【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.4
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旧日本陸海軍で使用された各種装甲車両のスレです。戦車・自走砲はもちろん
装甲作業機や一式装甲兵車のようないぶし銀、海軍の水陸両用戦車まで広く語って下さい。
■前スレ
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.3
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/army/1513262373/
■過去スレ
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド
http://echo.5ch.net/test/read.cgi/army/1463822751/
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.2
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1494146400/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 南方前線 「軽戦車でも軽装甲車でもいいから、手持ち車体に手持ち47mmを固定式でくっつけた独伊式の対戦車自走砲をいますぐよこせ、いますぐ」 試作時期や量産時期から考えてもモノコック構造や溶接技術でSdkfz234と比較すべきはチヘ車やホイ車だろう まあドイツもDurchbruchswagen 2の頃には1枚板の面積の大きな防弾鋼板が作れる企業が限られていて
分割して板を製造して溶接で貼り合わせて製造したりしたからな
Sdkfz234みたいに面積の小さい板を使って多角で構成するのは
1枚板の面積の大きな防弾鋼板が作れない企業でも納入できるメリットがある
デメリットは溶接工程が増えることだな >>59
ケホ車が数年前に実用化できる技術力があったら
チホ車かチヘ車原案が素直に実用化できてた気がしないでもない
何するにしてもエンジンと操向装置がね…
どうしても47mmに拘るなら、Da47/32みたいな軽量で低初速の47mm砲が欲しくなると思うけど
それなら37mmの初速上げたやつでいいじゃんというごく当たり前な結論になってしまう
結局、昭和15年以前に装輪装軌問わず小型車輌に載せられる戦車砲としては37mm級までだったと思うよ >>62
ミスったDurchbruchswagen 2じゃなくてDurchbruchswagen 1の頃だった >>63
ケホ車が載せる予定だったのは四七粍の短砲身型だから、それを数年前に実用化するとなるとその前段階の一式四七粍の開発も早くしなければならず… 一式47mm(短)って試製97式47mm砲の焼き直しだよね
初速は10m/s差で似たような物だし >>65
まあ火砲は例えば一式47mmと並行で開発を進めれば
47mm短と類似のスペックのをデッチ上げるのは不可能ではないだろうけど
エンジン技術の方はどうしようもないというね… 発動機の技術レベルが劣っていたという評価は
聞いたことないんだが、ディーゼル機関を選択した
という事から派生する、大重量・大容積というのであれば
なっとくもするが、低出力をいうのであれば空冷ディーゼル
を選択した時点で仕方のない事だが、そこそこ頑張ってるんじゃないの 発動機関連は陸海軍共通のアキレス連だからな・・しゃーない
航空・車両・はもちろん、船舶ですら重量当たりの出力が劣っているのが・・・
同じ出力なら日本の方が缶室等の面積がでかくなる
この手のは基本精度と末端まで積み重なったノウハウの問題になってくるので
設計や製造の工夫だけではどうにもならん
基本的に発動機関連は常に劣勢だった・・製造能力もね
陸でも空でも発動機の能力で日本が上回るってのは基本無い 海の事は、よくわからないのですが
陸・空で言えば、燃料の質(→主に空)
燃料の量(→主に陸)が問題なのであって
冷却方法が主に空冷である事が問題の本質では?
液冷という事では、エチレングリコールそのものの
在庫という事かな。
ハ40発動機が原形の液冷→水冷になった様に。
液冷だから100%良策と言い切れるものでもないようだし。 日本が91や92オクタンで戦ってたころのドイツは87オクタンだぞ 日本の統制100式は空冷と水冷で事実上馬力同じだから
空冷だから液冷だからって話にはあんましならない
日本戦車は空冷にも水冷にも出来る統制100式の中から
あえて空冷を戦車向きという理由で選んでる
単純な部分で、普通のレシプロエンジンは実用できる気筒数が大体決まってて
出力は大凡気筒の大きさx気筒数に縛られ
日本のエンジンは飛行機用もだけど、気筒が小さいのばかり
だから日本では同じような回転数やブースト圧じゃ到達できる馬力が小さい
同等出力にするには無理が必要で、これが信頼性を損ねる
日本だったら2500馬力出せるエンジンを2000馬力にして、いざって時の緊急出力を2500馬力にするのが米軍
ギリギリなんとか2000馬力、ちょっと条件が悪いと馬力制限か故障かというのが日本
同じカタログ2000馬力でもこういう差があり、これに工作精度とか燃料の品質といった要因が加わる
かといって大きいエンジンにすると当然大きく重くなる(船舶のはこの流れだ。多少の大きさは許容できるからね)
ディーゼルエンジンで勝ってるかというと勝ってないけど、それなりに動いてはいる
でも小型で低出力なシリンダなので、その先がなくて詰んでるというのが日本の戦車である
あの馬力でV12とかやったら、そりゃねえ・・・ 九八式六トン牽引車ロケの水冷120馬力発動機は戦前に大量輸入したボッシュ社製の燃料噴射装置のストックを使っていたのでかなり高性能だったが
まあそののストックは20年の空爆で全て吹っ飛んでしまった >>73
あの馬力(150乃至170馬力)から412馬力(排気量21,220→約36,000CC)
まで引き上げたのだし、低評価を下す必要は、ないのでないかな。
只、一般に高出力の発動機を開発するには、排熱が大きな要素になることは、
必然と思います。
統制型発動機の場合は、空冷・水冷とも同出力という事は、機械的な安全率を大きく
見積もっていたという事だと思います。
航空機の発動機については、開発陣からハイオクタン燃料の供給を前提にとの念押し
を軍部が無視した結果、水エタノール噴射という余計に難しい技術を導入した上に
馬力制限を掛けたと本で読んだ気がす。
>>72
発動機というものは、最初からオクタン価に対応した設計を前提とするのですよ。
これは、現在の自動車でも同じ。 >>75
だったらドイツは必死こいてMW50なんて開発しないわけで。
的外れなこと言わないほうがいい ボア・ストロークの小さい気筒の低馬力のエンジンは特にチハにおいて足を引っ張ったね
チハのは後の統制型に匹敵する120×160の小さいものを使う様にしたんだけど、それまでは130×180の大きいものを使っていた
ハ号までのシリンダーのエンジンだと6気筒で650kg程度だから、確かに12気筒で1.2トンのチハ機より僅かに重量面で不利、容積ではかなり不利、という関係性であるから軽量化との兼ね合いなんだろうね
そこから120×160の小さな排気量のシリンダーでも統制型でそれなりの性能が出せる様になるんだけど
流石に各国中戦車級を求められるとなると、統制型のシリンダーでは小さ過ぎ、チトで改めて大きなシリンダーのエンジンに先祖返りした事を鑑みれば、そこらへんの関係性は難しいよね
大馬力のネックはやはりシリンダー数よりシリンダー一個あたりの馬力性能で、安易に12気筒より多くする事は技術的にもハードル高く難しいし、戦車搭載を考えれば長過ぎて実用性に乏しくなってしまうからね いや先祖返りというと語弊があるか
チトのエンジンのシリンダーはもっとでかい
統制型とリッターあたりの馬力は拮抗しており、リッターが増えた分に比例して馬力も統制型に対してそれに見合った大きなものになっている 重量あたり馬力の話になるとチハ機はウンコウンコってことがバレてしまうのでなんとも
チトやら統制発動機の話になってしまっているけど
元々の話題は(装輪装甲車とか軽戦車とか幾つかあるけど、時期的には全部)それらが出てくる以前の話だからね
どれもこれも、計画開始が国策でディーゼルに研究予算をつけた効果がやっと現れ始める時期になってしまうから
チト機やらケホ車採用の発動機みたいな品物はおろか、統制発動機すら選択肢に上げようがないことをお忘れなきよう
要は、手持ちのリソースがちょっと思いつきで考えるより更に貧弱ということ… >>75
排熱の都合といえばそうなんだけど
牽引車は瞬間高負荷なので、一時だけ吸熱してゆっくり放熱できれば良いので水冷
戦車は常時高負荷なので、大量の冷却気を常時送り込むので、だったら空冷で良いって判断な
現代のようにギリギリの性能なわけでもないので、冷却気の所要量とその配置からの選択なのな
あと日本がやったのは水メタノールでエタじゃないし、水メタの関係で苦労したかというとそうでもないぞ。
ドイツや米国も水噴射してて、これはごく一般的なオクタン価向上機能だ
オクタン価や生産性の高いハイオクガソリンは、気化蒸留特性が悪くなりがちで
多気筒エンジンでは気筒ごとの燃料分配が悪くなる。これに日本のエンジンもアメリカのエンジンも苦労した
飛行中に棚落ちするとかバルブが詰まるとかプラグがよごれるとか、米国の飛行機でも散々やってて
運転制限や頻繁なエンジン交換、相次ぐ気化器の変更から低圧燃料噴射や高圧燃料噴射の導入と
まるでどっかの誉エンジンみたいなことをV-1710や1650やR2800や3350でやってる
それでも戦争に勝てたのは対応力(生産数、技術力、性能余裕)の差なのよ 良いものができたかどうかはほんとにわからないけど
チハ機を作るときに200馬力でなく150馬力を目処でV8で作っていたら
でかくて重くて無駄に部品が多いチハ機より、もうちょっと小さくて軽量で整備性の良いものになっていたかもしれない
……その辺のifまで踏み込まないと、47mm搭載トラックだの軽戦車だのは実現できないのではと >>81
トラックのものはありたけデカく試みてもV6の120馬力でええんじゃない?
チハ機をこうすれば、という論なら俺も容積を妥協して重量の軽量な方を取るべきだったと思う
ハ号までの様な、180×130のボアストロークの大きな気筒で8気筒にすれば史実のチハ機より軽量簡素で空冷V8の150馬力が確保できたと思うよ(むしろ全長は短くなるね)
それでチハが上手く行くかは別として
そもそも三菱はトラック関連企業とはあまり縁がないんだよね
ここらへん、いすゞ、日野、スミダ、東京瓦斯電気工業とかが戦車以外の、ガソリンエンジンや自動車用発動機にかかりきっているんで
開発能力に関しては水冷か空冷か、自動車用か戦車用か牽引車用かで結構先進度合いが違う
九八式六トン牽引車ロケの水冷とかはかなり先行しているんで、むしろもうちょっとノウハウの共有やエンジンの他社開発(池貝のはアレだったが)とかの路線があってもよかったわじゃないかと思う
会社ごとに開発の得意不得意があるからね 行き遅れるエンジン開発の中でも特に先行していたのが国産ディーゼル育ての親と名高い伊藤正男技師属する(後の)いすゞなどのトラックや牽引車の生産を支えた企業たちなんだよね。
んなわけで各社エンジン開発能力には大きくバラついていた事を考える必要があると思うよ
良いところは全部盗られるから日本なら均一だろなんて単純なものじゃなくてね
それで製造能力はどうにかなっても、開発能力ってのは長年のノウハウの積み重ねとセンスに依るところが大きい
どう設計するかよりも「どこの社が設計するか」というのも必要だったと思うよ
然るべきところはそれなりに優れたエンジンを開発する
三菱よりエンジン開発能力が上の企業は確かにあって、にも関わらず彼らは割り当ての関係上トラックや牽引車の開発にとどまっていたから三菱(や池貝)が開発をやらざるを得なかった事がチハ機最大の原因だと思う
三菱が開発しようとしたところで、やれない事はないと思うが、九四式六輪自動貨車や九八式六トン牽引車などで成果を収めた彼らの方が良い結果を出せたのは疑いの余地はない(実際に後に統制エンジンを開発しているのは彼らであるから)
一番優れた開発陣を集めて、優れたエンジンをまとめて開発しちゃって普及出来ればそれに越した事はないのよ
各社設計部のメンツ・利権の関係上、チハ機の頃にそれが出来てりゃ苦労はないって話ではあるんだけど あの時代は各社独自にやらせて
それを取捨選択した結果として統制に進む過程だからね
乱暴にいえば三菱のは駄目だねって結果が出ることも成果の一つなんだよな しかし、そもそも「数年前倒しで大型(当時基準)騎兵戦車を作る」にしても
「重速射砲搭載装甲自動貨車」というかもっと簡略に貨車重速射砲を作るにしても
計画時点でそういう戦術的要求がないとダメなのだけど
例えばノモンハン時点で何かがきっかけで中戦車も軽戦車もNG、今後は騎兵戦車だー!!となったとしても
現実と同じ程度の開発速度だと結果が出るのは昭和17年度以降となってしまうのは明白
ということでお題に沿って考える場合、それ以前に何かがあったはずなのだけど
そのきっかけは何で、いつ生起したのだろうね ちなみに九二式歩兵砲が採用できなかったため
ベーラー社の売り込みが成功してDa47/32の改良版を歩兵砲として採用する世界線を考えたことはある
その辺妄想兵器スレに書いた覚えが… >>85
戦車の代わりとしての装輪車なんだから
なんかの間違いでクリスティー戦車の導入に成功したとか
ソ連と仲良くなってBA6とT26を沢山もらったとかじゃねえの 一式47mm機動砲は名の通り自動車牽引砲で
となると砲列転換や撤収を素早く出来る様にしたいから乗せようってなり
火砲ですら防盾付いてるし前は小銃弾ぐらい防げる様に、って程度の軽装甲が付く
ってならんかなぁ
この流れじゃ砲塔は微妙だけど
貨車山砲は現地部隊のテクニカル的な装備かと思ってたら、火砲過去スレによるとちゃんと山砲の車上射撃法として研究されたものらしい
正規のマニュアルまで作成されて、現地部隊が土嚢・角材・鋼索などを使用してしっかり固定する方法や、ブレーキを踏めば命中精度は車上射撃でも殆ど変わらないという結果が確認されていて割と真剣に作られたものらしいし
フィリピンでM3と貨車山砲で対戦車戦した台湾歩兵第2連隊とかの戦訓からテクニカルの有用性が認められ、そこから↑みたいな流れなら割と制式化まで数ヶ月とかでやってのけない事もないんじゃないか?
アーチャー対戦車自走砲みたいな歪なものに仕上がり、言っていた様なBA-6などの影も形もないが… まあそこまで行き着くと最初の話はなんだったんだって感じなので
「何にしてもちょっとif要素入れたくらいじゃ装輪戦車も前倒しケホ車も無理」って結論でいいんじゃないかな 書いていて思ったのだけど
装輪装甲車+47mm砲で一番実現性が高そうなのって
陸戦隊が「チハ車より安上がりになりそうだから外国から買った」とか
「陸軍から買えたチハの数が予想以上に足りなかったから館山の指示で呉と室蘭で作ってみた」かもしれない
もちろん搭載砲は山内式五糎砲だ!(笑) いや海軍なら日清期〜日露開戦までの水雷艇主力艦載速射砲である保式47mm単装軽速射砲の在庫があったりするかもね
相当数が使用されたし >>88
日本軍は末期はテクニカル化したかったができなかった
いや下手したら日本軍は1930年代からテクニカル願望持ってたかもしれないよ
けどテクニカルの即応展開のためにはじどうしゃが足りないのと→専門の戦車機甲団はテクニカル歩兵より強く兵站合理的って誤った勘違いを起こした
もうひとつはテクニカル部隊は万全の砲兵の支援ありきだが、日本軍は砲兵が薄い軽砲兵だった
これは火砲部隊の戦闘用弾薬割合を500発標準とした場合、弾丸重量は20-25トンであり、弾丸費が戦車2両分やんけという
「鉄の供給不足」「鉄と弾薬が高く消耗する」都合日本軍は自動化→砲兵重視の戦術にできなかっt
原理は37mm戦車砲×山砲×歩兵砲のミックスで挑みこれで物資消耗×コストをおさえて徒歩傾向もできます山岳師団
のままであり、ここに中途半端な機甲と火砲が加わって変な中途半端軍団になった
火砲の負担、鉄と消耗が激しいからこそ、火砲重視と歩兵の自走かができなかった
火砲の完全化には戦車2000-3000の整備の倍の鉄と3倍の費用がかかった
完全に1500門の自動化150mm榴弾、1000門の105mm榴弾整備するやん。
それ弾丸だけで鉄10万トン、弾丸代5-10億
前線に弾丸50万発を送るのに、戦車1000両を前線に送るより負担やで
こういう都合で日本軍は全然戦車と火砲を前線に送れない。
日本軍は満州、フィリピンに十分な火砲と弾丸を輸送することすらろくにできないんよ
それこそ本気で日本軍が戦うのならば、弾丸×物資輸送で前線の1軍団の物資を常に輸送艦50隻で集積輸送できないと行けなかった
でシーレーン防衛とか以前にそこまで輸送艦集積することすらできない有様だった
で結果巡航戦車チハのコスパと輸送性、展開性(満州鉄道と自走で無限軌道展開)のほうが上やんけ
で巡航戦車チハが優先される
巡航戦車故にチハ重量化も後回し 日本軍の近代化はこんなペースやな
日露戦争後
「つかえるスーパー山砲が目一杯ないと近代戦無理やで」→スーパー山砲41式山砲の整備
ww1から1920年代
「ww1で戦車やじどうしゃや重榴弾が標準化したで、研究したろ、配備は経済恐慌で後回しな」
1930年代
「レイプ国民党はぶっころすで、けど近代化は後回しでええわ。相手雑魚やし」
1940年代ー対戦前
「ソ連半端なくやばいやんけ、強すぎて近代化不可避や、まじで大戦とか云々以前にソ連怖すぎ病だから武器変え
それが本気だしたら旧式軍10師団いても平然と溶けるぞ。陸軍近代化を」
→「ソ連赤軍野外きょうれいによると火砲重要やけど、火砲おもすぎて物資運べないし、高すぎるから巡航戦車チハで展開力重視でいくわ」
大戦前半
「軽歩兵機動戦略は無敵や」
大戦後半
「軽歩兵ゴミすぎだけど、シーレーン封鎖以前に火砲重くて全然におけないわ。
けどパワー不可避やから迫撃ー山砲ー無反動砲ー対戦車砲ー旧式臼砲ー重榴弾で師団弾薬量をいままでの3倍にしたるわ」→沖縄戦で損耗比較のみでは米軍と互角の成果をだす
戦後
「やっぱ絶対火砲足りん勝ったんや。赤軍野外きょうれい、ナチスの実戦、アメリカ軍の常識で弾丸目一杯いるわ」
1960年代
「やっとWW2戦記全部の研究が終わったわ。やっぱパワー、とくに火砲ないと詰むわ。火砲目一杯買って」
→1970年代FH70採用と155mm榴弾標準化で初期自衛隊×4倍かつ旧日本軍2-3倍の榴弾物量確定 おまけ
1990年代
「155mm榴弾つよいけど、重くて弾薬高いわ。もっとアクティブで強くて訓練台いらない砲台くれ
あと装甲車はまじで後回しでいいから先にミサイルと大砲優先しろ。じゃないと死ぬで」→120mmRT標準化
こういう流れで日本は火砲近代化、強化に挑んできたな
あとこういう対戦教訓と「巡航戦車チハはうんこやけど沖縄戦の歩兵装備やくにたつやん」
これが現在まで装甲車整備がクソ糞遅れた遠因でもある
戦後自衛隊は「戦車よりもなによりも火砲、迫撃、歩兵ミサイル目一杯ないと死ぬ」って恐怖症に陥るんよな 知ってるか?
昭和18年度の取得予定の自動貨車のうち、期待の星の1式6輪は500台だ
従来の延長のものは工場の規模や資本の関係で大増産してもこのレベル
(牽引車や各種補助車両の生産もあるからトラックだけ作ってられない)
なおトヨタと日産合わせて5000台以上
年産500台で、当然高性能自動貨車としての需要もある6輪貨車をテクニカル化する余力はないんだな
どっちかというと数だけは腐るほどある日産のゴミ車を使う方向で考えるほうが現実的だろうね >>95
貨車山砲はそのニッサン80型だよ
車重がそこそこあって85馬力だからね テクニカル化して戦車の足しにしたいみたいだけど
そんな代物まで使って編成できるほど戦車連隊自体が作れなかったという点はどーすんですかい
ffe7-VX8E氏は資料はいろいろ読んでるようだが、結局やりたいことはなんなの
なんかね、自分の思いついた兵器が技術的に開発可能かどうかってことだけに興味が向いてるのかなと
それはそれで楽しい思考実験ってのはわかるけど
だったらその兵器が何故研究されなかったか、どうして史実みたいな形になったのか
そしてそのお気に入り兵器が作られたときに本当に活躍できたのかまで考えた方が面白くないかな
そういうのが嫌いで「こんな兵器があったら良かったのに」を楽しみたいだけだったら妄想兵器スレに書きこむなり
いっそ架空戦記でも書いた方が楽しいと思うよ >>97
向こうが「できるはずがない」というスタンスだからまずそれに答えたまでだよ。
なんでそうならなかったかなんて腐るほどあるんで、それこそ「面倒だった」すら選択肢に入るよ。
当事者に聞かないとどうしようもない話をどうこうしてもあまり面白い話かな?
君がこうしろというならするけど続く気がしないよ。
そして戦車連隊の枠、というのは何か違和感ない?
あくまで自動車隊なんだから操員は機動砲の牽引自動車の操縦者と砲手たちなはずだけど、戦車隊から捻出する必要がある?
実際に活躍したかってのは言ったら言ったでそれこそ君みたいな人からよそ行けと言われそうで一番言うのを警戒していたんだけど。
まあ活躍したかを求められた(実現性より語ったほうがいいんじゃない?、というのをまず活躍できたのかアテは考えているか?という意味で捉えるね)怖いけど言うよ。
ルソン島の海岸域の対戦車戦闘ね。
史実に機甲部隊が配置されたリンガエン湾周辺域は平野が多くい。
東洋の中じゃ随一の発展をしていたフィリピンでは国道を巡る戦闘が頻発したわけだけども
そうした戦闘において活躍(一方的な戦力差の対連合軍でどう活躍したかの提起っていうあたりちょっとズルく感じたんだけども)や史実より良い結果が期待できたんではないかなと思う。
待ち伏せ戦闘にせよ駐鍬設置や砲車接続の時間のあるなしでだいぶ結果は変わってくるはずだよ
そこに異論があるとかどのみち壊滅する論とかというならまた俺とは別の考えとしてありだと思う。
実際たかがその程度で負け戦は覆らない
俺は善策として装甲装輪車(47mm)を提示しただけで、敵をちぎっては投げの活躍も期待できないと思う。 あなたのやりたいことと嗜好はわかったから、もういいよ
辛抱強く相手してくれた>>95氏その他に感謝したほうがいいね 97式軽装甲車、ソト車、ソダ車とやってるんで
もうちょっと余裕があればソダに載せた和製マルダーができたんじゃね?
そもそも対戦車砲の布置が大変だっていうなら
遥かに巨大な装甲車を隠蔽する陣地の準備はもっと大変だべ・・・ 易く活躍できる中華戦線ではそもそも対戦車戦自体稀なので、一応活躍するにはするが速射砲の性質故威力小さく他の砲にした方がよく
熾烈を極める対米英戦線ではチハ改でやっとM3軽戦車にまともに対抗し得る程度で
榴弾破片程度しか防げない装甲車がノコノコ出て行っても車載機関銃で瞬殺されるだけ
自走砲路線で行くか?
しかし日本の自動貨車とて2トン弱くらい牽引してのけるので無理に載せずに牽引すれば機動九○式野砲というもっと大きな火砲を持ってこれる事を考えたら…
九七式とか九八式とかだったら許されるけど一式47mm速射砲の時期からいって二式とか三式となると戦力としてお寒いよね
この時期になると史実でなされていない小手先の凡ゆる手が大概無駄に終わるという件 >>100
あれはな、少なくとも日本のディーゼルエンジンはクッッソ煩くて
戦車の隠匿性も何もないから、履帯の駆動音とエンジンのカン高い音でモロバレするのよね
初期のマレー作戦では日本軍の大部隊が来やがったと勘違いして英印軍が逃げたりとか
戦車の夜襲が上手く行ったケースを見るとノモンハンもマレーもスコールと雷鳴を上手く突いただけってオチがついたり
ホロ車みたいにエンジン切ってやり過ごすしかないという
もちろん一撃離脱戦闘など夢のまた夢 戦車がうるさいのは世界各国共通でディーゼルとか関係ないんだが 当時の他国から見てもうるさいもんだぞ・・
等の戦車兵達がぼやきまくってる
もっとも「他人の庭の芝は青く」見える点があるのも事実だけどさ >>100
ソト車の場合は支那事変に送られた試製車4両が全て戦闘以外で失われている(うち1両は炎上 C14010843000 20-21P)から、まずはそれを防ぐような制度を事前に決めておかなきゃならんね… 僅か50ccの原チャリでさえ、マフラー無しの直管だと想像を遥かに越えてクソ喧しいからな
当時の軍用車両の排気系ってどの程度に消音されていたのだろう?
航空機は直管だよな 普通の車としては静かとは言い難いフォルクスワーゲンが無音に感じるぐらいにはうるさそうだね
ttps://www.youtube.com/watch?v=J1yMpd_3pmc そもそも大戦中期以降に対米英想定の自走砲作りたいなら変にトラックをいじくり回すより一式砲戦車を増産する方がずっと戦力になる気がする 航空機用を転用した星型空冷のアメリカ戦車や直管マフラーの末期ドイツ戦車のエンジン音はYoutubeなどで聞けるが
バリバリ凄まじい爆音だし覆帯の構造はソ連戦車など他の国と変わらないのに
旧軍戦車の空冷ディーゼルや覆帯の音だけが突出して五月蝿いとかな
よくある一部の回想から決め付ける戦後の根拠の薄い俗説といわれても仕方がない 同一条件化でデシベルを比較したなんて科学的根拠があるなら話は別だが あそこか
とするとチハの騒音の酷さはエンジンそのものの問題か フィリピンで鹵獲したM3対戦車自走砲はどのくらい意識されたのかね そういえばコミケに行ったら
NPO法人 防衛技術博物館を創る会「九五式軽戦車里帰り計画」
という目標額1億円寄付を募っていたよ
株式会社カマドが中心にやってるけど以前くろがね四起でも似たようなことやってたね チヘ・ホイの車体はどっちが主体なのか
私はあえてどちらであってもほとんど変わらない説を推したい
これは完全に想像でしかないけども、同形状の車体に中戦車用のは油圧サーボ搭載、砲戦車用は従来式という配分だったのではないか
後者は保険も兼ねていて、結局チヘ段階ではそれが活きた形のように思う
チヘ車はケトのような前面をかなり絞った形状で機銃無しのデザインもあったという
だが、これはチヘの原形というよりチホ砲塔のように47mm砲双連が採用された場合のデザインだと思う
主力戦車に前面機銃無しというのはあり得ないので
結局陸軍にとって戦闘車両における20t級車体はあの形しかなかったんじゃないかというのが私の主張です >>117
自分としてはチホ車体がそうだったように油圧式・遊星式の2案がチヘ車試製時にも存在していた説を唱えたい
結局は砲塔と砲が違うだけの車輌なのに別々の構造で作ってた、というのは車体共用化の路線に反する気がしてならないんだよ
てか四七粍双連+前面機銃なしって組み合わせはまんまBTだな… 前面にしか撃てない車体機銃はどこまで有効だったんだろうか とりあえず敵の頭を下げさせるためならいまでも有効だろ。前面装甲強化の妨げのデメリットがでかくなりすぎて廃れたけど。 チハ車の場合砲塔銃が砲塔銃なんで、常に前を撃てる車体機銃は有用だったのでは 簪式の経緯ってやはり輸入したヴィッカースC型がそうだったからなのかな
日本由来の発想じゃないんで参照元が別の戦車だったら違う結果になってたろうか
同軸はスペース的に不利だったからやまれず簪にしたとか肩当てじゃ反対側に揺られるとか聞くけど
機関銃のレシーバーって割と細身だからそんなに幅取らない様に思えるし、むしろ一見すると簪の方が窮屈に見える
諸外国の肩当て戦車は普通に同軸機銃つめちゃってるし
やはり行進射とか考えてのものだろうかね
そこら辺何を考えていたか当事者の考えが残ってないんだよね ソ連が結構長いこと簪棄てなかったってのが大きいと思うが。IS-2までそうだよな。 >>119
車体銃なんて要らないよねで登場したパンターがやっぱ居るわで機銃搭載に戻ってるし
主砲だけだとどっちに火器が向いてるって丸わかりだしで
せめて一番脅威の前方になにかあったほうが気休めにはなるからな
戦車に乗ってたって四方八方から撃たれたら怖いんだから、応射できるだけでも違うと思うよ 史実でテケ不要になってハ号で統一されたけど、テケに対する価値というのも車載機銃とその機銃手の存在が大きいのかね
テケ37mm砲塔って実質ハ号から簪と車体銃抜いた様なもんやし
>>124
パンターに至ってはあの大型の高初速75mm砲の同軸機銃で素早く照準合わせろって無理ゲー過ぎたんだと思う
時間かかって、チビチビ動く対戦車歩兵を捕捉できるとは思えないし
そういやチトも同軸じゃないよね
当時の日本軍が同軸が有効と見做していたのは開発史からして37mmと47mmぐらいな気がする >>122
以下は全部推論だけど
カンザシ式はドイツが大型砲塔の有用性を示すまではそれなりに良いアイデアだったんじゃないかと。
戦間期のほとんどは砲塔がオフセットされている。これは逆側のスペースに乗降ハッチを設けるため。
そしてこの利点を潰さないため&砲塔は弱点になり得るので可能な限り小型化、しかし機関銃は欲しい→カンザシ式ということじゃないかな。
あれだけ小型のハ号砲塔に付いてるの考えてみてもね。
それと平時は砲を後方に向けているから、即応しなければならん時は後方に機銃がある方が場合によっては有利かも。
ソ連重戦車の後方機銃もなぜ付けたのか言及した資料は残っていないらしいけど恐らく同じ理由だったんじゃないかな。 あ、誤解なく
パンターが特段遅いというのではなく、大型砲塔の戦車はどうしても軽戦車のそれより遅れるから必要なのかな、って
37mm砲塔戦車は同軸機銃さえあれば車体銃と簪銃二丁分の働きに相当すると評価されたからケニはああいうスタイルになったんだろうかね
すると47mm砲と37mm砲の中間くらいの57mm砲塔(八九式など)では同軸機銃も一考の余地があった様には思えるが >>126
あ、更新してなかった
ソ連重戦車の後方機銃は戦車砲の同軸としては遅いからボールマウントの素早さを取ったんだと思う
日本のは確かに、不意の即応性とかなら利点として認識されたのかも 現代の戦車だって主砲とは別方向に撃てる車長機銃とか多いし
戦車や対戦車砲とだけ戦うわけでもないもんな キューポラ機銃は全周射界で、視界も遮られないしデサント兵よりかは安全だからそれなりに有効だったと思うんだが、日本だとあまり馴染みないよね
砲塔後部の対空銃架はM4シャーマンみたいにキューポラ内からではなく車体外から撃つものだろうし >>124
パンターD型とA初期型の段階では、装甲厚80mmに対応したボールマウント式銃架が間に合って無かっただけだっつーの
それらにも前方ピストルポートは空けてあったわけだし あのなー、ソ連の重戦車の砲塔後の機銃はエンジンデッキによじ登ってくる歩兵への対処で
前方には す べ て 同軸機銃があるから日本の事情とは全く異なるっつの KV-1の初期型は同軸機銃なかったよな?
主砲の隣にあったのは、45ミリ砲だった。
主砲の操作に邪魔だってんで、7.62ミリの機銃に変えられたけど。 試作車ならともかく45mmを同軸に積んだKV-1とか知らんわ
WOTのにわか知識か? 最初期生産型は45ミリ副砲だろ?
冬戦争に投入してみたら使い難いってんで、7.62ミリに変わった。 ttp://armor.kiev.ua/Tanks/WWII/KV/first/kv.php?img=kv1_front.jpg.html
45mmと76mmで、車体前方機銃も無いんだな いや正面からの写真見ると、45mm砲の反対側、通常のKVと同位置に機銃口があるじゃん >>139
反対側というのが76mm砲を挟んでという事なら、それ直接照準器用の穴やで
それはともかく、砲塔正面から見て45mmのちょい右上あたりに普通のKV-1には無い穴があるように見える
穴サイズ的には同軸機銃っぽい気もするけど、収まるのか? 76と45の間に機銃置くと、それぞれの装填とかにじゃまになりそうだよね ソ連の使い方が後ろからよじ登る歩兵対処という何だか使い所がビミョーなもんだけど、いよいよ簪機銃的用途で使うつもりだったのは遂に日本だけだったというオチか…
そりゃ各国で殆どウケてなきゃその実用性も推して知るべし…なのか
あと日本戦車の対空機銃は戦後のキューポラ機関銃みたいに車外に出なくても使えるのかな?
調べたところ可動式らしいからあれをもっと前方に持ってくる事はできないのかね あ、ソ連のやM3軽戦車のとかは戦後のと同じでキューポラ内から撃てるね
当時も有効だったと思うが あれは使えない装備として、イギリス向けのグラントでは廃止、更にイギリス軍に配備されたリーでも銃塔が撤去されグラント用のハッチに換装されてる
イスラエルが装備したM48やM60の銃塔も同様の結果に チホ車の操縦席前面ってチハのように出っ張っているのかそれとも二式ホイのように平らなのかな >>103
>>105
ジュラルミン製の冷却ファンのせいで作動音が大きくまるでサイレンを付けているかのようで、数キロ先までもこの騒音が届いて、作戦に支障がでた...
戦車マガジン 1980年10月号 元戦車設計技師大高繁雄
技術が云々というより空冷ディーゼルが「特に」って感じがした いや失敬、戦車用エンジンは空冷でも液冷でも強制冷却用のブロワー(シロッコファンが多い)を備えるんだね
まあ一般的に戦車の馬力の数割は冷却ファンに食われるって言われているから、相当強力なものなんで、そこの音響とかはやっぱり厳しくいかないと駄目なんだろうな シロッコファンはソ連軍戦車に多いが、それ以外の国で多いとは思わないんだが >>145
三菱チホ車のことであればT-26みたいな感じなんじゃないのかな、扉は上じゃなくて横に開くっぽいが >>145
溶接なので一式中戦車以降よろしく垂直装甲の可能性が高そう 日本はともかくソ連の大馬力ディーゼルになると
給排気効率の関係でプロペラファンを使った方が良いような気もする
レイアウトの効率化優先だったのだろうか つうか日本のは空冷ディーゼル、ソ連のは水冷ディーゼルだけどね どっちみち冷却ファンは必須さ
ラジエターを冷やすかシリンダーブロックに直接風を当てるかの違い 給排気効率で言うなら、導管の配置がしっかりしているなら
シロッコファンの方が効率がいいんでないのかな。
少し前のビル空調などでは、セントラル空調機にダクトを多用していましたね。
ただ、メンテナンスなどを考えると有圧扇の方が有利なのだろうか。
シロッコファンを使うと導管の取り回しなどでレイアウト効率が
下がるような? >>155
ラジエターを天板近くに置いて間近でプロペラファン回すって方法があるもんで
エンジンルームに余裕があればそっちのが良いような気がするんですわ
逆にエンジンルームが狭いとラジエターを取り回すのが大変なんで
ソ連戦車はシルエットを小さくしたいとか、防御上の観点とか、なんかそんな理由で
ダクト+シロッコファンで我慢してたのかなと シロッコファンの場合、凝縮器(ラジエター)の面積が小さくなるので、シロッコファン+
凝縮器の設置導管を小さくできるのですが、発動機にプラスして容積をとりますので
どうでしょうか?
有圧扇(プロペラファン)の場合は、発動機(冷却フィン付きなので発動機自体が容積をとる)
+有圧扇の設置容積(国軍戦車の場合、発動機室脇の履帯上部で吸気・砲塔後ろの排気窓に
厚さ200〜300o位の有圧扇を設置しているので、有圧扇の厚み分の200〜300o位が
発動機室のHをかさ上げしているが、導管という嵩張る構造は、持っていませんよね。
発動機の冷却フィンがどれくらい足を引っ張っているかは、わかりませんが。
只、有圧扇の方がメンテナンス性も良く、被弾時の故障率も低いように思えます。
→容積・重量・出力については? 砲塔後面機関銃の運用法で、教範を参照した者はいないのか この辺は仮に図面や現物を見れても
そのときその国の手持ち技術でどっちの方が有効だったか
もっと踏み込むとどっちが有効と見込まれていたか
どちらが好まれていたかまでわからんと何とも言えないのかもしれないです
現在の常識で言えば騒音面で有利なはずのシロッコファンなのに無茶苦茶煩かったとか、そういう時代なので ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています