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日本兵が沖縄・国頭で住民虐殺 証言複数、村史新刊に掲載
2016年11月16日 07:42
 【国頭】沖縄戦中から終戦直後、国頭村伊地、半地、桃原の3地区で少なくとも民間人9人がスパイ嫌疑をかけられ、日本兵に虐殺されたことが
複数の証言で明らかになった。10月末に新しく発刊された村史に掲載された。地元住民の間でそうした事実があることは知られていたが、具体的
な場所や時期、状況が明らかになるのは初めて。
証言に基づく虐殺の事実は、村史編さん室が村制100周年記念としてまとめた村史「くんじゃん−国頭村近現代のあゆみ」に掲載。委員が2010
年から2年間、複数の住民から匿名などを条件に聞き取りした。
 伊地では1945年7月4日、宜名真、辺戸の住民4人が斬り殺された。4人は田井等収容所から解放され、集落へ帰る途中で「紫雲隊の伊沢」ら
敗残兵に襲われたとされる。
 桃原では、那覇市泉崎から疎開してきた「高嶺さん一家」3人が日本兵に夜襲され、1人死亡。公会堂近くに寝泊まりしていた一家の元に手りゅう弾
のような爆発物が投げ込まれた。
 半地では、読谷村喜名から逃げてきた2、3家族が日本兵にスパイの嫌疑をかけられ「半地ザークビー(座峠)」で斬殺された。村史には「4人か5人
、手首を縛られめった斬りにされ、一面に血が飛び散り、目を疑う地獄の惨状」とある。遺体は字浜の共同店近くの浜辺に埋められたという。村編さん室
によると桃原と半地の事件が明文化されるのは初めて。宮城克松編さん委員長は「良いことも悪いことも事実を後世に伝えることが私たちの使命」と強調
する。
(中略
 国頭村には収容能力を超えた人たちが避難民として押し寄せ、食料の奪い合いになった。その中で旧日本兵は日本刀で脅し、食糧を奪った。悲惨な歴史を
直視し、不戦のための教材として使われることを願う。