【チリ】五式中戦車、四式中戦車【チト】
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そういやチリ2では
排気タービン過給機付のディーゼルエンジンが搭載される計画だったそうだけど
そんなエンジン開発できたの? >>20
過給器付きって記載は見たことあるけど、
排気タービンとかターボとか書いてある資料は見たことない。 車体機銃の強化なら九二式車載十三粍機関砲や九八式機関砲を横倒し搭載してみる手はなかったのかと思わないでもない >>22
車体機関銃って戦後の戦車には付いてないから効果は低かったんじゃない。 当時は効果があると(少なくとも日本軍は)思ってたんだろうからしょうがなかろ
何にしても確定ワンオペなのに砲と機関銃の双連というのは無駄が多すぎだが チト車はもともとチへ車の拡大版かつ
仮想敵は同じくBT或いはBTの発展型T-34とはいってない)だし、
チリ車の仮想敵はkv-1前期型だからしゃーない 4-5式は動くははともかく、そもそもあの時代の戦車って故障率クソ高いんだ。
完成度の高いまともな戦車ですら糞で、ワイはあの時代戦車ってm4以外は全部まともな工業的な信用性もってないゴミだと思う。
t34なんかエンジン、構成、機械部品の信頼性が糞なのは事実で、機器系統が消耗しやすく、故障とメンテがたくさんおきた
もともとそういう仕様でしいていえばメンテしやすかったところがいい
で4式はt34やティーガーのような機械部品信頼性のなさがあって不合理な箇所があった
結果試験戦車レベルではあったけど、あの時代の戦車は実践投入で故障しやすい箇所見つけて、修正してってやってたやん
まぁ実用化できるか以前に本土決戦前のフィリピン戦で投入してデータ集めて修正しないと実用化なんぞ無理無理
結果そう呼べるのは3式戦車までで、技術以前に試験回数レベルで4式はつくっても実戦配備戦車とは呼べない
燃費、整備負担、故障問題で3式より使えないってなったろう
あの時代の日本の装甲車などはエンジンパワーと機械信頼性で3式戦車、4式自走砲みたいな製品をつくるのが
機械信頼性、エンジンパワーで限界
4式以上の重い装備は、技術問題とか製造業関係ないんだ。究極的に試験問題で
十分なしけん、研究、試験的な実戦運用をしてからじゃないと実用化不可能でそれは次元的に数年かかる
あの当時の日本にできたのは3式戦車や自走砲ナトみたいなコンセプトの車両がそれまでの技術けんきゅうの蓄積で限界
4式は作れないんじゃなくて、3式やナトは数年の技術蓄積ありきで作ったが
4式のエンジンその他は試験、技術蓄積全然ないから、つくるなら普通に1946-1948年以降じゃないと無理
これは100mm自走砲も同じ
あの登場の蓄積じゃナトみたいな3式戦車がやっとだな 普通に試作車にウェイト積んで(欧州的な運用では信じられないくらい長距離の)運行試験やった上で領収されてますがな チリの全備重量ってどれ位あったのかな?
チトより幅広い履帯、大きな砲塔、車体、。
35〜36tで収まってるとは思えないのですけど。 >>30
私の見た資料(なんだったか忘れた)では、もう2〜3t重かったのですが、
チト車に五式7.5cm戦車砲搭載が計画された時点で、
チリ車は研究用車両以外の意味を失い本気で完成させる気が失せたと思うので、
完成重量やその性能の言及はあまり意味がないかと思いますが。 >>32
四式なら、スペック通りだと砲以外は四号以上
ただしマトモな対戦車戦闘が発生して居ないので、戦術が… 数的、時期的にIV号に比較されるのはチハであってチトやチリはパンターF型とかEシリーズが比較対象なのだ 一式=T-34、クルセーダー、W号D〜F
三式=M4、パンター、クロムウェル、V号D、W号G,H
四式=T-34‐85、M4/76、コメット、V号A,G、W号J
五式=パーシング、センチュリオン、X号F、IS3
じゃないの? 対戦車戦闘で、車体前面の防禦力が低下するから、戦車の場合は
取りやめたのでは?同軸機銃があることだし… 砲塔の旋回俯仰が手動のハンドルだと、同軸機銃より
射界は狭くても前方機銃の方が移動目標に追従しやすそうに思える。
電動砲塔が普及して不要になったんじゃないかな。
あと、弾薬が大型化して他に積む場所が無くなったとか、
電信が電話になって電信員が不要になったとか、理由は色々ありそう。 >>37
五式は九八式10糎砲を搭載しないと列強と張り合えないな >>43
海軍の高角砲?
対戦車自走砲ホリで張り合える。 長10糎は13kgの軽量対空弾で初速1000m/sを実現してるわけで
フル規格の105mm弾(16kg)を920m/sで撃つホリ砲よりキャパは若干劣る可能性も
シュガポフさんの戦車で採用されて大分信者が増えちゃった感
まあ、実際どっちが固定式の自走砲向きかと言われたら、弾が軽くて初速の速い長10糎だろうけど
単純な威力で言ったらホリ砲が上かもしれない(少なくとも砲口エネルギーはホリ砲のが上)
(この辺りは五式七糎半と九九式八糎高射砲みたいな関係ですな) 九九式八糎も長10糎も弾頭が共用できないのも
ネックじゃん そこは、仮に流用することがあれば徹甲弾だけでも作ったとは思う
四式になるか一式かはわからんが
九九式八糎高射砲もどれだけ生産されたかわからんが徹甲弾は制式化されてるようだし
ただ、初活力がほぼ同じでより軽量で短い十糎半戦車砲の方が
要求されるほぼ全ての面で優れてるのは確か チトって照準手は立って操作してるんだね。
砲塔の旋回はボタンなのかな? あの当時に有色人種で戦車、軍艦、戦闘機など造った国は日本以外 皆無 後知恵で言えば、チト・ホリの開発に時間を掛けるよりは
18年の段階でチヘの車体に少し無理して九九式八糎高射砲を固定搭載したやつをでっち上げ
さっさと配備した方が良かったのかもしれない
でもまあ、いずれにせよフィリピンにも沖縄にも間に合わんだろう 主力高射砲を他部隊に渡す余裕なんざないからあり得ないでしょ
でもまあ、こういう兵器って機甲兵か砲兵かどちらの管轄になるのかは気にならなくもない そもそも九九式は戦車砲としてはそんなに強く無いのでは… 単純に数字だけ見るなら十榴タ弾の方が
重量的にもお得っちゃあお得だし
口径も半端な九九式に拘る必要性はない >>52-53
と言っても火力的に十分な十加の類はカト砲/チト程度の車台が必要になるし
期待の長七糎半野戦高射砲は九九式なんて目じゃないほど開発生産が遅れてるしで
無駄が多いのは目を瞑って有り物で何か作れと言うなら
近距離でも長七糎半と同等の貫徹力を持つ九九式八糎くらいしかないという意味
>>54
ホニIIが生産されたのは戦車師団の砲兵としての役割なのでまた別
タ弾使用前提の近接支援自走砲なら、例えば実車が作られた三八式十二糎榴弾砲の方が無駄がない
まあどうせ75mmでも88mmでも500m以内が有効射距離になりそうな按配だから
いっそ高速対戦車砲や中戦車なんて全部止めてタ弾と榴弾使用の自走砲作った方が良かったのかもしれない
その方が深刻になりつつあった装薬不足への対処にもなるし 機甲兵側よりも
砲兵側の方ががタ弾を重視したのはなんでなんだろうな
こういう後付け理論って大概、どのみち出来なかった、史実の方がマシだというパターンが多い訳じゃん? 機甲兵側がタ弾をそれほど採用しなかったのは
タ弾の貫通力が110mmを超えるような火砲を
密閉式の戦闘室に搭載すると装弾数や発射速度が低下するからだろうか 戦車兵としては、できれば遠距離から直接照準射撃で(それも平射で)撃破したいわけで
そうなると低初速・低回転の方が都合がいいタ弾の特性とは相反してるんじゃないの
砲兵は、タ弾の採用で既存火砲が純粋に対戦車能力向上するから積極的だったのでは そもそも成形炸薬弾が当初対トーチカ用に整備されたものだって忘れてない? >>56
特に戦車部隊がタ弾に冷淡ということはなかったと思うけど
タ弾はあくまで低初速砲の再戦力化手段で本命は高初速砲だったんじゃないかな
同じ貫徹力だったら高初速徹甲弾の方が内部破壊効果も高い
長七糎半や十糎が間に合わなかったのは貧弱な技術蓄積と開発研究体制の弱さにあるわけ
やってる事自体はごく当たり前で真っ当なんだけど
どう見ても戦争に間に合うようなスケジュールじゃないのも確か
同時に、有り物を組み合わせて急造する能力は陸軍も海軍も持っていた
そして高射砲にしろ中口径タ弾にしろ戦争に間に合っていてなおかつ車載できそうな兵器としてそこにある
だからまあ、そこに後知恵の入り込む余地がある >>61
海軍のチハに12センチ高角砲載せた奴なんかそうだね。 陸戦隊は見切りが良いというか撃てれば何でもいいみたいなとこがあって好き
短12cmとか陸軍ならホイ車くらいの大型砲塔に入れるかオープントップにするはず
いや、それより先に牽引砲架に載せるかな 海軍陸戦隊がやりそうでやらなかったこと
・40口径8センチ砲の車載 いかにもハ号の車台に載りそうなのにやってない
・短12センチ砲の野戦砲化 38式野砲くらいの砲架にぴったりに思えるのにやってない
・装甲車、牽引車等の自作 陸軍から既製品を買ってくるだけで自作はしてない
・航空機銃の陸戦転用 まあこれは航空機に回す分で手一杯なら仕方ないか 日本軍は
・90式野砲を対戦車砲改装して800門ほど牽引車セットで支給する
・1式砲戦車を43年までに200両納入
・フィリピン戦に3式戦車200両を間に合わせ、沖縄戦に50両投下する
これくらいはスケジュール的にできた範疇、まにあわせられたレベル
3式戦車はおもちゃだが、大戦末期における旧式、大戦中期標準の75mm戦車かつ500メートルでt34、m4を撃破できる標準的軽戦車としての性能はあった
間に合わせることはできた。まぁそれで大勢に影響ない 日本軍の戦闘車計画は47mm戦車が弱かったじゃなく
47mm砲の支給が遅れ、47mm豆戦車などないから主力の豆戦車が弱すぎたことが最大の問題だった
あの弱すぎた豆戦車が装甲、火力両面でクソで、序盤戦で優位なときも犠牲だしすぎた
求められたのは3式戦車でもなく、まともな47mm砲と全周10-20mmで機関銃を跳ね返せる普通の豆戦車のほうが欲しかったくらい
日本は輸送力その他でどうしても中戦車すら重量でかく、強い豆戦車こそ欲しかった
結果95-97式はやっつけ仕事過ぎた。ドクトリンの方向性は正しいが手抜きだった 例えば98式軽戦車の車体に、一式四七粍を搭載した砲塔を
載せた98式軽戦車改はつかいものになったのだろうか。
69の意見に賛同しつつも、上記の98式軽戦車改が実用化
しなかったことの理由が知りたい。 >>70
98式改向けに新たに試作した砲塔が小さすぎたからだからといってチハ改の大型砲塔を載せるのは車体規模的に少々無理があると見られた。
98式改が試作された昭和十六年はまだケツに火が付くほど切迫していなかったし対米が長期化するとは予想だにしてなかった。
だから無理するより新軽戦車つくった方が良いと判断した もう一つ、
昭和14~15年の段階では既に軽戦車は先の見える車種と見做されつつあり、47粍砲は中戦車への配分を重視した。
ハ号の後継の生産が少量だったのはこのためというのもある(もちろん理由はこれだけじゃないが)
チハの後継には当初は後の五式軽戦車めいたモノ、47粍砲を搭載した約10tの3人乗り戦車を所望していたがノモンハン事件の経験から辞めた。 一式砲戦車こと一式七糎半自走砲はそこまで期待されていた兵器ではなく
自走砲開発の中では脇役であり、本命は一式十糎自走砲と九六式十五榴を搭載した十五糎自走砲だった。
例えば一式七糎半自走砲の生産は1942年頃からスタートしているが、遅くとも翌年度中には生産が打ち切られ約50門程度に止まっている 一方、一式十糎自走砲は終戦まで量産が続き最終的には170門生産する予定だった ※72
チニとチホがごっちゃになってないか
チホはどっちかというとチハの正当な進化と言うか、本来チハがあるべきだった姿……になるはずだった
・KV類似の大型砲塔+47粍戦車砲で4人乗り
・新型エンジン(V8)による全長短縮、それに伴う装甲厚据置きでの軽量化
・車体短縮による超壕幅減少は尾体で対処
・新型操向機による操作性=機動力の向上
四番目が問題で蹴躓き、以降チヌで収束するまでの大迷走が始まる チホ車は昭和14年ごろの段階では改良を加えた57mm砲か高初速47mm砲を主砲とし
重量は10tを目指す予定だった(重量増は12tまで許容)
エンジンはガソリンエンジンも選択肢の一つに入れていた。 KV的な大型砲塔がほしいって話が出たのはノモンハン以降だったっけ?
見難くてもいいから、このあたりの出来事を時系列に沿って並べた年表が欲しいね BTやチハ改などの馬蹄形砲塔のバッスルって、砲弾を収納するためにあるの?
それとも砲身の後座のため? 主砲そのものがデカくなったから
砲操作や簪機銃のスペースを確保したり
弾の補給をやりやすいようにしたりするため 日本はチハをもっと造ればよかったのさ。間に合いもしないモノなんか論外だ。 無理
そもそもチハは背伸びして開発しただけに
量産しにくく運用しづらい、要求性能を満たせていたかといえばそうでもない
現場側から見ても参謀側から見てもいろいろ中途半端な戦車だった
もう少し時間をかければマシになってたかもしれない >>82
戦車関係の予算が大幅に増えないと無理だぞ
戦車連隊に回すチハが足りなくてハ号を主力戦車代わりに生産配備し続けてたくらいだから >>84
>>82は予算増し増し前提でもっと作れって話やないのか? 開発費削ってその分チハの生産に充てろ、程度の内容にしか見えんが…
どの道、開発費分が増額された程度じゃ
ハ号が少し減って旧砲塔のチハが少し増える程度で実質変わらんよ チヘとかチヌとかも開発して造っとるだろ。そういうのも止めてチハに振ればよかった。 チハは駄作扱いだったから早く脱却したかったんだよ
後継作らんとげんばも五月蠅いからな >>87
それはさ、「もっと早く強力な次期型を開発してれば…」と同じレベルの結果論と思うよ。 チハに対して価格的な優位があるとされていたチニを採用したif世界でもないと
中戦車の開発停止までやって一品集中生産する効果は薄いと思うけどな
チハのエンジン自体、部品点数が多くてコスト面でなかなか手強い発動機だったようだし 後知恵の結果論で言えば、
チハ以降の中戦車は止めて、ケヌを前倒しで作っていれば
それで事足りたのでは。
それか戦車は諦めてその分トラックを作るとか。 前倒しでケヌ作るんなら誘導輪を接地しなきゃ使い物にならないし
トラックような兵站機材に回しても大した足しにならない
日本の場合正面戦力に傾注しなければ短期決戦すらできないから
陣地設営のためにブルドーザー作った方が良い
最善策としては近代化の準備を17世紀に始めること 昭和19年にケヌだの造って、多品種少量生産なんて生産力の無駄遣いだろ。 中途半端に力のある貧乏国家だからしょうがないし
すべての工場に戦車を新規生産する力があるわけじゃない
それに多機種少数生産は貧乏症の証 まあ太平洋で戦う上での最善の選択は戦車なんて1両も作らずに
その工業力と資源を速射砲、弾薬、航空機に回す事なんですけどね いやケヌはたまたまチハ車の新砲塔化や自走砲化で旧砲塔が余ってたからだろ
戦車の生産ライン自体は1943年後半以降は減産によって余剰能力気味だし
57mm用タ弾も量産されてるし外された九五式の本来の砲塔は本土防衛用トーチカに流用されてるし案外無駄がない >>94
昭和14年頃から中戦車や軽装甲車を止めて
ケヌを作っていれば、という後知恵の結果論で。
>>93
一応検討だけはしてたのでは。
それか戦争後半はホルに一本化ということで。
>>92
ケヌが使い物になるには、誘導輪を接地させる以外に
どんな改修が必要なのかもできたら教えて。 (6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
| ,.' i、 |}
', ,`ー'゙、_ l
\ 、'、v三ツ /
|\ ´ ` , イト、
/ハ ` `二 二´ ´ / |:::ヽ
/::::/ ', : . . : / |:::::::ハヽ
http://twitter.com/ibuki_air
09058644384 >>98
ケヌにしろホルにしろ従来想定された重量バランスから外れてるため
射撃や移動時の揺れが悪化する可能性大。
なのでできればケニのように転輪を前後に増やさないと戦闘どころじゃない
120mm砲積んだホトの開発が放棄された理由の一つでもある
さらにいうならオマエラがやってるのは結果論の後知恵でも何でもなく
単に自分の好きな兵器を活躍させたいだけだろ?
ぶっちゃけ烈風量産しようが秋水量産しようがたとえ航空機重点にしても焼け石に水にしかならん >>101
≫単に自分の好きな兵器を活躍させたいだけだろ?
何を当たり前のことを得意げに言ってるんだ。そういうスレタイだろ。
皆そんなことは承知の上で楽しんでるんだぜ。 いやここそういうスレじゃないし
そもそも軍事板自体、後知恵で好きな兵器を活躍させるのはさける場所だよ
そういうのをやりたいのなら仮想戦記スレへ行った方がええで >>103
へえ、そうなの。そりゃ初耳。こりゃまた失礼。 もし日米不可侵条約が結ばれ、ソ連がメインの敵だったとしたら
チリタンには、九八式十糎砲が搭載される事になっただろうか? もし日米不可侵条約が結ばれ、ソ連がメインの敵だったとしたら
チリタンには、九八式十糎砲が搭載される事になっただろうか? 九八式十糎砲は砲身が長すぎる(6.5m)から難しいだろう
ホリに搭載が計画された十糎戦車砲なら可能性は有ると思う
口径105mm、初速約900m/s、砲身長5.759m(55口径) 図体がやけにでかいから、15センチ加農をオープントップで搭載しよう
マズルブレーキさえついていればいける筈だ
この自走砲で勝つる!w 一式装甲兵車ホキは日本陸軍では珍しく大型転輪だけど、
サスペンションはどんな機構なのだろう?
あとケニBとは関連はないのたろうか? 省力化でボギーを大転輪に置換した内装シーソー式じゃね
ケニBと同じっぽい
超壕とかの極端な地形の追従性、安定性はボギーに劣るだろうけど
部品点数は少なくできる ケニBが不採用になった理由は、112にあるような地形の追従性、安定性かボギーに劣るからなの?
冶金技術が劣るから、という記述も見たことがあるけど、それほどハードルの高い足回りだったのだろうか? 大型転輪・後輪駆動は履帯が外れやすいという思い込みではないか
確実ではないのだけど内部レイアウトも異なってケニAのほうが戦闘室の容積
が広かった可能性も仄かに >>113
112だが、ケニBで試してみたからホキ車で採用できた可能性もあるんじゃないかと
軽戦車でやるには何かしら不都合があったけど、兵員輸送車ならメリットの方が上回るって感じの事情があったんじゃないかね
それがストローク量等の機構に起因するものなのか、履帯との接点の多少によるものなのか
あるいは115氏の指摘のような危惧によるものなのかはわからん
いくつか断片的な写真や動画見ただけのゴミ感想だが
ハ号とかチハ車のボギーって自由度高すぎて
荒れたところ走るとよく食い付いてくれる代わりに履帯の負担高くなりそうな気がするんだよね
平地でダルダルなのはその対策なんじゃないかと
外れる前にブチッと行きそうな感じというかなんというか 鉄が海軍に優先的に回されていたからなぁ
大和級建造をやめて陸軍に回して欲しかったわ 戦車に回すより海中型潜水艦の方が役立ったと思う。
それはそうとケニやケトに47mm砲の搭載はなぜ実現しなかったのだろう。
いつまでも37mm砲では早晩威力不足になると思わなかったのだろうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています