105mm→155mmだって先人の血が滲む戦訓があったはずなんですがね。
忘れるのも早いね。

装輪の自走砲も昔から構想はあったが、せいぜい北アフリカのような砂漠でしか使い物にならなかった。
本物の激烈な対砲迫戦の戦場ではオモチャでしかなかったわけです。
だから野戦築城で防護でる「牽引砲」か一定の装甲と不整地走破できる「装軌の自走砲」に二極化せざるを得なかった。
これまた忘れるのが早い。