四年式は輸入品やライセンス製造でもない日本人設計製造の野戦重砲として先駆的
意義は認めるけど、採用されたときにすでに射程ほか他列強に見劣りしたというのが問題
火砲史でおそらく一番の激しさだった独仏火砲開発競争の一次大戦に重なったってのもある
射程以外でも機構でFH13、シュナイダー1917にくらべると見劣りする
砲の射撃精度や各部の耐久性はまちがいなく独仏が上のはず
冶金技術から砲身命数は昭和期に入っても、ライセンス生産の際オリジナル原型よりかなり短い
三八式歩兵銃の機関部堅牢性や命中精度がおそらく当時世界一だったというのは、
当時の国産工業製品水準例外で奇跡ともいっていい微妙な危ういバランスのうえで成り立ってる