1935年〜41年頃にかけての時期の、米海軍の艦戦/艦爆は
途中で別機種へと交代するか、同じ機種でもサブタイプが続く改良型に改良されるという更新を複数回行っています
しかし、艦上雷撃機だけはTBDのまま、かつそのTBDも改良型のTBD-2など出現せず、TBFに更新されるまで初期型のTBD-1のままでした
艦戦/艦爆は機種更新ないし改良型への更新が頻繁に行われ、順調に達成できていた一方で
雷撃機の更新は1939年、中島九七式艦攻を見てやっとTBDが陳腐化している事に気付いて重い腰を上げ
そこから後継機(後のTBF/TBU)の開発を始め、TBF登場までTBD-1だけで乗り切るほど遅れていました
この事実は
「この時期の米海軍は艦戦/艦爆の性能向上に熱中していたが、雷撃機はあまり重視しておらず、TBD-1程度の性能でいいと考えていた」
という証左なのでしょうか?
艦戦/艦爆の更新は精力的に実施していたのに雷撃機だけは更新していなかった事が不思議でなりません