大和の砲支筒は、主砲三門中二門までの衝撃(3,426t)しか耐えられない、というやつでしょ
最初から全砲門同時発射なんて、要求してなかったんじゃね
全門同時発射したら酷いことになる、というのは扶桑型の時代からわかってたこと
だから交互撃ち方が当たり前になったし、後には98式遅発発射装置なんかも作られた