マスケット銃(火縄銃)と弓の比較に関して質問です
フランスのクロスボウ、日本の和弓、、イギリスのロングボウがマスケットに主兵器の
座を追われる過程についてはいろいろと記載が見つかるのですが

清の満州弓及び、オスマンのトルコ弓に関してはどの段階でマスケットに主役が移ったのでしょうか
また性能的な比較はどうだったのでしょうか

時代的には朝鮮出兵が1592年でこの時技術的、物質的に明に大量の火縄銃が流入していて
1616年のサルフの戦いでも明軍が火縄銃をかなり使っているように
戦場で衝突したり、併用されたりする機会は多々あったと思います。

また両国において騎射が可能な人材が多かったにも関わらず竜騎兵がほぼ生まれなかったのも
騎乗射撃としては弓の方が優れていたからでしょうか