初心者歓迎 スレ立てる前に此処で質問を 909
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>634 > なお、空軍は実は秘密裏にソビエト製戦闘機の「本物」を入手していたので、基礎訓練ではなく「実地訓練」なら仮想敵機を使う必要はない、 そんなに多くは入手してないだろ >>637 別に10対10の集団戦訓練するわけじゃないんだし、1、2機あれば十分なのでは? いわゆるアドバーサリー訓練って少数機同士でしょ? あと使用部隊に関する英語版Wikipedia https://en.m.wikipedia.org/wiki/4477th_Test_and_Evaluation_Squadron のページ読んだら、 >MiGs (MiG-21s and MiG-23s as MiG-17s had already been phased out) and by the end of the program USAF had mainly MiG-21s. >>1985 年にUSAFは26のMiGを持っていたと推定され(MiG-17はすでに廃止されているのでMiG-21とMiG-23)、プログラムの終わりまでにはUSAFは主にMiG-21を持っていた。 って書いてあるよ。 これが正しいなら決して少数ではないんじゃない? >>598 ブローニングハイパワー以前には最高何発だったんですか? 米空軍のレッドチーム機としては小型であることが要求されていました 冷戦時、基本的に東側の戦闘機は西側のそれより小さかったため 視認しにくく、距離感も狂いがちだったためです 現在ではスホーイ始め、東側の機体も大型化してきていることもあり F-5からF-16, F-18へと移行しつつあるわけです。 >>641 スネイルマガジンみたいな特殊なの以外なら、モーゼルミリタリーが10連発、モノにより20連発 ただしこれはトリガーより前にボルトアクションライフルみたいなマガジンを備えてるので グリップに収めたハイパワーと一緒にはできないかな >>642 40発のチェーンガンもあるぞ! https://youtu.be/SgghWnZgJd0 昔の拳銃はM1カービン的な要求をされて大抵ストックが売られてたのでストック水筒とかストックマガジンがある https://youtu.be/yz9jNE9svCA モーゼルを越えることはないと思う サヴェージ自動拳銃は1907年にダブルカラムマガジン >>619 つか、海軍も既出のF-21(クフィル)の他、F-16Nも使ってたんだけどね。 なのでトム・クルーズが映画「トップガン」の権利を買い取った時、「そのうちマーベリックがF-16Nを駆るトップガン2が制作されるんじゃ」と言われてた。 でもF-16Nは主翼のクラック問題(仮想敵シミュレートのため本来のF-16よか頻繁な高機動飛行を求められたのと、海軍と空軍じゃ基準が違うとか)で早期退役。 Mig-29のシミュレーターが他に無いじゃんけという事でレガホ使ったり、Su-27のシミュレーターでF-14を使ってた事もあった。 (※画像検索すると、ロシア機風の迷彩ほどこしたレガホやF-14が出て来るよ) でも実際に実戦部隊で使ってる飛行機はヤッパ実戦部隊で使った方がいいし、F-14は退役しちゃったし。 F-35Cの配備が遅れたからって延々配備続行されてるレガホにゃ数の余裕なんてそんな無いし。 じゃあ他に何があるのよって言うと、不要になって安く買えるF-5しか無いんだよね。 F-35Cの配備が進めばレガホの余剰が…と言いたいとこだけど、寿命が問題になるから後継機はなんだかんだで世界中にバラまいて里帰りしたF-16かもね。 まあ最終的には「艦隊維持にも苦労してる海軍のお小遣いで維持できる仮想敵がF-5だから」って事になる。 どうしても他の機種と空戦したければ、ドラケン・インターナショナルみたいな民間軍事会社からクフィルだのミラージュF1だの呼べばいいし。 「少将から」4年「間に大将へ」 「少将から中将を飛ばして大将に昇進している」のは、ニミッツやキンメルです! 昔のアメリカ海軍の将官の階級は、人で無く、職に付随していました。 42名無し三等兵2019/03/08(金) 18:46:52.51ID:O5WEM4Y/>>570 第二次世界大戦中、スプルーアンスが太平洋艦隊参謀長から、中部太平洋艦隊司令官に任命されました。 「昇進」です! 570天むすカニ2019/03/19(火) 05:01:50.21ID:sWIwpFA+ 42 そうです。 少将から短期間に大将へ まあ、スプルーアンスいなければ、米空母群の運用も、勝利もなかった。 「少将から」4年「間に大将へ」 「少将から中将を飛ばして大将に昇進している」のは、ニミッツやキンメルです! 昔のアメリカ海軍の将官の階級は、人で無く、職に付随していました。 「少将から」4年「間に大将へ」 「1940年2月、少将に昇進」 「1943年5月30日に中将に昇進」 「1944年2月10日、大将に昇進」 「少将から中将を飛ばして大将に昇進している」のは、ニミッツやキンメルです! 昔のアメリカ海軍の将官の階級は、人で無く、職に付随していました。 「太平洋艦隊司令長官は大将ポストの為、上院の承認を受け、序列28番目の少将から中将を飛ばして大将に昇進している。 」のです。 「真珠湾攻撃の責任から1941年12月17日付の大統領命令で司令長官を解任されたため少将に戻り」ました。 日本海軍の将官の階級は、人に付随していました。 職の階級には幅が有ったので、階級を飛ばして、昇進する事は無かったです。 「海軍大臣」「海軍大将または海軍中将」 「スプルーアンス」 「 1940年2月、少将に昇進 し、第10海軍区(カリブ海と西印度諸島)の初代司令官に就任。プエルトリコ基地建設に従事した。1941年初頭、 大西洋分艦隊司令官アーネスト・キング少将からクレブラ島上陸作戦演習見学の招待があり参加している。 太平洋戦争[編集] 1941年9月、 太平洋艦隊所属の第5巡洋艦戦隊司令官に就任。 指揮下にあるのは重巡洋艦4隻(「ノーザンプトン」「チェスター」「ペンサコーラ」「ソルトレイクシティ」)に過ぎず、 戦艦部隊司令官を望んでいたスプルーアンスをがっかりさせたが、 別の任務候補が海軍省兵器部と大西洋艦隊参謀長だったため、ワシントンに行くよりはマシだと思って辞令を受諾した。 9月、真珠湾に到着すると「ノーザンプトン」に将旗を掲げた。11月28日 、 ウェーク島に航空機を輸送する任務を帯びたハルゼー中将指揮の第8任務部隊の一部隊を率いて真珠湾を出港した。 1941年12月、太平洋戦争が勃発。開戦時はホノルル西方200マイルの洋上におり、真珠湾への帰路途上であった。 第16任務部隊司令官[編集] 1941年5月末、第16任務部隊司令官のウィリアム・ハルゼーが皮膚病にかかって入院する際に、代理指揮官にスプルーアンスを指名した[2]。第16任務部隊は空母部隊であり、スプルーアンスは航空は専門外であった。 参戦時のアメリカ海軍には、まだ航空部門の将官は少なく、3人の空母部隊司令官のうち、 航空部門出身の司令官はハルゼー中将のみで、他のウィルソン・ブラウン少将、フランク・J・フレッチャー少将はいずれも水上部門出身であり、スプルーアンスの起用は異例のことではなかった[3]。 ハルゼーは、条件として副官以外の幕僚はハルゼーの幕僚をそのまま引き継ぐ事と、 旗艦は空母「エンタープライズ」に置く事が定められていた。 これを受諾すると、副官ロバート・オリバー中尉だけ連れて「エンタープライズ」に乗艦し出港、 1日遅れで出港したフレッチャー少将の第17任務部隊と、 ミッドウェー島北東の「ポイント・ラック」と呼ばれた地点で合流、 フレッチャー提督指揮の下、当時予期されていた日本軍のミッドウェー島攻略に対する迎撃の準備に就いた。 第16任務部隊の幕僚の面々はスプルーアンスの事を航空のキャリアが無い事だけしか知らなかったが、 初めての会食の席上スプルーアンスは「諸君、私は諸君の1人ひとりについて、いささかの不安の念も持っていないということを 、先ずはっきりさせておきたい。もし1人でもそうでない人物がいたら、ビル・ハルゼーが君達をこのままにしておくはずがないからだ」と明言して信頼を勝ち得た。 太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将はスプルーアンスに「日本軍がミッドウェーを占領しても、われわれは、あとからゆっくり取り返せばいい、戦況不利なら退却したまえ」と語った[4]。 詳細は「ミッドウェー海戦」を参照 1942年6月、ミッドウェー海戦を指揮し、日本の空母4隻を撃沈する勝利を得た。 1942年9月、太平洋艦隊参謀長(司令長官はチェスター・ニミッツ大将)に就任。 ニミッツの官舎に居候しており、公私に渡って行動を共にしている。 ニミッツも次第に自分に対する用件を全てスプルーアンス経由にするほど信頼するようになった。 1942年10月、 南太平洋艦隊司令官ロバート・ゴームレー中将からのガダルカナルに関する悲観的な報告に業を煮やしたニミッツの指示で、スプルーアンスは復帰したハルゼー中将と共に現地視察に赴いている。 第5艦隊司令長官[編集] 1943年5月30日に中将に昇進 し、中部太平洋艦隊司令官に任命。この時指揮下にある兵力は正規空母6隻、軽空母5隻、護衛空母7隻、戦艦12隻、巡洋艦15隻、駆逐艦65隻、潜水艦10隻、上陸作戦用輸送船33隻、 戦車揚陸艇 (LST) 29隻、タンカー22隻、陸軍航空隊爆撃機90機、海軍爆撃機・偵察機66機、 海兵隊航空機200機という膨大なものであった。 旗艦はスプルーアンスの故郷の名を冠する重巡洋艦「インディアナポリス」(CA-35)に定めている。 この船は巡洋艦戦隊旗艦クラスの設備しか備えておらず、これだけの大艦隊を指揮するには収容能力が小さかったが、指揮・命令系統のスリム化を図る上で幕僚の数を「インディアナポリス」に収容できる範囲に制限する効果があった。 スプルーアンス以下幕僚32人が乗船したが、32人という数はハルゼーの幕僚の半分程度の規模だった。 この少数精鋭主義の幕僚陣をカール・ムーア大佐が参謀長として束ねた。ギルバート・マーシャル諸島の戦い(コードネーム「ガルヴァニック作戦」)の攻略戦を指揮した。 1944年2月10日、大将に昇進 」 下記、ウィキペディアのレイモンド・スプルーアンスを参照ください。 ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B9 「ニミッツ」 「1938年7月に少将に昇進」 「1941年」「12月31日に潜水艦「グレイリング」艦上で太平洋艦隊司令長官就任式を行った。 太平洋艦隊司令長官は大将ポストの為、 上院の承認を受け、序列28番目の少将から中将を飛ばして大将に昇進している」 「1938年7月に少将に昇進し、9月には合衆国艦隊戦艦戦隊司令官を歴任する。 1939年8月に海軍省航海局長に就任。この時、次長は初めフランク・J・フレッチャー少将で、 9月からはランドール・R・ヤコブス少将が就任している。 海軍次官経験者で、 海軍に精通していた大統領フランクリン・ルーズベルトはニミッツの人物鑑定眼を高く評価しており、ウィリアム・リーヒ大将は海軍のトップ候補に トーマス・C・ハート、アーネスト・キングの次にニミッツの名を挙げている。ハズバンド・キンメルの太平洋艦隊司令長官就任時には、キンメルよりさらに1年後輩のニミッツも就任を打診されていたが、 ニミッツが若輩を理由に辞退したため、キンメルが選ばれた[1]。 第二次世界大戦[編集] 太平洋艦隊司令長官就任[編集] 1941年 12月8日、ワシントンの自宅のラジオの臨時ニュースで真珠湾攻撃を知る。 12月16日にキンメル大将の後任の太平洋艦隊司令長官となるように、 とのルーズベルトの意向を海軍長官フランク・ノックス経由で伝えられる。 ニミッツは臨時長官となっているウィリアム・パイ中将がそのまま長官になるほうがふさわしいとして一旦は断ったが 、ルーズベルトもノックスもその意見には同意しなかった。12月18日に新聞にこの人事が掲載され、 12月31日に潜水艦「グレイリング」艦上で太平洋艦隊司令長官就任式を行った。太平洋艦隊司令長官は大将ポストの為、上院の承認を受け、序列28番目の少将から中将を飛ばして大将に昇進している。 」 下記、ウィキペディアのチェスター・ニミッツを参照ください。 ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%8 キンメル」 「1941年2月1日付の合衆国艦隊再編(常設職としての合衆国艦隊司令長官廃止)で設けられた太平洋艦隊司令長官に、 先任31人(46人という史料もある)を飛び越して就任(必要時には合衆国艦隊司令長官を兼務)。 同職は大将ポストであるため、中将を経ずに大将に昇進した。」 「真珠湾攻撃の責任から1941年12月17日付の大統領命令で司令長官を解任されたため少将に戻り」 下記、ウィキペディアのハズバンド・キンメルを参照ください。 ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%BA%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%A1%E3%83%AB 「クーンツ」 「1925年10月から1928年6月に退役するまで、クーンツは海軍少将の階級に戻り 第5海軍管区の司令官を務めた」 ウィキペディアのロバート・クーンツを参照ください。 ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%84 「海軍大臣」 「海軍大臣 - Wikipedia ttps://ja.wikipedia.org/wiki/海軍大臣 1. キャッシュ 2. 類似ページ 海軍大臣(かいぐんだいじん)は、旧日本海軍を担当した日本の閣僚。 目次. 1 概要; 2 歴代大臣; 3 記録; 4 脚注; 5 関連項目. 概要[編集]. 海軍大臣 は海軍省の長であり、天皇によって 海軍大将または海軍中将から 親任された。軍令部総長(海軍軍令部長)が ... 初代‎: ‎西郷従道 任命者‎: ‎(天皇) ‎概要 • ‎歴代大臣 • ‎記録」 613名無し三等兵2019/03/19(火) 23:58:44.44ID:Mi7Q1SAL 飛行艇は名のとおり舟であるとよく聞きますが、実際は舟扱いなのでしょうか、それとも飛行機扱いなのでしょうか 「飛行機である」 「飛行艇(ひこうてい、英語: flying boat)とは、水面発着出来る機体のうち、胴体部分が水面に接するように設計された 飛行機である 。日本工業規格 (JIS) では「水上にあるとき、主に艇体によってその重量を支持する水上機」と定義される」 下記、ウィキペディアの飛行艇を参照ください。 ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E8%89%87 名無し三等兵2019/03/19(火) 23:42:17.55ID:3viwxWYJ なんで日本は世界と逆行して徴兵制を目指して突き進んでるんですか?アベが基地外なんですか? 「徴兵制が来るぞ!」という反日呪文」 「「徴兵制が来るぞ!」という反日呪文の意味 - iRONNA ttps://ironna.jp/article/1582 キャッシュ 月刊正論 反日左翼が何のイシューにも「徴兵制」を結び付け、以て庶民を脅かすのは、「日本国民には国防の義務が無い」ということにしたいのである―。軍学者、兵頭 ... しかし近代立憲政体を目指した明治政府は急に国民に「国防の義務」を求めた。町人は誰も ...」 「事故による損失機数は五十六機以上」 「『未帰還機が多かったのは、敵に撃墜されただけでなく、第一に、攻撃距離が非常に長かったこと、第二に実戦的な 着艦訓練を受けていなかった ことが、大きな理由になっていると思います。」 「アウトレンジ戦法は、機械だけを考えて、人間の要素を考慮していませんでした。 机上の空論だったのです」 「65名無し三等兵2019/03/18(月) 22:17:32.90ID:J49hkGup よく、マリアナ沖海戦の敗因の一つとしてタウイタウイ泊地で敵潜水艦に封鎖されて パイロットの訓練を行えなかったため練度が低下したという話を聞きます 一方で、マリアナ沖海戦時のパイロットの飛行時間は真珠湾攻撃の時と大差なく 通説で言われてるほど練度低下をしてないという説も聞きます 一体、タウイタウイでの練度低下はどれくらいのレベルだったんですか? 」 「事故による損失機数は五十六機以上」 「『未帰還機が多かったのは、敵に撃墜されただけでなく、第一に、攻撃距離が非常に長かったこと、第二に実戦的な 着艦訓練を受けていなかった ことが、大きな理由になっていると思います。」 「アウトレンジ戦法は、機械だけを考えて、人間の要素を考慮していませんでした。 机上の空論だったのです」 「事故による損失機数は五十六機以上」 「事故による損失機数は五十六機以上、事故死した搭乗員は六十六名に達した。 戦わないうちに、これだけの損耗が生じたのである。 第一木戸部隊の搭乗員の平均飛行時間は、二百七十五時間であり、米空母機動部隊のパイロットたちの五百二十五時間に比べると、半分でしかなかった」 『零戦燃ゆ熱闘編』柳田邦男 551ページ 「『未帰還機が多かったのは、敵に撃墜されただけでなく、第一に、攻撃距離が非常に長かったこと、第二に実戦的な着艦訓練を受けていなかったことが、大きな理由になっていると思います。」 87名無し三等兵2018/08/06(月) 14:27:31.96ID:gXLmYNkT 「出撃した瑞鶴零戦隊十六機のうち、帰還できたのは、自分を含めてわずか五機しかなかったのである。 福井氏はこう回想する。 『未帰還機が多かったのは、敵に撃墜されただけでなく、第一に、攻撃距離が非常に長かったこと、第二に実戦的な着艦訓練を受けていなかったことが、大きな理由になっていると思います。 発艦前に艦橋に『帰投針路何度』という表示がでるのですが、それでも母艦に帰る技量がなかったのですね』 タウィタウィで停泊中に、敵潜水艦の出没により、未熟練搭乗員の訓練ができなかったことが、いよいよ決戦となったとき、やはり手痛い消耗をもたらすことになってしまったのである」。 『零戦燃ゆ熱闘編』柳田邦男 596ページ 88名無し三等兵2018/08/06(月) 14:28:14.17ID:gXLmYNkT アウトレンジ戦法は、機械だけを考えて、人間の要素を考慮していませんでした。 机上の空論だったのです。 マリアナ沖海戦で、日本海軍は零戦を多数失いました。 「未帰還機が多かったのは、敵に撃墜されただけでなく」帰到できなくて、海没したのが、多かっただろうと、想像します。 日本海軍はマリアナ沖海戦で、アウトレンジ戦法を取りました。 日本海軍の艦上機の攻撃距離が300海里。 アメリカ海軍の艦上機の攻撃距離が200海里。 日本の有利な点を利用したつもりでした。 しかし、これには人間の要素を考慮していませんでした。 未熟練の単座機のパイロットは、あまりの長距離で、帰到できなかったのです。 また、長距離を飛行すれば、戦闘前に疲労する事になりました。 アウトレンジ戦法は、機械だけを考えて、人間の要素を考慮していませんでした。 机上の空論だったのです。 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 83名無し三等兵2018/08/06(月) 14:23:57.93ID:gXLmYNkT 「単機帰投した例も多かった」 「洋上航法は、操縦しながら航法計算盤を使って計算し、海面の波頭、波紋の様子を観察してビューフォート風力表によって『風向、風力』を測定して[注釈 6]、 風で流された針路を『偏流修正』し、『実速』(実際の対地速度、当時の呼称)を計算し飛行距離、飛行時間を算出予測する航法だった」 84名無し三等兵2018/08/06(月) 14:24:43.17ID:gXLmYNkT>>104 >29名無し三等兵2018/08/05(日) 03:04:09.04ID:0ceAZAGW>30>31>54 >イギリス海軍のレシプロ艦上戦闘機フルマー・ファイアフライが複座な理由は >偵察機を兼ねさせる他にイギリス海軍が「単座戦闘機に航法は無理だ」と考えていたからと聞きますが >日米の単座艦上戦闘機のパイロットはどうやって一人だけで航法をして海の真ん中を飛んでいたんでしょう? >そもそもイギリス海軍自身シーグラジエーター及びそれ以前の単座艦上戦闘機の運用経験があるのに >何故「単座だと航法が出来ない」という発想になったんでしょうか? >30名無し三等兵2018/08/05(日) 03:44:55.86ID:jj/peyz5 >29 >ファイアフライについては、日本語版ウィキの記述に寄っているんだと >思うが、「イギリス海軍が単座戦闘機に航法は無理だと考えていた」と >いう部分は、いわゆる筆者の「独自の見解」で、根拠は薄弱に思える >日本の単座戦闘機の航法については、かの酒井三郎氏の一連の著書に >詳しいが、南太平洋地域は比較的天候が安定しているので、特徴的な >雲の形(数時間なら崩れないし位置もさほど変わらない)や点在する >島の形を記憶しておくだけで十分だったようだ >もちろん、敵地までの往復ルートがある程度固定されていたからだと >いう、大きな弱点を秘めてはいたけど >31名無し三等兵2018/08/05(日) 04:21:42.58ID:XnBeoWm8 >29 >日本の単座戦闘機パイロットが自分で航法をして >単騎で帰投するなんてレアケース中のレアケース >普通は戦闘終了後に艦攻に誘導してもらう >艦攻乗りである淵田美津雄の本には戦闘機の誘導が >一番大変な任務だったと書いてある 85名無し三等兵2018/08/06(月) 14:25:18.74ID:gXLmYNkT>>104 「単機帰投した例も多かった」 「洋上航法は、操縦しながら航法計算盤を使って計算し、海面の波頭、波紋の様子を観察してビューフォート風力表によって『風向、風力』を測定して[注釈 6]、 風で流された針路を『偏流修正』し、『実速』(実際の対地速度、当時の呼称)を計算し飛行距離、飛行時間を算出予測する航法だった」 86名無し三等兵2018/08/06(月) 14:26:46.08ID:gXLmYNkT 「単座戦闘機搭乗員にとって、誘導機なしの戦闘機のみの洋上航法は、ベテランでも習得困難な技術だった。 しかし1940年(昭和15年)の龍驤戦闘機隊分隊長の菅波政治大尉、1941年(昭和16年)の瑞鶴戦闘機隊分隊長の佐藤正夫大尉らは、 単座戦闘機の洋上航法の技量に優れ熱心だった[16]。 当時の 洋上航法は、操縦しながら航法計算盤を使って計算し、海面の波頭、波紋の様子を観察してビューフォート風力表によって『風向、風力』を測定して[注釈 6]、風で流された針路を『偏流修正』し、 『実速』(実際の対地速度、当時の呼称)を計算し飛行距離、飛行時間を算出予測する航法だった。 その航法精度は、洋上150海里を進出して変針し、そののち方向、時間を距離計算して帰投し、 その地点からの矩形捜索によって晴天目視で母艦艦隊位置確認可能な誤差範囲(例えば20海里)におさめる程度の精度だった。 単座戦闘は複座・多座の攻撃機爆撃機に比較し無線電信電話機能も弱く、ジャイロ航法支援機器もなかったが、実戦で母艦に 単機帰投した例も多かった 。」 下記、ウィキペディアの零式艦上戦闘機を参照ください。 ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 87名無し三等兵2018/08/06(月) 14:27:31.96ID:gXLmYNkT 「出撃した瑞鶴零戦隊十六機のうち、帰還できたのは、自分を含めてわずか五機しかなかったのである。 福井氏はこう回想する。 『未帰還機が多かったのは、敵に撃墜されただけでなく、第一に、攻撃距離が非常に長かったこと、第二に実戦的な着艦訓練を受けていなかったことが、大きな理由になっていると思います。 発艦前に艦橋に『帰投針路何度』という表示がでるのですが、それでも母艦に帰る技量がなかったのですね』 タウィタウィで停泊中に、敵潜水艦の出没により、未熟練搭乗員の訓練ができなかったことが、いよいよ決戦となったとき、やはり手痛い消耗をもたらすことになってしまったのである」。 『零戦燃ゆ熱闘編』柳田邦男 596ページ 88名無し三等兵2018/08/06(月) 14:28:14.17ID:gXLmYNkT アウトレンジ戦法は、機械だけを考えて、人間の要素を考慮していませんでした。 机上の空論だったのです。 マリアナ沖海戦で、日本海軍は零戦を多数失いました。 「未帰還機が多かったのは、敵に撃墜されただけでなく」帰到できなくて、海没したのが、多かっただろうと、想像します。 日本海軍はマリアナ沖海戦で、アウトレンジ戦法を取りました。 日本海軍の艦上機の攻撃距離が300海里。 アメリカ海軍の艦上機の攻撃距離が200海里。 日本の有利な点を利用したつもりでした。 しかし、これには人間の要素を考慮していませんでした。 未熟練の単座機のパイロットは、あまりの長距離で、帰到できなかったのです。 また、長距離を飛行すれば、戦闘前に疲労する事になりました。 アウトレンジ戦法は、機械だけを考えて、人間の要素を考慮していませんでした。 机上の空論だったのです。 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 89名無し三等兵2018/08/06(月) 14:29:36.52ID:gXLmYNkT 余談 技量より階級 ベテランの零戦パイロットの下士官がいました。 新米の士官パイロットに従って、空母から出撃しました。 帰到するときになって、航法で意見が対立しました。 ベテランの零戦パイロットの下士官は、新米の士官パイロットと分かれて、自分が正しいと信じる航法で行きました。 若いパイロット達が問題でした。 ベテランの零戦パイロットの下士官は「自分に続くように」と説得しました。 しかし、新米の士官パイロットに従って行きました。 ベテランの零戦パイロットの下士官は空母に帰到しました。 しかし、新米の士官パイロットと、それに従った若いパイロット達は、帰到しませんでした。 軍隊では、階級が重要です。 命の瀬戸際になっても、ベテランの零戦パイロットの下士官より、新米の士官パイロットに従ったのでした。 ベテランの零戦パイロットの下士官が、涙ながらに語っていました。 テレビ番組『私の昭和史』で見ました。 90名無し三等兵2018/08/06(月) 14:45:27.69ID:WoUfSQ9U ほんと1人のキチガイのせいでスレ消費速いの迷惑 91名無し三等兵2018/08/06(月) 14:48:39.17ID:TfWbenHT 「滅多になかった」という意見はあっても「単機なんて一例もなかった」とは一言も書いてないわけだが、 なぜこうも池沼や基地外はもれなく集合が理解できないのか 92名無し三等兵2018/08/06(月) 14:51:33.85ID:gXLmYNkT >90名無し三等兵2018/08/06(月) 14:45:27.69ID:WoUfSQ9U >ほんと1人のキチガイのせいでスレ消費速いの迷惑 嘘を書き込まれる「の迷惑」! 嘘を信じるよりは「スレ消費速い」方が良いでしょう! >日本の単座戦闘機パイロットが自分で航法をして >単騎で帰投するなんてレアケース中のレアケース 「単機帰投した例も多かった」 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 93名無し三等兵2018/08/06(月) 14:53:29.99ID:gXLmYNkT>>104 >91名無し三等兵2018/08/06(月) 14:48:39.17ID:TfWbenHT >「滅多になかった」 >という意見はあっても「単機なんて一例もなかった」とは一言も書いてないわけだが、 >なぜこうも池沼や基地外はもれなく集合が理解できないのか 「単機帰投した例も多かった」 94名無し三等兵2018/08/06(月) 14:56:57.77ID:gXLmYNkT >93名無し三等兵2018/08/06(月) 14:53:29.99ID:gXLmYNkT >91名無し三等兵2018/08/06(月) 14:48:39.17ID:TfWbenHT >「滅多になかった」 >という意見はあっても「単機なんて一例もなかった」とは一言も書いてないわけだが、 >なぜこうも池沼や基地外はもれなく集合が理解できないのか >「単機帰投した例も多かった」 お願い 貴殿が、ウィキペディアを正しく、書き直してください。 >下記、ウィキペディアの零式艦上戦闘機を参照ください。 ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 米軍特殊部隊グリーンベレーがカラシニコフで 射撃訓練している動画を見ました。 米軍にはカラシニコフよりも高性能な銃器が あるのに何故カラシニコフを使っているのでしょうか? 旧共産圏などの敵国で使用されている兵器をわざわざ使用する意味がわかりません。 >>685 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E9%99%B8%E8%BB%8D%E7%89%B9%E6%AE%8A%E9%83%A8%E9%9A%8A%E7%BE%A4#%E4%B8%BB%E3%81%AA%E4%BB%BB%E5%8B%99 グリーンベレーは、戦闘部隊であると共に友好国の軍や親米軍事組織に特殊作戦や対ゲリラ戦の訓練を施す訓練部隊でもある。 グリーンベレーの最も有名なモットーは「抑圧からの解放」であり[1]、 戦時にはハーツ・アンド・マインズ (人心獲得作戦)や現地人で構成されたゲリラ部隊の編制および訓練、指揮などが主な任務である。 現地で地元の軍や軍事組織に訓練や指導を行うためにはそこで使われている武器の扱いにも習熟していなければならないから また特殊任務の性格や状況によっては現地の武器を使用する場合もある 海上保安庁は英名だとコーストガードと名乗ってるのに 和名で沿岸警備隊と名付けなかったのはなぜでしょうか? 「銃声と弾丸で存在が露呈する可能性を潰す」 鹵獲した敵の兵器を使えるように教育しておく。 685名無し三等兵2019/03/20(水) 19:07:38.55ID:aiisKM1d 米軍特殊部隊グリーンベレーがカラシニコフで 射撃訓練している動画を見ました。 米軍にはカラシニコフよりも高性能な銃器が あるのに何故カラシニコフを使っているのでしょうか? 旧共産圏などの敵国で使用されている兵器をわざわざ使用する意味がわかりません。 「銃声と弾丸で存在が露呈する可能性を潰す」 鹵獲した敵の兵器を使えるように教育しておく。 「銃声と弾丸で存在が露呈する可能性を潰す」 「ビンラディンを守るために人間の盾になった妻や息子も一緒に射殺、アメリカ ... ttps://yomi.tokyo/agate/hatsukari/news/1304419890/801-/dta 1. キャッシュ あたかもビンラディンを殺害したかのように偽装 オバマの人気回復のネタに .... なんで米軍がカラシニコフ使うんだよw ヴァカじゃねぇのw ... ベトナム戦争あたりから偵察や特殊部隊は「消毒済み」の鹵獲AKを使ってる。 発射音の .... 特殊潜入作戦で 銃声と弾丸で存在が露呈する可能性を潰す ためにAK47を装備していたのだと思われ この隠れ家の前 ...」 鹵獲した敵の兵器を使えるように教育しておく 第二次世界大戦中のアメリカ軍は、日本軍からの鹵獲兵器を使えるように教育しました。 下記、日本軍と日本兵 米軍報告書は語るを参照ください。 ttps://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B5-%E7%B1%B3%E8%BB% 8D%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%E3%81%AF%E8%AA%9E%E3%82%8B-%E8% AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8- %E4%B8%80%E3%83%8E%E7%80%AC-%E4%BF%8A%E4%B9%9F/dp/4062882434 >>687 戦後、アメリカ沿岸警備隊がずーっと日本に駐留してて 沿岸警備隊=USコーストガードだったんで混同を避ける為かな GPS全盛の今ではもういらない設備なんだけど LORAN局という電波局の一つが北海道にあって航空機等の位置情報の把握に使われてた これの管理がアメリカ沿岸警備隊で1945年から存在してて海保より古い 日本は米5軍全てが駐留する(した)珍しい国 今でも横須賀とかコーストガードのカッターいるもんなぁ >>685 弾切れや遭難に備えたり敵の武器で銃声をごまかすのに必要 自衛隊はやってるのかな? と、既出だが米軍は出張が多くあまり戦死者を出すと反戦運動が激しくなるので ベトナム戦争以来現地民兵や正規軍を訓練して強化するのが普通 これは強化した兵士が暴走したり訓練しても弱すぎてあげた兵器が敵に盗られたりするオチがよくつく ベトナムの山岳部族を訓練したのはグッドラックサイゴンのどのエピソードだったっけ… >>697 ソマリアでソマリア軍を整備したりしたの? >>613 飛行機扱い。 搭乗員のうち、最上位者の役職は艇長でなく機長となっtる。 10式戦車のモジュラー装甲ってのは前線基地で手軽に付け替えれるものなのですか? >>542 アメリカゆえにできる芸当ですね なにしろ、M1A1 シリーズは、燃料くい虫で、アメリカのように兵站シムテムが末端まで 滞りなく張り巡らされらている 国であれば可能なのです。 了解しましたをアルファベット数文字で表すのは どのように表記するのですか カスミンの文章って余談を語るのが目的で主論のほうがおまけ付録だからなぁ 米空軍のF-22飛行隊ついて2つ質問です 現役の飛行隊と予備役or州兵の飛行隊が1個飛行隊分の機材を共用しているとWikipediaでは書かれています。訓練時はともかく有事の際はどうするのでしょうか? 予備機をかき集めて2個飛行隊分の機体を揃えるのか、単純に交代要員として機体あたりのソーティ数を増やす想定なのでしょうか? またハワイ州兵では空軍州兵がF-22を配備し、機体を持たない合衆国空軍の飛行隊がそれを共有する形になっていますが、これも理由があるのでしょうか? 要撃機であればF-15Cで事足りると思いますし、虎の子のF-22を合衆国空軍を差し置いて州兵に配備する理由が考え付きません。 >>704 「Roger」 自体が 'Received Order Given Expect Results' とか "R" (Received and understood) のフォネティックとか 言われてますからねえ 「copy」 を更に略すのも難しい YIUを Yes, I Understand の略に使用するという記事もありますが 軍事関係の書籍(個人の回想録等含む)でそんな表記を見たことないし やはり roger か I copy (または copy) でわ 防衛大学を卒業した後って出世コースになるんですか? >>711 よほどの不祥事を起こさない限りニ佐あたりまでは無条件に上がれる そっから先は無能・扱いやすいとみなされたやつが上にあがってく これは自衛隊が旧日本軍みたいに暴走するのを恐れていて、扱いやすい奴に権力を握らせる傾向にあるため 田母神なんかが有名だな 田母神は扱い易いのか? かなりアクが強いと思うが。 無能かどうかは知らんが、小知恵はきくみたいだぞ。 >>711 大雑把に言って防大を卒業した同期のうち上位1割弱くらいが将官(将補以上)、 そこから上位4割〜半分弱くらいまでが1佐で、残りの過半数が2佐で終わる (ちなみに退官当日だけ1階級昇任する「特別昇任」は考慮していない) またあまりに序列が低いと2佐にもなれない場合がある 実際のところは3佐や2佐程度だと「出世した」とはいえないレベルだから、 防大を出たからといって出世できるとは限らないってことだね 防大を出て競争に勝ち残った奴が出世コースに乗れる、ってのが正しい 東北大震災の時は街全域が停電になって夜空が綺麗に見えたそうですが 戦時中の灯火管制もこれを狙ったものでしょうか? 街の明かりを消すことで敵機を発見しやすくするとか 単純に灯りがないと敵機から都市を確認するのが難しくなるから ポツポツと灯りあるとこといっぱい灯りあるとこあったら、あそこに都市あるなと、 レーダーとかの電子技術に頼らずとも目視だけで場所把握出来ちゃうでしょ グッタリ大将永野やら便所の扉杉山もそんな感じだと思うんですが… イスラエルがF35を導入した時Aタイプにしたのはなぜですか? >>718 空母を持って無いのでCタイプは不要だし、滑走路が短いとこで能力の限定されたVTOLやSTOVLを無理やり運用しないと 軍事行動に支障が出るという環境でも無いため、過去にハリアー系を運用した事も無いから。 結果、現状でAタイプ以外を選択する理由が無い。 実際、ハリアー系にせよフォージャーにせよ、過去のVTOL/STOVL機で洋上運用が全く想定されない国での採用例は皆無。 田母神は扱いやすいんじゃなくてただの馬鹿だろ それも自分では頭いいと思ってる&行動する馬鹿だからどうしょうもない >>714 >>712 2佐だと給料どれくらいなんですか? >>721 手当無視として最低月給34万5500円 >>711 防衛大学は自衛隊の指揮官教育機関としては初っ端のところで、ここを卒業した後下士官(曹長)として幹部候補生学校(OCS)に入って初級幹部として必要な技能や知識を習得し、ここを卒業してさらに配属された部隊内で教育を受けてようやく三尉任官となる その後はキャリアを積み上げていくが一佐もしくは将補以上に昇進するためには三佐〜二尉で指揮幕僚課程(CGS)で上級指揮官・幕僚としての教育を受ける必要がある なおOCSは一般大(Uコース)や自衛隊内からの受験も可能なので防大を出ていなくても将補や将になることは可能(Uコース出身者や高卒もいる) >>721 2佐に限らず自衛官の給料は年功序列的な側面があるから同じ階級でも幅がある 例えば防大を卒業して最短コースだと30代後半くらいで2佐になるけど、その場合 2佐になりたての頃の基本給は40万に届くかどうかって感じ 一方、同じ2佐でも50前後だと基本給は47〜8万くらいになる そして自衛官は基本給の他に手当がつくので実際の給料はこれよりも上がる 実際の手当は職種や勤務地その他でいろいろ変わるから一括りは難しいけど、 短いスパンで転勤を繰り返す防大の2佐ならおそらく最低でも基本給の10%以上の 地域手当又は広域異動手当がつく可能性が高い 一方で一番手当が高くなるケースは、パイロットや船乗りのような職種を除けば 市ヶ谷の幕や内局その他の本省勤務になる場合 仮に基本給40万で扶養家族もいない地上勤務の2佐がいたとして、毎月の総支給は 前者なら44万くらい、後者なら52万くらいになる 40代後半とかで幕勤務の2佐なら総支給は60万を超えててもおかしくないね >>722 1号俸の2佐ってのは俸給表の上だけの存在でおそらく実在はしない >>718-719 てか、Aタイプ以外を選択するにはそれなりの特殊な事情が必要でしょ ちなみに、イスラエルが導入したのは「F-35I」。 オーストラリアで「さあ、次に飛来するのはF-35「アイ」です」というアナウンスに 跳び上がって反応した軍事ライターがいらっしゃったそうな(豪州訛り) >>725 それじゃ回答になってないぞ…その場合「イスラエルにはこういう理由でAタイプ以外を採用する特殊事情が無い」とか説明しないと、ただの知識自慢だ。 OV-10 Broncoが双発なのはなぜでしょうか。 単純に直接的戦闘は積極的に行わず、長時間飛行することが前提の索敵機ならば、 単発機の方が燃料消費が少ないように思えます。 それとも、双発機の方が燃料効率がいいのでしょうか。 >>727 対地攻撃や観測機としても使うから機首にエンジンついてないほうが視界が広く取れるし、プロペラがじゃまにならないから機体の中心軸上に武装を置ける 武装した数名の兵士を載せたり担架ごと負傷者を載せる輸送機としても使える スカイレイダーみたいな使い方をするわけじゃないんだから双発の方が使いやすい >>604 旧世代機が新世代機を撃墜するのはままあること。最近でもmig21がf16を撃墜した。 すごく簡単に言えば相手に有利な状況で戦わなければ良い。もちろんそれは凄く難しいのだが。 実戦では政治や地理、互いの戦略・戦術的な目標、数的有利や他兵科との連携などが複雑に絡んで、対等な条件で戦闘が始まることはまずない。 充実した戦略、戦術、支援体制と優秀な指揮官やパイロットのいる中露の正規軍相手なら米の第五世代機と言えど第四世代機に苦戦するだろう。 仮にキルレシオで勝っても制空戦に勝てるかは怪しい。 第五が第四に比べて戦闘面で格段に有利なのはステルス性、センサー、データリンク、新型ミサイルくらいだが、どれも地上レーダーやAEW、電子戦機などの強力なセンサーやジャミングに無力化される恐れがある。 また、ステルス性を発揮するには自機のレーダーも切らないといけないし、レーダーをつけていても前方以外の敵や匍匐飛行する敵、ジャミングされた敵は苦手なので気付いた時には敵の射程内ということはあり得る。 特に敵地では滑走路自体や航空機が隠されていたり、不意打ちを受けやすい。 IRSTなどによる探知も天敵。 ミサイルは射程ギリギリで撃っても当たらないので極力敵に接近して撃つ必要があり、敵の旧型ミサイルの射程に入り込むことになる。 露機は機動性が高く回避が得意だし、接近されると危険。それに第五は登場からまだ日が浅いので、第五でなければ運用できないor性能が下がるミサイルもまだ少ない。 またステルス性を保つために機内格納する必要があるので搭載数が減り、対処できる敵の数や継戦能力が低くなる。 少数に多数で様々な方向から攻撃するのも有効、敵の退路を断てるし先制されても味方が攻撃してくれるので敵は回避するしかなくなり、回避直後は動きが鈍るので撃墜のチャンスになる。 米側としてはBVR戦闘に徹すれば被撃墜は最小限だがそれでは勝てる戦争にも勝てないし、IFFに反応しない機体を片端から攻撃していくわけにもいかない。 >>723 そうなんですね。 ところでその将補とかになるための学校に入る試験はどれぐらい難しいんですか? 参謀に飾緒をつける国って大日本帝国以外にありますか? >>731 「指揮幕僚課程」という名称が出ているのだからまずは自分で検索して調べてみてはいかがでしょうあk >>732 https://en.wikipedia.org/wiki/Aiguillette#Military_usage 飾緒はもともと西欧が発祥なので第二次大戦中ならだいたいつけてた 現在でも多くの国で儀仗兵などの礼装のほか大統領や首相付き武官や参謀総長などがつけている >>731 指揮幕僚課程(ちなみにCGSは陸自だけの呼称で海空ではCSと呼ばれる)の選抜試験は 結構難しくてちょっと勉強すれば誰でも入れるというものではない 競争率は具体的な数字については伏せるけどまあ数倍以上はあると思っていいかと ちなみに指揮幕僚課程を修了できてもそれで出世が約束されるわけではないので注意ね 指揮幕僚課程はあくまで出世のための登竜門でしかなく、実際に偉くなるにはそこを出た後も 上から評価されて出世競争に勝ち残らなきゃならない 指揮幕僚課程を出たけど2佐止まりとか、経歴は華々しいけど結局将補にはなれなかったとか そういうケースもある >>728 >>729 御回答ありがとうございます。 索敵で求められるのはまず視界ですので、非常に合理的ということですね。 納得しました。 追加で、過去に質問して回答されなかったのですが、 ワルサーGew43はなぜ左斜め上にコッキングハンドルがあるのでしょうか。 ボルトアクションライフルから移行する兵士からすると、右にある方が操作の際に違和感がないと思います。 また、それまでに生産された他の半・全自動小銃も基本右にコッキングハンドルがありあすし、 黎明期の試行錯誤の産物とは言えないような。 あと、コッキングハンドルが左にある銃は他にあるのでしょうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる