ワッチョイ無 加農榴弾高射速射 旧日本軍火砲を語る30
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>>53
ただの瞬発信管つけた高射砲弾かもしれんな。
時限信管作るの大変だから。 平射って、まあ半数は海軍の高射砲だから
もともと平射自体はできるけど
B29対策で基本的に山とか高台に配置してるから
平射する機会はほぼ0だろ 本土の対空砲設備のつくりはこんな感じ
山の奥地にあり
コンクリ設備で囲まれてる
http://www17.big.or.jp/~father/aab/sasebo/tazima/tazima.html
これで平射なんかでるのか? 九九式八高で俯角11度取れるから、射界だけ確保すれば
いけるのでは?
本土決戦用となれぼそれ用の陣地に移すだろうし。 >>57
ソースも無しで滅茶苦茶だな
既に本土決戦用の配置だよ
野戦高射砲じゃないんだから
海岸線には平射砲を配置済み
http://www17.big.or.jp/~father/aab/sasebo/sasebo.html
電探・見張り所・対空機銃 等
対空砲とちゃんと連携して作られている
高射砲がなんで高台とか山に配置されてる意味とか
1mmでも考えた? >>58
別に設置場所なんて高台や山に限らんだろ。
今でも残っている千鳥ヶ淵高射砲陣地跡なんか別に高台って訳でもないし、
大阪の西淡路高射砲陣地跡なんて普通に大阪市内の街中だし、
街中のビルの屋上に設置するべく補強工事をやった例もある。
実際に設置された例は第一生命くらいしか知らないけど。 運べない重砲はただのゴミ
日本の時限信管はほとんど火道式だからかなり誤差があり、末期になると瞬発信管を付けて対空射撃していた
当然当たらない高射砲が降り注いでくるので、街どころか高角砲陣地も自分で打ち上げた高角砲の被害に遭っている
陸軍船舶工兵は時限信管を最小目盛りに合わせたもので撃って、船団防空もしていたようだが 瞬発信管で対空射撃とかだいぶマユツバな話に聞こえるなー、と思うがまぁ末期ならさもありなん ドイツは計算したら「時限信管使うのも瞬発信管使うのも、効果あんまり変わらないわ」という事で後期から瞬発信管使ってる…という話を聞いたことあるけど本当かなぁ WW2の最後だけど本当だよ。
ドイツの高射砲とか対空戦を取り扱った本には大体書いてある。 ドイツ空軍は50ミリ機関砲を対空射撃に使用してたみたいだけど瞬発信管なのかな 確か日本軍も瞬発・時限両用信管(両用というかどっちも生きてるやつ)作ってたと何かで読んだ
そもそも高射部隊に瞬発信管配備されとんのかいな ちょっとggったら二式高射瞬曳信管とゆーのが複数出てきたのでたぶんこれ ドイツの20mm薄殻榴弾は瞬発式だけどある程度飛んだら安全の為自爆する 南満洲造兵廠は大阪の直系になっております。大阪の記録読んで、昭和十八年三月の記録 目標値しか分からず。八八式七高や四一山砲ならんだ工廠写真あるから製造してたのは自明 四年式十五榴十五榴はおそらく満州で少数作ってたろう。師団砲兵需要で。 樺太のやつか。米潜水艦屠ったらしきは稚内配備のやつだったね。 国本さんの室蘭要塞の個人誌やら、青森とか三十数門製造九六式十五加は北に偏重配備されてたんだろうな 日本海軍がが対ソ戦に本腰ででないだけに。幌筵に八九式12.7p双連高角砲装備の写真はあるけど。 対馬にも配備されてたんだっけ?まんま九六式十五加は要塞砲だな。コレヒドールとか野戦使用してるけど。 占守の130mmロパトカ砲台との応酬がPANZER木俣記事より詳細がわからん。不利だから戦闘中止が真相 ぽいけど。弾薬庫かにヒットして黒煙あげただっけか?木俣記事だと。 日本軍の24センチ榴弾砲が腔発や不発多くて完成度低いってのがガッカリした
海軍砲より確率多いだろ絶対 砲弾の性能煮詰めが甘かったんでしょ?、腔圧高く、大口径は陸軍は慣れていない。海軍も大口径榴弾砲の設計は未経験みたいなもんだよ。 あんだけ大きい砲弾だと、炸薬の詰め方もノウハウの塊なんよな
小さい方だんだと湯煎して流し込んで終了だけど
でかいやつはセグメント単位で鋳造したものを詰めるのが基本
でかい塊だと気泡ができるし発射着弾時に中で動いて千切れたりする
セグメント間で衝突して破損したりもあって、これらの破損がそのまま自爆に直結するんや
セグメントをきっちり梱包して置くと今度は瞬時に発火しないなんてこともあったりで、まあ難しいよね 陸軍の24榴とかは、前線近くに進出した交付所とか段列で砲弾に炸薬を充填する作業を行う
となるとどうしても作業精度とか清掃度合いに疑問が生じたり
長期保存じゃなくすぐ使うからって一部作業を簡略化したりも有るだろうし
ピクリン酸とTNTじゃ同じ規模のセグメントで良いのかとかもあったりで、まあ容易なことじゃないのである 24cmに関しては砲より砲弾の問題があるはず。コレヒドールの不発大杉やら。 砲弾の煮詰めに甘かったってより、単純に技術ないに尽きると思う。だからモノタロウ 容積デカくなるより、日露の頃の黄色薬にして量減らした方が却って安全だったり…しないか 砲弾威力で無理に高望みせずに安全確実に投射するならたしかにそうだよ。 制式兵器であれだけ試製なみに製造数少なかったんだから、問題あったとしか。大口径で腔発多すぎ。 んで、不発は信管と砲弾強度
徹甲弾は大遅延信管なんで、砲弾が命中してから炸裂するまで若干時間が有るんだけど
その時間内で砲弾の弾殻がめげちゃうことがあるんや
ttp://ibiblio.org/hyperwar/USN/WarDamageReports/WarDamageReportCL47/WarDamageReportCL47-11.jpg
ttp://ibiblio.org/hyperwar/USN/WarDamageReports/WarDamageReportCL47/WarDamageReportCL47-12.jpg
これはサボ島沖海戦で1万トン巡洋艦ボイスの主砲バーベットに突き刺さって不発だった重巡衣笠の20センチ砲弾
炸裂する前に砲弾がめげちゃったのがわかる(深く刺さってるから砲塔使えなくなってるんで目的は達してるけどね)
20センチ徹甲弾は全備125.85kgで炸薬3.11kg炸薬比2.4%だ
それでもこの肉厚で強固な装甲に負けることが有るのな
45式24榴の破甲榴弾は200kgで炸薬13kgだから6.5%つまり重巡徹甲弾より肉が薄い
だから凍土やコンクリや鉄板相手に炸裂前に弾殻がめげる可能性がある
これは日露戦争で28榴を凍土や戦艦に撃ち込んだ事例でも確認されてる
しかもこの手の信管は慣性起爆なんで急ブレーキかからないと反応しないんで、やわい土地だと一定の確率で不発になる
米戦艦の艦砲射撃でも砂浜等で不発だったのが結構あったりする。信管も面倒くさいんじゃ
だから後に複動信管で発射ご一定時間経過したら自爆(地面にめり込んで不発だったやつが炸裂)とか仕込むんだけどね フィリピンで三十糎榴弾砲操作してたダイエーの中内さんが米軍砲弾の不発多くて助かった、と書いてたな 930mm/sの初速で短いサイクルレートでボンボン撃つ五式十五高は砲性能は凄い。信管照準器クソでも パンター主砲の初速で15cm高射砲実用化したのはやはり凄い。ドイツも失敗したくらい。 >>92
硫黄島の艦砲射撃でも、不発多すぎで米巡洋艦の砲術長さんがキレてた。 米軍の信管といえば魚雷も大戦初期は不発がひどかったんだよな 第三図南丸とか、魚雷12本命中させるも10本不発で撃沈できなかったとか、
そりゃ米潜の艦長さんもキレるわいな。
魚雷なんて安いもんじゃないのに。 ま兵器の性能なんて本当のところは使ってみないと誰もわからない
試験なんて、厳正なもの行っているようでいて実際の内容は案外簡素だったりするし
だから、実績不発だらけでもとりあえず当たることはわかったエグゾセが一定の評価されたりする
周辺各国から叩かれまくっても執拗にミサイル実験を繰り返す某北の国は立派やなぁ〜(棒) 俺は、コレヒドール要塞の戦いで24センチ榴弾砲の威力を高く評価しているので、これの不発や腔発が減れば極めて有効な兵器たり得るんではないかと思って >>102 まともに 作動すれば威力甚大。成果歩留まり悪すぎだから量産が振るわなかった 文藝春秋ノーサイド誌で中内軍曹は軍刀吊ってたというから操作班でなく、本部要員だったはず 英国が上陸作戦にモニターを多数動員して活用してるのを見た
日本陸軍が海軍の除籍した旧戦艦、旧装甲巡洋艦から降ろした砲塔を低速浅喫水の船にはめ込むことを企画しなかったんでしょうか? 日本陸軍の上陸作戦では海軍の艦砲射撃の援護を前提としてるんで
陸軍的には海軍との協議から始まるわけで、また重砲揚陸なら陸軍だけで完結するのよ 古鷹から下ろした正20サンチ単装砲を前後に2門と3年式8サンチ高角砲4門、25ミリ機銃、7.7ミリ機銃を若干搭載した
1000トンくらいの河用砲艦って役立ちますかね?
揚子江に沿って左右25キロに大砲弾を投射できる船は、中国大陸の大河川上流や沿岸への
砲撃支援に活躍しませんか? 出雲がおったやん。
1万トン級だけど南京までは遡行した事がある。 >>108
艦船による陸上射撃て基本的に艦から見える目標に対する直射しかできないの
艦は自分の位置がわからない、動いてたら余計にわからない、だから間接射撃は実用的な精度では無理
錨おろして固定したらもちろん可能だけど、それが可能なら陸上に置いたって良いよねぐらい
そして河川て他より標高が低いんですよ
大河の河口付近ならまだしも、重慶まで行こうとしたら両岸は山
大口径カノンだと弾道的に超使いにくい。
もちろんフローティングバッテリーを良い場所に配置して軍直轄遠距離重砲として使うのは有りだけど
日華事変だと爆撃機でも水上偵察機でも戦闘機でも呼べばきてくれるしなあという程度 日本陸軍のは大概ダメダメなんだよ。戦闘機不適のやつばかり。 一部に優秀者はもちろんですが >>114 ぶっちゃけ硬目標、対空火力熾烈でない限り,剛胆かつ正確な戦闘機の機銃機関砲掃射で砲兵陣地は無力化できる 残念なクソ砲らしきが砲弾で救われ活躍した例は多いよね。逆の事例はほぼない。 砲自体軽いし、砲弾薬莢こみでも軽い。成型炸薬と榴弾威力で好評だったドイツ7.5cm L24とか 口径のわりに比較的軽量反動小だから、装甲車、ハーフトラックに搭載できた。 W号が徹甲弾で仏37大隊の連続写真みたいにB1鋳造砲塔を抜いて撃破してる。当時は最高級の戦車砲 対T34で陳腐化した。エンジングリル抜くしかないとかされていた。。ところが砲塔側面バイザーとか殺り >>125
ええ…ハッタリじゃなくてマジでやってたのコレ… 砲口から弾丸突っ込むてのは遺棄するときの常套手段でしょ
規定の弱装は弾丸を飛ばせる薬量だし
どんだけ減らしても仰角や砲身のコンディション次第で外に飛び出ちゃうしで
普通に駐退機のテンション抜いて弾を砲口から突っ込んだだけじゃろ こういうのって入れやすいように砲弾を先端から突っ込むものかと思ったが、
まあ弾底信管だとそれじゃあ効果薄いってか、砲弾のケツガンガン叩くのって怖いわなw
先叩くのも危険は大差ないがw
砲弾て砲身の山径に対してオーバーサイズだから、簡単に挿し込んだ程度じゃ効果ないよね
弱装弾だとちょうどよく止められる保証ないし これ信管が弾頭じゃない?砲口からガンガンガンガン叩いて押し込んで最後に信管装着では? 信管ついてついていなければ,TNTは鋸で切れるくらい安全とか。敏感で危険なのはピクリン酸じゃ? 砲腔オーバサイズの銅帯なんて柔らかいから,叩けば砲口に入るだろうな。 よくよく考えたら、弾頭抜いた薬莢突っ込んで撃てばいいんじゃない?
速射砲はそれで撃てるそうだし いや、それだから装薬量調整難しくて砲弾わけて撃っても程よく砲口に引っ掛からない、な前の話かと いや、それだから装薬量調整難しくて砲弾わけて撃っても程よく砲口に引っ掛からない、な前の話かと それこそ異物を砲腔に突っ込んで敵に使用させなきゃいいわけ。PAK38/97で空薬莢マズルブレーキに刺した写真あり。 少なくともその写真の砲は誰かが転がってた砲弾を砲口に突っ込んだだけに見えるな……
リング(の跡?)もきっちり3本分見えてるし PAK38/97なんて5cm対戦車砲ベースにマズルブレーキ装着してさえ安定性に欠けた。マズルなし射撃は危険きわまりない 脚をオリジナルの軽合金から鋼製にして剛性強化はしてるけどね そこまでするなら尾栓壊した方が早いんじゃないかと思ってしまう。 ボ式山砲も閉鎖器と照準器外して滅失してシナ軍放棄。鹵獲した日本陸軍が部品新造して装備化 蘭印で鹵獲したやつが蘭兵特殊工具引き渡さなかったから、十個に分解できるものが三個でガ島搬送不能だろう? おそらく、大陸で鹵獲した個体も特殊工具まで入手してないだろう。独立山砲兵二十大隊の詳細はわからん。 九四式山砲のガ島投入の話は未聞…四一式とボ式は判明してるが。 十榴の現地記録は戦史叢書にあるんだったか、九一式はガチ。一式47mmも二門送付したが重すぎて搬送断念。砂浜に埋めたとか丸の記事 ラ式37mmも埋めたとか言われてるし情報が錯綜してるな 一木支隊に配属された京都の独立速射砲大隊が、やはり運ぶ乗り換え断念して海岸で埋めたとか、内陸に運んだとか錯綜してる 児島さんの中公新書で一木支隊がM3軽五両撃破したとされるラ式が、実際は九四式とか。 歩兵第二十八連隊の速射砲中隊と
独立速射砲第八中隊の話が錯綜してるんだろうかね ガ島陸戦での対戦車戦闘の詳細はかなり前のスレに詳しいよ。米軍戦車部隊の記録書き込みの人や日本の陣営は一軍さんのレス 九九式小銃、軽機の最も早い投入例のひとつのはず。47mm速射砲も。大本営直轄部隊だから新装備優遇されてたんだろうな >>146-151
児島襄「太平洋戦争」は自宅の閉架積層の底ですぐに参照できませんが、
一木支隊残部(熊大隊)が参加した9/13の川口支隊夜間攻撃の際のことだとすれば他の資料から迫ることが出来そうです。
「戦史叢書」「陸戦史集」によれば熊速射砲中隊と独立速射砲中隊は
この攻撃では砲兵隊に編入され熊大隊の直接指揮下から除かれているようです。
13日の夜間攻撃の際に砲兵隊は射撃をしない予定ではありましたが、
西南方向への移動を命じられて中川の敵陣攻撃や対戦車戦闘に備えていました。
対戦車戦闘について両資料には記述が見られませんが、
(A)ロバート・レッキー「日本軍強し」によれば東の方からの石渡大尉(大隊)の攻撃は
「第三海兵大隊の75mm曲射砲と戦車の反撃を受けて敗退した」とあります。
(B)ttp://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/USMC-M-Guadalcanal.htmlによると、
歩兵第百二十四連隊第一大隊に対する反撃に第一海兵戦車大隊の軽戦車が投入されある程度成功したものの、
同じルートで繰り返し出撃したため日本軍の47mm砲により3輌が失われたとあります。
(C)OSCAR E. GILBERT「MARINE TANK BATTLES IN THE PACIFIC」では、
戦車大隊B中隊と本部小隊の計5輌が投入されたものの歩兵の援護が無く、
1輌は日本の対戦車砲の徹甲弾が砲塔の装甲を貫通し、
他の1輌は日本兵の肉薄攻撃を受け川に転落し、
そして別の1輌も無力化(理由は言及なし)され、
2輌のみが歩兵の陣地まで戻ることが出来たとあります。
この日本軍は歩兵第四連隊第二大隊としているようです。(私の拙い英語力の解釈では)
米側資料から見ると、M3戦車の攻撃を受けたのは第百二十四連隊第一大隊か歩兵第四連隊第二大隊で、
投入された戦車が5輌、撃破されたのが3輌ということになりますね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています