【チリ】五式中戦車、四式中戦車【チト】
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チハは良くてチトチリがないのは試作止まりゆえに地味過ぎるし、名車どころか迷車にもなれない程度に影が薄い チトって砲塔内みんな立ってたのは何でかな?
車長はキューポラのペリスコープ覗けたのかな? チリなんてW号J型並みの性能でしかなかったと聞くが 装甲貫徹力は同等かやや劣る程度(1000mで105mm〜112mm)で
装甲防御力は被弾する確率の高い砲塔前面は75mmで上回るから
M4/75mmやT-34-76相手だと四号J型よりも優位に戦える筈だろう 機動性もW号Jよりは高いと思われる
後は砲塔の旋回速度とかシルエットの大きさ、正面以外の装甲厚とかの細かな部分かな
火砲自体の性能はM4の76mmを若干上回る品物なので、弾が同等品なら確実にW号より上なんだが
APCRどころかAPCBCも無い上に主用するのは弾丸鋼製だから、実際は全距離でちょい苦しいくらいになると思う でも実際にやりあうのはイージーエイト、パーシング、T-34/85とかとでしょ
キツイなぁ せめてルソン島防衛戦あたりに間に合ってないと、
活躍する場面が作れない。 チリはわざわざ半自動装填装置を搭載していたけど
75ミリ砲弾でも当時の日本人には扱うのは重すぎたのかね? >>12
何でだろうね?ベースの四式野戦高射砲にも付いてないのにね。
結局、不具合有る半装填装置外してチトや長砲身チヌに乗せてるし。 >>13
結果的に試験的な意味合いが濃くなった車両だったから
チリやチトは試作に取りかかった時点で
研究試作用のみ製造をしか許可できない状態に追い込まれている
(後にチト車は量産許可が降りた) 高射砲は装填要員が何人もいて迅速に作業が進むし、砲尾は開放されている
狭い砲塔内だと長い砲弾の扱いが上手く行かないだろうという推測から始まってると思われ
副砲は車体機関銃の強化策なんだろうけど、やり過ぎ観は否めない
機関銃そのものが副砲の同軸に付いてるあたりがもうね >>16
半自動装填外して、37ミリを前方機銃だけにして砲塔小型化で浮いた重量を装甲強化に当てたら良かったのに。 >>17
その場合のチト車に対するメリットを150字以内で述べよ そういやチリ2では
排気タービン過給機付のディーゼルエンジンが搭載される計画だったそうだけど
そんなエンジン開発できたの? >>20
過給器付きって記載は見たことあるけど、
排気タービンとかターボとか書いてある資料は見たことない。 車体機銃の強化なら九二式車載十三粍機関砲や九八式機関砲を横倒し搭載してみる手はなかったのかと思わないでもない >>22
車体機関銃って戦後の戦車には付いてないから効果は低かったんじゃない。 当時は効果があると(少なくとも日本軍は)思ってたんだろうからしょうがなかろ
何にしても確定ワンオペなのに砲と機関銃の双連というのは無駄が多すぎだが チト車はもともとチへ車の拡大版かつ
仮想敵は同じくBT或いはBTの発展型T-34とはいってない)だし、
チリ車の仮想敵はkv-1前期型だからしゃーない 4-5式は動くははともかく、そもそもあの時代の戦車って故障率クソ高いんだ。
完成度の高いまともな戦車ですら糞で、ワイはあの時代戦車ってm4以外は全部まともな工業的な信用性もってないゴミだと思う。
t34なんかエンジン、構成、機械部品の信頼性が糞なのは事実で、機器系統が消耗しやすく、故障とメンテがたくさんおきた
もともとそういう仕様でしいていえばメンテしやすかったところがいい
で4式はt34やティーガーのような機械部品信頼性のなさがあって不合理な箇所があった
結果試験戦車レベルではあったけど、あの時代の戦車は実践投入で故障しやすい箇所見つけて、修正してってやってたやん
まぁ実用化できるか以前に本土決戦前のフィリピン戦で投入してデータ集めて修正しないと実用化なんぞ無理無理
結果そう呼べるのは3式戦車までで、技術以前に試験回数レベルで4式はつくっても実戦配備戦車とは呼べない
燃費、整備負担、故障問題で3式より使えないってなったろう
あの時代の日本の装甲車などはエンジンパワーと機械信頼性で3式戦車、4式自走砲みたいな製品をつくるのが
機械信頼性、エンジンパワーで限界
4式以上の重い装備は、技術問題とか製造業関係ないんだ。究極的に試験問題で
十分なしけん、研究、試験的な実戦運用をしてからじゃないと実用化不可能でそれは次元的に数年かかる
あの当時の日本にできたのは3式戦車や自走砲ナトみたいなコンセプトの車両がそれまでの技術けんきゅうの蓄積で限界
4式は作れないんじゃなくて、3式やナトは数年の技術蓄積ありきで作ったが
4式のエンジンその他は試験、技術蓄積全然ないから、つくるなら普通に1946-1948年以降じゃないと無理
これは100mm自走砲も同じ
あの登場の蓄積じゃナトみたいな3式戦車がやっとだな 普通に試作車にウェイト積んで(欧州的な運用では信じられないくらい長距離の)運行試験やった上で領収されてますがな チリの全備重量ってどれ位あったのかな?
チトより幅広い履帯、大きな砲塔、車体、。
35〜36tで収まってるとは思えないのですけど。 >>30
私の見た資料(なんだったか忘れた)では、もう2〜3t重かったのですが、
チト車に五式7.5cm戦車砲搭載が計画された時点で、
チリ車は研究用車両以外の意味を失い本気で完成させる気が失せたと思うので、
完成重量やその性能の言及はあまり意味がないかと思いますが。 >>32
四式なら、スペック通りだと砲以外は四号以上
ただしマトモな対戦車戦闘が発生して居ないので、戦術が… 数的、時期的にIV号に比較されるのはチハであってチトやチリはパンターF型とかEシリーズが比較対象なのだ 一式=T-34、クルセーダー、W号D〜F
三式=M4、パンター、クロムウェル、V号D、W号G,H
四式=T-34‐85、M4/76、コメット、V号A,G、W号J
五式=パーシング、センチュリオン、X号F、IS3
じゃないの? 対戦車戦闘で、車体前面の防禦力が低下するから、戦車の場合は
取りやめたのでは?同軸機銃があることだし… 砲塔の旋回俯仰が手動のハンドルだと、同軸機銃より
射界は狭くても前方機銃の方が移動目標に追従しやすそうに思える。
電動砲塔が普及して不要になったんじゃないかな。
あと、弾薬が大型化して他に積む場所が無くなったとか、
電信が電話になって電信員が不要になったとか、理由は色々ありそう。 >>37
五式は九八式10糎砲を搭載しないと列強と張り合えないな >>43
海軍の高角砲?
対戦車自走砲ホリで張り合える。 長10糎は13kgの軽量対空弾で初速1000m/sを実現してるわけで
フル規格の105mm弾(16kg)を920m/sで撃つホリ砲よりキャパは若干劣る可能性も
シュガポフさんの戦車で採用されて大分信者が増えちゃった感
まあ、実際どっちが固定式の自走砲向きかと言われたら、弾が軽くて初速の速い長10糎だろうけど
単純な威力で言ったらホリ砲が上かもしれない(少なくとも砲口エネルギーはホリ砲のが上)
(この辺りは五式七糎半と九九式八糎高射砲みたいな関係ですな) 九九式八糎も長10糎も弾頭が共用できないのも
ネックじゃん そこは、仮に流用することがあれば徹甲弾だけでも作ったとは思う
四式になるか一式かはわからんが
九九式八糎高射砲もどれだけ生産されたかわからんが徹甲弾は制式化されてるようだし
ただ、初活力がほぼ同じでより軽量で短い十糎半戦車砲の方が
要求されるほぼ全ての面で優れてるのは確か チトって照準手は立って操作してるんだね。
砲塔の旋回はボタンなのかな? あの当時に有色人種で戦車、軍艦、戦闘機など造った国は日本以外 皆無 後知恵で言えば、チト・ホリの開発に時間を掛けるよりは
18年の段階でチヘの車体に少し無理して九九式八糎高射砲を固定搭載したやつをでっち上げ
さっさと配備した方が良かったのかもしれない
でもまあ、いずれにせよフィリピンにも沖縄にも間に合わんだろう 主力高射砲を他部隊に渡す余裕なんざないからあり得ないでしょ
でもまあ、こういう兵器って機甲兵か砲兵かどちらの管轄になるのかは気にならなくもない そもそも九九式は戦車砲としてはそんなに強く無いのでは… 単純に数字だけ見るなら十榴タ弾の方が
重量的にもお得っちゃあお得だし
口径も半端な九九式に拘る必要性はない >>52-53
と言っても火力的に十分な十加の類はカト砲/チト程度の車台が必要になるし
期待の長七糎半野戦高射砲は九九式なんて目じゃないほど開発生産が遅れてるしで
無駄が多いのは目を瞑って有り物で何か作れと言うなら
近距離でも長七糎半と同等の貫徹力を持つ九九式八糎くらいしかないという意味
>>54
ホニIIが生産されたのは戦車師団の砲兵としての役割なのでまた別
タ弾使用前提の近接支援自走砲なら、例えば実車が作られた三八式十二糎榴弾砲の方が無駄がない
まあどうせ75mmでも88mmでも500m以内が有効射距離になりそうな按配だから
いっそ高速対戦車砲や中戦車なんて全部止めてタ弾と榴弾使用の自走砲作った方が良かったのかもしれない
その方が深刻になりつつあった装薬不足への対処にもなるし 機甲兵側よりも
砲兵側の方ががタ弾を重視したのはなんでなんだろうな
こういう後付け理論って大概、どのみち出来なかった、史実の方がマシだというパターンが多い訳じゃん? 機甲兵側がタ弾をそれほど採用しなかったのは
タ弾の貫通力が110mmを超えるような火砲を
密閉式の戦闘室に搭載すると装弾数や発射速度が低下するからだろうか 戦車兵としては、できれば遠距離から直接照準射撃で(それも平射で)撃破したいわけで
そうなると低初速・低回転の方が都合がいいタ弾の特性とは相反してるんじゃないの
砲兵は、タ弾の採用で既存火砲が純粋に対戦車能力向上するから積極的だったのでは そもそも成形炸薬弾が当初対トーチカ用に整備されたものだって忘れてない? >>56
特に戦車部隊がタ弾に冷淡ということはなかったと思うけど
タ弾はあくまで低初速砲の再戦力化手段で本命は高初速砲だったんじゃないかな
同じ貫徹力だったら高初速徹甲弾の方が内部破壊効果も高い
長七糎半や十糎が間に合わなかったのは貧弱な技術蓄積と開発研究体制の弱さにあるわけ
やってる事自体はごく当たり前で真っ当なんだけど
どう見ても戦争に間に合うようなスケジュールじゃないのも確か
同時に、有り物を組み合わせて急造する能力は陸軍も海軍も持っていた
そして高射砲にしろ中口径タ弾にしろ戦争に間に合っていてなおかつ車載できそうな兵器としてそこにある
だからまあ、そこに後知恵の入り込む余地がある >>61
海軍のチハに12センチ高角砲載せた奴なんかそうだね。 陸戦隊は見切りが良いというか撃てれば何でもいいみたいなとこがあって好き
短12cmとか陸軍ならホイ車くらいの大型砲塔に入れるかオープントップにするはず
いや、それより先に牽引砲架に載せるかな 海軍陸戦隊がやりそうでやらなかったこと
・40口径8センチ砲の車載 いかにもハ号の車台に載りそうなのにやってない
・短12センチ砲の野戦砲化 38式野砲くらいの砲架にぴったりに思えるのにやってない
・装甲車、牽引車等の自作 陸軍から既製品を買ってくるだけで自作はしてない
・航空機銃の陸戦転用 まあこれは航空機に回す分で手一杯なら仕方ないか 日本軍は
・90式野砲を対戦車砲改装して800門ほど牽引車セットで支給する
・1式砲戦車を43年までに200両納入
・フィリピン戦に3式戦車200両を間に合わせ、沖縄戦に50両投下する
これくらいはスケジュール的にできた範疇、まにあわせられたレベル
3式戦車はおもちゃだが、大戦末期における旧式、大戦中期標準の75mm戦車かつ500メートルでt34、m4を撃破できる標準的軽戦車としての性能はあった
間に合わせることはできた。まぁそれで大勢に影響ない 日本軍の戦闘車計画は47mm戦車が弱かったじゃなく
47mm砲の支給が遅れ、47mm豆戦車などないから主力の豆戦車が弱すぎたことが最大の問題だった
あの弱すぎた豆戦車が装甲、火力両面でクソで、序盤戦で優位なときも犠牲だしすぎた
求められたのは3式戦車でもなく、まともな47mm砲と全周10-20mmで機関銃を跳ね返せる普通の豆戦車のほうが欲しかったくらい
日本は輸送力その他でどうしても中戦車すら重量でかく、強い豆戦車こそ欲しかった
結果95-97式はやっつけ仕事過ぎた。ドクトリンの方向性は正しいが手抜きだった 例えば98式軽戦車の車体に、一式四七粍を搭載した砲塔を
載せた98式軽戦車改はつかいものになったのだろうか。
69の意見に賛同しつつも、上記の98式軽戦車改が実用化
しなかったことの理由が知りたい。 >>70
98式改向けに新たに試作した砲塔が小さすぎたからだからといってチハ改の大型砲塔を載せるのは車体規模的に少々無理があると見られた。
98式改が試作された昭和十六年はまだケツに火が付くほど切迫していなかったし対米が長期化するとは予想だにしてなかった。
だから無理するより新軽戦車つくった方が良いと判断した もう一つ、
昭和14~15年の段階では既に軽戦車は先の見える車種と見做されつつあり、47粍砲は中戦車への配分を重視した。
ハ号の後継の生産が少量だったのはこのためというのもある(もちろん理由はこれだけじゃないが)
チハの後継には当初は後の五式軽戦車めいたモノ、47粍砲を搭載した約10tの3人乗り戦車を所望していたがノモンハン事件の経験から辞めた。 一式砲戦車こと一式七糎半自走砲はそこまで期待されていた兵器ではなく
自走砲開発の中では脇役であり、本命は一式十糎自走砲と九六式十五榴を搭載した十五糎自走砲だった。
例えば一式七糎半自走砲の生産は1942年頃からスタートしているが、遅くとも翌年度中には生産が打ち切られ約50門程度に止まっている 一方、一式十糎自走砲は終戦まで量産が続き最終的には170門生産する予定だった ※72
チニとチホがごっちゃになってないか
チホはどっちかというとチハの正当な進化と言うか、本来チハがあるべきだった姿……になるはずだった
・KV類似の大型砲塔+47粍戦車砲で4人乗り
・新型エンジン(V8)による全長短縮、それに伴う装甲厚据置きでの軽量化
・車体短縮による超壕幅減少は尾体で対処
・新型操向機による操作性=機動力の向上
四番目が問題で蹴躓き、以降チヌで収束するまでの大迷走が始まる チホ車は昭和14年ごろの段階では改良を加えた57mm砲か高初速47mm砲を主砲とし
重量は10tを目指す予定だった(重量増は12tまで許容)
エンジンはガソリンエンジンも選択肢の一つに入れていた。 KV的な大型砲塔がほしいって話が出たのはノモンハン以降だったっけ?
見難くてもいいから、このあたりの出来事を時系列に沿って並べた年表が欲しいね BTやチハ改などの馬蹄形砲塔のバッスルって、砲弾を収納するためにあるの?
それとも砲身の後座のため? 主砲そのものがデカくなったから
砲操作や簪機銃のスペースを確保したり
弾の補給をやりやすいようにしたりするため 日本はチハをもっと造ればよかったのさ。間に合いもしないモノなんか論外だ。 無理
そもそもチハは背伸びして開発しただけに
量産しにくく運用しづらい、要求性能を満たせていたかといえばそうでもない
現場側から見ても参謀側から見てもいろいろ中途半端な戦車だった
もう少し時間をかければマシになってたかもしれない >>82
戦車関係の予算が大幅に増えないと無理だぞ
戦車連隊に回すチハが足りなくてハ号を主力戦車代わりに生産配備し続けてたくらいだから >>84
>>82は予算増し増し前提でもっと作れって話やないのか? 開発費削ってその分チハの生産に充てろ、程度の内容にしか見えんが…
どの道、開発費分が増額された程度じゃ
ハ号が少し減って旧砲塔のチハが少し増える程度で実質変わらんよ チヘとかチヌとかも開発して造っとるだろ。そういうのも止めてチハに振ればよかった。 チハは駄作扱いだったから早く脱却したかったんだよ
後継作らんとげんばも五月蠅いからな >>87
それはさ、「もっと早く強力な次期型を開発してれば…」と同じレベルの結果論と思うよ。 チハに対して価格的な優位があるとされていたチニを採用したif世界でもないと
中戦車の開発停止までやって一品集中生産する効果は薄いと思うけどな
チハのエンジン自体、部品点数が多くてコスト面でなかなか手強い発動機だったようだし 後知恵の結果論で言えば、
チハ以降の中戦車は止めて、ケヌを前倒しで作っていれば
それで事足りたのでは。
それか戦車は諦めてその分トラックを作るとか。 前倒しでケヌ作るんなら誘導輪を接地しなきゃ使い物にならないし
トラックような兵站機材に回しても大した足しにならない
日本の場合正面戦力に傾注しなければ短期決戦すらできないから
陣地設営のためにブルドーザー作った方が良い
最善策としては近代化の準備を17世紀に始めること 昭和19年にケヌだの造って、多品種少量生産なんて生産力の無駄遣いだろ。 中途半端に力のある貧乏国家だからしょうがないし
すべての工場に戦車を新規生産する力があるわけじゃない
それに多機種少数生産は貧乏症の証 まあ太平洋で戦う上での最善の選択は戦車なんて1両も作らずに
その工業力と資源を速射砲、弾薬、航空機に回す事なんですけどね いやケヌはたまたまチハ車の新砲塔化や自走砲化で旧砲塔が余ってたからだろ
戦車の生産ライン自体は1943年後半以降は減産によって余剰能力気味だし
57mm用タ弾も量産されてるし外された九五式の本来の砲塔は本土防衛用トーチカに流用されてるし案外無駄がない >>94
昭和14年頃から中戦車や軽装甲車を止めて
ケヌを作っていれば、という後知恵の結果論で。
>>93
一応検討だけはしてたのでは。
それか戦争後半はホルに一本化ということで。
>>92
ケヌが使い物になるには、誘導輪を接地させる以外に
どんな改修が必要なのかもできたら教えて。 (6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ
http://twitter.com/ibuki_air
09058644384 >>98
ケヌにしろホルにしろ従来想定された重量バランスから外れてるため
射撃や移動時の揺れが悪化する可能性大。
なのでできればケニのように転輪を前後に増やさないと戦闘どころじゃない
120mm砲積んだホトの開発が放棄された理由の一つでもある
さらにいうならオマエラがやってるのは結果論の後知恵でも何でもなく
単に自分の好きな兵器を活躍させたいだけだろ?
ぶっちゃけ烈風量産しようが秋水量産しようがたとえ航空機重点にしても焼け石に水にしかならん >>101
≫単に自分の好きな兵器を活躍させたいだけだろ?
何を当たり前のことを得意げに言ってるんだ。そういうスレタイだろ。
皆そんなことは承知の上で楽しんでるんだぜ。 いやここそういうスレじゃないし
そもそも軍事板自体、後知恵で好きな兵器を活躍させるのはさける場所だよ
そういうのをやりたいのなら仮想戦記スレへ行った方がええで >>103
へえ、そうなの。そりゃ初耳。こりゃまた失礼。 もし日米不可侵条約が結ばれ、ソ連がメインの敵だったとしたら
チリタンには、九八式十糎砲が搭載される事になっただろうか? もし日米不可侵条約が結ばれ、ソ連がメインの敵だったとしたら
チリタンには、九八式十糎砲が搭載される事になっただろうか? 九八式十糎砲は砲身が長すぎる(6.5m)から難しいだろう
ホリに搭載が計画された十糎戦車砲なら可能性は有ると思う
口径105mm、初速約900m/s、砲身長5.759m(55口径) 図体がやけにでかいから、15センチ加農をオープントップで搭載しよう
マズルブレーキさえついていればいける筈だ
この自走砲で勝つる!w 一式装甲兵車ホキは日本陸軍では珍しく大型転輪だけど、
サスペンションはどんな機構なのだろう?
あとケニBとは関連はないのたろうか? 省力化でボギーを大転輪に置換した内装シーソー式じゃね
ケニBと同じっぽい
超壕とかの極端な地形の追従性、安定性はボギーに劣るだろうけど
部品点数は少なくできる ケニBが不採用になった理由は、112にあるような地形の追従性、安定性かボギーに劣るからなの?
冶金技術が劣るから、という記述も見たことがあるけど、それほどハードルの高い足回りだったのだろうか? 大型転輪・後輪駆動は履帯が外れやすいという思い込みではないか
確実ではないのだけど内部レイアウトも異なってケニAのほうが戦闘室の容積
が広かった可能性も仄かに >>113
112だが、ケニBで試してみたからホキ車で採用できた可能性もあるんじゃないかと
軽戦車でやるには何かしら不都合があったけど、兵員輸送車ならメリットの方が上回るって感じの事情があったんじゃないかね
それがストローク量等の機構に起因するものなのか、履帯との接点の多少によるものなのか
あるいは115氏の指摘のような危惧によるものなのかはわからん
いくつか断片的な写真や動画見ただけのゴミ感想だが
ハ号とかチハ車のボギーって自由度高すぎて
荒れたところ走るとよく食い付いてくれる代わりに履帯の負担高くなりそうな気がするんだよね
平地でダルダルなのはその対策なんじゃないかと
外れる前にブチッと行きそうな感じというかなんというか 鉄が海軍に優先的に回されていたからなぁ
大和級建造をやめて陸軍に回して欲しかったわ 戦車に回すより海中型潜水艦の方が役立ったと思う。
それはそうとケニやケトに47mm砲の搭載はなぜ実現しなかったのだろう。
いつまでも37mm砲では早晩威力不足になると思わなかったのだろうか。 仮想敵の軽戦車や快速戦車なら37mm砲で十分だから敢えて47mm砲を採用する必要は無い >>118
軽戦車の立ち位置が、主力から偵察・中戦車の穴埋めなどの補助的な役割に転落したから後回しにされた。 ああ、47mm砲への換装案はあったけど、主力じゃないから後回しにされたという意味ね >>121
技術的には問題はなかったという事なんですね。
どうせ中戦車でも防御力が弱いのだから、移動砲台として軽戦車に47mm砲を積んでも良かったのに。
その方が小さくて被弾し難いし、資源の節約にもなるから。 >>122
技術的にも問題はあったと思う。換装案があったのは昭和16年の太平洋戦争の直前で、実際に試作車も作られている。
でも砲塔が狭すぎるというなど理由で採用はされてなくて、その翌年には新規車体を用いた47mm砲搭載の軽戦車の計画が建てられている。
この新規車体は大型化してるので、ケニに47mm砲をまんま搭載するのは砲塔をチハ改まんまを積んでも実用上は問題が出たと思われる。
ぶっちゃけ47mm砲換装案が中戦車のみだったのはあの段階で47mm砲がのせられるのは、量産がそれなりにされているチハぐらいしかなかったからというのもある。 チリをベースに15糎加農を自走砲化の方が良さげ
セモヴェンテ da149/40より車格に余裕があるので全周を防盾で覆う
車重があるので命中精度はむしろ高い部類なんじゃないかな
SU-152もあまりの重さに、牽引砲のML-20より遥かに射撃精度上がってる
逆に中途半端な重さだと、牽引砲より精度は劣る 一式四十七粍は重量と寸法(=要求容積)がわりかし大きかった
いわゆるチハ旧砲塔でさえ砲身換装先として47mmを諦め37mm高初速砲への換装試験をやっている
そのチハ砲塔を搭載するにもポン付けとはいかなかったハ号車体に
更に大きな47mm用砲塔を積むというのは無理がないわけがない
ケホ車は47粍(短)を新たに作って搭載する予定だったが
砲塔から新規設計であるにもかかわらず初速を大幅に抑えてコンパクトに纏めたものだった
多分これでもハ号の車体に搭載するには大きすぎる
どうしても47mmが良いなら、もっとコンパクトな砲尾と小さな後座力を持った砲を開発しなければならない
とはいえ作ったとしても徹甲弾は初速不足、榴弾は一式四十七粍と共用なら有効半径が狭く
結局一式三十七粍に毛が生えたような代物にしか成らない
シンプルな軽量小型低腔圧砲だから開発そのものは簡単にできるかもしれないが
それならタ弾に望みが託せる分、まだ還納チハから下ろした57mm砲を持ってきた方がいい 戯れに「ぼくのかんがえたさいこうにつかえるにほんせんしゃ」を想像してみたら
ただの三突になったわ その現実的な解がみんな大好きホニ車、そして少しコスト高いがチヌだから
日本軍的な最良戦車は夢見る余地が少ないのよな
(素人が考えつくようなものは全部試してたともいう)
7.5cmPAK40を上回る対戦車砲は作ってたけど結局終戦に間に合わなかったってのがね
試さなかった中で既存車体にニコイチ自走化できそうな高初速既存砲といえば
・海軍の六〇口径九八式八糎高角砲
・海軍の五〇口径八八式十糎高角砲 (※まず初速落とさないといかん)
・九九式八糎高射砲
こんなもんだしなあ… 昔出てた架空戦記でチハ車体に後ろ向きに砲を搭載したチハアーチャーネタのがあったな。 >>127
詳しい説明ありがとう
ドイツでは装輪装甲車に7.5cm砲、クルップ・プロッツェにも3.7mm砲を積んでたし、
ソ連でも装輪装甲車のBA-6などに45mm砲を載せてたのに、日本では一式四十七粍を
軽戦車に載せることは技術的に難しかったということですね?
どうせ37mm速射砲しか積めないのだったら、軽戦車は止めておいて、九八式三十七粍
を積んだテケを数多く作っておけば歩兵に付けておけば良かったのに、と思ってしまう。 >>131
和製47mmはソ連の45mmよりも大き九重いのでヘンな話ではないし
装輪車両の火砲搭載が貨車山砲以外実現しなかったのは、和製装輪車両の多くが装軌と比べて繊細で壊れやすいので大きな火砲とある程度の装甲を施すには少々無理がある
装輪車両は輸送系、装軌は戦闘系と大体別れてた >>131
技術的にどうかは知らんが寸法的に難しかったのは間違いない
一式四十七粍はドイツで言えば5cm Kwk38とKwk39の中間程度の火砲
当時こんなでかいのを砲塔式で積んだ装輪装甲車なんて
チハより長い巨漢装甲車のSd.kfz.234-2だけじゃないかな
まあDa47/32程度の性能でいいなら軽戦車用の砲塔も作れただろうが
幸か不幸か在庫は持ってなかったし、今更そんな半端な威力の火砲は作ろうともしなかった
(※とはいえDa47/32はチハ57mmと同程度の大威力の長榴弾が使えるから
仮に手持ちに沢山あれば還納ハ号車体とニコイチで日本版M13/40モドキを試作してたかもしれぬ…) テケではなく何故軽戦車を開発したり量産したりしたかといえば
テケは2人乗りだったので1人でも欠ければ
1人で運転から索敵、砲操作を行わなきゃならなくなるからのと
2人砲塔の余地がなくなってしまうから
乱暴に言えば、予備の搭乗員が必要だった 大きくしようとしても、戦車を載せる発動艇を開発・生産・配備をしなければならなかった
97式中戦車を運用するために特大発動艇を作り、
3式中戦車を運用するために超大発動艇を作り、
4式中戦車を運用するために大発動艇を作ろうとしたのが陸軍
すでにある機動艇ではなく、発動艇を作ろうとしたのは河川渡河用のためだろうか? 超大発はチへ車や四式/五式の前身たる新中戦車(甲)(乙)向けに開発したのであって
外地輸送を考慮していない三式は関係ない 搭載能力
特大発動艇16t
超大発動艇18〜20t
×大発動艇
○大型発動艇30t(製作されず)
国立国会図書館のアジアなんたらに超大発動艇以外は図面付きで資料があるから見て来い >>138訂正
○(量産されず)
×(製作されず) >>136
既存装備の浮舟は20トンくらいまでで実用の限界っぽいから
そこ超えると一気に機動難度が上がりそう
渡河は昔も今も戦車運用の鬼門だねえ 究極的に
・技術的に作れなかった
・戦車能力のなさがー
は戦争の結果にたいして影響与えないし嘘になる
まず4-5式は実用化はできたが時間がなかった
そして作ったところでたかが知れてた
粉飾されたWW2で中、重戦車戦は限定的に有効だったが、戦争の勝ち負けに影響与えなかった
但しティーガー無敵神話とかは戦意に大きく影響を与えたがな
日本においては3-5式を早期実用化させてもあまり影響なかったろう 究極的にWW2から冷戦までの戦車教訓は
・戦車は快速巡航戦車が機動戦で包囲を図る場合に役に立つ
・但し大正面戦の成否にあまり関係ない
・あくまで火砲重視の縦深攻撃×防御が中心で迫撃×対戦車砲×榴弾×防御構築が重要
・戦車はどれだけ強力でも広大な戦線では故障で脱落するし、歩兵で囲えばいいからその能力は限定的
・むしろ重戦車であれ目的は巡航戦車のような支援的役割にとどまる
これが絶対な教訓だからな
日本の場合あれ以上できることといったら、坑道陣地を巨大化するしかなかった
ここで海軍の特攻重視の航空重視戦は国力に合致しなかった
究極的に日本は沖縄、硫黄島、満州の要塞をどれだけ堅牢にして坑道陣地で戦うかしかなかった
それならば被航空優勢下でも限定的に対処できたよな
その理屈なら3式/5式、坑道陣地をでかくする以外作戦はなかった
あとは機雷、潜水艦の問題 >>141
量産化される頃の相手はパーシングだぜ
待ち受けるのはチハたんと同じ運命 その日本戦車相手に無双するパーシングも
カモフラージュされた対戦車砲の零距離射撃や歩兵の肉薄攻撃でボコボコやられるという
シャーマンと同じ運命を辿らないとも限らない 側面強化されてるから47mmじゃ辛くなるし
かと言って75mm級以上の砲が隠し通せるかというと いや正面でも側面でも47mmで足りるよ
あの当時もいまも歩兵の対戦車戦はゼロ距離撃破が基本だぞ
・反射面陣地や山脈で見下ろし視点ならば距離400メートル、最大800メートルから斉射で叩く
・基本的にはゼロ距離100-250メートルで曲がり角に入った敵を待ち伏せ斉射する
こういうドクトリン構造だから、単発貫通力に多少不備があっても大丈夫なんだ
戦後のソ連の試験だと、ナチスの50mm砲と日本の47mm砲のデータ比較はソ連式のデータで甘めのソ連有利な試験方だったにもかかわらず
距離50mm砲の距離300-350メートルのパスでT34を貫通可能の判定を下していて
47mm砲は距離150-200メートルで同等の威力という評価だった
このため対戦車砲としての性能は必要十分だった 究極的に日本は戦車対戦車で叩ける状況、地形が少なかったから47mm砲原理主義でなんとかなった
47mm砲あったらその上に迫撃で、迫撃の上に150mm砲標準化で重ねるのが正しい組み方で原理だよ
これは現在的な戦闘論の論理でもな
で極論で日本がT34で保有して武装しても作戦の幅が広がらないから戦略的にはたいした影響はない
なにより大量に機関銃→50mm迫撃→81mm迫撃→47mm砲大隊→120mm迫撃で完全自走化部隊作って
この上に150榴弾乗せる以外手段はなかった
要塞砲だったら、89式150mm榴弾量産すべきだった。物量依然に準備と経験と研究と選択でそれに踏み切れなかった
チハもノモンハン前後で増産したけど結果使えないままだった
そしてチハは9トン軽戦車プランを選ばなかったのは不幸だ 朝鮮半島を進軍出来なかったパーシングが
太平洋戦線で活躍できるとは思えないんだが 大昔見た個人のHPで三式戦車のシャシー、エンジン、主砲と作る為の素材は対米開戦前に揃ってた
太平洋戦争に三式を投与出来なかったのは軍部が無能で時代錯誤でアホでバカでマヌケだったから、
というHP主の主観が語られてたけど、諸兄らはこの説どう思います? 三式が必要になった頃には
戦況がかなり悪化していて上陸させる手段が無かったんだろ >>151
輸送船のデリックが貧弱で三式以降は運べなかったと聞いたが ホニTを砲塔化すればいいと思ってんじゃないの
リベット留めの薄い装甲に低出t力エンジンでノロノロ動くやつなら配備できたかもしれん >>151
開戦前だと統制エンジンがまだまだ試作調整の段階で
とても量産できたもんじゃない
75mm砲は一部の山砲を除いて砲兵の管轄になるので簡単に搭載できないし
面倒くさい交渉をこなす必要がある
輸送に関しては、輸送船のクレーンの吊り上げ重量20tから30t程度なので、三式ぐらいなら外地への輸送は可能だが、
今度はそれに対応する架橋器材や門橋が試作段階ゆえ、河川を渡る手段がない 開戦前に揃ってる物で作るならチハに九〇式野砲積んだM10みたいなやつかな
装甲をさらに薄くして防御力を諦めれば輸送もできたんじゃないか
12.7mmにハチの巣にされそうだが 理論上はチハでも九○式野砲級を砲塔式に搭載できる。三式の時とは違って改造する暇があるなら小型化も出来る。
九○式野砲と同クラスの戦車砲を搭載した例は、チハと車格が近いソ連のBT戦車やアメリカのM3スチュアートの改造型にみられる。
ただし、装填スペースがなくて使い物にならないから
みんな試作止まりなんやな たらればたらればゆーてんとM3GMCでも崇め奉っとけ >>151
単純に北進が再開しないと無用の長物だな
逆に北進を始めれば大連は鉄道連絡船で接続されるから
輸送ネックは荒天位のことしか無くなる
アメリカ相手の戦争に勝ち目は無い
南進したいなら気が済むまでやらせていいが
それには対ソ開戦は絶対条件として約束してもらわなければならない 爆弾背負って特攻かけるからくり人形が作れていれば…… 開戦前に作れたのは旧式野戦重砲までの火砲を砲架ごと据え付けたやつか
少しひねったところで九四式七糎戦車砲を搭載した劣化ホイ車程度だろう
昭和16年度までの車体生産数見てるとそんな色物作ってる余裕あったらチハ自体をはよ配備しろと言いたくなるけど
チホ車はあかんかったがその代わりに試作段階から一式四十七粍戦車砲をチハに装備してるし
緒戦のうちにそれを前線に送り届けてるし
このあたりまでの戦車開発ってクソほど広く戦線拡大させられた割に頑張ってると思うんだ >>156
アメリカのM1(T-6)が75MMか105MMを搭載するという情報が入っていたから
完成していれば105mmを積む事になったと思うよ 105mmは固定戦闘室じゃないと無理だって割り切ってただろうよ
チリには知られてる限り75mmだけだ なぜ75mm積むだけでティーガーU並みの巨体になってしまうのか
ソ連なら絶対100mmクラス載せてるでかさだろ
https://imgur.com/WI4YADx だって500馬力のエンジンがティーガーの700馬力と同じくらい嵩喰っちゃうんだもん
そりゃ長くなるよねっていう
あと、試製十糎戦車砲の弾薬は完全弾薬筒で完備重量30kgにもなる化物
初活力で言うと架空戦記で大活躍の海軍の長10cmより大きい
普通に自動装填装置が必要な代物なんで砲塔に入れ込むのは無理っぽい
逆に言えば最初から砲塔に搭載して一人で装填することを考えてない
現用戦車でもRh120の砲弾重量24kgが完全自動装填と手動の分かれ目だったりする 車体をコンパクトにまとめる技術も主砲自体の小型化も無理なんだからそりゃでかくなるだろ あと兵隊さんの膂力の差、射撃速度や持続性に対する考え方の違い
チリさんの開発時期には、遠くから1発で敵戦車仕留める役は自走対戦車砲か砲戦車の分担で
機動戦闘する中戦車は延々と動き回りながら敵全般と殴り合うのが任務だった
まあそのせいで的がうすらでかくなったのは本末転倒だし
最終的には射撃速度捨ててチトに積んじゃったから後から見るとナニコレ的な存在だけど
あとね、APDSとは言わんからせめてHVAPが量産できる資源状況だったらいろいろ違ったと思うんだよね… キングタイガーに105ミリ積むアイディアは実在したが
第2の装填手の追加のために砲塔の大型化が必要不可欠だと分かったため没になった。
チリ車の主砲が75mm級なのは装填速度の問題だけではなく、
1942年の段階で旋回砲塔の搭載砲の口径は
長砲身なら75mm、短砲身なら105mmを超えると量産に支障を来すと考えられていたため チリ主砲が75mm(長)になったのは計画が進むにつれずるずる大威力化してきた結果なわけで
実は目安自体はあんまし関係ないと思われ
目安が云々て話になってくることがあるとしたらチリの次だったろうね
チリが75mm搭載車両のくせにやたらでかくなった理由は装填装置に対応した大直径の砲塔リングとエンジン容積のせい >>175
あの大きな車体の上に、ちんまりとチヌ砲塔が載ってた可能性もあるんだっけ。 >>176
砲戦車・自走砲ファミリー化のためでもあるから
まあ、多少はね? >>176
一応その時点の計画上は40cm短くてチリ試作車とチトの中間くらいの図体だからね…
(つまり、装填装置関係で戦闘室容積とリング径が見直されてあの長さに…)
まあそれでもうすらでかいよね、最終的にはチヘ車体にあの砲塔載せちゃうわけだから 日本の戦車は道路の関係で車幅が狭いから側面だけみるとでかいけど正面から見ると案外小さかったりするね >>169のリンク先見るとわかると思うけど
チリについては長いから履帯幅をやたら広げなくても接地圧を稼げてるだけで
車体自体の幅はお世辞にも狭いとも言えないのよな チリ車の車格を見てソ連だったら100mm級載せるとは言うけどさ
それ実質ソ連だけの話で、物量で装填速度の遅さその他を補えるという条件付きじゃん
まあ、アメリカもドイツもチリ車より上の90mm級で上なんだけどさ コンパクトにできる技術があったなら日本もチリに90mm、100mm載せてたろうさ
日本が米英かソ連と同盟を結んで砲だけ売ってもらったという設定の仮想戦記ならでてくるかもしれない
丸ごと輸入したほうが現実的だけど 大口径の速射砲は高射砲の需要があるし
砲生産に余裕がないと無理じゃないかな
仮想敵のシャーマン相手なら75mmを連射するほうが効率的という免罪符もあるし
というか、仮想敵は登場時に出てくるという発想で
大口径砲を戦車に載せていった独ソが頭おかしいだけのような
(高射砲や野砲を転用するだけ、単能の17ポンドより合理的という発想もあるか…) 五式中戦車の仮想的はKVとT-34/76
m4が仮想的になる頃には量産計画が凍結されている。 T-34やKVの情報自体、太平洋戦争開戦直後からあったのにも関わらず、
新中戦車の搭載砲が長砲身とはいえ47~57ミリ、砲戦車でも75~105ミリの短砲身砲だったのは
技術的なノウハウを蓄積するため。 体格の問題になってしまうんだが人力で長い完成弾装填できる限界が他国に比べて低い
75mmでも装填補助装置欲しいとか言ってる時点でもう105mm級なんてダメ
相対的に軽くて高威力の弾頭が希少金属の使用不可で使えない
↓
蛋形弾のまま大口径かつ高初速化するしかないので一気に105mm・920m/sに
↓
装填手の膂力が足りないから自動装填装置付ける
↓
砲塔に収まらないから必然的に固定戦闘室に
短期的には高初速砲を諦めて大口径低初速砲+タ弾にした方が良い
実際にホリ砲の研究は続けていたが戦力化時期は遠く、研究用以外の砲身の調達もされてない
目の前の敵にはタ弾を使用する方向で進んでいった 造兵廠以外でまともな火砲開発元がないからな
火砲メーカーがいる列強みたいに欲しいときにサッと適当な砲を用意できない 戦後ならともかく、大戦期の自走砲であれ戦車であれ成形炸薬弾の使用がメインと言う前提の装軌車両ってかなり珍しいと思う
ホト車ぐらいしか思いつかない
他の奴はほぼ徹甲弾か通常榴弾のどちらか ホイ車はタ弾がらみもあって生産されたのでは
山砲の弾薬筒がそのまま使えるはず
ホロ車はわざわざタ弾が開発されてるから本来対戦車戦闘はタ弾を使用する予定だった可能性あり
しかし数の多い57mmチハ車がタ弾で戦ったって話を見ないのは口径のせいか ホイ車は量産計画の凍結以前は榴弾メインだもんでホト車のようなheatメインに含めて良いか微妙。
ホロ車に関してもheatメインだったかのような解説が付くことが多いけど
実際どうだったのかよく分からないし判断に困る。実戦では榴弾のみの使用だったし >>193
まあ肯定も否定も出来ない話だわな
ある程度低初速、かつ数があって前線で使いそうな野戦砲は全部タ弾が研究されてると言ってもいいからなおさら微妙
単に低初速の火砲にも対戦車能力を持たせる程度の考えとも取れるし
ただタ弾主力で考えてる場合九四式七糎戦車砲搭載の砲戦車案が出てきても良いような気はする >>190
もう少し軍が謙虚で、趣味の軍事と日々の生活を分けて考えられていたなら
武器を輸出することやメーカーを育てることが重要になるし
そうすればチハを輸出するにしても、それは売れるような仕様になるから
結果的に反映されて世界に通用する兵器に育つ >>198
小文字と呼ばれる荒らしなんでスルー推奨 チト車の前照灯はいくつが正解なんでしょ?
左右フェンダー上の2つ? 真ん中1つ? 左右と真ん中の計3つ? ファインモールドのチト試作型作ってて、ふと思ったんだけど
車体中央部の左右の出っ張りって、57ミリ砲搭載の一号車には
無かった(チヘみたいに)んじゃ無いかなと。
鋳物のデカ頭積むにあたって、車内容積確保のために少しずつ
左右に広げたっての、どう? >>197
日本陸軍ってタイ王国にはハ号軽戦車を何台か輸出していなかったかな
太平洋戦争さえ始めなければ、満州国や内モンゴル自治国に戦車を売る可能性はあったろうね どっかの28が輸出用のパンフレットを本にしてなかったか? 7トン級でプトー歩兵砲相当の軽便砲積んだ戦車って珍しいし
単価さえ安ければ古いルノーFTや機銃仕様のCV33/35じゃ物足りないユーザーには売れたかもしれないね >>205
「戦車と砲戦車」のイラストやYellow Catのガレキでは
右フェンダーと車体真ん中の2箇所だった。 >>210
47mm積んだ輸出用6t軽戦車の独壇場だよ 存在しない架空の戦車でっち上げりゃなんでも行けるわな ソ連「口径が2mm足りない分、お安くしときまっせ」 >>186
仮想敵はM6重戦車だろな
だから副砲が付いている 副砲でM6相手に何するの?
古臭いコンセプトが同じというならわかるが チリUと称するこの戦車、どっちかと言うと量産型チトに似てると思うけど
正体は何ですか?
https://i.imgur.com/fVbroHU.jpg >>216
チリ車のスペックは1942年あたりまでの独ソ戦の様相を参考に設計されたモノで
独ソ戦に参加してすらいないM6重戦車は全く想定していない。 >>218
この画像の下半身、チリ風味全然無いもんな。 WOT妄想戦車ツリー
妄想じゃねえかでっち上げだろう >>223
原乙未生先生の妄想をミリタリー雑誌「丸」のライターが写したもの スマホ戦車ゲーWoT-BLITZをやってると、チトもチリも紙装甲ながらも、他国の戦車に混じっても頑張ってる印象があるなぁ。
……そう言えば、巣籠もり需要で戦車プラモが売れたせいで、日本軍後期迷彩塗料セットがどこも売り切れててプラモを組もうにも塗装に困る。どうしたものか。(´・ω・`; ) 戦車は特に基本塗装した後にウェザリングするから近似色買って塗ればいいよ。
ツヤも最後につや消しで統一すればいいし >>224
脳内イメージを読み取って図面化?(んな訳無いかw)
いずれにしろ根拠レスって事ですね。 戦時中に連合国情報部が入手した不確実な情報からでっち上げられた図面をもとにでっち上げた想像図 >>207
タイには軍艦も含め兵器は沢山供与されているが
日本の軍需メーカーが、タイ政府と商談をして輸出していたかどうか
となると、違うんではないかなあ アジ歴の「標題:泰国兵器輸出に関する件」で見たら昭和通商株式会社がタイに輸出してる
九五式軽戦車10輌 九四式軽装甲車40輌に無線機10台をセット
軽爆撃機24機に50キロ爆弾2000個、小銃25000、軽機関銃1000、小銃弾3千万発
付記で原価割れしてもOKと書いてあって、さすがに気前がいい 兵器払下並借用の件(昭和15年11月)
八九式固定機関銃(甲)2,340円
八九式旋回機関銃(特)4,160円
右は今般泰国政府より注文相受申候間何卒支給御払下被成下度此段及御願候也
昭和15年10月21日
東京市日本橋区小舟町二丁目二番地
昭和通商株式会社
専務取締役 堀 三也
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昭和16年12月・兵器臨時価格表(甲)
八九式固定機関銃(甲)2,025円
八九式旋回機関銃(特)3,200円
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結論として商社が商談をして儲けも出ている 生産量がいくらかよりも、攻勢防御が成立する段階なら
兵器が戦場へ到達するまでの喪失数を僅少に抑えることができるが
個々の作戦が成功しようと失敗しようと関係なく
攻勢防御状態なことを気付かれて、兵站線を潰しに掛かられたら終わる
敵が、目前の危機に手一杯な状態を続けざまに生み出してやるという考えが各司令官に無いと兵器をいくら用意しても意味がない
対ソ開戦は、ソ連軍の東部戦線における反撃体制を遅らせる効果をもつし
ハワイ攻略は可能か不可かよりも攻勢防御の継続において有効
最低でも10万程の兵力を喪うことになるが、攻勢防御下における損失は戦局に影響しない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています