲短の生産が諦められて四十七粍(I型あるいはII型)に代えられた後の折衷案なのではないかと
四十七粍短も初速740m/sという計画値で、実は性能面では結構有力というか半端な火砲ですよな
この程度の初速がないと一式三十七粍との差別化が図れないというのはわかりますが
砲架もそこそこ重く大きくなるだろうし、あの時期にいまさら一人砲塔用でもないだろうしで存在価値が薄い気はします
とはいえ、たとえば30口径長程度で一式四十七粍と弾頭共用の47mm短加農なんて品物はどう考えても意味がないし
75mm前後の火砲に比べてこの程度の小口径火砲は落とし所が難しいですねえ >>78
昭和19年に自走砲化とセットで製造予定のあった二式軽戦車の砲塔改修型だと思うんですよね、アレ https://i.imgur.com/souExYy.png
昭和18年度の試製秘密兵器一覧表(C14011049000 14P)より
「機甲入門」に載ってる昭和19年度の奴だとケトと書かれてるらしいが、単なる誤記なのかそれとも。 ケホの要件から37mmが消えた18年6月の資料って
例のチト・チリの仕様が57mm長と75mm長・回転砲塔に固まったやつだよね
装甲含め、中・近距離でM3軽戦車にぎりぎり対抗できるラインが要求されてるように見える
不完全な図面からの類推だが「第一回陸軍技術研究会・兵器分科講演記録」32pグラフを参考にすると
初速800m/sの47mm蛋形弾はだいたい250mくらいで存速740m/sになりそうだ
ということは、雑に言って47mm戦車砲が1000mで撃破できる目標を47mm短は700m以内で撃破できる
中距離から近距離に持ち込めばM3を正面撃破できる性能ということになる
37mmは更に一段威力が劣り、200m前後まで近接しないと無理
一方、装甲をチハ同等まで増厚しても300m以下では37mm砲に対して貫通を許すのは試験済
という感じで、この時点でケホはM3とギリ撃ち合える(と見込める)性能に嵩上げされたと見る
しかしほんとに10tで収まるんかなこれ >>81
個人的にはその辺でケト車が出てきたんじゃないかなあ、と 方針が色々と変わったもののケホ車の完成はまだ先の事なのでとりあえず現時点で準備できるものを、とやった結果
ケニ車に毛の生えた程度の物になってしまったとかそういう あくまで47mm級軽戦車が本命なら、宙に浮いた37mm双連を積んだケニの主砲換装版がケトってのはわかる
ケニはこの時点で製造中、ハ号は生産終了予定だからベースがケニなのは当然
しかし1式37mmってそこまで期待するような代物なのかね
当面の敵M3軽戦車には基本的に刃が立たんし
この時期未だにBT7やらT26を想定的にしてたって訳でもなかろうに スペックは200mで55mm(第一種防弾鋼板)/32mm(第二種防弾鋼板)
500mで46mm(第一種防弾鋼板)/27mm(第二種防弾鋼板)を貫通
第一種と二種の違いって何だ?M3及びM3A1軽戦車の車体前面は厚さ38mm、しかも操縦士用の開閉できるバイザーがあるので強度が劣る 一種=圧延鋼、二種=表面硬化鋼と言われてる
んで高さ的に当てやすい砲塔前面は2インチある、圧延鋼だとしても200m正撃でぎりぎりいけるかだあね
つーか弱点射撃で行けるかどうかで判断するんならケホ車の主砲候補から降ろさなかったかもしれんよ
あれかなー
1式37mmは既存の37mmと弾薬筒が共用できないんで
この時期に1式をケニの改良型と試製新中戦車乙に載せてみたってことは、まだ牽引型の1式37mmを94式後継の輓馬速射砲として整備するつもりがあったとか >>83
末期ドイツで、8.8〜12.8cmクラスの対戦車砲は確かに強いけど移動できないから一回の戦闘ごとに撃破されて使い捨てになる
5cm対戦車砲なら何回も陣地転換出来るから長く戦える!なければ3.7cmでも可。威力は近づけばどうとでもなる!
とか言ってる軍曹がいたそうだ
この理論で考えると、機動性を重視したのでは? みんながそういう気合入った人ばかりだったら、兵器なんてカスみたいなもんでも良さそうだね
残念だけどそうじゃないからどこの国もどんな時代でも四苦八苦しながら兵器開発配備してるんだと思うよ ドアノッカーでも良いって砲口装着型成形炸薬弾で戦えるような化け物だろ
T-34/85は側面でも5cmpakのAPCRじゃないと厳しい厚さしてるんだからな >>85
一応アレが旧軍が量産化出来た最後かつ最良の双連式戦車砲だった訳だし、対戦車に限らなければまだ有用だと考えられてたのかもねえ。カミ車の主砲にもなってるし
チリ車にまで積んだのは新様式車載機関銃の計画がポシャった事も関係してそう 結局47短は研究未了か量産されず、1式37もろくに作らずというのは頭の痛い話 大陸でソ連戦車相手にするなら37でも47でも大して変わらん
太平洋にはM4が出てこなくて
M3軽しか投入してこないだろうという想定だったんじゃろ オーストラリア軍が太平洋戦争初期に、マチルダやM3中戦車を部隊配備してるんで、それは無いだろう >>91
島嶼では数十トンクラスの戦車運用は困難だろうという想定だったし大規模な戦車戦も起こることはないという予想だった
マチルダやM3中戦車、t-34の情報は開戦直前直後にやっとつかめたぐらいだからどちらにせよ対処のしようが無い >>86
ドイツは軽量安価な砲架+HEATによる対戦車大威力という夢を追ってたからな
陣地変換が容易な対戦車砲への色気は相当あったんだろう
8cm低反動砲とかいう開発コストの割に合わなそうな兵器まで作ってる
なお日本は75mm山砲+HEATで間に合わせた模様 8cm PAW600は、砲自体のコストは3.7cmPakの半額以下とバカ安 今思えば島嶼で2、30トンクラスの戦車運用困難って相当な確信の割にあっさりとシャーマンやマチルダを運用されちゃってるよな
日本軍のあの自信はどこから来たんだか 加えてチハとあまり重量差が無いのに、倍以上の装甲厚なバレンタインがある >>93
起こることはない、というか起こる前に南方戦線自体を終わらせる算段だったんじゃないかね? >>96 港湾設備の関係で、18t超えるとフネに積むのが困難だからな@日本陸軍視点
…勿論、んな訳ゃあるかー!! >>99
それ気になってたんだけど
出典元が気になる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています