国家安全保障政策/国家戦略研究スレッド
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我国の繁栄と安全を守る国家安全保障政策とこれを実現する国家戦略を研究・提案するスレッドです。 ○国家安全保障政策とは 国家の独立と繁栄を維持するために、主に軍事的な脅威などから国家を守る政策。国家は多様な価値観を包含しており政策は必ずしも他の政策・党派と整合するものではない。 ○国家戦略とは 国家目的を遂行する最高位の観点から、平戦両時に政治・軍事・経済等の国力を効果的に運用する統一的・総合的・全般的な戦略。安全保障政策を上位構造とするが、政策上の不整合は国家戦略により統合が図られる。階層構造下位の戦域戦略、作戦、戦術の準拠となる。 ○戦略の位相 国家戦略を構成する全ての位相(軍事・経済・文化・社会・科学技術etc.)を議論の対象としkますが軍事を主たる切り口とし、それ以外の議論は50レスを越える場合は専門スレッドへの移動をお願いします。 ○戦略の階層構造 戦略を構成する全ての階層構造(世界観・政策・国家戦略・戦域戦略・作戦・戦術・技術)を議論の対象としますが、作戦次元以下の議論は50スレを越える場合は専門スレッドへの移動をお願いします。 ○戦略と戦史 戦略とは一般的な法則が成り立つような分野ではなく、戦史において淘汰される複雑系・非線形・進化的なプロセスです。議論の根拠たり得る戦史上の事象(古代・中世・近世・近代・現代)を議論の対象とします。 ○当スレッドのスタンスと地誌について 当スレッドは明らかにネット右翼(ネトウヨ)スレッドです。対象脅威を尊称で奉る趣味はございません。戦史・兵要地史の一貫性のため歴史的な略称(支那・北朝鮮・南朝鮮・米・英・仏・露・独他)を推称します。 ○戦略思想家の格付け ●神様リスト クラウゼヴィッツ、モルトケ、コーベット、リデル・ハート、マイケル・ハワード、コリン・グレイ、ルトワック ●疫病神リスト ジョミニ、フォッシュ、フラー、マハン、ドゥーエ、ハマン・カーン、キッシンジャー、バーナード・ブロディ、クレフェルト、ミアシャイマー 「勝利は既に(戦略次元で)確定している。卿らの上に大神オーディンの(作戦次元以下の)恩寵あらんことを。」 >>403 >doctrine of battle FM100-5で出てきた言葉でぶっちゃけ時代遅れ。 もう使わない方がいいでしょう。 wikiの「戦闘教義」の記述も古めかしい。 コリン・グレイは戦略の位相の一つに「教義」を上げてる。 重視すべきものではあるが、他の戦略位相とのトレードオフの対象でもある。 その「教義」の下位概念に過ぎないものを「不変の原則がある!」なんて本の下帯に書かれたら失笑するのも無理はないでしょう。 「国家戦略」からの視点では。 本当に戦争において切羽詰まったとき「戦いの原則」に基づいて作戦指導するなんてことは金輪際無いね。 ほんと無駄な努力です。 数少ないオペレーションらしき経験の中で実際に何を重視したか? 現地の「戦訓(教訓)」でしょう?一にも二にも。 もう少し長いスパンで見れば戦史。 「戦いの原則」がのさばるのは戦争が無くて暇なときですよ。 409で挙げた英文のどこに教義の下位であると書いてあるの? >戦いの原則に基づいて作戦指導する adpを読み直せよ。 この無能レベルは議論以前の問題だわ。 つうか作戦指導 = conduct of operations の意味で使ってるなら、自分で挙げた下の英文にも出てるじゃねーか。 svocMをとって丁寧に読んでみろ。 想定でいいとしても、central importanceは抜くし、comprehensive and fundamentalも抜くし。 thinks about the conduct of operationsと書いてあるのに >「戦いの原則」に基づいて作戦指導するなんてことは金輪際無い とか平気で書くし。 高校生なら仕方ないが、大学以上ならこれは酷いわ・・・・・ 412 >本当に戦争において切羽詰まったとき「戦いの原則」に基づいて作戦指導するなんてことは金輪際無いね。 ほほう、 せっぱつまっても ・戦力の【集中】もしなければ ・他の戦域の戦力を【節用】することもないし ・【奇襲】を目指すこともなく ・【簡明】な命令は出さず、複雑怪奇な命令を出す こういうことですか、わかりません>< >>416 まずもって「前提条件」が無く、「トレードオフ」も考えず安易に「集中だ!」「奇習だ!」なんてことはあり得ない。 状況判断、分析・総合により部隊を運用していき、後々に「あれは「集中」だったんだな」と日本茶をすすり懐古しつつ インデックス付けていくのが「戦いの原則」の効用です。 グレイ等が(もう年だし集大成として)戦略の一般理論を考えてみても、 やはり、いわゆる原則的な一般理論は導出しようが無く(せいぜいが置換可能な諸戦略として)、 唯一「戦略の継続性(永遠なる戦略)」は一般理論と言えるか?と苦悶してる傍らで、 能天気に「戦いの原則」の「不変性」を唱える。 そもそも「戦いの原則」とはどの階層か?戦略次元か?作戦次元か?戦術次元か? 全部に通用するみたいな神をも恐れぬ主張はようしませんわ。 今や日本の狭い界隈でしか通用しないローカルな主張に過ぎないように思いますね。 戦争の階層が上がれば上がるほど「より効率的に目的を達成できる代替案は無いか?」と血眼に探すわけです。 (甚だしくは戦争以外の方法で) 逆に下位になるほど上位概念が定めたフレームに左右され規範的になる。 現代の戦争において、全体を教義として「体系化」しつつ継続学習システムとして必死に回そうとする。 その焦燥感が感じとれないでしょうか? 「戦いの原則」みたいな暇な議論をしてる時間はとてもない。 「戦略」自体が何度か絶滅の危機に瀕しています。 明確なのは「核戦略」の挑戦ですね。 (核の相互確証破壊が維持できれば他はいらないんじゃね?) その浅慮に対して思想的に戦ったのは(不愉快な事実も含めて)「戦争の本質(あるいは性質)」を観察し 政策に資する国家戦略の観点から軍事の位置付けを明確にしようとしたクラウゼヴィッツ派の試みです。 さらには戦争を階層構造で捉えて教義を体系化し、 継続学習により国家目的・戦略環境に適合させようとした挑戦です。 「戦いの原則」なんぞ外向きには「屁の突っ張り」にもならない。 形成経緯すらまるで対外的に納得を得る説明ができないしね。 恐ろしいのは某国の「原則図示」なる概念は、あと数年で消滅する「一般師団」という枠組みと不可分になってること。 白書の通り、「機動師旅団」と「地域配備師旅団」に分れ、 陸自総隊の全国運用の下でまるで教義(?)も変わったはずなんですがね。 未だに死んだ子の年を数えているという。 これを知的怠慢と言わずして何と言おう。 単行本(\2000~)ってどのぐらい売れるんでしょうねぇ 500部とみた (自分の学生に買わせるだけで元が取れる) 新書(\1000)は1000部 いっぴゃく万で元が取れる時代になった 多品種少量生産力は今後も時間とともに上がってゆく もはや書籍はブログと同じぐらいの値打ちしか持たない >>422 どこのロングパス? ゼミだと1000部もいかないでしょう。 自分が理系の感覚かもしれんが。 でもね。書籍の良さも自覚。 自分グレイは書籍。ルトワックはkindleで保持。 書籍のグレイの方が頭に入ってくるんだよね。 昨今、これだけAIが話題になってるのにAIの学術書の出版の薄さに懸念。 自分の学生の頃とあまり変化が無いのはどうしたことか? マスターのとき、自己学習に近いレベルのこと論文に書いてたつもりですがボコボコだったな。 曰く、論理的道筋が不明と。 しかしねえ。開き直って機械学習の力業で打開しようという提案にそれを求めるかねえ? 自分だけじゃないとは思うが、今のディープラーニングに近い発想は日本にはふんだんにありました。 無理解に潰されてきたと言うべきでしょう。惜しいことをした。 だから、自分みたいに別のヤクザな業界に就職してると。 ある種、デジャブなんだよね。 軍事において「戦いの原則」を崇める阿呆な連中の非生産性は。 「戦いの原則」における「集中」を師団レベルで原則図示させる阿呆。 本当に阿呆でしょう。 もともとArmyなものを機動や兵站で分割せざるを得ないからdivisionなんでしょうが。 戦闘に際して集中を目指すのは原則というよりレゾンデールでしょうが。そもそも「分割」してるんだから。 むしろ分割すべしと考えたブルゼの思想を研究すべきだと思いますがね。 「奇襲」の原則。 本質はこんな原則の警句を暗記させることじゃねえよ。 「戦争」が「敵対的な意志」も相互干渉だという戦争のq本質こそ教えるべきでしょう。 クラウゼヴィッツやリデル・ハート間接的アプローチ、最少予期線をね。 蛙は嫌いでドイツ・クラウゼヴィッツ・モルトケ派ですが、ギベール、ブルゼ、グリボーバルは教育すべき。 クラウゼヴィッツは思考過程を提供してくれるが、フランス学派は初期値を与えてくれる。 「戦争の本質(ネイチャー)」には既知、未知(戦場の霧、例えば敵の意志)に加えて不可知(摩擦)な要素があります。 それを無理に机上でなにがしかの指針を出す、解答を得ようとするのは間違い。 戦争のカオス(未知、不可知)を本質として受容して、「答え」ではなく「方法論」で対応するのだ。 この意識転換。日本には「今」必要。 コリン・グレイは「戦略の一般理論」を発表しています。 ただしそれは特定問題にすぐ指針が得られるようなガイドラインではなく、 クラウゼヴィッツ同様、戦史の観察から得られた「戦略の本質(ネイチャー)と様相(キャラクター)」「戦略の形成」「戦略の実行」「戦略のもたらす結果」としてまとめています。 そもそもの「戦略の定義」として「望ましい政治目的を達成するため、一定の前提のもと、 これに適合した戦略的な方策の選択を通じて、その時点で利用可能な、主に軍事的手段を活用するもの」 としており、この中で「前提」の決定的な重要性を議論しています。 「前提」が変わっても通用する「理論」でなければならない。 極めてシビアでしょう。だから前述のようになる。 >428 >解答を得ようとするのは間違い。 戦いの原則を「解答」と認識して決めつけてる段階で間違ってると思うの にはは >>430 「戦いの原則」よりもはるかに拘束性が緩いルトワックの「機動戦-消耗戦」の議論、 ワイリーの「順次戦略-累積戦略」の議論、 リデル・ハートの「直接-間接」の議論。 これらでさえ、永続ならざる「諸戦略」としてバッサリです。 そして、おそらくはグレイは正しい。 いわんや「戦いの原則」をや。 >431 >「戦いの原則」よりもはるかに拘束性が緩い だから、戦いの原則の拘束性が高いと思い込んでるのが、間違いなんだってば。 がおがお 「戦いの原則」を信奉している限り、戦後生まれの芳醇な戦略思想(ハワード、ルトワック、グレイ)は取入れられない。 みんな「戦いの原則」否定派若しくは懐疑派だし。 ハワードが一番明確かな。 「ヨーロッパ史における戦争」の序文ではっきり書いてるし。 社会科学に対する考え方として、誠実であろうとすれば、なにがしかの「抽象化」を行う場合は、 その対象となり得る「事実」(今の場合、戦史)を明確にせざるを得ない。 クラウゼヴィッツ以降のまともな兵学思想家は基本そうしてます。 リデル・ハート、ワイリー、ルトワックの説でさえ究極の一般論になり得ないのは、特定の時代の特定の事象を対象にしているからです。 (かなり広範囲ですが) ただし、彼らは対象事象を明確にしてるが故に、その制約の中では非常に有益なわけです。(諸戦略) ところが、「戦いの原則」は相当ピーキーな作りをしてるはずなのにそれが無い。 そもそも不誠実です。 その根拠を説明できる人間は誰もいないでしょう。 これに本当に部下の命をかけられますか? 現代の戦略では、特定の価値観で優位に立てることはありません。 逆説的な対抗策が必ずあります。無かったら戦略字体が無価値だということです。 「攻勢(主動)」に対しては「防勢」、「特殊」に対しては「標準」etc.必ず相補的な対策があります。 「戦いの原則」にとらわれている間はこの議論は無理だろうな。 >435 >「戦いの原則」にとらわれている間はこの議論は無理だろうな。 戦いの原則に囚われているのは、あなた自身だと思うな。 ガイドラインの意味って本当に判ってる? そして米軍が教範本文から外しても別表に残した意味理解してる? 戦いの原則を法とか認識してるんじゃ理解できないかもね にはは 片岡徹也・福川秀樹編著の「戦略論大系別巻 戦略・戦術用語事典」から 兵学の基礎概念 戦いの原則p56 現在の米軍は「戦いの原則」に対して、決して合理的で健全なる判断力の代用になると考えてはならないと警告を与えている。 また陸上自衛隊あるいは米軍とは別の形式、違った数そして別の思想に基づく「戦いの原則」を規定している軍隊もあるのである。 そもそも[規則書によって戦争は戦えない」ものであり、「原則は賢者の助けにはなるが、愚者には落とし穴になること」に留意しなければならないのである。 特に操典や要務令に記載されている「原則」は規定であって因果の法則ではなく、まして不変の存在などではないのである。 1)原則の存在 戦争論レクラム版(日本クラウゼヴィッツ学会訳)第二編 戦争の理論について 原則、規則、規定及び方法は、戦争指導の理論が積極的な学説を指向する限り、無くてはならない概念である。 2)原則の意味 戦争論レクラム版(日本クラウゼヴィッツ学会訳)第二編 戦争の理論について 理論は考察であって規範ではない。 それによって戦場で使用する代数学的な公式を案出する為ではない。 なぜならば、このような原則や規則は、むしろ思考する精神の中で、その精神の固有の運動の主軸を定めるべきものであって、 実行に際してこの精神にいわば測量竿のように道程を表示するものではないからである。 ・軍隊指揮1959版 かくのごとく軍隊指揮は術であり、性格、能力、精神力に基づく自由な創造的活動である。 その教義は述べ尽くされるものではない、戦場に形式は存在しない。 しかし明確な原則が軍隊指揮官を指導しなければならない。 ・野外令(,H12開示版) 戦いの原則は、戦勝を獲得するための基本となる原則である。 この原則の適用に当たっては、「之が運用の妙は、一の其の人に存す。」と言われるように、 いたずらに形式に陥ることを戒め、よくその本質を理解し、 戦いの特性及び千変万化する状況に応じて総合的に運用し、常に創意を凝らし、もって戦勝の方途を求めなければならない その教義は述べ尽くされるものではない、戦場に形式は存在しない。 しかし明確な原則が軍隊指揮官を指導しなければならない。 いたずらに形式に陥ることを戒め、よくその本質を理解し、 戦いの特性及び千変万化する状況に応じて総合的に運用し >433 あなたは本質を理解してるかな? がお、がお >440 >「戦いの原則」を信奉している限り こんなことを言う段階で、現在の戦いの原則の本質を理解しているとは、とても思えないかも この信奉者は戦いの原則を理解してない人たちだって事わかるかな? 戦いの原則が間違っているのではなく、戦いの原則を間違って理解する人に問題があるんだよ あなたも戦いの原則を間違って理解してるから、戦いの原則を間違ったものって認識しちゃってるんだよ 間違って理解してるという意味では、信奉者さんたちと同じ。 にはは 信奉者⇒間違って理解し、そのまま肯定 あなた⇒間違って理解し、それを否定 原因は、どちらも間違って理解しちゃったところ がお、がお >>441 >現在の戦いの原則の本質 言葉遊びではなく、「戦いの原則」の「本質」なんてものがあるのか? 「戦いの本質」はあるだろう。 「戦いの原則」の「本質」? 自分の整理では「そんなものは無い」。 あるなら定義してほしいわ。 「戦いの原則」への疑問 ○来歴及び根拠が不明確 (どこから出てきた?何故、9原則?) ○効用が不明 (何故、これを原則とすることで戦勝できるのか?) ○適用条件が不明 >「之が運用の妙は、一の其の人に存す」「戦いの特性及び千変万化する状況に応じて総合的に運用」 ・・・・そもそも必要か? 「高度な柔軟性を保持しつつ臨機応変に対応せよ」 ・・・の類いの指示を見ると力なく肩をすくめます。 (自分で腹を決めるしかない、せめて余計な仕事作らないでね、と。) >443 1)各国とも、時代によって違う原則を挙げている 2)各国ともに、法ではなく方針(ガイドライン)として使用している 3)各国とも、方式や公式といった絶対の判断基準にしてはいけないと念を押している これらから、原則の本質は貴官の考えるような【絶対の存在】などではない という根本的な性格が判るのですが? 貴官は、各国が【やっちゃだめ】と書いていることを「戦いの原則」に求めているのです。 貴官は単純に根本的なところで誤解しています。 戦いの原則は、その国のドクトリンを説明表現するものの一つであり その軍隊の重視する考え方や方針を統一する為にあります。 (なぜ統一する必要があるのか?くらいはわかりますよね) 例えば、集中の原則があるならば、その国の基本的なドクトリン、装備、編制、運用は「集中」を念頭において整備されていることをしめします。 例えば、ソ連は他国の戦いの原則には存在しない「テンポ」というものを組み込んでいます。 これはソ連軍のドクトリン、装備、編制、運用がそれに適したものを目指していることを示します。 ただ、それは組織を作る際には必要ですが、個々の実働においては形式にとらわれる必要はない訳です。 むしろ形式化して戦う事が不利にさえなりかねません。 (しかし、それに最適化されているので、やりにくい面もでるので、そこは覚悟の上で対策をしておけばOK) なので片岡氏のいうところの >そもそも[規則書によって戦争は戦えない」ものであり、「原則は賢者の助けにはなるが、愚者には落とし穴になること」に留意しなければならないのである。 となる訳です。 >444 >「戦いの原則」への疑問 >○来歴及び根拠が不明確 >(どこから出てきた?何故、9原則?) →各国軍の方針的な重視事項の表明 国によっては9原則じゃないとこもある >○効用が不明 >(何故、これを原則とすることで戦勝できるのか?) →そもそも「これを原則とすることで戦勝できる」なんていっていない >戦勝を獲得するための基本となる原則である。 基本的には重視すべき項目であるという意味 このあたりは旧軍の作戦要務令の書式や表現が強く影響しているので 現代国語的に読むと問題あり、まあ、そんな書き方をする陸自が悪いっちゃ悪いのですし そう教える教官がいれば、そこは問題がありますが、少なくとも私が知ってる範囲にそういう教官はいないっすね (昔、教官をやってたって人には、そういうの思い当たるのもいますが…) (逆に一部で、いっそ戦いの原則を外そうという勢力もある模様) >○適用条件が不明 →公式じゃないんだから、あるわけないだろ 貴官は「ガイドライン」という概念を理解すべき 「戦いの原則」はそういう名前のガイドライン なぜそういう名称なのかは、単純に歴史的経緯 だから国によっては呼び方さえも違う場合もある。 理論を語るのであれば、最新教範だけではなく 教範類の成立過程や経緯も勉強すべきじゃないかな。 ちなみに「ソ連陸軍の作戦術及び戦術の基本原則」が自国(ソ連)と米軍の戦いの原則を比較説明する章があるのですが、こういったのを読むと「戦いの原則」と呼ばれるものの性質的な本質が理解しやすくなります。 これは元はソ連軍のものですが、米軍が翻訳し、それを自衛隊でも翻訳してました。 あと、米軍も各国の原則を比較したのをどっかに上げてたはず。 そういったものを丹念に読みこむと理解が進むと思いますので。 調べてみ (上記は日本語は無理でも英語版は入手できると思うよ) The Basic Principles of Operational Art and Tactics: A Soviet View (V. Ye Savkin) 尼でも普通にかえるぞい https://www.amazon.co.jp/Basic-Principles-Operational-Art-Tactics/dp/1410201147/ >>446 >方針を統一する為にあります。 (なぜ統一する必要があるのか?くらいはわかりますよね) 「戦いの原則」という「標語」形式で統一する必然性は全くありませんね。 むしろ、こんな解釈に幅があるもので何を統一すると? >>446 >集中の原則があるならば、その国の基本的なドクトリン、装備、編制、運用は「集中」を念頭において整備されていることをしめします。 ソ連は分からんけど、他はそんな教義の作り方はしないわ。 「戦いの原則」を念頭に置いて運用、編制、装備決めるなんてまずあり得んわ。 そもそも階層によって変わりますが、作戦次元であれば戦略環境、 戦術であれば敵味方の想定編制・装備、想定戦場、戦況推移を徹底的に分析し、望ましくかつ実現可能な「様相」から逆算して教義を決めていきます。 兵棋演習や部隊実験、究極的には実戦の結果が思わしくなければ、どれほど理論的に美しかろうがあっさり捨てます。そらそうだろう。 戦略次元になると、「戦いの原則」みたいなドグマはそもそも国家戦略の趣旨に全くあわないでしょう。 これが教範になる過程でドキュメントとしては削ぎ落とされていくから見えないだけで。 >>447 ○戦いの原則の来歴 片岡氏によると、米国の「戦いの原則」は1921年にヒャルマール・エリクソンというウォーカレッジの教官が導入。 彼は論拠として「ジョミニが・・クラウゼヴィッツが・・・」と濁していたが、フラーの「戦いの原則」をパクッたのは明らか。 そのフラーのは1912年にかなり独断的にナポレオン戦史と自分の閃きで作った。 「フラーの才能は認めるが戦史研究時間は長大なものではない」。 それ以前には直接的に遡ることは困難。つまりは元々が論拠薄弱なわけです。 >>447 >戦勝を獲得するための基本となる原則 ほぼ何にでもあてはまる曖昧な表現。 「いらない」のでは? >>447 >公式じゃないんだから、あるわけないだろ 「教義」には前提条件がありますとも。公にしないだけで。 これを適応するのに実状況と教義の前提条件の差異見極めるのが「状況判断」でもある。 原則に関してはこのクソコテが理解してないで結論出たから、それでいいよ。 次は別の間違いを見ていくほうがいいんじゃないか。 >451 >むしろ、こんな解釈に幅があるもので何を統一すると? ちがーう!その意味するところの概念の統一です。 軍事において集中といったらこういう意味、奇襲と言ったらこういう意味 そしてその概念を多用し、かつ重視するという表明 これにより方向性の統一 集中は「我々は組織的な正規戦を重視している」という風にもとれる。 これが武装勢力の戦いの原則なら、集中以外にも「分散」とか「非対称」という原則が組み込まれるのでしょう。 >452 >「戦いの原則」を念頭に置いて運用、編制、装備決めるなんてまずあり得んわ。 上記 >453 >彼は論拠として「ジョミニが・・クラウゼヴィッツが・・・」と濁していたが 源流はジョミニやクラウゼヴィッツで正解 パクったのはフラー、さらに米陸軍はそのフラーをパクった可能性は高いのですが、 それはその後に改正され続けています。 (一時期はなくした時期もある) >つまりは元々が論拠薄弱なわけです。 だから米軍はその後の研究やドクトリンに合わせる為に変えてるんだってば なのでフラーの否定を、そのまま現在の戦いの原則の否定根拠として使うには論拠薄弱 >454 >ほぼ何にでもあてはまる曖昧な表現。 だから概念と理解の統一だってば >455 >「教義」には前提条件がありますとも。公にしないだけで。 公にしてますよ。 論文やドクトリンペーパーで (ドクトリンペーパーは米軍がよくやる。この間のMDBもALBも出されて公開されている) >これを適応するのに実状況と教義の前提条件の差異見極めるのが「状況判断」でもある。 戦いの原則は 状況判断の為にある訳ではない。 片岡氏の 「原則は賢者の助けにはなるが、愚者には落とし穴になること」 をよく読んで理解して欲しい。 原則をなくすという事は、愚者の落とし穴をなくすことは出来ますが 賢者の助けも捨て去ることになります。 なお、戦いの原則を理解すべき幕僚や指揮官は賢者でなければならない訳ですが… 理解できない愚者の為に、賢者の武器をも失うのは全体的にみてどうなのでしょうね? >ドクトリンに合わせる為に変えてる 順番が違う。ドクトリンで原則が変わるのではない。 最初の理解がこれで、間違い指摘したところでどうにもならん。 そもそも戦略で神だの疫病神など分けてる時点で、スレの始まりで終わってる。 では、その神様リストについて >●神様リスト >クラウゼヴィッツ、モルトケ、コーベット、リデル・ハート、マイケル・ハワード、コリン・グレイ、ルトワック はたしてコーベットは本当に神なのであろうか? 彼は著作において海軍の通商護衛について下記主張を強く行っています。 ・船団方式の否定 ・直接護衛の否定 ・間接護衛の推奨 そしてWW1及びWW2において 船団方式の否定と直接護衛の否定は、英国に大損害をもたらすことになりました。 これについて英国ではコーベットに対する批判も出てる訳ですが それでも神なのですか? 特にWW1でやらかして対処したのに、またWW2初期に再度やらかしているのは コーベットを信ずるが故の問題再発ではにのか? 英国にとって、まさしく疫病神と言えるほどの【実績】をたたき出していますが? そのところどう考えているのかお聞きしたい。 その最悪の実績をもってして、その理論はどこまで正しいといえるのか? >●疫病神リスト >ジョミニ、フォッシュ、フラー、マハン、ドゥーエ、ハマン・カーン、キッシンジャー、バーナード・ブロディ、クレフェルト、ミアシャイマー 逆にマハンにおいては、初期の『海洋権力史論』以降、その主張は【自分では変わらない】と言っていますが、実は結構主張が変わってきています。 特に変化が顕著なのは、マハンが海軍大学講師時代の講話をまとめたという『海軍戦略』です。 本人の主張と異なり、その主張は根拠地主義ともいうべきもので、その根拠地間の連絡などを重視し現在の戦略としても有効な【ポジショニングウォー】としての性格を強く持っています。 それはよく言われるマハンは艦隊決戦b主義者 という姿から、まったく持ってかけ離れた主張であり、現代米海軍のVegoに通じるものがあります。 初期の海上権力史論における艦隊決戦主義は疫病神であっても、海軍戦略におけるポジショニングウォーは神な訳ですが それでもマハンは疫病神なのか? お考えをお聞きしたいw ちなみに、WW2太平洋において米海軍が実施し日本に勝利したのは、まさしく根拠地主義のポジショニングウォーですが、 おなじWW2大西洋の船団護衛で、コーベットを捨てるまでに大英帝国は大損害な訳です。 (大西洋で大英帝国が持ちこたえたのは、コーベットの呪縛を捨てたおかげとも言えます) >>461 片岡氏の立場は「原則は自然法則ではなく人為的「規定」」。これが前提です。 「規則書では戦えない」とは「(規定でしかない)戦いの原則だけでは戦えず、判断力、創造力、分析力が必要」と続きます。 さらには「戦いの原則という材料を調合して勝利というケーキが焼けないなら戦いの原則とは何か?」 「戦勝の基本的事項?兵站や行進も含めて軍事行動の全てが戦勝の基本的事項ではないのか? 「戦いの原則」として強調する意味は何か?」とかなり辛辣な議論を展開しています。 で、結論としては現在の「戦いの原則は再構築が必要」であり「戦いの本質についての透徹した理解が必要」と続きます。 これを実際に具現化したものが、現段階ではクラウゼヴィッツの「戦いの性質」を基礎とするコリン・グレイの「戦略の一般理論」でしょう。 だから日本は「戦いの原則」を破棄してグレイをパクるべき。 >>456 過疎スレでぎざいましてね。 確率的に96%くらいの確率で「貴様ぁぁ、スタンド使いだなぁぁぁ!承太郎ぉぉぉぉ!」 >>456 >公にしてますよ。 論文やドクトリンペーパーで 到底全部は無理なんだな。 ORにもかけて結果をフィードバックするから。保全の壁を儲けざるを得ない。 より詳しく教義の前提や根拠が知りたければCGSに入校しろということですな。 これが不明な教義は無価値。 何のフィードバックもかけられないしね。 >>461 >片岡氏の >「原則は賢者の助けにはなるが、愚者には落とし穴になること」 これはエマーソン米海軍少将の引用でフルバージョンの論文ではさほど肯定的に扱われていません。 片岡氏の意見か?というと微妙だな。そこから片岡節が炸裂していくのでw。 >>459 >米軍はその後の研究やドクトリンに合わせる為に変えてるんだってば ドクトリン2015体系でついに消滅したんじゃないですかね? >>457 >武装勢力の戦いの原則なら、集中以外にも「分散」とか「非対称」という原則 フルスペクトラムオペレーションでは? >>449 >「ソ連陸軍の作戦術及び戦術の基本原則」 「ソ連の戦いの原則」を一元的に論じるのは到底無理。 そもそもフルンゼの段階で強く「ブルジョア的な戦いの原則」を否定しているんです。 歴史のときどきにトハチェフスキー派の将校が教令に組み込みますが「根拠不明」。 フルンゼ陸軍大学のサブキンについては片岡氏も言及してますが、サブキン自身が戦いの原則を否定しているんです。 ところが、「作戦術と戦術の原則」では西側的な「戦いの原則」を列挙しているという。 (実質はフラー系列のパクリ) principleを社会的な規範を含めて(人為的な規定、規範としての)「原則」と訳する思想は、社会学全体として確かにありました。 18世紀くらいは、自然法則と人為的規定が類似したものと考えられていたからです。 ところが現代に近付くにつれて両者は明確に別れていき、今日的にはprincipleは「原理」とするのが主流になりつあるという。 「原則」と訳する防衛省は、社会全体では少数例になりつつあるという。 そこから、片岡氏の意見としては「科学哲学」の観点からも「戦いの原則」を見直していくべきと。 そこで自分のオリジナルな提案は「原則」という言葉の全廃。 日本の用語体系では「教令」の方が誤解が無いんじゃないでしょうか。 タイトルレベルでは使われているしな。 「高級指揮官に与える教令」 「労農赤軍教令」 「教令」で良いんじゃないでしょうか?(教義-教令) >469 MDBなんか、かなり大規模に公開討論やってたが? YouTubeでも公開してたよ >467/470 >「原則は自然法則ではなく人為的「規定」」。これが前提です。 それはこちらも同様の主張をしています。 >現在の「戦いの原則は再構築が必要」であり「戦いの本質についての透徹した理解が必要」と続きます。 だから米軍はやってるんだってば・・・ (陸自がやってるとは言わない) >471 消えてないよ、別紙に移ったけど 本文から消えたというなら、消えたけどね。 >472 ちがう、これはもし武装勢力側が原則を作ったとしたら、という意味 >473 >そもそもフルンゼの段階で強く「ブルジョア的な戦いの原則」を否定しているんです。 だから彼らは、ブルジョア的ではない、独自のレーニン主義的な原則を作ったのだ、うらー >475 教令の方が拘束力高くならんか? >独自のレーニン主義的な原則を作った それはもうドクトリンと呼ぶべき 原則とは違う >違いとは? 原則はドクトリン(・戦略 ・作戦 ・戦術 ・技術)で変化しない ドクトリンは原則で変化し得る(?) 原則 → 不変 ドクトリン(教義) → 変化する(数年ごと) 教範・教令・フィールドマニュアル → ドクトリンを元に制定 (操典や要務令に記載されている原則は規定であって因果の法則ではなく、まして不変の存在などではない) >480 >原則 → 不変 そんなことを言ってるのはジョミニやフラーで終わっている。 現代の軍隊で現在使われている「原則」は、もうとっくに(かなり前から)そういう意味では使っていないと何度言えば・・・ 理解できてないから、そんなことを言ってるだけ。 ドクトリンで変わるだの、ゲリラ戦とれば原則が変わるだの嘘ばかり抜かすな。 言い方が良くないな。 別のコテよりもマシのようだから、もう少し丁寧に教えるべきだったかもしれん。 479、480は初心者にもわかりやすいように単純化してる。 原則は難しいものではある。 >現代の軍隊で現在使われている「原則」 その現代の軍隊とやらは、どういう意味で使っているのです? ジョミニやフラーはどう間違っていると主張してるのですか? >483 原則は自然法則ではなく人間が定めたルールであり、それは国毎に違った原則を採用していることからも明らかです。 その時点で絶対不変などありえませんがな 単語としての「原則」が絶対的な法則を意味するから、各国の原則は違う、間違っているというのは 原則という単語にこだわり、囚われていると考えるべきと思います。 現実の各国軍隊は、自分たちが使う原則という単語をそのように絶対の存在として扱っていません。 (そもそもPRINCIPLESという単語自体、語源はどうであれ、必ずしも絶対的自然法則にのみ使われる言葉ではなく、それを前後の脈略や使われてきた文脈を無視し、絶対法則と認識すること自体から間違い) じゃあ、それはもう原則ではないのではないか?と言われれば、その通りですが 現実には、その導入過程の経緯もあり、そのまま原則と呼び続けいます。 そこを否定したところで、世界の軍隊がその意見に追従し、その通りだ呼び方を変えよう!と同意しないかぎり 軍事では、厳密な原則とは違うものを原則という単語で呼び続ける訳です。 その認識のもとに原則を扱わない限り、理念派(貴官のような人間)と実状派(私はこっち)の意見は絶対にかみ合いません。 なぜなら原則の捉え方と使い方が違うからです。 貴官の原則が世界の軍隊共通の認識になるには 過去の原則にまつわる経緯をすべて捨てて、その上で原則を定義しなおさなければなりませんが そんなことは不可能なのです。 (定着した共通認識を変えるのは困難、それが世界レベルであればなおさら) だから軍事の世界はいまだに厳密には原則でないものを原則と呼び続けているのです。 ちなみに、この原則と呼ばれているものは、国によって重要度や拘束力、推奨具合なども違います。 それを定義共通化するなど、無理無理 現在の呼称を使い続けるしかないです。 あなたが理解していないことを482で書いてますが、それは理解できますかね? >各国の原則は違う 共通する原則はどういう理解にするのですか? 無いことにしますか? それと現代の軍隊はジョミニやフラーがどう主張して、どう間違っていると主張してるのですか? 本があるなら引用してもらえませんか。 >共通する原則はどういう理解にするのですか? いや、否定もなにもないよ それを各国が選んだんでしょ。 それ以上でもそれ以下でもない。 あえて言えば、それだけ各国が同じことを重視するなら、それの重要性は蓋然性として高いと理解すべきってだけでしょうに。 Appendix D Principles of War でググれば各国原則の比較表がある。 ジョミニやフラーは絶対の原則を目指した。 その時点で、上記の現状とは大きな齟齬が生じている。 つまり彼らは間違えてた訳だ。 絶対の唯一の正解はなかったわけだ。 (少なくとも現状は見つかってはいない) だが、現在各国はそのバラバラな重視条件を自国のみで通じる原則として採用している。 Simultaneous Attack on All Levels はドクトリンであると同時に、ソ連の原則に含まれているのだよ、うらー Simultaneous Attack on All Levels はドクトリンであり、原則ではない と貴官は言うかもしれないが、そんな事はなんの影響もなく 彼らロシア人は、それを原則と呼び、原則として扱い、原則として認識しているのだ。 これを批判したところで、止めさせることはできないのだ。 (貴官がロシアに渡り、教育監部のTOPにでもなれば別だが、それでも変わるのはロシアだけで) これはわかりやすい例ですが、 このように各国で扱いも認識も使用方法も違うというのを米軍は理解しています。 Appendix D Principles of War はJFSC PUB 1 なのですよ。 References: Joint Pub 1 and Joint Pub 3-0 なのですよ。 米軍は原則の多様性を理解しており、そのような扱いをしています。 だから、米軍自身の原則も、変化したりするのです。 (現在の米軍は確か 9原則+3原則 ) (もともとの9原則もフラーのものからは何度か改訂されている) 共通の原則はあるのだから、各国の原則は違うという主張は間違いでしょうに。 あなたの言い方なら 「各国が同じことを重視するなら、それは絶対の唯一の正解だったわけだ」 でいいはずですけどね。 >現在各国はそのバラバラな重視条件を自国のみで通じる原則として採用 だめだこりゃ。 やはり全く理解してない。 そもそも「戦いの原則」を「戦略の原則」ととらえている国が多いようだが、それは限界だろうね。 あの標語形式の九原則+アルファでとても現代の戦略のエッセンスを表現できるとは思えない。 ある戦略におけるある価値観には常に対抗策がある。 「原則」化すればするほど効果が低下していくんです。 これは、最早定説だな。 といって、作戦次元や戦術次元はもっと移り変わりが激しくとてもとても。 (だから教義の更進サイクルを早めてぶん回すしかないわけだが。) もっと大きく、そもそも「戦争の階層構造」をどう捉えるか、から始めるべきだと思います。 「戦略」「作戦」「戦術」と切口が代わると様相が違うからね。 それをまとめて「戦いの原則」とやってしまうのは、現代的にはあまりに乱暴な議論だと思う。 昔、某国では「戦略と戦術を区分することに意味が無い」とする説があったやに聞いていますが、それは某国の亡国への道ですよ。 脱却しましょう。 それが「戦いの原則」に変わる「戦略の本質」を策定する第一歩なんです。 (これすら、教義のぶぶんであり、時代に応じて常に見直すべき。) あえて言えば、「戦略の原則」とは「原則化できない」のが原則であり、それでも政策上の使命と戦争の現実を見つめてトボトボ歩いていくしかない、というのが「戦略の形成」プロセスであると。 なんとも救いが無いですが、これを認識しているか、認識していないなが大きい。 能天気に特定の「原則」を信奉する輩に「嫌」というほど「戦略のパラドックス」というもの「教育」してやれますしね。 不変という言葉の意味の問題以前に、原則を理解してない。 ドクトリンで変わると言っていたり、下手すると戦術や技術で変わるとか言いそう。 教令や教範と同じだとか言い始めたら、手の施しようがないわ。 それと現代の軍隊で現在使われている原則の意味は、ジョミニやフラーと変わっていない。 彼らの本は今現在も、理解のために使用されている。 兵器厨や国籍不明者に戦略(XXXは放っておきましょう、後は野となれ山となれ)を語らせてはならないの原則 >493 >そもそも「戦いの原則」を「戦略の原則」ととらえている国が多いようだが そのような認識の国は聞いたことがないが??? そのような認識をしている人間がいるのは、いくらでも聞いたことがあるが。 >それと現代の軍隊で現在使われている原則の意味は、ジョミニやフラーと変わっていない。 >彼らの本は今現在も、理解のために使用されている。 成立過程の理解に使われているにすぎない。 というか、その過程でもフラーなどは殆ど扱われない。研究論文とかでもさらっと流されてるだけ。 (だから逆に最近ようやく読んでみようかという人が出てきただけ) (そんな一時的なまだ確定しない再確認の流行と現状認識の本流を混同するべきではない) >不変という言葉の意味の問題以前に、原則を理解してない。 現実の各国の原則を見よ 貴官の認識からすれば、各国の認識が「使用している、あてがっている言葉」として間違っているから その中身も間違っているという、現実を無視したロジック、言葉遊びにすぎない。 軍事は実学であり、現実を重視すべきである。 現実の中から、各国が何重視しようとするかを抽出したものを 原則とよぼうが、なにか他の言葉で呼ぼうが、それは各国の自由であり貴官が決めつけられるものではない。 そこを理解することが、原則の本質理解の第一歩 >成立過程の理解に使われているにすぎない。 あなたはジョミニやフラーが間違っていたと言ってるわけですが、主張と大きくずれましたね。 >各国の認識が「使用している、あてがっている言葉」として間違っているから こんなことは一言も言ってない。 単語の使用として「原則」という言葉で正しい。 もう一度言うが、あなたが原則を理解していないだけ。 >501 >あなたはジョミニやフラーが間違っていたと言ってるわけですが、主張と大きくずれましたね。 なにもずれていない。 間違った経緯も理解には必要 正しいことだけ勉強していると、逆に間違いを理解できなくなる可能性がある。 間違いと正しい再認識、両方が必要。 >501 >単語の使用として「原則」という言葉で正しい。 その認識が現実を無視した間違った認識 現実から乖離した理論や認識は正しいとは言えない。 いくら正しいと主張しようが現実がそれを否定している。 >間違った経緯も理解には必要 今の所は具体的に間違っている部分と、現代の軍隊の主張が一切引用されていませんが? >その認識が現実を無視した間違った認識 こちらの認識ではなく、おそらくあなたの言葉遊びの問題でしょうね。 principle 【名】 〔真理の基礎となる〕原理、公理 行動規範 〔行動の〕原則、指針、主義 ・They were lauded for reaching an agreement on the principles for a new political order. : 彼らは新しい政治秩序のための諸原則について合意に達したことで評価された。 〔道徳的〕道理、道義 〔組織や制度の〕基本的性質、本質 〔自然や機械の〕動作[作用]原理 〔物事の〕本源、素因 《化学》素◆化学物質の性質を決定する成分。 Lansの認識は:〔行動の〕原則、指針、主義 貴官の認識は:〔物事の〕本源、素因 そして各国の原則はそれぞれ違っており、〔行動の〕原則、指針、主義、と認識すべき。 & げんそく【原則】 @ 人間の社会的活動の中で、多くの場合にあてはまる基本的な規則や法則。 「 −として五時に下校すること」 〔しばしば「原理」と区別せずに用いられるが、「原理」は物事を成り立たせる根本的な決まりの意で、主として存在や認識に関係する。それに対して「原則」は人間によって社会に適用するために決められた規則の意で、主として人間の活動に関係する〕 A ?論? 〔ドイツ Grundsatz〕 他の諸命題がそこから導き出される基本命題。 ※「原則」は人間によって社会に適用するために決められた規則の意 各国がそれぞれ決めたものであり、世界共通のものではない。つまり絶対不変の存在ではなく国ごとに違うものである そして実際に各国で違う原則を採用している (現在の日本と米国は若干違う。米国は現在、9原則と若干の扱いは違うが、その他の原則が追加され全13原則) >>505 用語の意味とか言葉遊びは止めたらどうでしょうかね。 >国ごとに違うものである >日本と米国は若干違う >>491 をもう一度読みましょう。 それと>>504 はいつまで無視し続けるのですか。 現代の軍隊という幅広い認識なら、間違った部分はすぐ見つかるはずですよ。 もとの議論と関係無いですが、理解しようとする気はあるんでしょうね? どんどんあなたの主張は広がったり、ズレたりしてますけど。 建設的な議論ではなく、揚げ足取りたいだけとかなら、続けるだけ無駄じゃないですかねぇ。 >507 私から見れば、現実を無視して言葉遊びをしてるのは貴官なのですが? なぜ各国が別々の原則を採用してるのか? そこに対する貴官の見解を伺いたい。 >どんどんあなたの主張は広がったり、ズレたりしてますけど。 貴官が理解してくれないので、どう説明すれば理解してくれるのか 方法をいろいろ試しているだけです。 貴官がズレていると思う部分は、こちらとしては同じ部分を別視点から再説明を試みてるだけです。 現代の軍隊やジョミニとフラーの間違った経緯とかは、「嘘かあなたの間違い」ということでよろしいのですか? 元々はこちらが先ですから、先にこちらを確定した方がいいですよ。 >509 ですから、ジョミニとフラーは絶対の真理としての原則を想定しています。 つまり>505でいう所の 〔物事の〕本源、素因 それに対し現代各国は原則を 〔行動の〕原則、指針、主義 として採用 最初はジョミニ/フラーから入り、現在に至る経緯は、そのままジョミニとフラーが間違ってたことを開設することになります。 なぜならジョミニ/フラーが〔物事の〕本源、素因 として正しければ、現在各国が別々の原則になることは無い。 特にまだ原則を正式に組み込んでいたFM100-1(91年版)でも Doctrinal tenets and imperatives are derived by the application of these principles to our era, thus producing a uniquely American way of war. 【uniquely American way】として米軍独自のものとした上で FM100-5(93年版)などでは principles of war the enduring bedrock of Army doctrine that provides general guidance for the conduct of war at the strategic, operational, and tactical levels 【general guidance】という扱いです。 何度も主張してきたように一般的指針、ガイドライン、ガイダンスという位置づけ (さらに2000年代では地位低下中) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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