【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る29
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
旧日本軍の火砲全般を語りましょう。
● 火 砲 と 無 関 係 な 雑 談 ( 政 治 話 な ど ) や 脱 線 は ご 遠 慮 下 さ い 。
● >>980 に 達 し た ら 次 ス レ が 立 つ ま で の 間 は レ ス を 控 え ま し ょ う 。
【重要】
荒らしの相手をする者も荒らしです。
スルーを心掛けましょう。
過去スレは>>2
■前スレ
【加農・榴弾・高射・速射】旧日本軍の火砲を語る28
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494250599/
■関連スレ
【6.5mm】旧日本軍歩兵火器総合【7.7mm】
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1518851180/
要塞・重火砲について語るスレU
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1331303784/
【陸軍】旧日本軍の陸戦を語るスレ6【海軍陸戦隊】
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1342350654/ もう誰か話題に出してるとは思うが『知られざる本土決戦南樺太終戦史』って本に
待ち伏せと地の利さえあれば四一式山砲でもT-34を撃破できるもんなんだと驚いた
九六式十五榴とかならなんとなく納得はできたけれども 最前線に人力で持ち込める75mm直射砲の有用性ってのは相当なもんがあるよな >>9
山砲の徹甲弾でも近距離なら50mm位の貫通力がありますが、
T34の側面は45mm位ある筈なので同書は未読ですが条件に恵まれたのでしょうね。
或いはタ弾を持っていたのか。
樺太のソ連戦車部隊は恐らく第214戦車旅団がT26、
第178、第678独立戦車大隊がT34装備と思われます。(「関東軍壊滅す」マリノフスキー他)
合わせて95輌程度があったようです。
11日に北斗山の山砲が数輌を撃破したとされるのは恐らく第一梯団の戦車旅団のもの。
しかし装備戦車に多少疑問があるのは、13日に速射砲の命中弾は音を立てるだけで貫通せず、
とある点です。T26にそんな芸当が可能か?
15日には連隊砲1門で戦車7輌を擱座、16日にも1〜2輌を撃破又は擱座。
T34装備の独立戦車大隊は15日日没の時点では軍団予備として戦果拡張用に半田付近に集結したとされていますから、
本格的に戦闘参加したのはこれ以降と思われます。
(「一九四五年夏 最後の日ソ戦」他) >>12
タ弾だろ
そもそも鉄甲弾系の場合、弾道が綺麗に直進しない山砲だと基準値よりも威力削れる
まずタ弾だろうよ 日本軍の対戦車山砲、戦車砲のたぐいは信頼性、命中性、射程性に難があった
このためほとんどゼロ距離でなければ戦車を撃退できなかったが完全にm4、T34を撃ち抜ける能力はあった
逆にm4最大250-290メートル、t34最大200メートルで応戦する能力がある前提で射程が倍あってもほとんど意味がない
ほとんどの対戦車砲はさらに近いゼロ距離応戦が前提で500-800メートルくらいになると命中率が悪化して好ましくないんだよ
戦車において57-47mm砲は致命的にだめだが、短射程前提の歩兵対戦車隊なら問題ない。
これ現在無反動砲が500メートルのしゃていがあっても、平野なら100-200メートルのゼロ距離で応戦するのと同じ 四一式山砲用タ弾は梱包木箱に刻印あるやつがかなりの量米軍に鹵獲されてる
月刊沖縄社「サイパンの戦い」に写真あり
当時、最前線になるとは思ってなく、サイパンは南方各地に送る軍需品糧秣兵員のハブ港
だったから、ニューギニアかソロモンあたりの最前線に届けるつもりだったんだろうが >>10
徹甲弾で抜くのは無理。実戦で弾かれた記録がある。すくなくとも口径75mm初速で600m/S以上はないと
M4の主砲かPAK97/87で射程500mで命中角度よくてギリくらい。
マチルダ貫通は鹵獲砲のタ弾試験のデーターだ。 初速680m/sの九〇式野砲や改修戦車砲ですらM4の全面装甲貫徹を見込めるのは100mとかあるからな
冶金技術の遅れから、日本の徹甲弾だとこう。
ドイツ軍標準装備PAK40,KWK40だと、T34,M4の前面を1000m射程で抜ける。
T34/76とM4 75mmの主砲で四号の前面抜けるのは500mくらい。これは砲弾よりも初速の差。 ドイツ軍兵器局第一課はM4の75o戦車砲で4号戦車の正面に対する有効距離は100m以内と見積もっていたらしい
(飛翔する砲弾に対し30度傾斜してる場合)
ただし、この見積上の4号の正面装甲は砲塔車体ともに80mmということになってる
実際の砲塔正面は防楯ともに50mm程度しかなく1500mの距離でも貫通したと
逆に4号の7.5cmKWK40による射撃は上記と同じ条件を適用した場合の有効距離は
操縦席前面(車体正面上部)に対しては0m、防楯は100m、砲塔は1000m、車体正面下部は1300mということになっている 日本陸軍火砲の対戦車火力の低さは
冶金ではなく徹甲弾にレアメタルが含まれてないことが元凶
要は材料の差であって冶金をあげても良くなるのは砲身生産のコストや命数の方で貫通力自体は改善しない 特甲等の他国と比べられなくもない弾はあったわけだから
材料の問題とは言えなくもないが
日本はタングステンが比較的入手しやすい条件下だったことを思えば
タングステン鋼を大量生産する能力≒冶金に劣るのもまた事実ではないかな 日本が徹甲弾向けにタングステン鋼を量産しなかったのは
もったいない精神で使い捨ての砲弾に貴重なレアメタルを使いたくなかったからだろ レアメタルにもよるけど、タングステンだと当時から産出の大半中国なんだけどな
勿体無いとかじゃなくて正直製造能力の問題でねえの >>24
>レアメタルにもよるけど、タングステンだと当時から産出の大半中国なんだけどな
38式歩兵銃の銃剣は、中国人の腎臓を突き刺して、中国人は血小便を流して死んでいった。 第二次大戦時にはまだ中国でタングステン鉱脈って開発自体そこまで進んでないだろ 当時だと南方からが主だったはず
タイ・ミャンマー・ベトナム・マレーシアなどが軒並み産地
国内(朝鮮含む)でも取れてたけど南方占領してからはたしか国内は縮小して
他に資材振り向けたんじゃなかったかな・・ 日本はタングステンを砲弾に使わないんなら、当時何に使ってたんすか? >>22
当時の日本では大学の冶金学科卒業生の数が毎年6人(東北帝大)かな
冶金技術者が少なすぎ状態だったみだいですよ。 >>26
ハプロ条約での中国からドイツに物々交換で提供した物資の中心はタングステンなわけだが では当時の中国から産出されるタングステンの量で日本の国内需要を充分以上に満たせたのかはべつでしょ
銃砲身や工具鋼に使い潰されて徹甲弾には回ってこないってオチだろう
産出されるからといっても大量に本土に運べる訳でもなし
ただし、
これは陸軍の話であって日本海軍は装甲や艦載砲はもちろん、徹甲弾にもクロムやニッケル、タングステンを豊潤に使ってるのでもはやリソース配分の問題だと思う >>32
実用的なホローチャージ弾が戦前に入手出来てれば
下瀬火薬宜しくあっちこっちで活躍したんだろうか。
でも実践的になったのって1935-38年頃だから
かなり無理そうか?
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Shaped_charge#Munroe_effect 戦前日本軍の武装と対象を考えると
37mmじゃ成形炸薬弾にしてもあんまり意味がないし
75mm級山砲以上なら当面は普通に徹甲弾や破甲榴弾で大抵の戦車壊せるしで
57mm戦車砲や70mm大隊砲なら戦前にあったなら普及して有効活用されたんじゃないかな 過去ログにタ弾の生産数に関する話題あったんで探したらこれか
https://peace.5ch.net/test/read.cgi/army/1406686543/182
生産状況調査表綴(3) C14011034500
生産状況調査表綴(4) C14011034600
によれば下記の数値が正確のようです
三式地雷 1944年度:340,000発 1945年度:25,000発
三式手投爆雷(三式対戦車手榴弾) 1944年度:200,000発 1945年度:56,700発
四一式山砲 二式穿甲榴弾 1943年度:471,000発 1944年度:152,000発 1945年度:55,000発
九二式歩兵砲 三式穿甲榴弾 1943年度:50,000発 1944年度:130,000発 1945年度:35,000発
八八式七糎野戦高射砲 四式徹甲弾 1945年度:4000発
基筒七糎高射砲(四式七糎半高射砲) 四式徹甲弾 1945年度:7500発
一式機動四十七粍砲 四式徹甲弾 1945年度:38,000発
九○式野砲 四式徹甲弾 1945年度:3200発
(以下は個人的に気になったので追加)
九七式五糎七戦車砲 三式穿甲榴弾 1944年度:64,000発 1945年度:8000発
九四式山砲 二式穿甲榴弾 1944年度:37,000発 57mm砲用の三式穿孔榴弾がそこまで量産されてるのだから実戦に使用されてもおかしくない
がつかってみてどうとかは全く聞かないな 70ミリの大隊砲、戦車砲なら成形炸薬のご利益がある >>35
にもあるように昭和十九年度と二十年度の生産実績の差は八月に敗戦ってのもあるし、
サイパン陥落後の十九年後半から空襲による工場被災やら、シ−レーン破綻による占領地
からの資源輸送がはなはだ困難になって戦地の餓死はもちろん内地でも食糧事情が極端
にわるくなる。
明治維新から人口が激増した日本でも、実は国内でコメの需要量はかろうじて賄ってた。
輸出にまわしてたくらいでウクライナの飢餓輸出みたいなもんだね。
貧民は安い南京米や雑穀たべてたなんという歪な構造があったりする。
握り飯にすると粒がぽろぽろ…クソまずい外米食ってた兵隊も日本のコメ腹いっぱい食って死にたいとか言ってた。 脱線したので軌道修正すると、学研から「レアメタルの太平洋戦争」って本がある。
各国の冶金技術の差やら鉱物資源の世界的遍在が戦局にいかに反映したとか蘊蓄ふくんだ
書だ。 九一式十糎榴弾砲の総数は
1100門うち300門輸入)+αなのか
国産1100門+α+輸入300門なのか いちばん下段でなかったっけ?
いま手元に佐山本ないけど、三八式、改造三八式野砲の完成品輸入門数、半製品輸入、国内製造門数やら
改造三八式野砲のオリジナルからの改修製造ぶんと新造ぶん数量記述がかなりわかりにくかった
記憶がある
どう解釈もとれるような 航空優先であの体たらくだもんな、陸軍はどっかの時点で砲迫重視に切り替えるべきだった。 九一式十榴のwikiはな…
水平鎖栓式の閉鎖機とか、サンプルで輸入したシュナイダー試作砲はたしかにそうなんだが、
九一式では隔螺式だ
奉天で鹵獲、準制式十四年式十榴弾砲wikiも過去スレであったとおりSkoda100mm VZ14/19
の模造品と思われ、原型砲の特定が誤りのはず 四年式十五榴が最近の佐山本で製造414門だっけか?
90年代の丸別冊の巻頭の佐山さん監修火砲グラビアでは280門となってた
過去スレで奉天兵工廠接収して、四年式の修理で内地から半製品送ってもらい
加工修理したとかアジ歴で記録あるし、自緊砲身は無理だが従来工法の砲身製造能力
はあったから、一貫生産は無理だが新造砲をつくったかもしれんから、さらに門数ふえる
可能性はある
そもそも四年式は軍縮時に大陸の軍閥に何門か売却した模様
余剰兵器輸出目的だった泰平商会のカタログにもあるし、支那事変時で敵の砲と日本兵が取り巻いた鹵獲キャプション
の写真がある「日本の戦史」(毎日新聞社) 九五式野砲の製造数は536門だったかの数字がPANZER桑原記事にあって、佐山本と
大きく食い違う部分
たいてい従来は陸軍工廠のみの数字で最近、民間会社の製造数が判明して大幅製造数がふえた
のと逆の現象
桑原さんの記事はおそらく戦時中の関係者が記憶にもとつ”いて答えた数字と思われ
たぶん書類は存在しない
佐山さんは確実に書面にのこってるものしか公表しないと思われる
研究者としては当然ではあるね
フィリピンの米軍鹵獲写真での数からいって500門以上だったというのがおそらく
真実
大岡昇平の記録にでてくる75o野砲というのは過半数九五式だろう そんなものは常識やぞ句点よ
四年式十五糎榴弾砲なんて昔は総生産数280門だったのが昭和17年10月の時点で414門まで増えたが、逆に九○式野砲は製造数が明らかになるにつれ減った 四年式十五榴は奉天に製造図面下付しているので、日本軍接収まえに製造してる可能性
が高い
三八式野砲や四一式山砲は正規パテントおよび無断コピーが大陸で製造されていたのは
自明であるが
満州事変前に日式十加を奉天兵工廠で製造した記録があるから、たぶん正規の図面で作った十四年式十加だろう
自緊工法での砲身生産は技術的に無理だったみたいだから >>48
常識ではない そんな研究成果推移リアルタイムで知ってるのは、日本全国で100人
もいないはず
膾炙してる常識と真理は必ずしも一致しない
ましてや新事実と判明したことが正解とは限らないし
明らかに出鱈目な旧軍火砲の項目訂正する奇特な人はおらんのか?とは思う
文庫本の佐山著作読んでれば露骨に狂って不正確な記述くらいわかるだろうに
おれも面倒くさいからだけど、知ってるやつは暇もないしアホな内容訂正する労力と時間
で放置してるんだろうな
時間持てあました認知能力アレな老人書き込みが長期間残って、誤った説が流布してる状況
は憂えることではある… 旧軍火砲wikiのことな
佐山本読んでても、文章盲かどうみても歳食って認知症かで曲解誤解した持論を開陳したりしてる >>47
昭和十七年十月から防諜目的で砲身その他の通し番号刻印が廃止されたので
陸軍工廠および民間製造工場の生産実績数合算しないと数字が判明しない
それとて個々の部品のみの出荷、完成砲出荷数やらの内訳を掌握することはむずかしい
機密保持から敗戦時に多くの書類を焼却やら廃棄したもので むかしから旧陸軍兵器研究で遅れていたのは火砲と工兵機材であったわけだが、佐山本
コンプリートした現在でもかわらんようだ
出来のわるいエピゴーネンが大御所を劣化コピーしまくって拡散してる嘆かわしい事態
おれは佐山さんの記述を100%信用してるわけではないけどね
良質かつ真摯な研究成果なのは間違いない
現在でも信憑性、情報の精度はともかく昔の戦車マガジン「知られざる日本の兵器」連載はおもしろい
佐山さんデビューもここ
旧軍兵器研究史という観点での楽しみがある 高初速ではない陸軍105mm以下の口径なら、民間製造できるから現在公表数字以上の生産数である可能性が高い
重砲は製造できる工場がかぎられてるので現代判明してる数値から大きく逸脱することは
まずないだろう 十四年式十糎榴弾砲wikiの記述がおかしいのは、そもそも旧軍関係者がシベリア出兵
で鹵獲してるシュコダ山砲(戦後賠償で入手したイタリア軍も多用)と奉天兵工廠接収で分捕った
シュコダ榴弾砲模造品との機種混同誤りなのかも?孫引きで検証してないからとか
おれは未見だが、おそらく戦車マガジン連載初期の「知られざる日本の兵器」に載って
たんでは?
現代の研究水準からみても鑑賞に堪えられるものはグランドパワーから合本再録で別冊
ででてる。
再録されずにいる連載回のやつが怪しい。 九六式は最新の研究だと600門弱(昭和17年10月で430門+18年度90門+20年度18門+17年度下半期は推測するに45門程度)になる
四年式も昭和17年10月で414門+α
18年度中は生産が続いているとすれば、500門弱程度はいくだろう
師団砲兵や軍砲兵の十五糎榴弾砲はこれで千門超になるので十五糎級の火砲は生産数だけで見れば従来考えられていたより充実してるんよね
(小文字じゃないよ)
ただし実態に近づいてなおそれでも日本の野砲以上の火砲生産数の値は少ないね
19年度は山砲や迫撃砲重視で野砲や榴弾砲の生産数が極端に少なく、20年度に僅かに復活する様な状況にはおそらく変わりないから、一年度分がごっそり落ちている 仮に累計十五榴1000門強の製造数でもな、製品寿命で廃棄やら戦闘損失があって、
同時期で現存する砲なんてMAXでその六割にも満たない
列強の重砲保有数で最下位だよ?大陸と東南アジア全域で戦闘してる軍隊として少なすぎる
ソ連、アメリカとは比較する気にもならん
ドイツはsFH 15cm単一機種製造だけで4000門以上だ。それに重砲だけで1000門以上のチェコ、フランス、
ソ連鹵獲砲が追加されてる 大砲入門で書いてたと思うけど、砲弾製造発数がアメリカの1/80だそうな
重量でなく発数な
日本は海軍砲のぞいて口径75mmの山砲野砲弾が主流にくらべ米軍は105mm155mm口径主流
だからなあ
重量比だとさらに隔絶する
…ましてや口径75mmより105mmでさえ榴弾威力で2.5倍以上ある >>57
1944年だけでその半数近い2295門を製造している
15糎榴弾砲の製造数ならドイツはおそらく米軍を軽く超えてるからな
フランスという大国とチェコのシュコダ財閥という屈指の企業群から製造ラインごと引っこ抜いて手に入れられたドイツは羨まし過ぎる
日本もチェコみたいに都合のいい小国(技術力が高くて弱体な国)を手に入れられれば良かったんだがな
あいにくそんなものはなかった
せいぜい火砲は満州で少数作ってたぐらいか 何より鉄鋼の規模が違う
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Military_production_during_World_War_II#Resources シュコダ重砲は性能ゆえに戦略戦術政治カードに使われてきた歴史がある
WW1でベルギー要塞陥落にドイツ軍がオーストリア参謀総長に根回しして30cm榴弾砲借りたり
チェコ併合後にドイツが小麦やらのバーター貿易に24cmと30cm榴弾砲ソ連に送ったり
バルバロッサ作戦発起でなんなく鹵獲したそうだが
セバストポリ攻略やレニングラード包囲では24cm30cm榴弾砲、加農が活躍
ノルマンディーで米駆逐艦撃沈したのはskoda K38だし チェコの15cm vz37は優秀砲だな。射程が15qある。
日本陸軍は九六式十五榴と八九式十五加の射程間を埋める意味でドイツのsFH 15cm
を欲しがったが、砲と砲弾値段ふっかけられて断念。
射程は九六式と1kmの差なんだが、長距離砲戦での精度に勝って武漢作戦で日本側十五榴を
スクラップにしたようだ。
日本が導入するにはvz37 15cmがはるかによかったんだろうが、チェコ併合で実現していない。
ドイツ軍でもsFH15cmが標準装備なためか少数の鹵獲砲のみでドイツの新規生産はあるのかわからない?
より高性能のチェコ十五榴装備はSS部隊がギリシャで使用してる写真しか見ないね。 >>56
現時点での生産数、損耗を勘案すると、対米英戦勃発以後敗戦まで日本陸軍は500門前後の十五
榴でやってたと思うよ。 訂正 年度ごとの製造門数といったほうがわかりやすいかな。 連投すまぬ
>>59
米軍は陸軍いちばんソ連(ドイツも)とちがいもっと航空優勢で陸海空制するドクトリン
なんだね。資源も技術もチート国で。
十榴十五榴の生産数は超大国として意外な数字。
艦艇、戦車、トラック、航空機とか高射機関砲の生産数がダントツ。 >>62
ラ式はFH 18とは細部が異なっていて、射程も15kmと、かなり最大射程は長い。
本国ドイツにも無い独自の砲で、多めに作られた試製砲みたいな感じなんだよね
射程は1kmどころかもっと隔絶していたといえる
射程15km級十五糎榴弾砲としてはラ式とシュコダ Kシリーズとはほぼ同等だね
あと武漢会戦の他にも台児荘の戦いで野重2連隊の四年式12門と支那駐屯砲兵連隊の九六式一個中隊と交戦しているけど苦戦、四年式が一門破壊されたらしい >>66
ドイツ軍制式のsFH 15cmは政治配慮からかクルップ製砲架にラインメタル砲身の折衷砲。
性能べつとして日本の航空機での三菱、中島、その他メーカー採用の談合体質と思われ。
売却にあたりオール砲架と砲身がクルップ、ラインメタルそれぞれのがあったとか、輸出国
ごとのオーダーメイド製造の差みたいだね。
支那では数種類入り乱れたらしい。
それで砲身長、射程、砲弾重量が異なるらしい。 因みに日本軍も射程15kmの十五糎榴弾砲は研究していたみたい
まぁ例によって余裕もないんで打ち切られるか放置されて影も形もなく、九六式十五榴が新鋭砲のまま終戦を迎えるのだけど
二車に分解すれば砲車・砲架車共に改造三八式野砲と同等の機動性である四年式は、
計画の射程1万米級改修失敗で性能が低かったり結合や方向運動が面倒だったりしても「こんなものだろう」と割り切れるんだけど…
単一砲車で車輌牽引専用の重量級の砲として九六式の性能には完全には満足しきっていなかったみたいなんだよね
この手の砲はむしろ軽さよりも射程や威力を重視したいんだろう あとなんかsが消えてたけどsFH 18ね。
日本陸軍の古参や精鋭師団は結構な数が師団砲兵に四年式の一個大隊を追加しているね
ルソン島の第8師団と第10師団
第10師団はバレテ峠で活躍、第8師団の十五榴一個中隊はイポ陣地で米軍に制圧射撃してそれなりの損害を与えたのが「ルソン戦記」で読んだな
あとは沖縄戦の第24師団とかも
有名なのだけで他はよく知らんけど シュコダ十五榴Kシリーズも輸出国や年式で砲身長もろもろ差異があって、ユーゴスラビアに現存
してるM34、トルコに輸出したK1が数門、アバディーンのvz37はドイツ軍の捕獲品と
思われる。シュコダ十加vz35もアメリカ本土の基地にある。大西洋城塞に配備されてた
個体らしい。 まあ砲身伸ばしたりこう圧高めて初速増せば射程は伸びるけど
その分どうしたって重くなるからなあ、どこで妥協するかってのもあるよな
96式15榴は機械化世代として考えたら軽すぎだったんだろうね ドイツは折角採用した射程15km超のsFH40の量産を見送るという判断したことが謎過ぎる
バルバロッサ作戦策定に伴う動員計画の見直しでラインを切り替える余裕を失ったせいか? ご相伴にあずかります。あざーっす
おれは本邦でチェコ砲に詳しい本がないのが不満ですね。中欧、東欧、トルコ、イタリア
ではボフォース製よりずっとポピュラーで兵器市場シェア高かったはずなのに。
洋書ではいいのがあるんでしょうね。 ちなみに四年式十五糎榴弾砲一個大隊が追加された師団は主に「関特演参加師団」だそうだ
現在の第12師団の司令部跡にも砲弾が飾られているから、不確定情報だけど配備されていたかもしれない
実際この通り、第8、10、12、24師団、どれも関特演に参加しているんだよね
あと新編第23師団は機械化編成されてるから九六式一個大隊が配備か
師団に十五榴は頼もしいよな
>>73
諸説あるけどsFH 42の製造理由とも何か関係しているのでは?と考えてる
というのもsFH 40の砲身のsFH 18に乗っけたのがこれだが、なぜ砲身は良くて砲架は流用したのか?、いや、折衷型にせざるを得なかったのか、と考えれば、sFH 40の砲架が非常に量産に向かなかったかあるいは軽量化の為に貴重な軽合金を使っていたか何だよね
砲架の量産を疑ってみるといいかも
実際に、軽い砲でも反動はきついけど、軽い割に長い脚を備えれば「軽量さ」と「安定性」は両立するし
まぁ案の定、流用したsFH 18の砲架では良好な結果を出せず少数に終わる、と。 >>74
本邦で詳しい本も洋書で詳しい本も分からん俺だが、紹介できるのがちょっとした概説みたいなのしかないけどせめてこれで
アジ歴 レファレンスコード
A03032168600
各国15糎級榴弾砲概説 ここによればシュコダ Kシリーズ駐鋤は三枚の打ち込み式…というのは我が国の新鋭火砲がフランス式のインスパイアであるからして、シュコダとシュナイダーは密接な関係を持っていたことから、これと九六式は遠い親戚とも言える ちなみにちゃんと二車分割式で馬引も出来る。
これに限らないがあちらの軍馬はしっかりしてて羨ましい限りだ。 >>75
いやいや、それまともな列強では10cm15cmの師団砲兵装備常識ですから。
砲弾威力からドイツ贔屓日本軍もぜひとも実現したかったんだけど、牽引車の性能と配備状況から
馬匹に頼らざるを得ず、徹甲弾ではM4相手に対戦車砲とならない九五式野砲生産続けてました。
まー機械化牽引でなくても甲装備歩兵師団では十五榴装備実現してたのは救いですが… >>77
イアン・ホッグの大昔の著名大砲本で九六式がシュコダ砲と誤って掲載されてるくらいです。 自分用も兼ねてメモ保存用に書き出してみた
・口径 149.1mm
・27口径
・単肉自緊
・閉鎖機 螺式
・駐退機 液圧式
・復座機 液気圧式
・開脚式
・高低 -5〜70度
・方向 45度
・車輪 実体(?)ゴム輪体 1350×220mm 鉄輪体 1350×155mm
・軌間距離 1800mm
・発射高 1450mm
・弾量 42kg
・初速 570m/s
・最大射程 15100m
・運搬様式 単一又は二車分解機牽又はばん曳
・放列砲車重量 5130kg
・接続砲車重量 5520kg
バリエーション豊富だし微妙に流布しているデータと違っているから面白い >>79
まぁね
せめて関特演配備師団の様な編成が開戦時の50個師団ちょいまで行き渡っていればよかったんだけどね
十五榴は制圧力大なので師団砲兵には必須だと思う
ただし機動力劣るので十榴・野砲との混成になるが 関特演師団で十五榴大隊配備師団は
在満の第8、第10、第23、第24師団の4個師団は確定
同じく在満の第12は未確認だが配備可能性あり
在満の第1、第14と、内地の第51、第57師団の4個師団は不明
他第9、第11、第25、第28師団は山砲装備なので可能性はかなり低い(ただし例外もあり山砲兵連隊だからといって配備が無いわけではない)
あと関係ないが1945年時点で第5師団は九六式十五糎榴弾砲一個大隊装備を確認してる
うーん、やっぱ少ねぇわ(情報も、ね) >>72
ソ連のM1938 152mmも重量と射程で同等です。
それが中途半端と思われて彼国としては少量生産におわり、重くても射程17kmの加農榴弾砲
に生産主力移行したと思われます。新式122加農と併せノモンハンが初陣。
記録読むと、とくに射程20kmの十二加は戦局を左右する存在だったみたいです。 戦鳥より
http://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_2_1.htm#A1_1_1
>>師団に十五榴を有せさるは任務達成上不自由なり 然れとも軽榴弾砲の口径を増加するは直接支援の為に不適当なるのみならす破壊威力も亦十分ならさるの不利あり 過去に於て十二榴を採用し失敗せしことあり
>>
(ハ)破壊威力を有する砲兵
砲兵か完全なる破壊を行ふは特殊の状況にして 一般に制圧を主とす
制圧も亦物質的効果に依る制圧よりも精神的効果に依る制圧を重んし 然るに師団戦闘区域内に於て 野戦築城によりて掩護せられある敵に対しては 其掩護を剥脱するにあらされは有利に精神的威力を発揚する能はす
此意義に於て表面効力を主とし侵徹効力をも有する弾丸を要す
此の目的と同時に小口径弾丸の炸裂音を捕ふて精神的威力増大の為に中口径の弾丸を必要とす 最近戦役の実験の結果十五榴は必要にして十分なる威力を有するものと認めたり
等の日本陸軍でも師団砲兵に十五榴は欲しいと考えていたみたいね
十榴の延長線上に過ぎん十二榴は駄目らしい(そもそもクルップ式十二榴は旧式で大変なものだったと山本七平も言っていましたが) ただしその効果は精神的なものに依るところが大きいと。
ほかに実戦で十五榴が必要とされた事例としては、大陸の各所にある明代の城壁はとても堅牢で、野砲ではあまり効果がなく、十五榴の攻撃はどうにか有効でやっと斜面が作れた程度そうです
物理的な威力も高く、支那駐屯砲兵連隊の第二大隊に十五榴が求められその通りになった理由はこれでもありますね 海外サイトの要塞&砲兵でみたところ、九六式もシュコダ砲もシュナイダーのコマーシャル
モデルをスタイリング参考にしてるみたいなんだな。類似性が半端ない。
ソ連のM1938 152mmも。 まぁシュコダ Kシリーズと九六式は明らかに瓜二つだもんな。
そしてどちらもシュナイダーと縁がある
機能としては射程も長く二者分割式にも出来るシュコダ vz.37 の方が上であるが
まぁー、しゃーない
日本も後継の開発を急ぐか、開発時点で九六式をM1938 152mm榴弾砲相当のものにするんじゃなくて、後継の射程15km級十五糎榴弾砲レベルを想定できていればなぁ、と。 しかし思うのが、その射程15km級十五糎榴弾砲や中国が輸入したラ式、ドイツのsFH 40、シュコダ Kシリーズ(ドイツ側鹵獲名称 15cm sFH 37(t))の射程15kmのその上を行く、ソ連軍主力十五糎砲のML-20。
射程17kmって、戦後もある程度の期間は十五榴として通用するレベルのものを、ノモンハン期には実戦投入していたわけだから、流石砲兵の国だわな
まぁこちらは加農榴弾砲なんで、かなり重たいんだけどね
でもちょっと射程が長いだけの八九式と比べたら、時代が違うのもそうだけどこれ時代が先進的なのもあって洗練度が違い過ぎる 要塞&砲兵の「しられざる火砲」板はおもしろいねぇ。われわれではとっくに既知のめずらしくない日本砲が
ガイジンにはレア物にされてたり…
自動翻訳あっても、やはり言葉の壁が大きいのだろう。 動員計画において日本軍が導き出した理想的な編成比率としては
師団砲兵連隊は4個大隊編成で
十五糎榴弾砲×12+十糎榴弾砲×24+野砲×12
なんだよな
野砲が1個大隊分残っているのがポイント(といっても、野砲兵大隊(野砲×4+軽榴×8)×3+十五榴大隊で野砲兵連隊というくくりなので大隊隷下に野砲兵中隊が十榴2個中隊と混成運用)
殺傷半径は爆弾の威力の三乗根に比例するから(暴露目標への)面制圧的には小粒弾を多く撃った方がいいし精度有利や高初速、軽量なのも活かせる場面もあるので野砲は各大隊に一個中隊だけ残してあるんだろう
この4個大隊編成が達成されていた第24師団(といっても例によって歩兵2個大隊と野砲兵大隊をメレヨン島に派遣してしまったのだが)が帝国陸軍の理想的な徒歩編成師団として挙げたいのよね
まぁ(軽機が二倍充足で更に戦力強化された)歩兵第32連隊と第22連隊とかいう高練度の連隊も居たのもあるが…
ともあれ最強師団論議によく上がる第7、第9師団(←山砲兵で火力劣る)や近衛師団(←自動車編成のくせに最初から最後まで半分の野砲2個大隊)よりも候補に挙げられて然るべきなんだよね
知名度は低いけど ・・・しかし、日本陸軍は値段で躊躇して買えなかったラ式15cmを中華民国はラインメタル、
クルップ製それぞれ48門購入するってどうよ?カネなくて日本は情けねぇよなぁ
大陸連中はタングステンやらレアメタルのバーター貿易で入手してるんだろうが 訂正 クルップ製24+ラインメタル製24門だった
日本側は三門鹵獲して、まともに射撃できるの二門だったか、牽引車ヘンシェル六輪重トラック
まで日本兵が分捕って砲曳いてる写真佐山本でみたな >>89
ML-20は各国の師団砲兵十五榴を対砲兵戦でアウトレンジ撃滅すべき砲で軍、軍団管轄
ですね。射程17kmと引き換えの重さだから、師団装備としてはどこの国でも運用に支障
をきたす
ノモンハン当時の日本軍は師団装備の十五榴はなく、十五榴、加農は関東軍じゅうの
重砲兵連隊、旅順要塞から砲座からはずしてまでかきあつめた
最大射程で勝ってるはずの十加十五加もソ連の新型12加20kmに凌駕された
対砲兵戦砲でWW2最高の傑作でいうと17cm K18だろう
アメリカが戦後これを倣い175mm砲を開発したぐらい
ワンクラス上級、反則ともいえるが、射程砲弾威力ともすべての国の15加を上回る
日本の九六式十五加はその17cm k18よりずっと重く、射程も砲弾威力も劣る >>81
アジ歴の「各国十五糎榴弾砲」シュコダ15cm写真みるにユーゴスラビアに現存してるM1934に間違いないと
思います。
それでK1やvz37と基本構造はおなじながら砲身口径比、各種寸法、重量が異なるものと判断しました。 各国十五糎〜には妙な「え、何コレ?」砲があるな…
短砲身で開脚式の。ドイツ軍制式採用の重歩兵砲でもないしオーストリア・ベーラー製山砲でもない。
輸出目的のラインメタル15cm山砲か? ネット検索してたらアジ歴のシュコダ砲写真はM1934 15cm榴弾砲マニュアルからの抜粋であることが
判明しました。
各国榴弾砲〜記述では、ちなみに尾栓が水平鎖栓式となっていますが、それは誤りで、螺栓式が正解です。 すみません。後半訂正
アジ歴のほうでも螺式とあり誤りではないです。原本はクルップ式の諸元と見開きとなっていて、シュコダ砲
が次項にあるものですから。休みの日にビール片手につらつらネット調べが私には楽しい
ものですが、ほろ酔い気分で悪意なくとも誤った情報を拡散してはいけませんよね... >>68
二車分解して馬匹牽引できる十五糎榴弾砲として歩兵師団装備に次善策配備されたんだろう。
制式採用当時から射程は短い。他国の砲と比較して目立った長所もないが>四年式
旧式砲なんだが、九六式制定後も五月雨式にだらだら製造してる。
歩兵師団ならとくに装軌式牽引車の充足とそれを操縦整備維持できるだけの兵員と教育が
多大のネックだったろう。重砲兵連隊の充足で手いっぱいで。
膨大なカネ、人、スキル、インフラ、時間、手間を要する一大プロジェクトだねぇ。
素人考えだと、射程がより長く射撃精度のずっと高い九六式に全面更新すればいいじゃん!
バカなの?と思うだろうが、当時の状況ではそう簡単には問屋が卸さないてことだろう。 独ソ戦初期のソ連軍でも、四年式十五榴と同世代といえるM1909/30が野戦重砲の主力だったり だって四年式の機動力は改造三八式と同じとされているからな(分解結合の手間を除けば)
旧来の6馬ばん曳で運用できるメリットがでかいと
8馬だと小さいカーブを曲がれないから >>100
それ、ノモンハンでも旧式122mm榴弾砲とあわせポピュラーな砲
新型152mm加農榴弾砲とおなじ砲架の十二加の参戦など数門にすぎない
その数門が戦いの帰趨におよぶ働きをしたわけだが
バルバロッサ作戦発動で旧式新式あらかたドイツ軍に鹵獲されるか破壊されたからね
ソ連も砲が不足して再編成や新編部隊だと製造コストが安く短期間に大量につくれる120mm迫撃砲が師団砲兵に配備された
野砲榴弾砲かわりが勤まるくらいの優秀砲でドイツがコピ-製造して部品精度や照準器の出来で
ドイツの42型12cm重迫撃砲が大戦中の最高傑作といわれるわけだが
なにかでかい契機がないと30年スパン継続装備あたりまえの重厚長大な砲兵装備は更新しにくい
分野なんだろうな
ごっそり装備を損失したり
ww2期戦車、航空機だと数年で性能が陳腐化したからな
一次大戦の在庫ありすぎるフランスは新式砲を続々開発して海外にしきりにセールスし
たが、本国軍の装備はちっとも更新されず
新式シュナイダー十榴の最大数ユーザーは日本陸軍だったというオチ
エストニアが70門、御本家フランス軍が270門くらいだったか海外サイトで見た覚えがある >>99
もとの書き込みでも四年式は改造三八式と同等の機動性だから多少性能に難があっても妥協できる
むしろ満足していなかったのは牽引専用のくせに微妙に軽量で射程が短い九六式の方、って主張に読めるが…? M1909/30は30年代後半から独ソ開戦までの間にも1000門以上作ってて
M10(1938)の採用後も作ってるんだな
M10も開戦後には生産中止だし、代替として登場したD-1もソ連の戦時生産としてはしょぼい数だしで
9〜12km射程の15榴は12榴で我慢して
射程のあるML20が15榴の中心になったんだな >>103
いや、もとの書き込みはおれと別のひとだね
九六式はクソとはいわない射撃精度は高かったらしいし部隊では好評だった
ただ、射程がねぇ…というのがもちろんあります
あの重さと砲身長だとソ連のM10と近似値になるのは当たり前で、技術的によほどのブレイクスルー
ないと無理なのは自明だし
あと1tくらい重量許容できればもっといい砲になったと遺憾に思うのです
牽引車の能力不足ですね6tでなく8tを40km/hで曳ける性能のをふつうに量産できて
いれば重量5.5tの十五榴程度の射程15kmも夢ではなかったかと…
画餅ですけどねぇ 個人的にソ連軍で刮目しているのはD-1 152mm榴弾砲なんだよね
え、152mm榴弾砲の砲をマズルブレーキ付けたら122mm榴弾砲の砲架に乗っちゃうんだ…と。
日本軍の試験では確か試しに十四年式十加で試験したら三割減…とかだった記憶だけど三割じゃ済まんよな
結果、3.6トンで射程12.5kmの割には軽量な火砲に仕上がった
生産数2800門ちょいだけど大半は戦後に製造されたものらしい >>105
日本軍の事だから、存続していても「改造九六式十五糎榴弾砲」になったと思われ 57mm対戦車砲の砲架に76mm乗せたZIS-3は軽量化の代償として遠距離での精度が悪かったそうだが、
D-1でも同様の問題が発生してないのだろうか 四年式は輸入品やライセンス製造でもない日本人設計製造の野戦重砲として先駆的
意義は認めるけど、採用されたときにすでに射程ほか他列強に見劣りしたというのが問題
火砲史でおそらく一番の激しさだった独仏火砲開発競争の一次大戦に重なったってのもある
射程以外でも機構でFH13、シュナイダー1917にくらべると見劣りする
砲の射撃精度や各部の耐久性はまちがいなく独仏が上のはず
冶金技術から砲身命数は昭和期に入っても、ライセンス生産の際オリジナル原型よりかなり短い
三八式歩兵銃の機関部堅牢性や命中精度がおそらく当時世界一だったというのは、
当時の国産工業製品水準例外で奇跡ともいっていい微妙な危ういバランスのうえで成り立ってる 射程は改造4年式で伸ばせるつもりだったからな
それが頓挫したことで次期15榴の仕様が96式になっちゃうのは、まあ仕方がなかろう いかついマズルブレーキつけてるよね>D-1
カリ高とゆーか…ホモでなくとも「ウホッ!」とおもわず声もらすような… >>109
昭和期に入ってからの新型砲は、砲身命数が劣るような事はないはずだぞ
九五式野砲の命数15000発とかは、むしろずば抜けている方だと思うが >>110
経緯としては、試製九二式十五糎榴弾砲の時点では四年式同様の二車分割式だからな
それが現実的ではないと認識されて、方針が牽引専用に改められて九六式十五糎榴弾砲にまでどうにかこぎつけるわけだが
車両牽引に方針転換した時点で、射程その他諸々の仕様も改めるべきだったんだよな
「国産馬で引ける火砲」と「車両牽引専用」とではまず要求水準が違い過ぎる全くの別物だから、牽引車に頼るならまず一回りもふた回りも制限が緩くなる
車両牽引なら、例えば回収車の無い戦車隊は、チハで同重量のチハを回収できるぐらい(15トンの抵抗大の履帯付き重量物を牽引可能な技術水準に日本はあった)わけで、ロケよりちょっとお高く付くが6トンの火砲を牽引する牽引車を作ることなど造作もない
高速牽引に拘らないで従来の馬匹の代替としての車両牽引(むしろホルトトラクターとか砲兵牽引車の起源をたどればこっちの方が正統だな)でいいなら、むしろロケでノロノロ引く手もある 6トンの火砲を「高速」牽引する牽引車を作ることなど造作もない 、ね
6トンを低速牽引するだけならロケでもいける(24km/hどころか速度は馬匹レベルになるだろうが)
何ならいっそML-20クラスの火砲を作り九二式八トン牽引車で牽引する手もある
九六式は本来は軍砲兵用の装備だから、師団に回されるのは例外的な処置ね
軍司令部の砲兵としてならむしろ加農榴弾砲の方が良い
師団砲としては過重だが 初速が九五式より高い九〇式でしょう?命数短いのは
九五式との比較試験で発砲時の各部のガタや部品破損がすごく目立って
シュナイダーオリジナルが口径85mmとかのレア砲で数値比較しようもないが
過去スレでギリシャあたりに現存してるとか写真で見た
あと、昭和期の砲のほうが材質わるいらしいよ
兵頭さん書いてたけど、靖国神社でも輸入鋼使用明治時代のが原型とどめてるのが多いのに、昭和製造のは手入れしないと錆
びて朽ち大穴開いてたり
もともと南方の高温多湿の場所からもってきたせいもあるんだろうが
ニューギニアから運んできた八八式高射砲なんて朽ちて今は靖国にないんだろう?
大宮駐屯地だかのの九四式装甲車が引いてた毒ガス車も劣化して廃棄したんでなかった? >>115
兵頭さんのはBUNがボロクソに突っ込みどころ見つけて言って以来信頼してない…
案の定、それも多分彼の早とちりだと思う
というのも、ここだか戦車スレの過去ログにあるはずだが満州で改造三八式野砲と九○式野砲の耐久比較をやっていて、砲身命数は改造三八式のボロ負け(三八式の方は二千発で焼蝕) 命数ってそこまで大事なもんかな
改造38式で2000発撃ち切った砲なんて
10門もあったように思えないけど 野砲師団用砲兵火器【括弧内は臨時充当】
九〇式野砲
九五式野砲【改造三八式野砲】
九一式十糎榴弾砲
九六式十五糎榴弾砲【四年式十五糎榴弾砲】
戦車(自動車)師団用砲兵火器【括弧内は臨時充当】
機動九〇式野砲
機動十糎榴弾砲【機動九一式十糎榴弾砲】
機動十五糎榴弾砲【九六式十五糎榴弾砲】
機動十糎加農(後の試製大威力十加)【九二式十加】
自走式野砲(後の一式七糎半自走砲ホニI)
自走式十糎榴弾砲【一式十糎自走砲ホニII】
対ソ戦用の師団砲兵って豪華だな
絵に描いた餅となってしまったが それ、ふたつとも国産鋼使ってるんだけど、あとの時代のほうが材質改良されてるってだけ
なんでは?
いやね、航空機銃ドイツからライセンス生産しようとするんだけど、元設計の複座バネ
寸法だとまともに作動しない
仕方なくバネの寸法大きくしてドイツ製と同等の複座力獲得した、とか日本の冶金技術
の遅れ記述がいまでも散見されるもので
工作機械の国産ドリルやらバイスの切れ味は劣るやら、すぐ折れるやら
アメリカ製ドイツ製の刃物を爪に火を点すように大事に使ったとか
学研の「レアメタルの太平洋戦争」とか >>119
三八式歩兵銃の品質は奇跡でもなんでもなくて、中国地方で算出するのを使ったタングステン鋼を使っていた(と見た記憶がある)、というオチかもしれんな
冶金技術が劣っているから国産鋼の素材がアレだとして、九五式は他国の同級の火砲と比べてどうなん? >>118
これ、当時文章書いたやつ脳みそ溶けてるの?な感じだよね
戦局悪化でやけになってヒロポンでもキメてハイになってたのか?
実情から乖離しすぎ、これが実現できてれば実戦の苦労は史実の半分もない
まぁ頭の中で空想するのは自由だけど、この種の妄言に振り回される現場はたまらんよな >>120
戦間期の年産数千丁の時代、最高級のボーレル鋼輸入して銃工が余裕もって丁寧に仕上げた
三八式は最高の精度でしっとりした操作感触だったとか学研のレアメタル本にあったよ >>114
日本軍の場合は軍団を持たないから
軍団砲の仕事を師団砲と軍直轄でやるのもネックだよね
軍砲兵だとやっぱ大物になるし、師団砲だと前線の運動性もほしいし >>124
いやむしろ、代わりに日本の軍が諸外国の軍団に毛が生えた程度のが多くて、諸外国の軍に相当するの規模のケースが少ない気がする
ML-20は軍団砲兵も軍砲兵も行えるけど、諸外国の軍団直轄運用と日本の軍直轄運用とで、やはりどちらも大物寄りになるんではないの?
師団砲兵としては大物過ぎるのは同意 軽くて射程が長けりゃ良いんだがな…
いっそ単脚式もやむなしか? いや冗談、何でも無い笑
ソ連軍のD-1みたいなのが軽くて日本軍に合っていたと思うけど、射撃精度がよう分からなんなぁ〜… いや、単脚砲架もありかも。ドイツ21cm臼砲も17cm加農もそれで射界変換はターンテーブル
で廻す方式。ソ連30cmとか日本の九六式24cm榴弾砲もか
15cm以上の重砲は反動を二段階で吸収する機構設けなければ制御できんので、それを
組み込むには構造的に開脚式より適しているんだろうな。
極端な大口径砲で開脚式砲架は逆にめずらしいだろ?
あとボ式山砲とか、日本は九四式採用してしばらく経つのにボ式様の単脚砲架山砲
試製しているし。単脚なりのメリットもあるはず。おれは残念ながら理由はわからない。 単脚砲架ボックス兼トラス構造だったりするから方向射界振らずに砲架と砲身がほぼ正面に位置
して発砲するぶんには開脚式より射撃プラットフォームとして安定するような気はする。
射界の自由度もとめて開脚式採用されたわけで。一次大戦くらいからで採用遅すぎの感がある。
射撃時の安定性確保するのが難しかったのか?それで実用化が遅れたのか? 152mm ML-20が牽引常態で8t弱で重いな…思ってたらFLAK8.8cmもほとんどかわらんのな
15cm sFH18よりも重い
現代ならまだしもよく70年以上前そんな重量級を対戦車砲がわりに使ってたな〜感心するよ
8tハーフトラックでは荷が重いだろうよ12tのやつが牽引車に適してるんでは? >>113
>>114
そりゃあチハ造れるんだから、6t火砲を高速牽引するぐらいの牽引車技術開発能力はある
要は量産して数を揃える。それを扱い維持する兵員素養、カネ、生産設備がてんで揃っていない
のが問題であってね
リソース限られるうえ、それこそ当時の陸軍高官は縁の下の力持ち牽引車より目立つ戦車を生産したがるやつが多いんだろ? skoda 15cm K1
と検索したらおもしろいもんが複数でてくる 高性能牽引車作る技術あるなら自走砲作れるよなとなって時間切れw 別に、やろうと思えば出来ない事はないって話でしょ
実際に管轄は砲兵なんだから、砲兵がラ式クラスを高速牽引できるクルマにしろって言えば8トン級の新型牽引車とかになって九八式6トンよりでかくなるし
低速でも良いんだったらそのまま九八式6トンのまま使うか九二式8トンになる 大岡昇平のレイテ戦記では旧式化した九五式軽戦車を弾薬やらの物資輸送用でおもに夜間使用
してたとかあるね。明るくなるとまず米軍に破壊されるとか。
リヤカーみたいなの曳いてたのか?とか興味がある。鹵獲したM3ハーフトラックで九一式十榴ともども
撃破された写真まえにここでみたけど
ハ号で砲は牽引しなかったのか? >>83
第五師団への15榴の装備は知りませんでした。ありがとうございます。私からもわかる範囲で。
関特演師団では、
第1、第8、第10、第12、第14、第24師団が四年式15榴12、九一式10榴24、九五式野砲12(改造三八式で代用の可能性あり)
第23師団が九六式15榴12、機動九〇式野砲36
ですね。
第9、第11、第25、第29師団は九四式山砲36
第28師団は九九式山地10榴12、九四式山砲24
第51、第57師団は九一式10榴12、改造三八式野砲24
であることが判明しています。
その他の師団で15榴装備は
近衛第一師団が四年式15榴24
第107師団が四年式15榴9、九〇式野砲9、九四式山砲4
第119師団が九六式15榴12、機動九〇式野砲36 ※第23師団改編で異動
支那事変時の第27師団が九六式15榴12、九四式山砲24
レイテ時の第1師団と恐らくルソン時の第8師団が四年式15榴9、九一式10榴18、改造三八式野砲9 失礼>>137に少し訂正
レイテ時の第1師団と恐らくルソン時の第10師団が四年式15榴9、九一式10榴18、改造三八式野砲9
ルソン時の第8師団は関特演時と同じ。 >>136
単純に技術開発能力のほか、生産製造技術、多生産均質能力、とか部品精度精緻化、材質の良化
安定性品質管理とか
アメリカとドイツで実現できる十五榴40km/hできず、なんで日本陸軍は牽引速度半分
なんだ、て当時の技術畑の陸軍将校は憤ったはず
それは仕方ない 日本はそれぞれのハードル達成できる工業水準ではなかった
…おれ、高校生のときアメリカで戦前クラシックカーツーリング番組観たんだけど、経年劣化
はもちろんあるだろうけど、ダットサンがサスのバネ折れるとか、トラブル続きで
アメ車やブガッティやらシトロエン、ベンツはそれほどの支障はなかった覚えがある
メルセデスなんて戦前のレースカーで300km/h達成してたりする…
アノマリカリスに一方的に食われる情けない生物みるみたいで心が沈む 一次大戦で重砲バンバンぶっ放してた独仏英なんかは耐久性やら射程の伸長など砲の改良
ノウハウが蓄積されたはずだけど
実際の新式砲に反映されたかはまた別の話
戦間期のフランスは左翼政党の台頭で航空機、戦車、火砲の分野で混乱続いて30年代
のドイツ再軍備で完全に技術的に追い越された
個々の兵器性能とはべつにしてね
火砲はともかく航空機と装甲車両の30年代フランスの迷走ぶりはすごいぞ! とにかくフランスではメーカーが乱立して、おかしな製品を輩出
互いのメーカーどうしで体力奪った感じがする
ここのスレのやつも仏軍新型155加農とかなかなかだが製造状況とかちっとも振るってないぞ たまに航空技術者だった佐亦貫男さんの古本買うんだけど、30年代フランス機評価は
クソミソwww
西方戦役で圧勝したドイツ軍、巨大財閥クルップ顧問なんとか博士も「ドイツの科学は世界イチィ〜〜!!
」で調子こいて奢ってるんだろうが、鹵獲した英仏の砲は技術的になんらみるべきものはないとかのたまってる
彼が評価してるのはZIS-3だ
軽量で長射程で扱いやすい、かつ低コストの近代的量産野砲として優れてるって意味らしい 日本の戦前は運転免許が特殊技能で社会評価はともあれタクシー運転手なんて稼げた職業なわけだろう?
戦記で70人の兵隊がいたが運転免許もってるのが一人もいなかったとか読んだよ
一般よりモータリゼーション接する兵隊がそれでは5t以上の重量物を40km/hで曳くなんざ
想像するのもむずかしいと思われ
そのあとの思索まで達する人間はもっと稀 90式野砲で機動台車作ったり、試製97式47mmが高速牽引を求められて頓挫したように
他国より少し遅れてトレンドを後追いしてたからな
仮に戦争があと10年後だったら、それなりに機械化高速化した砲兵もそれなりの数が揃ったんじゃないかな
まあ日華事変やってなかったら開発費も装備更新費も出ただろうが 列強水準にかろうじて列強に追いつくほど日本国民所得が増えてればねぇ…
物価やら勘案して戦前の最高期水準までに回復したのがたしか1958年だったかな?
それで戦後しばらくたった当時でもカメラや自家用車どころかモーターサイクルも贅沢品だった
中流でようやく食うに困らなかった状態だね >>137
第一師団はやはり十五榴配備でしたか
ありがとうございます
関特演のうち7個師団は火力が充実していたのですね
そういえば第23師団の装備していた九六式は第27師団の山砲兵第27連隊第2大隊からのもので、その第27師団の山砲兵第27連隊はもとは支那駐屯砲兵連隊であり、九六式十五糎榴弾砲を始めて装備して実戦投入した部隊なんですよね
二個大隊編成の砲兵連隊で九四式山砲と九六式十五糎榴弾砲という異色の連隊でした
回り回ってノモンハン再建後の第23師団に行き着いて、結局ルソン島の戦いで戦没(あるいは参加出来ず)
ともあれ実戦部隊最古の九六式がたどったクロニクルは面白いです 1940年体制っていうのかな、お上主導の国家総動員メソッドが傾斜生産やら統制が戦中には実らず、戦後20年
くらいから成果あげてバブル崩壊まで日本経済の世界席捲謳歌の時代となるわけ
そのあと世界情勢に対応できなくて失われた20年に相成る ところでサラクサク峠の戦いにおけるホニの戦記ではしばしば
「3月31日の制圧射撃では15cm榴弾砲3門、機動九〇式野砲2門、ホニI4門が参加、一千発の砲弾を撃ち込んだ。この砲撃と歩兵の夜襲によって、米軍第32師団はサラクサク峠前面の天王山から退却を余儀なくされた。」
とされますが、ここでちょこっと出てくる15cm榴弾砲は目とすぐ近くのバレテ峠に陣取る関東軍から転出した第10師団のものだったのではないか?とも思います
第8師団の四年式十五糎榴弾砲一個中隊がイポ陣地にある掘り下げた砲兵掩体壕の中から射撃し大きな戦果を収めた事はルソン戦記にありますが、第10師団の砲兵の方も健闘していたのかもしれません
あるいはサラクサク峠なら戦車第二師団の機動砲兵第二連隊のものか?とも思いますが、戦車第二師団の方は未確認です 農発は戦前でも普及していたから、農村出身者でも内燃機関は見たり扱ったりはしていた。 >>148
アーマ―モデリングの記事でその内容はあったね
一式砲活躍エピソードを滝沢聖峰劇画、ファインモールド鈴木社長が文章と
何にしろ一晩で各種砲1000発越え射撃は大盤振る舞いといっていい
奮戦した一式砲は洞窟陣地に潜んでいるところを、米軍が目の敵にして砲撃
陣地が崩落
それを掘り出したのがアバディーン個体とか 註 もちろん日本軍としては、だな
夜間で千発射撃は決戦意図であらう
尋常ならぬ気合が入っていた >>140
同時期の3.7cm砲装備のV号E型とソミュアS35、重量と性能はほぼ同等
どちらがずっとまともな戦車かつうとなー
発展性とか足回りとか すくなくとも戦車兵で乗ったとして、技量おなじと仮定するとはるかに生存率高いのはV号だろう
装甲はソミュアより薄いが 大日本絵画のフランス戦車邦訳本があって、見てるぶんには野次馬根性で楽しい
深海生物やバーチェス頁岩のカンブリア紀生物みてるみたいで心が躍る
ガキの時分、昆虫博士に戻ったみたい
ただオトナの感覚で我に帰れば、「よく、こんなキテレツ車両つくったな…」な感じ
フランス人技師はマルヌ戦のドイツ兵みたく酒名産地シャンパニューで飲んだくれてたのか? フランスの潜水艦でドーム型砲塔載せた笑うしかないやつとかあったはず >>150
サラクサク峠に碑文があるけど、日本軍4600人の死者に対して米軍3200人死んだらしい
サラクサク峠は戦車第二師団の武装を下ろした徒歩編成部隊の戦闘だから一個師団弱の兵員が半数以上の死者を出したと仮定しては妥当
敵制空権下でここまで拮抗したのは善戦といえる
もちろんこの千発の制圧射撃がかなり効いたのかと
日本軍は一発が貴重だからよく狙ってうつが、その慎重さで千発だからな
ただの弾幕じゃない 物量差戦況勘案したキルレシオだと日本軍大善戦ですね
のちの硫黄島戦みたい
大概はワンサイドゲームになるものだけど >>148
バレテ峠を越えてサンタフェに向かう道の途中に九六式十五糎榴弾砲が置いてある(ゴムタイヤは戦後装着されたものらしい
URLはNGワードにひっかかって貼れなかったが
脱藩浪士の日々というほどブログのルソン島の旅(5)にある
なのでその十五榴とは戦車第二師団の九六式の可能性
バレテ峠を迂回して横から攻める米軍を止める為のサラクサク峠で、両峠の距離はそんなに離れていないしな いや砲身長と駐退機の長さのバランスからいって機動九一式十榴だった
第十師団は既に出港時点で編成が縮小され、更に一個連隊+捜索連隊+αなどを派遣していて、戦力がダウンしていたし、戦車第二師団の方に至っては既に半壊滅した後編成し直した師団だから、どちらとも不完全な一個師団程度の戦力で粘っているんだよね
リモン峠の第一師団といい、地形は大事って分かる 第十師団は歩兵第三十九連隊と野砲兵第10連隊第二大隊、捜索連隊を別に派遣していて、歩兵第十連隊は船が沈められて1200名戦死、装備や物資も全喪失
この時点でバレテ峠転進時点での実戦力は半分から3分の1(実際にはほかの部隊も加えてもっとあっただろうが)
鉄兵団は関東軍きっての精鋭だが戦況がこのザマでは玉砕やむなしだった
むしろバレテ峠も善戦した方か
バレテ峠にも少なからぬ十五糎榴弾砲が参加していただろう フィリピンは戦場として広すぎた。日本軍の貧弱な火力が広く薄く配備されて更に効果が小さく
なってしまった。 島嶼だから仕方がない
一つでも占拠を許せば、そこを梃子に拠点みんな無力化されるから、一つでも捨てるわけにいかんし
あんな守りにくいところいっそまるごと放棄しちゃいたいぐらいだが、資源地帯への経路でもあるんでそれもできない自縄自縛 ・パラオ諸島ではパラオ本島を飛び石してペリリュー島のみを攻撃、残りは制空権で遊兵化
・小笠原諸島も父島をスルーして硫黄島を攻撃、残りは(ry
・沖縄に至っては宮古島の精鋭関東軍第28師団が遊兵化、台湾にも精鋭第12や第9師団も遊兵化、最後にして史上最悪の大振りで空振りに終わる
こちらは全島をくまなく防御せねばならないのに対して、米軍は好きに選べる
大本営、無能海軍および陸軍航空隊の失態 >>148>>158
3/31の1000発の件、15榴は第十師団の野砲兵第十聯隊第四大隊が戦車第二師団に配属されていたものです。
ということは四年式15榴ということになりますね。
この第四大隊長石井少佐が戦車第二師団の砲兵一個大隊(自走砲、機動九〇式野砲)を統一指揮していました。
この砲撃は天王山奪回攻撃の準備射撃でしたが、米戦史(戦史叢書に抜粋)によれば
「三十一日夜、大量の砲撃に続き約一五〇名の日本兵が突撃してきて天王山の我が一個中隊を撃退した。
我が一個大隊が全力を挙げて四月一日朝逆襲し、同日天王山の北斜面と北東斜面の日本将兵を撃退した。」
とあります。 山本七平のフィリピン体験記で、第十師団が四年式十五榴を人力搬送させられているのに遭遇した話が出てたね >>166
コト······、コト······、コト······ >>164
海軍が陸軍に正確に伝えないのが悪い
栗林中将はマリアナの敗戦を知らず、硫黄島もあそこにひきつけて
海軍が反撃するというのが本人の最初の想定。決して死ぬ気じゃなかったんだよ
でも部下の参謀が個人的にマリアナの敗戦を知ってたから途中で変えたけどな
陸軍航空隊も、新藤常右衛門第16飛行団長は、ミッドウェー海戦の敗戦知ったの戦後だってさ
フィリピンの戦いも、自分たちが時間を稼げば海軍が大艦隊を率いて助けに来てくれる
実際、レイテ沖海戦の艦隊を目撃してるけど当時はあれが海軍の最後なんて考えもしてなかった
これで勝てるんだと思ってたそうだ。海軍がうそばかりついてればそりゃ陸軍もどうしようもねえよ >>168
フィールドオフィサーレベルで戦況知ってるザル情報管理体制ってのも問題だぞ
まあ海軍の秘密体質と隠蔽体質は弁護の余地ないけどな
基本脇が甘いくせに失態隠すことだけには異様に結束して口が堅いあの役人体質は始末が悪いわ 海軍の隠蔽は擁護の余地などないが
大本営には上がっているんだから陸軍が知らないなんてことはない・・はずなんだよ本来は
一定以上の地位や役職ならみんな知っていなきゃならんはずのものが
一部だけの独占となってしまっているのは海軍・陸軍共通の病気だよ >>166
馬なしで人力搬送してるエピね。ボルガの船曳き画まんまだったとか。
新米少尉の山本にあきらかに先任の中尉だかが「水牛が使えると聞きましたが…」
序列、部隊が異なると階級下のに敬語つかうんだな、めんどくせぇなと読んだとき思った。
星の数よりメンコの数で階級上なのが古兵にまともに命令できなくて組織がまともに
機能しない事態がしょっちゅうあったらしい。
序列、部隊が違っても区処権って命令まではいかないが、指導する権限が先任には表向き
はあったんだけどね。 ボルガの船曳は悲惨な絵だね。哀しさがひしひし伝わってくる。餓死まではいかなそうのが
救いではあるけれど。
もっと酷いのは大岡昇平著「野火」登場の日本兵だろう。最近二度目映画化されたやつ観たら
トラウマ必至ホラームービーといって差し支えない。夏観ると涼しくなるな。食欲失せるけど。 だから悪玉はあくまで「海軍と大本営」な
堀栄三も瀬島とかいう辻・服部のお友達みたいな参謀が台湾沖の件を握り潰したって言ってた
現地の第一師団や第十師団とか戦車第二師団とかは善戦している
司令部の頭と、協力すべき海軍に恵まれなかった陸軍、それが日本陸軍 >>170
海軍には、ミッドウェーの実情を大本営にも隠し通した殊勲というか前科があるからねえw
おかげで、MI作戦の推進者だった山本五十六の国葬の日がミッドウェイ敗退の一周年となる皮肉なおまけ付きw
東條内閣瓦解してるんだから流石にマリアナは隠しきれなかったはずなんだが、情報共有がどこまで進んでいたかというと…
マリアナ後は井上次官が辣腕奮ったから、何かとおかしなことになってそう
>>171
フィリピン戦はもう末期的な状況やから
もう帝国陸軍の体質が、平時の二十倍以上に組織拡大すること許容しなかったってのはあるが
組織力学と運用が組織の地位じゃなくて相互間の力関係によるってのはまあどんな組織でもままあることではあるが、
日本だとそれが露骨すぎではあるよね >>174
普通の軍隊でも起こりうる事
少尉とかでも方面軍直轄の将校と、現場の中隊長とだと、実は上級部隊の方に権限があるのだ
別に日本に限った話ではないが、これが極まったのが、「辻・瀬島・服部」の増長
大本営参謀であるが一介の佐官風情が、現場の師団長にでかい態度を取る
ビルマの辻は最悪だった
他にも、サイパン島では小畑軍司令官の代理として軍参謀長の井桁大佐が、斎藤中将の第四十三師団や戦車第九連隊など各部隊を統率する立場だった 脱線させてしまったので火砲の話に戻すと、精鋭の関東軍第二十三師団はヒ81船団で6200〜6700人近い死者を出し、更にマニラでも撃沈されて武器や物資は全損失
己の徒手空拳のみで上陸したそうだ
彼らが本来の完全な戦闘力を発揮できていればどんなに心強かったか
日本軍で火砲48門編成で戦車隊もあるというのは虎の子の師団だという事
少数ながら、関特演時代からの古参兵やノモンハン帰りの人もいただろうに フィリピンまで無傷でこれてもな。レイテならオルモック輸送作戦でレイテ島には
兵員しかたどりつけないだろうし、そのままマニラ防衛でもそのころになると
グラスホッパーとかバイバーとか観測機が多数飛んでて、ちょっとでも怪しいとおもうとすぐ
爆撃か砲撃が降ってきて吹き飛ばすだけで戦闘にもなんにもならなかったと生存者が言ってる 1年は暴れられるといいながら半年ちょっちしか持たなかった海軍が悪いんや 第23師団+重見旅団がリンガエン方面(ルソン島西部の沿岸部)の水際作戦で無謀な夜間突撃を反復した
この稚拙な作戦がまずかったと思う
ジャングルばかりと思われがちだが、ルソン島には意外と平野部が多い
ここで機甲部隊による決戦を挑もうというのだから、これでは我が方に地形や守備側の利はなく、塹壕から飛び出て身を晒して突撃すれば空爆や砲撃にやられて壊滅するのは必然
たしかに空爆を受けているが、しかしそれは遥かに少ない戦力で戦果を挙げた硫黄島の戦いや沖縄戦も同じ 山本七平曰く、第103師団が夜襲をかけた際には、対空自走砲(ミートチョッパー?)に手も足も出なかったそうだ
一個中隊が一瞬にして壊滅する様な戦闘
どうも山下大将やその幕僚にも問題意識が足らなかったんだと思う
あとガバルアン丘の戦いでは、丘だ、と言われて行ってみると丘とは名ばかりのただの平地だった
それでは大変だという事で、それを大隊長が陣地をかえるように参謀に言ってみると「まかりならん!」、と一蹴
こうして勇戦の後、第23師団71連隊第2大隊はことごとく戦死した、らしい 失礼、ガバルアン丘の戦いは参謀本部の派遣参謀の介入だったらしい
文字通り丸見えの陣地で、大隊の生存者は一人もいなかった
一方で砲兵隊はハナから敵砲兵には勝てないと分かっているので、念入りに陣地構築をしているから善戦した 参謀本部の参謀ってろくに部隊経験ないし、陸大の入試で試験官が演習もろくに出ずに勉強ばかりしててそれでも陸軍軍人かという
のが定番だったように演習もろくにやったことないから参謀って地図が読めなかったようだ
悪名高き辻はあれで危険な最前線までやってくるからまだましなほうってのがね 極端な例だと武藤章みたいに最初の指揮官職が師団長だったとかいうのが居るのがなんとも・・・
歳食ってからAGS行く米軍や陸自と違って、20代のうちに陸大出たらもう一生勉強しないキャリアシステムに問題があったような気がしないでもない 開戦時の比島戦では、バターン半島とコレヒドール島に立てこもり、マニラ港の使用を妨害。44年の
比島戦ではレイテ島に上陸して、太平洋〜南シナ海へ抜ける航路の入口を確保。フィリピンは戦略
資源も無く、航路のチョークポイントと南シナ海の港湾としてのマニラしか価値がない、と見抜いた
米軍の選択と集中は的確だった。 馬はもともと寒冷地帯の生き物、それで炎暑地で酷使すると熱射病で死んでしまう
フィリピンもスペイン統治時代は避暑地バギオとか観光馬車やら荷役で使ってたみたいだが
熱暑で役にたたないから最初から本土から馬送らなかったんだろう
それは人道ならぬ馬道からは合理的な判断
無駄な殺生することもないからね
勤勉な馬がいないから、かわりに水牛使って曳いてみるが、怠け者ですぐ水に入りたがり、ちっとも
牽引速度がまかりならん。あてにならん水牛だから、砲兵みずから曳く羽目となる
牽引車充足してない軍隊てのは大変だね
もっとも四年式十五榴は牽引車で馬匹運行以上のスピードだすと振動で砲が壊れてしまう。 水牛だけじゃなく牛も休息に入ると梃子でも動かない動物
力があって馬よりも食餌に苦労しないので役畜として優れそうなもんだが
世界中でウマ使えるならウマが選ばれるぐらいに使いにくいのだよな 未開未踏のガ島で四年式装備の十五榴装備部隊は伐採して九六式十五榴、九二式十加の部隊
から牽引車借りたのだろうな
はるかに軽い新式一式速射砲を二門揚陸したが、搬送あきらめ砂浜に埋めたとか、蘭印からもちこんだボ式山砲
そこらに放棄放棄したそうだし
ラ式37mm速射砲は内陸までもちこんだようだ、M3軽戦車を擱座させたのは九四式37mmらしい
けど
道路が下手すると日本より発達してるフィリピン(舗装普及率はたぶん日本より上)とちがい未開地ガ島で重砲の人力搬送はまず考えられないと思う
ボフォース製40mm高射機関砲は海岸地帯でインド兵が日本軍に協力対空布陣したそうだが
なんとか運べる状況だったんだろうね >>186
牟田口っあんのジンギスカン作戦も牛がいうことちっとも利かなくて、なだめすかしても川渡れないとか作戦発起そうそう頓挫したそうだし
潰して焼肉で腹満たすほかは輸送使役としてたいして役に立ってないみたいだよね なんでロバとかラマを使おうと言う話にならないんだろ 日本軍に必要なのはゴムタイヤ・サスペンション備える高速牽引火砲でも大型の牽引車でもなく、あくまで熱帯の気候や風土病にやられない馬引の代用としての牽引車ではなかろうか
一両で馬8頭分の仕事を長く休まずしてくれればいいわけである
どこかの大隊で機械化牽引三八式十五榴という隊があったそうだが、トレーラー長の関係で8頭では曲がれないカーブも難なく曲がれたそうでかなりの好評
ウィキペディアに3.7インチ榴弾砲を牽引するカーデンロイド豆戦車の写真があるが、あんなんでいいんだよ >>189
体重比の駄載、牽引能力は馬や牛より秀でてる。が、小柄
ラバは馬と驢馬を掛け合わせた一代かぎりではあるが、機械でいう性能効率では一番
恰好の山砲兵装備として珍重されてるんだが、残念ながら日本は益畜ノウハウが民族的経験から
乏しい
遊牧民でなかったり禽獣肉食主流でなかった歴史上経験でどうしようもないことであるが
支那、朝鮮よりずっと劣る水準
軍馬の扱いやら品種改良ノウハウは列強最低だしね
だから、そんな民族伝承頼みのローテクでなく日本軍こそ牽引車の充実なんだってば! 日本軍砲兵ね
三八式野砲とか四年式とかのサスペンションもないスポーク輪の第一次大戦期の火砲をゴトゴトひく
これならコストのかかる馬より全く高望みでは無い上にパフォーマンス的にもいいんじゃなかったか >>192
いくらラバが小柄のわりに力持ちでも20頭で四年式十五榴、道路上でもまともに曳けない
と思うぞwww 機械化牽引にしないと効率わるくても力のある重輓馬つかうしかないんだよ
日本は物価安い国だったからわからんけど、1930年代のほかの列強だと飼葉代より
牽引車の油代のほうが安かった
車両のメンテナンス費用とかふくめると総コストが当時でも砲一門あたりの馬数頭よりずっと高いのかもしれんけど >>189
なんで実績のないものをジャストインタイムで調達できると思うんだろう…? HoI2でよく歩兵や山岳兵、海兵や空挺兵に砲兵、対戦車砲を付属させる事が多いが
砲兵の牽引にも石油を消費すると考えた方が当時としては正しいか
ゲーム内では石油消費ではなくて物資消費増加で処理している事が多いから何とも思わなかったが実際となるとかなり違うんだな 二十世紀の軍隊、戦争、産業で石油は血液だよ
ジリ貧で大陸での戦争遂行でやむなく蘭印石油獲得で対米英蘭戦を惹起した
>>197
そんなアホみたいな悪夢が実際頻発したと思われ
日本軍だとよくてトラック、わるくて輜重車で燃料、潤滑油を人力搬送がほとんどのケースなはず 大戦中の中国軍だと、ジープとか車両まで分解して人力運搬してるぞw
ばらしたシャーシを櫓に乗せてお神輿のように運んでいるあまりに倒錯した光景の写真を見て、マジで気が遠くなった思い出w
また写真のキャプションが「こうすればジープはどんな地形へでも入って行けた」とかなんとかブラックすぎてユーモア飛び越えてた レイテ島にも馬送り込んだし
戦後、当時レイテで戦った米兵に暑いところに馬持ち込むなんてお前ら馬鹿だと言われたそうだが >>201
あ〜ワタミの渡邊社長みたいな人非人指揮官がいたのね?費用対効果とかはなっから無視
してる無茶ぶり上等の基地外が
日本軍だけでなく支那軍にもいたんだ…
おれが部下だったら、真っ平御免だよねぇ
>>202
無茶というか馬鹿というか、生物上体質的生理的にまるっきり風土があってないのに人間の戦争に無理に付き合わされる馬の
益畜運命が哀しいね 供出した馬は帰ってこなかったというしな。外地でならしかたなく食ってしまったんだろうが
内地で終戦迎えたのも持ち主にかえさず、たぶん食ってしまったんだろう おれのジィさんは馬wo
三頭供出したからと思うけど、役所で調べたら昭和十九年に招集されて
たったひと月で招集解除されてる。
インチキに近いかなりの優遇措置だろう。妻帯者子持ち32才のロートルのせいもあるが
、大岡昇平なんて京大出で一等兵でミンドロ島行かされてるからな。
家に出征前挨拶にきた若者数人は沖縄で戦死したそうだ。 そもそも牽引車が食う油って馬の餌に比べれば少ないんじゃね
馬は生きているだけで必要だが、牽引車は動かす時だけや
しかも馬は熱帯だとすぐ死ぬんだろ
ガーデンロイド豆戦車みたいなやつの方が、遥かにマシじゃないかと思える かーでんろいどってスマホでうつと意地でもガーデンロイドに変換しようとしやがる カーデンロド卿で高貴な生まれだからだろ?>誤変換
九七式装甲車のほうがよほど牽引車には向いてる。サスペンション改良かつ軽戦車ならぬ
ミニ戦車としての完成度からな。
エンジン出力up、低回転高トルクへのむけての変速機とギア変更。
あと小型すぎなので長さ幅ともストレッチボディオープントップ化で砲員も四人くらい乗れる。
6t牽引車のコンビでいいんじゃない? お馬さんは生き物だから頑張って働いたあとは疲れてしまう。ヒトでは大概無理だが、三日三晩寝ずに動く
耐久力はあった。
砲兵の連中はそんな疲労困憊の馬みて可愛がったんだろうな。 >>201
我が軍も昭和十八年にトラック分解山岳搬送の演習してるんで、そんなに珍しいことでは無いかと 前の大陸でのラインメタル、クルップ15榴だけど
すでに射程15、16km達成してるのにドイツ軍制式15cm sFH18であえて13kmに落としているのは
より短砲身にして初速を弱め砲身命数の延命を図ってると思われ
経済的な判断のはず
その決定で独ソ戦はじめてみれば、ソ連の15cm加農榴弾砲、12cm加農との対砲兵戦で
苦渋嘗める羽目となる
砲弾威力と射撃安定性で好評だったドイツ21cm 臼砲でさえ、射程で負けてソ連軍との砲戦で結構な
数失われたし
おなじ砲架で対砲兵戦に特化した17cm K18に生産主力をシフト
21cm 臼砲は17cm加農の生産で製造中止とかいわれてたけど、最近の研究では1942年
以降も終戦までほそぼそ造られていたとか ラ式とかすぐ焼蝕起こしてたんじゃないの
対戦車砲の様に針を通す様なものではなく、凄まじい弾幕を張る榴弾砲にとっては砲身寿命ってのは十分大事なファクターよね
九六式は発射弾数を考えた結果、装薬量を抑えてゆっくり発射する様にしたんだろう
おかげで、四年式と比べて命数がどうとかいう話は聞かない
むしろ四年式より壊れにくくなったろう(ノモンハンを除き) 技術敵には射程16kmも十分実用可能なんだけれども、じっさい師団砲兵として運用
するなら、むしろ射程を犠牲にしても砲身長持ちするほうが、勝ち戦でも補給が滞りがちな戦地での蛮用に適す、な
判断だと思う。
間違いではないし、ご説もっともなんだけど。実際、敵のより長射程の砲と撃ち合う事態
になると一方的にやられてえらいことになる。
15cm sFH18の長射程化の改良がことごとくうまくいかなかったのも、射撃精度と射程、経済
効率の落としどころがダメだったと思う。
ドイツ砲より設計年度のより新しいソ連砲は精度はともかく、射程と重量の落としどころ
はうまい具合にクリアしてる。
戦車砲で照準器性能差、兵員技量差も大なるが、ドイツ、ソ連では命中精度で三倍の開きがあったそうだ。 訂正 ソ連重砲は諸外国のより大概重い。マズルブレーキで極端に軽量化した15榴
もあるけど。
重量を許容して長射程砲を設計で無理することなく射撃時抗湛強度あるのを造ってる感じ。ドイツでもこの伝で
設計した砲は派手さこそないが、安定しておおよそ出来がいい。 その点、ソ連軍や日本軍の(機動)野砲は精度も射程も榴弾砲より大なるから、そこでは見るべきところはあった
米独では野砲廃して重・軽榴弾砲に統一したけど
精度で勝り、軽榴はアウトレンジでき、重榴弾砲も互角以上の射程な上に、機動力では上なんだから、対砲兵戦では代用版機動十加みたいなポジションを発揮できるんでは
ただし威力不足で暴露砲兵にしか効かんとは思うが >>216
ソ連軍の重砲はおそらく砲身命数を犠牲にしているんじゃないか
何かを得るには何かを捨てねばならんわけで、当然、性能を取るなら物量のソ連軍は火砲の使い捨てを選んだわけだ
ドイツの火砲は設計がまずかったんではなく、ソ連軍みたいな開き直りが出来なかっただけ
無理するのがアリならいくらでも射程延長出来る
装薬増して反動は増えた重量とマズルブレーキで対処する、大概これで長射程化はなんとかなる
安易な手に走れないのは日本やドイツとかが、砲身命数を気にせざるを得なかったからだと思う >>217
ZIS-3みたいに長射程野砲を生産配備できれば、砲弾威力がたいしたことなくても一斉射撃制圧効果とか対戦車砲と
して有効だしかなり意味ある装備なんだけれども。
戦争は兵器の性能もさることながら、やはりモノいうのは数だよ。兄貴ィ
九〇式の製造数だとちっとも話になりませんわ。 >>219
ZiS-3はその配備門数もさる事ながら、自動開閉式の垂直鎖栓式で毎分25発という高発射レートなのも凄い
門数も、一門あたりの発射数も桁が違う ソ連兵器は寿命が来る前に、どうせその前に破壊されるという戦時の割り切りがある
圧倒的な勝ち戦の後半でもなければ寿命の前に、兵員ごとあの世にいったわけだしな 土浦武器学校でみたzis-3やら45mm対戦車砲、迫撃砲のソ連軍兵器は朝鮮戦争で鹵獲
したものだろう
zis-3で感心したのは、デザイン的に洗練されてて路上だったら5、6人で引けるだろうな、
と思わせることなんだな
おなじく土浦に展示されてる重さが同程度の三八式、改造三八式野砲は外観がいかめしくて
見た目が重そう。人力で動かすモチベーションなど到底おきそうもなかった >>222
どういうデザインだよ
紐引っ掛けるところがあるかないかだろ というか、その展示を見たなら、ZiS-3 76.2mm野砲クラスを前車が付いていない射撃状態で人力牽引なんて無理だろ
その場で出来るのは微調整や旋回ぐらいでしょ >>176
比島戦時の第二十三師団は貴重な精鋭師団でしたが改編により縮小編成にされています。改めて確認したところ、
砲兵連隊は九一式10榴12、四年式15榴弾12の2個大隊。ここにも15榴が出てきました。
別に独立野砲兵第十三大隊の機動九〇式野砲12の配属を受けています。
師団戦車隊は編制から外れてしまい、歩兵連隊も縮小されていますね。
捜索連隊に九七式軽装甲車16(内砲装備6)がありますが、
改編前には軽装甲車14(内砲装備2)でしたからこの点だけは少し強化されています。
輜重兵連隊はばん馬1個中隊、自動車2個中隊(改編前は自動車6個中隊)
歩兵連隊の主な編制装備を比較すると
改編前
歩兵3個大隊(各歩兵4個中隊、機関銃中隊、大隊砲中隊)、歩兵砲大隊、通信中隊
連隊砲4、九二式歩兵砲12、九四式速射砲12、九七式自動砲24、九二式重機36、
十一年式軽機108、八九式重擲108、十年式擲弾筒4
歩兵銃は三八式
改編後
歩兵3個大隊(各歩兵3個中隊、機関銃中隊、歩兵砲小隊)、連隊砲中隊、速射砲中隊、
通信中隊
連隊砲4、九二式歩兵砲6、九四式速射砲4、九二式重機24、九九式軽機81、
八九式重擲81
増加装備として、37mm速射砲18、九二式重機12
※歩兵銃は不明だが同師団他部隊の例から見て九九式
増加装備である程度カバーされていますがやはり全体的に戦力低下していますね。 使い方が限定されるニーモーターがやたら充実しとるな・・・ 攻撃発起前の制圧から突撃破砕まで使うからいくらあっても困らないで >>224
無理ではないよ。楽ではないが。
7.5cm PAK40を6人ぐらいで引いてる写真が複数あるしドイツ戦車猟兵の訓練では
人力牽引は必須科目だったらしい。
5cm pak38は人力牽引前提で脚の間にはさむ補助輪までほぼ標準装備だった。 記録映画観てるとわかると思うけど、ZIS-3も市街戦とかで何発か撃ってすぐ砲の位置移動で
みじかい距離なら砲員が牽引車使わないで動かしてる。 第28師団っていうほど精鋭か?、と思って検索したら、全部日露戦で活躍した連隊なのな
第1師団→歩兵第3連隊
第2師団→歩兵第30連隊
第9師団→歩兵第36連隊
しかも第32軍だから軽機二丁で充実
第29師団も調べたら、全部古参連隊で練度は高く、サイパン・グアム戦で活躍しているのな
第23、第24、第28師団、第29師団などの関東軍で編成された20番代の部隊ってどれも常設師団なみの部隊なんだな 対戦車砲で顕著なんだけど、陣地に据え付けた場合以外の侵攻場面やらだと、何発か発砲してすぐ射撃
位置移動しないと敵戦車にやられる確率が高い。
牽引車は大きさとエンジン音で敵に露見しやすい。
KB重戦車、T34に対峙したバルバロッサ開戦劈頭では草木で偽装した対戦車砲でじりじり
有効射程内まで曳いて接近するって、かなり無茶な運用を多用してた。
PAK38 だとよほど近距離かタングステン鋼芯弾つかわないと撃破がおぼつかなかったから。
野砲の1.5t以内てのは人力でふつうに移動できるギリの数字なんだよ。
だからそのギリ重さ境界PAK40あたりから対戦車砲の移動、運動性に制約ではじめ、搭載する
自走砲が多品種開発されるようになる。 >>222
いかめしいって駐退復座機の事か?あれは復座機がバネ式だからだぞ
重量から言えば、九○式野砲より重い駄作だぞ
九○式も重いから馬曳きだけじゃなくて人力での陣地転換が遅くて不評だった
形がどうこうよりも重いというのはどうにもならんよ
凹むから人力牽引時にスポーク転輪より抵抗が大きいパンクレスゴムタイヤだし 失礼、九○式野砲より重いのは、重過ぎるとたたかれたF-22だな >>218
極端な話、砲身使い捨てでも砲架その他使い回せるって判断もありうるからねえ
まあソ連流オペレーションリサーチで、砲身寿命が尽きる前にどうせ撃破されるから過剰な品質は無意味、とか割り切ってそうでもあるがw どうせ1会戦やったら再編再補充は避けられないんだから
平時はともかく戦時なら1会戦分持てば実用上は問題ないだろう >>234
F-22は野砲として重いけどいい砲なんだよ
仰角大きくて高射砲代わりにもなる 高射用照準器はないので空にぶっ放せるって
だけだが…(笑)
砲架の造りとか手がこんでて製造コストが高価だったのと、ドイツ軍侵攻でそんな
高級仕様の砲造ってられない、とにかく量産に適した安価な砲造れが3000門で生産終了の理由だね
鹵獲したドイツ軍もPAK40の砲弾使えるよう薬質削ったり、対戦車砲で使いやすいよう高低、方向ハンドルを照準手がわに
集めたり、マズルブレーキ装着、防盾はカットオフしたうえ二重装甲とか手のこんだ改造したうえPAK36(r)にしてる。
ドイツ軍ではF-22とのちの1939年型のバルバロッサ開戦まえまでの生産砲しか、PAK40砲弾つかえるようにまで改修していない。
ソ連野砲の戦時生産品は粗製濫造で尾栓強度が不足して改造は禁止とのドイツ軍通達がでてる。 >>231
23はノモンハンで壊滅して再編だから、装備は新しいはずだけど人員はどうだろう? ソ連軍オリジナルと7.5cm PAK40の薬莢長さくらべるとすごいぞ
それぐらい装薬増ししても堪えられる尾栓強度だったんだよ
要求仕様みたすだけでなく過剰品質の高級砲だね>F-22 それが「ブルジョワ的である、まことにけしからんッ!」て糾弾されて粛清されたりシベリア送りにされたのが
かつてのソビエト連邦であったわけだ
航空機技師なんかは獄中で設計とか図面書いてたりね
まったくひどい国だよ 雑念を排し仕事に集中できるようにとの革命的配慮だよw
娑婆じゃ飯の心配からもう気が抜けないし、どうせ自由はないんだから別荘ぐらしも悪いもんじゃないw コロリョフさんだっけ? シベリアの収容所に送られて、看守に殴られて前歯全部折れたの。 軟禁で世俗の煩わしさから離れ、うまい食事ふんだんにあたえられてそこそこの自由があれば、いい設計も
できるんだろうけど…
恐怖政治で看守からしょっちゅうぶん殴られり、慰みで釜掘られたりしたらねぇ〜
極限状態で命の保証がないから必死にアイデア絞りだすんだとは思うけど 日本軍には十榴より九○式野砲の方がいいよね
重量は100キロではあるがやや軽いし、射程・射撃精度・発射速度において上回る
砲弾重量が軽いから補給への負担も少ない
榴弾砲の利点として曲射弾道があるが、十榴はどのみち45度しか取れん。
瞬発的な火力はむしろ発射速度の高い野砲の方が上回る事もあるし、こっちはしかも対戦車砲としても使える
いっそ十榴やめて九○式×36+九六式×12の第23師団方式が良かったかもな F-22がやたら重いのとドイツにPAK40の弾薬を使えるように改造されたぐらい頑丈だったのにはちゃんとした理由があるぞ
そしてグラビンが投獄された事実も無い。憶測で適当な事を言うのはやめなさい日本軍関係だったら荒らし扱いされるぞ >>244
45度しか仰角取れなくても落角は60度ぐらいになるし
破片量と散布景況が同距離の野砲とは大差になるから
瞬間的な火力でも軽榴のほうが上なシチュは多くなるぞ
だから90式野砲に文句が来て95式が作られても10榴はそのままだったわけな M4とて10榴直撃すりゃ貫通はしないまでも
しばらく行動不能にくらいはなったりするんじゃ >>245
シベリア投獄くだりは悪ノリだけど気分害したならすまんね
砲解説はWikipediaにも書いてないこと判明事実として載せたつもり
GPやロシア本邦訳対戦車砲本がソース
高射砲としての使用も想定してたとか、ネタでなく嘘のような本当だ
あなたはここでF-22が重くて頑丈だった理由を書くべき
おれも知りたいから >>249
グアムで十榴が二両ほどM4擱座させたエピソードを大昔のPANZER木俣記事で読んだ 現場の野砲兵は九○式を支持していて寿命や重量の件で参謀本部や一部の野砲兵がゴリ推ししただけだからな九五式は
そりゃ使う側からすれば戦略機動性とか経済性とかオトナの事情なんて知った話ではなくて、性能の劣るモノを充てがわれては堪ったものではないわな
ソ連軍の師団砲編成は76.2mm野砲+12榴が標準らしい
日本は九○式野砲+九一式十榴でいいのに
九五式なんで新味のない砲を充てがわれてはリソースの浪費でしかない
改造三八式の更新に手間取ったのも国力の不足というのは逃げや言い訳に過ぎなくて、九○式式制式化後の約5年間だか何年かを浪費し迂遠な手に甘んじた結果のヒューマンエラーでしかない F-22は従来の師団砲弾薬より重く装薬量が多い新弾薬を用いる計画で実際試作砲もこの仕様で作られたらしい
それが経済的な理由から従来の1902年式と共通の弾薬を用いることにしたため無駄に重たく頑丈であったそうだ
なので早くも1938年にはより軽いUSVの試作砲が完成して翌年にはF-22の生産は終わった >>252
そりゃもう師団砲兵の戦闘の組み立てが違うからね
ソ連軍は76mm野砲を機動させずに遠距離から射撃を送り続け
その間に122mmを前進させて近距離直射に使うのな。だから76mmは射程が命
ところが日本軍の師団砲はそこまで運用を割り切ってないので
前線直協に75mm野砲を使うという旧来の戦術が生き残ってるわけよ
そんなの時代遅れってことで軽榴や長射程野砲の編成を作ったは良いけど
雑魚い軽強度紛争だと旧来の戦法で十分だしで意識が切り替わらないわけだな
WW1の経験がないことがここでも影響してるんだろうね となるとフランスの戦線に少量の援軍でも送って行動させておくべきだったのだろうか… >>254
それは癌細胞こと参謀本部のアタマな
現場の野砲兵は九○式野砲の射程の長大さの価値を理解していた 一号軍備で三単位制へ移管する前の構想だと師団砲兵の近代化で
直協砲兵二個大隊
遠戦砲兵一個大隊
軽榴弾砲一個大隊
という編制にするつもりだったから九五式野砲は直協砲兵用として開発されたんだろうな 九五式野砲は自己緊縮式砲身で軽量化されているのに改造三八式より軽くなってない
開脚式で重量を食ったのか知らんが
そもそも折角九○式で得たマズルブレーキを撤去したとは
改造三八式と同じ装薬筒を使うのだから反動も大差なく、砲架の軽量化は出来ない
九五式にマズルブレーキ復活させて反動を減らして、その分砲架を細肉化する。
こうすれば軽量野砲として機動力が上がるわけでもっと利点になったのでは
マズルブレーキ自体は欠点が多いが、ソ連軍やドイツ軍が良しとしているのもを日本軍が拒む理由はないわけで >>258
95式レベルならマズルブレーキなんて要らんよ
弊害のほうが大きい
95式がもう、野砲と名乗るのがおこがましい分解できない山砲みたいなもんだし
あれはあれで、間違っていたとは言えないが、やはりいかにも日本的な中途半端な存在ではある >>260
いや反動が軽減できれば軽量化につながる筈だ
九五式の九○式に対する利点が軽さなのだから、軽さに努めるべき
まず自己緊縮砲身の採用と液圧式復座機は軽くなってるはずなのに重量は大して変わっていない(砲架が重くなっているか、あるいは全体的に過強度か)
砲架含め軽量化の余地がある
そもそも九四式野砲が500kgであれだけの性能なのだから
九五式野砲は10.7kmの射程ならもっと軽量に作れるはずだ
マズルブレーキに関しては、九○式野砲で既に実用されている >>261
マズルブレーキってムッチャ運用側に嫌われるんよ
砲口の側周辺に発射ガスと破片カス撒き散らして危険界にするから
チームで動く砲兵は配置に制限が出ると何かとやりにくい
吹き荒れる発射ガスは盛大にホコリを巻き上げるし施した偽装は一発で台無しに
大砲ぶっ放せばどのみち同じことって思うかもしれないが程度の問題ってあるから
マズルブレーキって単純な構造なのになんであえてつけないかってまあそういうこと
野砲でも初速が音速の二倍超えるような対戦車砲に使えるレベルや大型砲にもなるとそうともいってられなくなって頼ることになるんだが
カタログスペック追求するのが目標じゃないからねえ >>263
欠点は認識してるよ
だからこそドイツやソ連で良しとしているから構わない、などと触れているわけ
軽さをどうこう追求しているにも関わらず、その最も簡易な手であるマズルブレーキ抜きに進めた結果が中途半端な砲なんだろ
マズルブレーキの弊害は兵員の保護で対策の取りようがあるが、重さや射程の短さはどう逆立ちしても無理
むしろ独ソでは一般的なマズルブレーキが今更禁忌の手の様に考える事もあるまい というか九○式には付いているのに
九五式開発時に軽量化として付けるのには問題な理由が分からん
それは「マズルブレーキ共通の欠点」であって、九五式への追加特定に関して言う問題ではない
九五式自体がとてもマズルブレーキと相性が悪い、というなら話は別だが
どうもマズルブレーキそのものの欠点に話を全般化してしまった様だ 90式で嫌われた結果が95での廃止なんだろうよ
独ソのマズルブレーキは他国でも模倣されたり戦後にも繋がる優秀なものだったけど
90式のは素人目にもそこまで高性能には見えんから
マズルブレーキの欠点ばかり目立つ残念なレベルのものだったんじゃねえかな ホニIで外されてるあたりやっぱり何か問題があったんじゃないの?>九〇式野砲の砲口制退器
ナチも10榴III凸で止めてたけどヴェスペと違って交戦距離が短いから無い方が良かったのかね >>267
ホニ3で復活しているから制退効果増大は確か
問題はその程度だが、確か十四年式十加に試しにやってみて後座衝力三割減だったらしい マズルブレーキのあるチヌとホニIIIが密閉式戦闘室で
マズルブレーキのないホニIがオープントップか 開脚10センチ山砲って迫撃砲でいいよになるだけだよな この冒頭のやつ十加か?防盾の形状に違和感あるが
というか抗日映画の方がこの火砲や九二式重機といった日本軍火器見れるって…
砲兵と歩兵揃った日本軍の戦闘がしっかり見れて迫力のある映画はないものか
ハクソー・リッジはどこからともなく弾が飛んでくるからなぁ(史実的にはその方が正しいが) 冒頭って1分過ぎのなら41式山砲のつもりなんじゃないかな 冒頭ってか一番最初に出る砲身の長い加農ね
八九式十五糎加農か十四年式十糎加農に見えるけど >>272
そんな戦場そもそもあったのかね
上海敵前上陸をそのまま映画化すると
弾は撃つな、白兵戦でかたをつけろと訓示する分隊長
実際上陸から南京直前の80日で撃った弾は80発
弾は日本出発の際に補給された200発だけで最後まで一度も補給はなかった
戦闘よりも赤痢等の病気でばったばった倒れてゆく日本兵
上海クリークの前面で、優勢な中国軍の火力にまけてやられてゆく日本
西住隊長の戦車隊に助けられるシーン等見せ場もあるけど
全般的にいえば中国軍にやられてゆくシーンが多い辛気くせえ映画になるだろうなという実話 >>276
南晶攻略戦では100番代の特設師団の渡河に百門以上の軍砲兵を投入しているんだよね
しかしよりにもよって呉淞上陸作戦とか挙げんでもよかろうに
武漢会戦や宜昌攻略戦とかあるでしょ… 最後の大爆発がウケるのと対戦車擲弾が飛んでくるのがなんかすげえ 史実どおりではないが日本軍砲兵の
威力と不気味さを表現したのはやはりサイパン戦映画ウインドトーカーズでねぇか? 日系人エキストラ使ったんだろうが、ガタイのいいいかにも当時の砲兵みたいでな。戦闘マシーン表現。現在の日の丸企業戦士もなんら変わらんのかもしれないが、、、 ウィンドトーカーズ見たけど野砲なのに十五榴に匹敵する様な爆発だな
砲兵のところは気に入った 日本軍は野砲に15榴混ぜると効くて言ってるし
混ぜて打ち込んだ事例もあるんだろう ウインドトーカーズは八九式十五加やら四五式二四榴らしきの出てきて楽しい。黒木大隊は四年式十五榴と山砲混成だったから炸裂シーンとしては間違っていない。 サイパン戦はコンクリート打設して固まって
なかったり海軍十年式12cm高角砲が十五門いほど梱包状態で据えられてなかったのが悔やまれるね。 訂正 写真で砲身と砲架分解した状態で7、8門かな。
送り先は唐津部隊となってる。海軍落下傘部隊なのが、ハテ?ではある。防諜のためだろ
ためだろうか・・ 配備部隊は一生懸命に滑走路を造っていた、そのため陸上兵力の陣地構築は後回しに。 サイパン島は狭いから、ペリリュー島みたいに九七式中迫撃砲があれば効果大だったのにな
いちおうグアム島配備予定だった歩兵第18連隊が保有していたが途中でボカチン食らって全損というのは痛かった
十五糎迫撃砲だから十五糎榴弾砲より弾殻が薄く破片はやや小さいが炸薬量が多く撃角が大きいので殺傷面積では互角
それでいて発射速度は四倍とね
精度はペリリュー島みたいに事前に評定済みの場合なら問題ない
なんにせよ一個軍団が十分に散兵しきるほど海岸が広くないので、どこにおちても兵力密度の関係上誰かしら殺傷できるという訳であるよ >>253
1940年にも3門のみ製造してる
ネタのシベリア流し投獄処刑も万能砲F-22提唱者である赤軍トップ トハチェフスキーが
スパイ容疑で粛清されたため、まったくの与太話でもない
カノンにも榴弾砲にも高射砲にも使える贅沢な構想から強度があり重い砲となったよう
日本の八八式7cm高射砲などは軽量化進めるあまり水平射撃すると砲架その他が故障頻発
する事態に見舞われたから軽いのもほかを犠牲にしてて考えもんなんだが
F-22は製造終了後に性能見直されて、ソ連軍で再評価されるって珍現象が起こってる
クリーク元帥の横槍で57mm zis-2のような有効な砲開発が阻害され、実用化が大幅に
遅れたから
それまで実用的な徹甲弾がなかったF-22にKV、T34用に開発されたBR-350Aを用いたところ
赤軍装備火砲でもっとも対戦車に有効と実証された
そこで1941年春より本砲48門(12個中隊)からなる特別対戦車砲旅団を10個編成することが、
決定されたが、それはソ戦勃発で立ち消えとなった 同時期の十加で重さと射程の関係くらべると面白いよ
日本の九二式はチェコvz35と同等、ボフォース製m1934やシュナイダーmle1936より
射程は優れてる
ドイツの10cm K18はずっと重くて、射程は1kmましかよ…製造中止したのわかるよって
な感じ
やはりおなじ砲架の15cm sFH18造ったほうがずっとましとかね
十加はアメリカの口径委員会で威力と経済効果でふさわしくない砲種認定されてる
ドイツは12榴(山本七平のやつ)の失敗で懲りて封印してたらしいんだが、ソ連の122mmカノン威力
に触発されて海軍砲であった12・8cmを陸戦砲であらたに登場させたとか
口径で2cmの差で変わるもんだね 榴弾威力で105mmが75mmの2・5倍
150mmが105mmの25・3倍
170mmが150mmの3.9倍だそうな>ドイツ軍の場合
一段目は記憶なので数値が誤ってるかもしれん >>289
あと、サイパン・グアム戦訓では役立たずの海軍短20、12cm砲なんかより
島嶼防衛にはコンクリート掩蓋に収めた25mm機銃がよほど役に立つと報告書に
でてたりする
上陸用舟艇、水陸両用車なんかをメッタ撃ちする用途に重宝するんだな 海軍の短シリーズは低初速で陣地固定の直射砲だもんな
そりゃ何処の戦場でも使いみちに困るんじゃねえかな アレ、対潜用に輸送船やらに据えたりしなかった?
なんか妙に現存してる砲
グアム、サイパン、ビアクやらかつて嵐山美術館にもあったはず。製造数意外と多かったんでは?
町工場でもマスプロ製造できるよう初速低くて砲身の肉厚やたら薄いし
panzerの大昔記事で木俣さんはグアムにあったのを珍品と書いてたが… >>266
そう、本来は徴用商船に武装させる目的
対潜たってソナーもないから、目視で浮上潜水艦に応戦する以上のことはできない
潜航しようとする潜水艦に効果が出るように
遅延信管や水中弾道を考慮したり、疑似爆雷的な大炸薬比だったりするけど
本質的にはしょぼい直射砲。
ついでに大仰角で対空射撃もできるけど
高度な対空照準計算装置や調停機能があるわけではないので
こっちもダロ感で上に撃てるだけ
もちろん野戦砲として使おうにも間接照準曲射するには砲より指揮の問題が大きいので
陸軍砲兵将校かそれに準ずる士官の指導を受ける時間が十分にあれば
ある程度は使える固定曲射砲陣地にはなったかもしれんが
応急的な陸戦隊とかだとな・・・ 鳥山明のマンガに出てきそうな愛嬌あるフォルムな砲ではあるねぇ 硫黄島で海軍20cmだかのロケット砲が鹵獲されてるんだが
スポーク転輪で見るからに簡易で軽そうなプラットフォームでさ
短20p砲と同威力もとめるならあれで十分なんだよ。たぶん
ずっと軽くて廉価、人力で曳いて陣地転換とか退避移動もできるから ドイツの8.8cmロケット兵器43型「お人形さん」みたいなやつだよ
画像検索であまりでてこないと思うが ソレその気になれば地面直置きでもぶっ放せるよ
使い捨てでよければ木製レールでもいけるし ペリリューにも海軍20cm短は現存砲としてある
なんと陣地砲床に鋼材補強して据えられたままの当時状態で
経年劣化は当然ある
PANZER木俣記事 グアムで見つけた幻の砲てのは80年代のネット存在しない状態での見解だね
これはこれで当時の研究水準知るうえでよし哉 海軍20糎憤進砲は短20cmの砲弾改修使用とか
従来砲砲架で性能のわりに手間とカネのかかるもんを技術的にブレイクスルーすれば
ずっとお手軽に飛ばせるもんだね
木製レールは10発撃ったくらいで焼損、本命は金属レールか装輪式砲身発射のはず
地面に溝掘って撃った日にゃあ…敵を威嚇するとか地域制圧には緊急やっつけ仕事でアリ
だろうが、ただでさえ悪いロケット兵器の命中精度がグズグズになってしまう
ロケットはプラットフォームは安価につくが、みずから推進力もつ弾体は高価、
資源とカネの無駄遣い以外の何物でもない 日本には既に九八式臼砲があったからのぅ
初戦の英軍攻撃で活躍
30糎砲に相当する破壊力と最大1キロとかいうクソ短過ぎる射程のお陰で滅多に外さない
硫黄島で活躍したのも噴進砲ではなく臼砲
噴進砲は弾道が不安定で大半が海に落ちたらしい おれ、20糎憤進砲1型って日本軍的にかなりイケてると思うのね
九六式十五榴のミニチュアみたいでさ(笑)
フォルム的に先端技術に疎いアホな質のわるい兵隊でもそれほど抵抗なく扱えると感じる
酔った勢いで偏見バリバリだけどさ
派手な発射炎でわーって沸くんじゃねえか?そのあとの米軍お返しでお陀仏になるなんて
露知らずでさ >>306
あれ、射程ももちろんクソだし発射台の設置やらがやたら面倒くさそう…木製レゴですか?
破格な弾頭投射する兵器として重量的にはミニマムだけどね
やはり使用局面が極端に限定される特殊兵器だよ >>307
大馬鹿野郎の兵隊揃いだと「ぼーんと鳴った花火だ、きーれいだなーー」(大川興行)なノリなはず >>306
研究不足なのか、我が軍の噴進弾は弾道が不安定すぎるよなぁ
ロタ砲なんか溶接どめの照準器を砲身基準でゼロインしたら、砲弾が斜め上にかっ飛ぶせいできちんと狙っても当たらなくなり「止まってる戦車のちょっと左上を狙ってね!」とかだし(それでも六割当てられる予定なのはどうなのか) 安定翼の設計ノウハウとかがまったく練れてなかったんだろうね。あと無翼でも噴出孔径とか弾体形状やら ロケットじたいはセルロイド製鉛筆キャップやらいじったおもちゃみたいなのを20世紀はじめ
から世界のあちこちで飛ばしてるんだね
現在だと高校授業でペットボトル・ロケット制作実験を授業でやるとことかあるんだっけ?
それを兵器として実用性信頼性あるまでに仕上げるまでは幾多のハードルがあるってことだろう 形になったロケット兵器は戦前から開発されてる、日本のように戦時中の付け焼き刃研究じゃ無理がある。 即席の兵器と言うイメージが広まっている、ソ連の所謂「カチューシャ」も、肝心のロケットは航空機用として始まり開発に十数年の歳月を費やしているからなぁ 89式重擲用の有翼弾のノウハウは流用できんかったんだろうか
曲射弾とじゃ駄目かなぁ 羽根が効果を発揮するにはある程度速度が必要だからな
ロケット弾はゆっくり加速していくもんだから弾道序盤が辛い まあ噴進弾のたぐいは、事前に周到に準備して設置して、敵の攻勢にとりあえずネコダマシ的に鼻っ面ひっぱたく分には有効でねえの
てかそれ以上の使い途が思い浮かばんていうか
砲架とかまあオソマツな作りで、使い捨てても惜しくねえし 戦前戦中の日本でRAP弾を開発できたのでしょうか? 推進薬の性能がクソという根本があって、陸海ともにロケット弾がくそなんで
作っても砲弾としての性能がおちるとかいうオチになると思う 最近、このスレ書き込みで「クソ」文言が散見されるね…まぁいいけど
カチューシャの有翼ロケット弾より、ドイツ式の底部の斜めにあいた噴出孔で弾体スピン
させる方式のほうが命中精度で有利で国防軍が拘ったんだよね
SS部隊のみが回転安定型ロケットよりカチューシャ式の翼安定型のほうが構造が簡単で
丈夫な兵器であるメリット認め独自の製造したとか ペンシルロケットの試作に流用できるくらいの
性能は桜花のロケットにらあったんでね? 一応ロケット研究は戦前から始まっているんだから、とりあえず日本ロケット物語くらいは読んでおけよ。 一番二八号爆弾は三百米で散布界一米らしいけど、コレっていい方なのだろうか?
こいつをトラックにでも積んで…無理か 20年前のアーマーモデリング読み返していたら
タミヤの一式砲戦車の解説書に記された、米軍のトラックに徹甲弾を撃ち、12台を撃破
したというエピソードは、実は他の史実と混同したものであることが判明した。
執筆を担当した竹内昭氏によれば、真相は、陸軍が捕獲した75ミリ砲搭載のM3ハーフトラック
で連合軍トラックを砲撃した際の記録と混同されたとのことである。朝井氏の談話によれば、
フィリピン戦線で一式自走砲は徹甲弾と榴弾を間違えて射撃したことはなかったそうだ。
野砲搭載M3ハーフトラックは山本七平が触れたのと同じ個体かもしれないね。ガソリンを冗談みたい
に浪費する存在だったとエッセイで書いてたな。 M3GMCは230Lのガソリンでカタログ航続距離240kmだから、まあリッター1kmだもんな カタログデーターでそれだからいまのクルマでも実質燃費はその半値くらいでしょ
野砲積んで、さらに重量増したしさらに燃費悪化したはずだよねぇ ゴメン、wikiみたら、GMCとは自走対戦車砲型のことなんだなあ
メーカーのGMからみのことだと思ってた 野砲載せたM3というとフレンチ1897だけど、ベトナム旅行したとき河畔に据えられてるの何門かみたが、あのノルデンフレェルド
閉鎖器がアレだったんだろうね
その後の砲では採用されてない
有坂が試作した砲で偏芯閉鎖器のやつが、シュコダ社から特許侵害クレームあったそうだが、
この形式なのだろうか… 通常の螺式、鎖式にくらべたいして長所ないって、技術判断なんだとは思う 空挺用とされる九九式小迫撃砲の評価を聞かないけど、どんなもんだったんだろう?
編成は九七式曲射より一つ下って中隊配備かな? 評価を受けようにもろくな使用実績ないんじゃね?
生産数三桁だろ… いや九七式曲射歩兵砲の半分程度の数は生産されているんで別に評価なくて当然という話でもないと思うぞ… 評価あるとすれば、ミニマムで軽量が取柄、本家より威力で落ちるだろうな。砲弾おなじで射程は短い
ドイツの81mm迫撃砲も一般とクルツ型で射程が倍以上ちがって評価はそんなもん
短いやつは空挺隊と武装SS用で製造数がごくわずか
空挺用とか特殊任務以外ふつうに使うぶんには射程ながいやつが当然いいだろうよ
81mmは、みっつに分解して人力搬送できる重量なんだから 迫撃砲話題でグランドパワーで読んだんだけどさ、おなじ中迫装備の撃ち合いで英軍は
伊軍にアウトレンジされて苦戦したとかあったよ ソ連のM38 120mmとそれをコピーしたドイツの42型
それと日本軍の二式迫撃砲の射程差は何なんだ!て思ってしまう
撃ち合ったら、まず勝負にならんだろう >>330
迫撃砲は数撃って制圧するって用法なので、弾数用意できなきゃ使いづらい。
発射速度も速く、頑張って撃っちゃうと弾があっというまに無くなる。
迫撃砲自体の数揃えれば一度の制圧面積も広がり突撃時の敵陣制圧に使えるけど、
それは旧軍では擲弾筒のお仕事。 >>335
結局は冶金技術の差だよ
しかも輸送能力が貧弱で、軽量化の呪いもかかる >>335
もともと機動十二迫で6km級の射程を実現することになってたんだけど、いつもの戦時のドタバタでね… 280kgより20kg軽くしました!射程も2km近く・・・ 重量制限や材質制限の中で6km射程が欲しいだけなら10cm級にでもすりゃ良いだけなんで
ソ連は元々122mmを多用してるから、あのぐらいのサイズが好みなんだろうけど
日本軍はなんで120mm迫というサイズを選んのかなというのもあるんだよな なんで12迫から300mm砲身延長しただけで100kgも増えるんだ機動12迫は 昔の2chで、120mm迫はガス弾ぶち込むのにちょうどいいサイズだから採用されたとか聞いたな
第一次大戦だと圧縮ガス砲でわざわざガス砲弾を飛ばしてたくらいだから、初速が遅い方が利点があるのかね? >>343
いや特にコレと言った利点は・・・
単にちゃんとした臼砲にすると砲兵に持ってかれちゃうので
工兵用爆薬投射機です大砲じゃありません的なセクショナリズムが・・・ もともとソ連のM38 120mm重迫は原設計がフランスとか40年ちかく前のワールドフォトプレス
上田信さんイラスト記事であったが、原型砲おフランス嬢わかるひといる? >>341
弾殻薄くて炸薬量じゃ十五榴に比肩する装備としてじゃね?
ソ連軍でも独ソ戦勃発して重砲あらかた破壊されるか捕獲されて費用が安くて構造が簡便
大量調達できる装備として120mm迫撃砲の生産に拍車かかったそうだし
ソ連では砲兵隊装備だね。従来砲の代用意味合いが強い ソ連120mmのこの写真見るとさ、日本軍が砲身短くしたかった理由も良く分かる
ttp://wio.ru/galgrnd/art2/pm38in1943.jpg 砲の設計性能もさることながら、運搬台車設計も巧み。台車つきでも射撃できる
照準器精度やら部品精度で本家ソ連製よりGrW42が二次大戦の最高迫撃砲とかいわれてるね 12cm口径で射程6km、かつ軽量となれば使い勝手よすぎな装備なんだろうが
バカスカぶっ放す砲弾製造能力と砲弾と軽量なはずの迫撃砲人力搬送で日本軍はネックなんだよな…
せめてタイヤつきで台車ままでも撃てるようなのを実用化できていればだねぇ
重迫病の腰痛はいくぶんか減るだろうて そりゃ九六式の中迫病対策だからなぁ。
>>346
1935年のMortier Brandt de 120 mm modele 1935 なんだが、全然検索には引っかからないんだよね。
ttp://www.dws-xip.pl/encyklopedia/moz120mm35-fr/
ttp://alternathistory.com/content/francuzskie-minomety-pered-vtoroy-mirovoy-voynoy?mini=calendar%252F2015-12 ドイツの砲って迫撃砲に限らず、射撃安定性と精度もとめた結果、大概他国同クラス
より重くてね
腰痛の代名詞「重迫病」ってのがドイツ語であるらしいよ >>351
フランスのやつは砲耳あったりして形態はかなり異なるけど、装輪牽引やらの
コンセプトをソ連がインスパイアして改良したのは間違いないだろうね まー九二式歩兵砲より十二迫のほうが砲調達価格ずっと安いだろうな
性能的に中途半端な歩兵砲より平射性能のぞけばはるかに優れている
消費弾薬費はふた桁増しになるやもしれぬが 九二式歩兵砲は通常形式の火砲としてはあまり精度が良くなかったそうで、迫撃砲と弾薬消費数は大して変わらなかったりして
規模的に比較すべきは十二迫じゃなくて中迫クラスだろうけど 重迫病か、何処の国も同じような問題があるもんだな。 ドイツでは歩兵連隊用の火砲なんだっけ?
日本は九七式中迫撃砲は歩兵連隊装備だけど、二式は機動打撃師団の砲兵連隊用だね ドイツ軍も7.5cm 15cm歩兵砲の配備から12迫に装備改変しつつあったのは示唆に富む現象と思われる 平時の少数配備なら凝った武器でも良いけど
大戦で山ほど作らんといけない場合はなあ
それに歩兵砲の重要な任務である直射は対戦車砲の大型化である程度は補えるようになったのもある 75mm軽歩兵砲に匹敵する75mm短加農砲を装甲ハーフトラックへ載せて
火力支援や威力偵察に使ってたから対戦車砲の榴弾射撃で補えてない 九二式歩兵砲は曲射と平射もとめて二羽のウサギ逃した砲だと思う
中途半端に重くて射程は短い
命中精度も「だいたい砲」なんて揶揄されるくらい低い
中迫装備したほうが費用対効果でずっとまし
あの、装備体系を迫撃砲に切り替えられなかったのは、砲弾製造能力もろもろあったん
だけど、歩兵砲製造がらみの利権構造が相当あったと思うよ
いざ、製造中止されれば困る輩がいたはず既得権益でね
迫撃砲装備したほうが実戦部隊でずっといいはずだし射撃訓練も簡便化されるし、砲も
はるかに軽い
問題は迫撃砲弾の搬送のみでね >>348
砲弾の空き箱を台にすればいいだけじゃんw 日本軍の場合、1942年6月制式の九七式中迫撃砲(15cm迫)を1942年10月時点で171門作っちゃうぐらいには、物資が無いなりに急いでた。
というのも迫撃砲が海洋編成師団の火力の根幹と目されたから。
第1軍様の書き込みを借りれば、
グアム島の第29師団、ペリリュー島の第14師団は海洋編成師団で、そのうち一個連隊は海上機動連隊という重編成で、一個連隊に迫撃砲(中軽迫撃砲+曲射歩兵砲)×54門という装備を充てている
第29師団の中でも最精鋭かつ古参の歩兵第18連隊がそれだが途中で輸送船団が壊滅し装備を全損したといわれる
おそらく連隊単位では最強クラスの歩兵火力ではないかと思われ、敵師団が散兵しないうちに短時間の急発射でケリを付けるつもりだったのだろう なんかここか別スレで以前読んだけど、九六式軽機の製造中止して十一年式の生産わざわざ
再開したとか???な工場の事態があるのね
冶具あるだけで製造コストの高い旧式の構造的にアレな銃をね
まぁ山砲で四一式より九四式が安くて高性能だが、精緻で扱いに熟練要求され、歩兵用としてはローテクの四一式
が扱いやすく連隊砲装備としてよかったとかの事情もあるが 別に歩兵砲製造業者が迫撃砲を製造しても良いんだよ
日華事変までは直射できることも重要視されてたし
97式曲射歩兵砲の使い物になる弾は昭和17年まで完成してない
ただそれだけの話しよ 戦後の歩兵部隊なら曲射火力に迫撃砲を、直射火力に無反動砲+ATGMという使い分けをやってるが、
後者は戦前にはなかったからなぁ ちなみに第14師団の海上機動連隊はもちろんペリリュー島に逆上陸かけた精鋭歩兵第15連隊
だが上陸の結果はあの様なものになってしまったが、元から配置されていた第3大隊(千明<ちぎら>大隊)は地の利が薄い地区担当でありながらそれなりの奮戦は見せた…
数少ない精鋭と高火力の組み合わせである歩兵第15・第18連隊とまともに組み合っていればサイパン島・グアム島と、ペリリュー島での敵死傷者はもっと増えていたかもしれん >>364
機関銃や火砲関係は工場疎開と航空機銃への切り替え、既存装備の補充・修理があるからね
他の工場でやってた生産が空襲・疎開・切り替えの関係で別工場に移管されたりとかで
結構頻繁に作ってるものが切り替わる
小銃工場なんか完全に小銃だけなんだけど機関銃工場は戦争中に何度も切り替えしてる
特に航空機銃は本命のホ103→ホ5の切り替えと、生産量の変化(担当工場の増加)があるんで
軽機関銃作ってた工場が気がついたらホ5の生産になってたりするのじゃ 実は単純構造にみえる迫撃砲の無ライフリング薄肉砲身製造が戦前の日本ではむずかしくて
パイプではなく無垢材を削りだしたものを使ってたとか佐山本で読んだ
いまだと板材まるめて溶接したものに熱処理すれば、迫撃砲の砲身くらいの腔圧耐えられる
んだろうが >>364
確か九四式の方が値段は一割高いんじゃなかったか?
あと扱いに熟練要求ってよりは、復座機が気圧式なのが影響していると思う
同じ理由で大隊砲や九○/九七式57mm戦車砲もバネ式
窒素ガスを圧縮する圧縮機の運用が面倒だの
単にそれ以外にはデッドウェイトでしかないし そうだ、海軍が硫黄島でつかった竹製即席ロケット弾を陸軍でも使えばいい >>370
砲価格に関してはこの過去スレの受け売りだから、九四式のほうが高いのかもしれんね
大昔の戦車マガジンの1981年の記事、図版を差し替え再録グランドパワー「知られざる日本の兵器」
九四式山砲記事ではとにかく射撃精度をはじめ精緻な砲、応召の予備役将校では扱いきれなかった
と思われるとか書いてる >>372
昭和20年2月時点で
四一式山砲 11000円
九四式山砲 13500円
だね。
あと四一式山砲の方が薬莢が短いって方も結構あるのかもね
実は九四式山砲は四一式山砲弾薬筒と共通ではなく、九五式野砲と共通の薬莢に、一号方形薬0.378kgを入れるという案を取っているから、薬莢がチョイでかいのよね
もちろん薬莢が共用出来ないという事は言うまでもあるまい
精緻過ぎて使えないと思われる、というそのライターの意見よりは、こうした復座機の違い(もちろん、「精緻さ」の件とも被りはするが)や、補給上の不利といった方が説得力を感じる様な…
まぁ精緻というイメージがよく定まらないけど、直射に限るなら一番「精緻」なのは針の穴に糸を通す様な、そんな九四式速射砲だってそうだろう、という気がしないでもない 今の価値だと11000円とか安いじゃんって思うかもしれんが
当時の11000円って今の価値にすると100倍の値段だと思った方がいいのだろうか そういえばルソン島第103師団で砲兵将校だった山本七平が、砲兵出身の参謀長とやり取りする際に「なんで撤退を?」みたいな事になって、咄嗟に「駐退液のグリセリンがありません」みたいな話をしたら「そうかそうか」って流れになったってどこかで見たな
駐退液は同じだけど、復座機が発条式だとガスを貯めとく機材が要らないのね
逆にガス式だとそこら辺持ち歩かなきゃいけなかったりするって事か 九四式山砲はあほ、ボンクラ砲員だと宝の持ち腐れな感じだと思う
それこそ一蓮托生練度のたかいチームでしか性能発揮できない砲だと
この砲を旧軍でベストと評するひとが昔はすくなからずいたみたい
たしかに玄人好みではある
光人社のニューギニア砲兵戦記は貴重な記録だと思う
「ルソンの砲弾」は家のどこかに埋もれて見つからない… >>374
いまの物価換算で1000倍から2000倍くらい
ざる蕎麦一枚の値段、米の値段、大卒初年給やらとか評価基準があるが
だいたい三八なり九九式小銃一丁がいまの大卒初任給くらい
いまの陸自は少量生産でかなり高価
戦中は大卒が2%のエリートくらい知っておいたほうがいいし 訂正
現在の貨幣価値で2000~3500倍くらいかな?上であげたのは1980年代の毎日新聞社 日本の戦史別冊
兵器大図鑑の数値だから 本が手元にないからアレだけど、チハがやたら高かったはず
九二式重機が2500円、三八式歩兵銃が85円、九九式が100円だったはず >>374
冷静に読み返したら、大量殺戮兵器たる数100kgの山砲新品が100万代で買えるわけなどないだろ?
現在、中古車ならその予算でまともなのゲットできるが 陸軍が貧乏で本当に可哀想だわ…
揃えるのも一苦労とか >>361
そんな陰謀論じみた理由じゃなくて、九二式は攻撃用としては有用だったのが間違いの始まり
「トーチカに距離三百から平射するの最高!九二式を大隊砲にせざるべからず!九七式迫撃砲?まあ軽いから山岳用に作っとこ」というのが戦場での実地試験における現場の意見
迫撃砲で銃眼を狙い撃つことは出来ないし、連隊砲で敵陣前に進出するのは難しいし、速射砲では威力が足り無いしという事だそうだ
まあ結局ビルマの撤退してる辺りだと狙うトーチカは無いし、曲射しかし無いから軽い九七式迫撃砲で十分だしという結果に… >>382
イラワジ以降のビルマじゃ戦車装甲車に追いかけられるので、
せめて直射でタ弾使える砲をお願いしたい。 >>343
ガスを使った投射器やら、でかい弓みたいな投石器?様なやつで毒ガス弾や通常弾を
飛ばしてる
従来砲の発砲音で敵が警戒退避してしまうので、音がきわめてちいさい投射法を使った由 >>383
97式の直射は歩兵操典にもある撃ち方であり
精鋭たる皇軍の兵士なら装甲車にあてるぐらいはたやすいことである まあ1930年代まで満州が主な想定戦場だったんだから、平射砲重視の装備体系になるよね 旧軍で求めていたのはL16、81ミリ迫撃砲
36キロで三分割できる優れもの >>385
迫撃砲で直射となると、三脚ごと倒して土嚢に砲身託して、三脚がわに法面土盛りしたりして撃ったのだろーか? >>387
1965年採用だけあっておなじ中迫でもww2時の倍ほど射程があるな
日本のライセンス製造で価格1000万ほどとか、これって高いのか?
いまいち性能とつりあう値段の適正値がピンとこない >>381
平時の軍隊なんて育成教育機関みたいなもんだから
ハードウェアしゃかりきに揃えるより将兵を養い有事に備えることのほうが大事
まあ装備の水準も重要なのも間違いないが
そういう意味では大正の終わりの宇垣軍縮は、必要なものであったとはいえ軍備の本旨を外したものであったのも確か 歩兵中隊を38式騎銃、89式重擲弾筒、96式軽機、81ミリ迫撃砲で揃えると
なんか中華民国軍みたいになるなw 本来の中隊砲の本命は九七式自動砲なんだよな
トーチカの銃眼を狙撃し敵戦車を擱座させる…
つもりが、敵戦車が思いの外防御が堅くなったのと、肝心の九七式自動砲の出来が想定より20kg重かったりとイマイチだった為終了した
本来想定の40kgというのは九二式重機よりは軽いが一式重機よりは重い程度
ここらへんが日本でぎりぎり中隊運用可能な限界だったんだろう 自動連発にしたおかげで、高価になって数がそろえられない、重くて運用できない
兵器には妥協と割り切りが必要だ 97式自動砲は昭和16年の臨時価格表で6300〜6400円
92式車載13mm機関砲、5350円
92式歩兵砲、7220〜8120円
97式曲射歩兵砲、2660円
94式37mm砲、9980〜11230円
曲射歩兵砲を歩兵砲の主力にするなら直射砲をなにか別の部分で分担する必要があり
37mm砲よりも大幅に安くて関連機材も少ない自動砲はアリではあるな
そして米軍みたいに12.7mm機銃を使う場合、13mmの値段を見ると結構きついんだな 九七式曲射歩兵砲の値段は九二式重機とたいしてかわらんのな
いまのカネだと500〜600万円くらいか
ほかの火器にくらべるとそれでも安いほう
九二式歩兵砲が意外と高い。山砲の七掛けとかじゃないのよ
ドイツのPAK40はPAK38の二割増しの価格だった
構造ほとんど同じなスケールアップ版だから、資材増しぶんくらいで製造コストは
たいしてかわらんのだろう まぁね。全面戦争やってこんな高価な兵器や弾薬やら量産してれば国債乱発で嫌でも超インフレ
になるわ… 直射支援火器としては37mmですら威力が不足しているのに20mmで大丈夫なのかね?
せめて57mm戦車砲を野砲にした方が良いような そこらへんは、トーチカに対しては狭い銃眼に、(砲の最大射程距離から比較すれば)遥かに肉薄して狙撃の様に撃つつもりだった様だ
上面が曝露している様な簡易機関銃座の様な小さい(戦車の様に中が狭い)目標なら、貫通力は20mm弾の方が37mm平射砲より遥かに上なので爆発しなくても側壁を貫通さえすればその中の機銃や総員のどっかしらに当たるだろうという事でもある >>401
歩兵用には57mm級で平射曲射両用って案が砲兵戦術講述録にあったな
大隊重火器は大物には連隊砲や師団野砲を呼ぶという選択肢がある(来るとは限らないけど)
本来的には師団砲が歩兵直掩を万全にこなす筈だったのが
それが当てにできなくなって歩兵砲が生まれてくるのがWW1後なわけで
砲兵側が直掩やれる気だと歩兵用火器の大威力化は管轄やら戦術やらでぶつかるのな 20mmとか14.5mm(これでも弱装20mmに匹敵するほどの強装弾)の重ライフル自体の有用性は、後に陳腐化したとはいえ当時はドイツやソ連を始め有用性は広く認知されていたので、自動砲自体のカテゴリーが悪くない線行ってる物なのは事実
だが個別的問題として九七式自動砲の出来がイマイチだったのよね
オチキス系でなく慣れないゾロターンの設計に影響受けたからかは知らんが
重量は20kg以上想定より重いし、使用するカートリッジは九八式高射の20×142mm弾より弱い20×125mm弾だし初速が段違い
過激な弾幕を張る九八式高射よりはセミオートで単位時間発射数少ないので遥かに肉薄になっている筈ではあるけど ゾロターンは反動式、97式はガス圧式だから、あんまし機構的な部分は影響受けてないのでは セミオート前提ならクローズドボルトの方が射撃精度良いんだが、九七式これオープンボルトなのよね
フィンランドのラハティ対戦車銃とかはクローズドボルトに拘るあまり自動銃でありながら手動で戻すとかいう本末転倒な構造だからこれよりは妥当だけど
九七式の重量増加の要因は銃床の緩衝器に加えて砲架上も後退する様にする二重緩衝構造に加えてマズルブレーキを装備しているので、そこらへんの反動問題だろうかね
ゾロターンはショートリコイルなのでジャケット側に脚を設ければフローティングバレルに出来るし、反動が作動に使われるスプリングで緩衝されるそこまでキツくならなかったのかも? セミオート時オープンボルトが射撃精度上不利なのって、どうしても引き金引いてから発射されるまでタイムラグがあってガク引きしやすい他に、射手が重いボルトのガシャンと動く振動に襲われるからだから、二脚に委託してあそこまで重量あれば振動の件は問題ないのかもしれん
やはりショックアブソーバーとマズルブレーキだけじゃ射撃精度との両立にはならなかったのかもしれんか
一概に軽けりゃいいわけでもないか
NTW-20とかのこれより軽量な現行の対物ライフルってここまで強力な装薬じゃなく、弱装の20mmか14.5、あるいは50口径だし
フォークランド紛争のアルゼンチン軍みたいにスコープ付きの重ライフルで歩兵の小銃や機関銃の射程外からアウトレンジする様な運用メインだから純然たる対戦車ライフルであるこれらとは違うけども 歩兵中隊に追随できなくなっちゃいました、でもまだ九二式重機と大差ない重さだし有用なシチュエーションは多いと思うぞ
ノモンハンごろなら敵戦車にも余裕で通用するしな
何より速射砲より軽量で精密射撃が可能な長距離直射火器って大事だと思う
どうせ37mmクラスの榴弾って高初速過ぎて破片散布が歪だし跳弾不発はもはや付き物ってレベルだしいっそ20mmでもいいんじゃね
むしろ敵戦車におまけでも傷与えられるだけ遥かに貴重な戦力というか、それどころか3号はおろかパンターでさえシュルツェンないと側面下部は14.5mmに耐えられないって話だから、ワンチャンM3軽戦車ぐらいならこれの連発でやれない事もない 抜ける相手なら戦車だろうと銃座だろうと
連射して数発突っ込ませれば大体何とかなるだろうと考えれば
自動砲のコンセプトは大戦序盤までなら妥当ではあるな
残念ながら以降は対戦車火力として寒いことで・・・ ここまで十一年式平射歩兵砲の話がでてこないんだが、大陸戦線の記録フィルムではけっこうでてくるね
トーチカ銃眼潰しにはまあまあ活躍したと思われ 十一年式平射歩兵砲の後継って、やっぱり九七式自動砲なん? いやあくまで十一年式平射砲と十一年式曲射歩兵砲を統合する九二式歩兵砲じゃろ
そもそも九四式は別枠の連隊配備の対戦車砲だし性格からして違う 四一式山砲の徹甲弾てけっこう貫徹能力あるんだな射程500mで46mmとか
16口径の短砲身で24口径ドイツKWK37とかわらんのな
大戦中期以降ガチで対戦車砲で徹甲弾で使うにはキツイが成型炸薬弾が実用化されたからねぇ
ドイツでもW号、V突が長砲身なって余剰兵器なったからだけど、各種車両に搭載されてる
使い勝手よくてV号N型なんてかなり好評だったとか 二式砲はまんまW号短砲身、V号N型コンセプトのはず
陸軍はドイツかぶれだったしね あれは“限界”厚かつ傾斜0度の数値だから単純に比較できないよ マチルダの装甲貫徹っても車体は鋳造装甲だしなぁ
同じ様な重量なら47mm砲選ぶね。発射速度高いし
そもそも山砲は何かと半端な印象(そもそも対戦車を引き受けられる様になるのがタ弾以降だし)
連隊砲兵に関しては、対戦車は専門の速射砲、対陣地・対人攻撃は12糎迫の配置でいいと思うぞ
そもそも直射が絶対必要なシチュなら師団から砲兵一個中隊借りてこい あ、分かりにくいけど同じ様な重量ってのはその上のホイの主砲である九九式戦車砲ね。
つまり短75mm戦車砲より、47mm戦車砲取るね、という意味
その下のが四一式山砲についてね
基本的に直射しか出来ない四一式よりは、塹壕に籠る敵兵団に対して大落角で落とせる迫撃砲の方が攻撃出来るシチュエーションは多いし、堅牢な陣地(例えば中国各地にある明代の城壁)はそもそも野砲の攻撃でも崩せず
九六式十五糎榴弾砲が2000mまで接近してからの射撃で斜面を作れた訳だから本格的なやつに当たればどのみち師団や軍砲兵が必要になる >>413
いや94式も大隊配備を予定してるし
平射歩兵砲も元は連隊配備だったりするんだな
そもそも94式の弾丸を流用するまで榴弾のなかった破甲弾専用の平射歩兵砲と
最初から榴弾もある94式速射で、どっちが対戦車用なんだって感もあるわね >>419
九四式が大隊配備予定とは知らんかった
でも平射歩兵砲と曲射歩兵砲が大隊配備でそれを統合する九二式歩兵砲の大隊配備ってのは何ら揺らがないじゃん
起源を言い出したらキリがないし、それ言うなら機関銃だって連隊配備の時代が長く続いだよ >>418
>歩兵操典
>656
>連隊砲は、敵の重火器、特に大隊砲の威力の及ばざる目標、
>時として砲兵の火制困難なる地区の近き目標、其の他必要なる目標を射撃し、
大隊砲が曲射可能な火器である以上
「大隊砲の威力の及ばざる目標」は射程が届かないか、堅固な物かって話になる
また「砲兵の火制困難なる地区の近き目標」
つまり砲兵が来ない、当てに出来ない、難しい的への近距離直射武器でもある
(例えば友軍の近くには砲弾は落とせないわけで)
そして歩兵操典でわかるように速射砲は大隊配属砲であり、連隊砲ではない
つまり連隊司令部の判断で最重要地点にその場で投入を決意できる武器ではない
ある程度の直射射程と威力を有する41式山砲は
事前の攻防や配備計画の齟齬をその場でフォローできる火器でもあるのだ >>421
歩兵操典によると速射砲は一個大隊何門配備?
俺の知る編成だと連隊に一個速射砲中隊4門+一個山砲中隊なんだが >>420
平射歩兵砲は破甲榴弾しかなかったんだ
曲射しか出来ない曲射歩兵砲と硬目標への直射しか出来ない直射歩兵砲のコンビから
曲射も直射も可能な大隊砲と、榴弾もあって軟目標も撃てる速射砲のコンビになり
互いにある程度機能をカバーしあうように変化したんだよ >>423
曲射しか出来ない曲射歩兵砲と硬目標への直射しか出来ない直射歩兵砲のコンビから
曲射も直射も可能な上に軟目標も硬目標も撃てる(つもりの)大隊砲になり
カバーする37mm砲は消滅したんだよ、で良くない?
連隊の速射砲は新設であり別格よね
まあ大隊砲の実態は半端なものだったけど(曲射でも命中精度が一○○式榴弾以降の九七式曲射歩兵砲と大差ない、直射は苦手) >>422
歩兵操典では大隊教練に速射砲をおいてるけど門数までは記されてない
日本陸軍便覧によると
強化型歩兵大隊は
歩兵中隊4(各中隊は重機2+自動砲2)+重機関銃中隊4丁+大隊砲中隊4門+速射砲中隊4門
もちろんこのタイプは殆どないはずだが、陸軍的にはこういう方向にしたかったらしい >>424
撃ってる間は移動できないから、曲射してると直射ポジに移動できないし
直射できる場所でのんびり曲射もしてられないんだよ >>427
無いもんは無いからしゃーない
陸軍は限られた予算の中でそういう何でも屋を求めたって事だ
実態としては機動力劣り大隊長の側近の砲としては適、という反対だから君の言う通りだよ
つまり部分的には弱体になった 大隊砲が平射曲射ともに不十分でも、部分的弱体化ではない。元々大隊に平射歩兵砲は無い
てか、わざわざ「だいたいほう」なんて名前がつくように、それまで大隊の砲は無かったんだ
あんなんでも無いよりは遥かにマシな万能武器だったわけだな
もちろん全方位で不十分だから
速射砲の大隊配備、中隊砲としての自動砲、97式曲射歩兵砲等で変化強化に進むわけだが
92式歩兵砲は「今まで無かった大隊用大砲」の第一世代であり、何かの後継かというとかなり違う
もちろん連隊火砲がそれで消滅するなら大隊砲は連隊砲後継だが
連隊は山砲や速射砲を備える方向に進んでるから、連隊直轄硬目標直射砲としての後継は94式速射砲になる >>431
もともとあった大隊の歩兵砲は十一年式平射歩兵砲と十一年式曲射歩兵砲なんだって
それが九二式歩兵砲に更新された
だから弱体になった部分もあるというのは>>427の君のいう「曲射と平射の切り替え」が咄嗟に出来ないという事を指しているんだけど
もともとあった十一年式平射歩兵砲も十一年式曲射歩兵砲もまとめて九二式歩兵砲になった
当然十一年式平射歩兵砲の後釜は兼用砲である九二式歩兵砲という事になる
連隊直轄配備の九四式速射砲こそもともと「存在しなかった」枠に増えたのだから何の後継でもない いやいや11年式の平射歩兵砲は元々連隊の砲なんだよ
そもそも生産数が300門前後しかないのに大隊砲にしたら全然足りないよ
歩兵連隊の数を数えてみればわかるよね? >>417
ドイツがV号の5cm砲、W号短7.5cm砲の二本建て編成で大戦前半なんとかやりくりしたの
を見て、一周遅れで日本も47mmと75mm短砲身にしようとしたが、実際は彼の兵器進歩が
顕著で九〇式野砲でも最低限搭載しないと有効な対抗策為さなかったでしょう?
本来の構想ではどちらか一方でなく混成配備のはず
低初速砲の挽回策成型炸薬弾だけど、どうも、当時の記録みると日本でタ弾用いたのは特殊な事例がちと思われ 長37mm+短57mmからの順当な進化じゃないのか? 主力たる一式中戦車とコンビ組むのは一式砲戦車であって、二式砲戦車は計画だけ引きずって宙に浮いた存在でしかない あるいは自走砲転用のホニ1ではなく本命のホニ3(三式砲戦車) その頃はチヘも陳腐化してチヌ主力に…
となるとホニVでさえも砲塔動かない馬力小さい劣化チヌでしかないから
砲戦車の火力というの存在意義が消滅したので全部チヌで良くね、となるんでは
引き縄はどーかとは思うが チヌはチヘ車台にチト砲塔載せてやっつけで戦力化したやつだし、ホニIIIはとりあえずM4抜ける砲積んどけっていうもっとやっつけだから違う見方したほうがいいと思う まー日本陸軍が有史いらい最大の組織だけあって、機甲も砲兵もけして一枚岩ではないんだよ
九五式九〇式野砲だって、九〇式に反対したの参謀本部がわだけでないだろうはず
実際、扱う用兵側にも射程劣ってもすこしでも軽い扱いが楽な九五式推した連中がすくなからずいた
だろうから
戦間期に長射程もとめるのと同時に以前の型より射程みじかくしてでも軽量にして運動性高める
トレンドが列強に確実に存在したし
7.5cm leFK18とかフランスの九一式十榴原型砲とか ここのやりとり見てるとおのおの意見に一理があって、完全な誤りというのはむしろ稀
それでいいと思いますよ
語るというスレの趣旨に合ってる
実際、兵器の試作や制式化なんてこんな感じで何人もが侃々諤々やってたんでしょうが?
あーでもないこーでもないって
ときに紛糾して殴り合ったりね… 一式中戦車と一式七糎半自走砲がセットだというけどさ
一式七糎半自走砲の砲戦車転用案だってどの程度進んでいたのか不明瞭で
公式的なものではなく、一式砲戦車という名称も含め機甲側の独断独自の面が大きい
増加装甲自体は砲兵側の判断だけど、対戦車戦闘用途のためでも砲戦車転用のためでもないし 昭和16年の段階でホイとホニ1の比較試験をやったそうだが
その後ホイは正式採用は見送られ研究続行
ホニ1は機動砲兵の装備として採用されているけど砲戦車としてじゃない
一式砲戦車としての再制式って話はここら辺を誤解したのではないのか >>443
どのみち三式砲戦車が一式や三式とセットで運用される腹積もりだった事には変わらんでしょ
二式なんて少数で打ち切ったわけで 三式砲と三式中はともかく自走砲の運用と人員は野砲兵が中心
旧依然としていた面のある国軍が連携取れたんか?
ホニ1っていうが生産量的にも大半はホニ2だろう 自走砲はともかく三式砲戦車が主力
二式(ホイ)は30両で生産終わり
対戦車戦闘には最低でも野砲級以上の高初速砲が必要というのがホイがこんな形で終了した理由 戦車に関しては戦車スレでやったほうが良いんじゃね? 和製RSOトラクターとか野砲や弾薬車の牽引に適した車両はなかったんでふか? >>448
搭載砲がらみや装備コンセプトはここで語ってもよかろう
回転砲塔のメリットで成型炸薬弾使うなら二式砲もアリなんだろうけど、いかんせん
日本軍では希少な特殊弾扱いなんでね
リソースかぎられるなかで生産中止もやむをえまい
自走砲、突撃砲の回転砲塔もたずゆえ駆動系に過負荷強いて、不利なことは自明
次善策でしかなく、できれば回転砲塔に高初速で貫徹能力秀でた大口径砲搭載すべく鎬削ってたのが列強の戦車開発競争だからな <<449
強いて言えば九五式軽戦車とか
末期のフィリピン戦では戦車として役にたたなくなったハ号を弾薬輸送や砲牽引に用いてた
夜間に国道走って、陸のネズミ輸送だね
旧軍戦車でいちばん信頼性あるし当時では、絶妙の配役な感じはする
武装もあるしね 夜間とはいえ、国道走るもんで隠密どころでなく多数が定位置に据えた米軍バズーガーに多数やられたとか、大岡昇平の
レイテ戦記にあるよ RSOてソ連のトラクターをドイツ風アレンジしたやつでなかったか?
コムソモレーッツだっけ?足回りがそっくりなやつがあるぞ
どんな悪路でも走破できる。廉価だけど速度は遅いやつ 18kmくらいだったか
日本で野砲牽引車というと九八式4t シケだろう
九〇式機動野砲を曳いてる
速度は38kmだから結構いい線いってる 性格は違うが豆タンクとして開発された九七式軽装甲車をベースに、装甲牽引車・弾薬運搬車に先祖帰りした九八式装甲運搬車が良いと思う
機動一式47mmをおそらく高速牽引でき、あるいは1トンの弾薬を積める
エンジンを前に移動させて後方にスペースを確保するという改良も良いものだった
これにより後方から物資を落とす事で安全に運搬を完了する
ワンチャン無印三八式も牽引できたかもしれない
敵弾が飛び交う中の前線機動力を与え日本軍砲兵の助けになったのでは というか九七式軽装甲車テケは派生型のうち一○○式観測挺進車と上記の九八式装甲運搬車という派生型が素体の優秀さを物語っていると思う
所詮非力な豆タンクでハ号に置換される面もあったが軽量でコスパよく、砲兵にはテケの車体ベースが相性良いかと
まぁ455で考えたがやはり旧式野砲の牽引云々は牽引力不足というより対戦車砲の牽引が理にかなっていただけかもしれんな
57mm砲も牽引試験したとあるし
いちおう搭載量1.5トンの九四式六輪自動貨車で馬力が大差ないのに機動九○式野砲を牽引して見せてるあたり、馬力や車重が足りないというわけではないのかもしれん
推測ばかりであるが、九八式装甲運搬車は優良な機械化野砲兵や対戦車砲部隊への配置に適したものだったと思う
どうも前線運用の火砲の運用に際しては、多少の被弾で牽引車がやられてしまっては後がない気がする(火砲が破損すればその限りではないが)
弾薬運搬に関しても然り
もちろん砲兵にとって安価なRSOトラクターの様なものの必要性は何ら変わらないのかもしれんが WW2砲兵は牽引速度向上による機動力という側面があるんだけど
RSOはそこはすっぱり諦めて、手間暇かかって泥濘にも弱いお馬さん代替に徹してる部分が特徴よな
ソダ車なんか高速+装甲で極めてアグレッシブな運用が可能な牽引車だけど
ぶっちゃけ、あそこまで車体も頑張るなら47mm砲積んだ和製マルダーにしちゃうほうが更に便利だよねぐらい 砲兵火力の生命線でもある馬が軒並み熱帯で死んだのは痛かった
本来ならあの様に軽く捻られる軍隊ではないのだがね…
例えば南晶攻略戦では四年式十五榴が72門出動して中国軍を生き埋めにしたとか
さながら空爆の様相を見せていたらしい 大岡昇平「レイテ戦記」で第一師団が馬450頭輸送船に積んで無事上陸、現地でトラック
120台配属されたとかある
馬はフィリピンの気候でことごとく斃死しただろうな
アメリカ西部や中央アジアや中東でも使ってるくらいだから、水ガブ飲みさせればなんとか使える
みたいだが、湿度に極端に弱いみたいね 人間の食べ物すらなく、食える動物があればどうなるかといえばねえ >>458
二線級の特設師団渡河作戦に不安感じて、これほど多くの砲集めたわけだが
砲弾威力もさることながらガス弾使った効果が大きかったそう
敵がガス弾炸裂で恐慌おこして潰走した模様
なんでも集積した何基数の砲弾半分もつかわず対岸陣地をほとんど無血占領みたいな
状況だったらしい いちおう十五榴の炸裂音は精神的な制圧効果も大きかったそうで、この世のものとは思えぬ凄惨さともある
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/05onketsu/O_05_339_1.pdf
みたいな事もあるから、半々ぐらいでねぇの(せめてそうであって欲しいという期待)
十五榴×72門+その他で計350門の火砲で2時間の急発射(短いが)
にしてもここまでの火力集中は当時ではかなりのものだろう
馬が熱帯気候で次々と斃れていく様な状態の日本軍一個軍はもはや軍隊というよりは軽武装した数万のジャングル・登山遭難者の群れみたいなもんで、本来の戦闘力を発揮できていない。
頻繁な機動を要さない狭い島嶼での善戦に反し、フィリピンやニューギニア、ビルマにおけるあまりの弱体さの裏にはこういった事情がある 訂正 重砲192門ね
修水河渡河作戦は日本軍の砲兵を語る上では沖縄戦やフィリピン攻略とともに一大イベントだよね
佐山本「日本陸軍の火砲 野戦重砲 騎砲 他」によれば、
昭和14年3月20日の中支修水河の渡河戦闘では
大小六十数中隊の砲兵および多数の迫撃砲を集め、
・攻撃正面8kmに対して194門、1kmあたり24門の火砲を集中
・動員された火砲は四一式山砲36門、改造三八式野砲66門、四年式十五糎榴弾砲72門、十四年式十糎加農16門、八九式十五糎加農4門
・弾薬は10基数を予定し、実際の使用弾数は3基数
一会戦での使用数が20基数だから半会戦分をここで撃つとかソンムの英軍みたいな第一次大戦型の火力戦闘のつもりだったんだろうね ここで毒ガス使った記述は少ないよね。もちろん戦時中は検閲対象だし。
この渡河作戦での使用はグランドパワー「日本陸軍の特種部隊」が商業誌でいちばん詳しいだろう。
第一次世界大戦から非道な兵器て印象が濃厚だからね。
日本も中華民国も毒ガス使用禁止条約なんて批准してなかったから非難されるいわれもないが。 フォロー手厚いな、な感じはする
反対事例でバターン半島では警備部隊の実力しかない65旅団とかその他もろもろ雑多な部隊に無茶ぶり
して緒戦そうそう全滅する部隊が続出したね。
それに懲りて重砲部隊を呼んで二次攻撃仕掛けるわけだが。
たしか序列でまー褒められた部隊ではない65旅団の下に第一砲兵団ではなかったか?
妙な戦闘序列と記憶してるが… >>464
戦間期の米軍は、毒ガスを人道的な兵器であるとして開発に積極的だったぞ。
人道的な根拠は廃疾率が低いから。
手足が飛んだりみたいに、残りの一生まともに生きられなくなる人率が低かったのだそうだ。 当時の毒ガスだと生き残る奴はだいたいピンピンしてるし死ぬ奴はサッサと死ぬからな シュコダの75mm山砲M1936みたいに、785kgでちと重いけど野砲並みに初速あって射程10kmで、しかも65度の高仰角取れる、野砲・榴弾砲との中間火砲って良かったと思うんだけど、日本には受け付けないかな
ソ連では自国製M1938の元にされるぐらい評価されたけど >>468
日本陸軍だと山砲は駄馬に載せるか、人力搬送で益畜技術なんて最低レベル
ラバか驢馬戦力化できれば小柄で力つよくて最適だったんだが
性能的に悪くないボフォースでさえ部品三分割にしかできなくて、個々パーツが重くて
ガ島やらで不評だった。蘭印から鹵獲砲もちこんで撃つことなくことごとく放棄とか
最大重量の砲身で100kg未満が屈強な山砲兵が担げる日本軍ギリセーフ値だよ
必ずしも射程や全体重量ではないね
全体コンプリートで軽く、射程そこそこ、パーツは細かく分割できて、かつ組んだ際の射撃精度のいい砲
これって設計難度きわめて高いはず そういや国共内戦で共産党軍が四一式だか九四式山砲を一個連(日本でいう中隊)に配備して全員で分解担送するってのを何かで見て、一個中隊につき山砲一門運用とかそりゃ国民党軍負けますわ、って思ったり あ、でも歩兵連隊単位で見ると
一個中隊1門なら一個連隊9門
日本は四一式×4門+大隊砲×2×3=10門
だから一個連隊につき配備される歩兵砲としてはおかしくないのか >>468
方向射界が狭くて高仰角長射程砲って使いみちが限られるんだよな あと、日本軍が戦う場所は未開地が多いからな。
小さい川にも大抵橋がかかっているヨーロッパみたいにはいかない。
幅数メートル以上の川に当たったら、車両や大型砲は渡二河に半端なく時間を取られる。
結果、人2〜3人と同じくらいの重さにまで分解できる山砲が重宝される。
ガ島でも一木支隊がラ式速射砲持ち込んでるけど、川越えられないので置き去りにした。 九四式山砲分解して兵隊が後ろ姿で部品背負ってる写真あるでしょ?
砲身担いでるやつ、160cm前後の当時の日本兵でおそらく身長180cm以上あるぞ
ルボン山だっけ?訓練用の土盛り
あれ、ひとりで砲身担いで踏破できるのひとりもいなかったはず >>473
昔の丸、ガダルカナル別冊でラ式に加え、一式47mm速射砲2門を海岸に埋めたという記述がある
おそらく最初の実戦投入だと思う(撃ってないけど) >>469
九四式は傑作砲だったんだよな
確か戦後中国軍生産型があるらしいし
>>470
歩兵砲なんだから歩兵全員で分かち合うべきというある意味で平等思想だね
戦闘で負傷者が生まれるたびに破棄する羽目になるけど
ところで九四式も四一式もほぼ砲身重量100kgだな
調べたところ九四式の方が砲身が一割長いが
薬室が伸びてるってのもあるんだろうが、どのみち自緊式法の導入で薄肉化に成功したのか
すると四一式だと更に軽量化の余地ありで、砲身がおそらく最大パーツだから、これが90kgとか何キロとかに軽くなるだけで、全備重量はそこまで大差無くても分解時の機動力は全然違うわけか
試製九七式歩兵連隊砲とか半端な出来だったらしいけど、曲射可能だけじゃなくて砲身重量軽減による分解時機動力の方を考えていたりするかもな ガダルカナル島の日本軍って四一式山砲らしきのを分解搬送してる写真が中学の日本史
に載ってたんだが検索ででてこない… 日本じゃないがこれはどうよ
https://youtu.be/hYKa01Q459c?t=202
ディエンビエンフーの戦いでスポーク転輪の旧式山砲を分解担送するベトミン軍 ごめん、たしか一式は海岸の砂浜で埋め、ラ式は引っ張ってった、だな
そのあと川で放棄か…
中公新書の児島さん「太平洋戦争」で熊大隊も奮戦、ラ式速射砲がM3軽戦車6輌中5輌擱座させたってのは、おそらく
誤りで、おそらく京都で編成、一木支隊に配属された独立速射砲部隊でなく、本隊の九四式速射砲の戦果だろう、とかかなり前スレであったな >>467
ヒトラーも毒ガスで目をやられ、入院中ドイツ敗戦の報を聞いて
さめざめと泣いたとか、水木しげるのマンガで読んだな 銀行問題業界ゴト潰レル?職員イル?
虐待死刑スタッフ以外ニグループマイナス経常ケタチガイ災熱湯薬害毒死多繋ガル看後死
100件以上介護保険税金ムダ泥棒マダ殺ッテマス100オツムオムツ借金漬ケ棺桶型国家
森友ノロウイルス焼肉嘔吐虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポ部死テルン盗難
郡大老害林本モヤシテa麻薬王振戦違反重々ヤットストレス足ダシ爆発公害山口炉ウドモヤンキーノ種死ネ世
https://anago.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1442312377/ 靖国神社の四一式山砲は最近いい感じに色塗りなおされたけど、防衛大学校にある四一式山砲や九四式山砲はどんどん朽ちていってる…
数年前までは健在だった車輪がどっちも完全に崩壊しちゃってるんだよな
あと何故かあるボ式山砲 あのボ式は蘭印で分捕ったオランダ軍仕様でもともとゴムタイヤなのか、大陸で鹵獲したもともと木製スポーク個体を戦後
履き替えたものなのかは気になるね
オリジナルでゴムタイヤなら緩衝装置があろうはず 公共保有だろうが、屋外で風雨に晒されまともに維持行為さえされずに放置されるくらいなら
たとえ秘蔵されても大事にしてくれるマニアに相応の金額で売った方が良い…
実際に「大きな無可動実銃」みたいなもんで旧軍実物火砲を個人保有してるマニアは国内にいるんだし ちなバブル前後の好景気のころに金にあかせてずいぶんヒストリカルな実物が日本に輸入されて、
のちオーナーの金回りが悪くなったり飽きて放置されたりでそれらが次々と再生不能な無残な姿に
以降海外のコレクターネットワークでは、日本人にゃ貴重品は何一つ売るな、が常識化したとか
まあ高温多湿の気候という大敵がデンと鎮座してもいるわけだが 湿度の少ない北海道で屋内保管で陽にあてない、空気の循環してれば保存状態かなりいい
骨董品やらクラシックカメラ、旧車とか
バイクは冬季ガレージ保管だからいいが、車は冬季走ると除雪剤の塩分でシャーシー下が
錆びる
信号、渋滞ゴーストップの少ない機関に負担のかからない環境だから、距離は10万km越えてても
機関の程度は首都圏のと雲泥の差
日本国内で当時ものの軍刀とか軍装品探すならあちらを探すといい
空襲の被害がほとんどなかったし、大部隊が駐屯してたから新品デッドストックがめずらしくなかったき
昔はたいして高くなかったし
首都圏や関西の業者が大量仕入れで高騰した
本州は湿気で革の痛みが激しいな北海道だと通常保管でカビなど生えない 九二式歩兵砲だけど、射撃精度が悪い件は誰かが、あんなに低初速の砲で70mmの細長い砲弾使ったら横弾になるとか考察してたなぁ
跳弾不発は砲弾の肩部から着地するから先端を丸めればいいんだろうけど
そういえば初速264m/sの三一式速射山砲や本家ドイツの7.5cm歩兵砲(初速210m/s)とかの75mm歩兵砲はお世辞にも高初速なんて呼べたもんじゃないけど、命中精度悪いなんて話は聞かないし
もしかして日本軍が口径75mmの歩兵砲を研究しだしたのって、70mm砲弾の飛翔性や信管まわりの構造に問題があったからなのかな? ttp://militarymementos.co.uk/WW2-German-7.5cm-I-G-R-18-HE-Shell
ドイツのも十分クソ長いし
当たり前だが膨大な数撃って制式になってるんだから、長いから駄目とかじゃないだろう
それと歩兵砲の榴弾は肩は大して出てないし、信管はクソ長いので、肩が信管より先に当たって跳ねることは比較的少ないデザインになってる
なのに跳ねるのは信管か信管と弾丸のねじ込み部が弱くて着弾時に破損するからじゃないかな >>488
曲射平射の切り替えでクランク式の車軸の位置かえるじゃない?
あの機構が射撃安定性に悪影響与えてた気がする…
低初速もあるし>>489のいうように砲弾と信管の設計も練れてなかった、等の複合原因もありえる 新品砲でも設計上安定性で褒められたもんでないし、日本軍は可搬性追及で軽量を奨励した。
大概同クラス砲で他国のより軽いんだから、まず強度を犠牲にしてるはず
使い込んだ中古砲だったら、いくらメンテナンスで補修してたって車軸クランク廻りガタでてるよ
。
クランクのロック機構やらが構造的に弱かったんでは? >>489
確か九二式榴弾の砲弾は、75mm砲弾と比べてだけど割と広角だった様な…
長さは迫撃砲と比べて、って事かね
或いは現代のライフルでも問題になるライフリングのツイストレートと砲弾の相性がうまくマッチング出来ていなかったとかも考えられるね
いかんせん、新しい口径だしね
あとロック機構の欠陥は考えてもなかった 口径が75mmなら砲弾ちがっても製造冶具やら多くが共用できて生産コスト低減メリット
大なはずなんだけどね
わずか5mm差の口径採用する意味がわからん ジグなんか流用しないからね
歩兵砲・弾薬の製造工程は、砲兵用のとは別なんだよ
予算も工場も何もかも別、手が空いてるから砲兵のも作ろうかって申出たら
出来るわけねえだろとバカにされたと名古屋工廠史にあるぐらいでな
下手に75mmにしたら、歩兵のくせに領分侵すつもりかって噛みつかれるぜ
何しろ41式山砲を歩兵に提供するときも「いざってときは返せよ、いじるなよ」ていうぐらいだしな そーゆーセクショナリズムは感心しないなぁ
ただでさえ乏しいリソース配分をさらに非効率にしてるわけだろ?
30年代なら>>494のいう状況だったかと思うが、造兵廠以外の民間なら、山砲と歩兵砲同時に製造してる工場あったはずだぜ たしか佐山本で工場内写真で山砲と歩兵砲同時に集積してるのがあったと思う… きょうは広島被爆の日で亡くなった方を悼むほかないが、呉上空でロンサム・レディ号
を撃墜したのはやはり艦載25mm機銃なのであろうか?
広島に移送中に被爆死亡の搭乗員とほかにパラシュート降下して別口で捕まって生存した
米兵もいるんだったか、NHKアーカイブスで観たな 山砲は独立歩兵大隊配備されてるんだよな
九二式や九七式曲射に加えて連隊砲2門が追加される
独歩大隊は定数1233名(この通り充足される事はまずない)で、一般師団の歩兵大隊の四個中隊より一個中隊多いのも関係してる筈 防盾以外で山砲から歩兵連隊砲になった四一式の差異ってどこなの?
なんか細かいところが違うらしいけど 昔は「一億人の昭和史」写真、キスカで放棄された四一式の防盾を妙な形と思ってたが
あれが山砲本来の姿なんだな
いまだと検索で連隊砲写真がずっとヒットするんでは 戦前に耕運機やトラクターを補助金つけて地主や青年学校に普及させて
戦時には牽引車として徴用するのではいけなかったのだろうか? >>501
それここか別のスレか忘れたけど同じような主張あったけどね・・
まず畑を[耕運機やトラクター]を使えるようにするのに時間と金がかかるんですわ
満州みたく大規模で最初から整備したならともかくね・・
実際戦後に「農地整備」に費やした時間と金は凄いもの
今や目にするのは整備終わった田畑ばっかだから実感しにくいんだけどね アメのような超大規模農場ならともかく、当時の日本のような小さくて形も複雑な農地の場合、下手に機械入れるより人の手でやった方が速いんじゃないか そもそも村の有志がお金を出し合って〜てのは有ったけど、実際に買えたのは石油発動機だから軍用に使えるトラクターはとても… 最低でも2〜4トンを牽引できなくちゃいかんわけだから、相当でっかいトラクターで、それこそ北海道か満州でもないと 当時だと手押しの耕運機が一番有り難がれそうだ
(今でも趣味の家庭農園で愛用されている様な)
耕地整理が出来ないとすると、田植え、稲刈りの省力化って何が有効なのだろう? 火砲の牽引手段確保政策としてはまだ牽引車より海外馬の大型種の方が辛うじてまともそう
どこで使うんだって感じ
そもそも九四式六輪自動貨車の民間型みたいに、優秀車輌は牽引車としても戦時に使われるからなぁ…
後二軸駆動の九四式六輪自動貨車はよく八八式高射砲を牽引したと(ハーフトラックにも出来るらしい)
だから民間型(スミダUH型六輪)は保護六輪とされたんだと >>507
そんなものはない。耕地整理するすかないし
そのためには農地改革をやらねばならない まぁ導入できるとしたらケッテンクラートクラスかな。
田畑から収穫した農作物を運ぶ目的で。
問題は日本が作るとどうなるかだが・・
焼き玉エンジンにすりゃ扱いやすそうだが、幅が広がると昔の農道じゃ厳しい >>510
その用途にはオート三輪が結構な数あったわけであるのだが 不整地走れて山砲ぐらい楽勝で牽引できる四輪駆動車が欲しい
ジープお前のことだよ 解決しなきゃいけない問題は山ほどあるが、まずは運転手の問題があるな
〇の中に自と書かれた招集令状が着た三好捷三氏は、以前入隊した連隊とまるっきり違うところを指定されていた
間違いじゃないかと思って行ったら自動車を運転できる人間を特別に集めたのだとわかったという
またフィリピンであったことだが、トラックを手に入れたがいいが中隊の中で運転できる人間がだれもいなくて使えなかった
自動車を運転できるというだけで特殊技能者だったというのをまず変えなきゃ
そのためには自動車の普及だし、そのためにはやっぱり経済発展だな 「特殊技能」ってなんで言われてるか理解してないと515みたいな感想になる
ハンドル握って操れるだけじゃ駄目なんだよ
当時はある程度整備士の技能も持ってなけりゃ「車の運転」なんか出来んのだ(特に日本製は)
ハンドル握って走らせる事は出来ます!だけじゃ貴重な自動車を速攻で放棄する嵌めになる
後・・ジープなんか「自動車大国」アメリカの象徴みたいなもんだ。
戦後に乗る機会があったり整備したりした人の感想は
「工業製品として別次元の域だった」ってもんばっか 農作物を農村から鉄道の通じている地方都市に運ぶのに、軽便鉄道を敷設するとか請願があったりして
あまり道路をあてにしていない傾向はあるなぁ 山砲。大隊砲、37ミリ砲や弾薬を前線に運ぶのに耕運機はちょうど良さそうだがなぁ >>516
国産のダットサンなんてとても遠乗りに使える信頼性でなかったらしいね
故障だらけで
軍のトラックも大阪シボレーや横浜フォードが軽くて馬力があり故障しにくく評判よく
日産や豊田配備された部隊は落胆したとか
戦後に進駐してきたアメリカのエンジニアも「まったく勝負にまりまセンかラ―、日本で
造ろうと思ワズ素直にアメリカの買ったほうがイイデース!」とか馬鹿にするわけでなく
実直に言われたとか
もっとも当時は国道でも舗装が都市部以外はきわめて稀、字ちがい酷道であったから、さらに条件が悪い デフの傘型歯車切削加工できる工作機械が限られた輸入したアメリカかドイツ製のしかなく、国産はほとんどダメ
だったとか
航空優先で資源と生産設備が大部分そっちに振られたせいもあるが、戦中の日本車両製造が
あまりに低調なのはそれもあった ニッサンは最初の80がウンコだったのも痛いんだよな
でも大戦初期だと日本で一番生産力があったのが日産なんでもう・・・という それは国産国産日の丸と叫んで、結果的に自動車産業をぶっ潰した陸軍が悪い 戦後に豊田が世界の自動車を支配したのはなんというか…皮肉なもんだな >>522
でもアレ、たしかアメ車のライセンス製造のはず
グラハムだったか
かの国ではデリバリーサービスで多く使われた車両だったらしい
日本でも三越だかで使ってたと「横浜製フォード大阪製シボレー」て本にあるよ
持っててよく読んでないけど >>525
そうだよ、アメ車そのもの
工作機械もラインも全部アメリカから導入して、アメリカ人技術者の指導で製造開始
だけど当時の普通のシャシのままセミキャブオーバーにしたのが祟って
前車軸に負荷がかかり、悪路とあわさって前サスがボキボキ折れる
更に前が重すぎて走破性が悪い(後輪にトラクションがかかりにくい)
前輪を地雷に引っ掛けると運転席も吹っ飛ぶ
キャブオーバーなのでエンジンの整備性がクソ悪い(不調になりやすい
まあ国産トラックの中でも一番評判が悪かったのが日産80なのじゃ
だから普通のボンネット型に改めた180型が登場し、こっちは手直ししながら戦後も10年近く作られてる
グラハムが悪いんじゃなく、流行りだからと安易にキャブオーバー型を選択してしまった
日本側の自動車に対する理解力のなさが原因と考えるべきだろうね >>520
九四式六輪自動貨車甲/乙
九七式四輪自動貨車 80型はトレッドが長いことも問題視されたらしいぬ
https://www.jsae.or.jp/~dat1/interview/interview8.pdf 砲兵トラクターなんて
流石に日本軍だって持っていただろw
全部で3,069輌しか生産できんかったが
九八式六屯牽引車 ロケとか
重砲用のもある だが戦争後期になると、ディーゼル搭載の日産の乙型が好まれるようになる。
燃料が手に入りやすかったので。
松根油適正も高かったそうだ。 山砲を馬と人間で運ぶのが一番日本に合ってたんだろうな
馬二頭で引けるし、分解も出来る
トラクターは重砲兵に必須という認識だろうね >>520
軍の制式トラックは頑丈なんだが、エンジン出力のわりにかなり重いんだよ
出力重量比で民生用フォードやシボレーがずっと高い
おなじ兵站路で制式が二往復するところをアメ車は三往復とかできて燃料消費もすくない
仮におなじ時間、台数で輸送の実績がそれだけ変わって、上層の覚えもちがってくるんだから
当然部隊としてはフォード、シボレー使いたくなるよね 日本のはなんでも電装が駄目だからね。乾燥してる北支ならいいんだけど
多湿の南部になると電装原因の故障がでまくる がダル上陸一波の米軍が、まだ資材も装備も十分じゃなくて日本の設営隊から分捕った
トラックを使ってるけど、意外と高評価なんだよな。
本家のフォードと遜色ないと評価している。
不自由な時に役立った道具だから、評価甘めなのかもしれんけど。 >>535
ガ島艦砲射撃でタイヤ焼け落ちた設営隊トラック写真があるけど、キャブや荷台にかなり派手な迷彩塗装
してるよね
陸軍がチハに施してたみたいな海軍らしからくない
戦車や火砲ならともかく当時はトラックではけっこうめずらしい例だと思う 日本フォードはノックダウン生産だけしか国が認めなかったのが敗因
国内メーカー保護の法律が逆に足枷になっていた
ドイツ・ソ連みたいに
生産設備込々で、工場毎作らせて
戦争が始まったら、国内の工場接取が正解だった
ドイツもトラックのほとんどはフォード・GM製
ソ連なんかトラック・トラクターまでフォードがメインで
この一連のソ連でのライセンス生産をしてたのが、GAZで
戦中はシボレートラックやジープまで作ってた 所詮、日本は近代化に失敗した下流国家
素直に独立を返上して植民地になっておけばよかったのに >>532
具体的には?
軍用六輪の傑作として知られ戦後自衛隊もしばらく使うGMC CCKW(所謂2 1/2 トンの代名詞)は1941年から主に出回るけど
九四式は68hpだけど、第1種積載2.5トン、第2種積載1.5トンとあるけど、民間型は4トンの積載量だね
流石にオフロード2.5トン、舗装路4トンの↑には見劣りは否めないけど
そもそも時代が違う事を考慮すれば著しく劣るものなのかな?
取り敢えず性能が良いという評判しか、米製トラックの34年時点でのモノの具体的なスペックを俺が知らんのだけど >>537
大正末期から商工省がライセンス生産を求めてたのにフォードが日本じゃ無理とノックダウンしか認めなかったんだよ
その流れがあるから軍がもう我慢出来ないと締め出しを決定するわけで
そして外車締め出しを決めたら工場作るからライセンス生産するからとフォードが言い出したの
なお工場や下請も含めた一切合切の移植構築は日産がやって、素材生産は米国から人を雇って指導させてる
あのタイミングでフォードが生産に着手したとしても、史実の日産のそれと大差ないのな
結局時間が足りなさすぎるんだよ >>539
33〜35年ごろの小型トラック(1〜2トン商用)だと
シボレーが6気筒70〜79馬力、フォードが8気筒85馬力
もちろんもっと大きいモデルもあるが、まあ大体エンジンはこのぐらい。
毎年競争で馬力上がってるので5年後だと100馬力ぐらいになる
なお南方軍の通達に94式6輪はカタログ馬力発生回転数まで回すとエンジンが死ぬので回転数制限しろってある
当時の自動車技術の差は結構深刻なのは、戦後の自動車レースとかでもわかるでしょ? つまるところ
何もかも日中戦争が悪いでカタがつくのかねぇ… >>537
ドイツはフォードのおっさんがめいいっぱい好意的だったのが大きい。
あの人ガチの反ユダヤ主義者で、ドイツフォードの売り上げを
そっくりナチスに寄付するような人だから。
工場や技術の移転にも好意的だった。 このスレで話題だったから、九四式六輪自動貨車の同人誌買っちゃったよ
でもこの流れについて行ける知識は無いようだ… >>541
フォードはデカいエンジン積んでる分パワーに余裕があるのか
九四式はなまじ劣る出力だったから無理に全力運転続けたりしたんだろうか(虎でも似たような話が多い) >>543
失業者の雇用対策でアウトバーン建設で重機使用最小限でほぼ人力で達成したらしいのね
計画はともかく現場は当時の水準でも、およそ正気の沙汰プロジェクトでなかったらしい
まぁ鬼畜デタラメ作家の平山夢明が精神科医春日との対談本で内容が眉唾であるんだけど…
フォードがヒトラー評して「あいつは狂ってる、けどなんか違う…」とか
実行力のある基地外ってことか?
フォードがナチスに多大な献金してたのは事実 平山夢明は保土ヶ谷バイパスを手掘りで完成させるようなもん、とか書いてた >>541
エンジンのポイント性能で追い付くのが1980年代半ばでエンジン全体で見て1990年前後かね。
シャシー性能に至ってはもうね… フォードは日本でも、一貫生産する工場つくる、部品メーカーも全部指導するといって
その計画もできてたが、その計画が実行されるのを防ぐために、日本が法律つくった
アメリカ政府が妨害したならわかるんだが、日本がなんだよね
その後も、豊田と提携して豊田の人間アメリカに呼んで、エンジンのコア技術から
なにから全部教えるとこれまたすごい破格の条件出したけどこれも軍の横やりで白紙
戦前の自動車行政ってなにやりたいのか理解に苦しむ >>548
それはいくらなんでも日本の技術を過少評価しすぎ
戦前戦中、戦後しばらくはアメリカにくらべ技術的にクソだったかもしれんが、
70年代から価格と品質、性能で二輪四輪輸出で日本車は世界市場を席捲してる
オイル・ショックで低燃費でアメリカの厳しい排ガス規制クリアして高性能の
ホンダ シビックやら米メーカーが分解調査してみて、設計思想の進歩ぶりや加工
技術の高さに驚嘆してるよ 1969年のホンダCB750 738t68㏋
1972年カワサキZ1 903cc82㏋やら当時世界最先端の技術で最高出力、最高速誇ったわけだが
それで信頼性耐久性が半端ない
世界中で爆発的に売れたのはむべなるかな >>544
きょうのコミケ行ったの?人混みヤだから、おれは御免だけど
クソ暑いし
軍モノ同人誌は神保町の書泉グランデでも買えるよ >>549
1931年以降と以前で情勢が違うのな
商工省と軍が協同で標準車を作り、国産自動車を育成していこうとなるのがこの時期
有事に自動車製造ができないと困るから、ノックダウンや部品下請は駄目で、完成車が作れることが条件だった
33年に日産が提出したGMとの協業計画は部品の下請から初めて、完全国産自動車は20年後という計画で、勿論却下された
日本は3万台の市場に国産が500台とか1000台で(国が必死で金入れてこれである)
まずは国産車に万の市場を与えて、何とか自動車会社が成立する状況にすることが先決で
性能や価格面で優れてる外国車を廃除する必要があったのよ
だからアメリカ車の製造工場が進出するというのは30年代日本にしたら侵略されるのと同じことで
そりゃアメリカ政府は邪魔しないけど日本政府は邪魔するという >>553
その時代、自動車の製造ノウハウってアメリカの自動車会社しかないのよ
ドイツ、イギリス、ソ連とみんなフォードの指導うけて立ち上げた
フォードの支配人は、日本人は法律さえあれば自動車ができるとおもってるようだが
できるわけねえだろと捨てセリフ吐いたし、実際その通りだった。
だから戦後どこも指導仰いだわけで。
ドイツやソ連みたいに工場進出させて戦争になったら工場ごとぱくってもいいし、
それ以外の部品工業のすそ野もフォードの金で
やってくれるという損得を考えればどうみても得のほうが大きいのだが
高度国防国家とかいう理念だけで現実見てないなと思う 戦前日本が自動車の国産化にこだわったのは、当時莫大な額に上っていた
対米貿易赤字の縮小目的もある。
軍の介入ばっかり言われるが、大蔵省や商工省もかなり強く国産化を推進している。
なので予算がいっぱい付いた。 >>554
フォードの指導受けたのは量産化であって、車作り自体は
ダイムラー・モトローレンや、ルノーの方が古い。 >>550
>>541でレースを例に上げてたから。
トップカテゴリーで結果出せるようになったのがそれぐらい。
F1とかプロトのことね。 日本に似た状況だった戦前イタリアでフィアット500トポリーノなんて傑作車が造られてる
超小型車でありながら最高の技術成果のやつ
小粒だけどきびきび走る様子がトポリーノ(ハツカネズミ)の渾名由来
実際、可愛らしいデザインだしねフランスでライセンス生産されてシムカ
タミヤから模型で出てる
同時期のダットサンと比べると洗練度が段違いだ… イタリア製品は、昔からデザインは秀逸だよな。
デザインは……。 >>559
いや、メカニズム的にも当時のブレイクスルーだったとか
現代でも大排気量の高性能車より小排気量の高性能のほうが、技術難易度がずっと
高い
ここんところの戦前クルマ話題だが、二玄社の「世界の自動車」シリーズがいいよ
初版が1970年とかで古本で数百円程度で買える
おれはフォード、オペル、ベンツ、フィアットとか持ってて、もっと揃えたい 戦前の日本の自動貨車生産台数は民間合わせてトータル40万台で
実はソ連に送られたレンドリースのトラックに数だけなら良い勝負というね
質という面では欧米に対し二流だが、ロクでもないほどでもないまでには改善されている
むしろ、例えば大陸打通戦では12000輌の自動貨車が動員されたりと、燃料の方はどうなんだというぐらいでなぁ
それでも最前線を突破する第11軍は、中国軍の籠る内陸部に進撃したが、車が入っていけない様な所だからとひたすら山道を越えて徒歩進軍…とね
トラックは植生や気候からして熱帯地方に限り
馬の方を大量に飼育した方がいい
タネはなんとか揃えられない事はない
戦前の日本に必要だったのはそういう大量飼育ノウハウを持つ業者と史実以上の化学肥料を賄える化学工業ではないかと思う
第一次大戦は日本の年産の砲弾を一ヶ月で浪費する様な、スマートな機甲戦というより砲兵火力の戦いであったが、馬の飼育において勝る各国はその補給において(自動車もあるが)主力は馬匹でなんとか成り立っている 一次大戦(西部戦線)は塹壕のすぐ後ろまで鉄道が来てたから補給はまだしやすかったけど、
二次大戦の東部戦線は、ドイツ軍ですら後方における輸送の主力が馬車だもんな。
バルバロッサ作戦に投入されたのは、将兵300万人に戦車装甲車等3500台、7000門の火砲に
1800機の航空機。60万台の自動車と、75万頭の軍馬だった。 コストパフォーマンスという面ではむしろ馬の餌代の方がバカにならない時代だったから、コスパの良い自動車化は日本もトレンドだった、それは方向性としては間違いない
しかし実態として工業力上の問題があるのもまた現実
金を取るか実を取るかどうかという話である
馬は草食動物といっても、激しい運動量をこなすので人間以上に穀物系(炭水化物)を食ってないとやっていけないからな
農業国が必ずしも工業国に侵略占領されず存続し続けたのはひとえに兵站の強さ、馬の力のなせた結果だし
馬の餌はある意味ガソリンにも相当する >>554
1920年ならその理屈は通じるが
30年になってもノックダウンのままで、ノックダウン工場接収してどうするんだよって話で
ライセンス生産を10年間蹴り続けてきたからね
しかも製造事業に関する各社各省庁の会合が始まるのは1933年で、自動車製造法の時間切れは38年
フォードは5年間何やってたんだ?
接収すれば良いというなら、それこそさっさと進出すれば良いのにしてないんだぜ
この間に書類しか無かったトヨタや日産は曲がりなりにも数千から万規模の完成車を送り出すまでになった
同じことはフォードだって出来たのに、彼等はしなかったのさ
1945年になっても27年式40馬力を作り続けてるのがソ連フォードの実態
そりゃインターナショナルのトラックを絶賛するよなあというw
夢みたいな話は夢の中にしか無いのである いや、明治維新以降人口が倍増し国内で米の自給量は辛うじてペイしてたが、貧民は国産米
喰えず安くてまずい南京米を主食にしてた国だぜ?
口減らしで遊郭に娘を身売りやら、満州やブラジルに次男以下移民させてたくらい
人間がまともに喰ってくのに大変なんだから馬の頭数と飼葉増産もたやすいことでないよ
いざ、支那事変勃発して必要とかられても、おいおい駒補充できるもんかい! >>565
米の自給はペイしてないし、身売りや移民は昭和恐慌以降の事。
トドメになったのが世界恐慌。 そこらへんは工業傾斜方針の違いだと思う
工業において日本は造船や鉄道、そして昭和以降のトレンドとして自動車や航空機などの重工業化路線を取った
化学工業において十年単位で出遅れた感は否めないのではないかと思う
もちろん戦前の化学肥料史はちゃんと存在する
完全有機栽培の作物は現代でこそステータスで拘りはあるが、俺が当時に生きていれば何であろうと口に入れただろう
これもまた化学工業化の遅れによるものであるからな
重工業・兵器産業への傾斜を見直して、もうちょっと適当なバランスはあったのかどうか、など興味深いと思う >>562
二次世界大戦もドイツの輸送メインは
基本鉄道だよ
石炭だけはよく取れるから燃料には困らん
鉄道で近場まで運んでからは
馬とかになるけど
あと、オペルブリッツとかのトラックは
日本より遥かに多くが生産され使用されている 生産量的にはペイしてた。貧民の口に入らなかっただけでね。輸出してたくらい。
ウクライナの飢餓輸出みたいなもんかな
それで安い大量の外米を輸入してた。
ペイしなくなるのは支那事変後だよ
農村の働き手がどんどん招集されて、化学肥料つくってる会社が軍需生産に転化されるように
肥料入手がむずかしくなったから あ、開国以来一貫して主力はあくまでも農業・軽工業なのは事実なんだけど、大正、そして昭和以降の「新規予算配分」の話ね
概して、大きな事を始める時に予算は動く
エネルギー問題然りだ
その方が予算を取りやすいからな…
日本が化学工業拡張路線を主に革新期を迎えた日露-WW1以後から本格的に取っていたら、日本にはいくつも化学工場が立ち並ぶ風景が見られたかもしれない
それこそ自動車工業化よりも個人的に面白いのではないかと思う >>565
基本唐人の馬は
トラクター代わりの農耕用だから
馬の餌とかはまた別の話だ
何処の国も農耕馬とかを国が記録していて
戦争が始まると、人間と一緒で赤紙が来る感じ >>564
えーと事実誤認が激しすぎて正直相手する価値があるかどうか疑わしいが
1930年代初めにフォードが部品から一貫製造の向上計画を立てる
これに危機感を抱いた日本が自動車製造法の制定を急ぐ
ノックダウン工場接収してどうするって、ノックダウン工場じゃない
新工場設立しようという段階でつぶしたの日本
1934年に横浜の土地を買収、日本政府に設立の許可を提出したが許可が下りなかった
5年間なにやってたかというと日本企業と提携してOEMという形で生産続行だが
豊田、フォード、GM日産の合弁会社設立までは来て陸軍省整備局は賛成し設立を許可したが
陸軍の他部門からの横やりがはいってこれもなしに
彼らはしなかったってなにに基づいて言ってるんだ? >>564
GAZ-AAは
正確には
1938年から50馬力にパワーアップした
GAZ-MMに切り替わってるでw >>568
でもな、東部戦線はソ連の線路が広軌で規格違うし、パルチザンが邪魔しよるから、
鉄道輸送はかどらんのよ。
ソ連はそんなに鉄道網が密でもないし。
>>569
日本国内の基準によるけど、朝鮮台湾を除いた内地ではペイしてないよ。
昭和一桁時代の米の生産量は、内地に限るとおよそ6000万石。
人口7000万人の消費量には全然足りない。
昭和10年実績で、朝鮮から900万石、台湾から360万石入れてるので、
それでやっとトントンか、ちょっと足りないくらい。
高級米を輸出して安い米を買うのは、嵩を増やすためだからな。 第一次大戦の英軍とかまさに「火力!火力!火力!」な感じだけど
工業国のイギリスでも馬頼りだったんだよね
「戦火の馬」を見ると、英独軍ともに馬は貴重、そして消耗品でもあったんだなと
ちなみに第二次大戦で戦没した日本の軍馬は100万頭にものぼるらしく、軍人の戦死者230万人の半分弱にもなるという…
関特演では13万頭の馬を動員で当時陸軍史上最大級というが、馬というのは種付けしてから一年弱で出産、3歳になるで4年かかるとしてとてもじゃないが戦時に応急で揃えられるものではないな
やはり現地から失敬したりしたのかね? 競走馬は二歳デビューだから、もうちょっと速いのでは? ほらやっぱり日本は、近代文明や科学技術を全く理解できなかった劣等国家だったんだな >>575
そういう例もなかったわけではないが、それで賄えるはずもなく日本にいた馬は根こそぎ動員された
そんなもんで昭和20年の機動師団の連隊長は、応召の老人の大佐が、老馬にまたがるという >>572
商工省標準車に着手した後に言い出したら、まあ大体にして排除ていうか厳しい対応にならざるを得ないっしょ
そしてグラハム・ペイジは工場とライセンスまるごと日産に売る形で事実上の日本進出と国産化を達成した
まあグラハム自体には何も得るものはないんだけど
言い方を変えると
フォードは日本の軍や商工省を説得しきれるだけの条件を提示できなくてグラハムペイジに日本進出競争で負けたんだ
日本はちゃんと米国現役自動車メーカーの設備と技術を導入することに成功してるんだよ
それが戦後には消えちゃったフォードに劣るものだったとしても、まあそれなりのもんをまるごとゲットしてて
この自動車製造法では日本側は別に損をしてない、うまいことやったなと言えるぐらいじゃないかな
>>573
MMで馬力上がったのね、サンクス >>579
いやまったくできてない。自動車工業のキモは膨大な部品産業のすそ野で、
日本はこれがまったくなっていなかった。
一例をあげれば、日本には戦前ショットピーニングの技法そのものが知られておらず
エンジンのスプリング、サスペンション等が劣っていた
自動車製造工場の設備だけ手に入れたからでは根本が手に入れてない
フォードの金で、それをやってくれるという大チャンスをぶん投げた大損だよ
こんなことやるなんてはっきり言えば破格の条件で、
商工省と軍がとにかく国産教にとりつかれていただけだ 五年後に国を挙げての総力戦すると知ってたならともかく、知らなかったなら
国産にこだわるのは大いに理解できる話ではある。
フォードやGMに工場作られたら、当時の日本メーカーなんて対抗できるわけないからね。
貿易赤字解消と言う意味でも。 いや〜むずかしいことはよくわかんないのですけど
昔、祖父に聞いたところでは、戦前のトラックの評判が悪かった
(スピードも出なかったのではないか?)のでは
との質問に早期にはそうだったかもしれないが、後期にはそう悪くもなかった
との答え。どのくらいとの質問に100キロくらいとの答えでしたよ。
運転免許については根本博軍司令官名で運転免許状を交付されていたし
記憶では昭和18年の応召ですから、100キロくらいというのは実体験と思います。
ここからわかるのは少なくとも→軍で運転免許取得制度をもっていたということ
→北支で100キロ近くを出す環境があったということ
→100キロ→舗装またはそれに準じた整備が
されていたということ 書き忘れました
→100キロを出せる信頼性を持っていたこと 性能、信頼性、扱いやすさ序列でいうと
フォード、シボレー>制式(九四式六輪など)>豊田、日産やら制式でないもの…になるんで
ないかと
もちろん、メーカー別というより車種によって出来がちがうだろうし、時代経るにしたがって
国産品質もボトムアップしてると思いたいが、却って省力化と材質低下で品質がかなり落ちてるんでないか?
ヘッドライトが一個とか情けないし
ドイツもそうだけど木製の角ばった省力キャブは恰好わるいぞ
フォードの定評は熱河作戦の実績で喧伝されたけど、シボレーはならび評されるけどそれほど有名では
ないよね… 戦前戦中のトラック蘊蓄はやはり五十嵐平達さんの記事が古典かねぇ
模型誌、車誌、ミリタリー誌で研究成果を発表されておられた
NHK番組「ドキュメント昭和」の書籍化「アメリカ車上陸を阻止せよ」とかもある
インターネット発達した現在だと、もっと精度の高い内容がままあるが
むかしの古本読むと内容の錯誤ふくめて、いとをかしなんだな 追記 高橋昇さんの「日本の戦車と軍用車両」も労作と思う
熱河作戦でのフォードトラック活躍エピソードがでてくる
>>539
国産車とフォード、シボレーの性能対応表がある
エンジン出力と積載能力の簡単なものだが >>564
ドイツ軍は大戦初期以外、ほとんど1938年式の剣道面タイプ(日本軍も多用)以降のフォード
使ってんだから露助馬鹿にするよな「こいつら10年前のモデル使ってやがるwww」って
「スタインベック「怒りの葡萄」仕様だッ!」と感銘うける映画好きドイツ兵も稀にいたかも
しれんが… >>580
しかし、フォードは本気で日本に工場作る気あったんかね?
世界恐慌のせいで、1930年に3000万ドル、31年に7000万ドルも
最終赤字叩き出してるのに。
昭和6年の1ドル2円換算だと、2億円相当。戦艦大和の建造費が1.3億円。 トヨタAA型
エンジンはシボレーのコピー
シャーシはフォードのコピー
ボディはクライスラーのコピー
こんなもん、準国産に拘るのはバカ
あと直6は当時GMがトップでシボレーを元にするのは確かに正解なんだが
(フォードはこの当時、直6をすっ飛ばしてV8をいきなり作る、所謂アーリー・フォードV8)
直6は長いシャフトの剛性が必要で、二流メーカーのは剛性不足でポキポキ折れて耐久性が無い
当時のヨタのようなデッドコピーエンジンはシャフト剛性不足で
エンジン寿命が短いし、高負荷をかけるのは非常に危険
独自開発するだけ無駄の塊 >>588
この当時のフォードは
古い直4からV8への転換期で
古い直4の生産設備を売りたがっていたのは確か
ソ連が買ったのも古い直4の生産設備
生産設備を売れば現金も入る
あと、軍艦と違って生産設備はその後利益を生むからね
今でもスズキとかが同じことをやっている
日本で生産が終わった古いアルトの生産設備をインドに持って行って
生産しとる、車業界ではよくやっている手
フォードのラインを買う場合一番デカいのは
生産技術と品質管理を体系だって学べる事で
これはWW2中日本だけが唯一持っていなかった部分 >>590
売るんじゃなくて自社工場を作る計画だったんだろ?
生産設備が利益を生むのはちゃんと動いたらの話で、不景気で車売れなくなって
ラインが止まったら利益どころか赤字出すぞ。だから赤字なんだし。
設備の維持費って存外金がかかる。 >>591
日本は世界恐慌からいち早く立ち直り、満州事変以降好景気にわいて
主に軍需だが、車両需要も増えてたので本格的に進出してそれに食い込めれば金になるという
判断はなにもおかしくない。 >>592
それなんだけどさ。
世界恐慌っていわば市場の喪失な訳で、二次大戦の遠因にもなったブロック経済圏って
いわば市場の囲い込みな訳じゃん。
だったらなおさら、日本としては他国の企業に需用を食われたくないと思うもんじゃないの?
わざわざ満州事変案で起こして円ブロック圏の確保に走ってるわけだし。 >>593
だからこその現地生産拡充なわけよ。税収は日本政府にはいるし
なにより膨大な人数の日本人の雇用が生まれる。
イギリス、ドイツ、ソ連とアメリカを締め出した国々も
現地生産拡充しますは税収と雇用を生むから歓迎したので、日本もそうだろうと考えるさ >>594
世界恐慌で失われたのは消費・重要な訳で、ブロック経済圏はそれの奪い合いでしょ?
外資入れるの歓迎したのなんて、ソ連だけじゃないか?
あそこは計画経済で世界恐慌の外側にいたので。 >>595
イギリスにはイギリス最大の自動車工場たる
フォードの工場があって、そこから生産される自動車が
イギリスの市場を占めてたし、ドイツにはオペルを子会社にしてGMが進出してる
どこの企業かではなく、どこで作ってどこに金落とすかを重視してるのよ >>596
えー、世界恐慌期には英国もロールスやらローバーやらモーリスやらレイランドやらフォーデン保護してるべ。
元々生産過剰で需要が不足してるのに、外資の生産推奨するはずがない。
需用の枠が限られたものであるなら、どこの会社が作ったって同じだけの雇用な訳で、ならばできるだけ
自国企業のほうが良いに決まっている。
オタワ会議の決定を遵守するなら、イギリスの企業が車用に輸入するゴムにかかる関税と、
フォードが輸入するゴムにかかる関税は大きく違ってくる。 >>597
その恐慌期の1932年、ダーナムで生産されたフォードのモデルYが発売され
英国内で£120という安価で販売され1933年には3万台以上を売る大ヒット作になり
最盛期はイギリスの市場の4割を占めた。 >>597
またフォードモデルCはライバルのルーツ自動車のヒルマンミンクスが£159
だったのに対し£135と安い。このように外資の生産推奨するはずがないなんてことはない >>598
えー、1932年の英国の乗用車生産台数は17万台なのに、年3万台売って四割?
ちなみにイギリスは世界最大のブロック経済圏を構築できた国なので、一番国内産業の保護に成功した国でもある。
大恐慌前の1929年と32年比の乗用車生産台数で、
アメリカ 460万→110万
イギリス 18万→17万
フランス 21万→14万
ドイツ 12万→4万
イタリア 5万→3万
日本は1000の桁で四捨五入すると0万→0万である意味一番無敵とも言える(言えない) >>600
1933年の数字だもの。初期だけ売れて終わりなんてわけじゃないしな >>601
「最盛期はイギリスの市場の4割を占めた」って言うけど、その最盛期っていつ?
そしてその四割は、その年の販売台数? それとも保有台数に占めるシェア? 1936年から自動車製造事業法でバリバリ国産優遇した日本でさえ、
1937年は国産1.8万台に対して、輸入車と輸入組立車が3.2万台。
38年になっても2.4万台対2.1万台だしなぁ。
四割はアメ車が占めている。 >>593
ブロック経済圏がわかってねぇな
当時は不換紙幣で
国同士で適当にお金を刷りまくっていて
コンピューターの無い時代でそんな事やったから
交換レートが弾き出せなくなっただけだよ
だから外国から大事な物を購入する場合
ゴールドとかしか無理になっただけだ
こういう時、生産設備はゴールドと同じ働きをするし
車も同じだ
車も生産設備も輸出入はゴールドで取引になる
車の輸入が減れば、国のゴールド輸出は防げるし
車を輸出できればゴールドが手に入る >>602
Ford UKのHPによると1937年
1937 – At it's peak the Model Y captured 41% of its market sector. >>597
イギリス・フォードはトラクターも作ってるから
食料生産にもかなり貢献してるんだよ
しかもこの後、戦争が始まったら360,000台の各種車両と
34,000基のロールス・ロイス マーリンエンジンを生産したから、とんでもない貢献をする事になる
マーリンエンジンは週400基生産と言われ、これは元のロールス・ロイスの月単位の生産に匹敵するとか
しかも品質は本家ロールス以上の仕上がりで
この辺の生産お化けは、やはり車メーカーならでは >>604
日英が金本位制やめたの1931年だし。
アメリカは1933年で、世界恐慌のせいでだろ。
フランスは1936年まで粘った。 >>605
どっちかわからないけど、出荷に占める割合と仮定して。
1937年のイギリスの乗用車生産は39万台。
これの41%と言うと、16万台だ。
イギリスにおけるフォードY型の生産数は、1932年〜37年でダーナム工場とコーク工場計で16万台。
これ累計を一年に盛ってるよね? やっぱ高校、大学で乗馬部を補助金で支援するとか
主要観光地の巡回路線を馬車にするとかして馬に接する機会を増やすのが
豊かな国のあり方じゃないかな
タイの象に乗るアトラクションとか人気あるし、馬に接するのは情操教育に良いと思う 日本の馬術界ってどんなもんやろ
秋山好古と西竹一のお二方しか知らんわ 航空関係はグライダー部とか作って普及を図ってたな。
馬は……一部田舎だと家にいた勢もそこそこいた時代ではあるけど……。 家で馬飼ってた人は優先的に砲兵とか輜重、歩兵でも歩兵砲隊に回されるとかあったのかね?
シャバで土方だった人は優先的に工兵に回されたそうだけど。そのせいで工兵は気が荒いといわれていた。 自動車運転技術、料理人、医療薬学関係者辺りは入営前の職業が考慮された話を聞くけど
馬の扱いはどうだろうなぁ
20歳徴兵じゃなくて戦時の召集は社会人経験ある人多いから、色々考慮されたり
考慮されなくて不満覚えた回想記があったりするな 川と海でヨット部、ボート部を支援
現代日本がイマイチ幸福感や一流国としての豊かさが感じられないのは
アンティークな工業品の趣味、乗馬、ヨット辺りが弱いからかな
米国のクラッシック機やスポーツフィッシング、ヨット、カヌー、エクストリームスポーツとかアウトドアの多彩な趣味が裏山 戦中、早稲田に野砲班なるものあったごとく、大学に砲術部でも助成金でつくればいいんだよ!
夏休みに陸自に体験入隊とかな(笑)
ストレス発散で155mmぶっぱなしたくて勤め人の有志も殺到しそうだ
下っ端は当然撃たせてなんかもらえない。ひたすら砲弾を人力搬送と砲弾磨き、煙突掃除人よろしく
砲腔清掃だ
精神と肉体を鍛えたのを万人に認められて修了証が与えられる
資格ゲットのセレモニーは発砲時、紅白に綯った拉縄をひいて、さめざめと感涙に咽ぶつー
寸法だ >>607
幾らなんでもブロック経済知らなさ過ぎ
1929年から、通貨切り下げ競争が起きて
結果として金本位を維持できなくなったんだよ
何で金本位できなくなったかちょっとは考えろ >>600
そもそもイギリス フォードは国内生産だし
あと、フォードYってのはイギリスの馬力規制税制に合わせた
小型車で
当時の主力A型やB型の直4の3.3 Lでは大きすぎたので
1Lの直4にまで下げたもので
日本で言えば、フォードが軽自動車作って売った的なモデル
一つ上の1.2LのモデルCすらイギリスでは今一売れなかった >>616
むしろ最後まで金本位引っ張ったフランス・オランダ・ベルギーの一群は
ゴールドブロックって言われていたけどな。 >>617
むしろ工場名まで出てるのになんで国内生産じゃないと思ったの?
そもそも当時イギリスで販売台数的に主力だったのは小型車だからな。
29万台を売ったオースチン7なんて0.75Lだぞ。 >>608
日本なんか戦前でマックス合計10万両くらいしか車両作れん勝った
戦争計画の失敗は鉄鋼生産増強ー自動車製造増やすとかの措置が
海軍建設より後回しにされた。これが敗因
馬鹿海軍が暴れて軍拡するからアメリカに警戒されて競争不利になる
開戦や衝突が不可避なのはりかいできるが、海軍のミスが不利な驚異論と警戒包囲網を大きく誘発しつつ
工業近代化を事実上遅滞させてしまった
これ多大なミスなんだよな。海軍は幼稚に派閥×軍産複合体主義に走って結果ミスリードになった
もっと自動車×弾丸×製鉄にリソースさいてほしかった。 日本の自動車生産が少ないのはエンジンの供給が少ないからで、それは航空機と
被るからでもあるからなぁ。
鉄の問題じゃない気がする。鉄なんて輸送船一隻作るのやめたら何千トン単位で浮くんだし。 NHKでノモンハンやってるが当時の映像あったんだな。 俺も今見終わった。
しかし関東軍参謀連中や小松原師団長の稚拙な指揮はまだしも、対戦車戦闘において20mm自動砲が更なる集中配備されていれば歩兵の肉薄攻撃をゼロにして損害を千名減らす事も可能だったろう…
九x式徹甲弾の時代は破甲榴弾並みに炸薬が入っているものが多く、その時点での九四式速射砲の貫徹力は実は自動砲と大差ないため対戦車戦闘においては下位互換に過ぎなかった
後に一式徹甲弾で巻き返すが せやろか?
20ミリ自動砲が集中配備されていたら、壊滅が数日伸びただけで損害は変わらんのではあるまいか? 20mmって徹甲弾でBTの正面装甲抜けたっけ?
歩兵相手には牛刀をもって鶏を割くの類で、しかも破片威力には期待できんから、まあ中途半端よね
もそっと大口径の対戦車砲と92重機の充足をってことになると思うがねえ 自動車にリソース割きたくても
何十万台も保有するには国内産業と国内市場が必要だし
短期的には鉄道とかち合うんで、これまた政治や製鉄とぶつかるし
モータリゼーション化は国内土木産業ともぶつかるし、これまた人が余ってるから機械化とぶつかるしで
まあ一気にいろいろ塗り替えるには戦争に負けて全部パアになるぐらいの衝撃が必要だし
それがあっても未だにいろいろ身動き取れないものは多数あるしで
だいたい全部当時の人も思いつきはしたけど出来なかったことだよねえというオチである >>625
九四式速射砲と大差無いという日本軍の記録があるよ
その九四式が抜けたのだからやらないはずはないと思われる 火砲過去スレより
0479 名無し三等兵 2017/09/16 07:49:09
昭和十五年初め頃三十七粍砲廃止論が一部の人の話題となり、
その理由とする所は九四式の本砲の徹甲弾は、九七式二十粍自動砲の徹甲弾に比し鋼板貫通力大ならざる点に在りとす。
其の時私は三十七粍砲の九四式徹甲弾は名称は徹甲弾なるも実際は如何なる土地にても作用する如き大きな信管を有し、
相当の炸薬量を充填する破甲榴弾にして、之を鋼板貫通専用の徹甲弾とすれば貫通威力を増加し得るものなりとの説明を試みたり。
然るに廃止論者は「貫通威力を増加すると云ふが如き抽象論にては満足し得ず、幾程威力を増大するや」との質問をなし
私は「四十パーセント位は増加可能なり」と回答せるに「四十パーセントとは如何なる意味なりや」との再質問を受け、
「今射撃距離500米にて貫き得る鋼板を700米にて貫き得るものなり」と答ふ、「それだけの威力があれば三十七粍砲も棄てたものに非ず」との結論を得たるを憶ひ出す、
かくの如くにして、新に三十七粍徹甲弾の研究は熱心に開始せられたり。
此と併行して新火砲として現はれたる四十七粍砲の徹甲弾の研究をも実施す。
どうやら砲弾の方に問題があったというべきだね >>623
アスペ全開だなぁ
駐在武官がソ連内で戦車の大移動を見て報告したのに
対戦車兵器とか飛行機を寄こせって提案を
上層部が握りつぶした話だろ
何でいきなり20mm自動砲の話になるの
病院行けよ なんでそんな食ってかかる様な攻撃的態度しか取れないんだろうねぇ…心に余裕が無いのかな 20ミリ銃は単発でええやろ
15キロぐらいに収めろ 大学に火縄銃愛好会を立ち上げてガン愛好家を増やすのがよろしい >>499
実はね、連隊砲になった四一式山砲の砲身には「(歩)」って彫ってあるの…。 日本の山砲のスペックに慣れた軍オタからすると各国の山砲のコスパがうんこすぎる
そりゃ射程長いのはいいけどその為に増えた重量でかすぎでしょという
逆に野戦重砲とかは重量/スペックが諸外国に比べて微妙なのにね
日本は山砲だけ突出してる 他の国は山砲にリソース突っ込むぐらいなら迫撃砲にするからな いや81mmと120mmに関しては各国ストークブランのパクりみたいなもんしょ >>637
驢馬騾馬戦力化できなかったのが大きい
小柄の割に力持ちの家畜 車両通行できない急峻で山砲兵がつかうの他国では常識だったのに
仏教の日本は肉食文化が傍流でももんじとかいわれていたし、牛馬も妊娠中に酷使したりして
早産して産まれた子が小柄で虚弱とか益畜育成技術が西洋どころか支那、朝鮮にもずっと劣る水準だったからな
偏見なしにこれは事実 日本はそういった悪条件が重なって、驢馬騾馬のかわりに山砲兵が重量100kgの砲身やら担ぐ場面が他国にくらべやたら多かったわけ
山本七平は日本陸軍の山砲兵がもっとも辛酸嘗めた兵科とか書いてた 育成技術的にはそこそこ高かったと思うけどな。
日本は近代に至るまで、馬の去勢技術がなかったのが問題。
去勢していない馬は気が荒くて扱いにくい。
なので江戸時代までの日本では馬を扱えるのは一部の専門職だけだったし
それだけに扱う技術自体は高かった。 >>643
うーん、けして言いたくはないけど、優秀な雄馬だけ種にしなきゃダメでしょ的な
ナチスの優性思想みたいで、おれが人非人みたいでヤだけどさぁ…
たいしたことないオスの扱いで右往左往兵隊の時間と精神、労力を消耗してるのは
やはり国防的にはいかがなものか?てことだろうね
西竹一のウラヌス号ほどの逸材なら暴れ馬を御す甲斐あるだろうけど >>644
うん。だから馬の去勢技術がなかったのが問題だったって言ってるじゃない。 メッカチって徴用去勢雄馬の話は大陸の戦記でよくでてくるよ
椎名誠のモンゴルエッセイで馬の去勢の話あるし、大陸に浸透した1930年代には日本に普及
してた模様だ マレー作戦ではトラックに鶏積んで進撃
完全栄養食である卵を随時補給
もちろん鳥も食う
これは捕虜になった英軍兵士も感嘆してたぐらいだから、小さい生き物にはそれなりに理解があるんだろうな日本陸軍
基本的に大型・高額の生き物の扱いは二流になる >>641
小さく生んで大きく育てるのがいいという信仰があったからな 鶏は中世から飼ってて、ほっといてもミミズつついたり雑草ついばんでて、キツネやらイタチの害獣
対策してればほぼ放置プレイで殖える
犬や猫は大昔から日本人との親和性も半端ないんだが、たしかに牛馬は中世から関わり
あるんだけど扱いがめちゃくちゃ下手みたいだな
大名の馬なんか特別誂えで体格、見目麗しさやら扱い水準も半端なかったみたいだが、一般の水準はクソといって
よかろう ガダルカナルでめずらしく日本軍撮影四一式分解輸送してる写真があるね
車輪かついで丸太一本橋渡ってる
重いのもそうだしバランス感覚必要でまるでサーカス団だよ
オーストリアやイタリア軍はアルプス擁してた関係で山頂ワイヤーで繋いで砲移動とか
サーカスまがいのこと一次大戦で平気でやってたけどな… 当時は人が分解して担げる投射兵器では迫撃砲か山砲が射程と威力で最強だったと思う
ロケットや無反動砲が普及するのはそれよりあとの時代 日本のは本場ドイツ・オーストリアとかの山岳猟兵部隊には使役ノウハウの関係上実力としては敵わないんかね
実際に日本軍、そういう地形だと散々やし
野砲兵だけど長沙作戦とか苦戦したし、シンゼイワ包囲戦とかは山砲もあまり有効に活用できてないし
まあ戦国時代から山越えして攻めるってのは相当敵有利ってのが分かり切ってはいるんだけども オーストリア併合でのドイツ軍事上の最大メリットは有力な山岳部隊を自軍に編入できた
という話はあるね 山を超えて攻めるのはいくら人海戦術でカバーしようとしたソ連軍でも辛いものがあるんだろうか コサックはそういうのお家芸でソ連軍も斥候や山岳戦で重宝した
ドイツ軍も連中の能力評価してさかんに懐柔してたね
山岳少数民族以外の一般のソ連兵はそういうのは苦手
沼沢地徒歩浸透突破みたいなのは得意だったみたい そもそも日本軍は満州の広野でソ連軍と大規模会戦する気だったから比率としては貧弱な山岳師団より重砲を盛んに装備した野砲兵師団を志向したんだと思うけど
それが思わぬ地域に配置される事が多く、貧弱な補給力の方が耐えきれず、結果として実態は山岳師団並みに火力が落ち込む事になる(沖縄などを除く)
まあー、九四式山砲×24と九九式十糎山砲×12混成の36門編成の一般的な山岳師団を主力に据えて、大規模会戦では足りない火力は流動的な軍砲兵(十五糎榴弾砲、十糎加農)を逐次配備するじゃいかんのかね…
ちょうど宮古島の第28師団とかが近いね
歩兵隊は日露戦以来の精鋭だし、足りないとあらば軍砲兵の配属を受けてるしな >>641
国産馬がだいたいにしてラバみたいなもんだろ うーん
駄載に関していえば驢馬が国産の糞雑魚に負けるわけがない
元来ロバはパワー、馬はスピードだった
はるか後に人間が登場した重種の馬は別としてだが
日本は北海道を除いて重種があまり手に入れられないので、あまり縁が無い話だ
ただ小さいだけの馬より驢馬の方が駄獣としては上
日本は軽い馬車や農耕具を引かせる軽種ばかりだったので力もなかった
そのせいで三八式十五糎榴弾砲は事実上8頭ばんえいは不可能だった(10頭ばんえいでは大半のカーブを曲がりきれない)
山砲にも厳しい制限が課せられた(しかしこれはそれが転じて傑作砲を生む原動力となった筈) えー、パワーもスピードも馬のが断然上だろ。体格からして全然違う。
ロバの利点は、大人しくて従順で扱いやすい事と、粗食に耐える事。
あとは荒れた山道に強い事。
で、馬とロバを掛け合わせていい所取りしたのがラバ。
馬に迫るパワーがあって従順、粗食に耐えて山道にも強い。
ただし、完全な異種交配なので繁殖力はない。
ライオンとトラを掛け合わせたライガーとかと同じ。 すまん、小柄でパワーある、という意味だ
小さい国産馬はでかいロバよりちょっと重いぐらいだろうし、ロバの方が総合的に良かったと思う
そりゃ、でかい馬に比べれば遥かに貧弱 ロバでもラバでも駄載量は100kg前後で馬との差なんか無いも同然
それに駄載は毎日積み下ろししないといけないんで
結局人間側の腕力や作業力も問題になるのじゃな 駄載量は移動距離によるけど、陸軍の目安だと若い馬で
体重の30%、年行った馬で20%。時速四キロで四時間歩いて休憩。
当時使っていた軍馬は体重400〜450くらいのが多かったので、
80kg〜135kgが目安。
ロバやラバは中国現地で買ったり、御者ごと雇ったりして使うケースが多かったけど、
その駄載量の目安はロバが120斤、ラバが1.5倍の180斤。この斤は中国斤(市斤)で、
1斤=500gなので、60kg〜90kg。速度は馬より遅い。
ラバが馬に並ぶ性能を発揮できるのは、荷車を曳く場合。駄載よりこっちの方が得意らしい。 >>649
江戸時代中期までの人口大激増期に、農村で牛馬の数を減らしてそのためのリソースを耕作地化してるのよ
牛馬を食わすにゃ大量の草地が必要だが、灌漑の出来るところなら可耕地でもあるんでな
んでこれまで牛馬にやらせてた労働を二足歩行する生物が代替するブラック農業伝説、と
その過程で、それまで農村に保有されてた使役動物管理のノウハウも消失までいかないでも細っていったという
なんか何でも現状を民族性とか文化人類学的なものに求めるような風潮があるけど、実は歴史的選択の結果でもあるんだな >>663の指摘する通りなんだよな。
歴史人口学等によれば、江戸時代初期までは、それなりに農村に牛馬がいるのだが。
江戸時代中期以降になると平和に伴う人口増加を養うために牛馬の代わりに人間を使うという
ブラック農業が日本では当たり前になる。
諸外国ならその人口増が植民地開発に向かうのだが、日本の場合、鎖国したので植民地開発に
その人口を向けようがなかったという哀しい現実が。 植民地開発に向かうと言うか、隣国への進出に向かうパターンがほとんどだな。
明治以降の日本もそう。 あー和民屋ですかい。人口増加で蒙昧の民を低賃金タダ同然で牛馬以下コストで泥まみれ田んぼ、畑で
四つん這いに「死ぬまで働け!」でガツガツに働かせると…
陸軍でも将校 下士官 軍馬 兵隊の扱い序列差であったけど、けして笑えない事態だよねぇ なんだ、江戸時代の環境と西欧ではラバロバが担う山砲部品を日本軍では山砲兵がみずから
背負ってた、基本的な構図はなんらかわらんのな… それで九九式十糎山砲評判が極端に悪い 嫌いという当時の山砲兵が多いとか
戦車マガジン「知られざる日本の兵器」連載だが、竹内昭さん佐山さんやら後生の研究家以外に実際砲に接した
、とか本人に聞いた人が書いてる記事がある
分解重量では日本軍基準で駄載、人力搬送で限界値だったんだろう
シュナイダー製であるためか当時の兵隊の話で防盾形状が好きになれないとかも書いてる
配備状況本来の山砲兵装備というより、>>656の記述のように離島防衛用の軽榴弾砲
扱いとして使用用途変更されたものらしい
残念ながら、この記事はグランドパワー再録本に載っていない どのみち暑い南方ではお馬様は無駄に死ぬだけで、モーターリゼーションなにそれの
貧乏国は兵隊がかつぐしかねえんだよ。で結局最強火力は兵隊がかついて運べる92式重機に往々にしてなるのだ 十糎山砲は第一次大戦のやつをこちらでちょこまかと再設計したものだからなー…左右射界が狭い
最も重い砲身重量は119kgなので、100kgの壁を余裕オーバーしてしまい、とうとう一人で担げなくなってしまったし
しかし十糎榴弾の制圧力は十二迫が無い大概の日本軍にとっては有難いんじゃね
代用品的なものとして
しかし日本軍って75mm×24+105mm×12の編成が好きだよな野砲兵も山砲兵も
理想的な比率は十糎と逆にしてそこに十五榴加える48門だが 砲身重量100kgで1900年代四一式、1930年代九四式で射程2km伸びたのは自緊法の技術
革新だけど、人力ではこの100kg重量が越えられない壁なんだろうな
この砲身重量枷では当時の技術で究極の砲設計してる 九四式は20.8口径長、四一式は18.4口径長だけど両者ほぼ100kgなので、単位砲身長あたり1割以上軽く作れる計算になる
てことは四一式を自己緊縮法にすれば90kg未満に砲身重量を抑えられるのか
いやむしろ同じ砲身重量で砲身長一割強長く出来る出来ると考えるべきか
四年式十五糎榴弾砲の砲身を一割延長すれば、初速も上がって射程が延伸され、ブラストも低減されて砲架への衝撃荷重も和らぐ
改造四年式の装薬は非常に強力だったという事だし 自緊砲身造れる設備は日本の場合、とくに限られるんすよ
だから旧式砲の砲身改良より新式製造ラインにすべて投入したほうが吉という寸法
旧式設計だと性能は据え置きで従来ラインで焼き込めなり内管交換式砲身生産したほうがいいということになる
もちろん理想的な形でないのは自明だけど
旧式兵器をアップデートして戦力増強するのが王道であるね というか第一次大戦のドイツの15cm sFH 13を調べていたら17口径長で2.2トンか…異常なまでに軽いな
四年式は12.6口径で2.7トンだというのに
しかも射程は改造4年式と大差ないが砲弾重量42kgあるから、弾重を考えれば改造四年式より長射程の砲に相当する
36kgの九二式榴弾使えば射程は10km届くか届かないかのところまでいくだろう
分解結合機能が無いと、ここまで軽量長砲身化出来るのか…
自己緊縮砲身を使っていないのなら、そこで更に軽量化あるいは長砲身化できそうだし
ともあれこれを参考に2トンちょいで射程10kmの十五糎榴弾砲が達成出来そうな件
そしたら他国の同級榴弾砲のスペックは何なんだって話なのでやはり何かオチがあるのかな? sFH13はもともと短砲身だったんだけど、途中で「ランク」って英語でロングの長
バレルに換装してる
それが、結果的にもとの砲架のままで軽量て現象生んでるでは?
一次大戦のドイツ砲10.5cmカノン、21cm臼砲も長射程化でランクバレルに換装してるよ >>675
他国の十五糎を嗤うかの様な謎スペックこそ第一次大戦のドイツ軍重砲兵火力の一因といえるな…
いやマジでチタン合金使ってんのかってレベルで比重スッカスカやなぁ
命中精度を重視したドイツ軍だからロクに当たらんと言うことは特に聞かんし
砲身長いから却って砲架への衝撃荷重が減ったのかね?
あとドイツ語ウィキペディアだと39.17kgの砲弾だと8900mだった
36kgだと10キロは行かずともそこそこ行きそう 15cm K16が射程22km達成してたりね
当時としてはすごい値
GPF 155mmが19kmなのに
要塞攻略の立役者41cm榴弾砲、パリ砲が射程100km越えとか天本演じる死神博士みたいなすごい神エンジニアがクルップにいたらしい 馬は過重労働や過積載で直ぐ死ぬよ
日本軍のようなブラック企業軍隊は馬を
過重労働や過積載で無駄死にさせまくった無能軍隊で
インパール作戦でも軍票で集めた馬は平均以下しか持たなかった
・騾馬:73日
・中国馬:68日
・日本馬:55日
・ビルマポニー:43日
方やイギリス軍は
途中の目的地までは自動車で戦略物資を運搬し、軍馬は裸馬で連行
自動車の運用が困難な山岳地帯に入って初めて駄載に切り替え
日本軍のような馬の短命の無駄死にはさせず
高い継戦能力を支えた そういや第二次大戦でも17cm K17とかいう、何故かうちの九六式十五糎加農より射程長くて遥かに軽量な超火砲作ってたなクルップ
満州国皇帝にしてやるから日本来てくれよってレベルの火砲エンジニアだな 誤字った17cm K18ね
15cm sFH 13は評価に値すべき砲だと思う 第二次大戦の独師団砲兵は射程不足・数量欠如・運用稚拙の三重苦だったな >>680
目をつけられて戦後賠償でほとんど戦勝国にもってかれたらしい
臥薪嘗胆で再軍備にそなえて秘匿してたドイツ国内の砲をわざわざアルケット社がフランス軍の装軌車に架設して
ロレーヌ・シュレッパー自走砲となった それ考えると15cm歩兵砲(sIG 33)はドイツにしてはフツーの出来だな
500kg軽いだけで射程半分だし
やはりラインメタルだからか?
同じドイツの会社でもクルップとラインメタルで格が違うんだろうな 重砲得意なのは歴史あるクルップ、対戦車砲と高射機関砲で新機軸進取に富むラインメタル
とそれぞれ得意分野がある
ラインメタルの旧社名はエアーハルトか
砲架はクルップ、砲身はラインメタルの15cm sFH18とか
ブルムベアの砲はシュコダ製15cmやら ビスコンティ「地獄に墜ちた勇者」どもはクルップ財閥の人物をモデルにした映画だったり
したね 7.7cm FK 16で3020門以上、10.5cm le FH 16は知らんが15cm sFH 13の生産数3409門とある
これで全然足りて無い、というのだからまさに砲兵と馬の時代だったんだなぁと
ドイツ帝国軍主力と真っ向からやる羽目にならずつくづく良かった(あり得ない話だが)
日露戦期の日本陸軍を想起させる、(というと規模・時代からして語弊があるが、)かつての日本軍の考えるかくあるべき姿というのをつい投影してしまう
そういえば日本も日露戦で馬の貧弱さを痛感して、ペルシュロンとかいう普通の馬の倍の重さの重ばん馬を導入決定したんだよな
フランス原産でナポレオン軍も使ってた最大最強クラスの馬
ミニドイツ帝国軍みたいなのになりたかったのが、いつからか色んな国のインスパイアが混ざり過ぎてそこに国産オリジナルの思想も多分入って、色んな意味で個性的な所帯になったが >>678
インパールは馬も使い捨て前提で過積載して、潰れたら食料の
ジンギスカン作戦だから。 モンゴル人の方のジンギスカンが元ネタだからな。
ある意味馬は一番ピッタリ。 白燐弾?だかを砲弾の焼夷弾として撃ち込むと支那兵は火傷の苦しさに耐えかねて堪らず外に出てくるそうだ
そして他の兵員も心理的なパニックに陥り撤退が起こる
そこを攻撃すると成功しやすい
米軍も日本軍陣地に度々行なっている
日本軍が鬼畜に徹すればインパールの戦果はもっと増えただろう
壊滅的損害は免れないが史実の様な負け方では日本民族末代までの恥だ
せめて英軍の三分の一を抹殺してコールド負けは防ごうではないか? 何、トチ狂ってんの、こいつ?…
ちっともわけわかんねェんだけども 火傷の痛みは半端ねえから
もう少し酷いと皮膚移植だった経験有り
傷も治り痛みも無いが皮膚は斑のままだ! インパールって英軍も結構損害出してるよな?
日本より多いんじゃなかったっけ? >>683
歩兵砲だから長射程は要求されてない
平凡な設計だが、性能的に無理してない故か堅牢で戦後1960年代まで接収した東欧諸国で
運用してた
射程は短いが砲弾威力が捨てがたかったとみえ、1号2号チェコ戦車車体に搭載されて
自走砲化に熱心だった
銘機ってのは必ずしも高性能のことだけでないよ 15cm Ig33はッパロ条約の再軍備前に秘密裡にソ連むけに設計した砲をベースに改良したとか
3.7cm PAK35/36も原型はtak28という名称で戦間期にベルサイユ条約の監視のがれるため
ソ連領内で運用試験してた
世界の孤児だった共産ソ連と敗戦国ドイツの蜜月時代 >>686
ついこの前、北海道ばんえい競馬やってたよね
ペルシュロンぐらいのクラスになると、緩い坂なら1トンぐらい牽引出来る
つまり牽引重量2トン弱の九○式野砲なら、平坦な道なら2頭で牽引出来てしまう
日本軍が二車分割式の試製九二式十五糎榴弾砲を採用しなかったのは、結合部の強度が足りてなかったのと、分解結合が困難だから
これといって馬で悪いという認識はないそうだ
むしろ、これで「動かせねぇ!」だったら最初から自明過ぎてむしろ日本軍は大馬鹿という事になる
あの時代だから、まだ追い詰められておらずこれといって牽引出来ないという気は更々無かった
よく話題になる以降の馬匹問題はペルシュロンの供給難があるんよな 頭数少ないから近親で血が濃くなるてやつかい?遺伝的によろしくない いーや、百姓がペルシュロンとそれをもとにした馬を嫌がった
餌をたくさん食わせねば働かないし、力は強いけど坂を上り下りさせるとすぐへばるしと
悪評しかなく、法律で在来場を去勢させて無理やり普及させようとしたけどうまくいくわけもなく いや特に日本釧路種はペルシュロンと北海道のどさんことの交雑だが最高との評価名高いよ
日本の馬の様な小柄な体格で咀食に耐えるのに遥かに力があると
日本が最も欲していたのが雑種、すなわち海外種によって改良された国産馬だからね
それは馬政計画にもしっかり現れてる
1935年時点で馬匹数144万8千頭(種類:和種3%、雑種94%、洋種3%) ちなみに馬政第一次計画がスタートした1906年時点では馬匹数146万5千頭(種類:和種87%、雑種12%、洋種1%)
つまり日露戦争のころはほぼ和種で戦っていた様なもののが、支那事変前にはほぼ和種は居なくなってる様なものだ
強力な海外の馬の血を入れて見違えるほど性能が上がっているので格段の進歩といえる
日露戦争直後は8頭ばんえい不可能で実用性皆無でほぼお蔵入りだった三八式十五糎榴弾砲もついには動員されてる
機動力低いのに短射程なので補うこともできず、駐退機の性能不足で砲架の仰起問題が起きるとか問題多数なのはそのままなんで自走砲化に繋がるわけだが
あと野砲の件は国産馬では機動力低下というが前線直視運用も行うだから機動性が大事なので騒ぐ人達がいたのであって曲射を主とする軽榴の方は日本軍野砲兵隊の主力になってる
ともあれ日本が目指したものはあくまで従来の馬の改良であって洋種の導入というわけでは必ずしもない >>701
近代史でもっとも苛烈だった独仏砲兵競争で矢継ぎ早に新式を開発したからな
それでいったん制式化で充足したものでちっとも新式に更新できずFK96なんて、1904年式クルップ改め三八式にずっと劣る砲を
一次大戦劈頭帝政ドイツ軍は装備してた
師団砲兵でまともになるのはFK16 leFH16装備以降
駐退複座機採用直後で技術的に未熟だった時期の三八式十五、十二糎榴弾砲は外れの
クソ砲とみなしていい
そんなもんを在庫一掃セールで日本に売りつけたとみていいんでないの 発砲時あれだけ派手にジャンプするんだからねぇ
危険なのはもちろん、測定したデーターやら照準がほとんど意味をなさんだろうて 発砲時あれだけ派手にジャンプするんだからねぇ
危険なのはもちろん、測定したデーターやら照準がほとんど意味をなさんだろうて 米軍映画「ガダルカナル・ダイアリー」でも元シュナイダー155mm mle1917
アメリカでのM1918が派手に跳ねてた
大仰角なのと最大装薬ぐらいで撃ってるからだろう
あれだと精密射撃は望めないはず 砲架の仰起モーメントが一番きついのは浅い仰角の時だよ
だから対策として後発の砲は可変後座長システムを取るわけだ
浅い仰角の時はめいいっぱい退却長を取り、後座衝力を緩和
高仰角の時は地面とのクリアランスもあるしそこまでの退却長が必要無いので縮める
極論した例えだと臼砲や迫撃砲だ
地面が吸収してくれる
埋まる事はあってもひっくり返る方向にモーメントがかかる事はない
こと三八式十五糎榴弾砲が顕著だったのは駐退機の未熟さに加えて野戦重砲の割に脚の短い事にもあると思う
理論上は脚長を長く取り、砲口と駐鋤を結んだ線の角度が小さければ小さいほどかかるモーメントは小さく抑えられる
しかし一方で長い脚はその分衝撃で座屈するわけで、強く作らねばならない
だから結論としては四年式に行き着いたと
見た感じ脚長も伸びてるし後座長も三八式の60センチから伸びて最大1mと直射想定で長くとった三八式野砲並みに確保されている 中国軍では、修水河渡河作戦で毒ガス砲撃で全軍パニックに陥り、大量の物資・砲弾を処分する間もなくその場に放置したまま2時間も立たず総崩れに至った >>710
それ随分前にこのスレでもっと詳しく語っていなかったっけ? >>707
40年まえのワールドフォトプレス39 WWUドイツ軍兵器集 7.5cm Geb G36記事
に「…この砲は山砲であるため軽量であるが、そのためにこの砲は最大の発射薬を使用すると15度
以上の角度での発射はジャンプして危険であった」とある
駐退機で制御できない衝撃は高仰角射撃でもいっぺん地面に押し付けられて反作用があって当然跳ねるはず
硬い地表だととくに
軟弱な地表だと多くが土が吸収して埋まるはずだが
砲身位置が水平にちかいと斜め後方に多く衝撃が伝わってそれはそれで跳ねると思うが
駐退機や砲架の設計がわるいとなおさら
砲車の跳ね性質は違うと思われ FLAK ハチハチの記録映像観てると水平射撃での反動はダンプトラックが急ブレーキかけた
ときの車体の挙動みたいだね
台車つきで撃ったときはとくに顕著
砲本体が6tくらいだからダンプと感じが似てるのか 話が逸れて申し訳ないのですが
八九式十五加が砲架含めて約10トン、砲身重量約3.4トン
という事を考えあると88MM砲が約6トンの砲身重量というのは
おかしいような? 八九式十五加は九二式十加と違って自己緊縮砲身の導入といった改良をされることがなかったのでかなり砲身重量をくっている
>>714
88mmの砲身重量6トンなどとは寡聞にして聞いた事がないのだが?
8.8cm PaK 43 の射撃状態の全重量で3.7トンだぞ 誤解ある書き方してすまんが、砲本体つうとふつう砲架込みでないか?弾薬前車やらもろもろの
付属品除いた状態
ハチハチは台車上でも撃てるし台車から降ろして地面に据えて撃つで重量変わるが…
おれはそのつもりで書いた
パーツを指すなら砲身重量のみと書く >>716
しかもおれは、高射砲FLAKの台車込みの重量書いているんだけど…
書き方がまずかったら、すまんというほかないが >>718
?なぜ俺に?
俺は貴方とは別の人に対して「PaK 43で射撃重量3.7トンなのに砲身重量が6トンはおかしいだろw、」と突っ込んだだけでこれといって特にこれといって貴方に対して指摘を入れる様なつもりはないが… おれが思う砲本体という定義はピンでとりあえずは撃てる状態
重砲なんか運行状態で砲身車と砲架車にわけて牽引する場合が多いから うん、だからそこは争ってないじゃん
どころかそれを理解していないのは>714だけで改まって言う必要はなくね >>717
ごめんごめん。
砲身重量でなく、放列放車重量の事でしたか。
誤解しておりました。 さうですね。いまEテレの戦争神経症の番組観てて5chどころでない 牟田口は43年の間に戦死していれば英雄で終われた
第15軍の指揮は小畑英良第31軍司令官の弟でもある小畑信良参謀長が務めていればよかった
兄弟揃って軍司令官、何かNHK長編ドラマでも出来そうじゃないか、え? いまのNHKでは戦争番組で「これから遺体の映像が出てきます」ってテロップでるのな
子供や心臓の弱い人への配慮、妊婦の胎教上なんだろうけど
電車のアナウンスやホームドアみたいで過保護すぎるとは思うが
時代だな、とは思う
モロ見せてデイープな教訓をトラウマともに植え付けたほうがいいなんておれは鬼畜
なんだろうなぁ 最近NHKで盛んに「戦争の体験談を・記憶を」って言ってるけど、
アメリカや中国でも戦争の体験談を聞く会みたいなのは盛んに開かれていて、
向こうは「俺らつえー」案件である事がほとんどなんだよな。
戦前の日本もそんな感じだったんだろうけど。 試製九七式歩兵連隊砲
75mm16.4口径(1230mm)
射界 -10〜+21(俯仰) 350ミル(左右)
初速 197m/s
射程 〜2800m
放列砲車重量 460kg(当初) 472kg(改修後)
なんでドイツのleIG 18よりかなり重くなってんのにむしろ曲射取れなくなってんだよコレは
てかleIG 18はおろか明治の日本より設計技術落ちてね?
これ四一式山砲の設計チームの方がまともなの設計出来た気がするんだけど 四一式山砲だと射程長くてもそこまで必要無いし重過ぎるとの批判があった為本命はもっと軽くて射程短いやつになるはずだったんだよ
>>279
だからどうしてこんなになってしまったんだという件についてよ
こんなものが採用されるわけないのは言うまでも無いだろう
ドイツはleIG 18の曲射機能を削減する代わりに射程を延伸したIG L/13があって、平射砲としては遥かに優秀
初速:305m/s(1,000ft/s)
最大射程:5,100m(5,577yds)
水平射角:50°
重量:375kg(827lbs)
砲弾重量:6.35kg(14lbs) まっとうに設計出来ていればこんな感じになってただろう
四一式山砲の技術水準から見ても試製九七式のこのスペックは異様に低過ぎる >>730
それって7.5cm IG37のこと?3.7cm pak36の砲架に載せたやつ?
18型の砲身長倍にして採用から7年たって1944年になって実際使われたつう >>733
いや全然別物だぞ
7.5cm IG 37
重量
510 kg (1,100 lb)
砲弾
5.45 kg (12.0 lb)
口径
75 mm (2.95 in)
仰角
–5º to +24º
旋回角
60º
初速
280 m/s (920 ft/s) (標準)
395 m/s (1,300 ft/s) (成形炸薬弾)
最大射程
5,150 m (5,630 yd) ドイツがワイマール共和国時代少数購入、イタリアがww1戦後賠償品としてかなりの数押収した
skoda M15山砲のスペック
口径75mm
砲身長1555mm
重量613kg
最大射程 8250m
「…7つの部品に分けることができ、一番重いものでも156kgにすることができた」
なんてサラッと記述してあるが、兵隊が担ぐ日本じゃ無理じゃん!
日本軍山砲兵の戦地での写真や映像みてるとたいていふたりで砲身担いでる
それでもひとり50kg負担
やはり山砲運ぶにはラバかロバをふつうに使う国の部品重量なんだろうね 重ければ三人で担げばいいじゃん!とか思うかもしれないけど
山砲の砲身は短いからやはりふたりだろうな
三人だとムカデ競争みたいな格好になって至極歩きにくくて急峻だと危険な配置だろうな
転倒負傷が頻発しそうwww
むしろもっと2m以上の長物なら三人担ぎもアリだろうが それそもそも師団砲だしドイツ軍のIG L/13はもっと軽量で射程が短いね
あくまで歩兵直協の山砲だから
ロバ・ラバが使えるからといって日本より重量制限はユルユルかと思いきや、また軽量な歩兵砲・山砲は別にある訳で、全部が全部「ラバの国の山砲」じゃねえのさ >>730
上のsFH 13やK16のやり取りからもわかる様に、ドイツと日本じゃ設計ノウハウで雲泥の差がある
製造技術とか素材面でいくら日本が努力しようがこの差は埋められない だからライセンス生産すべきなんじゃないか、って思えてきた
国産で設計した形がどうあれアレなのは受け入れるしかないと自分の中で納得した
多分試製九七式の開発陣は何かを間違えてる
そもそも山岳猟兵のドイツの方が歩兵砲ひとつとっても格上なのは自明じゃないか 日独で要求射撃精度に違いがあったのでは?
重ければ反動でひっくりかえる事もない
現代のM777軽量砲みたいに極端に軽くてもマズルブレーキはもちろん、駐鋤に前脚も加えた4点緊定もしてないから、モロに反動の影響が出ると思われ むしろ明治のあの時期に純国産の四一式山砲を開発できたことは偉業といっていい
世界水準に達しってたし、使い勝手から日本の敗戦まで広くつかわれた
戦後も中共やベトナムが使ったし
デイェン・ビェンフーの戦いで大活躍してフランス軍の降伏にもちこんだんだろ?
あまりに性能的やら使用するのに不都合なり陳腐化してればいくら貧乏国日本でも格納庫入りとなるよ
インパールでそんな三十一式をひっぱりだして京都師団にあてがったりしたが 「レアメタルの太平洋戦争」によると鉄鉱石産出ゆえ独仏の領土紛争地になったアルザス・
ロレーヌの鉱床のやつはそれほどいいブツではないらしい
独仏はそれを兵器に使用しようと互いに軍拡競争やって結果的に冶金技術あがったとか
WW2時はドイツも余裕ある時期は装甲板の原料に世界でもっとも良質とされるスェーデン
の鉄鉱石輸入してた
その海路確保で開戦そうそう積み出し港あるノルウェー占領したわけ >>743
おれが大学で東京きたときは総武線でバカでかい木箱背負ったバァさんが駅の階段
よく上り下りしてたな…中身込み最低40kg以上はあったと思う
海産物やらの行商で当時は駅エレベーターなんて少なかったから
最近はあの光景をちっとも見なくなったね。物故されたとみえ >>741
俺が四一式が凡作だなんてとんでもない、時代からして紛う事なき傑作砲と思うよ
その後の歩兵砲開発のあまりの悪さに、四一式を充当せざるを得なかったことを言っているのさ
責めているのはのちの火砲 戦前日本と現在の運搬重量の感覚を同じに考えるところで間違いが起きる。
明治に米俵1俵60kgと規定されたのは成人男女なら誰でも運べる重量だから。
女性で60kgなんだから男性ならいくつが平均だったのかと思う。 海軍の主計兵が訓練でやる米担ぎは、25キロ袋が三つで75キロ。
食料搭載時は四斗樽(72キロ以上)を一人で担ぐ場面も。
陸軍が航空機搭載用の爆弾に50キロ、海軍が60キロを多用したのは、
「人力で搭載できるから」。
なんて話を聞くとマジかよと思うけど、昔の人はすごいよな。
さすがに長距離移動となると、歩兵の完全軍装と食料五日分で
40キロくらい、重機分隊のでかい方の弾薬箱で30キロくらいだから、
そう重いものは運べないようだけど。 なお実戦だと55kgの重機すら廃棄される模様
山本七平曰く最も辛酸を舐めたのは山砲兵だとな
現場ではなく、数字でしか、理論でしか物事を測れないのは75年前も今も同じなのか 歩兵砲は歩兵部隊の編成や戦術の変化と並行しての開発なんで
要求の変化や将来への展望まで加味して考えないといかんのよな
ドイツのIGだってスペック的になかなか良いけど、じゃあ41式山砲からこれに変えるかって考えると
訓練やら補充部品やら一から組み上げ直してまで替える必要があるかというと微妙や
恐らく歩兵連隊の戦術や予想戦場の状況が大きく変わらない限り新連隊砲は無理なんじゃねえかなという >>749
いや、そこまでいくと「大砲なんか要らね」になるので…
以前の旧軍小火器スレでも、古参兵ほど装備や弾薬なんかホイホイ捨てて…〜みたいな批判的な流れになって非常にあの連中気持ち悪かった
それでもあくまで日本軍の要求が、努めて軽いことで、やはり1kgでも軽いのが欲しかったみたい。
>>750
歩兵の教練なんだけど、これまた「四一式は射程が長く照準・測距諸元など面倒で歩兵では教練上不利」「重量・操砲人員過大」でつまるところオーバースペックとされ、更なる取扱容易な火砲を求められてのものでもあるんだよね
いや教練を簡単にして誰でも使える様に「新型砲を配備する」のだから一体どちらが泥縄なのか、って感じなのは俺も思うんだけど
ちょうど九四式が不適とされた関係性がそのまま踏襲されているというのが面白い 若くて体格体力に秀でた山砲兵なら任務全うできるんだろうけど
負け戦で補給が破綻して栄養不良で抵抗力なくしてデング熱やらマラリア罹患したらもう
破綻なわけで
週末の「チコちゃんに怒られる」観てて徳川家康の江戸開発で全国から労務者集められた
んだけど、なんと中一日に一升の米食ってたんだってね
塩分補給で濃い味おかずでそれで関東は濃い口しょうゆとか
江戸前の刺身の生臭さ消すためとも
いやー日本軍が一日六合食ってたでも、現代日本人感覚では驚きなのに…
肉が稀でおかずのカロリーがすくないぶん米飯大量摂取で補ってたんだろう 末期のフィリピン戦とか記録読むと、負けが込んで遊兵がでて友軍の物資強奪なんか頻発すると、
砲兵がいちばん厄介な存在だったとか
体がでかくて力がある、それでもって飯食う量も半端ないから
野盗の最右翼みたいなもん
正規の軍隊慣習手続で輜重は輸送の証で受領先のハンコもらわなければいけなかった >>747
だれでもではない
胸まで持ち上げれて甲種合格候補
眼鏡かけてたり身長が低いと第一乙種だ
三島由紀夫は身長は並みだが、華奢な体格、本籍の兵庫で検査うけて持ち上げられないのと青二才軍医の肺病誤診
で兵役免除となった
検査後、付き添いの父親とともに歓喜で帰途の山道を駆け下りたとか
「とりあえずは生きられる」って 92式重機の搬送みたいに棒を繋げて4人で1本100kgの砲身部品をもつのではどうだろう? 神輿方式だね
航空爆弾を夜間搬送して地雷かわりに埋設するのによく使った
担ぎ方で効率的なんだが、南方の植生が密だときびしいね 担ぐ事、持ち上げる事、背負う事、これらは同じではない。
腕の力で持ち上げるのと、担ぐ、背負うのは違うというのは理解して欲しい。 >>755
棒に吊って二人で担いでる写真は見たことある。 いまホームセンターで売ってるやつでなく、現場の業務用セメント袋で25kg
ふつう建設作業員なら横曳きって横移動なら二袋平気で担ぐ
階段揚げだと二袋はキツイよねぇ
おれは一袋が40kg50kgの時代も知ってるけど、大学生アルバイトのとき若いとはいえ、よくあんなもん
持ってたもんだ
あまりに職人連中がギックリ腰頻発するものでお上の指導で20年以上前にいまの25kg仕様になった >>755
それまさに>>478で四一式山砲の砲身を使ってベトコンがやってる
一人に負担を集中させるよりこちらの方が遥かに合理的 佐々木さんの衝陽から桂林への追撃戦の話で、獣道を不眠不休で行軍中に
夜間居眠りしてた兵ごと砲身馬が谷底に落ちて引き揚げる話があったな。
佐々木さんの乗馬は中国馬で砲身乗せた馬は日本からの馬でなんとか号という名前がついてたが思い出せない。 ベトナムの連中は自転車に荷物50kgとか括り付けて二輪台車かわりに手押ししてるん
だよなぁ
これだと、徒歩踏破できる地形ならたいていクリアできるし、体力の消耗も手持ちより
かなり軽減される
やはり米軍、中共軍打ち負かしただけあるよ
貧乏人カネはなくとも知恵があるつうか、アリンコパワーつうか いや、ベトナムの場合は日本軍より一歩進んで補給手段として隘路の自転車物資輸送徹底してるんだ
単なる模倣にとどまらない学習能力が半端ない 中国軍自身、鹵獲品で米軍とやり合ってるからなぁ
朝鮮戦争時の小火器は7.92mm口径で、火砲は日本製山砲(四一式、九四式)と国民党軍の米製M116山砲(M1A1 75mm榴弾砲)やその他雑多な鹵獲砲メインでうまく戦い抜いた
陸戦に関して言えば投降した国民党軍・日本軍の兵器で善戦しており、意外にもソ連製兵器を纏った北朝鮮軍よりもどちらかというと旧態な装備である
どうも日本軍は機械化砲兵(自動車編成師団の機動砲兵や、軍砲兵用の野戦重砲)を除いて山砲を主力とすべきでは無かったかとさえ思える 損害もなにも顧みずに消耗させてるだけだろ。そもそも旧国民党の投降兵が主体で
兵器は鹵獲兵器と失っても痛くないものばかりというあたり露骨なまでの廃品処理だ 必ずしもそうとはいえない。
中国内の勢力争いで割り食った第四野戦軍系統の部隊が送り込まれている。
中越戦争にも旧四野系の部隊が主力として送られた。 時代も本土からの距離もその土地に関する知識も何もかも違うのに比較されても >>766
いや当時の中国軍自体がそんなもんだよ
基本的にバックハウザーの様な山砲や8センチとかの中迫撃砲が主体
122mm加でガチンコ砲兵戦を挑んできたり戦車旅団で大規模突破かけてくる様な、そんな型の軍隊じゃない
だからそんなロートル兵器でもこれぞ我が軍といった有難い装備だった
国民党軍同様に夜間浸透、白兵戦闘を多用する、兵器も戦術もそれほどハイテクではない、枯れた技術に強く錯綜地形ではかなり強力な集団
日本軍(特に南方方面)のかくあるべき姿 南方たってな、島嶼なのか結構大きい島なのか、そこの開発されどはどうなのか、全部違うわけで
しかも戦場になった土地の詳細な情報も無いし、どうやったって海岸に上がった物資は処分されちゃうわけで
道路啓開用の土木車両が充実してて、速やかに奥地に送り込める水陸両用自動貨車が揃ってても
「あ、道路だ」で空襲されてオシマイ
ベトナムや朝鮮のように政治的な安全地帯があったわけじゃないからね
相手が飛車角落ちしてくれるなら打つ手があっても、相手が全力じゃそれでは追いつかないわけであるよ いやいや南方で一定の面積を持つ島なら錯綜していない地形なんてほとんどない訳で…
そんな強引などっちもどっち論じゃなくてさ、環境に適応した姿だろうって話
なんでそれで「どのみち海岸で〜」なんて極論に走られる
それこそどの島だの言う前に「どの時期」を想定しているんだろう
どのみちそういう状況では揚陸中の被害も大きく重火砲の揚陸断念も多いので軽量な山砲の価値は何ら揺らがない筈だが それこそ射程のある大型砲のほうが運ぶ距離が短くて楽なぐらいだ
極端な例はガダルカナルで飛行場を射程に入れる場所まで推進できたカノンは撃ち続けられたが
歩兵砲は歩兵の移動にすらついていけず陣地撃つとこまでいけなかったんだぜ
速射砲すら海岸に埋めたとかやってるんだから錯綜した地形以前の話
山登りのクーリーさんたちだって基本的に登山道という道路を進むように、密林は道路が無いとね
そして日本軍を追いやった米豪軍は普通に大きな大砲でドカドカふっ飛ばして進んでる
機動力の発揮を妨げる地形である以上火砲の射程と威力&制空権が支配する
そして頑張って山砲を運び込んでも、糧食も弾薬もついてこないわけよ
山砲なら弾薬要らないわけじゃないし、過酷な人力運搬を求めるなら糧食だって豊富であるべきだ
そしてそれらは道路がないと海岸から運び出すのも大変であるんよ それこそ観測手段がなくて飛行場というでかい面目標にチマチマ砲撃するしかなかったじゃないか
とてもじゃないがまともな砲兵戦闘ができる様な状況じゃない
戦史をどうこう語るならニューギニア砲兵隊戦記でも読みな
歓喜嶺でどの様に善戦したか、ネットじゃ数行しか触れられていないその実態がよく分かる ガダルで速射砲埋めたのは川越えられなかったからじゃなかったっけ?
揚陸点から移動する攻勢側と、拠点を守る守勢側で重砲の扱い変わってくるよね。 一式47mmは二門は海岸に埋めたそうだ
河岸に埋めたのはラ式のはず
NHK「ドキュメント太平洋戦争 敵を知らず己を知らず」によると蘭印鹵獲ボ式山砲は部品ばらばらに放棄かな >>743
この人ら、栄養たっぷり摂って登山道を短パンに出来のいい現代のトレッキングシューズだろ?同じ重さ担ぐんでも
南方の山砲兵のほうがはるかに過酷だ
未踏の原始林の急峻を栄養不良でマラリアやら悪疫にやられ鉄帽、銃剣、やら装備がプラス
雨にしばらく浸かると分解する靴だぞ?
班長の鉄拳はもちろん敵の弾も降ってくる!
とにかく靴擦れが痛くて脱げないやら傷から感染症なるやら、戦時中の靴に関する悲惨な記録は多いね いや「米軍や豪軍も大きな大砲使ってたから!」とか、それ日本軍を理解して言っているのかねぇ
山本七平の「下級将校の見た帝国陸軍」に、鉄兵団の将兵(野砲兵第十連隊)が十五糎榴を悲愴な顔で「舟曳き人夫」のように曳いて三百キロ歩く、「地獄の行進」を見たときの感想が書いてあるね
最大級兵力投入のフィリピンなんかは戦域が広いんで、敵が至る所から侵入してくる
突破された穴から戦線崩壊を防ぐ為に「転進」が行われるから、防衛戦でも半固定砲床的な運用ではなく機動は必要なんだよ
バレテみたいな山岳地帯ならなおさら軽くて分解できない歩兵砲的な性格強めないと遺棄する量が増えるだけ
実際に44年度の兵器別生産実績では野砲・十榴・そして十加以上の野戦重砲は軒並み生産数がゼロになってる
そこに防衛戦・攻撃戦とかの区別はない
馬も車も不足しているなかでそんな火砲は戦域がクソ狭くない限り使い道がないだけ
必要とされているのは単に高性能な兵器ではなく戦場を選ばない兵器なのよ >>776
だから>751で言ってんじゃん、四一式すら過重で操砲人員過多、もっと軽量な火砲を日本軍は開発しようとしていた
IG L/13ならもっと軽量だよ
それに史実でも野砲で山越えとかの方がもっと悲惨だから
ボ式ですら「あまり小さく分解出来るように作られてない」と不評タラタラだった日本軍が、野砲をそういう戦地に投入したらもっと酷い結果にしかならないと思うんだ
勿論、「そもそもそんな地域行かん!」がまかり通るならどれだけ良かった事か、って話なんだけどね 砲の軽量化ももちろん靴もだよなぁ
装備の周辺、被服領域で気付きにくいけど
児島さんの「誤算の論理」にあるんだけど、分捕った米英軍のやつはバカでかくて大概サイズは合わないんだけど
日本兵の感想は「畜生、よく出来てやがる…」だった
すでにグッドイヤー製法採用しててすごく丈夫
明治維新で革靴履きだして数十年の日本と西欧キャリアの差だね 砲の軽量化ももちろん靴もだよなぁ
装備の周辺、被服領域で気付きにくいけど
児島さんの「誤算の論理」にあるんだけど、分捕った米英軍のやつはバカでかくて大概サイズは合わないんだけど
日本兵の感想は「畜生、よく出来てやがる…」だった
すでにグッドイヤー製法採用しててすごく丈夫
明治維新で革靴履きだして数十年の日本と西欧キャリアの差だね 砲の軽量化ももちろん靴もだよなぁ
装備の周辺、被服領域で気付きにくいけど
児島さんの「誤算の論理」にあるんだけど、分捕った米英軍のやつはバカでかくて大概サイズは合わないんだけど
日本兵の感想は「畜生、よく出来てやがる…」だった
すでにグッドイヤー製法採用しててすごく丈夫
明治維新で革靴履きだして数十年の日本と西欧キャリアの差だね >>743
この人ら、栄養たっぷり摂って登山道を短パンに出来のいい現代のトレッキングシューズだろ?同じ重さ担ぐんでも
南方の山砲兵のほうがはるかに過酷だ
未踏の原始林の急峻を栄養不良でマラリアやら悪疫にやられ鉄帽、銃剣、やら装備がプラス
雨にしばらく浸かると分解する靴だぞ?
班長の鉄拳はもちろん敵の弾も降ってくる!
とにかく靴擦れが痛くて脱げないやら傷から感染症なるやら、戦時中の靴に関する悲惨な記録は多いね >>743
この人ら、栄養たっぷり摂って登山道を短パンに出来のいい現代のトレッキングシューズだろ?同じ重さ担ぐんでも
南方の山砲兵のほうがはるかに過酷だ
未踏の原始林の急峻を栄養不良でマラリアやら悪疫にやられ鉄帽、銃剣、やら装備がプラス
雨にしばらく浸かると分解する靴だぞ?
班長の鉄拳はもちろん敵の弾も降ってくる!
とにかく靴擦れが痛くて脱げないやら傷から感染症なるやら、戦時中の靴に関する悲惨な記録は多いね すまない荒らしではない
パソコンの調子がおかしくて連投なった次第
かまわず続けてほしい つまりは道路啓開能力も運搬機材も、栄養補給も、そして靴も、全て大きく見劣りしてるので
その上で体力任せの人力運搬な山砲に頼ろうぜってのは、何ていうか袋小路なのよな
何ていうかよりまともで、より対抗が可能な部分から追いやられ
敵も得意とはしてないけどこっちだって不得意な分野に追い詰められてるだけ
命かかってるんだから楽してズルして頂きだわな分野に突っ走らんといかんのである 確かに栄養とか筋力ベースだと現代日本人の方が上かもだが
老若男女が60kgの米俵をひょいと運んでた時代の人たちを
我々の常識で考えるのもまた間違いだと思う 未開の土地を切り開いて道作って重砲通すなんて出来る国家はアメリカだけだろ
もし実際にアルデンヌの森を戦車が通り抜ける事が不可能だったとしてもアメリカなら森を切り開いて無理矢理通しそう 昔の人は肉体労働を通して身体の使い方に習熟してたってだけよ
担げるだけの筋力はもとからあって
あとはきつい耐えられないと思う気持ちを我慢する気力とか
上手にバランスをとる技術が身についてるかどうかさ
ttps://www.youtube.com/watch?v=vBHqjhawfrs
60kg以上を担いでスタスタ歩く例。
担ぎあげる工夫やバランスのとり方で、このぐらいまでは問題ないのじゃ 昭和の人間は現代人と比べて運動量が全然違うんだが
自動車も家電もロクに普及してなかった時代、日々が今からすれば過酷な肉体労働だよ
ウンコひとつするにしたって毎回和式便所だったんだよ
これでかなり現代人の下肢が貧弱になったってよく言われるじゃないか 洋式便器は投下すると水が跳ねてくる事あるから嫌い。
他人とケツキスするのも嫌なので、外では最大限使わない。 ケツキスが嫌なら洋式にウンコ座りすればいいだけだろ >>793
それする奴がいるらしく、便座に靴の跡が残ってる事とかあるね。
それも俺が洋式嫌いな理由。 お釣は最初に紙を入れるのだがw
それと便座は拭けwそれ用の溶剤も備え付けられ始めたし
つかそういう奴は支那のニーハオ便所で挨拶でもしてろw おまけw
日本で水洗便所がまず導入されたのは
刑務所の類
それと洋式も兼用出来るしなあ
移民の帰国者も導入が早かった
(洋式のぼっとんも御座いますw)
樋田くんは今日も逃走中w
富田林から尼崎まで行った樋田くんw 小塚金七一等兵がルパング島で1972年射殺されたとき履いてたのが、コンバースの
バスケットシューズだったか >>797
七一等兵とか毎日便所掃除させられてそうな階級だな 戦後のゲリラ戦で気が荒んで小野田少尉に盾突いてガチの喧嘩したことも何度とあったらしい
信頼できる部下ではあって、フィリピン警察との銃撃戦で勇敢に散華した >>772
四年式15cmも何門か揚陸成功したんだが、第二師団の支援に撃ったところ米軍お返し砲撃で瞬殺された
とかあるね筆者失念だが
射程が九四式山砲とかわらんからね…
写真で、残ってる完全体の放棄砲写真はべつの個体らしい ガ島で重砲揚陸成功は九二式十加二門、九六式と四年式十五榴があわせて四門で合ってるかね?
海軍の十二糎高角砲もあったそうだけど 四年式は最大射程での射撃は抗耐性に問題があったかとかで砲架に相当な負担がかかるので制限されてたとどっかで見た記憶があるぞ
野戦砲としてそれなりに連発して使おうとしたら本来の射程の7850mが丁度いいんだろうな
俺が思うに四年式は砲身が短小過ぎる
砲架の重量ではなく砲身・閉鎖機周りの重量が大きいと砲架に伝わる衝力も軽減されるし、長い砲身によってゆっくり加速させてやればブラストも小さく収まるし砲身にも優しい
装薬の組成・燃焼速度をもうちょっと見直して砲身を延長した方が無難な十五榴になったろうに
短砲身で初速思いっきり上げて遠くまで飛ばそうってのがどだい無理な話で、理想的には18〜20口径程度は確保した方がいい >>792
経験ないのだろうが、和式ポットン便所だと糞が跳ねて来るんだぞ。
糞が肛門から離れる瞬間に腰浮かす技が自然に身につく。 >>803
それは汲み取り式だから満タンになりつつあるかよほど貴方が腹を下していただけだと思うぞ… 和式も紙を入れるのだが?
ずっと学習出来ない人か?w ボ式山砲の話が出ていたが、
ガダルカナル島の第38師団は、ボ式山砲装備だったようだ。
国産の九四式山砲の方が性能面でいいんじゃないかと思ったが、当時は数が出回ってなかったのかな
第38師団は支那事変で活躍、香港・蘭印を攻略した実戦経験豊富な猛者の集う集団だったらしいが、そんな彼らでも
NHK「太平洋戦争 敵を知らず己を知らず、己を知らず」の単行本によると「3つにしか分解できない」と批判される砲だったらしい
オランダ軍も中国軍も使っていたので割と出回っていた可能性
特に中国軍のは、照準器ぶっ壊されたのを工廠で修理してまで使うぐらいには分捕った しかし3つというのは取説でも読めよ!、と一瞬言いたくなったが、鹵獲品だったな 今の時代ならメーカーのHP覗いてPDFダウンロードするだけで済むんだが ドイツにはカタログあったんだな
ttps://www.usmbooks.com/bofors.html ボ式山砲はさらに分解できた。10パーツだったっけ?
蘭印鹵獲のやつは分解特殊工具まで入手してないのだろうな
それでガ島では三分割の無茶重量での人力搬送挫折の巻だろう
大陸で分捕ったやつも閉鎖機やらべつに埋められて見つかりじまい
国産部品充当して撃てるようにした
80年代panzerの木俣記事より
>>807
38師団に配属された独立山砲部隊は大陸で分捕って内地で整備したボ式山砲装備で香港で使用、蘭印作戦にも参加してるから
損失ぶん埋めるようにオランダ鹵獲ぶん同砲を追加配備されたものと思われる 訂正 wikiみたらボフォースM1934は8つに分解できるとな >>808
放棄兵器とちがい武装解除で敵に引き渡す際は取説やら特殊工具やら欠品で渡しがち
イヤガラセであるし、せめてもの抵抗なんだろう
無傷で装備接収したい敵軍が兵器本体そのものを故意に破損させてたりしたらブチ切れて
どんな過酷な自軍捕虜扱いに転嫁するかわからんけどね
付属品の不備くらいなら「本来はメッケモンだし、まぁ、しゃーないか」となる
その欠品による敵の接収戦力削ぐ効果は半端ないんだが、心理的にはそんなもん サイパン島で海兵隊によりしばしば日本軍に向けられた九二式大隊砲みたいに、鹵獲からの即時利用は防げるからな >>807
麾下配属部隊である独立山砲兵20大隊がずっと師団と一緒に大陸、蘭印、ガ島に
転戦してるためだろう
38師団の本体である砲兵連隊はガ島にすくなくとも砲は上陸できてないはず
せいぜい連隊砲くらいでは?
もともと砲兵連隊は輸送してなかったのかも
記録で読んだことないから
沖で輸送船やられて、遺体が漂着とか生き残りの兵隊もほとんど丸腰で上陸したそうだけど
第二師団のときは重砲を辛うじて揚陸できたが、輸送船はことごとく海岸で擱座した
弾薬、糧食はほとんど爆撃で焼失だね 調べたら山砲兵第38連隊も輸送されてて山砲を人力担送してた記録があるけど、定数は四一式山砲×36だった
ガ島では673柱亡くなってるね
確かにボ式装備は独立山砲兵第20大隊で9門装備だった >>816
かもしれない
独立大隊のほうが大陸分捕りスポーク転輪で山砲兵連隊が蘭印鹵獲オランダ仕様
ゴムタイヤだったか、逆か、はたまた装備が入り乱れてるのかわからん…
独立のほうはガ島で隊解散してるよ 九四式制定後に単脚砲架のボフォース模倣試作砲つくってることからすると、なにか技術的な
メリットあるはずだけど 過去スレでチラっと出た試製一式山砲か?
単脚の方が軽く出来るというのはあるよ
トーションボックス構造にしてな
左右射界の狭さは割り切るというのもまた山砲の一つの在り方だよ
バックハウザーも四一式も単脚だしな 適当にグーグルかけたら
試製一式山砲
高低射界−8〜+45度 方向射界右60ミル〜左50ミル 放列砲車重量600キログラム 初速400メートル/秒 最大射程8,5キロメートル
軽くなってないどころか重いな
これで九四式より後発というには寒過ぎる性能であるからどこからどう見ても不採用まっしぐらの砲だな…
一門は一門なので、ここで貴重な火砲一種分の開発リソースが失われたのには変わりない
然るべき将来火砲にまで手が回らなかった
何が正しかったかなんて俺にも分からんが 火砲で、こと山砲に関しては本邦が唯一世界にタメ張れる分野だと思う
九四式山砲を見ると、実はとてつもなく完成されきっているんだな、という印象を受ける
鹵獲調査した英軍の評価がそれを裏付ける
まあ一方で単脚は軸線と脚が同じ方向だから左右モーメントが小さい、つまりごく狭い範囲への射撃安定性は高い、少なくとも開脚式に劣る事はないと思うよ
九九式十糎山砲だって単脚だが、参考元が単に古かったからじゃなくて、日本が十糎というクラスの山砲をギリギリ運用できる範囲に留めるにはどうしたらいいか、ちゃんとした検討があってそうなったんだと思う
四年式十五糎榴弾砲とかそのクラスの支援火砲となると、固定目標への射撃が多くなるし、前線運用の山砲クラスなら数人でヨイショ、で即座に転回出来るから、何だかんだ言って単脚式火砲はWW2でも実戦に耐えていたんだと思う 山砲じゃ転移射とか広範囲の移動弾幕とかしねえだろという見切りであるな
どうせそれだけの弾丸も運び込めんだろうし 転移射って中国軍のラ式十五糎榴弾砲が九六式十五糎榴弾砲を撃破した時の射撃法でもあるらしいな
試射の後いきなり効力射に移って有効な射撃をするもんで、戦闘文書によるとかなりやり手の敵砲兵だったらしい >>57
ドイツの十五榴のそのうち半分弱は1944年の2295門生産で稼いだだけだろ。
日本は1944年度だけは佐山本やアジ歴主要兵器別生産状況によるとなぜか十五榴作ってないんだよ
実質的にほぼ43年度を以って調達完了(というよりほぼ終了)
43年までで見るとドイツは鹵獲砲でかなり埋め合わせしたけどせいぜいが4倍ぐらいだよ
太平洋は海空戦力メインだし満州はソ連と対峙してるだけだし、実質的な陸軍展開規模で考えるとメインはほぼ中国戦線なので、陸軍の展開規模考えればソ連とアフリカ大陸で二正面やってた頃のドイツの方こそ戦域広く、これで足りるかと言いたくなる
日本は十五榴千門は確かに少ないけど倍の二千門あったら展開規模を考えれば過剰なくらいだ 広東、香港、蘭印、ガダルカナルで使ってたボ式山砲で不満聞くのはガ島だけなんだよな
分解工具1セットでも鹵獲してれば、模倣品製造するくらいわけないからな
欧米オリジナル製品に及ばないにせよ
大陸で分捕った個体は欠品部品を内製しただけでなく、もろもろの付属品も造ったんでは?
それで独立山砲兵20大隊ではそれほど問題はないとか?
たまたま第三八山砲兵連隊が本来装備してた四一式損失したので、蘭印で鹵獲ボ式を
編入したため付属品まったく不備で「みっつの部品にしか分解できなかった」って事態なのかも
NHKの原本でも「わたしらジャワで獲ったオランダ軍の山砲使ってたわけですが…」
で所属部隊書いてないんだよ
姓名はあったから、それで部隊判明するかも
家に埋もれてる本を発掘することにしよう 追記
みっつに分解するていうと、砲身、駐退複座機、砲架と転輪の腑分け内訳なのだろーか?
人跡未踏の密林を鉈で啓開しつつ大八車みたいに砲架以下にロープ何本か繋いでゴロゴロ牽いたのか… >>825
それは総製造門数をかなり多めに見積もった累計数で同時期に実在するほぼ戦地で実用なる九六式、四年式十五センチ榴弾砲はせいぜい
500超えがMAX数字だ
四年式なんて戦間期に大陸に売却してたくらい 日本で最大多数製造した零戦が終戦時、何機ほどが本土と外地に飛行可能な状態にあった
とか調べればわかると思うけど 零戦は消耗品かの如き大量生産大量消費だが、対して火砲は基本永く使うものだ。
実際に関東軍の部隊は後期まで温存されてたし
敵の対砲兵戦闘が散発的で、対中国戦線であまり消耗してないからノモンハンを除けば
本格的消耗は42年のガダルカナル以降だけど、
日本の生産数は少なく見積もっても、
明らかに記録があるんだから900門は堅いだろう
対してドイツはフランス大陸での英仏連合軍、アフリカ大陸での英軍、そしてソ連軍と日本が経験するところではない戦力の軍隊とやり合っているので、ドイツこそ総生産数に対する同時期に存在した火砲は少ないだろう
日本が半分ならドイツだって半分くらいだろ
そもそも四年式は内筒交換式だし、売ったのは多くが厄介払いの三八式十五榴だ。主力の四年式はさほど輸出されていない。
ああ、そういえばs FH 18こそそれなりのセールスだったな。 当時の工業製品は耐久性が低かったからな兵器に限らず
三十年式歩兵銃支給されてそれほど経ってない第一師団の日露戦役出征で小銃をすべて新品
に更新してほしいと要求あり、そのとおりの請求とおったとか
WW2期でも、戦車のエンジンなんて2000kmごとに降ろして全バラオーバーホールしなきゃならんかった
四年式のはじめの生産砲なんて一次大戦の時代だろ?
へんにオーバーホールするより、廃砲にして部品どりドナーにするほうがよほどいいだろうよ
いくらいじくりまわして修理整備してもちっとも射撃精度とか新品には到底敵わん
戦時中の話でも「おまえの三八銃は腔栓がすり減って程度がわるいから替えてもらえ」なんて
文句が日本の戦史 兵器大図鑑にある 独ソ戦勃発時のソ連戦車は六割が完全オーバーホール要する状態だった
赤軍大粛清で有能な将軍将校が七割がた粛清されたしガタガタとか重大な原因もあるが
とにかく機械の耐久性が現代と比較にならないことは理解すべき
さらに訓練不足やら、GPUが部隊の反乱惧れ弾薬補給を渋るやら、そんな不備をドイツ軍に衝かれて惨敗した
当時いちばんましであったろうアメリカでも、毎年クルマのイヤーモデルが発表して
たいして豊かでもない連中が買い替えたのも、いちど憑りつかれたモータリゼーション
呪縛から逃れ得なかったのとそんな事情
…そんなガタガタであるはずのソ連軍にノモンハンで負けたわけだけどね >>828
いやトータルで千門に関しては過大に見積もってない筈
日本の大阪工廠の1942年10月までの生産スコア九六式430門+四年式414門
戦略爆撃調査団への報告 1943年度で民間合わせて九六式90門は確実だし
千門は割とミニマム寄りの推定だよ
大阪工廠はあくまで一工場しかなく、トータルでどれだけ生産するかは陸軍省だか何か上部組織の把握するところだろ
加えて民間がどれだけ作ったか?実態としてはこれでも過少じゃないか?
九六式は民間も作ってる事が分かる
海軍系企業の日本製鋼所は高射砲と艦砲を量産していたが
陸軍の対戦車砲は作っていたし、
満州の奉天製作所(旧東三省兵工廠)は占領時点で、「設備が比較的新しく、本土の工員によって稼働可能」「全陸軍工廠の二割に相当する」とまでされた評定だから、ここで生産された膨大な兵器類が必ずしも含まれたか?は火砲に限らず日本陸軍装備全体に言える
>>831
実はだな、こと重砲に関しては、平時では滅多に実弾撃てず
砲身はピカピカだったんだと
実はこれ自衛隊にも言える
FH70はAPU周りがボロボロで逐次耐用年数迎えて退役していくが、砲身はほぼ新品同様のまま
それなのに新火砲とはどういう事だ!けしからん、というKYTNソースなんだけども
つまりそういう事だ
これが数千門のWW1大戦の火砲をどさんこと抱えた英仏が、大戦で酷使されなかった日本と違って
そこまでそれらを高い割合で活用出来なかった理由 >>833
自緊砲身の九六式十五榴を大阪造兵廠以外で製造してたとは佐山本コンプリート後の近年までまったく聞いたこともありませんが
あと、いくつかの状況証拠で南満州で四年式をおそらく造ってたであろう、にすぎないんすけど
事実無根の誇大妄想的書き込みはスレ信憑性をそこなうのでやめていただきたい >>832
>>…そんなガタガタであるはずのソ連軍にノモンハンで負けたわけだけどね
変な煽りは無用
戦車はともかく火砲の機械的信頼性は比べるべくもないのは何ら疑いないだろ
それに三八式はライフリングがメトフォードとかいうポリゴナルもどきだろ
ライフルのツイストレートも急激だし、銃弾は細長いし
必ずしも素材・加工技術のそれを表すとは限らない
九九式なんてクロムメッキで腔内は75年以上経った現在でも白光りしている
それはそうと戦車に行ったり小銃に行ったり話があっちこっち飛ぶと変な話題脱線のリスクを伴う
特に弱体とされたソ連軍に敗北したノモンハンは軍オタのコンプレックスを刺激し一発でスレが90度横に向く恐れがある >>834
佐山本コンプリートだと?
野戦重砲のやつで、戦略爆撃調査団への報告で民間合わせて昭和18年度90門製造ってあるだろ
あと四年式は設計図交付してる記録があるとネットソースだが見たぞ
というか佐山本コンプリートを謳うということはまさに>>57本人か
佐山氏を痴呆呼ばわりしてた筈だが、彼をおいて火砲に詳しい研究家は居ない そのネットソースはおれだけどね…
日本軍接収前の奉天兵工廠の記録から
あんた、面倒くさそうな人だからおれはもう寝ます… 待ってくれ詳しく、と言いたいが遅かったか
あとアンカーミス、>>53な。>>57ではない 師団は編成定数の2倍ないし3倍の装備を所有してて
平時の訓練で使うのと倉庫に寝かせてある本番用がある(偶に入れ替え)
だから師団が出征すると訓練用装備や駐屯地設備を利用して留守師団が立つし
後備兵連隊で出征とかもあるので、だいたい常設部隊の2倍前後までの武器在庫があるわけ
この事前に用意できてる予備在庫・訓練装備が払底した後に生産が追いつかないとかになる 自緊しないことに切り替えた1式47mm砲というのがあってだな・・・
生産数を引き上げるためにやったらしいが、まあ我が国の末期の火砲生産とか悲しいよね 火砲生産より弾薬生産が悲しい。
火砲生産数はドイツと一桁違うが、弾薬生産数は二桁違う。 戦前戦中の日本は陸戦の主力兵器たる近代的十五センチ榴弾砲を30年かかって四年式と九六式あわせて千門
弱しか製造できなかった
いくら海軍艦艇と航空機にリソース割かれたとはいえ残念な結果ではあるね
列強のなかでアタマは取れなくとも、陸軍国海軍国でいちおう鳴らしてた存在だったんだけど
本来の経済規模パイが小さいもんでなぁ
まったくといっていいほど余裕がない
当時の庶民の生活なんて現代日本ナマポのひとにずっと劣るよ
いまはスマホ持って、贅沢や浪費しないかぎりは平穏に暮らせる水準だから
すくなくとも食うには困らない >>838
接収前に日本人技師が複数送り込まれていた
破壊活動なしに製造設備をスムースに入手するためのスパイの役割もあっただろう
接収前にすでに四年式の製造図面を下付してる
接収前に日式十加を数門製造してた
シュコダ社、ベーラー社(もともとオーストリア・ハンガリー帝国でww1後に分離)
M191710cm M1918 7.7cmで姉妹砲といっていいの模倣砲を製造
自緊砲身以外は造れた
日本が接収後、四年式の損傷修理で内地から送られた砲架半製品使って加工、修理完了
してる
一貫生産は無理だが、砲身素材切削して仕上げるくらいの能力はあった
などなど… いちばん大事なこと忘れてた
その際の奉天接収砲が準制式の十四年式十榴とナ.ナ野砲 ごめん、十榴はskoda 14/19 10cmが原型のはず
おそらく転輪の制止緊締ハンドルであろうものの位置が大陸製と逆とかの差異はあるけど >>841
何言ってんの、ドイツとは10倍米国とは時期に寄るけど50倍程度って所でしょうが 一桁違うってのは、10倍違うってことだろ。なに言ってんだ? 佐山さんによると、アメリカとの火砲弾薬製造数でいうと日本の80倍
けして弾薬総重量でないよ
野砲中心の日本とは、さらに10cm以上主力の連中は隔絶することのアルヨ まぁ、ドイツは火砲製造数に比べて弾薬製造数の割合が高いからな。
砲はチェコやフランス、独ソ戦初期に鹵獲したのを大量に使ったので
必然的に弾薬の製造割合が高くなる。
あとは、いっぱい弾を撃つ高射砲の割合が高かったのも大きい。 沖縄戦で日本軍の参謀が敵の火力は200倍とか書いてたはず
艦砲射撃を勘案すれば、むべなるかな… 陸軍火砲が少ないのは、海軍との折半、これに尽きる
日本製鋼所は大阪工廠に匹敵するかそれ以上の火砲製造プラント群
東條英機が視察に行った際、海軍の機密事項が満載だからと突っぱねられたぐらいには、海軍御用達企業
陸軍の仕事も一部引き受けてはいたが…
藤井非三四「日本軍とドイツ軍、どうしたら勝てたのか」によると
ドイツから特注した大型旋盤で加工した大和型戦艦の46センチ砲、たったの一門で165トンだ
が、九六式十五糎榴弾砲の砲身は1388kgに過ぎないのだから、凄まじさがわかるだろう
その九六式十五糎榴弾砲ですら、小口径の陸軍では重砲というスケールなのだ
日本は信濃のも併せてこれを最低27門製造している
これだけの砲身用の貴重な合金鋼を捻出するにはどうしたのか、赤子でも分かる
実は1940年の日本の粗鋼生産量は685万トン、ドイツの1914万トン、イギリスの1318万トンの2〜3分の1しかない
しかないが、「も」あるという事でもある
ドイツより更に陸軍特化なソ連はというと、ドイツ未満の生産量しかないのに大陸軍を手にした バロメーターで軍備以外での国民ひとりあたりの金属使用量ってのが開明度である
よほど大尽サマでないかぎり、自転車か地下鉄乗って通勤して家にラジオあれば
それは成功者の範疇だからなぁ
民需での使用量が限られてると、いざ非常時なっても鉄鋼増産おいそれできないわけだ
もうすこしモータリゼーション進捗してれば…
最近読了した「トラクターの社会史」は良書でみなさんにもお勧め
戦前戦中、列強の田畑モータリゼーションが主な内容 そもそもだな、パイを語る際に、戦前の日本のスケールというのは、簡単には計りかねるものなのは理解して欲しい
確かにとある視点からはイタリアに毛が生えた程度、中国以下の糞雑魚野郎だ
しかしまた別の視点からはフランスぐらいの強国にも映れ
またある視点からは、やはり糞雑魚、となる
日本陸軍の弱体さを国力不足に求めるのではなく、陸海軍折半の結果とするのが妥当ではないか?、というのが俺の考えだ
実際に島国である日本は海空戦力が大日本帝国の趨勢を分けたのだから折半というのは何ら間違いではない >>853
戦前日本の鉄の最大の需用は船、二番が鉄道のレールだっけ? 150万トンの連合艦隊を維持するには年5〜10万トンの新造代替艦があるということで
その分の武器を製造するだけの能力が海軍工廠と関連企業にはあって当然の能力で
そのために設備投資してきてるし、その能力は陸軍の委託生産でも役立てられてるってだけのことよ
同様に陸軍だって平時規模プラスアルファ程度の製造力はあるわけで
平時が10〜20個師団規模なんだからあの程度の製造量なのは当然でしょという話よ >>843
まず日独の十五糎榴弾砲の需要の違いもあると思う
・四年式十五糎榴弾砲
昭和16年度陸軍動員計画令で師団砲に回される、つまりそれまでは軍砲兵だった
更に軍砲兵の火砲としては制式採用当初から満足のいかない性能で、「陸戦の主力兵器たる」とまで生産に本腰を入れられるほど褒められた出来ではなかった。
→不急兵器
・九六式十五糎榴弾砲
体格の劣る日本の馬では分割牽引不能、よって機械牽引オンリーとなった為、これもまた軍砲兵と機械化師団配備以外は絶望的となった
・sFH 18 分割牽引可能、独軍は軍・軍団砲兵と師団砲兵の両方に配備可能。
日本軍の主体はあくまで師団運用できる山砲・野砲と軽榴弾砲であった
更に言うとドイツ軍はじめ海外軍の様に軍団制度を採用していないのもある
だから師団に対する上級司令部直轄砲兵の割合も少なくなる
つまり、二個師団で軍団、ここにワンクッション挟む事で独立した砲兵の需要がまた生まれるが、日本の師団の上級単位は軍である
俺も千門では少ないと思うが、まず編成が少ない、これも要因であると思う
まず、日本軍は軍の組織からして、准将のポストがなく、師団長がほぼ中将固定だしな >>856
被ったがそう言う事。
十五糎榴弾砲はあくまで平時の需要数を満たしている
十五糎榴弾砲の生産が少ないのはなぜか?
自明だが必要とされている分以上は要らなかったからだ
十五糎榴弾砲の生産数が増えるには
・四年式よりまともな性能の、師団配備可能で主力に足る火砲を少なくとも九一式の時点で制式する
これでやっと十五糎榴弾砲の師団配備をやろう、性能がまともになったので軍砲兵を拡充しようという気を早く起こす
十五糎榴弾砲の価値に早く気付く、その素地になる
まあ、野戦重砲兵連隊はお役所的な管轄管理上、普段は平時の書類上は師団に組み込まれていた時期も長いが、それはあくまで師団としての運用を考慮してないからな
野戦の付かない重砲兵連隊も含まれちゃうし つまるところ
海軍がまだ頑張ってくれていればそこまで陸軍がこれだけの低評価を受けることもなかったのでは…と思わないでもない
海軍国という面で見た場合ね 米独師団は重軽榴弾砲
日本軍ソ連軍師団は野砲軽榴弾砲
という違いは、割と知られていたと思うんだが生産実績と生産力の違いとはまた分けられる事案だろうね
日本軍の中での十五糎榴弾砲の立ち位置は、ドイツ軍のそれとは違う
史実で十五糎榴弾砲が活躍したから、生産すべきだったというのはまた別の論だしな
俺が思うに陸海軍の比率的には、国防予算のうち人件費除く軍備調達に充てる金を陸海軍半々にしてたらもうちょっと装備も充実した陸軍になっていたと思う
史実だと、陸海軍は予算半分で、当然陸軍の方が人が多いので人件費が嵩む為、予算では同等でも軍備としては陸軍がお粗末になる
だから、弱体な軍隊になってしまう
>>859
いや、日中戦争では陸軍の戦力不足が痛かったから、つまるところ、海軍ではなく陸軍にもうちょっと頑張らせてやるべきだった
特に火砲
中国との戦争では明代に作られた城壁は野砲では全く崩す事ができなかった為に多くの将兵の命が失われた
野戦重砲で砲撃して破壊し、どうにか緩い坂を作って歩兵の突入路を切り開いたんだが、それまでに夥しい尸を晒したね
日本陸軍の装備が劣っていたからに他ならない 海軍が何だのよりどこの国にでもある平時の陸軍の在り方の問題だろうな
陸軍には戦時にもう師団留守隊を基幹にもう一個師団動員する「二倍動員」という手法がある
更に平時の一個師団というのはだいたい戦時の半分以下ぐらいで、つまり戦時には四倍に膨れ上がる
徴兵制採用国における平時の師団は主に教練役の精鋭が「即応可能な予備兵育成の為順番に教育してはすぐ復員させて新しく徴兵しては回す」為のものだけど
金がかかるんで
徴兵制無い場合の「兵を育成する立場の教練役を数万とか常備して、戦時に大量のエリートで教練を数倍効率で行う」方にする論も盛んに出た
むしろ日露戦後の陸軍が大真面目に考えていた、帝国国防方針(1907)の平時25個/戦時50個師団体制をもっと上手くやれたんや
第一次大戦中に21個から4個師団削減するどころか、さっさと3単位師団に移行してむしろ4個師団増設する勢いで25個師団達成して、無理な師団は最悪各隊基幹要員だけで構成された○○師団教育隊と装備保管庫みたいなもんでいいよ
だから人件費の何のこっちゃではなく、各師団に二個師団分の員数分の兵器だけは常に新鋭のものにして使わない分は不活性ガスで封印しとけば良かった話なんだよなぁ
陸軍の弱いかってのはなんというか、軍縮期で盛んに議論された人員削減少数精鋭志向を徹することができなかった陸軍の自業自得の様な… 訓練で使わない分は、ね
ヴァイマル共和国軍→国防軍への移行はむしろ一旦敗戦却ってが功を奏した好例だね
フランスは戦間期にかなり歪な方向に行って、結果として短期間で促成されたドイツ軍の方が質でも圧倒するという
そもそも各国とも陸軍って存在自体がまず人件費問題とは切って離せないんで、上手くやってるところはそれなりとね 15榴を師団に配備するには、15榴の弾薬を運ぶ分(師団輜重)を増強する必要がある
歩兵の食い物すら運びきれない支那戦線で重砲の弾薬をどれだけ追送できるかとか考えると絶望できるよね
支那戦線の段階で日本陸軍の兵站機能が全然追いついてないのが証明されちゃってるわけで
仮に師団砲兵の15榴化が前倒しで行われたとしても、結局前線では撃ちたくても弾がねえよで終わるだろうな というより、中国戦線では結構広いので歩兵隊が突出したり散兵し過ぎたのが問題だろう
徒歩行軍とはいえ移動力が重砲兵の比ではないし、そもそもあまり各兵科の連携が取れていたとは思えんしな
ウースン上陸戦を経験した人の上海戦での戦記を読んだが、制空権もあって補給点がすぐそばにあるのに、中隊に補給が来ないというのだから、おそらく損害で支離滅裂気味になった軍隊とかの場合だと把握出来ていないのではないかと
さほど広くない上海ですらこれなのだから、というか素の時点で管制能力が怪しく、これは砲弾の重さとか輸送量ベースでの次元以前の話も多分に含まれていたのではないか?とも思う
船がことごとく沈められているわけでも、またその後に比べれば遥かに補給困難な地形・距離でもない
つまりそういうことではないかと思った
師団直轄の重砲部隊ならまだ通信もあり、あまり散兵しないから追跡できた様にも思う >>862
陸軍しか行き場所のない人間がごまんといたからね
少数精鋭主義にしたほうがいいが、じゃあ人殺しの訓練をした人間を大量に無職で放り出したらどうなるか
社会保障なんかろくにない時代、軍が抱えるしかなかった 半グレをいざ非常時戦争になれば役にたつから軍がかかえてたわけか
いちおう衣食住は保証してたからね
平時に巷ではクソの役にたたないどころか、巷には社会不安垂れ流す有害な野獣以外のなにもんでもなかろう 海軍陸戦隊の小平とか、上海戦で何人か刺殺の英雄だったとか 徴兵も軍隊も明治以降なので、それ以前からおかしな奴は居たし
それを社会がなんとか許容してたわけで
軍が面白動物隔離施設になる必要もないし
そもそも本当にクソダメな奴は軍にだって居られない訳で あまりにアウトローかつ有能な人材は特務機関で多く抱えたらしい
大陸浪人といえば聞こえがいいが
児玉とか戦後のフィクサーなった類 >>862
人員削減少数精鋭なんて、第一次大戦の教訓を無視した行為で
第二次大戦での日本の敗北の一因だ。ドイツは10万に制限され
た軍の中で将校の比率を極限まで高めたし、米英は予備役将校
の訓練課程を一般大学まで拡大して損耗に備えてる。 性能的には四年式よりシュナイダーM1917C 155o導入するほうがよかった
sFH13 15cmより数値はいいぞ
許されるならば、ならな
戦間期に余ってたはずだが
交渉次第でかなり安く買えたと思う
機械化牽引の重砲兵連隊の九六式とはべつに馬匹牽引の師団砲兵用としてね
口径は内筒入れ替えで149mm仕様にすればいいんだ
米軍もガ島で使用、M2に装備更新されてからは豪軍や雲南遠征軍に渡して終戦まで使ってる 口径はそのままでも、砲弾の銅帯を分厚く嵌めてやれば撃てるとは思う
発射ガス漏れしやすく、弾の首振りで命中精度はおちるだろうが ドイツでも7.5cm砲弾を7.62cm砲で撃ってたよね ただ四年式で、おれが数すくないメリットとして評価するのは65度の仰角なんだよな
臼砲なみというか当時の15榴ではめずらしいスペックだろう >>871
WW1を経過したからこそ、装備更新し続けないと国ごとアウツという戦訓→外交のトレンドは軍縮→装備か人員か→人員減らすしかねえ、っていうごくごく妥当な判断だとおもうわ宇垣軍縮 >>872
1917年式は4年式より大分重くて
しかも前車つけての牽引だから、牽引重量だと4トン近くになる
分割で2トン級にしてる4年式と比べられるタイプの武器ではないのだ でも分割だとトータルの輸送量は重くなるわ、砲架車と砲身車の結合には相当の力を要するとされるわでやっぱウーンやわ
6頭ばんえいで×2だから12頭
十五榴で二車分割式って結構あるけど、スコダ vz.37やsFH 18みたいな高性能火砲じゃないと割に合わんわな
そもそも第一次大戦移行砲兵の機械化もトレンドであって、スポーク転輪でもホルト牽引車でガタガタ引くのもまた手なのだ… ただしM1917Cはアメリカ仕様のM1918で、高仰角射撃でボンッっと跳ねる動画があったから射撃精度には黒い噂が付くから手放しで喜べるものじゃないんだよなぁ
こちらは四年式もどうだったかを併せて考えないとフェアじゃないけど
>>876
砲兵に関して言えば、削減された師団の砲兵連隊は野戦重砲兵連隊に転換のベースになったからな
将校が大事なら尚更、国家の労働力源たる人間を奪ってまで兵士を養う必要性はない
そもそも将校は兵士も訓練できるのだからなおさらドイツの様にすべきだっただけ
ドイツの将校は全課程において優秀を求められた フィリピンで鹵獲したもとM1917 GPF 155mmあらためM1918 カノンを日本軍が使ってる動画あるな
M3軽戦車が標的でひっくり返るやつ
M1918 155mm榴弾砲のほうも鹵獲して使用と、編成文書記録では過去スレであったな
高温多湿のフィリピンでは馬でなく車両で牽いてたはずだけど >>878
砲車が重いと、牽引車も重くなるんだよ
ttp://www.warbirds.jp/sudo/artillery/artillery_2_1.htm#A1_1_4
>第四款 独立野戦重砲兵
>十四年式十糎半加濃を以て装備し(略)
>本砲兵材料は其全備重量約三千五○○瓩にして
>之に五瓲牽引自動車を附するときは既に其全重量は八瓲余に及ひ
>為に橋梁等の通過に際しては至大の注意を要する
戦車でもあったけど、架橋機材等の補助がないと動けなくなりかねないのは結構辛い 短時間の渡河なら人力で動かせばいいだけだよ
射撃時には牽引車から外してからは人力で移動するわけだから3〜4トンぐらいまでなら動かせないと使えない ほぼ平地で移動する設営時とどうあっても地形がボコボコの渡河を同一視していいのか? あぁ橋梁渡る時だけってか
しかし短時間といってもなぁ…… 短距離というべきか?
困難という姿勢からにはいったいどれだけの川幅の大河の渡河を想定しているのやら 橋があるたびに牽引車外して、何十人かかりでエッチラオッチラ動かして
渡りきったらまた牽引車につなげては、出来るか出来ないかで言えば出来るだろうけど
それで良いだろにしちゃなにか拙いんじゃねえかなw 大河で水深あるなら、ふつう工兵機材の渡河鉄舟や丸太で筏組むわな
それほど深くない幅狭い川だと、対岸にウインチ据えて巻き上げでワイヤ―で引いたりもしたんじゃねぇか?
むしろ水面、水中でなく上空を分解した部品をロープウェイのように渡すほうが楽
重砲を人力のみで牽引渡河となると、どんな極刑被虐プレイかよッ?な感じではある 渡河で一番厄介だったのは、水よりも水の少ない川の両岸に広がる泥だったと
回想してる元砲兵の人がいたな。ビルマ従軍だったと思う。
川を渡す舟なり筏なりに乗せる時が一番難しい。川縁が泥だと砲が沈んでしまって
どうにもならんのだそうだ。 >>886
牽引車接続・解除だけならそこまで大した手間じゃないよ
駐鋤の撃ち込み・引き抜きや前車の出し入れ含む砲列転換の方が遥かに面倒
そこに四年式は二車結合が加わってかなり面倒だからいろいろ改定に時間かけてたんだし
そもそもこのクラスの重砲は重くて頻繁な陣地変更は時間がかかるんで、射程もある程度無いと敵を射程に収められないんよ
このクラスの砲で多少軽い代わりに射程が短いというのは手放しに褒められたものではない
そういうのを補うのは自走化が理想だが、少なくとも四年式サイコー、とは絶対ならんしな 放列の布置撤収が数分でできるのは、そのように準備されてる地だからであってだな
道路の上でいきなり、やばそうだから降りろとか、外せとかうだうだしてたらそれだけでも時間食うし
しかも作業始めたら道路と橋を封鎖することにもなるのよね 1ミリ以上小さかったら冬とか下手したら停弾せんか? 何というか…
「牽引車も馬も無いから、人力担送出来る山砲がサイコー!」な上の人達と同じで、「泥縄的」なんだよな
新式より軽量な旧式兵器が末期に代替兵器として活躍した事例なんて各国あるわけで、それは別に「平時の将来を見据えた近代化」に失敗した事を何ら正当化するものではないんだよなぁ…
>>772や>>786が言ってる様な事に近いけど、まず7トンの軽戦車と大して変わらんモノを渡河出来ない→だから、というなら、それは近代化を履き違えてるとしか…
うーん、単なる開き直りに近いのでは、と思うが 台児荘の戦いで四年式十五榴一個大隊と九六式十五榴一個大隊がたった数門のラ式に射すくめられた話は聞いてて情けなく思ったわ…
武漢会戦での九六式十五榴榴弾砲大隊の戦訓がアジ歴で見れるが、「我が大隊に一個中隊でも十加があれば…」という苦しながらに伝えていた
なんかの佐山本によると九二式十加は「目盛り半分まで修正が効いた」、らしい砲なんだが、まぁこれも実のところ出来は褒められたもんじゃなかったそうだが…
あと日本軍の観測技術は劣悪だったとか黒い噂も聞く
日本軍の四年式改造の計画を見るとどれも射程一○○○○米要求だから、最低でもこの程度らしいが 、それすら満たせないのだから近代化どころか全然褒められたもんじゃないよね >>892
ま、近代化に逆行してるよな
健全な選択では到底ない
しかし、それしかできないんだから、しゃーないだろうよ?と俺は思うわけよ
出来るもんなら、おそらくは当時のひとがとっくに実現してるはず
軍に優秀な人間集中させてたし
貧乏国がない知恵絞って国力振り絞って大戦争遂行してるんだから
「遠くのステーキより近くの味噌汁」だよ
泥縄式といまのわれわれから批判されようが、あたえられた条件で最悪のなかの最善の選択
とらざるを得なかった >>801
九二式十加は4門揚陸と聯隊史にあった。 >>894
日本軍の光学兵器は丁寧に造られてそれなりの性能あるんだが、とくに砲兵観測機材なんか
ドイツ製のひと世代ふた世代前の模倣が多くて概して旧式
並木書房の泰平商会のカタログ復刻版みればわかると思うけど
あと、無線機が基本大隊規模以上にしかないとか
性能もアレ…
航空隊と地上部隊、歩兵と砲兵の連携やらが通信機器の普及度と性能からかなり弱かった
装備はともかく気風がガサツすぎるソ連軍はもっと酷かったみたいだけど
日本だと砲兵隊内部でも観測所と砲陣地との意思疎通やらも困難だったみたいだぜ
他国よりずっと伝令兵の連絡割合が多かった
上に上海戦線の連携わるさの書き込みもあったけど 第一次大戦で間接射撃は技術も理論も運用も大幅に進歩したしな
観戦将校のレポートだけじゃ追い付かないものがあるんだろう 確かに日本軍の体たらくは居直ってるとしか思えんな
あ、でも山砲は十分な近代化の形だと思う。
あのスタイルはとにかくスマートで、シュコダやシュナイダーのそれにかなり通じる
盧溝橋、太原攻略、南京攻略、台児荘と武漢会戦と支那大陸で転戦し続けた実戦部隊である十五糎榴弾砲装備の支那駐屯砲兵連隊の戦訓は、
・野砲を山砲とするを可とす←この連隊、正定城の戦闘にもあるが野砲への評価がボロクソ低い
・十糎榴弾砲は中途半端←意外にも十糎にも辛口。射程も運動性も無いし十五榴を有する彼らからすれば威力も大して高くない
・砲兵連隊の編成は十五榴一個大隊(うち一個中隊十加)+山砲一個大隊が最適(十五糎榴弾砲の届かない範囲を、九四式山砲が機動射撃し成果を収めた)
などなど、一見突拍子も無いながらもそれなりに歴戦部隊としての説得力を持ったものになってる
戦力としては二個大隊に半減するが、既存の野砲や軽榴はいうほどでもないとディスるというのも面白い ノモンハンで、観測してた将校がこんなへたくそな砲撃やめちまえと叫んだというから
なにかしら問題はあったんだろう 砲兵の観測の件は部隊ごとの練度も関係してくるので一概に言えない・・
砲兵の支援射撃が何時にあると伝令が来て喜んでいたら、
何時になっても観測班が来ずに、時間になったら自陣に砲弾降らせた話がビルマ戦にある。 ノモンハンの野戦重砲兵第3旅団は、連隊番号の野戦重砲兵第1連隊と第7連隊からして常設の古参部隊。
装備して日が浅いとはいえ日本軍における砲兵戦闘の一連のプロセスを心得たベテランだった訳であるが…
これも遠距離戦闘となるとからっきしダメだった様で。
そもそも一号装薬での連発が初めてでしたー、空地連携訓練なんて年一回の大演習ぶりでしたー、みたいな信じ難い訓練状況で…
ピンでこれならキリは悲惨たる有様よ 航空優勢が取れておらず、航空戦の合間にうまく観測できたときでさえ怒鳴られる始末だからなぁ。
取られた戦法が、90式を前に出して台地稜線の敵陣を砲撃して
応射の発砲炎から陣地を特定して重砲で潰す・・・
これじゃ台地後方に布陣する敵重砲部隊に対して何もできない。 一方英軍は第一次大戦で音響観測技術を既に確立させ、なんと誤差数メートルの範囲内で特定可能という…
もう何もかも置いていかれた印象しかないわ その点大口径迫撃砲って楽だよな
最大射程だと着弾誤差が百メートルとかそれ以上にもなるから、大量に連発して数百×数百メートル単位の面で焦土にする面制圧兵器
「砲兵将校の練度貧弱」「そもそも砲兵将校の訓練もままならない」などあらゆる全ての現実を飲み込んだ日本軍が辿り着いたのは機動打撃師団で、師団の迫撃砲連隊で猛弾幕を張り歩兵を突っ込ませる、それだけ
しかし海軍壊滅してくれたのはいいが工業力自体がもう尽きてたのでもうその策すら危うくなったときては…合掌
結局測距が簡単な短射程砲という要素と、初弾から命中出来る精度(補給に負担かけない)という要素を併せ持つ山砲が主力になったのも分かる
迫撃砲は砲弾消費が尋常でないので
実際、九四式山砲の生産数って最近だと倍増してるんだっけ?
民間生産分があったとかなんかで >>901
ってか実際何がダメだったんだろうな
砲兵の観測も民間の測距と一緒で三角測量だろうし、原理としてはこんなの三角関数習った中学生でもやれない事はないよね
ノモンハンで射撃ウンコだったのはこの観測将校無能説を推したいね 実際目測に頼った光学観測ならかなりの精度出せるはずだし
音響観測とか高度な事やってる訳ではなく、火砲陣地が目測出来る状況で外すって事は、射撃法とか以前に射撃諸元が間違ってたのが大きいんではないかとも思う
昔ながらのやり方で当たらないってのは、多分日露の鴨緑江会戦のときより退化してるよな >>908
十加は足が逝ってたのかもw
あと全般に言うと弾形が歪で中心が狂ってたとかもあり得るか?
寸法公差はきっかり守ってるから砲弾は砲身を進むには進むけど、形状公差がおかしくてまっすぐ飛ばないとか… >>907
その測地がアウトなのよ
具体的には標高を把握するのが・・・ >>907
その観測将校は飛行機の上から言ってたんだよ
常に自分の位置が変わり続けるし三角測量なんてとてもじゃないが出来ないので、遠近とか適当に伝えるしかない
普通の地上観測所からやってそのレベルなら第一次大戦以下だな
…いやWW1以降停滞気味の日本砲兵戦術だから割とあり得る話かも知れんが ノモンハンとか古い砲多いし、ライフリングが磨耗してたんじゃないのかね? 気象観測機材の精度とか、装薬の性能が安定してないとか、他にも色々ありそう。 米軍の日本陸軍便覧にも砲兵の観測所は大抵砲の近くにあると言ってるから
遠隔観測射撃なんて「り、りろんはしってる」状態なんだろ ノモンハンの野戦重砲兵第1連隊の生き残り見つけた
http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/06onketsu/O_06_051_1.pdf
最大射程の砲兵戦で活躍してる
観測所は300m離れた小高い丘にあったそう
精度の悪さは着弾観測で修正出来る もとの話題だけど、俺が想像するに、四年式の短射程は砲身が短過ぎたのがいけないんだと思う
四年式十五糎榴弾砲の甲弾薬筒は乙弾薬筒より遥かに長く、九六式の弾薬筒より少し短いだけ
こんな強力な装薬で砲架はともかくよく閉鎖器が持ったものだと感心する
極端に短い砲身に過大な装薬を入れても、負担をかける
自緊砲身で砲身を一割強ほど延長すれば良かったろうに
これでもまだ砲口ブラストは九六式並みに強烈だと思うよ
四年式は短砲身で8800mというのは十分に無理し過ぎ
日露以前は砲身の合金鋼が作れず砲身を輸入に頼っていた時代があった
自緊砲身が製造不可能ならば変なプライドは捨てて然るべきだろ 9mmパラレベルの弱装弾薬を使う、SMGですら銃身が伸びたら初速が上がってる
マグナム弾なんか全然違う
四年式も、あのカートリッジの大きさからするに装薬には余裕がある
砲身延長により反動軽減と初速 そもそもあの口径長で射程10kmを超えた十五榴など寡聞にして聞かない
当の日本軍の見積もりが甘かった
10kmクラスの重榴ならば口径長はもっと長い
安易な増装に頼るから、強力なブラストで砲架にガタがきて初速打ち止めになる
砲身も一緒に延伸しないと駄目だろう 測距儀(単体で三角測量を行う器具)の精度が悪かったのではないか?
相当する基線長が短ければ0.00何度とかの角度誤差で凄い散布を叩き出してしまう事になる
戦艦大和の15m測距儀は30倍だから450m相当の長さなので、長ければ長いほど誤差が小さくなるわけだが
日本のものは倍率も低く幅も短い、せいぜいが無印三八式野砲時代の射程でしか精度を保証できないものだったのではないか?、とも推察するが… 戦艦は艦橋の高さ40メートルにもなったりするから、20km以上先の水平線を見ることが出来る
ノモンハンでのソ連軍砲兵は50mの高台を占拠していたから、戦艦と同じ実質的な砲側観測所の直接照準だろうから精度も高かった
日本側はむしろ低地なんだよな
NHKの特集でも行っていた様に、フイ高地というが高地とは名ばかりで、ちょっと浅く盛り上がった地面でしかなく、ほぼ平原
あの平原であの高度差はきつかっただろうな >>921
測距精度がkm単位でも、あんまし関係ない
試射して、着弾が手前だったら伸ばす。飛び越えたら下げる。ただそれだけのことで
測距精度は初弾の精度には影響するけど、その後は測距関係ない
大事なのは着弾観測と、観測所と砲の精密な位置関係の把握な そして、ちゃんと安定して飛ぶ弾。
全く同じように撃っても違う所に落ちるケースとかあるから。
一次大戦とか二次大戦末期のアメリカとか、粗製乱造砲弾で不発と並んで問題になった。 >>920
ああ、そこら編の火力見積もりがあまいのは日本軍はまだWW1初期とかまでの感覚で直接照準と直接支援砲ベースの考えが前提であるんだ
砲兵の理論を知らないんじゃなく、兵站の弱さ、観測能力やら無線ネットワークの弱さ
そういったいろんなものがある上で、砲兵がただの歩兵連隊支援砲ベース、重視なの。
流石にノモンハンなどで強力な重榴弾や軍団砲兵の必要性や能力、機能そういったものが不可欠だとは理解したが、兵站能力ネックなどで十分な砲兵はできなかった
しいていえば、それでもなんとかサイパンやら沖縄で150榴弾メインで編成したのはぎりぎり努力したようなもんよ 元々戦国のことから日本は狙撃を軸にした銃の扱い方で、欧米が弾幕物量やったろ
で大戦においても「教育や兵站で即時更新無理やん」と歩兵中隊迫撃なり、連隊75mm歩兵砲的な直接支援と直接照準ベースなんよ
で結果砲兵必須でも、兵站+ノウハウ+その他インフラやら諸々駄目だから
長距離面制圧ってのは物理的にできなかった。結果弾幕薄いから迫撃弾幕方式を採用するようになった。苦肉の策だ
で結果軍団砲兵、長距離砲を運用できない最大の理由は観測手段や指揮系統のレベル都合と
運搬インフラの都合
これで関節照準で20km先に面制圧でなんて作戦は論外、無理だってなっていったんだわ
150榴弾が目一杯あっても観測と誘導がまともにできないやんと
まともに観測して当てられる距離の都合、日本軍には射程4-12kmくらいまでの迫撃砲みたな兵器が一番都合良かった
まんま現在の120mm迫のドクトリン。また当時の連合国も観測手段やらは不完全で、結果60年代にアメリカがヘリコプター観測×計算機をつかって
ようやっと20kmより先に面制圧するでなんてのができるようになった
弾幕、手数ベースでは70-80年代の兵器でやっと十分な弾幕を出せるようになった
そういう連合国でも不完全だったのが当時の重榴弾と軍砲兵の実態で、むしろ結果的に重迫でゼロ距離弾幕みたいな戦いのほうが
極論で糞いい加減な観測でも戦えるから合理的だったって話。あの当時のソ連やアメリカの軍団砲ってのは有効といえば有効だった
けど結果的に空爆と歩兵砲、迫撃などでアクティブに直接照準せんと、当時の強固な陣地は潰れなくて
結果砲兵砲と迫撃のほうが有用だった
まだあの当時の軍砲兵はソ連軍砲兵でも弾幕も精度も観測手段も全然だった >>925
見積もりってのは単に「装薬○○gで砲身○○mあれば射程○○km」だろうっていう計算の事で、別にそれは後方支援だの古い思想だの何だのでどんな思想をしていようと、腔内弾道学と燃焼工学を理解していればしっかり要求スペック最大射程一○○○○米を達成できただけの話だよ
四年式の射程延伸失敗は日本軍の工学的な見積もりが甘かったの 日本軍の砲兵観測機材はほとんど旧式だよね
20世紀はじめのドイツ製品の模倣やら改良品が主力
とてもあとの射程10km越え当たり前時代に適応してたとは思えない
だって、台児荘、武漢、ノモンハン、ガダルカナルやら長距離対砲兵戦したときは
ほとんどワンサイドゲームみたいなものじゃない?
まー知られた成功例と思えるのは占守のロパトカ砲台との応酬
ソ連海岸砲130mmにたいして九六式十五加の威力精度がかなり勝ってたからね
まぁ、これで70年の歴史ある苦難三昧日本軍砲兵の有終の美を飾ったわけだ おそらくこのスレで砲兵観測機材にまで知見が及んでいるのはあなただけかと思われるから、具体的に上げてもらわないと誰も付いてこれないと思う・・・ 遠距離ではないかも知れんが、対歩兵制圧では拉孟玉砕戦では有効な射撃が出来ていたのでは?
野砲兵一個大隊(十榴8門)が守備隊だけど、精鋭の雲南遠征軍四千人を殺害
本来怒涛に押し寄せる赤軍を想定してきたものだが、ここでの突撃破砕射撃とは国軍砲兵戦闘の真髄ではないか?
遠距離砲戦はほんと散々だよね >>929
図(修正写真でイラスト化したもの)が兵器輸出業者 泰平商会輸出カタログ復刻版
で並木書房の本でいまも廉価に読めるよ
カニ眼鏡(砲隊鏡)、双眼鏡、測遠機のたぐいはNikonやTopconで検索すればでてくるし
計算尺の類はヒットするのむずかしいかも
同時期のツアイス製品とくらべるのも面白いかと
ドイツのカメラ、レンズなど光学技術が1930年代に世界水準からずば抜けた形で勃興するんだが
当時の日本でそれを享受できたのは新しもの好きの資産家や、技術畑で海外勤務の
陸海軍武官くらい
あくまで愛玩物や高級機であって、軍事用の特殊レンズや、そのころの航空機の照準器いがい
あまりその頃のドイツ光学技術がわが国の兵器開発に寄与してるとはいえんような…
あ、大和の測遠器や狙撃銃スコープとか影響あったか >>930
近距離中距離ならいいのよ
おそらく日本軍装備観測機材の性能がカバーできる
それで奮戦できる
10km越えの対砲兵戦となるとクソミソ・ケチョンケチョンが大勢と思われ… 山本七平氏の著作じゃ性能だけでなく工夫も足りてない的なこと書いてたね 山本七平はフィリピンで、どうせ当たらないだろうと思っていたら試写一発目から飛行場のど真ん中に十榴ぶち込んでしまったというエピソードあるな
拉孟もそうだけど、実は十榴って意外と優秀なのかもな
過重らしいが 昭和新山できたときの話だけど、畑がもりもり隆起してきて、ぜひとも
貴重な記録を写真とったりしたいんだけど物資不足の戦時中だから無理
フィルム入手など一般人だと絶望的
そこで郵便局に務めてたひとが、タコ糸を等間隔に張った目視測定器みたいな
もんつくって定位置から逐次観測
貴重な新山隆起の様子が記録としてのこされた
…これぐらいのことは技術畑の砲兵ならじぶんで作りそうではある >>931
つまるところ倍率が低いのか機能が少ないので?分からんかった 仮にレンジファインダー方式だと基線長がロングであるだけ遠距離が誤差すくなくつかめる
日本光学製大和のアレがたぐいまれに長大なのはそのせい
高価で製造がきわめてむずかしいブツ
この方式に限らず遠距離を正確に観測する機器の開発製造は技術ハードルが非常に高い
直接照準器だって精度そのほか優れてたおかげでドイツ戦車はソ連にくらべ三倍
遠距離砲戦命中率を誇った ドイツの高射砲部隊が数人がかりでバカ長い測遠器操作してる写真とかググると
出てくる 日本陸軍便覧によると
「日本軍砲兵の光学兵器は傑出してる。設計は良好かつ多様性があり構造は頑丈で解像度は満足できる」と絶賛である
鹵獲した米軍的には実用十分なスペックだったようである
そもそも遠距離射撃って最初の数射はどうしたって試射だし
その試射で毎回4門前後を動員しないと本来的な精度が出ないものなんよ
素早く結果を出そうとしたら3個中隊ぐらい投入して
各中隊にそれぞれ別の諸元で試射させて、一番近い結果の奴をベースに修正射とかやらんといかん
つまり日本軍みたいに中隊単位で分割したりしてると、試射精度と素早い諸元確定すら怪しくなるのじゃ
多数砲を出すのは面制圧もあるけど、そもそも素早く確実に試射するには数が必要なんだって世界
この時点で日本軍の手には負えなくなるのである >>944
いや、おれもその本持ってるけど、それ1944年に編纂されて出版が翌年だったはず
敵を侮るな!な感じで意図的に日本軍兵器と装備の評価がかなり甘い
現代の研究水準では首傾げる記述が多い
訳者のあとがき通り当時で九割がたの分析が正鵠を衝いてるのはやはり偉業だが
むしろ近年刊行された、おなじ原書房の「日本軍装備大図鑑」のほうが兵器装備に
関してはずっと正確で辛辣な内容だ
無線機とか
まぁ、この著者はジンガイ日本軍被服コレクターだね
西洋人の曲解による、日本史と日本人への誤った記述が面白かったりするし、逆にわれわれが
自覚しない西洋人による具眼の指摘意見もある ぶっちゃけ光学機材なんて砲兵の遠距離射撃では大した意味はないんだけどね
光学機器が物を言う近距離直射は当ててくるから気をつけようねって話である
遠距離は通信と砲・弾薬の数で運用するのであるよ >>943
それは、ねーな!
でなきゃ大和があんなシュモクザメみたいな艦橋などしないwww
実戦ではほとんど有効に使わずじまいだったけど…
ドイツの高射砲はレーダーほか音源探知、光学兵器であれだけ米英ボマーを
仏にしたわけで
通信機器やら周辺もろもろと有効に連携させてはじめて猛威ふるうのよ そもそもソ連軍のノモンハン事件は、閃光で目標を視認だから方位はあっても奥行きがガバガバになるのは致し方ない
日本軍は敵を目認出来る範囲でなら観測機材のお陰で有効な射撃出来るだろ
バレテ峠の砲兵とかね
通信技術がクソなので観測所と砲列を離せないのが問題なんよ
日本側有利なポジション取りをしていた沖縄戦も、前田高地の観測所など有線通信が専らだった >>944
光学機器の遠距離測距性能に頼るんじゃなくてどんどん観測所が前進するから間接射撃で遠距離射撃出来るんだろ
極論すれば、日本側の観測機材が10km分の精度しか保証出来なくても、観測所から10km以内なら問題ないわけだから、20km先を狙うには10km以上進出すればいい
だから問題だったのは光学機器の精度じゃなくて、そもそもが通信お粗末で10kmとか進出出来なかった事じゃないかな
実戦では周囲より50mとかの高台にでも登らんとそこまで見晴らしきかないから喩えでしかないけどな ノモンハンで日本側が観測できたのは台地のヘリに布陣してる部隊だけだよ。
台地後方の重砲部隊の発砲炎は見えない、そうなると砲煙くらいしか目標は無い、めくら撃ちみたいなもの。
だから台地に上ろうとした歩兵はソ連重砲の猛射を受けて攻撃頓挫。
ソ連砲兵自体は日本に対して砲兵戦しかけてない、向こうも稜線の向こうの重砲を視認できないので。
何発かは飛んで来たらしいけど。
第一次大戦時にはフランス空軍の半数が砲兵用の観測機だった。
遠距離砲戦は砲数と航空観測なんだが身に染みて無かったんだろうなぁ。 日本軍は通信機は大隊以上しかないとか言われるけど、
そのくせチハタンには全車無線装備って、ソ連軍の戦車が指揮車両限定にしてたのに比べて遥かに贅沢してるよな
どうも日本軍は貴重な通信機は戦車隊に回すという意識があったのかも
一応戦車師団向けに砲兵用の観測挺進用の装甲車とかもあるね
しかし九三式砲隊鏡で性能不足という声を聞かないのだから使う人間の教育の問題だろ
当然問題あったら採用されないし
ノモンハンで怒鳴り散らした砲兵将校だって、もしかしたら別の中隊の着弾を観測してて、怒鳴られている側は「はて?」な感じだったかも知れんしなぁ てか河合武郎中隊長の四年式十五糎榴弾砲の活躍をかいたルソン戦記読んだ人はいないのか
イポの複郭陣地で徹底して隠匿した砲兵掩体壕に深く砲を埋め込み敵の砲撃をやり過ごし、敵の大威力弾で壕ごと破壊された一門を除き爆破転進する最後まで壊滅を免れた
移動する米軍の自動車隊を砲撃、司令部から感状受ける
この手並み、とても日本軍は雑兵などとは呼べないな >>948
訂正
九八式砲隊鏡もあったのか
倍率も上がってるし幅も拡大されてる
ありゃ日本軍制式時期乖離してるの法則からして実質一○○式か一式ぐらいに投入か?
としたらノモンハンや支那事変の苦戦と戦争後半の善戦というのは説明が付くな そういうすばらしい手柄も中隊だの大隊だの小部隊に留まるのが日本軍なんだよなぁ…… >>949
光人社「ルソンの砲弾」かな
買って読んだけど、家のどこかに埋もれてる… >>944
戦艦のは射撃指揮要領を見ればわかるけど
初弾を撃つまでの基礎データの一つではあっても、撃ち始めたら基本的に参考にしない
そして常識的に最初の一発で夾叉はまず無いんで、射撃結果に与える影響はあまり大きくない
距離が算出できたからって
直撃を狙える精度でもなければ、砲弾だって狙った距離に飛ぶわけでもない
結局は試射するときの最初の目安にしかならんのだ
これが近距離(20km前後)だと測距精度は半分ぐらいに縮まるし
弾道的に命中界も広くなるので、これなら測距盲従射撃に切り替えられるわけよ
大和の高い位置の測距儀は、この20km前後で水平線の此方側に的艦を入れられる高さでもある
こうなると艦上から容易に着弾景況を把握できるから
観測や斉射タイミングを無視しての連射もできるようになるので盲従射撃の能力を十全に発揮できるわけよ
決戦距離に合わせた防御を備えた戦艦大和の射撃システムは当然その決戦距離に合わせたチューニングなんだ >>952
著者同じか
ルソン戦記 若き野戦重砲指揮官の回想 だけど
まあ多分似た様な事がそれにも書いてあるんだな…
しかし六頭ばんえいの四年式を二頭で引かされたり、相次ぐ転進命令でルソン中を引きづり回されたり、とにかく移動が困難過ぎた
まあ日本の砲手は今も昔も優秀だった
拉孟の戦いのキルレシオとか、有効な砲兵射撃で敵兵を釘付けにしたんだろうなとか思う ノモンハンの苦戦はそんなところにはないんだけど、資料読んだことないのかな。
ジューコフの報告にあるようにソ連砲兵は射程限界14〜18kmで砲撃し、
頻繁に陣地変換を行うという戦術。
日本の報告にも射撃したら直ちに退却するように陣地変換するとある。
台地に上がれず低地からの観測しかできず、頼みの観測機は敵戦闘機に追い散らされ、気球は撃墜される。
敵機の目を盗んでやっと観測できるという状態、それもすぐに追い散らされる。
そもそもソ連の砲撃目標はハルハ川とその西岸で日本が川を渡って台地に上がるのを防ぐこと。
日本側はハルハ川東岸に90式野砲を配置、その後方の丘陵の向こう側に隠れて重砲が布陣。
この時点で日本側重砲がソ連重砲を射程に捉えることが困難ということが判る。 ハナから負けが決まっていた様なものだな。
砲兵の光学機器がどうこうじゃないな
逆に日本側が高台を占拠した時はめっぽう強い ノモンハン事件は物量の差なので
まあそれでも善戦の神国日本だった
ここで止めとけば真珠湾も無く原爆も無し
満州もまだあったかもねえw
日本の光学機器は性能がよかった
だからこそ戦後10年足らずでドイツを追い抜くんだし
それも基礎と素養が有ってこそ
今でも市場を二分いうかほぼ独占だがねw
またイエナ坊wが出て来そうだがw
大体伊能図を自力で作った国
近代測量まであの地図だったんだしw
和算を始め西欧式の理数系も維新前から発達 …全分隊長に双眼鏡を配備したのは日本軍くらいのものではないか?とは思う
いや、他がどうとかは一切知らんが
あと重機と軽機のスコープ搭載率の高さ。
他が壊滅的なわりになかなかのマスプロ
光学機器とカメラぐらいだけは戦後上手くいったよね
全般的には70年代後期〜80年代ごろにやっと追いついた感があるが、ニコンとかの光学機器だけはもっと早くから世界水準に追いついていたと思う >>956
そう?光学観測しか出来ないなら、敵に煙幕張られたらおしまいじゃないの
音響観測できないんでしょ。 「レーダーがあるんだから百発百中なんでしょ」みたいな理論だな 架空戦記で日本が捕獲したM2をコピー参考にして新重砲を開発という話があったがM2を捕獲したという事例を見た事がない。
というかそもそもコピーできるのだろうか。 M1918はフィリピンでいくつか捕獲して再使用してるが、M2はサイパン戦くらいが
太平洋戦線投入はじめなんで
最大規模の夜間万歳突撃したときに米軍砲兵陣地突破時の瞬間分捕りくらいだろう
朝には1000名余が海岸砂浜で永眠だから
ほかの戦線でも、とても大型兵器を無傷で入手できる戦況ではほぼない
M2コピーはできても、オリジナルの性能は到底だせない
アメリカの冶金技術には到底およばないから
戦前、貴重な良質スクラップ鉄原料としてアメ車解体部品輸入して恭しく使ってたくらい そもそも品質ならラインメタルの方が上だしな
こちらは試製砲の開発の参考にされてる
というか砲架流用してるのでまるまるコピーする気だったのかも >>964
それは本家sFH 18で、中国の博物館にあるラ式を見て貰えば分かるけど日本やフランス式の、駐退機が砲身下の1組しかないラインメタルオリジナルの試作砲だよ
24門しか作られてない一級品 あと平衡器の形も違うしな
おそらくあれがラインメタル本来の設計だろう
もう一方が本家sFH 18でクルップ式と呼ばれている事からも対比できるだろ >>951
大規模砲撃戦に必要な砲兵組織の整備が出来てないからね。
まあ、戦間期だと赤軍以外に参考になる物が無いから仕方ないが。 大隊って別に小部隊じゃないだろ。
サイパン島の黒木十五糎榴大隊とか、ペリリュー島の小林野砲兵大隊とか
まあ、沖縄戦みたいに砲兵団規模で戦果挙げた場合もあるけど 結局、日本軍の砲兵は移動弾幕射撃が出来ないまま、第二次大戦を終えた。 南晶攻略戦の修水河渡河作戦でやってるぞ。
その戦術の起源のフランス軍同様に盛大に味方を巻き込んでな。 記録を読むと、信号弾を撃ちあげる人が戦死してしまって盛大に誤爆されたらしいが
ちなみにドイツ軍も第一次大戦で同じ方法でやってるけどしばしば見落とされて誤爆されたらしい
例の攻勢でのフランス軍のは論外な
歩兵の50m手前を常に弾幕張るとか初っ端から飛ばし過ぎw 赤軍みたいに戦車部隊に移動弾幕で援護とかで、誤爆してもなんとかなる相手でやらんとなあw >>970
>>971
あーそれで渡河したら、先に対岸に渡った兵の無残な遺体があったとかあるのね
ほとんど敵の反撃によるものでなく
…ガス弾での友軍の被害も相当でたんだろうなぁ
この戦闘での毒ガス使用隠蔽するため、箝口令敷かれたらしいが
ここの大規模砲撃戦は戦前から喧伝されてたけど、おおっぴらなガス使用が明るみにでたのはせいぜい
この十年ほど
ネット普及して本を未読のひとでも、個人手記も読みやすくなったため 当時の新聞や雑誌で「渡河作戦成功」やら「未曾有の大砲撃」とか戦捷報道は大々的にやってる
…毒ガス使用の件が知られると国際的にまずいから、報道管制で徹底的に伏せてる 毒ガス使用に関しては、日本も中華民国も禁止条約に批准してないから
もちろん合法なんだが、それを用いて勝ったなんてのは印象最悪なんだよ
とくに一次大戦経験した欧米にしてみれば悪夢の再現いがいの何物でもない 一般人に戦前戦中戦後の区別が付かない人は多いけど、ミリヲタで付かない人を見ると
ちょっと悲しくなる。 ニヴェルが自信満々に実行したフランス軍の移動弾幕射撃は自軍歩兵を殺しまくって大失敗だったけど、ドイツ軍の移動弾幕射撃は割と普通だった印象
というか正確には移動弾幕射撃ではなくその走りで、弾幕のうしろにぴったり歩兵を付けるんではなく、単に弾幕を前進させるだけで地面ごと耕す、その後歩兵を突入させるだけ
所謂移動弾幕射撃というのはフランス軍がこれに着想を得て発展させ、歩兵をぴったり付ける、というものだろ
狭義の移動弾幕射撃で成功した風に見受けられるのは、遠過ぎた橋の英軍かな?
シャーマンの様な戦車と無線連絡とが合わさって初めてまともに使える戦術だろ
そもそも15糎榴弾砲も50mの位置なら普通に傷を負うし下手したら、いやしなくても死ぬからな
つまり自軍の100m先設定なら50m進み過ぎてもアウトだし50m弾着が手前に落ちてもアウト
如何にフランス軍の50m手前というのがハードル高過ぎたか分かる >>974
正確ではない用法とは思うが、昭和16年12月8日以降を現在のわれわれは戦中と呼ぶ
認識が多数派だろう
昭和12年の盧溝橋事件、第二次上海事変から全面戦闘入ってるわけだが
お互い宣戦布告なき戦闘だから、あくまで「事変」という言い訳も成立するわけよ
大陸の昭和16年12月よりまえは、それで戦前って表現もけして間違いではないの 移動弾幕射撃って一次大戦の塹壕戦で始まって、ジグザグになってる塹壕を
あまねく破壊する為のもんだろ?
目隠しと機関銃制圧もかねてて、歩兵は弾着のすぐ後を付いて突撃する。
離れると残った機関銃が撃ってくるので、むしろ歩兵の方がどんどん距離を詰めていった
と聞いている。
多少の味方撃ちよりも、敵の機関銃の方が怖いから。 というか移動弾幕に限らず、攻勢時にヘタな弾幕射撃はやらない方がマシだな
重砲によるトーチカ破砕を目的とした射撃でもなくばね
その分を戦車に充てよ、というのがトレンド
戦間期に志向されたのが、第一次大戦型の様な砲弾歩兵大量浪費型のものではなくて、機甲部隊による「スマートな戦争」だからな
各国第一次大戦の様な圧倒的な砲弾消費にウンザリしていた
10kmとか20km離れるより、針の穴を通す様な戦車砲の精密な直接観測射撃で、常に歩兵の最前線脅威を排除
それでいて砲弾浪費が少ない
砲兵などより戦車が >>980
塹壕は横ジグザグでも、移動弾幕においては基本的には塹壕まで歩兵の前進に合わせてばら撒かれるから、塹壕地帯に固定弾幕射撃した方が弾幕密度は高い
ましてやさっさと敵陣を通り過ぎた場合も多いのがあの時代でね
固定弾幕の方が即ち短時間で所要の射撃を行う事を可能にするもので、だから砲撃を短時間で切り上げる(砲兵の大規模集中急発射)の後に奇襲的に歩兵を突っ込ませるやり方が功を奏したわけで、移動弾幕射撃のアイデアは素晴らしいが戦績自体はそこまで大した事はない
敵の頭を下げさせるには必ずしも最適解ではないのだ
むしろ移動弾幕は広い攻勢正面で各個に散兵し独自に破壊・突破を行う様な戦術では制約の方が大きい 訂正
>>ましてやさっさと敵陣を通り過ぎた場合も多いのがあの時代でね
○ましてや移動弾幕が敵陣を通り過ぎた場合も多いのがあの時代でね 日本では移動弾幕射撃の友軍までの距離は野砲で150m、15榴は300mとされてた
弾幕密度は毎分1〜2発。まあ景気づけ以上の意味は無さそうであるな
それでいて、普段から意思疎通の良い直協砲兵を充当し、砲兵は最大5kmまでの射程で行う
つまり支援する友軍が良く見えてて、なおかつ動きも想定しやすい状況で運用する
これがもっと攻撃的な移動弾幕射撃もあって
こっちは友軍に関係ない戦線後方の砲兵陣地やその観測所があるであろう範囲に行う
固定弾幕で粉砕が難しそうな広範囲とか存在確定が出来てないトコに
煙弾も混ぜて広範囲に擾乱を行って観測妨害を行うんだそうな
こっちは火力機動による擾乱戦の一種だな ノモンハンの対砲兵戦がまさにそれだな
大半は空き地にばら撒かれるんでとにかく無駄弾が多い
歩兵と一緒に戦車突っ込ませる方がマシ まあ、その戦車に対する幻想が打ち砕かれて結局砲兵火力が戦争の行方を決めたのがWW2なんだけどな。 ことしにその内容の本が刊行されたみたいだね
戦鳥の人が著者だっけ? >>974
>>977
ノモンハン事件というように双方宣戦布告してない戦闘だね
戦後に十五年戦争、太平洋戦争や日中戦争って呼称が作られたから混乱が起きる
昭和12年からのやつは当時は支那事変、日支事変、日華事変とかいった
対米英戦が昭和16年に勃発して、以降満州事変からに遡って大東亜戦争と命名するなんて
流れの現象もあってややこしいんだけど
実際は満州国建国昭和10年から第二次上海事変の12年までは治安戦出兵で大規模な戦闘は
おきてないから十五年戦争なんて継続扱いは無理があると思う 南昌作戦の渡河攻撃は毒ガス弾使用にくわえ、少なくない誤射の友軍戦死負傷が緘口令対象だった
と思うね >>988
大東亜戦争に含むのは支那事変だけじゃなかったっけ? いや満州事変まで遡っての呼称
大日本帝国っていうように偉大な聖戦の意味つけたくて「大」つけた
大英帝国とかと命名同根
W号F2型とG型みたいで定義を当時から塗り替えたり、以前の定義を踏襲する人
も同時にいてはっきりとした正解は難しい
戦後の命名定義はあきらかにふさわしくないと思うが
左翼プロパガンダの思惟的造語意味合いが濃厚 閣議決定で「支那事変を含む」としてるから、満州事変は含まれないのでは? >>992
うーん、ネット検索順に検索したらそのようにでてくるね
閣議決定って基準からね
おれが大学生のときは左系の教授が十五年戦争って言って、保守民族系の教授は大東亜戦争
て言ってた。両者とも示す期間は同じ(笑)
おれもそのように認識してたけど←実話
いま、検索してて、大東亜共栄圏に満州も入ってることからまったくの間違いでもないと思うけど 大東亜戦争って名前は「大東亜共栄圏を建設するための戦争」って意味だから、
場所がどうとかは関係ない。
マダガスカルやシドニー攻撃しても、米本土を空爆しても大東亜戦争。 >>987
BUNのやつだが買うまでもない、やつのブログの焼き直し
データは書いてあるんだが、じゃあそのデータはどこからなにをもとに出したのか
まったく書いてないので、BUN信者以外は無用の本 縄文時代も二十年前だと一万年から開始とかなってたけど、いまは16000年前とか
農業も2300年前の晩期からやってたんでないか?が現在だと5000年前くらいに初歩的な
粗放農業はしてたとか新事実の解明で定義もかわるな
すくなくとも当時の認識知る努力は必要
当時の政府は外征に関して宣戦布告してない場合は事変、事件という呼称を使ってた
戦後はGHQの命令で「大東亜戦争」は侵略的な名称だからという理由で使用を禁止
(侵略的であったのは事実)
支那という語は、戦勝国中華民国の圧力上使うのを「理屈ぬきで」外務省通達で自粛やら非常事態が頻発したもんでな
おかしな新語と名称の乱発につながった
これが後世の人間が昭和史理解のうえで断裂が生じやすくなってる このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 174日 13時間 0分 27秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。