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 南京戦攻略戦末期の歩兵第四十五連隊対国民党軍第51師、第58師の戦闘について中国側資料を調べて見ました。

 両師は共に第74軍に属し、第51師は軍政部補充旅、第58師は国民政府警衛旅を改編したもので、
蒋介石直系軍の調整師(2個旅4個団編制)という精鋭部隊でしたが、上海以降の戦いで大きな損害を受けた上で補充され、
南京戦直前の兵力は第74軍全体で1万7千とも両師合わせて1万3千であったとも言われています。
 しかもその中には訓練不足の補充兵6千(各師3千)を含み戦闘力は低下していました。
 両師は南京保衛戦でも更に損害を受け12/13の脱出に至ります。
 
 この時、日本の歩兵第四十五連隊第三大隊と遭遇したのは両師を主力とする第74軍の一部を中心とした
南京衛戍軍各部隊の離散兵の集団(中国側自称「烏合之衆」)で、
意外な苦戦に日本側は第二大隊からも増援を受けこの離散兵の集団を挟撃し撃破しています。
 しかし日本側は中国軍側の状況をよく掴んでいなかったため、建制部隊による組織的な突囲行動であったと誤認し、
「七十倍敵血戦、砲兵陣地死守」と宣伝するに至りました。
これには戦死者中に中将を含む上級将校の死体が含まれていたこともあるようです。

 南京戦後の「衛戍兵力傷亡概数統計」に拠れば、第51師は戦前兵力6千(戦闘兵4千、雑兵2千)中損害4千、
第58師は戦前兵力7千(戦闘兵4千、雑兵3千)中損害3千とされています。
※損害は死亡、負傷、行方不明の合計。