特攻機の間違いがネットや本で蔓延している問題。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
まず言うと搭載燃料の間違いが多すぎる気がする、片道燃料とか誰が始めた嘘なんだろう?、特攻機は自信で索敵せにゃならんからだいたい燃料は満タンで出撃する。たくさん燃料積んで焼夷弾として威力上げる目的が主体だけどね、 特攻機の計画で一番恐ろしいのは原爆投下後、報復として感染力重視して生物兵器を特攻機に搭載する計画があった事。 >>1 レイモンド・スプルーアンス中将(第五艦隊司令) 「特攻は非常に効果的な兵器で、我々はこれを決して軽視することはできない。私は、この作戦地域内にいたことのない者には、 それが艦隊に対してどのような力を持っているか理解する事はできないと信じる」 「特攻機の技量と効果および艦艇の喪失と被害の割合がきわめて高いので、今後の攻撃を阻止するため、 利用可能なあらゆる手段を採用すべきである。第20空軍を含む、投入可能な全航空機をもって、九州および沖縄の飛行場にたいして、 実施可能なあらゆる攻撃を加えるよう意見具申する」 「沖縄に対する作戦計画を作成していたとき、日本軍の特攻機がこのような大きな脅威になろうとは誰も考えていなかった。」 ウィリアム・ハルゼー(第三艦隊司令) 「いかに勇敢なアメリカ軍兵士と言えども、少なくとも生き残るチャンスがない任務を決して引き受けはしない」 「切腹の文化があるというものの、誠に効果的なこの様な部隊を編成するために十分な隊員を集め得るとは、我々には信じられなかった」 「情報部から我々に対して、カミカゼが編成されたという警告が送られてきたが、 我々の内大半の者はそれをこけおどしや張子の虎であると受け取っていた」 「少なくとも、(特攻に対する)防御技術が完成するまでは 大兵力による戦局を決定的にするような攻撃だけが、 自殺攻撃に高速空母をさらすことを正当化できる」 ジェームズ・フォレスタル(海軍省長官) 「海軍による沖縄上陸作戦への継続的な支援は困難な業務であり、高価な代償を伴うものであることをアメリカ国民の皆様に理解して頂きたい」 オリバー・P・スミス大将(海兵隊副参謀長) 「バックナー(沖縄攻略部隊司令)には、沖縄近海に展開している海軍が、特攻による甚大な損害に耐えている間に進撃を加速させろという 大きなプレッシャーが加えられていた。」→その後バックナーは戦死 >>1 特攻による撃沈艦 フィリピン戦 護衛空母セント・ロー オマニー・ベイ 駆逐艦アブナ・リード マハン レイド 輸送駆逐艦ワード 掃海駆逐艦ロング 駆潜艇744号 掃海艇パルマー ハビ 魚雷艇PT-323 PT-300 戦車揚陸艦LST-472 LST-738 LST-460 LST-749 LST-1075 中型揚陸艦LSM-20 LSM-318 輸送艦ウィリアムSラッド リューイスLダイチ ジョンバーク 歩兵揚陸艇 LCI1065 雑役特務艦 ボーキュバイン 艦隊曳船ソノ 以上25隻 硫黄島戦 護衛空母 ビスマルク・シー 1隻 >>1 沖縄戦 駆逐艦ブッシュ コルホーン マナートLアベール ピリングル 駆逐艦ルース モリソン リトル キャラハン トゥィッグス 駆逐艦オバーレンダー ドレクスラー ウィリアムDポーター 輸送駆逐艦ディカーソン ベイツ バリー 掃海駆逐艦エモンズ 掃海艇スワロー 戦車揚陸艦LST-447 LST-675 中型揚陸艦LSM-59 LSM-135 LSM-190 LSM-194 LSM-195 上陸用舟艇援護艦 LCS-15 LCS-33 輸送艦 ローガンビクトリー ホッブスビクトリー カナダビクトリー 合計29隻 護衛空母がある分フィリピンの戦果が見栄えするが フィリピンでは駆逐艦 輸送駆逐艦 掃海駆逐艦で5隻だけど沖縄では16隻と3倍以上になっとる あと護衛空母サンガモンや駆逐艦ヒューwハドリやニューコムみたいにスクラップとして売る為に わざわざアメリカまで持って帰ったガラクタも沖縄戦の方が多い 米軍以外 プーケット沖 英軍掃海艦ヴェステル 占守島 ソ連軍掃海艇KT-152 総合計57隻 >>1 特攻機が狙った目標を目ざして、冷静かつ事前に立てた計画に従って急降下する光景は、アメリカ軍水兵に大きな衝撃を与え、太平洋戦域の連合軍兵士にパニックを引き起こした。 このように特攻の効果は、艦船の撃沈、撃破といった物理的な効果に加えて、アメリカ海軍を主体とする連合軍兵士に、多数の死傷者や精神疾患といった多大な人的損失をもたらした。 連合軍の艦船は、たった1人の死を顧みない攻撃によって数百名以上の人員が危険に晒されており、 「日本軍の機体とパイロットが100%失われたとしても、我々が耐えられない損害を当たえるのに十分だったであろう。」と評価していた。 特攻による連合軍の人的損失の研究で数字が異なる。戦死者8,064名負傷者10,708名合計18,772名とする説、戦死者12,260名、負傷者33,769名とする説などがある。 アメリカ軍の公式記録等の調査から、特攻によるアメリカ軍の戦死者6,805名負傷者9,923名合計16,728名とする説、戦死者7,000名超とする説などがある。 一方で、「(公財)特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によると、航空特攻による日本軍の戦死者は、海軍2,548名、陸軍1,355名、計3,903名であり、 戦死者であれば2倍前後、死傷者では4倍以上という損害を連合軍に与えており、特攻のように、味方が失った人命より敵の死者の方が多いという例は、太平洋戦争においては稀であるという指摘もある。 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55270?page=4 >>1 レイテ沖海戦のスリガオ海峡戦で西村艦隊撃破の立役者セオドア・E.チャンドラー少将はその後の リンガエン湾の戦いで、旗艦重巡ルイビルに特攻機が命中、大火傷を負って苦しみながら死んだ http://pwencycl.kgbudge.com/C/h/Chandler_Theodore_E.htm 第56駆逐艦隊旗艦として山城に僚艦を率いて突入し1発の魚雷を命中させた駆逐艦ニューコムも 続く沖縄戦での菊水作戦で5機の特攻機に命中されてスクラップになった http://destroyerhistory.org/fletcherclass/ussnewcomb/ >>1 レイテ以降の航空特攻によるアメリカ軍空母部隊の特攻による損傷艦と死傷者 アメリカ海軍の20隻の正規空母・軽空母の内、特攻で損害を受けた事のない艦はたった4隻であり、ほとんどの空母が特攻の手荒い洗礼を受けたことになる 【第58任務部隊第1群】[TG58.1] ワスプ 1945年3月19日九州沖航空戦で大破 戦死者101名 負傷者269名 ベローウッド 1944年10月30日フィリピン戦で大破 戦死者92名 負傷者56名 サン・ジャシント 145年4月6日沖縄戦で損傷 戦死者1名 負傷者5名 【第58任務部隊第2群】[TG58.2] レキシントン 1944年11月5日フィリピン戦で大破 戦死者50名 負傷132名(沖縄戦開始時は本土で修理中) エンタープライズ 1945年4月11日及び5月14日、沖縄戦で損傷と大破、合計戦死者18名 負傷者86名 ランドルフ 1945年3月11日ウルシー環礁で中破 戦死25名 負傷者106名 フランクリン 1944年10月30日フィリピン戦で大破 戦死者56名 負傷者14名 【第58任務部隊第3群】[TG58.3] タイコンデロガ 1945年1月21日台湾沖で大破 戦死者144名 負傷203名(沖縄戦開始時では本土で修理中) エセックス 1944年11月25日フィリピン戦で中破 戦死者15名 負傷者44名 ハンコック 1945年4月7日沖縄戦で大破、戦死者62名 負傷者71名 バンカーヒル 1945年5月11日沖縄戦で大破、戦死者402名 負傷者264名 カボット 1944年11月25日フィリピン戦で損傷、戦死者36名 負傷者16名 バターン 1945年4月18日沖縄戦で損傷、戦死者9名 負傷者50名 【第58任務部隊第4群】[TG58.4] イントレピッド フィリピン戦1944年10月30日損傷、1945年11月25日大破、九州沖航空戦1945年3月18日損傷、沖縄戦1945年4月16日大破、戦死者合計97名 負傷者236名 ラングレー 1945年1月21日台湾沖で損傷 【第58任務部隊第5群】[TG58.5]※硫黄島戦時に編成 サラトガ 1945年2月21日硫黄島戦で大破、戦死者123名、負傷者192名(沖縄戦開始時は本土で修理中) >>1 ★米軍の特攻に対する最終的な公式評価 UNITED STATES STRATEGIC BOMBING SURVEY SUMMARY REPORT (Pacific War)より 日本軍パイロットがまだ持っていた唯一の長所は、彼等パイロットの確実な死にを喜んでおこなう決意であった。 このような状況下で、かれらはカミカゼ戦術を開発させた。 飛行機を艦船まで真っ直ぐ飛ばすことができるパイロットは、敵戦闘機と対空砲火のあるスクリーンを通過したならば、目標に当る為のわずかな技能があるだけでよかった。 もし十分な数の日本軍機が同時に攻撃したなら、突入を完全に阻止することは不可能であっただろう。 従って、日本軍の機体とパイロットが100%失われたとしても、我々が耐えられない損害を当たえるのに 十分だったであろう。 1944年10月から沖縄作戦終了まで、日本は2550機のカミカゼを飛ばし、うち475機18.6%が有効で、確実に命中あるいは至近弾効果となった。 空母12隻、戦艦15隻、16隻の軽空母・護衛空母を含むあらゆる艦種の軍艦が損害を受けた。 沈没艦で護衛空母より大きい艦はなかった。およそ45隻が沈没したが、その多くは駆逐艦だった しかしアメリカが被った実際の被害は深刻であり、米軍に深い懸念をもたらした。 その為延べ2000機のB29が日本の都市と産業への直接攻撃から、九州のカミカゼ飛行場を攻撃する為に振り向けられた。 日本がより大きな打撃力で集中的な特攻攻撃を持続し得たなら、 我々を撤退させるか若しくは戦略計画を大きく変更させ得たかもしれない。 http://marshall.csu.edu.au/Marshalls/html/WWII/USSBS_Summary.html 特攻は米軍を撤退寸前まで追い込んだと米軍自分が認めていたのだ >>1 素人の練習機でも戦果を挙げられるのが特攻 終戦直前の7月29日に93式中間練習機7機で編成された「第3龍虎隊」が宮古島から出撃、 「第3龍虎隊」は2日にわたってレーダーピケット艦を攻撃し、突入した7機で駆逐艦の「キャラハン」を撃沈し、 「カシンヤング(駆逐艦)(英語版)」を大破させて、「プリチェット(駆逐艦)(英語版)」と「ホラス・A・バス(輸送駆逐艦)(英語版)」を損傷させた。この4艦で74名の戦死者と133名の負傷者が生じた。 わずか7機の93式中間練習機に痛撃を被ったアメリカ軍は、練習機での特攻を脅威と認識、効果が大きかった要因を以下のように分析し、高速の新鋭機による特攻と同等以上の警戒を呼び掛けている 1、木製や布製でありレーダーで探知できる距離が短い。 2、近接信管が作動しにくい(通常の機体なら半径100フィート(約30m)で作動するが、93式中間練習機では30フィート(約9m)でしか作動しない)。 3、対空火器のMk.IV20mm機関砲は、エンジンやタンクといった金属部分に命中しないと信管が作動せずに貫通してしまい効果が薄い。ただし、ボフォース 40mm機関砲は木造部分や羽布張り部分でも有効であった。 4、非常に機動性が高く、巧みに操縦されていた。 アメリカ側は練習機や水上偵察機や九九式艦上爆撃機の様に、通常攻撃ではアメリカ軍艦艇に打撃を与えることが不可能となっていた、低速機、複葉機、旧式機などが、特攻では戦果を挙げていることを見て 「特攻は、複葉機や九九式艦上爆撃機のような固定脚の時代遅れの航空機でも作戦に使用できるという付随的な利点があった」と評価している。 >>1 【特攻に行かせた人たち正解編】 宇垣纏: 昭和20年2月10日付で第五航空艦隊司令長官に着任し、終戦まで沖縄方面の特攻作戦を指揮。 8月15日の午後、ポツダム宣言受諾の玉音放送後、独断で彗星11機を引きつれ沖縄に特攻出撃。若い将兵16名を道連れに死亡。 なおポツダム宣言受諾後に正式な命令もなく特攻を行ったため正式な特攻とは認められていない。連合艦隊司令長官小沢冶三郎も命令違反行為として語気鋭く批判している。 しかし、靖国神社には合祀されており、遊就館にも遺品が展示されている。なお僚機については「宇垣は自分が突入する機のみに出撃を命じたが、同行を望む隊員に対して押しとどめられずともに出撃した」とする説もある。 寺本熊市: 「陸軍航空の父」と呼ばれたほど、日本陸軍航空隊の育成に尽力。 太平洋戦争開戦時には「よくもよくも米国を相手にしたものだ。あちらは種を自動車でバラ撒いただけで、ほっておいても穀物の出来る国だ。 その上、石油はある、資源はある、第一次大戦以来、連合国数カ国の台所を賄ってきた国だ。国力を侮ったらいかん。しかし決まってしまった以上は天子様にお仕えするだけだ。」 と戦争の先行きに警鐘を鳴らしていたが、寺本の予言通りアメリカの圧倒的物量に対し日本軍は圧倒されて、 本土付近まで連合軍が迫ってきた。沖縄戦が開始された1945年4月には陸軍航空本部長として陸軍の特攻を指揮することとなったが敗戦を迎え、終戦直後に「天皇陛下と多くの戦死者にお詫びし割腹自決す」という遺書を残して、古式通りの作法に則って割腹自決。 大西瀧冶郎: 昭和19年10月17日に第一航空艦隊司令長官としてフィリピンに赴任。レイテ海戦の際に爆装した零戦隊を特攻出撃させる。 本人は特攻について統率の外道と否定的に考えていたが、周囲からは航空特攻の生みの親とされている。 その後軍令部次長となり、終戦まで海軍特攻の総指揮を執る。 最後には自ら出撃するという強い意志であったが、終戦でそれもかなわなかったため、その翌日、特攻隊員たちに対する感謝と謝罪の旨を記した遺書を残し、官舎にて割腹自決した。 介錯も治療も拒否し、なるべく長い時間苦しむように自決方法に割腹を選んでいる。 戦後は大西の遺志を継いだ妻淑恵が特攻隊の慰霊行脚を行った。 >>1 伊藤整一: 各種特攻兵器開発開始を日本海軍が組織決定したときの軍令部次長、その後、第二艦隊の司令官を拝命し、沖縄戦で戦艦大和を主力とする第一遊撃部隊を率いて沖縄に海上特攻した。 伊藤は連合艦隊からの、「一億総特攻の魁となっていただきたい」という命令を受け入れたが、予備士官69人を出撃前に大和から降ろし、また大和が米軍艦載機の集中攻撃で沈没寸前の状況に陥ると作戦中止を命令し、自らは長官室に入って大和と運命をともにした。 伊藤の作戦中止の命令により、第一遊撃部隊は全滅を逃れ、雪風(駆逐艦)など4隻の駆逐艦が生還し3,000人の命が救われた。伊藤の息子伊藤叡中尉も沖縄戦の特攻で戦死している。 有馬正文: 第二十六航空戦隊司令官、「日本海軍航空隊の攻撃精神がいかに強烈であっても、もはや通常の手段で勝利を収めるのは不可能である。 特攻を採用するのはパイロットたちの士気が高い今である」と航空特攻を早くから提唱、台湾沖航空戦のさいに 「司令官以下全員が体当たりでいかねば駄目である」「戦争は老人から死ぬべきだ」と述べて、参謀や副官が止めるのも聞かず司令自ら一式陸上攻撃機に搭乗して初の航空特攻を行うため出撃し戦死。 他の軍高官が占領地で美食にふけるなかで、有馬は兵士らと同じ粗食を食するなど高潔な人柄で部下将兵に慕われた。 城英一郎: 1943年6月に特攻隊の構想をまとめ、上申するも一旦は「意見は了とするがまだその時ではない」と却下される。 そのあとも熱心に航空特攻の開始を上申したが受け入れられず、結局、航空特攻は城の上申を却下した大西によって開始されることとなった。 その後にレイテ沖海戦では空母千代田の艦長として囮作戦に参加、任務を完遂したのちに米海軍艦隊に捕捉され、千代田と運命をともにした。 >>1 隈部正美: フィリピンで陸軍航空隊の特攻を指揮した第4航空軍参謀長であったが、フィリピンで同軍が壊滅したため、その後は閑職に更迭されていた。 第4航空軍参謀在籍時に司令官の富永恭次を台湾に撤退させるため「参謀本部から撤退の命令が出た」と虚偽の報告をして、結果的に敵前逃亡に等しい退却となったのを悔いており 終戦直後に母親、妻、2人の娘と心中した。 心中は、娘が小さいころから習ってきたバイオリンを奏でる中で、隈部が家族をひとりひとり拳銃で射殺し、最後に隈部が拳銃を自らに撃ち込み自決した。 作家の高木俊朗に不倫していたとかあることないこと書かれて遺体蹴りされるかわいそうな人 親泊朝省: 大本営報道部部長、内閣情報局情報官。主に国民や報道機関に戦況を知らせる責任者として、悪名高い大本営発表で過大な戦果を広報して国民を煽り続けた。 特に沖縄戦における特攻では4月16日までに「特攻により393隻を沈没もしくは大損害を与えたが、そのなかには21隻の空母、19隻の戦艦、16隻の戦艦または大型巡洋艦、 26隻の大型軍艦、55隻の巡洋艦、53隻の駆逐艦が含まれ、巡洋艦以上の大型艦85隻を含む217隻は撃沈確実である」「沖縄海域の敵艦船の60%はすでに沈没したか傷ついた」などと過大な戦果発表を行って、特攻隊員ら将兵や国民を煽り判断を狂わせた。 親泊は陸軍士官学校を主席で卒業した秀才ながら、前線で戦うことを好み、嘘の過大戦果報告をしなければいけないこの任務で「軍の機密保持のため、実際の戦況を国民に報道することが出来ないのは残念だ。 心の中では申し訳ないと詫びつづけている。ほんとうに辛い職務だ」と悩み続けていたという。 終戦後に後処理を律儀に終わらせたのち、8月20日に自宅で妻子と自決。親泊と妻女は拳銃で自決、10歳の長女と5歳の長男は青酸カリで自殺したが、家族4人が枕を並べてきちんと姿勢を正した状態で発見されたという。 親泊はフィリピン決戦前に国民を煽るために作曲された「比島決戦の歌」で西条八十の作詞に、曲のサビとして「いざ来いニミッツ、マッカーサー出てくりゃ地獄に逆落とし」というパワーワードを加えたことでも知られている。 小林巌: 航空総軍兵器本部で陸軍特攻兵器の開発を担当した責任者、戦後に手榴弾で自爆した。 >>1 水谷栄三郎: 陸軍技研爆弾関係部長兼審査部員、主に陸軍特攻機の搭載爆弾やその爆装についての研究開発を行った責任者。 大本営の命令とはいえ特攻機の開発を行ってきたことの責任を果たすために8月15日の深夜に研究・開発に従事してきた福生飛行場(今の横田基地)で拳銃自決、水谷の遺書により遺体は飛行場に葬られた。 加藤秀吉: 練習機「白菊」で特攻した海軍高知航空隊司令官、戦後に責任を感じて自決しようとする加藤を、そうはさせまいと部下が拳銃や軍刀を取り上げたが、部下の隙をついて井戸に身投げして自決した。 岡村基春: 日本軍における戦闘機搭乗員の第一人者の1名、その卓越した操縦技術は「岡村サーカス」などと呼ばれた。 早くから航空特攻開始を提唱し、自分をその指揮官にしてほしいと懇願。 懇願かなって人間爆弾「桜花」を運用する「神雷部隊」の指揮官を拝命。 桜花の初陣の日に、桜花隊の護衛戦闘機を希望の機数準備してもらえなかったので、飛行隊長の野中五郎少佐に「自分が代わりに出撃する」と命じるも、野中から「そんなに自分が信頼できませんか、ごめん被ります」と拒否されている。 野中隊は敵艦隊に接触できすに全滅、岡村はその報を聞くと大声で嗚咽したという。 その後も桜花や通常の特攻機を送り出したが敗戦。戦後は進駐軍から皇族を護持する「皇統護持作戦」にも関わったが、皇室は存続したので、その後は復員省で部下の復員と故郷への帰郷を支援しながら、 休みには自費で特攻隊員の慰霊巡りを行った。戦後処理の目途もついた1948年に最初に特攻を上申した千葉で線路に飛び込み鉄道自殺を遂げた。 藤井権吉: 陸軍飛行第66戦隊戦闘隊長。第66戦隊は沖縄戦で主に鹿児島の万世基地より、 「99式双発軽爆撃機軽爆撃機」を主戦力として、特攻及び艦船攻撃や沖縄飛行場爆撃などの特攻支援任務につき69人の戦死者を出した。 終戦後に戦闘隊長の藤井は妻子が疎開していた黒部市に向かい、8月26日に黒部で妻子とともに拳銃で自決した。 義父に充てた遺書には特攻を推進した陸軍第6航空軍司令部への批判と、勝機を逃して余力を残したまま降伏した政府に対しての不満が記してあった。 >>1 林野民三郎: 下志津陸軍飛行学校教官およびテストパイロットとして陸軍特攻隊員の育成と航空機開発に携わる。 終戦直後に多数の教え子を特攻で死なせた責任をとって割腹自決。 大石小学校(2001年閉校)通学時に作詞した故郷の岩手県の唐丹湾大石浜を詠った「大石賛歌」という唱歌が伝わっている。 橘健康: 陸軍航空隊第29戦隊戦闘班長、同隊は1945年から台湾を基地として「四式戦闘機(疾風)」で特攻機の直掩を行っていたが、途中からは戦隊自ら特攻を行った。 橘は当初は直掩任務につき多くの特攻機を見送ったが、最終的には自ら特攻に志願し隊長として出撃する予定であった。 しかし、出撃前に終戦となったため、多くの特攻機を見送ったことと、自ら出撃できなかった悔恨により、愛機の「疾風」のコックピット内で拳銃自決した。 黒木博司・仁科関夫: 人間魚雷「回天」の提唱者。「必死の戦法さえ採用せられ、これを継ぎゆくものさえあれば、たとえ明日殉職するとも更に遺憾なし」と自ら「回天」に搭乗して特攻することを志願。 志願通りに回天隊員となったが、黒木は訓練中に事故に遭遇、海底に着底し酸素が薄れ行く回天の中で取り乱すことなく、意識を失うまで事故の原因や遺書を艇内に書き残し殉職。 仁科は黒木の遺骨を抱いて、初の回天作戦に出撃し、大型タンカーに特攻してこれを撃沈して戦死した。 中原一雄・長島良次: 徳島海軍航空隊、練習機「白菊」特攻隊士官、両名とも学徒出陣の予備士官であったが、 戦友や部下らの多くが特攻で散華したにも関わらず、出撃することなく終戦を迎えたことに責任を感じて、徳島空の部下らの復員を見届けたのちに、 お互いに航空機銃を相手に向けて撃ち合うという壮絶な自決を行った。 海上自衛隊徳島教育航空群の徳島基地には両名の慰霊碑が建立されて、今日でも生徒らにより定期的に清掃が行われている。 >>1 国定謙男: 第12連合航空隊参謀、三重海軍航空隊教官、練習連合航空隊参謀など搭乗員の育成関連の軍務を歴任し、多くの特攻隊員を育成。 終戦前には軍令部参謀となり、特攻推進派の軍令部次長大西の下で主に沖縄戦や本土決戦の戦備関係の軍務に就いた。 国定が育てた搭乗員の多くが特攻隊員として戦死しその責任を痛感していたとのことで、終戦後に妻と子供と一緒に自決した。 小野寺謙介: 陸軍航空士官学校で、多くの陸軍航空士官を育成、育成された航空士官の多くが特攻隊として散華。 終戦後にとある寺に「自分達将校は作戦を誤ったばかりに、こんな惨めな敗戦となり、上は天皇陛下の宸襟を悩まし奉り、国民には惨めな敗戦の苦痛を味あわせ、今は死をもって御詫びする以外にないと立ち至りました。どうか自決の場所に境内の一角をお貸し頂きたい」と訪れた。 その寺の住職は懸命に思いとどまるよう説得するも小野寺の意志は固く、自決を応諾せざるを得なかったという。 小野寺は墓地の一角でパラシュートを下に敷いて割腹自決を遂げた。 藤井一: 熊谷陸軍飛行学校の少年飛行兵の教官として特攻隊員を育成したが、自分も教え子たちと一緒に特攻出撃したいと考え特攻志願。 しかし陸軍は藤井が教官であることや、新妻と幼子がいることから志願を却下、それでも諦めずに何度も志願する夫を見て、 妻が「私たちがいたのでは後顧の憂いとなり、十分な活躍ができないと思いますので、一足先に逝って待ってます。」と遺書を遺して子供と心中。 悲嘆に暮れる藤井は志願書を血書で提出。事情を知った陸軍はようやく藤井の志願を受理し、藤井は教え子たちと沖縄に突入して戦死した。 >>1 富永恭次陸軍中将: 特攻隊員は大事にしたので特攻隊員からの信頼は厚かった。 特に「不死身の特攻兵」「9回特攻から帰った特攻隊員」として名高い佐々木友次伍長を可愛がり、佐々木も死ぬまで感謝してた。 台湾への撤退は上部組織第14方面軍武藤参謀長からの提案だった。 ちなみに富永は下戸なんでウィスキーは飲まないし、乗った飛行機は複座の99式襲撃機なんで芸者が乗るスペースなんてない 富永が無断撤退の責任を取らされて司令官を解任されていたときに、長男が親父の汚名を返上したいとして特攻で散華 シベリアから帰国後はシベリア抑留者解放のために国会で証言するなど頑張った。 菅原道大陸軍中将: 海軍の宇垣中将が部下を連れて特攻出撃したのを聞いた陸軍の特攻隊員が「閣下も我々と出撃しましょう」と詰め寄ったが、 菅原は天皇の停戦命令を守り無駄な死は防ぐという決意から「否」といい放ち、特攻隊員の戦後の無駄死にを防いだ。 のちに作家高木俊明がこの件で、散々菅原から資料提供を受けていたのにも関わらず、 菅原がおろおろと命乞いをしたみたいな嘘ばっかり書いたので、呆れて以降の資料提出を断ったら 更に嘘ばっか書かれてしまい事実無根の悪評が広まった。 しかし、関係者が高木に抗議すべきと言うと、菅原は笑って「高木俊明にはあることないこと書かれたよ」と笑って流していたという。 もっとも熱心に特攻隊員の供養を行った人物で菅原がいなければ知覧などの特攻平和観音はなかった。 倉澤清忠陸軍少佐: 特攻隊員に地元OLとのお茶会(今でいう合コン)をさせたり女子高生の慰問を受けさせたり福利厚生に力を入れていた。 一部反抗的な特攻隊員に強く指導したら、逆恨みされて話を膨らませて大げさに言われた。 ちなみに、振武寮が隔離施設とか言ってるのは大貫妙子の親父とかわずか数人だけ 面白おかしく語られる拳銃を持って特攻隊員の復讐に備えていたという話は晩年に痴呆が入ったときの証言で 警察署に届けたが銃刀法違反にならなかったなどとそもそも設定がガバガバなので痴呆ゆえの幻覚だったと思われる 戦後に、ガンを何回も発症して衰弱している状況で、ルポライター林えいだいの取材を受けたきさくな人 しかし林えいだいに針小棒大に著書に書かれてそれがネットで流布されて悪評が定着した気の毒な人 >>1 玉井浅一大佐: 特攻隊の供養のため仏門入り、自ら特攻隊員に指名した関大尉の母に土下座して泣いて詫びて許してもらった。 自分が出撃を命じた特攻隊員の名前は全員記憶しており、厳冬期まで1日も欠かさず、 水垢離をしながら記憶している全特攻隊員の名前を諳じ続けるという荒行を続けたが、ある日に水垢離の途中で心臓マヒで死亡。 黒島亀人海軍少将: 各種特攻兵器の立案者みたいなことを言われるが 人間魚雷「回天」の進言は黒木大尉、仁科中尉ら現場から出たもので、黒島ら軍令部は逆に脱出装置の設置を指示したが、 現場から、開発に時間がかかると逆に反対されてしまい、脱出用ハッチの設置だけになってしまった。 戦後は国からも放置プレイされて誰も面倒みなかった軍神山本五十六の奥さんの面倒を見ている。 太田正一特務少尉: 体当たりグライダーを思い付いて開発を東大研究室などに開発提案したとあるが、 海軍では殆ど権限がない兵卒上がりの特務少尉の単なる下っぱで桜花の開発は 後の桜花部隊司令官岡村大佐や軍令部の主導で進められた。 桜花を運用した神雷部隊に編入され自分も桜花での特攻を希望したが、 運動神経が鈍く操縦士試験に不合格となって、神雷部隊からは更迭された。 その後は精神不安定になって自殺も警戒されて軟禁されていたが、 終戦時に自決するといって練習機で飛び立つも幸運にも海上を漂ってるところを救助。 そのあとは精神状態も安定し、無戸籍のまま生活、老境に入ったときに昔のことを思い出して自殺未遂を起こし、 またまた命は助かったが、体は弱ってしばらくして死亡した。 神雷部隊で桜花特攻を指揮した岡村は戦後に責任を取って自殺 >>1 神業レベルであった大戦初期〜中期の日本軍空母艦載機による雷撃 珊瑚海海戦 攻撃雷撃機数18機 命中2発 命中率11% ミッドウェー海戦 攻撃雷撃機数10機 命中2発 命中率20% 南太平洋開戦 攻撃雷撃機数49機 命中3発 命中率6.1% マリアナ沖海戦 攻撃雷撃機数50機 命中0 命中率0 特攻 フィリピン戦 攻撃特攻機数376機 命中120機 命中率31.9% 硫黄島戦沖縄戦4月 攻撃機数408機 命中96機 命中率23.5% https://www.history.navy.mil/research/library/online-reading-room/title-list-alphabetically/a/anti-suicide-action-summary.html >>1 特攻が有効だったなんて軍板の常識だろ今さら何いってんだカスゴミ 特攻隊は愛国心より守るべき者の為に死んだんだよなー。 >>256 「世間一般に間違ったイメージが広がってるから」ってことだろ。 特攻が有効だったのが軍板で常識なのはお前が言わなくても皆知ってる。 今更>1にケチつけて何がしたいんだよ、鼻くそ以下のごみカス。 特攻機の計画で一番恐ろしいのは原爆投下後、報復として感染力重視して生物兵器を特攻機に搭載する計画があった事。 >>256 あれの負の評価は人間を誘導装置に使う、その1点に尽きる 戦術としての有効性を語る以前の問題 それ言ったら、艦攻や艦爆だって最適な射点に機体を持って行くまで人間を誘導装置として使っている 一緒じゃね? 艦爆や艦攻の通常攻撃は九死一生。大戦後期になると生還は極度に困難だが、それでも生き残るチャンスはある。 特攻は十死零生。出撃=死。 >>256 他に有効な戦術があるのに「特攻」なんかやらせるのがおかしい。 >>263 特攻は攻撃成功=死なのが大問題だが 出撃=死ではないだろ、索敵失敗や機体不調で 攻撃できなければ普通に帰ってくるわけだし >>268 そういう奴は死ぬまで出撃させるから、自爆でいいから死ねってヤツだ 具体例出さないとそりゃ忘れるでしょ 理論上は特攻専門機以外全部脱出可能なんだし 連投してすまないが脱出可能特攻機は陰がそんなに薄いか?、梅花 桜花43乙型 伊-400型さえ有れば世界初の潜水艦搭載型ジェット機桜花43甲型やら有るのに。 >>275 43乙型は発射基地と機体完成してるし、(43乙型用のジェットエンジンの希少金属てどうやって用意したんだろう?)、43甲型は母艦不足、梅花は完成間近、まじで実績無いなー >>275 43乙型は発射基地と機体完成してるし、(43乙型用のジェットエンジンの希少金属てどうやって用意したんだろう?)、43甲型は母艦不足、梅花は完成間近、まじで実績無いなー >>270 あるよ。無意味な艦艇攻撃は止めて、上陸した陸上兵力の攻撃に徹するんだ。 >>271 アホかw それなら特攻帰りなんてのがゴロゴロ生きてるわけないだろw 末期はパイロットの即席育成で下手糞パイロットは腐るほど居たが特攻に使える機体が足りない 何度も戻ってくるような奴を続けて乗せてる余裕なんかねぇんだよ 実際特攻隊基地は出戻りパイロットが溢れかえって近くの旅館を借り切って押し込んでる有様 >>281 > アホかw > それなら特攻帰りなんてのがゴロゴロ生きてるわけないだろw 横レスだがバカはお前だ 戦後、少なからずいた「特攻帰り」なんて言ってた連中のほとんどは単なる箔付けで「特攻帰り」と言ってるだけの自称で特攻になんか行ってない 本当に特攻へと出撃して何らかの理由で生きて戻ってきた人間は自分で特攻帰りなんてまず言わんよ 機体の故障などで已むを得ず帰ってきたのでも一緒に出撃して死んだ仲間に自分だけ生き残って申し訳ないという気持ちがある ましてや自分の意志で逃げ戻ったのならば恥ずかしくて人には言えない、家族にだってそうそう言えない 人間というのはそういうものだ 本当に特攻に行ったのに特攻帰りと自分で言ってたのは「特攻という戦法そのものが完全に間違っている」と考えていた余程強い信念の持ち主だけだ そんな精神的に強い人間は世の中にホンの一握りしかいないし、そういう特攻を否定していた信念の人でさえ戦後には特攻に関して口を噤んだのも少なくない 残りの「特攻帰り」は特攻知らずの単なる自称、ホラ吹きだよ、有名人で言えば鶴田浩二のような自分を実際より大きく見せたい奴のホラに過ぎない もっとも人と付き合うことのないヒッキーのミリオタには人間の気持ちというのは理解できないかも知れないが >>284 馬鹿が露呈したら指摘者を馬鹿呼ばわりかww お前の無知はダラダラ長い幼稚な感想文でわく分かるw 特攻が飛んだら戻ってこないて妄想が元にあるから戻ってきたら恥ずかしいと思うんだよw 基地の近くの旅館で出戻り集められて押し込められてたら恥ずかしいなんて思うわけ無いだろ 故障も敵を発見できずに戻るのも恥ずかしくも何とも無い運の話なんだからな 恥ずかしいなんて思って黙ってるのはワザとエンジン壊して戻った奴くらいなんだよ 運無く突入を果たせず戻っても載る機材も無く終戦を迎えた多数のパイロットの証言を 馬鹿にしてる恥知らずがお前w 無知って怖いなあ、最近でも「不死身の特攻兵」とか出版されてるのに 宇垣特攻ってなんでああも糞味噌言われるんだろう 戦後、しゃあしゃあと生き恥さらした将官共に比べたら遙かに潔い最後だろうに 道連れどうのって、当時のきわどい異常ななかでの心境を後世の平和な世の 人間がとやかく言うべき資格は無いって、当時の搭乗員の生き残りの方でも そう言っておられるんだが 潔く散った武士の魂を持つ男だとも言えるし、 部下を道連れにしたクソ上官とも言える どちらか片方にしてしまう必要はないだろうよ 海岸に墜落したっていうのがダメだな なんか敵艦に命中してれば 水上機母艦に命中したという説もあるらしいが 本人はただ同乗しただけなんだから当たらなかったなんてのは当人とは何の関係も無い話だけどな 曲がりなりにも航空機の教練に参加して技能持ちだった大西とは違って何もできないお客さんだし 特攻については、戦争知らない世代が批判するのはおかしいやろ、当時の何も情報がなく無差別殺戮が繰り返され何時何時死ぬか解らない、極限状態だったんだから、 >>292 歴史は現代の私達には滑稽に見えるモノが沢山あるだろうけど、それが当時の人達の最適解な訳やし、歴史を批判するのではなく 歴史的にその判断はどうなったか、どのように成功 失敗したかを糧に未来に繋ぐべきと私は思う、 >>293 現代の私達に歴史をどうこう言う資格は無い、歴史の荒波に生きた人達を忘れない様にし未来に先人の経験を繋いで行く事が大切だと思います。 浮沈突火点って特攻兵器ということでいいのか? 伏龍よりかは効果的な攻撃が出来そうだけど、海軍は何故か拒否ったらしい >>295 艦底ぶち抜くのに良さそうやな、自立行動できないから特攻兵器として資源が割けなかったんだろうなー、 「軍は常に最適解を選ぶ」っていかにも軍オタのはまりそうな誤謬やね >>297 マトモな軍人なら特攻より本土決戦を選ぶはず。 >>298 > マトモな軍人なら特攻より本土決戦を選ぶはず。 正気の軍人ならば特攻も選ばないしましてや非戦闘員を無制限に巻き込む本土決戦なんて選ばない どちらか1つでも選ぶ軍人は己らの面子のために無駄に部下や一般国民を死なせるだけの狂人か単なる馬鹿だよ マトモな軍人ならば勝ち目が全く無くなった時点で戦争終結すべきだ(つまり降伏すべきだ)と政府に対して提言する 大東亜戦争の場合にはマリアナ沖海戦で敗北した時点で勝ち目が全く無くなって一方的に攻撃を受ける道しか残らないと判断できたので まあ実際には最初から勝ち目ゼロだから最初から戦争するのは間違い以外の何物でもなかったのだが 何しろ工業生産力が1桁上のと喧嘩して勝負になるわけがないからね そして実際にも工業生産力の桁違いの差が戦争が進めば進むほど大きく利いて来た アメリカが戦争回避不可能にした時点で、最後まで日本上層部は戦争回避模索していたし、最大限日本で譲歩できる所まで説明している、アメリカの要求により、日本は戦争するか永遠に近い資源制裁で国民が死んで行くのお 見届けるか、この二択しか残らなかった時点でね >>292 戦争知らない世代が擁護する方がもっとおかしい 下っぱに命じておいて上級はのうのうと優雅に生きてたんだから >>299 >まあ実際には最初から勝ち目ゼロだから最初から戦争するのは間違い以外の何物でもなかったのだが 大陸打通作戦は大勝利だが? なお大陸打通作戦の実態については「ゼロの進軍」を参照のこと >>302 腹切ったり、首吊られてる時点で……、貴族だって万歳突撃してたし、全ての上層部が当てはまる訳やないやろ、無能無能言われる補給系だってやれる事に比べれば頑張ってた訳やし、 >>300 上層部大体3年持てばいい方って見解やで、敵に打撃与えて講和する計画だったが講和派が……… >>302 >下っぱに命じておいて上級はのうのうと優雅に生きてたんだから 大陸打通作戦で大勝利したのだから当たり前だ。 >>298 本土決戦で特攻するんだよ >>301 ヒロポン漬けはナチ ナチのシャブ浸けはEU公式見解だった、ということは現在のドイツも認めてるということ EUの薬物研究機関EMCDDAが2009年に発表したメタンフェタミンに関する報告書です。 『メタンフェタミン―世界の状況のなかでのEUの見解』というこの報告書の最初に、メタンフェタミン問題の歴史的な概観がまとめてあるのですが、そこに次のような記載があります。 「1938年にベルリンに本拠を置くTemmler製薬会社はPervitinという商品名でメタンフェタミンの生産を開始した。 第二次世界大戦の間、戦闘能力を亢進させ集中力を高めるために、ドイツ軍ではPervitinが広く配布され、「パイロットのチョコレート」「パイロットの塩」と呼ばれた。」 [出典] EMCDDA–Europol joint publications Methamphetamine:A European Union perspective in the global context1 米英がドイツ打倒第一主義と称して対日戦争の扱いを小さくすれば、対日戦争オンリーの中国が惨めになるだけ。 お ま け の そ の ま た お ま け 冷戦時代に中国と中国人が欧米ソからどんな扱いにされようが、日本にとっては関係無いから! そんなにgoodな作戦なら 何でww2以降の他国は「カミカゼ」を正式採用しなかったのか?という問題。 186 デフォルトの名無しさん 2018/11/14(水) 03:04:54.70 ID:mozvI8wi 属人的⇔普遍的 ローカルルール⇔デファクトスタンダード 「カミカゼ」をパレスチナに教えたのは日本人。「今でもカミカゼは日本で尊敬されてると思ってた」と聞いた衝撃。 2015-08-17 21:37 https://syuklm.exblog.jp/24798224/ ↑ 『デファクトスタンダード』はこうして創られる! 187 デフォルトの名無しさん 2018/11/14(水) 03:07:22.09 ID:mozvI8wi 『チンポがシコシコする』も、将来的にはデファクトスタンダードになると、自分は信じている! >>299 勝ってる戦争を途中で止めるバカはいない。マリアナの時点で 講和を日本が申し入れてもアメリカは相手にしないよ。降伏は 相手が認めないと出来ない選択だ。 >>313 >勝ってる戦争を途中で止めるバカはいない。マリアナの時点で 大陸打通作戦で大勝利してたのに、途中で止めるバカは居ないからな。 >>315 つまり大陸打通作戦は日本人の誇りってことだよな。 >>315 >なお大陸打通作戦の現実は ナチスドイツが引き起こした絶滅戦争は、ソビエト赤軍がベルリンに突入することで終結した。 >>266 何だブッ殺すぞゴミ 文句あるなら 松戸市六実7-13-19に来いよクズ >>22 脱出しても敵艦隊の真ん中に降りるんじゃ殺されそうだがw >>319 撃墜された特攻機の操縦員が、海面を泳いでいたら、情け容赦なく米兵に射殺された映像があったよな 「大空のサムライ」とか言われる坂井某らが、自爆攻撃を強要された童貞の少年兵たちの「護衛」をしていたんだとか。 よほどのばかでない限り、「護衛」の意味は読解できるよな? 「逃亡しようとする少年兵がいたら撃墜すること」。 よほどのバカはお前だろ… エンジンだのなんだのが不調になって引き返すだの不時着水するだのなんてよくある事なのに、そのたびに撃墜すんのかよ >>323 逃亡って九州からどこへ逃亡するんだ 韓国? >>325 とりあえず編隊を離れるんだろうな、唐突に韓国言い出すヤツに言っても無駄とは思うが >>323 少年飛行兵は陸軍だろボケカス糞無知にわか知ったかのアホ 特攻機による戦果:カミカゼ特攻機命中率56%の虚報 http://torikai.starfree.jp/1945/kamikaze-statistics.html >米軍の被害が大きいのは、船体に近距離に撃墜・墜落した特攻機が僅かに軽傷を与えても、それらをすべて被害(命中・至近弾)と扱い過大報告したことによる。 優勢な米軍は、損傷を受けたことを自らが勇戦した証拠のようにことっていた。危険を冒して困難な任務を遂行したという誇りをもって、敵の特攻機の攻撃を高く評価した。 これは、弱い敵に打ち勝っても勇者とはならないからである。米軍将兵にとって、自らの勇気を誇示するためには、特攻機の危険な攻撃は必須であり、特攻機の命中率が高いことは、自らが危険な困難な任務を成し遂げたことを意味している。 つまり、米軍が、自らの優先した証拠として、特攻機の命中率56%との推計をしたのである。このような特攻機命中率56%という米軍の優先の証拠のような数値を、米軍の意図した目的に思い至ることなく受け入れては、米軍の思惑に騙されたも同じである。 米軍が特攻を高く評価する真の目的、米軍の英雄的行動を喧伝することに思い至れば、「特攻機は米軍を恐怖させた」といった単純な発想はでてこないはずだ。 >空母の護衛艦艇とレーダー警戒艦艇が、特攻による被害艦艇の半数以上を占めていることになる。ただし、上陸部隊や艦艇への補給を任務とする輸送艦は、40隻、14%とあまり多くはない。 本来は、警戒が手薄で、上陸部隊や艦艇の生命線ともいえる輸送艦・輸送船を目標にした攻撃が行われるべきであった。 しかし、特攻隊員も。艦隊至上主義の影響を受けていたから、輸送艦のような目標は体当たりにふさわしいとは考えなかった。 結局、通常攻撃によって、米輸送船団を攻撃することをしなかったのは、特攻隊を編成し、米軍艦艇に目を奪われた特攻作戦を展開した日本軍の失敗であったと考えられる。 >特攻隊員とそれを送り出した指揮官たちの問題とも関連するが,日本軍は、攻撃目標の選定について、軍事科学的な検討を十分にせず、戦術的にも誤った「正規空母」という目標を第一優先した。 これも、特攻作戦を失敗させる=特攻という大きな犠牲に見合った戦果をあげられなかった大きな要因であろう。 ジョンお姉さんの「特攻に関して毎度毎度テキトーなことを言う人」 https://togetter.com/li/1339286 特攻を批判するのは良いが、嘘をついてまでする人は、一体なんなのか。 >>328-329 命中率のカサ増しはそんなもんかもなぁで済んだけど、日本軍は輸送船を目標にしなかった!で一気に胡散臭くなったな 海軍と陸軍で目標が違うのも知らんのにこの話題で記事書くとか、他の情報も信憑性が胡散臭くなる 陸軍海軍のアホな内ゲバ批判にも簡単に繋げられるのにスルーしてるから、ガチで知らないんだろうなコレ 鳥飼のボケ爺か もうずいぶん、頭がアップデートされずに知識がフリーズしてるんだよなぁ >>331 http://www.navweaps.com/index_tech/tech-042.php あくまで↑を元にしての記述だろ わざわざ円グラフ2つ作ってるんだから、撃沈と損傷の艦種別内訳を しかも、どう識別したのか陸軍の特攻機は含まないと注1に書いてある 海軍と陸軍で標的変えたのも沖縄戦からだしな 米輸送船の特攻被害も表になってるよ http://torikai.starfree.jp/1945/ship-tables.html 日付、船名つき このボケ爺、お前より優秀だわ 無能にはその程度の表で優秀にみえるのか もっと詳細なデータがネットに転がってるご時世なのになぁ マジでフリーズしてるなオマエも爺もw >>334 転がってる物を拾うオレ優秀と言いたいのかw 貼れないのは信憑性に欠けるからだろw (ワッチョイ ecde-ass7 [150.249.168.138]) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる