>>817
昭和17年においてどうだっかの話をするとまた様子が違うと思うし
爆弾の性能の進歩を掌握してた将官クラスは限られてるだろうから
技術史的な観点はともかく、司令官の作戦指揮を分析するならば、
誰がいつどんな認識だったかをその根拠の当否から論じないと意味がないと思います

昭和17年といえば
150kg爆装で航続距離延長を諦めた時期からまた爆弾は進化してて
山口少将(のみならず空母部隊)が対米戦で使ったのは新しい世代の爆弾
防御甲板の貫通を期待された九十九式二五番通常だけでなくて
九十八式二五番陸用は鋼板25ミリ貫通して自爆せず
各航空戦隊では短遅動の信管を付けて大型艦に投下されるまでになってるから
例えば飛行甲板ですら表面で自爆して数時間で修復されるような穴しか開かないというような威力不足は恐れられてない
(その場合は秒時が一番小さいのを使うはず)
そして少なくとも山口少将の部隊については、
おそらくは悪天候時に撃角が小さくなることを恐れて陸用爆装のみによる攻撃隊は編成してない
用心を重ねて基地攻撃にも貴重な通常爆弾を混ぜている

こうした流れを見れば、即時発進の意見具申も、敵空母の封殺が可能という見通しのあるもので
また却下された理由も、封殺が不可だからというものではないだろうと推測できる
改良を重ねた爆弾が(空母部隊には)行き渡り
かつ実際の使用状況から考えて、
昭和10年ごろに一連の実験をした頃とは認識が違うのではないかと思われる