>>332
>1905年までのフランス軍の対独軍事計画は国境を放棄しモゼル川まで撤退して要塞線で持久すると言う消極的な作戦だったが
>そこから脱却する為の標語がエランヴィタールであったと言う方が正しい
もにょるなあ。
簡単にいうと、これ以前にも攻勢論者と防勢論者との間で激しい議論があり、
軍の戦争計画も両者の間で揺れ動いていたが、
日露戦争の戦訓もあって、攻勢論者の優位が決定的になった。
その結果として、戦争計画が攻勢的なものに改訂された。
そして、1913年改訂の「大部隊運用教範」、「野外勤務規定」、
1914年改訂の「歩兵運用規定」も徹底攻勢主義一色になる。
「徹底攻勢(offensive a outrance)」って言葉で捉えた方がいいだろうね。

Douglas Porch.The March to the Marne: The French Army 1871?1914.とか
Jack Snyder.The Ideology of the Offensive: Military Decision Making and the Disasters of 1914とか
Joseph C. Arnold.French Tactical Doctrine, 1870-1914.Military Affairs, Vol. XLII,No. 2
あたりを読むといいと思うよ。