【局地戦闘機】雷電その12
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>>147
>>148
どっちも勘違いしてるけどジャイロ補正照準器だと自機の偏向が分かるので照準器に
敵機が入ってない状態でも補正量が分かる
端から敵機に対するリードなんて表示されないからそれはパイロットが勘でやる
もちろん大戦当時はレーダー測距機能なんて無いから距離も弾の降下量も分からない http://www.429sqn.ca/acmgs.htm
降下量の計算はこの辺とか何処でも書いてあるよ
Mark IIL とかはこの降下量の計算を応用して
ロケット弾用の射撃モードが使える
ロケット用に大きな降下にも切り替え対応できる。 >>150
目標のウイングスパンを設定すればレティクルと見比べて距離の推測ができるだけで
距離の測定をしてるわけじゃないのよ
一定距離での落下量が分かるだけね 地上攻撃モードもあるので
距離測定はウィングスパン以外もある >>152
距離設定ができるから任意の距離を設定するだけよ >>149
>自機の偏向が分かるので照準器に
敵機が入ってない状態でも補正量が分かる
自機の、何に対する偏向が分かるの?
敵機が入ってない状態で、何に対する補正量が分かるの? >>154
敵機に機首を向けようとした時に全然違う方向に機首を振るのでその補正が分かるのよ
そもそも飛行機は機首の向いてる方向に飛んでないしね 日本の20mm弾ってやたら高価だったらしいが、もしかして薬莢も真鍮の棒からの削り出しとかなのか?
アメリカでは口紅の金属ケース作るメーカーが臨時転業してやってるのに J2M1を採用 ペラ大型化 延長軸廃止で開発継続
零戦32型 金星
99艦爆22型 キ71 艦上機化
火星を基本とした戦闘爆撃機を新規開発 >>158
アドバースヨーとかPファクタといった飛行機独特の挙動で進行方向と機首方位がズレる
だから的確に補正しないと狙った処に弾を送れないわけ
ジャイロ補正が付いてるとレティクルのズレを見ればその機体の偏向を補正をする目安が
分かるので大きな見越し角で照準器に敵機が入ってない状態でも射撃の精度が上がるわけ >>149では「補正量が分かる」
だたのに
>>159では「補正をする目安が分かる」
に変わってるけどどっちが正しいの? "レティクルを目安にして横滑りの補正量が分かる"だろ
日本語が不自由な奴しか居ないのかよw 補正量ってのを現代のHUDに表示されるターゲットボックスみたいに精密なもんだと思ってるならそれは違う
見当もつかねえのか、ってばそれも違う それ以前の「全て勘で」よりかなり正確
それだけのハナシ 測距はスパンを設定後
パイロットが距離ダイヤルを回して、レティクルとスパンがピッタリ一致するまで調整
単純な光学測距
距離ダイヤルを元にジャイロ用レティクルの偏差位置を自機角度等と共に調整
距離ダイヤル分、弾の降下量分中心線を下げる 見越し量設定を見れば分かるけど爆撃機みたいに動きの単調な相手を定点旋回で2秒ほど
追尾してないと設定作業もできない
戦闘機同士の格闘や敵機が照準器に入らないような大きい見越し角では役に立たないシロモノ 偏向補正は上手いパイロットは自然にやってる事で下手なパイロットでも同等の操作ができる
という利点はあるよ
古いGスーツも個人差の大きい耐G耐性を1〜2G底上げできるって事でチャンと意味がある
これもベテランは力んで耐えるのが普通だったのをコツが分からないパイロットの底上げ
もしくは力まなくても大丈夫な時間延長で操縦操作に支障が出ない利点がある >>162
これ打つ方は双発機だけど
何を想定した絵なんだろ?
ミティアかモスキートか・・・
ホワールウィンドやボーファイターじゃないよなぁ >>163
英軍が鹵獲したドイツのジャイロ照準器を連合軍の物と比較した時はドイツのが精度が上で
ずっと遠距離の1,000〜1,500mでも有効だったらしい
勘よりずっと正確かと言えばパーリングみたいに天才の勘には遥かに及ばないとしか・・・ ジャイロレティクルは上の公式トレーニング動画で言われてる通り
ただ真っ直ぐ分飛ぶ分には、固定レティクルと全く同じ位置に来るのであまり効果はない
戦闘機相手にどう使うかはこの人が、IL2シュミレターでわりと分かりやすくチュートリアルを作ってくれてる。
この時間位から距離ダイヤルをちょいちょい弄りながら照準調整してる。
https://youtu.be/ea2IB48lOuo?t=723
偏差量を見れば分かるが真っ直ぐ飛んでいない限り、中央の固定レティクルは目安にもならない。 IL2は見た目はリアルだけどフライトモデル糞で挙動は設定で全然変わる
シムをやった奴なら分かるけど動画のNPC機なんか固定レティクルで余裕で狙えるぞ 確かに、前から思ってたけど零戦とかサッチウィーブくらいの機動でも当てれなくなるからな
達人レベルのガ島時代でも
やっぱ真っ直ぐ飛んでもいないと当てれなかったのだろうか? だったら坂井三郎はサザーランドを撃墜できなかったろうな サッチウィーブは二機でシザースをやってるだけ
シザースをやればわかるが相手がリード射撃の射線に入る直前に反転するから
射撃の機会が凄く短い交差時を狙うしかなくなるので十分当て難い
不慣れな奴は撃ち続ければいつか落とせると思っていつまでも付き合うから
もう一機に撃たれる
慣れた奴なら敵機がシザースに入ったらハイヨーヨーで相手だけエネルギーを
捨てさせて反転前に銃弾を叩き込めるけどな その理屈だと逆のパターンもできるはずで
零戦が同じような機動で有利に戦った例とかあるのだろうか? 現実はフライトシムと違ってちょっと目を離すと目の前の敵機がどこに行ったか分からなくなるので
よほどのベテランか天才じゃないと闇雲に目の前の敵機を追い回すのが普通なんだけどね >>174
逆は有名な話だろ
零戦が小回りが効くI-15に手こずって上昇離脱に見せかけて吊り上げた所を始末してた
ロールが早けりゃシザースするし上昇力が優秀なら吊り上げる
機体の特性に合った戦法を使うのは当たり前の話 生き残った人は、こっちが狙っている時は敵もこっちを狙っているとよく言ってる シザースを繰り返してたらどんどん速度が落ちるし零戦は低速だとむしろロールが早い
普通に一緒にシザースしてたら勝てると思うんじゃないかね 「源田の剣」でも、F6F にせよ F4U にせよ、
機数にまさる紫電改隊が高度優位で奇襲をかけたにもかかわらず、
第一撃があまり当たっておらず被弾数機、そのあと乱戦になるも交叉機動で防禦反撃され、
結局トータルでは紫電改の損失数が多いということが繰り返し目に付く。
かなり当たる第一撃でこれだからなぁ。 WW2最後の空戦となった、47戦隊の疾風とP-38の場合も、日本側が奇襲をかけたのに初撃で失敗、
お互いに自分たちの方が勝ったと主張していたが、実際は日本側の負け越しだったし 米軍は低位に囮を置いて、食いつかせて別部隊で上から被せる戦術をよく取るらしい
315 名無し三等兵 sage 2020/03/03(火) 20:51:51.57 ID:Ijez7JDq
『遥かなる蒼穹の戦記』 891円
雷電パイロット工藤稔上飛曹の証言が掲載
(赤松中尉の二番機)
↑
これに書いてあった パイロットの練度の半分は射撃やねぇ
つまりジャイロ照準器ある時点で練度5割近くハンデを負ってる
ドイツの15.1mmやソ連の14.5mmといった900m/s代の実包使っていたら着弾までの時間減らせて良かったのかな >>180
射撃当てさえすれば紫電改や疾風の勝ちだったんだよな
ホ5とか99式とかは連合軍の20mmFFS弾(イスパノも使う弾)に比べて低伸性が劣ってるし
初速950m/s欲しかった
さすれば射撃練度のカバーになって実質的に練度上がった状態と等しくなる >>179
上から攻撃しようが奇襲じゃなければそうそう当たるもんでもない
末期は集団機動戦になって戦闘機100機が戦っても落ちるのは数機なんてのが多かった 奇襲をかけたつもりが罠だったということもあるでしょう
あと、冷戦乗りも紫電改乗りも雷電の感想はカッコ悪い
マグロに羽が生えたようだと言うけど、雷マークの雷電は結構カッコいいのに ドイツのMG151/15の初速は弾にもよるが1030m/sで戦後のAPDS並みに高い。
これなら当て易くなるだろう
14.5mm弾より更に威力あるので米軍機の装甲も貫徹出来るし シャーク・ティースが世界一似合う機体がP-40なら、稲妻マークが世界一似合う機体は雷電かな
あの太い胴体は稲妻マーク以外にも特別なマークを描くキャンバスとして実に向いている >>185
そうだとしたらしゃーないが奇襲かけといて全部外すのはダセーだろ。当人らのせいではなく機材のせいだけどな。
奇襲で確実に始末して貰いたいね。
良い照準器と良い機銃が有れば待ち構える日本側のスコアが爆増してたかもしれん。 >>182
ベテランの話だと操縦がいくら上手くても弾を当てられないパイロットは駄目
だから死角に潜り込んで外れようのないほど近くから撃つのが王道だったわけで >>185
ファンの人には申し訳無いがナメクジみたいで嫌い
疾風が適度にマッチョかつスマートで一番カッコいい
紫電改はみんなが言うフィレットのデカさは気にならないむしろかっこいいと思うが顔がダメ
F6Fもだけど気化器インテークとオイルクーラーの配置で損してる >>180
その8月14日の豊後水道の空戦は「日本陸軍」最後の空戦だぞ
正真正銘WW2最後の空戦は8月15日10時頃に起きた、
302空の零戦8機・雷電4機の混成部隊とF6Fの
関東平野上空の空戦で
零戦が2機、雷電が2機、F6Fが4機失われた
ちなみに、この時の302空の搭乗員は
降伏の事を知った上で出撃していた 8月15日は
米軍側が日本の降伏の報告を受けわざわざ
攻撃第二波を取りやめてくれた後の話だからなぁ
単なる卑怯な腐れ外道者の話 >>191
そもそも何しに来やがったコイツら?>8月15日10時頃 なんか豊後水道での空戦ばかりが話題になるけど
性能でも錬度でも何もかも劣る零戦・雷電で
五分に持ち込んだ302空はもっと知られて良いと思う
あと、太平洋戦争って零戦で始まって零戦で終わった形なのよね
最初から最後まで大して出力の上がってない零戦を引っ張らざるを得なかった所に
日本の限界があったと思う >>194
地味に五分五分って快挙じゃねぇのかコレ?
しかも紫電改より劣る零戦&雷電で… アメリカ版wikiのJ2Mの項にも載ってるくらい
そこそこ有名な戦いではある ↓出撃の経緯だけはここの下の方に載ってるけど
具体的な内容は見たこと無いな
http://soranokakera.lekumo.biz/.s/tesr/2015/01/post-11e7.html
不利な体勢から仕掛けた雷電が還らなかったことくらいか まぁ、第47戦隊は7月に離陸直後にP-47に被られて戦隊壊滅してるから…
本領発揮とは行かなかったんだろうな
最後っ屁の武勲は海軍に持って行かれたな。
陸軍は本分の陸戦で最後に占守島で善戦したけどね。 まぁ末期零戦は剛性上がってるからな
リプロの22型も外板を分厚いものに変えたお陰で機動性上がってるらしい
通称スーパーゼロ 雷電で高度10,000mでIAS160kt出たんだなTAS510km/hくらいにもなるんだが
それだけ出ててエンジン全開でアップアップ状態でないと高度維持できないとか・・・
零戦や隼が高高度性能良かったのが翼面荷重のおかげだとよく分かる話だた >>200
そのスーパーゼロはプレーンオブフェイムの52型に全くついていけない運動性らしいけど 9千以上じゃF6Fが翼面荷重184kg/m^2あっても流石に零戦周り負けるけどな
二段式にした栄のハ315エンジンなるものが企画されていたようで、低翼面荷重と高空エンジンが組み合わされば最高の高高度戦闘機が出来上がるな >>202
そうなのか?それは初耳だなぁ
まぁでも、52型はロールレートがまともになってるからな 宙返り→22型
それ以外の機動→52型って感じやろね
リプロの22型はエンジンもR1830(1200馬力)に換装してるからパワーもちょっと高い
全力出せる機会がそもそも限られるんであまり意味無いけど… 200ノット以上または9千以上で周り負ける
200ノット以上の領域はリプロ22型みたいに剛性上げれば解決
高空ではまず過給機
これで低空高空低速高速いかなる時に於いても周り負けない ってこれ限り無く22型スーパーゼロじゃねぇか!
(いやこのR1830はF4Fの二段式のとは違うタイプだろうけどな) >>203
全開高度8000mと聞くとロマンに胸踊るが
フルカン二段過給と言う段階でロマンを突破して絶望しかない
なぜ戦時にそんな身の丈に合わない仕様で作ろうと思ったのか >>207
思うんだがハ43とか全く新規のエンジンを上手く回る様にするのと、既存の栄に補機類をペッてやるのじゃ後者の方がまだ出来たんじゃねぇかなって思う
実際はそのハ43にまた排気タービンとか、誉にフルカンや二段三速とかやるつもりだったわけだからアレなんだけど… 栄31型が成功してたら最強の零戦ができたと思うんだ 碇先生の本だったか、誉エンジンの軸受けの開発者で、散々改良加えた後で軸受けが壊れたで担当者はすげぇ疑われて遺憾だったらしい
んで他部位の剛性不足で撓んだ軸がガリガリ削ってたのが原因って判明した話というオチとか見ると、どっかが壊れてもその部品が悪いとは限らないんだよな
撓んだ他の部品に破壊された可能性まで考える→キリが無くねる
エンジンの設計難しすぎる
二千馬力の回転に耐えるエンジン作るよりかはまだ二段二速とかフルカンやった方がマシじゃねって気がしてきたぐらい >>179
戦闘407の本田稔さんは6月2日の対コルセア戦(空母シャング
リラ)を
三四三空で体験した唯一の典型的優位戦だったと言ってる
(本田さんが全ての戦闘に出たわけではないけど)
この時紫電改21機対コルセア16機の戦いで撃墜報告18機(隊誌。防衛省戦史公刊で13機撃墜)未帰還2機
実際のコルセア損失4機、要修理2機
やはり最初の一撃でイマイチ成功してないっぽい
約半数が経験不足のパイロットなのもあるけど
先頭で引っ張る指揮官が本田さんほど百戦錬磨ではないのが大きいのかも
兵学校出の指揮官は大事にされてて凄腕のパイロットを護衛役に着けたりしたから余計戦闘力が落ちる傾向 なんだ普通に勝ってるのもあるじゃん
源剣でミソが付いたけどそれでもやっぱり十分強かった方でFA? >>206
またデタラメ書いてるじゃねぇか
米軍のテストだと零戦とF6Fの旋回は9,000mで逆転するが
200kt以上で逆転するのはロールだけ
ロールも零戦に急降下でもさせないと逆転できないし 空中戦で一番重要なのは早期警戒が出来るかどうかだよな
シンガポールのバッファローはほぼ負け続けていたが全期間中に有利位置から戦えたのは1942年の1月18日のみ
この日ニニ航戦の零戦を1機の損失で2機撃墜している
本土防空戦とは真逆で開戦初期のフィリピンやシンガポールでは奇襲と数の優勢で押しつぶしている https://i.redd.it/mwz74m56heq31.jpg
こんななっても帰ってくるんだぞFG-1Dコルセア
しかも胴体着陸じゃなく脚出して着陸
6月22日奄美大島付近で三四三空紫電改に撃たれたVMF-113アルソン・C・フレーザー機
落下タンクが落ちない状態で空戦 >>215
このアルソンさん、その後どんな人生を歩んだのか知らんが
ちゃんと生きて戦後を暮らしたなら
孫や子にこの写真を見せてすっげー自慢とかしてたんだろうな >>215
火災起きなきゃ米軍機なかなか落ちねぇもんな…
陸軍のホ5は炸薬のうち大半が焼夷剤で着弾したらアチアチに燃えて火災起こす
ベトナム戦争でもアルミ装甲の米軍装甲兵員輸送車が焼夷徹甲弾で黒く燃えて、修理を請け負った国内の業者が「アルミはアカンな・・・」って思ったらしい これは・・・
撃墜に誤認しても責めてはいけませんな 302空は有名は有名でしょ
8/15日の空戦のあと厚木航空隊事件を起こす
こいつらのせいで終戦が変に伸びた 俺たちの戦いはまた終わらない
小園指令とドゴール将軍どこで差がついたのか どこに亡命政権作るんだよ、支援してくれる国が皆無なのに スターリンなら朝鮮半島全部占領して本土に進攻する口実ができたと喜ぶ(ry 少数対少数とはいえ、末期の連合軍戦闘機と互角にやり合ったって普通に凄いわ302空
しかも零戦っていう さっさと降伏しなかった為に、逆にスターリンはこれを利用して
樺太・北方領土等の占領口実になったからなw
8/15までだったら大陸の支配地域やいらない戦闘損失も結構差があっただろう。
かなり国賊 コイツらが反乱したのってよほど活躍に自信があったのか?
それよりもこれだけ増長するほど武勲立ててたのかも
戦中の302空キルレシオが気になる 首相官邸占拠して停戦派を粛清して阿南をトップに据えて戦争継続するつもりだった陸軍将校らに比べりゃビラ撒いただけの海軍302空なんて可愛いもんだ
実際に決起で攻撃してるからな陸軍は >>181
沖縄戦だと特攻対策で低中高の三段でファイタースイープさせて
どれかが日本機と交戦したら別高度の編隊が応援に来てたから
無線で応援呼ばれたのをそう感じたんじゃなかろうか >>202
ちょっと眉唾だな
POFの零戦はオリジナル度が高いから栄の出力を8割以下に制限されてるから全力機動できない
再生産22型は補強で翼面荷重がかなり高くなって低速での運動性が落ちたんだろうか >>215
343空の初陣でも増槽落ちないのにそのまま空戦して紫電改を撃破までしたF6Fがいたけどすごいよな
機体性能が明らかに落ちて撃墜される危険が高まってるのに引き返さない
日本機をナメプしてたのかそれだけスコアあげたかったのか ロシアンゼロは所属アビエーターが他の大戦機と乗り比べて機動性が良いと口を揃えてるね
特に上昇力とロール性能は圧倒してるそうだ
速度が高くなるとエルロンが重くなるのもオリジナルと共通 >>225
戦闘行動の完全停止が何日か調べてみればさっさと降伏しようが関係ないとわかるぞ
無知は罪 >>230
皆が必死に戦ってるのに
「あ、自分増槽落ちないんで定時ッス。あとよろっ~」
とは行かなかったんじゃないかな・・・
マクガイアが増槽を落とさなかった理由は判然としないけど
こっちも落ちなかったのかも >>229
エンジンが150kg位重くなって出力が200馬力位上がってるだけなんだから劣っててもさほど不思議じゃないと思うけど 本土空襲時は基本、あくまで爆撃任務中の自己防衛だから
増槽と爆弾すら捨てない状況も多い
増槽は特に捨てると帰れなくなる範囲である事も多い
爆弾捨てさせたら十分任務こなしてる ジェームズジャバラみたいに故障でタンクが落ちなくても運が良ければ助かってエースになれる
空で運が良くても地上では運が悪くてポックリ死んだりするが・・・ マリオン=カールの死に方ほど悲しいものは無い
母国の未来のために命を掛けて戦って
その母国に訪れた未来の申し子に殺されるとか そうなんだよな、結局爆弾と増槽抱えて防戦してるだけだから
必然的にダイブアンドズームくらいしかできない 同日のもっと早い時間帯で起きた252空vs第37任務部隊の空戦では、
F6Fより遥かに航続力が短いシーファイアが
自身の1/3以下の零戦相手に増槽を投棄して戦ってるのに
自らの倍の機数に襲われたF6Fが爆弾も増槽も投棄せずに空戦やってるとは思えんな
あ、ちなみに252空の方は当たり前だけど惨敗してる ポツダム宣言受諾通告後に来襲した176機の米軍機
昭和20年7月26日、アメリカ、イギリス、中華民国の首脳が日本に向け、降伏を呼びかける
「ポツダム宣言」を発した。日本政府は、日ソ不可侵条約を結ぶソ連の仲介による和平に
一縷の望みを託し、またポツダム宣言が日本の国体、すなわち天皇を中心とする国家体制の
維持について不確定な内容であったため、いったんは黙殺を決めた。
ところが、B-29が8月6日広島に、8月9日長崎に原子爆弾を投下、9日にはソ連が日ソ不可侵条約を
一方的に破棄して対日戦に加わり、ポツダム宣言にも名をつらねる事態になると、もはや日本には、
本土に敵大兵力を迎えての本土決戦か、ポツダム宣言を受諾して降伏するか、いずれかの道しか
残されていなかった。
日本政府は8月9日の御前会議で、「国体の護持」を条件にポツダム宣言の受諾を決定、
10日、中立国スイス、スウェーデン経由で連合国に伝えられた。 8月14日、日本政府は改めて御前会議を開き、ここで天皇自らの意思でポツダム宣言受諾が
決定され、終戦の詔書が発せられた。
そして8月15日正午、天皇が国民にラジオを通じて終戦を告げた。「玉音放送」である。
日本がポツダム宣言を受諾したことは連合軍にも伝わっている。だが、玉音放送に先立つ
8月15日午前5時30分、敵艦上機176機が、二波に分かれ、ダメ押しをするかのように
関東上空に来襲、日本側の航空基地を爆撃した。霧の濃い早朝だった。 タングミーア基地No.145スコードロンの整備員だったエリック・マースデン氏の言によると、
1940年にスピットファイアだけだったら敗けていたろう、
燃料再補給と再給弾の「ターンアラウンド」時間が、スピットファイアは26分もかかるが、
ハリケーンはたった9分で済んだ。
https://twitter.com/Mossie633/status/1264539638628114434
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 「千葉県の茂原基地を発進した日高盛康少佐率いる第二五二海軍航空隊(二五二空)戦闘三〇四飛行隊の零戦15機、
神奈川県の厚木基地を発進した森岡寛(ゆたか)大尉率いる第三〇二海軍航空隊(三〇二空)の零戦8機、
局地戦闘機雷電(らいでん)4機がこれを迎え撃ち、三〇二空がグラマンF6Fヘルキャット戦闘機を4機、
戦闘三〇四飛行隊が英海軍のスーパーマリン・シーファイア(スピットファイアの艦上機型)戦闘機1機、
グラマンTBFアベンジャー雷撃機1機、フェアリー・ファイアフライ複座戦闘機1機を撃墜した。
この空戦で三〇二空は零戦1機、雷電2機を失い、搭乗員3名が戦死、戦闘三〇四飛行隊は零戦7機を失い、
5名が戦死している」 「8月14日の晩、太平洋を北上してきた敵機動部隊の接近の情報がもたらされ、
邀撃(ようげき)態勢をとることを命じられました。
それと同時に、明日15日正午、天皇陛下の重要放送があるから必ず聴くように、
と言われましたが、出撃準備しながらですから、まさかそれが終戦を告げるもの
だとは思わなかったですね」
と、この日、戦闘三〇四飛行隊零戦隊を指揮した飛行隊長・日高盛康少佐
(故人・1917年−2010年)は、筆者のインタビューに答えている。 午前3時半、総員起床。ほどなく、索敵機による敵機発見の報告が入る。
これは、午前4時半に房総半島沖のアメリカ、イギリス両海軍の空母を発艦した第一波の103機だった。
「茂原基地を発進したのは5時半でした。高度を6000メートルにとり、編隊を組み終わったところで、
東から敵機の大群が一つにかたまって向かってくるのが見えた。
その数、100機以上。こちらは15機。編隊空戦では、先頭を飛ぶ指揮官機が敵の指揮官機をまず狙うのが
定石ですが、これだけ機数に差があると、まともに先頭を狙っても後続機にやられてしまう。それに、
正面からぶつかれば太陽がまぶしくて不利。
そう考えて、敵編隊の最後尾を狙い、太陽を背にして後上方から突っ込みました」 「零戦隊の襲撃に気づいた敵機は、すかさず反撃してきた。たちまち乱戦となり、
早稲田大学出身の本間忠彦中尉機は、アベンジャー雷撃機に命中弾を与えたところで
英海軍のシーファイア戦闘機に燃料タンクを撃ち抜かれ、炎に包まれた。
本間中尉はからくも落下傘降下するが、顔に大火傷を負った。阿部三郎中尉機も
潤滑油タンクを撃ち抜かれ、不時着。
田村薫上飛曹機はシーファイア1機を撃墜したが、自らも被弾、墜落した。」 吉田勝義飛曹長は、鹿島灘方面から侵入してくる敵機を房総半島の久留里上空、
高度5000メートルで捕捉。1機を追尾して、敵機が機首を上げて反撃しようとした瞬間、
20ミリ機銃2挺、13ミリ機銃3挺の機銃弾を撃ち込んだ。
「とたんに敵機の右主翼の3分の1と左水平尾翼が吹っ飛びました。墜落する敵機をかわして
右下方に抜けたとき、後席の敵搭乗員が脱出し、黄色い落下傘が開くのがチラッと見えた。
昭和18(1943)年、豪州本土上空で何度も戦いましたが、イギリス軍の落下傘は黄色だったんです。
敵機は、富津岬のあたりに墜ちていきました」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています