ワッチョイ無 加農榴弾高射速射 旧日本軍火砲を語る30
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重機が警察署に四挺あるが、じっさい陣地に据えられてた一挺が真相だったか 警察と言っても、所謂治安維持の為の警察ではなく、国境警備の為の準軍隊
武装も軍隊に準ずる小銃や機関銃で武装してる
4丁も機関銃小隊の編成だったんだろうな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%A2%83%E8%AD%A6%E5%82%99%E9%9A%8A 陸軍の陣地配備一丁と警察で保有してる四丁が予備としてあった、てことだろうか… 赤道以南の一式47mm配備状況が知りたいが。ガ島ほかラバウル、蘭印ではあったのか?補給途絶ニューギニアやブーゲンビルはなかったみたいだが 47mmの制式化が1942年5月
開戦時点では「試製一式機動四十七粍砲」だったという
新砲塔チハもあくまでフィリピン派遣用に牽引砲より優先して暫定的に早急配備した結果に過ぎない 毎日新聞社「日本の戦史」で南方にて輸送船から吊ってる写真はあるが、地域わからず。戦力になってるのは甚だ疑問だが、ガ島に送られてるのは事実らしい。 日本の戦史別巻兵器大図鑑で小銃擲弾用タ弾がブーゲンビル島に届いてたとか。隊で二発のみですと… 豪軍が山砲用タ弾でマチルダ貫通試験したのはニューギニア鹵獲のやつか? 小口径は下請けやら協力会社が多く造ってて未来永劫不明の部分が多い。大阪造兵廠の本読んで、後期には納品された小口径を検品する機関と化していたとも 南満州は大阪直系であるが、遠隔地。十五糎高射砲とか室蘭、広島の日本製鋼ほか民間メーカー製造のものは検査官を派遣させてたよう 重い砲を大阪に集めて検品するより、技官を現地に廻したほうがコスト安くつくだろうし。必ずしも常駐のこともない。 >>283 。それは一億人の昭和史別冊 不許可写真史だな。新兵器として一式47mm写真公表が不許可 ちなみにおなじ版元、日本の戦史姉妹本だから、目くじら立てることもない 褌一本で山砲射撃双眼鏡観測してる下士官だかの下半身を墨塗、「ズ(現文ママ ツに濁点)ボンをはかすこと」なる香ばしい検閲官筆入れとかあるね 輜重車押してる三人くらいの兵隊が褌ずれてて検閲黒線マーカーしてる写真も笑える 南満洲造兵で八八式七高、四一式山砲は製造してたろう。並んだ工廠内写真がある。自緊砲身でないのは造れた。四年式十五榴製造可能性も高い。一貫生産は無理だったようだが。製造図面は下付してる。 チハ造ってたくらいだから製造難易度は遥かに高いもんを。ほとんどノックダウン生産かもだが 佐山本判明一割増が小口径で実際の製造数であったろう。中口径大口径は生産できる施設が限られるので数門ていどの誤差だろう。 九二式十加や八九式十五加も佐山本記述とじっさい実際大してかわらんものと思う。山砲、野砲、速射砲、高射砲は記録より多そう。 国民党むけに向けに余剰兵器輸出と数門四年式生産で大陸に何門かあったのち、奉天兵工廠接収だから継続製造はきわめて可能性が高い。 前スレで砲身素材だか大阪に返却せよ!指示とかあるから加工技術や精度はまったく信用されてなかったんだろうけど>南満州 wniの鈴木里奈の脇くっさ
(6 lゝ、●.ノ ヽ、●_ノ |!/
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\ 、'、v三ツ /
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https://twitter.com/ibuki_air
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 昭和十八年なっても四年式十五榴製造してたんだな…佐山本で十七年十月までのデーターはあるけど >>301 このup主は新資料を発掘したんかいな?90年代panzer誌で九五式野砲など佐山記述と大幅に異なる532門とかあるし 20年まえは九四式山砲累計生産が660門あまりが最新の研究成果で判明とかだった。大阪造兵廠のみの数字だろうね >>301
戦争中でこの生産数か
やる気なさすぎだろ… その動画見たけど情報量すごいな
ただ迫撃砲の生産で主力である軽迫の分が抜けていたり野砲が九〇式だけだったり
なんか特定の砲以外は追ってないのかなというのが気になった
(きちんと「その他の砲」として合計額には入れてるようだけど、迫撃砲の割合算出するのに軽迫抜きはさすがに問題あり)
陣地高射砲と野戦高射砲もいっしょくた気味の紹介になってるし
本人は違いが判ってるんだろうけど客層考えたら若干不親切な作り >>305
動画の※欄にも誰か書いてたけど、支那事変始まってからずっと陸軍の造兵と開発は戦時体制なんだよ
つまりあれが精一杯で、あれ以上やろうとしたら45年度計画みたいな量優先の数合わせになってしまう
いくら大量に作れたとしても、野砲や榴弾砲の代わりに迫撃砲、山砲や歩兵砲の代わりに爆弾投射機
速射砲の代わりにパンツァーファウストの出来損ない、擲弾筒の代わりに瀬戸物の手榴弾じゃ戦争になりませんわ ちゃんと迫撃砲は大台に乗ってるあたり戦時の体は成してる。
迫撃砲ってとにかく安くて量産向きだから通常火砲の不足を埋めるのにも使われるから まぁ日本の場合、大砲量産しても弾の供給が追いつかんしな。
独ソと比べりゃ砲の生産数は文字通り桁違いだが、弾は更にもう一桁違う。 >>310
優良装備部隊のはずの海洋編制師団や海上機動旅団で
配備予定の中迫軽迫を曲射歩兵砲と九九式小迫で代用するようになっちゃうから
わざわざ訂正する必要すらないかもしれず
でも軽迫は作ってることは作ってるんだよな
大造第一だけで九四式が17年10月までに累計609門、量産に入ったばかりの九七式も同159門製造 >>308
擲弾筒の代わりは竹製迫撃砲やで!
弾頭も竹だからエコロジー!(殺傷は中の石ころで行う) 90年代前半までは造兵関係者も多く存命でボケてない御仁がネット普及以前に情報発信してたからね。パンツァーの桑原記事なんて数字はともかく貴重な記録。機密保持と終戦の資料焼却で関係者すら正確な数量を把握してた人間が少なかったはず >>305 ふだんの民需の規模が列強最低クラスだから、不相応なインフラ整備なんて貧乏国で無理。いざ戦時なっても増産できないんだよ。鉄鋼とか… イタリアと似てる国情。資源も乏しいのは同じ。日本の航空機生産数なんてかなり。関東大震災と世界恐慌あとの軍拡ではソ連、ドイツに次ぐ スペインみたいに枢軸寄りで高みの見物決めて独伊やら英国に輸出しまくりで
外貨を稼ぐとか方法は無かったのかいな?
缶詰とか粗悪な船とか黒糖とか雑貨でいいのに 手近なお得意様な中国と戦争してる時点でそんな脳みそ有るわけねえだろ 石鹸箱とか櫛やらセルロイド製品、蜜柑や鮭やら海産物缶詰はアメリカ市場で安価なためかなりのシェアだったね 缶詰→稼げるカニ缶はソ連と競合してヤバめ
粗悪な船→国内需要で手一杯
黒糖→国内需要で手一杯
雑貨→生糸と綿織物以外ゴミ
つんでるなコレ… それが可能な権力構造なら東条首相は戦争回避に成功しとるよ 当時の日本はいまの100均で売ってるようなもんアメリカにちまちま輸出。大陸でぶっぱなす三八銃の弾代にしてたようなもん 砲弾は順次1段階低質な材料に替えて大増産態勢になってはいた
徹甲は特殊鋼製APHE→弾丸鋼製APHE→信管と内蔵炸薬をオミットして弾丸鋼製AP
榴弾は弾丸鋼→鋼性銑鉄で幸い完全な銑鉄弾まで行かない内に終わってる
しかし最終的に装薬が不足してどうにもならなくなる感
やっぱり最後は迫撃砲と爆弾投射器にアンパン地雷 >>318
世界恐慌下のブロック経済化が進む中で、中国がアメブロックに
取り込まれそうになったからの支那事変だべ。
だからアメリカがあんなに熱心に中国を支援するし、
対米戦争にも繋がる。 鋼の需要量を賄いきれず銑鉄使うような国力でよく戦争したなぁ ドイツをそんなに悪しざまにバカにしちゃ可愛そうだろ >>325
設備増やす話はあったんだけどね。
一次大戦後の造船不況で、当時の鉄鋼生産力ですら過剰になったのだよ。 >>325
砲弾鋼や装甲の質低下は殆どの参戦国でやってるよ、特にソ連は酷かった
日本は生産量の絶対数が少ないだけ品質低下も少ないし、大戦後半は特殊鋼APHEの生産を再開したりしている
早期に新型APの製造を断念したのが一因ではあるけど >当時の鉄鋼生産力ですら過剰になったのだよ
戦間期はそんなに鋼需要ないのか…
過剰なら値が下がって、下がった分需要が増えるってならなかったの? >>329
鉄が安くなってもだ、例えばレールの需要は増えないじゃろ?新規に鉄道を敷くとかじゃないと増えない
道路無いんで自動車もあんまし増えないし、船舶はWW1時のがクソ余ってるから世界的に需要がない。 そらそうよ。
みんな大好き大阪砲兵工廠(実は民生品も作ってた)が
大正15年の大人員整理で従業員1.6万人から2600人になって
この時できた穴が戦争勃発後まで尾を引いているくらいだもの。 悲しいなぁ…
公共事業とかで生産力を吸収できなかったものか 船舶改善助成施設なんかは吸収しようとした努力の一環で、
船舶建造に戦時の徴用、改造を前提とした設計を前提に
補助金出したりしたけど、一次大戦後の不況〜昭和恐慌〜
世界恐慌と続く時代だったからねぇ。
ちなみにこの時期に少しでも失業者対策にしようとして、あえて機械化を
進めずに、人力重視で道路整備を推し進めた結果が、日本の土木近代化を遅らせて
戦争中の飛行場建設とかで泣きを見る事になった。
失業対策に機械ではなく人を使う工公共事は、ドイツのアウトバーンや
アメリカのニューディールでも行われた、不況対策としては正しい方法なんだけどね。 フォード式に工場労働者の賃金を上げて購買力を高めて工業製品を買えるようにするとか
日本だと思いつかないからなあ そうだ!
スイスみたいに義勇軍という名前の傭兵を輸出だ!
みんなやってる >>334
いまの日本でも出来てないなw
氷河期世代を痛めつけて第三次ベビーブームと50年先までの市場を潰しちまったし。 >>331
うかつに人を減らすと、のちのち大変なことになるんだよな
最近だとコレ。
https://pbs.twimg.com/media/D3jNoIBUEAAUVVt.jpg
50代が居なくなったら、もう鉄道維持できないやろ。 >>332
軍隊の存在それ自体が国家最大の公共事業みたいなもんよ
軍の兵器調達予算≒工業製品の総需要、みたいなもんだ
ちな大正末の二度の軍縮で、陸軍の人員10万人近く削減
大戦後不況と関東大震災の衝撃の下で軍が吸収していた人間が直接の数だけでこれだけ世間に溢れたら、そりゃ不況に追い打ちになるわなと
軍縮は軍の近代化予算の捻出という目的もあったが、これだけ組織が縮小すれば調達費や仕事量は増えるわけがないというね
そしてまた負の遺産としては、砲兵などの支援兵科の陣容の低下と有事に拡大させる余地が壊滅的にされたというね
331の挙げた大阪砲兵工廠の人員なんて端的な例 >>337
保線業務は下受けに丸投げすりゃあいいんじゃね〜(投げやり)
てかまあ実際そんなもんだろうし
しっかしひでえ世代構成だなw
もうなるようになるべえとしか
高齢化と人口減少で首都圏以外の鉄道網維持できるかも今後怪しいし そもそも第一次大戦の戦訓からして火砲冷遇は決まっていたようなものだから、第二次大戦も火力戦の一面を呈したのがそもそもイレギュラーなんだよ
本来なら歩兵・工兵の戦線広範囲に渡る浸透突破で火砲はどちらかというと奇襲性を損なわない程度の使用だった
夜襲も戦訓の一貫だったとBUNが言っていた 奇襲性を損なわない集中運用はどこでもやるし
WW2の火力戦とは臨機に応じた集中射で
火砲の数以上に砲と弾薬の機動性と何よりも整った通信機能と測地そして間接射撃技術であり
そっちの面で非常に残念だったというのが我が国の砲兵である 150万発の記録的な準備砲撃を行ったソンムの戦いでは、英軍は1日に戦死2万を含む7万人超の損害を被った
一方で砲撃を集中的にかつ短時間で切り上げたブルシーロフ攻勢や1918年春期攻勢なんかは将来的な戦争の在り方を表すには十分過ぎるインパクトでな…
どうしようもならん重拠点にはしっかり攻城砲は備えてあるんだし、史実程度の数でも日本軍的には「絶対的に見て少ない」でもこれで十分と考えていた節がある >>341
それに劣る日本軍は直接射撃、そして山砲の機動力を活かしてお寒いながら「集中運用・奇襲性重視」のポストww1型の火力戦をやっていたという話なのよ
手段がキモなんじゃなくてその目的が大事なのよな
代替できるではないけど糞雑魚国力&技術力なりにその体は成していたと思うよ 直射と機動性は他国では戦車や突撃砲というものを使うからなあ
日本の南方機動旅団の編成案でも前線砲は馬じゃ機動できない
最低でも自動車できれば装軌じゃないと身動きできないって指摘されてるのよな
SU-152とはいかずとも、M8自走榴弾砲とかLVT(A)-4みたいなのでも人力山砲よりもずっと良い そうやってどんどん機動性・直射志向強めていったのがWW2にかけての日本軍でね
火砲の数を補う様に軽く・扱い易くで山砲や歩兵砲に傾斜していくかわりに重砲の生産数は寒い事になってるが
WW1の戦訓的には当人はそれで十分だと考えていたのよ
南方はそもそもばん馬が気候風土に合わずバタバタ倒れる(馬は寒帯地方の生き物なので)んで、また別の問題があるんよ WW1で弾雨の中は馬じゃ動けない掘り返された地面は装軌じゃないと踏破できないって戦訓で証明されてて
このため各国とも装軌や半装軌トラクタを前線運用火砲の牽引車にしたり自走砲にしてたわけで
いざWW2になってから馬じゃダメじゃんて言い出す時点で日本のWW1の研究に手抜かりがあったんだろうな >>334
この手の話でよく出てくるフォードの賃上げの話だけど、実際に大恐慌初期に賃上げして、
従業員が買えるように車の値段を下げて、世界恐慌初期に成果を挙げたのは事実。
でもこんな手法が長続きする訳なくて、1931年に4300万ドル、32年に7200万ドルという
戦艦大和が二隻建造できる額に相当するとんでもない赤字を叩き出して、方針一転。
当時世界最大の自動車工場といわれたデトロイトのルージュ工場では従業員を
1929年のピーク時9万8337人から33年には2万8915人まで減らし、会社全体でも
従業員の2/3を解雇。
当然労働争議に発展して、1932年3/7の有名なデトロイト戦争では、警察隊と
フォードが雇った私設軍隊が工場に押しかけた解雇労働者に向けて実弾を発砲、
死者4人、重傷者50人を出す惨事になった。
解雇を免れた労働者への給料も世界恐慌中期以降は他の大手自動車メーカーより安く、
ラインの速度アップもあって実質賃金大幅目減り。
ヘンリーフォードの息子が49歳で過労死するくらいのブラック企業となる。
いい所だけ抜き出してみても教訓にはならない。 残念ながら支那大陸の湿地帯とかガチの泥寧は装軌でもスタックしまくってな
ドイツ軍も、そして戦間期のアメリカ軍さえもそもそも補給線支える存在が馬な時点で前線まで馬で運んで短距離を分解踏破できる山砲や歩兵砲の株は爆上げなんだよね 青島要塞攻略で重砲兵の集中的用兵と効果を学んだんだから
その辺、師団あたりの砲数や口径を増やす。運搬能力を革新する。
砲弾薬の製造能力、貯蔵量を増やすとかできればよかったが
止むに止まれぬ日本の経済、国力のショボさと、歴史的には
当然すべき軍縮なんだけどねぇ
浮いた予算を国民全体への工業製品需要の増大に向けられれば
潜在的な兵器弾薬製造能力の向上に繋がったのにねぇ、、、sigh >>348
「映像の世紀」にもあるけどドイツ軍のハーフトラックが独ソ戦の雪解けの泥濘でスタックして人に逆に押されていたり、逆にソ連軍は撃退したドイツ軍を追撃の際に自軍がほった対戦車壕に落ちたりとか
やっぱり地形踏破性には、装備軽くして分解して人の足で行くのが一番確実なんだよね
装軌つっても、例えばチハの超堤性能は起動輪の付いてる高さ的に、皆馬鹿にするK1A2戦車が変えられなかった段差も無理
戦車ってのは70〜80cmの超堤性能(段差を越える性能)があれば上々で、簡単に動けなくなる
アサル・アターの戦いで、インド軍が冠水させたサトウキビ畑にパキスタン軍の戦車隊がはまって壊滅してる
日本軍も牽引車は長距離移動する為のものとしか見てなくて、日本側に必要だったのはドブに突っ込んで破棄して逃げ帰る牽引車よりも粗食に耐えて傾斜にも強いロバ 山砲や迫撃砲の輸送で役に立つ RSOを量産せよ!
泥濘を踏み分けて低速で走行できる装軌トラクター万歳! 戦車&突撃砲「「あれ?」」
牽引車で泥寧になんとかできても今度は簡単な段差や急な斜面でもう無理w
つーか穴に落ちたら完全アウトなのは散々実戦が証明してるし 馬や人力は機銃弾と破片の前に動けない
直射で撃ち始めたら速攻で反撃・応戦が来るわけだが、馬や人力だとそこからの離脱にも困るんや
臨機に間接射撃できる相手だとどっからともなく砲弾が飛んでくる
敵は今見えてる銃座だけじゃないんだ。どっかに電話や無線機を握った兵隊が隠れてる
日本軍が師団砲の臨機射撃が出来ないからって他国が出来ないわけじゃないってことよ
だから南方機動旅団で密林の中にも砲弾が降ってくるんで馬じゃ無理だという戦訓になるのな 戦車や自走砲突撃砲が、山砲とかのどこにでも歩兵と共に機動して直射支援できる火砲の代わりなんて無理。
ひろゆきとかネタ言ってるけどこのまとめとかが良い解説で
http://military-matome.blog.jp/archives/30896762.html
山には当然登れないし対車両障害には止められるし、牽引砲と違って隠匿も簡単じゃない
それに図体だけじゃなく当時のは音だけで接近がモロバレするレベルの煩さだよ
この点じゃ甘々の日本軍ですらも虫のいい想定はしてないね いろいろ言われるけど
日本軍の足引っ張った主因は軍馬の量と質
輓馬牽引砲の重量から輜重の量まで全部馬に枷されてる
これの原因は元を辿ると日本にでかい馬が居なかったからというどうしようもないところに行き着いてしまう
馬以外の兵器が決定的に不足してくる理由って
要するに支那事変以降の陸軍拡大に次ぐ拡大で更新が追い付かなくなってくからなんだけど
一番更新頻度を要する馬は、十年単位で計画的に生産拡大してかないといけないのに軍縮以降常に足りてないんだよね >>353
それはまず馬か牽引車かみたいな牽引方式の違い以前の問題
機械化砲兵だって牽引車から切り離して射撃位置に付くまでは人力で牽引だし、短距離の移動ならそのまま人力でやったりする
だから軽い砲が好まれる
射撃からの待避をいうのは野砲クラスとかそれ以上の火砲で顕著で、山砲以下ならまだ普通に何とかなってるんよ それに何の物も無い平坦な場所に置くんじゃなくてちゃんと物陰や植生を選んで設置したりもするし、最大限カモフラージュする。
だから圧倒的にこのクラスの火砲は多数配備出来て軽量な牽引式が作られてきたんだし、専ら戦車自走砲とか言い過ぎよ 皆この手の火砲の役割を全部戦車等に投げてない 機械化は工業力の限界で推進に限界がある(やれる範囲で漸次進めてはいる)
馬はもうどんだけ足掻いても足りない
だったら兵隊が運んでいける火力を充実させて
WW1で他国がやったようなのっぺりした全域火力投射じゃなく
錐で相手を突くような狭小範囲・小部隊単位での圧倒的な火力密度で突破するしかないじゃない
というのが日本軍のやり方 馬ロバラバは大陸で結構大規模に買い付けてるイメージだけど、それでも
足りなかったのかね。
内モンゴルとか馬いっぱいいそうだけど。
南方で足りないのはまぁわかる。 >>358
輜重用の輓馬は頑張って買い付けられても、前線では若いうちから軍馬として訓練した馬でないと無理な役務が多すぎんのよ
とはいえ背に腹は替えられず買い付けた馬まで前線で使ったりしてるけどね ああ、馬は大きな音でびびるからな。
前線に出すには訓練いるだろうな。 >>356
うんそうだね。なんとかなるって日本軍も思ってたんだ。
そしてダメだったねと判明したのが南方戦なわけよ
日本軍が思ってた以上に高密度で正確な砲弾が早く降ってくる
素早く奇襲するのに人力推進じゃ遅すぎ
まあ実戦前の想定と実戦の差って奴よな。支那戦線なら間に合ったんだろうけどね
>>354
山砲を山岳地で使う火砲として考えるなら、山砲の代わりは自走砲じゃ果たせない
だが高機動最前線直射火砲として考えると山砲は万全ではないって話
実際さ歩兵砲じゃないんだから対戦車障害物に突っ込むような近迫要らんし
戦車級が乗り越えられないなら補給だってこれないから、そこは進撃路として不適切であり
まずは障害排除に工兵を充実させましょうという話でもある
歩兵と人力推進火砲はたしかに柔軟に地形を選ばず動けるが
補給はそうもいかんのよってのはニューギニアあたりでもわかるよね。 >>361
残念ながら「前線での」高機動力って必ずしも機械化とイコールじゃなくて、まさにその障害物や地形を選ばないで歩兵に追従できる踏破性を包含しているんだよ
前線なので戦略機動レベルの長距離移動ではなく短距離の移動がメインなんで
特に戦車ともなれば障害たり得るものはもうわんさかと。ソ連軍の低鉄条網なんか有名だけど、別に戦車なんて超堤・超壕・登坂など分かり切っているし、通行可能なルートも主要幹線メインなんだ
そのルートに待ち伏せかけたりもされるし実際にマレーではハ号の一個中隊が倒木(オーストラリア軍の罠)で右往左往して2ポンド対戦車砲で全滅してる
思ってるほど戦車の機動力は「高くない」んだよ
それは戦車自身のスペックもそうだけど、その足が付いている「大地に」も大きく関係してる まあ機動部隊(戦車聯隊)も道路沿いの追撃速度の速さとか良いところはあるから整備進めてたんだけどねえ
そういや戦前のトラックの話
ttps://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/taking_on_the_automotive_business/chapter2/section5/item6.html
やっぱ鋼材足りてねえんだなって…あと屑鉄禁輸って凄まじく痛かったんだろうなあと 戦車じゃないんだから対戦車砲の待ってる場所にまで行く必要はないのよ?
もちろん手配りのミスでそうなる可能性はあるが
山砲を人力で運んでいった場合は機関銃一丁が歓迎してくれるだけで終わるのよ
そして極めて重要なことなんだが、歩兵砲と前線直協火砲を混同してないか?
歩兵砲はその歩兵の抱えるものだから歩兵にどこまでもついていくが
直協火砲は仕事が終わったら別の隊のお手伝いに下がるんだ
こっちの中隊の手伝いしたら向こうの中隊、場合によっては別の大隊や連隊に向かう
キロメートル単位の距離を動くのだよ。だからこそ移動速度も求められる
また鉄条網で戦車が止まるなら、歩兵だってそこで引っかかる
戦車の鉄条網踏破能力が求められるのは、踏み潰して鉄条網に突破口開いて後続の歩兵の道を作るためなんで
随伴砲兵にその能力は求められない(できても困らんが、鉄条網に榴弾打ち込んで粉砕するのが仕事や
そしてだ、対戦車障害物が有るからなんだというの?
世界中の戦場で対戦車障害や対戦車砲を犠牲を出しながらも攻略して進んだのが各国だ >>364
低鉄条網ってただのピアノ戦巻いただけだよ
履帯に溶けて絡まって戦車を動けなくする
前線っていうけど火砲が機関銃に洗礼を受けると言っているわけだよね?
そんな距離では当然対戦車砲も対戦車障害物もわんさかの「前線」以外の何者でもないよ そういえばなんかのシナ戦線戦記で、後方にいた連隊砲隊が奇襲でボコボコにされて文字通り全滅した時に「そりゃ歩兵の支援が無くて砲兵だけならそうなるわ」と著者が回想してたのは興味深かった
連隊砲隊って歩兵としてはクッソ弱いんだな >>331 それで支那事変あとの増産で熟練旋盤工で給料うなぎ登り。砲身削ってた職長クラスでいまの金で月給70万以上くらいだったかな?朝八時から夜七時までが定時。プレス機の轟音と金属粉末舞う過酷な職場ではあったとか >>366 騎兵銃はおろか拳銃すらほとんど携行してないだろうね。銃剣のみ。 そら砲兵が歩兵に襲われたら弱いわな。
ナポレオン時代でブドウ弾いっぱい持ってて、20世紀よりも直接戦闘を戦えた砲兵でも
騎兵の接近を許したらひとたまりもなかったというし。
むしろ敵砲兵を潰すのが騎兵の役目の一つだったり。 題名は忘れたけど、大阪工廠の証言集があって数か月前図書館で借りたのよ。新聞記者が著者の。元アパッチ団、作家のヤン・ソギルのとかある 「夜を賭けて」借りて読了のあとだったから、なかなか感慨深いもんがあったけど 山砲といえば、当然歩兵との共同戦果にはなるがガダルカナル島での希有な善戦例があるよね
「11月3日03:30 ガダルカナル島の戦い
第三十八師団の歩兵第二百三十連隊第二中隊、山砲兵第三十八連隊第六中隊は、海岸線沿いに海兵第2大隊の陣地を攻撃してこれを撃破。
戦死者4名、負傷者1名
米軍側:戦死者約70名」
第三八師団といえば、支那事変・香港・蘭印作戦と渡り歩いた実働経験豊富な師団だよね その本読んでて工程が細分化されてて多能工ではないから、ほかの職種のことが互いに分かってない記述が多い。砲弾ひとつとっても中グリ専門、外面研磨、帯塗りやら。職工スキルの柔軟性はなかった模様。その工程で余っても、火ィ噴いたほかにヘルプで廻せない 大阪砲兵工廠って調べると色々面白いよな。
明治26年に初めて近代兵器を輸出してたり(マカオのポルトガル軍向けに山砲弾)。
明治35年に日本初の組合が出来ていたり。
大正7年に国産自動車第一号を製作していたり。
大正9年に日本における環境対策の先駆けとして、煤煙防止装置を導入してたり。
大正11年に女性工員向けに託児所を設置していたり(当時は軍服も作っていた)。
仕事がなくなるって言うんで、組合がワシントン条約締結反対運動やっていたり。 アルミの飯盒をはじめて量産して献上。明治天皇みずから炊爨した飯を食したとかね。 隠居してた徳川慶喜だったかもしれん。学研「レアメタルの太平洋戦争」にあった >>363
フィアットが自前の製鉄所を持ってた理由のひとつかな 一方、日本陸軍は輸入自動車の板バネを素材に焼き入れと砥ぎをして
軍刀向けにスプリング刀を量産した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています