>>910の続き

「索敵計画を立案した吉岡乙参謀は、索敵機そのものの機数を
7機に減らした。その理由について、後に彼はこう釈明する。

”攻撃機を索敵にまわすのはもったいない、と言う発想があった。
そのせいで水上機を数多く使うことになった”

だが、この判断の根底には、
”敵空母はミッドウエー沖には出現しない”
という思いこみがあった。

希望的観測といって良い」
           (『ミッドウェー海戦第一部』森史朗/著)p320