編成・編制・編組スレッド12
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
●陸上自衛隊用語集における定義
編成 A 編制に基づいて部隊等を組織することをいう。
この場合、編制に基づき新たに部隊等を編成することを「新編」といい、
改正された編制に基づき既に編成されている部隊等を改正編成することを「改編」という。
B 部隊等の組織そのものをいうことがある。
編制 「陸上自衛隊の編制に関する訓令」に定められた部隊等
または長官が特に定める部隊等の固有の組織、定員および定数をいう。
編組 部隊を配属することにより、編制部隊もしくは編合部隊でない部隊を一時的に組織すること。
または編制内の人員および装備を以って、編制の定められていない小規模の部隊を一時的に組織することをいう。
●旧陸軍の用語(戦史叢書「陸海軍年表 付 兵語・用語の解説」より)
編組・編合 作戦上の必要に応じ、建制を定め、編制上の数個の軍隊を適宜に組み合わせるをいう。
陸軍では、軍令によって編合を定め、その変更は、軍令によるを本則とした。
編組は、通常、命令によって発令された。
編制 勅令によって定められた国軍の永続性をもつ組織をいう。
平時国軍の組織を規定したものを平時編制、戦時における国軍の組織を定めたものを戦時編制という。
兵軍の単位を集団して軍隊を組織するをいう。
編成 某目的のために所定の編制をとらせること、または臨時に定める所により部隊を編合組織することをいう。
動員令のうちに臨時編成という語を使用している。
軍隊区分 作戦上の必要に基づく軍隊の一時的編組をいう。
戦闘序列が隷属関係を律するのに対し、軍隊区分は指揮関係を律する。
配属 某部隊またはその一部を一時他の指揮官の指揮下に属させることをいう。
※前スレ
編成・編制・編組スレッド11
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1488977193/ >>373
キドセンとWAPCの組み合わせなら、即応機動連隊が正にそれだけど
キドセンx2個中隊と96WAPCx3個中隊に重迫その他だったか MCVとMAVで機械化騎兵を編制しても空挺を蹴散らすのが精一杯であんまり旨みが無いような
アメリカみたいに各種ヘリを編入させる余裕も無いし費用対効果の割に会うとは思えない そもそも機動戦闘車にMBTの代用は無理だし機動砲じたいが中途半端な気がする。
地理的にMBTが完全に不向きならしょうがないですけど。あと予算か
また騎兵型と兵員輸送型や偵察型の戦闘車は根本的に違う気がするんですけど。
M3ブラッドリーは空挺戦車のM551シェリダンから置き換えられたのではなかったかと?
そこから現代に求められる騎兵型戦闘車の仕様を考えますと
主兵装に30o機関砲を搭載、運動性(移動能力)と偵察・索敵を重視し、輸送人員4〜6名くらいにして
基本型と比べ乗車スペースを減らして弾薬・燃料に割り当てることで持久力を持たせる。
こんな感じになると思うのです。
現代の機甲騎兵は単に機械化歩兵と戦車の組合せではないと思います。
歩兵を少数にして素早く集散させ転戦し機甲戦を遂行する能力を極限まで引き出す。
とかじゃないと、名前だけの機甲騎兵になってしまうのではないでしょうか? 373です
374さん言われてみればそうですね。
375さん、確かにその程度しか戦力的な期待はできませね、能力的には威力偵察や迅速に前に出て遅滞を行う、警戒幕を展開するということになるでしょうか。昔の軽騎兵的になりますね。 >>375
そういう部隊を編成する上でベースになりそうなのは即機連だけど、
これ自体が空挺や上陸部隊、あるいは特殊部隊への早期対処が目的で、WAPCをMAV(APC)へ置き換えても空挺排除が精一杯っていうのは全く想定の内ってことはないかな?
大綱とかでうたわれるのはエスカレーションラダーへの対応とか離島警備隊への増援とかだけども…… ハード(機材、編制)として即応機動連隊は機甲騎兵といえますが、ソフト(運用想定)が機甲騎兵じゃないw
一部で即機連を、捜索連隊のように、つまり騎兵的に運用したいとの声もあったよぷですが
現状はまだ単なる先遣部隊にすぎない模様。
運用はハードから見ようとすると騙される場合があります。要注意。
(某B氏がよく落ちる罠) 日本の場合は、まず騎兵任務の概念の再理解から入らないと厳しいかも・・・
ハードはあるのだから、ソフト(運用概念)を構築できれば望みはまだ・・・
しかし旧軍の捜索連隊(騎兵連隊)の伝統は失われ、戦後は米軍師団運用を参考に再勉強し構築されたため、騎兵概念をえられず・・・
(当時の米軍の騎兵連隊は軍団レベルで運用されるので、師団運用だけ学ぶと理解できない、勉強の範囲外の存在) >>379
ソフトについてkwsk
つまり即応機動連隊そのものは敵部隊を捜索、拘束することにうってつけだが、
その後に来るべき師団主力の機動力や火力が劣っているということですかね? そこはあれでしょ。マニューバーで攪乱したり先手を取る。敵の強みを生かせなくして
弱点を探し出したり、移動力で隙を作ったりしてそこをネチネチ突くとか。
あとは機動力(運動能力)を生かして素早く集結し、短時間で火力を叩きこむとか。
しかし機甲騎兵の話に対して機械化騎兵、自動車化騎兵って感じになってない?
>373 から思いっきり機械化騎兵って書いているから>376は>369-371あたり宛て、と。 >>381
>その後に来るべき師団主力の機動力や火力が劣っているということですかね?
即応機動連隊そのものが、現状選り優れた精鋭状態だもんなぁ…… >381
陸自に騎兵の任務概念(ソフト)が無いという意味。
個人的に理解している人はいても、組織としては無理解。
なので即機連を属人的に騎兵を理解している人が指揮すれば、騎兵として動けるが
騎兵を理解してない人だと、単なる先遣部隊にしかならない。
組織としての理解と属人的な理解の違いは大きく影響します。
ただ箱(編制と装備)は出来たので、その使い道を研究するうちに騎兵的運用が取り入れられる可能性は否定できない。
(やろうとさえ思えば、やれるのだから)
抑止的には「その能力」があり、属人的でも指揮官次第ではそのように動けるというだけで、十分に価値がありますが。
※ソフト(概念/思想)があってもハード(装備/部隊)がなければ絶対実行できないのと逆。 偵察戦闘大隊が旧軍の捜索連隊や捜索隊のような斥候部隊
即応機動連隊は旧軍の軍直轄騎兵旅団のような運動戦部隊
だと勝手に思い込んでたのだがどうやら違うのか 385さん、旧軍の捜索連隊を斥候部隊という認識がまず違うような。
敵情捜索といってもただ探すだけでなく、独力で攻撃を行い後続の展開を援護するのも
その任務だったりする。
レイテに上がった第一師団の捜索連隊がその好例、師団の前衛となってリモン峠を越えたところで米軍先遣隊と遭遇。ここで攻撃を敢行して米軍の前進阻止に努めながら
第一師団後続のリモン峠付近の展開に大きく寄与。
旧軍の騎兵旅団(騎兵集団)は捜索、警戒、機動打撃(旧軍のいうところの)など多目的に使うはずだった。
自衛隊はLansのいうとおり定見ないんじゃないかな?
実は軍直騎兵も師団捜索連隊も使われる次元が異なるだけで任務は似たり寄ったり。 385さん
騎兵旅団が活躍した時代は文字通りの存在で乗馬して戦う部隊で
WW1の戦訓から伝令・斥候くらいにしか役に立たないとされて形骸化してます。
386さん
> レイテに上がった第一師団の捜索連隊がその好例
捜索連隊(連隊長: 少佐)の機動歩兵といっても車両のない徒歩の1中隊と機関銃小隊だよ。
あと斥候には遭遇戦になったときの対処などの比較的高い戦闘能力が求められるのでは? 386です
捜索連隊は一応、威力偵察部隊とされてたような。歩兵戦力が書かれてる通りで、プラス軽装甲車が1個だったか2個中隊だったような。そんな戦力でも先制主導で米軍の出鼻を押さえてしまったんですよ、もちろんごく一時的に過ぎないけど。
それでも後続が緊要地形に展開する貴重な時間稼ぎにはなったわけで。こんな戦力でも使いようの見本だと思ったので。 wikiみたら威力偵察ではなく戦闘斥候となってた一応訂正しとく。本当は日本騎兵史をチェックしたいところだけど持ってないし、今の情勢では図書館開いてないし、持ってる人いたらチェック頼む 日本みたいに防衛予算が限られる国は、結局の所全土に満遍なく戦車と自走榴弾砲を配備し、
装甲車やヘリは諦めるのが最もマシな気がする。
米ソ冷戦が終結して76大綱が改定されて以降、戦車や大砲を減らして他の装備を増やそうとするも、
結局は元よりも却って弱体化しているだけのような気がする。 むしろ防衛予算が限られるからこそ、装甲車とヘリを増やすべきではなかろうか?
少ない隊員数を補うためには、マニューバ・ウォーフェアに舵を切るしかなく、それには装甲車とヘリが必須だろう
個人的な趣味だが、BMP-3やBMD-4、Mi-26、Mi-8の日本版のようなものを大量調達すべきである
攻撃ヘリはSikorsky Raider Xを導入しよう
戦車は10式、榴弾砲は99式、ロケット砲はM270 MLRSをそれぞれ継続使用でいい >>391
そんなことしたら英陸軍並みに規模を縮小しなければならなくなると思うが
私も個人的な趣味の話をするならばSCOUT SVやCVR(T)のような装甲偵察車を導入して各師団/旅団に大隊規模のしっかりとした機甲騎兵を置いてもらいたいものだが 遠戦火力と経空脅威対策の強化で特科部隊を充実して欲しい
火砲定数から多連装ロケット兵器を除外してHIMARSを作戦基本部隊の野戦特科に配備
UAV対策として高射中隊にドローンジャマーやレーザーガンを備えたC-UAV小隊の新編
くらいはして頂かないとロシアのBTG相当の部隊が揚陸された時に不安だ 390案は予算的にとても無理、391案は392のおっしゃる通り英軍並みに縮小が必要、393案はこれも予算的にとても無理。
結局、英軍なみとは言わないまでも規模を縮小して391に近い形にするしかないかと思う。金の他に人もいないし、中国、ロシアも往年に比べれば縮小してるしもう世界中軍隊規模縮小しないとやってられないだろう。
経済戦争とコロナ恐るべし 失礼します。376です。確認のためまとめさせていただきます。
(1) 偵察もするが戦闘を積極的に実行する重騎兵の流れを汲むタイプ (騎兵型)
(2) 伝令や偵察、巡察(捜索)を優先して直接戦闘は控える軽騎兵タイプ (偵察型/捜索型)
単に騎兵というと(1)を指して(2)はLight(軽)をつけて区別すると思っていました。
(2)は奇襲などを別として戦闘(交戦)になったら散開したりするなどで対応します。
精鋭を集めているからこそ(2)の方を意識して警戒監視網をしくという意味でしょうか?
しかし旧軍の騎兵科は(1)にこだわり攻撃精神を説いて滅茶苦茶だったような気が...
また先鋒部隊が陣形(戦線)を整えられない場合には後続部隊は合流しないのが基本。
下手に戦闘をしてしまったら抜け出せなくなるリスクが大きいのではないか?
ゆえに即機連は軽騎兵の様な役割を重視した教義や訓練をした方がよいとも...
Lans氏のお考えは以上で凡そ合ってますでしょうか? >>395
旧軍の騎兵課は明治に(秋山好古の頃)に他国のように騎兵に種別を付けず、斥候、偵察、警戒にあたる軽騎兵を元に他国の重騎兵(槍騎兵や胸甲騎兵など)の任務もある程度こなすいわば汎用騎兵とすることが決定されました。
というのも我が国は騎兵の数が少なすぎ(加えて騎兵用馬も少なすぎて)、各種騎兵連隊を編制することができなかったからです。
そして師団騎兵は二個中隊で連隊、騎兵旅団は4個中隊の連隊2個を基本編制として、若干役割を変えてました。
師団騎兵が軽騎兵、騎兵旅団がやや重騎兵より。
なので滅茶苦茶感があります。 >>396
旧軍の綱領にこうあるんです。
騎兵は会戦前遠く敵方に進出し諸種の情報を収集して戦勝の基を開かさるべからす
此目的を達するには全力を持ってして敵の騎兵を撃破して以て行動の自由を得るとこ緊要なり
又会戦に方りては他の兵種と協同動作しその終局に際しては猛烈に敵を追撃して
戦闘の効果を偉大ならしめ或は果敢なる逆襲を断行して友軍の戦勢を挽回せさるべからす
(中略)
強固なる攻撃精神と旺盛なる志気とは實に騎兵の必須の要素なり
志気旺盛にして攻撃精神に富める鍛錬の騎兵は寡を以て衆を破るを得るものなり
綱領の冒頭から重騎兵(重量的に中騎兵?)の任務に該当することが書かれています。 396です、史料ありがとう。こういうのを見たかった、前にも書いたように今現在、日本騎兵史はじめ史料を見れる状態じゃないのでありがたいです。
なので私の書き込みも記憶頼みなので。
ただ日本騎兵重軽一本化の方針を決めたのは秋山好古の意見によるのは間違いないはず。 >日本の騎兵
軽か重か
これを論じた論文が存在します。
これは明治33年に発刊されております。
秋山が騎兵実施学校長の時ですね、
「騎兵戦術論」→たしかアジ歴にあるから検索するよろし
各国の騎兵史を分析しつつ本邦の基本方針を書いていますが、それは「軽騎兵」です。
これが明治45年の
「騎兵戦術講受録」でも偵察・捜索が中心です。
しかし、前衛として主力の展開に寄与すべき点も強調されています。
これが大正期にはいると会戦終局の追撃や、危機に際しての逆襲が入ってきます。 騎兵操典草案 第一節 綱領
一、騎兵は会戦に先んじ主として情報の蒐集に任じ以て戦勝の基を開き
会戦に方りては他兵種と協同して所属兵団の戦闘を容易にし其終局に際しては猛烈に敵を追撃して戦勝の効果を偉大ならしめ
或は果敢なる逆襲を断行して友軍の戦勢を挽回せねばならぬ 秋山自身は「騎兵の本領は襲撃にあり」とかいいつつ、実は旧軍では公式の教範ではあまり言及がなかったりします。
という事で、日本騎兵は基本、軽騎兵といえると思いますが・・・
ここで秋山の「基本の本領は襲撃にあり」が実は問題になってきます。
これが騎兵旅団が目指した道
騎兵操典は広く騎兵に配布するので、軽騎兵としての教科書にならざる得ません。
なので騎兵旅団は戦術教育の中で演練となり属人的教育になります。
襲撃となると、敵の弱点を叩いて回るので 重騎兵ともちょっと違う訳です。
(海外でも軽騎兵の任務とされる場合が多かったはず) この襲撃は敵に後方襲撃による攪乱や側背襲による混乱誘発など、マニューバ的な運用となるのですが・・・
これが現在は失われたよね。 >398
気が付きましたか?草案には
>此目的を達するには全力を持ってして敵の騎兵を撃破して以て行動の自由を得るとこ緊要なり
が無いのですよw ちなみに、大正13初版、改訂昭和5年版の「騎兵須知」からの抜粋です。
この騎兵排除の重騎兵的任務がどこから、何時頃からはいったのか?
は他の資料もあさらないといけませんが、今日はもう眠いので寝る。
寝るったら、寝るの。 >>389
横ですが面白いお話有り難うです
国会図書館デジタルコレクションでタイトル検索「騎兵」で検索を掛けると7ヘージ近いリストが出て来ます
旧軍騎兵の操典や須知等、各国騎兵の操典や戦術論等の翻訳もかなりの量が
特に日露戦争前後に出版された物が多い様にですが、旧軍騎兵の変化の時期だったのかな?
旧軍の操典は初期にスキャンされた物が多い様で読み辛いのが残念・・・
パッと見ですが捜索と警戒は別々に解説されていますね
同じく「捜索」でタイトル検索すると何点か出て来ますが知りたい「捜索」は数点のみで三兵それぞれの解説だったりします 日露戦争前後は、開戦に備え、戦訓を踏まえということで典範類の改定やら色々ありますね。
ほんとは偕行社記事も漁らないとなんだけど、別件で忙しい >>402
ドイツなどは重騎兵でフランス,ロシアなどは軽騎兵(中騎兵?)だったかと。
これはさらに重装で突撃する騎兵集団が存在すれば相対的に軽(中間)になるってことで
それが不在となったドイツなどは重騎兵の任務に分類されていたみたいです。
>>404
秋山は対ロシアを睨んで単純にドイツ式を採用してもロシア軍に押されると考えて
騎兵でメンチ切るフランス式との折衷・両用を提案したということなんでしょうかね? >>408
フランス軍は騎兵といっても種類多いからなあ。
まあロシアもそうか、露軍の行動の巻末にある出征部隊一覧表みると選抜騎兵みたいな精鋭は戦場に出てないんだよね。
コサックばっか(ちなみに皆さんご存知とは思うけどコサックは最強騎兵えはない) 一応
おおざっぱな見分けは方として
メインウェポンが槍で突撃メインが重騎兵(ランサーとか)
メインウェポンがサーベル(拳銃も)なのが軽騎兵でよいかと。
カービンがメインウェポンの龍騎兵どうなんかな?
運用はまた別
たぶん西欧諸国は使い方で分類はしてなくて、上記の区別で適当な使い方を割り振っていたんではないかな。 続き
それで日本の騎兵だけど
まあ見た目は軽騎兵(胸甲騎兵連隊なんてないし)でいいと思う。
使い方は数がないから騎兵の任務はなんでもやらされた感じが。
編制的に言えば、師団騎兵は軽騎兵本来の運用でいいんだけど、
騎兵集団の用法は明らかに重騎兵のそれ。
秋山は騎兵集団を強化(というか作りたくて)したくて、旅順戦で使い道の少ない師団騎兵連隊をもらって騎兵を増強、
ここから騎兵集団が編制されるように。騎兵集団には支援用に臨時に帰砲兵中隊まで編制して配属してるから
とてもじゃないが軽騎兵とはいえん。
なお騎兵集団は日露の時は編制ではなくて編成 >>411
旧軍はもともとドイツの騎兵を手本にしようとしていたのでは無かったかと?
ドイツの重騎兵のほとんどは胸甲を装備してなかったようですよ。
騎馬突撃を基本戦術として用いる部隊かかどうかというのが基本的な違いと認識しております。
またイギリスのDragoonとLight DragoonについてもDragoonは突撃戦をしたとのことですので
運用(その想定)が攻撃的・好戦的であるかないかの違いと解釈しておりました。 なるほどイギリスの龍騎兵はチャージするのか(もしかして騎兵の英国面?)
日本の騎兵は日本陸軍がドイツ式にならった後もフランス式だったはず。秋山もフランス留学してるし。
しかし騎兵でこんなスレが伸びるとは思わなかった。 前述の「騎兵戦術論」でも「軽騎兵前哨」(著ブラック)を推奨しており、日本騎兵はやはり軽騎兵中心と思います。
ここで、偵察、捜索が中心となるのですが、騎兵集団の襲撃については秋山個人がどこで勉強してきたのか・・・
なお騎兵の襲撃については仏や独よりもロシア/アメリカで実は大きく発展しています。
ソ連/ロシアではWW1の騎兵を経て、戦略騎兵、デサント、CMGと進み最終的にOMGにたどり着きました。
アメリカの場合は、南北戦争で騎兵の運用が大きく進化しています。米軍の機甲騎兵はこれを継承していると個人的には考えています。
(単なる偵察/捜索だけでなく戦闘、襲撃を強く意識している)
(独機甲部隊については歩兵滲透からの進化であり騎兵からではない) 日本騎兵については、乗馬移動、下馬戦闘の乗馬歩兵なのか?乗馬戦闘の騎兵なのか?の論文があったのですが・・・
どこにしまったかなぁ・・・偕行記事だったかなぁ・・・ここで襲撃とかも論じていたような・・・ 乗馬歩兵も難しいですねえ。日本にも乗馬歩兵いたし。日露では後備兵役の騎兵を乗馬歩兵として伝令なんかに使ってたみたいですが。
移動ー乗馬
戦闘ー下馬
が乗馬歩兵の基本ですが
第一次世界大戦のオーストラリア軍騎兵は中東戦線で乗馬突撃かましてるしなあ(やっぱ英国面?) 便宜的に重騎兵・中騎兵・軽騎兵と分類するなら
ドイツなどは中騎兵に重騎兵の任務も兼ねさせていたので重騎兵の方に区分していた。
イギリスは胸甲が脆弱で飾りだから中騎兵が重騎兵の役割をしていたって感じかな。
英国面って言葉を初めて知りましたwww
>414
ソ連/ロシアは同意ですがアメリカは中騎兵のコンセプトだったのがなぜか重騎兵になった と。
ブラッドリーも中騎兵のコンセプトだったはずが本人(陸軍)が理由を回答できないw
その時々の参謀総長らがいい加減なことを発言してしらばっくれたので不明。
そもそも超大国でないと重騎兵と中騎兵、軽騎兵て揃えられないんじゃない? 日本の西洋式騎兵は導入された幕府陸軍以来長らく軽騎兵だった様ですが・・・
幕府陸軍中一番謎が多い兵科でも有り
文久二年の暫定案
重騎兵:6個大隊800騎
軽騎兵:2個大隊180騎
文久三年御軍制取調の上申書
騎兵組と騎兵槍組とする
慶応二年の段階では朝鮮鞍で西洋馬術の伝習を受けていて、落馬した際に怪我をしない様に馬場の整備に気を使っていたレベル
兵員(伝習生?)は70名程で組分けが有ったのかは不明
残されたスケッチでは槍は未装備
慶応三年にフランス軍事顧問団の到着により伝習は本格化
騎兵組指図役の発注した画には槍の装備有り無しの2種が画かれているので組分けが実現した?
また幕臣が3兵演習の待機中を画かせた幕臣調練図には陸軍笠を被り槍を携えた騎兵が背景に
慶応三年の予算内にランスも上げられていますし
馬具はデシャルム大尉の指導で馬具商
森村市左衛門が仏式軽騎兵用の鞍を生産
重騎兵用は戊辰戦争で指導されず明治にデシャルム大尉が再来日してから指導を受ける
(単なる技術の伝習?それとも重騎兵が存在?)
因みにフランスでの槍騎兵(Lanciers)は軽騎兵です
Chevau-Légers → Chevau-Légers Lanciers → Lanciers
と名称が変化して行きましたし 旧軍の騎兵(少くとも明治)に一番近いのはアメリカの U.S.Cavalry(合衆国騎兵隊)かも
1861年に各種存在した騎兵を U.S.Cavalry として6個連隊に再編
実戦では騎兵突撃(北軍はサーベルを好み、南軍はリボルバーを好んだ)、乗馬射撃戦、下馬戦闘、挺身行動等々、状況に合わせてあらゆる行動を取りました
(騎兵突撃を意図しない乗馬歩兵は別に存在)
参考にしたとは迄は言いませんが何となく似ている気がします 416です
オーストラリア軍の乗馬歩兵は乗馬突撃かましてる、でした訂正しときます。 419さん、416ですが私もそう思ってました。
その上で日米の騎兵の共通点って歴史が浅いことなんですよね(実はさっき書いたオーストラリア軍騎兵も)
なんか重・軽など騎兵の兵種分けをする余裕がなく取り合えず何でも屋の騎兵を養成してる気がするんですよね。
米軍についていえば独立戦争後に陸軍は大幅に削減され、南北戦争でも北軍は当初は騎兵が弱体そのもので慌てて育成したみたいいですし
。
オーストラリア軍も一次大戦で急遽、乗馬師団(マウンテッド・デヴィジョン)として部隊作ってますし。
なんというか乗馬できる人を急ぎ集めて部隊にした感じ。
そういやボーア戦争のボーア軍もそんな感じだは。
ヨーロッパの正統派の騎兵との対比おもしろいかも。 >>418
e のアクセントが文字化けしたかも
スマホからなので・・・
Chevau-Legers → Chevau-Legers Lanciers → Lanciers
取り敢えずアクセント抜きで つづき、つまり騎兵の歴史・伝統が浅いと395さんがいう(1)と(2)の区分けをしてる余裕がないんじゃないかな。 418さんランサーはフランスでは軽騎兵なんですね、今ままで重だと思ってた。ありがとうございます。
しかし、自分も含め日本では騎兵を理解していないのがよく解かった。 C.S.フォレスター「鬼将軍」とか呟いてみる。WWI序盤の大量消耗で大出世した英軍ヨーマンリー叩き上げな師団長(平時なら中佐除隊間違いなし)の話だが、
塹壕戦への否応無しの適応あたりが硫黄島の栗林によく似てると思った。米国時代に読んでたかな、案外。 「鬼将軍」原作は1936年か、読んでた可能性無くはないな。まあ旧軍は塹壕戦の研究かなりやってはいたから関係は無いかもしれんけど WW2米陸軍歩兵師団と海兵隊師団の師団砲の数・編成ってどうだったんだろう?
やっぱり他の国より飛びぬけて多かったのか? そもそも師団砲兵の標準が105mmなのは米独だけだからその時点で頭1つ抜けてる >>425
鬼将軍は積んだまま行方不明になって幾星霜・・・
面白そうなので探すかポチって見ます
同じフォレスター作品の青銅の巨砲は小説の方が映画よりも遥かに面白かったですよ
映画では山の様な巨砲てしたが小説では18ポンドカノン
半島戦役でイギリス軍が使用した最大の攻城砲は24ポンドカノンと5.5インチ榴弾砲(榴弾重量24ポンド)でしたので映画の様な規格外れの巨砲とは言えない
でも行動を隠蔽するには小さいとはとてもじゃ無いが言えないし・・・
そこら辺りがリアルでした
フランス軍が映画程バカじゃ無かったしw
WW1の小説だとダグラスリーマンの紅の軍旗が面白かったです
ガリポリ、西部戦線と転戦するイギリス海兵隊の話しで >>428
105ミリ大隊×2と155ミリ×1が基本だったかな。
これだけで列強より優位(ドイツ除く)
これに加えてFОとFDCで砲兵火力を適所に撃ち込めるのでもっと優位に立てる。
WW2の米軍師団砲兵は一個師団あたりの砲数や一門一回あたりの射耗弾数はいうほど多くもないけど
前線の目標に瞬発的に指向される火力が高い つづき米軍の師団砲兵中隊は6門編制(これは西欧軍隊の標準)
対する我が日本軍は中隊は4門編制(しかも射程の劣る、しかし軽くて運びやすい山砲が多い)
確か師団砲兵の門数は英軍が頭ひとつ抜けて多かったはず。 英軍は砲兵連隊25pdrx12門x3個連隊だったはず。
ソ連は76.2ox24、122ox12が混成3個大隊編成。
米海兵は砲兵大隊105ox12 x4個大隊
(1個大隊が75o軽榴弾砲の場合もあり ※空挺も使ってたパックハウザー) >>429
「青銅の巨砲」映画は見ました懐かしい(確かに仏軍の描き方は)
ナポレオン戦争当時の英軍火砲ってインチ表示のもあったんですね。 Lans氏
ソ連軍の編制って開戦時とスターリングラードの頃でかなり変わってなかったっけ?
いやまあスターイングラード戦ころのソ連軍編制って名ばかりだからあまり意味ないかもだけどさ。 そういや米軍、空挺師団は重い火砲を運べないから装備火砲は75ミリのパックハウザー(駄載砲−日本軍式にいうと山砲)だった。
英空挺も同じ。101空挺はパックハウザーの砲架を改造して105ミリ載せた火砲を装備してた。 南北戦争に詳しそうな人がいたけど、当時の米軍騎兵には正規編制の騎砲兵はいたの? >>433
榴弾砲や臼砲の類いは、榴弾をメインに使用する関係上実弾前提の重量表示じゃ不都合なので、英軍のみならず仏軍もインチ(仏インチ)表示だったかと 台灣島の中華民国陸軍が、師団を編成せずにみんな旅団編成なのは何故? >>437
433です、ありがとう。納得できました。 >>438
以前、別のスレに台湾軍人さんと名乗る台湾の軍事に詳しいひとがいてから、その人が来てくれれば一発で解るんだけど。
来そうもないので、個人の考えを
1、国土が狭い、兵力がさほど多くないなので師団編制まで取る必要がない、陸自に方面軍だの軍集団が無くて旧軍に軍団が無かったようなもの。
2、台湾は地形が錯雑で皺が多いから旅団規模くらいが取り回しがよい。
現代では師団は減少傾向で英やイスラエルみたいに旅団メインという陸軍が多いのも取り回しのよさも原因。
陸自も旅団化進めたしね。(3.11の時も陸自は師団丸ごとだしてない)
こんな感じかと >>436
正規編成の騎馬砲兵が騎兵連隊が固有の騎馬砲兵を編成内に持っていたか否かと言う事でしたら否です
取り敢えず北軍の例ですが
方面軍付き騎兵軍団
騎兵師団×2~3個+騎馬砲兵旅団×1~2個
騎馬砲兵旅団は分割され各バッテリーは騎兵師団に随伴しました
(騎馬砲兵旅団自体が雑多なバッテリーから編成さた物です)
この組み合わせが固定的な物なのか状況に合わた物なのかは不明・・・
南軍も同じ様な感じですが、両軍共に例外的に旅団編成内に砲兵バッテリーを持つ物も有りました
(これも結局は砲兵連隊からの転出や独立バッテリーを編入した物)
州単位の志願兵や民兵が多数を占めていた為、騎馬連隊が固有の砲兵(騎馬とは限らず)を有していた隊も有ったかも知れませんが・・・ ありがとうございます。建制では旅団で、各騎兵師団に分属させる方式ですか。
しかし、数が多くてうらやましいような。日本陸軍には騎兵師団は無く、騎兵旅団2個の騎兵集団(これは建制ではなく軍隊区分)に臨時騎砲兵中隊一個がいるだけなので。
ちなみに有名な機関砲は各旅団に機関砲隊として一個ずつ配属されてました。
しかし米軍くらい部隊数と規模が大きいと、レイダー(後方への襲撃)といっても挺身隊でしかない日本騎兵のそれとは、自ずと変わってくるんでしょうね。
>>438
軍事思想の変化と軍縮の影響
1990年代までに台湾陸軍は数十万人あったため師団の編成を維持していた
しかし軍縮を進めて、さらにアメリカ軍の旅団戦闘団思想の影響を受けたため、陸自同様に旅団化をシフトした。
最近になるとさらに少子高齢化の脅威を受けて、大隊主体の部隊を試験的に編成し始めた。 >>438>>440 別スレでお見かけしたので救援要請しました。最近はコテを外されている模様ですが、IDで間違いないです。
>>443 有難うございます。 >>443
440です、説明ありがとうございます。444さんもありがとう。 しかし東西問わず編制の小型傾向、大隊作戦単位(といって良いのか?)となるのが進んでますな。 >>446
冷戦が終結し軍縮傾向の中で、少子高齢化は東西を問わず全ての主要国で進行中ですからね
むしろアジア圏の方が少子高齢化が著しいほど。欧米は移民難民の流入が大きいのだろうが ===================================
第一次ソロモン海戦(1942年8月8日-9日)
===================================
火力は圧倒的に連合軍有利だったが、三川艦隊の圧勝だった。●は沈没艦
☆三川艦隊
重巡洋艦5隻 鳥海、青葉、衣笠、●加古、古鷹 ※加古は潜水艦による攻撃で沈没。海戦による大勝利は一瞬だった。
軽巡洋艦2隻 天龍、夕張
駆逐艦1隻 夕凪
★連合軍
重巡洋艦6隻 南方部隊(オーストラリア(豪)、●キャンベラ(豪)、シカゴ)、北方部隊(●ヴィンセンス(米)、●クインシー(米)、●アストリア(米))
軽巡洋艦2隻 東方部隊 軽巡サン・ファン(米)、ホバート(豪)
駆逐艦8隻 南方部隊(駆逐艦パターソン(米)、バッグレイ)、北方部隊(駆逐艦ヘルム(米)、ウィルソン、駆逐艦モンセン(米)、ブキャナン(米)
哨戒隊:駆逐艦ラルフ・タルボット(米)、ブルー(米)サボ島南北水道外側に一隻ずつ前程哨戒配備。
※まだ米軍にはフレッチャー級の新鋭駆逐艦は配備されてない。
アメリカは重巡ボルチモア級が建造中だが、就役は1943年4月以降。
代わりに、戦艦ワシントン、サウスダコタがソロモン海域に進出、砲撃戦になった。金剛型戦艦は火力不足を露呈。
速力が遅く、ソロモン海域に大和、武蔵、長門、陸奥を使えないことでアメリカ艦隊が優勢に。
1943年からエセックス級空母が続々就役し、連合艦隊は完全に劣勢となる。 今では大国同士の全面戦争よりも、島嶼での領土の奪い合いの蓋然性の方が大きいから、
小編成の方が合理的なのでしょう 世界各国の編制の小型化は、別に島嶼戦の為だけに限った訳ではありません。
各自、そこはお間違えの無いように。 あと、編制の小型化は少子化もあまり関係ないと思います。 対機甲戦闘で64式や重MAT時代の対戦車隊を指揮下に持つ師団長と
今後の中多装備の本管中隊対戦車対舟艇小隊のある普通科連隊長は
同様の判断を求められるとかそういう話っぽい そもそもソ連って同じ師団でも小規模じゃなかったっけ
小隊からして少人数だったような
自衛隊もだけど
細かくすることで柔軟性を重視しているものと理解していた
結局全部まとめてトップが指示しないといけないのは中間の指揮官の能力と必要の問題かと
数を正面からぶつけるなら大規模にすればいいけれど
細やかな前線の状況に応じた判断と行動が必要なら対応できる指揮官育成と編制がいるかと >>451
https://nikkan-spa.jp/1588394
2019年07月13日
自衛隊に若者が来ない。人手不足で「定年延長」することの大問題
今時の軍隊は人手不足になり易く、より少ない人で効率よく動けるために小部隊化ざるを得ない側面がある。
人手不足で機能不全になりやすい師団より機能する旅団が主流になったのが現状だ。
さらに海外派遣になると、兵站と政治の問題が加えて、小部隊で動くの方が国にとっても色々都合がいい。
非正規戦においてゲリラ側も正規軍の火力を避けるため分散して戦う、それに対して対反乱側も分散するしかない。
他に通信技術の向上も小部隊化を可能にした。
小部隊とはいえ上手く活用すれば正規戦に対応するのも不可能ではないだろう。
実際、太平洋戦争で旅団や連隊単位の戦闘は少なくない
フォークランドになると大隊レベルの戦闘が主体になった。 >>453
ソ連軍は独ソ戦初期に大打撃を被ってから師団規模を縮小したはず。
台湾さんの答えを見る限り、現在では少子化も編制縮小に関連はあるのでは、主たる理由は453の書かれてるとおりだけど。
少子化と用兵の考えがマッチしてるという感じかな 戦略単位を増やすと総兵員に占める後方支援要員の比率が上がるから少子化には不利に働かないか >>456
総力戦考えればそうだけど、今は使う戦略単位そのものも減少してますので。
前線兵力が減れば後方要員も減るという理屈 なんで千切りとみじん切りでみじん切りだと量が減るみたいな主張してるの? 師団か?旅団か?の話題が出ていたので
ロシア東部軍管区で「新たな師団」が復活
https://vostokresearch.jp/?p=388
ロシア地上軍における縦深作戦能力の回復
https://vostokresearch.jp/?p=1197
ロシア軍における師団と旅団の比較検討がされてる
火力集中においては師団が良いようだ ソフトウェア開発における
ウォーターフォール型の開発とアジャイル開発はこのスレ向きの話題だと思う
ちょうどLans氏あたりもそっちの畑の人間だったはずだし >>460
ミス、どっちかというと
これ海・航空・陸上戦考察スレのほうのネタだわ 編制の小型化
まず、この話をするにはWW1まで遡る必要があります。
確かに最初は動員人口がきっかけでした、しかし、その後は人口に関係なく戦訓による小型化が進みました。 全ての始まりに軍事の英国面あり・・・
はい、最初にやったのは大英帝国です。
奴らはWW1初期の大損害により部隊増産の必要性に直面していました。
とはいえ動員人口には限界があります。
そこで行われたのが4単位師団→3単位師団の変更です。
前衛2個、後備(予備)2個を、前衛2個、後備1個に変更したのです。
これにより師団数(運用ユニット数)を確保しました。
その結果、小型師団でも戦闘力では大きな変化がなく、
兵力減で減少した継続戦力も部隊数増加によるローテーションによる回復できる事がわかりました。
さらに小型師団は4単位師団と比べて運動しやすかったと言われています。
この4単位師団→3単位師団は、世界に広まりWW2頃では3単位師団が世界標準になっていました。
キッカケは人口問題でしたが、それ以上に小型化の有用性と優位性が存在していたのです。 次に下位からの小型化を見てみましょう。
例えば、戦車中隊
以前の米軍型中隊は 本部2輌、偵察軽戦車小隊5輌、戦車小隊5輌x3個小隊
つまり22輌もの規模でした。
これに対し小型中隊を指向した軍隊がいくつかあります。
まずソ連。
これは、まあ、WW2初期の大損害で数を揃えられず、否応なしに10輌中隊(重戦車中隊だともっと減る時期もあり)
しかし、理論と実践から中隊数を減らした国があります。
1)英国
また英国です。彼らは1人の指揮官が指揮できるのは3輌、つまり自車+2輌と科学的に分析したそうです。
その結果、3両小隊を取り入れます
2)イスラエル
なんといつも戦争ばっかのIDFです。
こちらも戦争損害が多いので仕方なく小型化したと「誤解」されることもあるそうですが・・・
実戦の戦訓として、ユニット内の戦車数よりも運用ユニット数が多い方が有利に戦えたという中東戦争の戦訓を得ていました。
最初は本部2輌、小隊5輌x3小隊=17輌でした。
これが本部2輌、小隊4輌x3小隊=14輌に、さらに本部2輌、小隊3輌x3小隊=11輌になりました。
これは戦闘間における再編成もしやすかったと言います。
※イスラエル地上軍-機甲部隊戦闘史(ダビッド・エシェル)原書房を嫁 下部の小型化は、解像度が上がったモニターみたいなもんだね
上部だと小さいモニター二枚か大きいモニター一枚かぐらいの比較はあると思うが 装甲(戦車)師団でいうと、ドイツもアメリカも大戦中にダウンサイズしてますね。
これは戦訓による理由もあった。
両軍とも最初の師団編制がでかすぎたというべきだろうけど。 さらにイスラエルに影響され、マニューバ・ウォーフェアに傾倒した米陸軍が続きます。
彼らは冷戦期に旧独軍の生き残りの影響を受け、旅団単位の柔軟運用に進みます。
大隊を自由に組み合わせ旅団規模のTF(タスクフォース)を組む、例のロード師団です。
これは柔軟性を追求した結果、紆余曲折しましたが
結局、柔軟な旅団の組み換えはかえって運用速度の低下を招くというので
固定編制の旅団戦闘団(BCT)を運用単位の主軸とする形で現在にいたります。
(師団は以前の軍団に相当する管理面の強い階梯となりました)
どこも人口や少子化は関係ありません。
あくまでも運用効率と作戦運用の柔軟性を目指した結果です。
これらの変革は70年代から始まり、80年代には基本的方針が固まり、BCT化の動きは00年代には始まっています。
少子化どうこう言われ始める前に、既にこの方向性になっていたのです。
編制史や運用史をみずに、現在の問題点からみると、たまたま少子化と合致しますが、少子化は後から出てきた問題。
そして運よく、この小型化方針が合致しただけです。
みんな、用兵思想をその時、その時で切らず「史」として捉えて分析しようず。
用兵思想じゃなく、用兵思想史 そして、異彩を放つのが労農赤軍です。
彼らは、最初はいやおうなく・・・しかし、戦力が拡充し装備数の心配をしなくなった後に
あくまでも理論(軍事科学)の追求から小型化の道を進みました。 DVDのワーテルローが中盤になったので映画に集中するです。
続きはまた後で。 追記
米のロード師団は、以前の機甲師団のA/B/R戦闘団 方式の直接の継承ではあります。
がこれをペントミック歩兵師団と合わせ、編制の大改革を60年代に行った時に独軍を調査したと言われています。
そして戦後の軍部復権を狙う西独軍や喰うに困った退役軍人もこぞって協力。
なお、ペントミック師団については労農赤軍で書くので、ここはちょい待っててw
(実は関係がある) 英軍は一次大戦前から3単位だったような。旅団3個で師団という あーーー、ごめん4単位→3単位は独軍だ。1918年に変更。 でも冷戦末期の西独逸は激オモ機甲師団もってなかったっけ?
まぁNATOの持ち物だったけどさ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています