>>626
当時、空軍の主力(作戦指導から操縦整備まで)を担ったのは、機体と供に派遣された
エジプト空軍の支援グループで、これに東/西の欧州人やナイジェリア人が加わってた
そうです。
当時のアフリカでは非同盟・東西対立からは距離を置くというのが共通方針であり、
西側が抑制的な介入しかしていない状況での ソ連本格参戦は、アフリカ〜世界の
非同盟諸国/運動の離反/対立に繋がるリスクがあったのではないでしょうか?
また、そもそもビアフラは国力軍事力ともに劣弱で、ナイジェリアが負ける要素は無い
最悪でも攻めきれずに膠着状態で講和に至る紛争です。ナイジェリアとしては、当時の
国際関係や経済体制からも、他国の支援やその影響は限定的な物に留めたかったと思います。
実際、東側の援助は 通常の(軍事品)交易関係という枠組内でしか行われておらず、
石油や鉱物の権益の形でキチンと対価も払われてますし。