海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術 28
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
陸上戦闘は如何に戦われるのか? 海戦は? 航空戦は?
史上のあの戦いにおいて、勝利する方策は?
近現代の陸上戦闘・海戦・航空戦について真剣に考察しましょう。
初心者から本職まで、幅広く参加者募集。
煽動者は黙殺、勘違いには罵倒ではなく善導で。
現職・元職は保全に注意しつつ、広い心でご参加を。
※軍事戦略(Military Strategy)、戦域(Theater)、作戦(Operation)、戦術(Tactics)、技術(Technical)
について主に扱うスレッドです。
世界観・展望(Vision)、政策(Policy)、国家戦略・大戦略(Grand Strategy)の言及は控えて下さい。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
前スレ
海・航空・陸上戦考察スレ 軍事戦略・作戦・戦術 27
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1510481495/ >>98
それを言い出すと、実は太平洋戦争での上陸作戦の大半は飛行場を確保するが主な目的だった。
とにかく私が言いたいのは、空軍だけで航空撃滅戦を狙うより、地上部隊を援護して、敵の飛行場を占領する方が確実である。
しかし地上部隊を出せないと、空軍だけで敵地に侵入して航空撃滅戦を狙うコストとリスクが非常に高い、撃墜されたパイロットの救助さえ難しい。
実際、ガ島への長距離攻撃を繰り返したことが原因で、ソロモンの海が日本海軍ベテランパイロット達の墓場になった。 誤解を減るために少し補足説明する。
地上部隊がガ島から撤退した以降でも、ラバウルにいる航空隊はソロモンと数回に渡り制空作戦を展開した。
航空撃滅戦を失敗したケースはルンガ沖航空戦などがあった。
逆に連合軍もよくラバウルの航空基地を攻撃したが、ラバウル航空隊を制圧し続けるためにそれなりのコストを払った。
そしてトータルを見れば、ラバウルを攻撃するより上陸作戦を援護する方が効果的だった。 さらに補足すると、敵の飛行機を地上で破壊することが非常的に魅力であり、リスクを冒してまでやる価値は確実にある。
しかし戦史を見れば、ほとんどのケースで、敵航空基地への最初の奇襲こそ効果的あるが、飛行機が船より補充しやすいため、敵航空部隊を一時的に無力化したに止まった。
そして敵が防空対策を強化した後、敵航空基地を再び攻撃するリスクは大幅に上がた。
航空撃滅戦の単独効果より、その敵航空部隊が無力化された時間を利用して別の作戦を展開する方が一番有効だと思う。 >>96
そういや、本邦で防衛装備庁が構想中の戦闘機F-3は、かなり大きな機体サイズになるっていう話があるな。
とにかく航続距離が必要なため、MiG-31に近い機体サイズになるとか。
地上の自動警戒管制システムや僚機とのデータリンクを活用した、防空特化の要撃機というコンセプトになるらしく、ある人は日本版F-106と呼んでた。
F-2の後継機だから一応対艦ミサイルも積むけど、とにかく防空優先だからか、対地・対艦周りはあまり議論されてないらしい。
36期防(つまり2020年代後半)に調達開始する予定だが、かなり急ピッチなスケジュールになるため、F-106のように初期不良は避けられず、これはスパイラルモデル的な開発手法で随時アップデートし、解決していくとも言ってた。
国内の航空機産業(特にIHIの航空エンジン部門)を維持するため、F-3は130機以上調達するらしい。
以上はあくまで噂をまとめたものだけど、台湾さん的にどう思うよ? >>92
>戦略への寄与という観点が皆無で、航空作戦を立案できない源田防空軍
第二次大戦のドイツ軍と日本軍、ここが違う!
1 ドイツ軍はスラヴ人を大量虐殺したが、スラヴ人は断固反撃してファシストドイツを粉砕した。
2 日本軍はチンピラゴロツキを懲らしめるために出征し、チンピラゴロツキは小便ちびって逃げ回った。
3 チンピラゴロツキは逃げ回った恥を隠す為に、極悪な日本軍に虐殺されたと騒ぎ出した。
もしもドイツ空軍が本当に西高東低型の対応を取っていたのであれば、彼らはソ連軍をなめており、
その代償を支払わされたと言うしかない話だ。結局のところ、ドイツの戦争はソ連軍にベルリンへ突入
されたことで終わったのだから…
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/nastuplenie2.0.html
バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗。
これがソヴィエト大祖国戦争と中国抗日戦争の最終結果なのである。 話変わるけどWW2ソ連軍の機動群って最近の本やネットだとやたら騎兵機動群が強調されるけどそれ以外のものもあったんだよね?
ロシア語wiki記事を英訳して読んでたら第3次ハリコフ攻防戦のポポフ戦車軍が機動群であるって出てきたけど >>92
ゲンダクウグンガーの一つ覚えで引き合いに出すのがルフトバッフェw
ドイツ空軍こそ結局のところ何ら作戦的に寄与する事が戦争中に全く無かった
戦術単位じゃねーかw
陸上でも空軍野戦師団みたいな存在な上に防空も優秀な指揮官トバして
目標を達成出来ず、機材開発でも政治的駆け引きに寄り過ぎて部隊の足を引っ張ったとかw
バカだつおじゃないが、ソ連の攻勢が始まった時には飛ばす機材すら戦場に
置けなかった存在なんざ正に害でしかないw >106
機動群はそもそもが【編制】ではなく【編成】です(OMGも同様)
(赤軍臨時野外令における遠距離行動戦車群が同類)
米軍風だとタスクフォースみたいなもの
ポポフ戦車軍はハリコフ戦時に 機動群として行動したって事です。
騎兵機動群(CMG)は、騎兵軍団(機械化)などを中核にした時の名称
(そして騎兵軍団は機動群として運用される場合が多かった訳です)
なおデサントと一般的に呼ばれている戦車跨乗も
戦術的なもの(戦車部隊の敵陣攻撃時)と、作戦的なもの(CMGなどの遠距離進出)の2種類があるので混同注意
(もともとデサントは襲撃とか強襲みたいな言葉で、戦車跨乗の専用呼称ではありません)
(その意味で空挺はデサントですし、スペツナズ(コマンド部隊)もデサントl、そして機動群もデサントから派生進化したものです) >107
WW2ドイツ空軍は戦術空軍ではなく、作戦空軍だと思いますよ。
た だ し 独軍に作戦術概念がないので
戦略と連動が上手く働かず作戦的効果が非常に薄いですが・・・
いくら作戦的に動いても戦略に寄与しなかったら意味ないよね〜
(失敗した作戦空軍と言えば良いかも、その結果、上手く行った戦術的戦果だけが評価されたため、結果、戦術空軍として後世の西側諸国に認識されたと・・・)
(認識した西側諸国に昔は作戦次元や作戦術の概念が薄いですからねー、しかたないっていえば仕方ない話) ドイツとロシアは反対方向から作戦術にちかずいた
ドイツは作戦術を数量がものをいう軍隊の時代に会戦レベルの戦術が制約される回答として発展させた
一方のロシアは工業化と官僚化で広大な空間が可能になった移動性軍隊をどうしたら補完できるか?と理解を深める過程で形成された
って聞いたんだけどドイツに作戦術の概念はなかったん? >110
ドイツで進化したのは、オペラーティブで 作戦的 つまり作戦次元の理解は進んだ、そしてそれと戦術次元を繋ぐ部分も進化した。
しかし、戦略x作戦-戦術 というように戦略次元と作戦次元の重複領域の進化が進まなかった訳です。
それに対し作戦術は 戦略-作戦-戦術 のそれぞれの重複領域が重視されるので・・・
ここが決定的かつ大問題
ドイツ軍の限界
個々の作戦は優秀なんですよ、そして戦略もそこそこ加わる
しかし同時並行される各作戦の連携が無〜い
それがあるように見える場合も、よーく見れば単なる巨大な作戦というだけであって
逆に巨大すぎる故に上手く立ち行かなくなったりも・・・ >112
>マルチドメインバトルと作戦術の違いが分からぬ
MDBはドクトリン
→具体的にこう考えてこういう感じに戦うよ
作戦術は概念
→戦略と作戦と戦術を繋げて総合的に考えるよ
(※各次元内も複数ある場合もあるからね、それも連携させようね)
でも具体的手段・手法は、それぞれのドクトリンで決めてね >113
各次元だけでなく、同次元内の連携も重要なのですよ。
ここが独軍がダメな所
(各戦線、各戦域の連携が取れていない=戦略に連携していない)
(さらに1回終わったら次、終わったら次で、良く言えば前作戦に連続して対応(ただし事前計画なしw)悪く言えばいきあたりばったり)
(しかし作戦それぞれは素晴らしい出来のものも多いので、それに目を奪われてしまいやすいんですな)
それに対し、ソ連は複数の作戦を場所だけでなく時間も加味して連携させて
連続した会戦=戦役として組み立てているんです。
(まあWW2中盤から始まって、ちゃんとできるようになったのは、やっと後半になってから)
(この前半の駄目っぷりが、また紛らわしく一目を奪ってしまうんですな)
(ソ連軍は、前半、中盤、後半でそれぞれ別の軍隊とでも思って良いレベル) >>115
>ソ連の連続した会戦=戦役
そもそも、戦役計画を持っていたように見えない。
1941の被包囲殲滅が「計画通り」ってことは無いだろうし、
1942の春先から主力軍を失ったアレが「想定の範囲内」っことも無いだろう。
1943も計画通り後の先でいくか、先の先に変更するかスターリンはギリギリまで迷ってる。
攻防の選択は作戦術の基礎。
1944は6月に米英のオーバーロード作戦が発動されて、SS装甲師団はファーレーズの露と消えてた。
勢いに任せて西に進んだが、確固たるデザインがあったとは。
「大戦術」レベルに留まっていたにでは無いかと。
ソ連の「作戦術」を評価する人は「規模」に眩惑されているように感じる。 ナチスドイツは、社会的ダーウィニズムに骨の髄まで犯されて、というか、
それがナチスの本質で、陸軍参謀本部の「作戦術」を受け入れる素地が無い。 現状で一番完成度の高い「作戦術」を保持しているのはアメリカだとして、
それに最も影響を与えているのはモルトケ時代のプロイセン・ドイツです。
戦役計画を開戦から停戦まで、妥当な範囲で統裁できた例が他にない。
WW1もWW2も、勝利者の連合国側も繰返したくは無いだろう。
戦役をコントロールできた成功例が以降に無い。
「次の欧州の戦争は七年戦争、いや三十年戦争になるだろう。
欧州に戦争の導火線を投げ込む者に呪いあれ!」(大モルトケ) >ALL
>116が
>(この前半の駄目っぷりが、また紛らわしく一目を奪ってしまうんですな)
の代表例
>116
>115
>(まあWW2中盤から始まって、ちゃんとできるようになったのは、やっと後半になってから)
>(ソ連軍は、前半、中盤、後半でそれぞれ別の軍隊とでも思って良いレベル)
って書いてあんだろがぁ! >118
>戦役計画を開戦から停戦まで、妥当な範囲で統裁できた例が他にない
ちなみにモルトケは
計画は開始の直前までが重要で開始されてしまえば臨機応変、計画に縛られる必要はない派の筆頭であり
発令した作戦の結果を予測して、さらにその先のことまで計画をつくろうとするのはナンセンスである。
みたいな事も言ってますが。。。
そして普仏戦争におけるドイツ軍は連続作戦というよりも、単独の巨大な1個の作戦だと思います。
(だから、その中での臨機応変も効き、上の言葉もその範囲では非常に正しいものになる) >>101
まぁ地上戦力と航空戦力は両輪なのである。
とはいえガダルカナルでも地上戦力を撃破したのは地上戦力である。 >>123
ガ島戦は:
1.日本軍は地上警備部隊の不足によって飛行場を失った。(ここ重要)
2.飛行場を失って、米豪の飛行機の増援が到着した後、日本軍が島周辺の制空権を失った。(詳しい話はサボテン航空隊「Cactus Air Force」を検索すれば分かる)
3.日本軍は水上艦で地上部隊を補給したいでも敵空中部隊に妨害された。
4.補給できないため地上部隊が強襲を失敗した後食糧難によって自滅した。
隣のニューギニア戦線でも基本的に同じパターンだった。
飛行場に巡る一連の戦いで基本的に地上部隊と空中部隊の連携が重要だ。
実は米軍内部で沖縄戦の後に「飛行場を奪った後、無理に南へ攻撃する必要はない」という批判が出た。
しかし地上部隊は意地と本能的に島全体を掃討したいだろう。
例えばニューブリテン島ではラバウルを攻めないため、戦争後半で地上部隊の士気低下が酷いだった。 >>122
>モルトケの「作戦術」
戦役のエンドステイトまでの見通しや前提条件は、「重心」「決勝点」「作戦線」「攻撃勢終末点」等々、クラウゼヴィッツ、ジョミニの概念を用いて、
現代米陸軍の用語を準用すれば「可視化(visualize)」してるわけです。
この内、兵棋による厳密な可能性の検証に耐えられる部分を詳細計画として具体化する。(describe,direct)
これをフィードバックループとして回すことで、不確定事項、不可知事項が発生しても
問題対処して計画を修正・具体化し戦役を遂行できる。
さらに、隷下部隊も参謀本部の思考過程を「可視化」により共有しているので、敵情変化に対しても、
簡単な訓令、甚だしくは命令無しでも自分で判断して全体に寄与できる。
この知の体系全体がモルトケの(敢えて呼称すれば)「作戦術」。
戦争に「霧」や「摩擦」を認めず、「戦いの原則」通りに、「戦闘」を配列するだけなら、
わざわざ作戦次元なんて認める意味は無い。 >>121
ソ連の「作戦術」は、基本的にはジョミニの「大戦術」を空間的・時間的に拡張したものじゃないか。
ソ連建国当時に、「戦いの原則支持」派のトロツキーと、
ラザール・カルノー的な「とにかく革命原理で大動員をかけて敵にぶつけりゃ良いんだよ」派のフルンゼの間に路線対立があったと。
とても、帝政ロシアに仕えたジョミニを下敷にしてます、なんて言える雰囲気じゃなくて
(反革命罪であの世行き)、「作戦術」という新しい「革袋」を作ったのではと。
それ自体は軍事思想上の大ヒットだけど。
トロツキーの(反革命的な)ぼやき
「若い革命家に軍事を任せると全てが滅茶苦茶になる」
ロシアの軍事アカデミーにフルンゼの名が冠してあるのは、すっげえ皮肉かと。 プロイセン・ドイツの作戦術と訓令指揮(aufsutagstaktik)は、固定的な様式というよりも、
それを構成する「当代最高の一般教育(ベルリン大学)」と「軍事思想の粋を結集した応用教育(ドイツ陸軍大学)」の無数のゼミナールによる学問体系みたいなもので、
同じゼミ仲間(思想的敵対関係もあるが)なんで、離れていても意思疏通と協同作業ができる。
ベルリン大学の教授もドイツ陸大でゼミ持ってたようだ。
当然、そんな高度な教育とは無縁の我々、日本人には全貌を把握するのは難しいし、
全体の兵学と関連一般科学全体を体系化して、世界レベルまで
研究・教育しないと「作戦術を理解した」とは言えないだろうね。
何となく、こんなもんかと推定してるだけ。これが限界。 >>127
訓令指揮自体は、役所でも会社でも用いられる概念だよ。 208 名前:名無し三等兵 :2018/01/20(土) 03:17:13.88 ID:vhJBq+Vi
フランス、徴兵制復活だってよ
やっと キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! w >>127
そうでもない、両大戦でドイツは徴兵制故に佐官と少将クラスで予備役上がりのヤツもある。
特にWW1期で特に有能とはいえない貴族勢の影響力がまだ強く、その勝手な行動が戦況を影響したこともある。
ドイツ軍事システムの真価が近代的な参謀本部と軍事教育システムを作り上げたことにあったと思う
しかしパクられた時点でその相対的優位性を失った。
ちなみに両大戦を見ればイギリスの戦争指導層と民間人上がりの尉官クラスに有能な人が多いだけど、プロ軍人である将官佐官レベル中間管理層の頭が固いだった。 >>124
>日本軍は地上警備部隊の不足によって飛行場を失った。(ここ重要)
そもそも、陸軍的には存在すら認知していたかどうか。
米海兵師団侵攻の敵情判断以前の別の問題。
冷静に見れば、ガ島周辺の航空優勢はまず取れない。
周辺が米軍基地だらけのスパイダーウェッブ(ニューカレドニア、サモア、フィジーの黒い三連星)。
これら重防御拠点に駐留するB-17の行動圏内に入っている。
ガ島に飛行場を作ろうとした奴がどうかしてる。 >>130
まず、森林全体を支える幹(モルトケ、ルーデンドルフ、ゼークト)を見るべきかと。
ドクトリンを設計したのは、明らかに陸大出、参謀本部勤務の彼らなので。
マンシュタインとグデーリアンも(反りは合わないが)陸大同期。
マンシュタインが左遷された後も、マンシュタインプラン自体は炸裂した本質はこれで。
他国のドイツ陸軍大学の分析で、盲点になってるのは、高名な軍事に関する応用教育(戦史・兵棋によるケーススタディ)よりも一般教養。
当時のドイツ・オーストリアはとんでもない科学の爆発時期で、
物理学、経済学、心理学等々で不確実な複雑系をあつかう学術研究が躍進していた。
それをシステム的に取り込めたので「作戦次元の戦争指導」のような斬新な発想が出てきたわけで。
一般的な学術と連続性がある。 >>124
>実は米軍内部で沖縄戦の後に「飛行場を奪った後、無理に南へ攻撃する必要はない」という批判が出た。
これは大本営も同じことを言っているね。32軍は自己の保全だけを考えているとね。
それが5月攻勢での自滅につながってしまう。
>しかし地上部隊は意地と本能的に島全体を掃討したいだろう。
本能というより防御するといってもどの程度の戦力で?という話しになる。
防御を楽だとか簡単だという認識もあるようだが、実は攻撃より難しい。 >>133
八九式十五糎加農砲は、首里陣地から嘉手納を
砲撃できるから、首里は落とす必要がある。首里
陥落以降の戦闘は継続に疑問がある。 >>134
実のところ、5月攻勢という自滅がなければ首里陣地帯で32軍は玉砕する予定ではあったからね。 >125
>戦役のエンドステイトまでの見通しや前提条件は、「重心」「決勝点」「作戦線」「攻撃勢終末点」等々、クラウゼヴィッツ、ジョミニの概念を用いて
それだけでは作戦次元の範囲内
普仏戦争においてはビスマルクが 戦略-作戦 の重複部分を政治側から調整し
モルトケがそれを受けて 作戦-戦術 の調整を行っている
だからモルトケとビスマルク亡き後、モルトケが作った参謀組織だけでは戦略-作戦の調整が出来ずなくなる
(だからシェリーフェンとかがやっちまう)
つまりモルトケ自身は作戦次元の認識はあっても、それを戦略次元と連携させる機能が働いてない
→モルトケはオペラチーフで止まっており、素晴らしい作戦作成技術(アート)はあっても、それは戦略-作戦-戦術全体包括する作戦術にはいたっていないのではないか?
>126
>ソ連の「作戦術」は、基本的にはジョミニの「大戦術」を空間的・時間的に拡張したものじゃないか。
一部同意するが
これはソ連の作戦術の発展過程であるが
その内実は大戦術のたんなる拡大とは違う あと任務指揮は万能の妙薬ではない
ドイツでWW1、WW2 負けてるんですよ。
戦闘で勝っても戦争に負ける
つまり任務指揮は戦闘に勝つ為の手法であり、戦争に勝つ手法ではない。
そして作戦術は戦闘に勝つ手法ではなく、戦争に勝つ手法である。
これがドイツの限界と、同志の血で磨きあげたソ連作戦術との差
うらー >>136
普墺戦争・普仏戦争でのモルトケ(大モルトケ)の作戦的役割ってのは広く人口に膾炙しているけど、
国家戦略観点でのビスマルクとの調整ってのはあまり言われることが無いよね。
ビスマルクはモルトケと政略・戦略観点からの指導をかなり厳密に行っている印象を受けるんだけど。
(だから逆にナポレオン三世を捕虜にした時にプロイセン側に混乱がみられたりする)
ただ、参謀本部組織による戦争指導まではモルトケによって構成出来たけど、それを政略とどのように
連携させてゆくのか、についてはドイツ軍・政府ともに模索したままでWWII終結まで行ってしまったと
言っていいんじゃないだろうか。 政戦略と軍事戦略が一体化していたソ連には、
西欧諸国のような軍事に対する政治の優越とかなかったから
軍事的な勝利を政治的な勝利につなげていく術策の必要性が
そもそもなかったんだな >>136
>戦略-作戦-戦術全体包括する作戦術
それは、もはや「戦略」ではないか?
現代的には「戦域戦略」。
組織的には、ビスマルクの政府とモルトケの参謀本部の間に、陸軍大臣ローンの陸軍省があるわけで。
戦略と作戦の間にバンダレイを引いたことで、ミリタリープロフェッショナル(政軍関係)の観点からも、
モルトケ時代の参謀本部は評価が高いんですが。 >>137
>作戦術は戦闘に勝つ手法ではなく、戦争に勝つ手法
「戦争の非線形性」から生まれた作戦術の究極の方向性は、「戦争に勝つことよりも負けないこと」です。
WW1の開戦のはるか前に死去してしまったが、大モルトケ在職間のWW1の作戦指導の方針は
防勢と限定攻勢で東西両戦線を維持、持久戦により出血を強要し講和に持ち込み、
ドイツの統一を維持すること。
当然、ベネディクト三国を中立侵犯することもなく、米英を敵に回すこともなく。
結果はモルトケの思想から逸脱したシェリーフェン等のカルト・オブ・オフェンスで散々だったが
「ドイツ統一」の思想は脈々と継承され、東西ドイツの再統一も達成された。
歴史的に滅びたのはソ連の縱深作戦理論です。 日本もそうだが、そもそもドイツが持久戦を行えるのかねぇ。つまり持久し続けるということだが。
カルト野郎からは知障学的なカルト臭しかしないのだが。 以前にカンバーバッチか、修道会か、16世法王の事でも書いたんだろうさ
予測入力初期化の刑で >140
重要なのはこの戦略と作戦を繋いだのはモルトケではなく、ビスマルクだったということ
つまりモルトケだけでは作戦術に達していない
そしてそれは独参謀本部に継承される
>戦略と作戦の間にバンダレイを引いたことで、ミリタリープロフェッショナル(政軍関係)の観点からも、
>モルトケ時代の参謀本部は評価が高いんですが。
それで素晴らしい作戦は計画できても、戦略と連携しない作戦に意味があるのですか?
独参謀本部は作戦計画を作る為に有意義な組織であったのは確かですが、そこで引きこもった結果があれでは意味なし
(なお当時はそれを認識してた国や組織はどこにも無い訳で、そりゃ当時の評価は高くなります)
>141
>作戦術の究極の方向性は、「戦争に勝つことよりも負けないこと」です。
政治が勝利を必要としている場合にもそれで良いのですか?
それこそクラウゼヴィッツに反していると思いますが?
>歴史的に滅びたのはソ連の縱深作戦理論です。
え?滅んでませんよ
ALBが結局は米陸軍の根底に流れているように
ロシア軍の根底にも縦深作戦の理念が流れています
だからウクライナのハイブリッドなのですが >>145
140とかは、モルトケがビスマルクに「勝って欲しいが完璧に勝ち過ぎては困る」と言う意味の事を言われて
普仏戦争の戦争計画を修正した事なんかを知らないのかねぇ。
ビスマルクはモルトケに最初に「当然勝利してほしいが、完璧に勝利されても困る。だからプロイセンへの
介入意図を放棄する程度に勝利して、プロイセン優位で講和出来るような政治的余地を残して欲しい」
って政治意志を示されているんだけどね。
モルトケはその意を受けて作戦計画を発動したんだが、まさかナポレオン三世が陣頭指揮して前線で包囲されて
投降してくるとは思わなかったんで、政治側も混乱したんだが。 >146
結局はモルトケも天才側の人間なんですよw
だからモルトケには政治の要求を受けて作戦計画を作るのは当然の事であると考えていたようですが
あまりにも当然の事と考えて参謀本部に継承させそこなったのだと思うのです。
だがモルトケにとっての当然は、当時の他の軍人にとっては当然という認識は薄く
さらに、その状態で政治と軍事のセパレートのみを行ってしまったがために
独参謀本部は教えのとおり政軍分離を推し進め、政治、戦略との連携を忘れて暴走
つまりモルトケはビスマルクとセットの上でモルトケの天才性に従い
形式的には作戦術が機能していただけで、無意識的無自覚な作戦術の範疇
意識して作戦術を理解して理論形成したとは言えないと思うのです。
無意識的作戦術を行っていたと思われるナポレオンと同類の天才ということ
(だから天才って奴は!)
なのでモルトケは作戦次元の明確化は行えていますが、作戦術の理論化については進化途上 おぺれーしょなる・あーと
ではなく
あーと・おぶ・おぺれーしょん
(この あーと は芸術的な意味での あーと) モルトケまではやはり あーと・おぶ・おぺれーしょん の世界であり
それをソ連が言語化したことで、おぺれーしょなる・あーと としての理論化が始まったと考えるべきだと思うのです。 >139
>政戦略と軍事戦略が一体化していたソ連には、
その通り
だって戦時政府と最高司令部のメンバーが殆ど重複してんだもんw
(形式としては別でも中の人が同じなら意味ないよね)
だがその為に、戦略と作戦の連携もしやすかった訳です。
しかし、冷戦期ではそれゆえに軍事に政治(国家)がひっぱられるという事態になり国家崩壊まで一直線
その後、ロシアでは反省から政戦略と軍事戦略の分化が行われ
適正化が進み、さらに経済の復活とともに西側の脅威としても復活してしまったのです>< 軍事的合理性を理由に世界大戦おっぱじめるどこぞよりはまだいいんじゃないかな・・・ >>145
>モルトケの政軍関係観
そもそもスタートが権限"0"のシンクタンク。<参謀本部
作戦に関するナレッジベースの勧告の的確さから国王の命令(訓令)の起案を所掌し、
実質的な全軍に対する指揮権を得た。
当然、モルトケの参謀本部だけでプロイセンの軍事戦略が達成されたわけでは無いが、
最も不確実な作戦次元の戦争指導を参謀本部が確立したことで戦略を構成する最後のピースが嵌まり、
ドイツが統一された。
これもまた事実。
モルトケの意見は、国家戦略全体を扱う政府、戦略の一部でもある軍政部門の陸軍省と、
作戦を統裁する軍令部門の参謀本部は分権すべきであり、
これはサミュエル・ハンチントン他米英圏でも激賞され、
制度設計に影響を与えている。これは常識かと。 >>145
>勝つことよりも負けないこと
作戦術の一つの狙いは、クラウゼヴィッツ他の軍事思想が勧告する戦争固有の制約条件を明確にすることで、
制限戦争論、防勢優位説、攻勢終末点の影響下にある。
「必要だから」と言って「運用の妙」だの「統帥の妙」だの、
「屠竜の気塊と絶倫の創意をもって回天の業を成さん」
などのようなうわ言は言わず、
可能性を論理的に見積り、無理なら戦略目標の引き下げか、
投入資源の積増しを戦略サイドに選択してもらう。
可能性の術です。 >>146
普仏戦争の「まさか」はそこではなく、南ドイツへの侵攻の態勢をとってた仏軍が、
戦争準備の不足で戦わずして兵站が破綻しメッツに後退したことだ。
ここまで不様とはさすがにモルトケでも想像出来んだろう。
干渉企図を破砕するため逆侵攻せざるを得なかった。 モルトケ時代にも、躍進著しいライン地方の商工業からのドイツ関税同盟の拡張や、
海外の植民地争奪への参加への戦略的ニーズはあった。
モルトケの立場としては、仏露の二正面を抱える作戦的な可能性から攻勢による決定的な勝利は不可なので、
戦略サイドに防勢によるドイツ統一維持に目標を限定するように勧告したと。
ベルリン体制維持のビスマルクとは合致したが、次のヴィルヘルム二世には採用されなかった。 >>151
中国へ行って中国人を手当り次第に虐殺するって楽しいことなんだが? 「機略戦」や「詭動戦」という言葉使う人の機動戦の解釈って、
どうも戦前の「運用の妙」の主張と重なるんだよね。
「先制主動の衝撃で群衆心理をコントロールする」という。
OODAループの入口は、あくまで客観的な「観測」で、「方向性」の総合・分析も論理的な科学技術の方法論によるもの。
敵対者よりも、正確に状況を認識して、環境に行動を働きかけて敵の状況判断を不正確にするという。 「運用の妙」よりも、さらに過激な思想として、「統帥の妙」があり、
戦略の上位に「統帥」を置き、その本義に「道徳」を置くという。
正しい方が必ずしも勝つわけじゃないので、日本が敗戦に至った内的な原因ではNo.1かと。
(外的にはアメリカの国家戦略との衝突)
この思想の中心に、戦前では道徳の体現者とも言える軍人皇族の秩父宮がいた。
「戦史とは所詮この程度のものか。(道徳を含んでいない)」とのコメントが残っている。
皇道派とは、面識があり同情的だっただけ、と言われるが、
今生天皇が誕生するまでの皇位継承第一位に、こんなこと言われると、派閥の一つもできるし、
軍事思想の一つも生まれるし、「昭和維新」の一つも暴発するだろう。
こういう思想を克服して、作戦術を客観的な「可視化」に立ち戻らせないと。
「必要なことは可能だ」というのは傲慢だし世間知らず。 OODAループは機略戦のための手段、つまり道具。
そもそも目的が「客観的な可視化です」では
「はぁ・・・、で、それが何ですか?」で終わるだろうが。
お前が言ってるのは思想の克服ではなくて、情報のための情報で斜め上へ行きましょうよと言ってるようなもん。 だいたい集めるべき情報というのが・・・
説明がめんどいから、以下略。
しかしこの手の低能がスレ標準だとしたら泣けるな。 >157>158
マニューバウォーフェアはドクトリンで戦い方
作戦術は、戦いの組み立て方
OODAは組み立てた作戦の判断手法
それぞれまったく別のものであり
それぞれが別のものであると認識した上で
それぞれを適切に連携させることが必要なのではないですか?
どうも貴官は
米海兵隊のマニューバウォーフェアと、
米陸軍のマニューバウォーフェアの違いを
理解してないように思えるのですが・・・
しかも貴官のいうマニューバウォーフェアは
米陸軍のしかも狭義のマニューバウォーフェアに過ぎないように思えます。 >>157
心理的衝撃って、フラーも似たようなこと言ってるな >>161
対象とする事象空間は同一。
認識のための投影面が異なるだけで。
コリン・グレイは「窓」と表現してる。
近代以降の戦争形態の世代に注目すれば「機動戦」(第3世代)。
実装への考慮事項に投影すれば「重心への努力の焦点化・面とギャップを考慮した作戦術・訓令戦術」
教義として投影すれば「エアランドバトルのための部隊運用・編成装備・人事管理・教育訓練」
米陸軍と海兵隊の「機動戦」も観ている事象は同じ。
諸兵科で構成され他軍種と統合で戦う陸軍と、
単独でMAGTFを構成できるが勢力は限定的な海兵隊との立脚点の違い。
(「シンクロナイズ」への態度の相違) 「機動戦」の考察範囲は、本当は戦略レベルの事象も入っていたと思われる。
ボイドが、退役前後に取り組んでいた「復興運動(リフォーム)」がそれで。
OODAループのプレゼンからボイドが削除したらしい。あまりに政治的に微妙で。
国防長官のチュイニーともマブダチになったようだが、死ぬまで詳細を語らなかった。
内容的には、戦略環境に適応する自己改革。
この有効性は、一退役軍人に過ぎないボイドのアイディアが燎原の火にようにアメリカ中に広まったことでも分かる。
ただし、騙したり、恣意的な心理操作するというより、
知識ベースの論理的思考過程に引っ張りこむことで、
一定レベル以上の知的水準にある人々を味方につけることです。
極めて正攻法で「詭」という文字は相応しくない。 >ジョン・ボイド
短気で気難しく、大酒のみ。戦闘機パイロットとしては天才的。しかも理論として空戦を認識してた。
お金には淡白で、仕事には偏執的。自己顕示欲は無い。
まずは高潔な人格だったようです。<ジェダイ・マスター
今のトランプの側近に爪の垢を煎じて飲ませるべき。
口の固さについて。 シリアへ侵攻中のトルコ軍隊列
https://s9.postimg.org/3tpyepf2n/movement.jpg
道端に止まって砲塔を外側に向けてる車両は両側の警戒?
それにしても密集している 遠くから撮ってるのは確かだし、レンズの関係もあるんでないか? 機動戦車チハたんX 6/28(火)正式リリース
戦車×美少女!新感覚ディレクションRPGが登場!
数多の戦車を駆り戦場を暴れまわる女の子達、の白熱バトル!
部隊の母艦となる戦艦『ベヒーモス』の艦長となり、戦車娘を集め
最強の部隊を作ろう!
■公式
http://www.dmm.com/netgame/feature/chihatan.html
■公式twitter
https://twitter.com/chikatank
■公式PV1,2
ttps://www.youtube.com/watch?v=VV-bwQ8dqrM
ttps://www.youtube.com/watch?v=aqhCRCKEK7A >>166
米軍のFMだと前後左右の戦車とは50〜100mは間隔を開けろって書いて遭ったような気がするが、
トルコは大丈夫なのか? それはあなた独自の主張なのか、学者なり実務者なりが本や論文のかたちで主張していることなのか
まず聞くことだな。
誰かさんの独自の主張なら、まともなファクトチェックを経ていないってことなので、真面目に聞くのは
その後でいい。 >>170
歴史的事実の確定はともかく、
この世界はそれほど固まってないだろう。
そもそも軍事史は、高度な知性を持った人間集団の愚かな失敗の繰り返し。
アレキサンダー、ハンニバル、ナポレオン、上杉謙信の戦場指揮は科学で分析・説明しきれないだろう。
(科学で説明できれば、真似ることが可能となる)
勝ったり負けたりの10戦20戦を経て会得したならまだしも、彼らはおそらく最初の2,3戦でコツを掴んでる。
アレキサンダーやハンニバルは父親について経験積んでたのはあるが。
そういったところがサイエンスじゃなくてアートなんじゃないの?
だからまあ、在野の素人戦略家が成立する余地はまだ十分あると思うよ。 国家が命運をかける「軍事」にかかわる専門家の知性をなめすぎ
その態度自体が素人 >>163
>対象とする事象空間は同一。
トンデモ医学を主張してる人に
>対象とする人体は同一
っていわれた時みたいな表情にならざるをえない >170>171>172
そもそも、日本内部では作戦術と言っても誰が査読できるのか?
さらに世界に目を向けても、IDFのエイタン・シャミールにいたっては
「比較的英軍はミッション・コマンドの受容に成功しているが、米軍もIDFも失敗してんじゃね?」
という議論さえなされています。
(ただし受容の過程で各国の特性や問題の再発見もあり無価値な導入ではなかったとしてますが)
米軍が一時期さかんにもてはやしたEBOにいたっては、まるめてゴミ箱に捨てられました…
このような状態で専門家第一主義に意味はあるのでしょうか?
さて、思考や理解の幅を広げるには多方向からの観察や議論が必要
また深堀にも多種多様な議論が欲しい所
そういう自由な議論が出来る場所、
サロン的、アゴラ的な場所として2chもとい今は5chみたいな場所も有意義と思います。
ただそれなりの情報は必要なので
在野の研究家は十分成立して、存在価値もありますが
在野の戦略家は難しいかなぁ
と個人的には思う
>172
>「軍事」にかかわる専門家の知性
にやにや >専門家第一主義に意味はあるのでしょうか?
専門家も間違いはするが、専門家の方が遥かに間違いが少ないと思う。
>2chもとい今は5chみたいな場所も有意義
匿名で国籍が怪しかったり、さも正しいかのように利敵行為を主張するのもいるので何とも言えない。
私はしてないが、有意義さで言うならツイッターやFBの方が上だと思う。 上の例で言えば、専門家の失敗を指摘してるのが、専門家(IDFのエイタン・シャミール)なわけだが・・・・・
自分で変なことを言っているとは感じないのだろうか まぁ大木毅とかが作戦術がソ連崩壊後に注目されるようになった概念だ!とか言っちゃうくらいだし
日本の軍事史家は米国の30年遅れじゃすまんな >177
>作戦術がソ連崩壊後に注目されるようになった概念だ!
日本については間違ってないで〜w
>日本の軍事史家は米国の30年遅れじゃすまんな
で、その米国自体もソ連/ロシアから30年遅れてるとか言われる事もあるがな〜
(最新のMDBだってロシアが既に実施しているハイブリッドの後追い) >作戦術がソ連崩壊後に注目されるようになった概念
一理はある。
イギリスで作戦術を教える陸大大学院相当が創設されたのはソ連崩壊後。
SAMSが注目されるようになったのは湾岸戦争後、まさにソ連崩壊と被る。 作戦術の第一次ブームがモルトケだとすると、その先端にはシャルンホルストの国民個人の人格の尊重と国民皆兵論(専門的傭兵からの脱却)がある。
その大衆軍の運用のフレームとして作戦術が生まれてきたわけで。
現代の作戦術(第二次ブーム)も、前提には個人の知性を尊重するという前提がある。
そうでなければOperational "art"として標準化を目指す意味がない。
その意味でソ連のアレは、現代的な意味での「作戦術」とは認めがたい。
また、「専門家」に事実確認を求める精神は、哲学的に最も遠いところにあるな。 ウィリアム・リンドにせよ、ジョン・ボイドにせよ機動戦・作戦術の「専門家」ではないだろう。
リンドの"Maneuver Warfare Handbook"はAmazonで買えるけど、「専門家」の著作ではなかろう。
つか、「専門家」って誰よw。 >>179
ねえよ
米軍FMではとっくの昔に作戦術分析してるしNATO共有済み
ドイツ軍でも戦後すぐ作戦領域の研究が勃興してる
それこそ大木毅が最近訳したホト将軍の回想録の冒頭でかなり重視してる記述がある
大木さんは単にちょい前の「ソ連崩壊後の新資料!」って売り文句つくらないといけない時代にのっかってやらかしただけ >「専門家」って誰よ
軍人だろうが
まさか池沼の精神薬漬けが機動戦語れますとか勘違いしてないか? >182
作戦領域(作戦次元)と作戦術は関連性はあるが別もの
だからモルトケが作戦的か?作戦術か?の議論が発生する。
この違いを理解できないと、なぜ議論になるのかも判らない。
作戦領域(作戦次元)を理解しないと、作戦術は理解できないが
作戦領域(作戦次元)を理解したからって、作戦術を理解したとは限らない。
で作戦術を注目し始めたのは
ソ連:30年代
米軍:80年代初期
英軍:80年代中期(NATO側の鏑矢)
独軍:80年代中期のNATOと連携して⇒それまでは作戦次元には注目していたが作戦術という観点ではない
これが西側で一般的(軍隊以外)にも注目されるようになたのは
大規模に軍内に対応が広まるようになった90年代
日本にいたっては00年代以降
ソ連>>50年>>米軍>30年>日本 あと、もう注意点がもう一つ
作戦計画と作戦術、作戦次元もまた別物
作戦次元を理解していなくても作戦計画は作れるし存在できるし、存在する
作戦術を理解していなくても作戦計画は作れるし存在できるし、存在する
そしてそれらの作戦でも偶然素晴らしいものが出来る時もあるし
さらに素晴らしい成功を納める場合もありえる
ただその成功要因は属人的だったり偶然だったりする。
作戦次元や作戦術の理解は、属人的要因や偶然を必然に近づけるもの
※ただし必然に近づける手段は一つではない事に注意
そこを見誤ると、上で議論してたように【ひとつの正解】しか認識できなくなる
そして【たったひとつの正解】しか認識できない場合、進化は停止する。 OODAに詭は合わないから機略とか詭道という用語はおかしいというなら、
機動戦じゃなくてOODAループ戦と呼んでればいいんじゃないの。
わかっている人たちなら、なぜそう呼ばないかを説明するまでもないとは思うが。 理解の浅い言動をとくとくとできるのは、基礎的な知識が足りないからだろう
でも足りてないことを自覚できないから、バカな発言を進んで晒せるんだろう >184
で
>米軍:80年代初期
と書きましたが・・・まだ明確な作戦術には到達していませんが、作戦次元的な概念は米軍もずっと持っていましたし
作戦術認識の端緒は70年代末期には現れ始めてはいるので、そこは多少幅をもって認識した方が無難ではあります。
が、明確に押し出てきたのは80年代初期 >>184
そのソースありますかね
何をもって広まったというのか。もうちょい学術的にいきませんか
少なくとも>>184は違うと思います
1.ナポレオン戦争を契機に19世紀末に欧州で作戦域の研究が広まりドイツではモルトケ〜WW1で深まった流れを説明
https://ssi.armywarcollege.edu/pdffiles/PUB939.pdf
2.ソ連のOperational artは1920年代に深まる
https://www.diva-portal.org/smash/get/diva2:794584/FULLTEXT01.pdf
有名な戦史家のGlantzさんの年齢的に1980年前後でSoviet Operational artの論文出し始めるからそう感じるのかもしれん
ちなみに米軍のドクトリンには1982年に明記されてる。
ということは少なくとも1970年代には研究が進んでる。
https://history.army.mil/html/books/070/70-54/cmhPub_70-54.pdf >>183
>軍事の世界での「専門」
法務や会計のような法令・規則で動かせるような部門を「専門幕僚」というが、
作戦、情報、人事、兵站のような主要機能は「総合幕僚」「総合運用」と言う。
常に一回性の未踏の地に「専門」で逃げ込めるような安住の地があるもんか。 ソ連の「作戦術」は、結局は「戦略」のストーブパイプでしかないのではと。
グランツの論文見て思うのは、冷戦時代は欧州への攻勢が前提で、欧州の自然地形や市街地に従来の巨大な方面軍では適応できなくて、
あれやこれやと教義いじくって金を蕩尽していくわけだが、
作戦次元の見地から「非現実的だからエンドステートを下げましょう」という提案ができなかった。
さらに、それが今度は戦略に逆流して国家戦略全体を固定化して崩壊に転落していったのでは?
80年代後半の「精密誘導兵器」の軍拡の件になると、
第三次産業革命によるクレジットの拡大を担保にガシガシとドルを刷りまくって「機動戦」を取り込んでくる米帝に、
第二次産業革命すらまともに達成できてないソ連が、本国と東欧の貧民から巻き上げた資力で追随しようとしてたわけだが、
その無謀は経済の「専門家」でなくとも「総合」判断できたでしょ。
戦略環境にあった作戦運用ってところに行きつかなかった。
単なるストーブパイプ。 >>192
>第二次産業革命すらまともに達成できてないソ連が
ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。一部の観測筋は疑っているようだが、私には、
ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html >>193
信憑性がゼロだから、そこのサイトをソースにするのは止めてマジで
>>192
巻き上げるどころか怠業だらけだぞ
一説には1日3時間程度しか仕事してないし週3から5日ほど休んでる >>191
お前が指揮した軍と軍人が指揮した軍で勝つのは?
別に軍事じゃなくても将棋とかもっと縛りがあるようなものでも構わないよ。
結果は専門性があることを確実に保障してくれるだろうさ。 >>195
正規軍はともかくこの時代で正式的な軍事教育を受けたことはない、民間人上がりのゲリラ指揮官が多い。
ゲリラマスターの毛沢東は元図書館司書、ヴォー・グエン・ザップは元教師。
基本的に共産系ゲリラリーダーに元教師や医者などインテリ知識層が多い。
大抵戦闘と作戦はより軍事的に詳しい専門スタッフに任せたが、彼らは戦略的指導に必要な社会と経済の知識に優れる、それに軍事に対して独学によって一定な知識を得た。
冷戦時代で日本とドイツの赤軍も基本的に大学生が多い。
私が言いたいのは、軍事を独学した民間人上がりを舐めてはいけない、特に陸軍は体育会系社会で知識が乏しい、柔軟性に欠ける幹部が多い。
正規軍が慣れない場面に手を焼けた戦例が多いぞ。 正規軍とゲリラとの戦闘における勝率のデータを頼むわ
しかし全員とは言わんが、コテはマジで使えねぇーな
それなりにマシなのが有機化合物のおっさんと上級なんとかみたいのしかいないんだが こんな場末で自己顕示欲出してる時点で世間の負け犬だろうからな
まともに語りたいならネットですら他に多少なりともマシな場所がいくつもある >>正規軍とゲリラとの戦闘における勝率
一般論として、装備(特に火力)と経験の差で基本的に正規軍が戦闘に優勢だけど、人手不足と土地感の差によって防御薄い場所でゲリラに奇襲されやすい。
対叛乱戦には決定的な軍事勝利はなく、小さいな戦いが頻繁に発生するため、性質上正規軍が戦闘に勝ってもあまり得はないので、精神が疲弊しやすい。
一番の問題は寧ろ心理的効果だ。
正規軍が貧乏な雑魚の軍勢に一度でも大敗したらイメージダウンは避けられない、逆にゲリラ側は雑魚故に何度に負けでも地元から判官贔屓される。
私は1776年のアメリカ独立戦争は一番の好例と思う。
アメリカ大陸軍がこの年でほぼ全敗し、年末で士気が底に着いた。しかしワシントンがクリスマスでドイツ人傭兵部隊を奇襲してトレントンの戦いに勝利した故に、大陸軍の士気が一気に復活した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています