【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.4
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旧日本陸海軍で使用された各種装甲車両のスレです。戦車・自走砲はもちろん
装甲作業機や一式装甲兵車のようないぶし銀、海軍の水陸両用戦車まで広く語って下さい。
■前スレ
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.3
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1513262373/
■過去スレ
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド
http://echo.5ch.net/test/read.cgi/army/1463822751/
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.2
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494146400/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 97式軽装甲車、ソト車、ソダ車とやってるんで
もうちょっと余裕があればソダに載せた和製マルダーができたんじゃね?
そもそも対戦車砲の布置が大変だっていうなら
遥かに巨大な装甲車を隠蔽する陣地の準備はもっと大変だべ・・・ 易く活躍できる中華戦線ではそもそも対戦車戦自体稀なので、一応活躍するにはするが速射砲の性質故威力小さく他の砲にした方がよく
熾烈を極める対米英戦線ではチハ改でやっとM3軽戦車にまともに対抗し得る程度で
榴弾破片程度しか防げない装甲車がノコノコ出て行っても車載機関銃で瞬殺されるだけ
自走砲路線で行くか?
しかし日本の自動貨車とて2トン弱くらい牽引してのけるので無理に載せずに牽引すれば機動九○式野砲というもっと大きな火砲を持ってこれる事を考えたら…
九七式とか九八式とかだったら許されるけど一式47mm速射砲の時期からいって二式とか三式となると戦力としてお寒いよね
この時期になると史実でなされていない小手先の凡ゆる手が大概無駄に終わるという件 >>100
あれはな、少なくとも日本のディーゼルエンジンはクッッソ煩くて
戦車の隠匿性も何もないから、履帯の駆動音とエンジンのカン高い音でモロバレするのよね
初期のマレー作戦では日本軍の大部隊が来やがったと勘違いして英印軍が逃げたりとか
戦車の夜襲が上手く行ったケースを見るとノモンハンもマレーもスコールと雷鳴を上手く突いただけってオチがついたり
ホロ車みたいにエンジン切ってやり過ごすしかないという
もちろん一撃離脱戦闘など夢のまた夢 戦車がうるさいのは世界各国共通でディーゼルとか関係ないんだが 当時の他国から見てもうるさいもんだぞ・・
等の戦車兵達がぼやきまくってる
もっとも「他人の庭の芝は青く」見える点があるのも事実だけどさ >>100
ソト車の場合は支那事変に送られた試製車4両が全て戦闘以外で失われている(うち1両は炎上 C14010843000 20-21P)から、まずはそれを防ぐような制度を事前に決めておかなきゃならんね… 僅か50ccの原チャリでさえ、マフラー無しの直管だと想像を遥かに越えてクソ喧しいからな
当時の軍用車両の排気系ってどの程度に消音されていたのだろう?
航空機は直管だよな 普通の車としては静かとは言い難いフォルクスワーゲンが無音に感じるぐらいにはうるさそうだね
ttps://www.youtube.com/watch?v=J1yMpd_3pmc そもそも大戦中期以降に対米英想定の自走砲作りたいなら変にトラックをいじくり回すより一式砲戦車を増産する方がずっと戦力になる気がする 航空機用を転用した星型空冷のアメリカ戦車や直管マフラーの末期ドイツ戦車のエンジン音はYoutubeなどで聞けるが
バリバリ凄まじい爆音だし覆帯の構造はソ連戦車など他の国と変わらないのに
旧軍戦車の空冷ディーゼルや覆帯の音だけが突出して五月蝿いとかな
よくある一部の回想から決め付ける戦後の根拠の薄い俗説といわれても仕方がない 同一条件化でデシベルを比較したなんて科学的根拠があるなら話は別だが あそこか
とするとチハの騒音の酷さはエンジンそのものの問題か フィリピンで鹵獲したM3対戦車自走砲はどのくらい意識されたのかね そういえばコミケに行ったら
NPO法人 防衛技術博物館を創る会「九五式軽戦車里帰り計画」
という目標額1億円寄付を募っていたよ
株式会社カマドが中心にやってるけど以前くろがね四起でも似たようなことやってたね チヘ・ホイの車体はどっちが主体なのか
私はあえてどちらであってもほとんど変わらない説を推したい
これは完全に想像でしかないけども、同形状の車体に中戦車用のは油圧サーボ搭載、砲戦車用は従来式という配分だったのではないか
後者は保険も兼ねていて、結局チヘ段階ではそれが活きた形のように思う
チヘ車はケトのような前面をかなり絞った形状で機銃無しのデザインもあったという
だが、これはチヘの原形というよりチホ砲塔のように47mm砲双連が採用された場合のデザインだと思う
主力戦車に前面機銃無しというのはあり得ないので
結局陸軍にとって戦闘車両における20t級車体はあの形しかなかったんじゃないかというのが私の主張です >>117
自分としてはチホ車体がそうだったように油圧式・遊星式の2案がチヘ車試製時にも存在していた説を唱えたい
結局は砲塔と砲が違うだけの車輌なのに別々の構造で作ってた、というのは車体共用化の路線に反する気がしてならないんだよ
てか四七粍双連+前面機銃なしって組み合わせはまんまBTだな… 前面にしか撃てない車体機銃はどこまで有効だったんだろうか とりあえず敵の頭を下げさせるためならいまでも有効だろ。前面装甲強化の妨げのデメリットがでかくなりすぎて廃れたけど。 チハ車の場合砲塔銃が砲塔銃なんで、常に前を撃てる車体機銃は有用だったのでは 簪式の経緯ってやはり輸入したヴィッカースC型がそうだったからなのかな
日本由来の発想じゃないんで参照元が別の戦車だったら違う結果になってたろうか
同軸はスペース的に不利だったからやまれず簪にしたとか肩当てじゃ反対側に揺られるとか聞くけど
機関銃のレシーバーって割と細身だからそんなに幅取らない様に思えるし、むしろ一見すると簪の方が窮屈に見える
諸外国の肩当て戦車は普通に同軸機銃つめちゃってるし
やはり行進射とか考えてのものだろうかね
そこら辺何を考えていたか当事者の考えが残ってないんだよね ソ連が結構長いこと簪棄てなかったってのが大きいと思うが。IS-2までそうだよな。 >>119
車体銃なんて要らないよねで登場したパンターがやっぱ居るわで機銃搭載に戻ってるし
主砲だけだとどっちに火器が向いてるって丸わかりだしで
せめて一番脅威の前方になにかあったほうが気休めにはなるからな
戦車に乗ってたって四方八方から撃たれたら怖いんだから、応射できるだけでも違うと思うよ 史実でテケ不要になってハ号で統一されたけど、テケに対する価値というのも車載機銃とその機銃手の存在が大きいのかね
テケ37mm砲塔って実質ハ号から簪と車体銃抜いた様なもんやし
>>124
パンターに至ってはあの大型の高初速75mm砲の同軸機銃で素早く照準合わせろって無理ゲー過ぎたんだと思う
時間かかって、チビチビ動く対戦車歩兵を捕捉できるとは思えないし
そういやチトも同軸じゃないよね
当時の日本軍が同軸が有効と見做していたのは開発史からして37mmと47mmぐらいな気がする >>122
以下は全部推論だけど
カンザシ式はドイツが大型砲塔の有用性を示すまではそれなりに良いアイデアだったんじゃないかと。
戦間期のほとんどは砲塔がオフセットされている。これは逆側のスペースに乗降ハッチを設けるため。
そしてこの利点を潰さないため&砲塔は弱点になり得るので可能な限り小型化、しかし機関銃は欲しい→カンザシ式ということじゃないかな。
あれだけ小型のハ号砲塔に付いてるの考えてみてもね。
それと平時は砲を後方に向けているから、即応しなければならん時は後方に機銃がある方が場合によっては有利かも。
ソ連重戦車の後方機銃もなぜ付けたのか言及した資料は残っていないらしいけど恐らく同じ理由だったんじゃないかな。 あ、誤解なく
パンターが特段遅いというのではなく、大型砲塔の戦車はどうしても軽戦車のそれより遅れるから必要なのかな、って
37mm砲塔戦車は同軸機銃さえあれば車体銃と簪銃二丁分の働きに相当すると評価されたからケニはああいうスタイルになったんだろうかね
すると47mm砲と37mm砲の中間くらいの57mm砲塔(八九式など)では同軸機銃も一考の余地があった様には思えるが >>126
あ、更新してなかった
ソ連重戦車の後方機銃は戦車砲の同軸としては遅いからボールマウントの素早さを取ったんだと思う
日本のは確かに、不意の即応性とかなら利点として認識されたのかも 現代の戦車だって主砲とは別方向に撃てる車長機銃とか多いし
戦車や対戦車砲とだけ戦うわけでもないもんな キューポラ機銃は全周射界で、視界も遮られないしデサント兵よりかは安全だからそれなりに有効だったと思うんだが、日本だとあまり馴染みないよね
砲塔後部の対空銃架はM4シャーマンみたいにキューポラ内からではなく車体外から撃つものだろうし >>124
パンターD型とA初期型の段階では、装甲厚80mmに対応したボールマウント式銃架が間に合って無かっただけだっつーの
それらにも前方ピストルポートは空けてあったわけだし あのなー、ソ連の重戦車の砲塔後の機銃はエンジンデッキによじ登ってくる歩兵への対処で
前方には す べ て 同軸機銃があるから日本の事情とは全く異なるっつの KV-1の初期型は同軸機銃なかったよな?
主砲の隣にあったのは、45ミリ砲だった。
主砲の操作に邪魔だってんで、7.62ミリの機銃に変えられたけど。 試作車ならともかく45mmを同軸に積んだKV-1とか知らんわ
WOTのにわか知識か? 最初期生産型は45ミリ副砲だろ?
冬戦争に投入してみたら使い難いってんで、7.62ミリに変わった。 ttp://armor.kiev.ua/Tanks/WWII/KV/first/kv.php?img=kv1_front.jpg.html
45mmと76mmで、車体前方機銃も無いんだな いや正面からの写真見ると、45mm砲の反対側、通常のKVと同位置に機銃口があるじゃん >>139
反対側というのが76mm砲を挟んでという事なら、それ直接照準器用の穴やで
それはともかく、砲塔正面から見て45mmのちょい右上あたりに普通のKV-1には無い穴があるように見える
穴サイズ的には同軸機銃っぽい気もするけど、収まるのか? 76と45の間に機銃置くと、それぞれの装填とかにじゃまになりそうだよね ソ連の使い方が後ろからよじ登る歩兵対処という何だか使い所がビミョーなもんだけど、いよいよ簪機銃的用途で使うつもりだったのは遂に日本だけだったというオチか…
そりゃ各国で殆どウケてなきゃその実用性も推して知るべし…なのか
あと日本戦車の対空機銃は戦後のキューポラ機関銃みたいに車外に出なくても使えるのかな?
調べたところ可動式らしいからあれをもっと前方に持ってくる事はできないのかね あ、ソ連のやM3軽戦車のとかは戦後のと同じでキューポラ内から撃てるね
当時も有効だったと思うが あれは使えない装備として、イギリス向けのグラントでは廃止、更にイギリス軍に配備されたリーでも銃塔が撤去されグラント用のハッチに換装されてる
イスラエルが装備したM48やM60の銃塔も同様の結果に チホ車の操縦席前面ってチハのように出っ張っているのかそれとも二式ホイのように平らなのかな >>103
>>105
ジュラルミン製の冷却ファンのせいで作動音が大きくまるでサイレンを付けているかのようで、数キロ先までもこの騒音が届いて、作戦に支障がでた...
戦車マガジン 1980年10月号 元戦車設計技師大高繁雄
技術が云々というより空冷ディーゼルが「特に」って感じがした いや失敬、戦車用エンジンは空冷でも液冷でも強制冷却用のブロワー(シロッコファンが多い)を備えるんだね
まあ一般的に戦車の馬力の数割は冷却ファンに食われるって言われているから、相当強力なものなんで、そこの音響とかはやっぱり厳しくいかないと駄目なんだろうな シロッコファンはソ連軍戦車に多いが、それ以外の国で多いとは思わないんだが >>145
三菱チホ車のことであればT-26みたいな感じなんじゃないのかな、扉は上じゃなくて横に開くっぽいが >>145
溶接なので一式中戦車以降よろしく垂直装甲の可能性が高そう 日本はともかくソ連の大馬力ディーゼルになると
給排気効率の関係でプロペラファンを使った方が良いような気もする
レイアウトの効率化優先だったのだろうか つうか日本のは空冷ディーゼル、ソ連のは水冷ディーゼルだけどね どっちみち冷却ファンは必須さ
ラジエターを冷やすかシリンダーブロックに直接風を当てるかの違い 給排気効率で言うなら、導管の配置がしっかりしているなら
シロッコファンの方が効率がいいんでないのかな。
少し前のビル空調などでは、セントラル空調機にダクトを多用していましたね。
ただ、メンテナンスなどを考えると有圧扇の方が有利なのだろうか。
シロッコファンを使うと導管の取り回しなどでレイアウト効率が
下がるような? >>155
ラジエターを天板近くに置いて間近でプロペラファン回すって方法があるもんで
エンジンルームに余裕があればそっちのが良いような気がするんですわ
逆にエンジンルームが狭いとラジエターを取り回すのが大変なんで
ソ連戦車はシルエットを小さくしたいとか、防御上の観点とか、なんかそんな理由で
ダクト+シロッコファンで我慢してたのかなと シロッコファンの場合、凝縮器(ラジエター)の面積が小さくなるので、シロッコファン+
凝縮器の設置導管を小さくできるのですが、発動機にプラスして容積をとりますので
どうでしょうか?
有圧扇(プロペラファン)の場合は、発動機(冷却フィン付きなので発動機自体が容積をとる)
+有圧扇の設置容積(国軍戦車の場合、発動機室脇の履帯上部で吸気・砲塔後ろの排気窓に
厚さ200〜300o位の有圧扇を設置しているので、有圧扇の厚み分の200〜300o位が
発動機室のHをかさ上げしているが、導管という嵩張る構造は、持っていませんよね。
発動機の冷却フィンがどれくらい足を引っ張っているかは、わかりませんが。
只、有圧扇の方がメンテナンス性も良く、被弾時の故障率も低いように思えます。
→容積・重量・出力については? 砲塔後面機関銃の運用法で、教範を参照した者はいないのか この辺は仮に図面や現物を見れても
そのときその国の手持ち技術でどっちの方が有効だったか
もっと踏み込むとどっちが有効と見込まれていたか
どちらが好まれていたかまでわからんと何とも言えないのかもしれないです
現在の常識で言えば騒音面で有利なはずのシロッコファンなのに無茶苦茶煩かったとか、そういう時代なので >>95
そういえば、同じ6気筒85馬力エンジンを積んだ廉価版の一式四輪自動貨車(いすゞ TX80)は昭和21年以降GHQによって月産1000台以上の生産が成される、実質的な戦後主力トラックだが、5トントラックとして有名だよな
四輪自動車で5トン、というのは日本にしては凄い性能だと思うが、生産数なんぼなん? チハのエンジンルームを拡大し発動機を240馬力に改修する計画は無かったんだろうか そういやアジ歴で見たな…>統制チハ計画
思うに、やっぱりあの時代ではチハ機の直噴エンジンは安定しなかったんだろうね
だからカタログ上の200馬力も達成できなかったんだと思う
予燃焼室の分だけエネルギーロスする統制発動機の方が出力高いし、日本軍としてはやれるならすぐやりたった、でもできなかった、が実態じゃないかな? ちなみに、よく言われる一般論として、このスレでもよく見るけど、「当時の日本でもチハ機だけ異様に性能が低い」、これ半分以上間違いね。
ハ号までのエンジンのボアストロークは130*180で、チハ機の120*160よりでかいから半分の気筒で馬力出ただけで、別に排気量あたりで見ると大差ない。
当時の日本の技術水準相応にできていたものだよ。
出力重量比が落ちたのはシリンダーの一個あたり縮小で個数を増やしたから当然といえば当然だし
まあ、統制発動機は予燃焼室の分だけでかくなるので、どうせでかいならハ号までのシリンダーサイズでV12に統一しとけば、というのはあるけどね
当時の日本の技術じゃシリンダー大きい方が出力重量比は改善されるから。
6気筒エンジン×2積みを平気でやって案の定偏差摩耗しまくりのイギリスとかやっつけもいいところだがな 語弊があったな
どうせ後からでかい統制エンジンに換装して240馬力にするなら、最初からチハ機のシリンダーを130*180に統一していればよかったね、ということ
エンジンの出力重量比もだいぶましになるしね >>164
少なくともあれは240馬力の三菱AC型ではないね。昭和15年の事だからまだ存在してない(恐らく自工のDA10型とかその辺だ) そもそもたかが150とか240とかの馬力でV12にしちゃうのがアウトなんだよなあ >>168
V12って理想のレイアウトって言われるしV12は低回転からかなり出力立ち上がり早いし、むしろ戦車向きだと思う
同じカタログスペックでも170馬力でも直6気筒よりV12気筒の方が有利かと
車に馴染みのない我々現代人には想像し辛い話だけど…
これが似たようなカタログスペック(重量と出力)のバレンタインの機動力が低いのに対して、チハが試験で予想以上の登坂能力やクロスカントリー性能を出した理由だと思う(135hpで登坂能力3分の2達成、つまり実車はそれ以上)
低速ギヤ比もおおいに絡んでくるけど >>168
戦前のチハはアメリカ製の鍛造クランクシャフトを使っていたんだけど、禁輸で国産の削り出し品に切り替えてからボキボキ折れたってね。
その点では長いV12のクランクシャフトよりかは、大型車でメジャーのV8とかにすればよかったかもね。シリンダーはハ号までの130*180を使えば、増えた分でけ換算して160馬力、そしてチハ機より数割軽く仕上がる。
そもそも予燃焼室で嵩張る統制と、直噴でスマートなチハ機のシリンダーが同じ大きさっておかしいんだよな
小さいシリンダーは特別の事情なければ好ましくない >>169
V12のほうが立ち上がりが良いとか、そういうのはオカルト 正確にはパワーを低回転寄りに設定できる、だな
V12の低〜中回転でのパワーの良さは割と知られた話だと思うが そういったカタログスペックに現れない総合的なドライバビリティでは、V12の方に軍配が上がるだろ
そもそも多気筒化がレスポンス良くする事は一般論じゃないか
一気筒あたりをでかくすると今度は慣性質量の面で不利になって、なかなか緩急つけた機動が出来ない、つまり躍進間射撃では不利になる
同じ170馬力でも、でかい6気筒と小さい12気筒じゃ、カタログスペック厨には到底理解出来ない要素がある いやもうどこから説明したらよいかってぐらいに謎なオカルトが出てきてしまったな
レスポンスやトルク・出力は、部品が多く重くなりシリンダという摺動抵抗部分が大きい12気筒のほうが全体的に劣る
多気筒エンジンは、排気量制限やシリンダサイズの選択に制限がある場合に最大出力を狙うか
最大出力よりも低速狙いで大排気量にする時に選択肢の一つにはなるけど
同じ排気量で作れるなら8気筒でも4気筒でも良い(シリンダがでかくなるが)
そもそもシリンダがでかいほうがレスポンスは良いのである
なんでかっていうとシリンダサイズイコールトルクの瞬間変動力だからだ >>174
オカルトは貴方だ
稼働部品の摺動抵抗が大きいというのは出力の大きさに影響を与えるものであって、その立ち上がり、すなわちレスポンスには慣性質量が大きく作用、それに不利な大型シリンダーの方が劣るんだ
こんなものは一般論であるからして、議論の余地は無い
自明な事なんだ
10人に聞いたら、10人がレスポンスは12気筒の方がいいって答えるぞ
どこのサイトを見てもV12のメリットとして挙げられてるだろ 結局、今の若者(俺もだが)は、高級車や所謂スーパーカーに憧れないんだろうなぁ
V12は低回転からのグッとくるレスポンスの良さ振動の少なさ、猛々しいとも表現できる低音
もし所有者の人に「気筒でかくして6とか8気筒でいーじゃん!」、とか言ったら鼻で笑われるぞ 同じぐらいの排気量なら、ピストンやコンロッドの重量はだいたい同じぐらいに収まる
シリンダがでかくても数は半分だからね、あとはフライホイールの重量次第よ
まあ同じようにギリギリを攻めると6気筒のほうが(もっというなら4気筒のほうが)反応は良くなる
これはもう競技車両とかで明白ですわ 小さいピストンのほうが慣性質量小さいだのって書いてるソースはここかw
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13171138388
なんというか・・・(苦笑)
その程度のレスポンスの違いのために史実のチハが戦車としてキンタマより大事なものを失っていますが・・・
まあここにも多気筒化のデメリットとして重量を余計に食うことが書かれてるんだし、史実のチハ機の重さからして装甲厚に多大な制約を受けたことは疑いないんだからさ
ハ号のが650キロで120馬力、チハが1.2トンで170馬力は明らかに気筒サイズミスった失敗作としか・・・
これならまだハ号のシリンダー並みのものを8気筒にして軽量化するか、いっそ航空機エンジン並みの大きさの6気筒にしてバレンタインみたいなエンジンの乗せ方にしてペッシャンコな車体にして浮いた重量を装甲に回すとか楽しい妄想ができた気がする。 >>175
さすがに2トンもないようなスーパーカーと戦車を同列視して
慣性質量とか言い出すのはナンセンスだと思う >>179
車じゃなくてエンジン本体の話をしているんだが…
車重が重かろうと軽かろうと、どの車体に乗せてもV12とかの多気筒の方がレスポンス早いよ
慣性質量って別にクルマの重さじゃないよ…
「気筒減らして一個あたりをでかくすれば良かったんだ!史実はアホだ!」って声高に叫ぶより、「なぜそうならなかったか」を語る方が建設的だと思うけど? そして2トンも無いようなスーパーカーの比でない低速大重量の戦車なら尚更V12のメリットはでかいんだが…
カタログスペックばかり見てると、じゃあ自分らより何倍も頭が良い当時の設計者がなぜそうしなかったかが見えてこなくなるよ
君らの考えが真実ならとっくにやってるのよね
実態としてはボアストローク拡大は気筒数増大が限界になる300hp以上の話で、チト機(四式AL)になってやっと大型になってるのよ
それまでは普通に気筒数を増やす方向でやっている
現代の素人である我々が>>168みたいな事を言っても、本業の人に話せば鼻で笑われるだけなんだよね
13トン牽引車用に160馬力・6気筒のエンジンはチハ以前に制式化している
それでもなおチハには12気筒を選んだ
12気筒が間違いだの気筒数減らせばいいじゃんなんて話ではない事が分かるよね?
当時の人が何も考えてないと思ってるのかな 誰も慣性重量をクルマの重さなんて書いてないんだけど
どうもキミは自分の言ってること自体を理解できてないみたいね。 九五式13トン牽引車のディーゼルは水冷だね。しかもディーセルの乙型はチハと同世代だし。>>73が言うように日本だと水冷でも空冷でも出力を変えてないけどどうなんだろ。
語れというならあえて言うと、チハは開発時から「努めて低姿勢なること」と要求されてて、実際に取り扱い教程には「〜かつ全高を減じ努めて被弾経始を採用し」なんて謳っちゃってるぐらいだから、
お辞儀しながら進むなんて言われたハ号の反省からかはたまた防御の観点からかやけに低姿勢にこだわってたんだと思う
全長が伸びるのを承知でV12にしたんだろうか知らんが、結果としては星形のスチュアートに劣る装甲なんだけども、まあこれは別か。
結局小馬力に見合わぬ歪なレイアウトの設計になって、変なところで妥協を強いられた感じ。
むしろ九五式の160馬力を空冷にして搭載した方がまだましだろ。そもそも会社違うしまともに検討してたかも怪しいな。エンジンの故障はあったらしいけどザウラー式の難産っぷりに比べればねえ。 >>182
いや、スーパーカーでも戦車でもV12エンジンの優位性自体は何ら揺らぐものではないよ、と答えただけなんだけど
それを分かっているの?、車が重いって意味じゃ無いんだぜ、っていう意味なんだが、君は俺の言っている事を理解できていなかったんだね >>183
チニ車の全高はチハより低いぞ
別にシリンダーをちょっと小さくしても大して高さは下がらんよ
ちなみにチニ車はクロスカントリー性能でチハ車に及ばないという結果が出ているけどね
まあ車体規模が違うのもあるが 訂正、大差なかったな
どのみち高さにはそこまで影響与えているわけじゃないね
ハ号のエンジンのシリンダーがでかかろうとエンジンの置き方次第ではこれといってノッポにはならないし
別にチハのエンジンが全高の為にやっているわけでもなく、むしろ容積では不利なんだよ
単に馬力出すだけだったら何気筒でもいいんだよ、出せればね
でも戦車なんだから求められるものがあって当然よね、と
だいいち、著名な軍事ライターでチハがシリンダー数が間違いだの、8気筒とか6気筒にしろとか珍説ほざいてる人を寡聞にして知らないんだよなぁ
ここのスレだけの内輪の論でしかない いいからV12のほうが慣性質量が小さくなるという根拠はようww >>170
あー、三菱のチホ車がV8機関(SA8160VD)を載せようとしてたのはそういう事だったのかな。
てか>>186と>>187は山海堂の「空冷ディーゼル・エンジン」は既に読んでるんだろうか 旧軍の戦車用発動機に関してはアレ以上の本はないと思うが >>188
個人的にその本にのっていたSA12200VDの話で冷却方式をPR-4式にしようとしたらファンの強度が足りず仕方なくSR-5式に変更したと有るから、冷却方式の問題でV12になったんじゃ無いかなと思う
A6150VDもA6120VDと同じ直6なのにPR-1からSR-1に変わってるし、十分冷却しようと思ったら大きいファンが作れなかったのでは?
どこで見たか忘れたけど吸い込み式だと圧力は気圧までという限界があるが、吹き付け式だと動力をかける限り圧力をかけられるから冷却効率が良いそうだし(チホのV8は吹き付け式だから良く冷える?) 気筒当たりの容量が大きくなると、始動時の起動セルモーターに不安があったとか? 冷却ファンにしたら、吸い込み式をメインにして、送圧式のファンの能力を小さめにして
両方組み込むとか?
戦場の砂塵等に対しての耐久性は、如何に? バレンタインとチハの機動性とやらを直接比較した例とかあるのかしらっと
高いと言われている、低いと言われているなんてただの印象じゃん
そもそもシンガポールで坂登失敗してるじゃんチハ 基本的な話だが、
直列と水平対向とV型とでトルクの強くなる配列は
どれでしょうか
低速前進なり、登反応力なりには、やはりトルクの発揮が
必要なので、V型の選択は、理にかなっているのでは、ないかと。 エンジンだけではなく、トランスミッションの問題ではないのか? >>193
一般的なエンジンデザインである限りVだの直だのは無関係
最大馬力が同じぐらいなら
気筒数が少なく単体シリンダサイズが大きいほうが良い(まわらないのに馬力があるってことだから)
あとはクランク配置によるトルク変動をどう考えるかに過ぎないんじゃないかな そういえば>>190で思い出したが、>>5の記事には「始動モーターのピニオンギヤがこわれる故障は、九七式の持病のようなもので、悪名が高かった。」とあるんだよな
それ以外にもエンジンバルブの間隙が一日一回以上調整しなきゃならないぐらいに狂ったとかチハ機絡みの逸話がいくつか書かれてたり。 >>195
当然1気筒当たりの容量でトルクは、変わりますけどね。
その他の要因として、気筒配列も関係してくるわけですよ。
直型と水平対向の場合だと例えば4気筒の場合、2気筒ずつが反対方向から
クランクシャフトを回すでしょうに。
直列だとほぼ同方向からクランクシャフトを回すのでトルクを減殺するでしょ。 >>197
何を言ってるのか本当に理解できないんだが もしかしてあれか?水平対向4気筒がトルク感あることをなんか説明したくなったのか?
あれは水平対向4気筒だと2気筒同爆になるんで
トルクの波が直4だと180度ごとに来るのが360度ごとに倍の強さで来るだけで
それこそ>>195で言った「クランク配置によるトルク変動」なのよ? 大陸打通作戦の第一次作戦(河南作戦)/昭和一九年(一九四四)四〜五月・・・・・・戦車第三師団、
戦車総数二五五両が参加。師団全体の踏破距離一四〇〇キロ、日数は三〇日(一日あたり四六・六キロ)。
師団捜索隊は約二〇〇〇キロ、三〇日(一日あたり約六七キロ)。
<中略>
ここに示した日本戦車隊の長駆進撃も、連合軍側を大いに混乱させ急速な勝利をもたらした
典型例なのである。ちなみに、「電撃戦」と称賛される独ソ戦初期(一九四一年六〜七月頃)のドイツ
機甲部隊の場合と比較してみると、グデーリアンが率いる第二装甲集団が踏破距離約六五〇キロ、
日数二五日(一日あたり二六キロ)、マンシュタイン上級大将の第五六装甲軍団が約三三〇キロ、
四日(ドヴィンスク急襲時、一日あたり八〇キロ)で、日本戦車隊の"快速ぶり"はこれらに劣る
どころか優れた成果を上げているといえる。
<「陸軍機甲部隊」(学研)158頁 文・古是三春> ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています