>>549
1931年以降と以前で情勢が違うのな
商工省と軍が協同で標準車を作り、国産自動車を育成していこうとなるのがこの時期
有事に自動車製造ができないと困るから、ノックダウンや部品下請は駄目で、完成車が作れることが条件だった

33年に日産が提出したGMとの協業計画は部品の下請から初めて、完全国産自動車は20年後という計画で、勿論却下された

日本は3万台の市場に国産が500台とか1000台で(国が必死で金入れてこれである)
まずは国産車に万の市場を与えて、何とか自動車会社が成立する状況にすることが先決で
性能や価格面で優れてる外国車を廃除する必要があったのよ

だからアメリカ車の製造工場が進出するというのは30年代日本にしたら侵略されるのと同じことで
そりゃアメリカ政府は邪魔しないけど日本政府は邪魔するという